東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「観光」 と 「信仰」 は、果たして対立するものなのでしょうか。恐らく、違うはずです。
元来 「観光」 は仏の光を観ることだと、どっかの坊さんが言うのを聞いた憶えがあります。
単なる物見遊山のつもりでも、単なる景観消費のつもりでも、実は仏の光を観ているのが 「観光」 。
寺院系の観光スポットに群がる者は、内実を問わずその全てが仏に導かれているというのです。
聞いた時、心の半分では 「詭弁だ」 と思いました。ただ残りの半分では、 「その通りだ」 と思いました。
清水寺を筆頭とする超メジャー級の寺院で大混雑を見た時に感じる、不思議で独特な浄化感。
稚拙な観光欲が消化 or 浄化 or 昇華され、何かの仏性に繋がっているように見える、あの感じ。
「群がる観光客を嘲笑しよう」 と思ってこのサイトを始めた頃、私はこの感覚を味わい、戸惑いました。
単なるイベントや単なる雑踏では生まれない何か。それが、大きな寺社にはあるのではないか。
そう思ったのです。冷やかし気分で清水寺へ赴き、私と同じような印象を受けた方も多いはずです。
「観光」 と 「信仰」 は、対立するものではない。むしろ、 「観光」 は 「信仰」 の中にこそある。
何なら、 「観光」 はひょっとすると、仏の光を見ることから始まったのかも知れない。
こんなわかるようなわからないようなことを、東福寺の涅槃会へ出かけた際、感じていました。
東福寺は言うまでもなく禅宗の大古刹であり、涅槃会もまた言うまでなく釈迦の命日に行われる縁日。
3月15日 or 旧暦3月15日には各地の寺院で涅槃会が開かれていますが、東福寺もまた行っており、
中でも法堂に掲げられた明兆による巨大な 「大涅槃図」 の無料公開が最大の呼物となっています。
で、この涅槃会の雰囲気が何とも 「仏の光を観る」 という意味での 「観光」 といった感じだったのです。
仏の光を求めて、あるいはわけもわからずやってきて、皆が等しく仏の光を浴びる。
禅寺は厳格なイメージがあって、伽藍からして背筋を正してしまうようなテイストが漂ってますし、
特に東福寺の三門などはその極致で、何となく小乗感というか、厳しい印象がなくもありません。
でもこの日の東福寺は妙に大らかで、実に 「観光」 したような気になったのでした。

東福寺の最寄駅は、JR&京阪電車の東福寺駅です。あ、知ってましたか。ああ、そうですか。
涅槃会当日の13時前の駅前は、紅葉の時の混雑とは比べ物にならないものの、割と混んでる感じ。
信心深い老人ばかりということは、特になし。観光客も割といますが、地元の学生の姿も目立ちます。
涅槃会で混んでるんでしょうか。あるいは単に駅前が狭いから混んでるように見えるだけでしょうか。

東福寺に向かって歩くと、やっぱり涅槃会で混んでるみたい。

臥雲橋も人が多くて、老若男女問わず涅槃会へ行くみたい。

人気あるんですね、東福寺の涅槃会。皆さん、やはり 「大涅槃図」 が目当てなんでしょうか。
あるいは、涅槃会名物の鼻くそあられをもらえたりするのかも。いや、確か鼻くそは有料だったような。
真如堂の涅槃会でも鼻くそは有料だったし。いくら気前が良くても、鼻くそまでタダってことはないだろ。
東福寺の鼻くそって、どんなのかな。やっぱり真如堂のと同じように、鼻くそみたいな鼻くそなのかな。

などと鼻くそに思いを馳せてると、おっさんが座り込んでる日下門に着きました。
おっさんは、痰を吐いてます。やはり今日は衆生が集う縁日みたいですね。入ります。

入ったら、まずは威圧感溢れる三門を拝んだり。

威圧感溢れる法堂も拝んだり。

で、その法堂で早速 「大涅槃図」 、観させてもらいます。

法堂内は、畳や筵を敷く形で通行スペースが設けられ、椅子や畳の座れる場所もあります。
奥の須弥壇に掲げられているのは、もちろん 「大涅槃図」 。近寄らずに観ても、十二分に巨大です。
縦が約12mとか。流石は日本最大の涅槃図。同時に、これを普通に掲げられる法堂のサイズも凄い。
ただ私は目が悪いので、近寄らないとよく見えません。そして、もちろん図の前は混みまくってるし。

京都三大涅槃図の1つとされる 「大涅槃図」 。2023年に100年ぶりの修理を終えたばかりとか。
色鮮やかな往時の姿が甦ったそうですが、暗い堂内で照明も特にないので、詳細はわかりません。
この涅槃図は他の涅槃図とは違って、珍しく猫が描かれているんですが、そいつも全然見えません。
というか、私の視力では釈迦さえも不明瞭です。わかるのは予想よりカラフルだなということくらい。

