石清水八幡宮の青山祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年1月18日(水)


石清水八幡宮の青山祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

青山祭。もちろん、青山学院大学の学園祭ではありません。
呪術都市・平安京が構築した悪霊・疫病・厄神防衛線の名残を、現代にまで伝える神事です。
「悪しきものは、人と同じく道を歩いて都へ入る」という当時のセキュリティ思想に基づき、
平安京の国境には、怨霊の水際対策として霊的城壁を築くべく、強力な寺社が建立されました。
鬼門封じの猿ラインは言うに及ばず、四方を固める大将軍各社や逢坂山蝉丸神社
あるいはパワーが強過ぎていまや心霊スポットとしか思われてない老ノ坂の首塚大明神などなど。
中でも、裏鬼門であることに加え、都と瀬戸内海と直結する水路のゲートでもあり、
さらには魔の国・大阪と山を介さず接している数少ないポイントに鎮座する石清水八幡宮には、
より強い霊的パワーが求められ、そのニーズは古代祭祀が消滅した後世も継続。
厄神防衛線の各社で斎行されたという祭儀「畿内十処堺疫神祭」は、
石清水では道餐祭として残り、斎場を囲む青柴垣に由来して「青山祭」と名称を変化。
八幡の厄除としての評判が民間にも広まるに連れ、正月以上に人を集めるお祭りへ変貌しました。
と、青山祭についてざっと調べると、こんな感じの話がいろいろと出てきます。
が、実際の内容についての情報が、妙に少ない。現在、何をどうやってるのかの情報が、少ない。
秘儀なんでしょうか。現在もこっそり、呪術とか、魔界とか、やってるんでしょうか。
私、子供の頃は近所に住んでましたが、そんな話、聞いたことありません。
やはり、秘儀か。そのあたりを確認すべく、日の暮れかかる山麓下院へと出かけてみました。
そして、そこで目にした「真実」は、実に驚くべきものでした。


石清水八幡宮・一の鳥居、そしてその前で気を吐く、走井餅
人、いません。いつもあんまりいませんが、青山祭の本日もやはり、いません。
昔は土産物屋が立ち並び、芝居や相撲の興行もあるほど、参拝客で賑わったそうですが。
先の戦争に負けて以来、戦勝の神としての評判はガタ落ち、客もガタ減りとなり、現在に至ります。


鳥居をくぐると、八幡五名水の筒井、その向こうに頓宮北門。
北門は、昭和天皇が京都で即位した際、御所に作られた春興殿の正門を下賜されたもの。
青山祭は、山上ではなくこの奥で行われます。16:45の時点で、菊の御紋がついた扉はクローズ。
既に、結界が張られてしまったか。中からは、不気味な雅楽が聞こえるばかり。


回廊の隙間から中のチラ見を試みながら、頓宮を迂回します。
回廊、作られたのは昭和の中頃。ボロさは歴史の重みゆえではなく、単純な経年劣化です。
元の回廊は鳥羽伏見の戦いで全焼。周囲の木は、それを申し訳なく思った志士が植えに来たとか。
入れないならしょうがない、始まるまで境内をうろついてみますか。


出ました。皆さま御存知、高良神社
仁和寺の法師が石清水八幡宮と間違え、『徒然草』 でネタにされた、あの社です。
どうやればこんな小さい神社を本殿と間違えるんだと思うでしょうが、これは明治以後の再建。
かつては極楽寺と共に、山麓に巨大な伽藍を誇っていました。で、やはり鳥羽伏見の戦いで丸焼け。


そして、安居橋 a.k.a 太鼓橋。
うしろにある中村家住宅の蔵と共に、わかりやすいビジュアルを誇る観光資源です。
中村家住宅は元々、大阪弁天座の座主・尼野貴之の別荘。書院造りの大歌堂もあるとか。
そういえば近所に住んでた頃、大阪から空襲で疎開してきたお年寄がいたのを、思い出しました。