図の前面が混んでるといっても、ディープで信心深い人達が密集している感じでもありません。
信仰の場へ紛れ込んだ場違い感はないし、といって観光丸出しでもない、というくらいの雰囲気です。
でも混んでることには違いないので、堂内にある売店で鼻くそと絵葉書か何かを買って、もう帰ります。
あ、鼻くそ、有料でした。でも絵解きが付いてるので、絵葉書の類は買わずに済みました。ラッキー。

で、これが鼻くそ。でなく、花供御。付録の絵解き紙は、絵葉書より大きめです。ラッキー。

用事は済みました。帰ります。が、法堂の隣で甘酒の呼び込みをやってます。美味そう。

志納制の甘酒は、実際、美味。味が濃く、それでいてナチュラルな風味で、良い甘酒。

本当に用事は済みました。帰ります。が、涅槃会の3日間は三門も公開されるんですよ。

そういえば三門、上がったことなかったな。天気良いので、上からの景色は良いだろうな。

と思い、1000円払って中に入りました。すると、写真はNG。内陣は無論、外で景色撮るのもNG。
自撮りに夢中で落ちて死んだ人でも出たのかも知れませんね。しょうがないので見仏に集中します。
楼上内陣は、宝冠釈迦如来を中心に仏像が横並び。1000円の功徳か、法堂より近くで見仏可能です。
スタッフさんが仏像などを解説されてますが、1000円分の元を取るべく話そっちのけで仏をガン見。

いや、仏以上にガン見してしまうのが天井や柱の絵。 「大涅槃図」 の明兆によるというものです。
半鳥半人の 「共命鳥」 や飛び交う天女が極彩色で描かれ、何とも浄土的 or サイケデリックというか。
大涅槃図のカラフルさと共通したテイストがあり、禅の渋さと正反対とも言える何かを濃厚に感じます。
巨大ロボかと思ったら、中は人造人間で内臓が動いてたみたいな。意味不明ですが、とにかく意外。

1000円分の元を取るべく欄干にも出て外を眺め、見慣れた京都タワーなども拝んだら、下門。
今度こそ本当に帰りますが、帰る前に、定番アングルからも1000円払った三門をよく拝んでおきます。
改めて厳つさを感じさせる門です。しかしこの門も実は、定番の禅様式とは少し異なるものなんだとか。
私にはその辺は全くわかりませんが、でも内部で感じた浄化感を思うと、納得しないでもありません。

明兆は東福寺専属の画僧というので、あのカラフルさは東福寺が求めたものだったのでしょう。
そしてその浄化感が、今日の涅槃会に集った客の雰囲気と通じるものがあると思ったのも確かです。
東福寺もその中心には、超メジャー級寺院が持つ浄化感、大らかな浄化感があるのかも知れません。
もっとも明兆は、寵愛を得た義持に 「観光公害うざいから境内の桜切って」 とか言ってたらしいけど。

禅は深い。浄土は深い。涅槃会は深い。そして恐らく、鼻くそ、でなくて花供御も深い。
花供御、帰ったら絵解きの紙と一緒に開封の儀です。猫、この図にもちゃんといるのかな。

花供御の中身は、鼻くそっぽいルックの米菓というよりは、ごくごく普通なあられの吹き寄せ系。
作っているのは京都の米菓メーカーではなく、何故か鴬ボールで有名な加古川の植垣米菓でした。
サイズがかなり小さめで形も独特ですが、味は普通にあられ。落花生がいいアクセントになってます。
あ、でもこの色彩感はひょっとしたら、 「大涅槃図」 や三門内陣のカラフルさにちょっと似てるかも。
東福寺の涅槃会、
客層は基本的に中高年層というか、老人が多めです。
単独、あるいは2~3人程度の夫婦か友人連れが大半であり、
そこに年齢・性別・国籍不問の観光客と、
ガイドが引率する団体の観覧老人が混ざってくるという感じ。
涅槃会会場である法堂の外は、もう少し観光客が多くなりますが、
桜直前という時期のせいか、ベタな観光地ほど多いわけでもありません。
三門内陣は逆に、ベタな観光客をゼロ近くにまで減らした感じ。
写真撮影が完全NGなためか、仏に用がある人以外はあまりいない感じでした。
そんな東福寺の涅槃会。
好きな人と行くと、より涅槃なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、涅槃です。
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【客層】 (客層表記について) カップル:微 女性グループ:若干 男性グループ:微 混成グループ:微 子供:微 中高年夫婦:2 中高年女性グループ:2 中高年団体 or グループ:5 単身女性:微 単身男性:若干 |
【ひとりに向いてる度】 【条件】 |

東福寺涅槃会
毎年 3月14日~16日 開催
東福寺
京都市東山区本町15丁目778
JR&京阪電車 東福寺駅下車 徒歩約10分
京都市バス 東福寺バス停下車 徒歩約4分
臨済宗大本山 東福寺 – 公式