などとウロウロしてると、祭儀開始時刻の17時前に。
彼方に皇都が控える北門は厳重にガードされてますが、南側はガラ開き状態。
石清水祭奉幣の儀と同じく、一般人はここに突っ立って覗き見することが可能です。
覗き見どころか、「どうぞ」と中へ呼ばれたりしました。写真はこっちの方が撮りやすいので、辞退。


で、正面から撮った、頓宮。石清水祭で神様が降りて来る、いわゆる御旅所。
神様が降りてもいない御旅所で祭礼を行うのは謎ですが、ここは元々疫神社でもあったとか。
前庭には、八画形+南面に入口を設けた青柴垣、その奥に忌み竹、注連縄、そして祭壇。
ここへ八衢比古・八衢比売・久那斗神を招き入れ、餐合し、国家安泰・厄除開運を祈願する、と。
日が暮れ始めると共に篝火が焚かれ、青山祭、いよいよスタートです。


神供を修祓、そして「お~~~~~~~~っ」奏上。


神供をバケツリレー方式で献上。


祝詞奏上。


神職全員、職員代表、国学院代表、崇敬者代表がそれぞれ参拝。


「お~~~~~~~~~っ」奏上アゲイン、神供をバケツリレー方式でお下げ。


で、終わり。
終わりであります。本当に、終わりであります。


実質、40分くらいでしょうか。実に驚くべき淡々さであります。
あとは、國學院の学生さんらが和気藹々と後片付けをする様を、呆然と見守るのみ。
あっけない。あまりにも、あっけない。呪術も、魔界も、裏鬼門も、ひったくれもありません。
見る人が見ると、ひょっとしたら面白いもんだったり、凄いもんだったりするんでしょうか。


あっけなさ過ぎて記事になるか不安なので、とりあえず寄ってみた、相槌神社。
二の鳥居をくぐり、ちょっとだけ参道を登ると石段の分岐があり、その真下に鎮座してます。
「あいづち」といえば、東山三条の合槌神社を真っ先に思い出しますが、こことの関係は、不明。
でも鳥居の額には、「三条小鍛冶」とはっきり明記。隣の井戸水も、鍛冶に使ったとか。謎。


まだ不安なので、とりあえず歩いてみた、二の鳥居と相槌神社を繋ぐ道。
現在の表参道は小さな橋で小さな滝を渡りますが、そこは元々石清水祭の時だけ通る、聖域。
一般人はそこを避け、こっちを参道として通ったわけです。で、その名残で古い町並が残ってます。
右側は元・祇園平八別館→八幡山荘→民家、そして左側に渋過ぎる饅頭屋、あり。


まだ不安なので、とりあえず覗いてみた、饅頭屋。
名前は、みささ堂。昔からの常連が多く、一度閉店したものの、要望が多くて再開したとか。
夏になると「涼しくなるまで休みます」と張り紙を残し、無期限休暇へ突入するのが、名物。
店の見た目も、饅頭のディスプレイも、シンプル極まる饅頭のラインナップも、渋いことこの上なし。


まだ不安なので、とりあえず買ってみた、草もちと麦まんじゅう。
買うと即座に食いたくなったので、とっとと帰りました。そして、即座に食いました。
石清水祭のお土産でもらった木製菓子皿に乗せ、じっくり目で楽しみ、写真も撮ったのち、瞬殺。
味はどちらも、素朴。麦まんじゅうは食感が、草もちは柔らかさが、たまりません。

青山祭、客は数人だけです。
それも、参拝でたまたま通りかかった中年夫婦や、近所の散歩してるおっちゃんなど。
好き者らしき姿も、なし。カメラ親父は一名のみ。シャッター連射音を響かせ、怒られてました。
中で見てる崇敬者の人も、10人程度。内容も、客層も、極めて地味な祭礼でありました。

そんな石清水八幡宮の青山祭。
好きな人と行ったら、より裏鬼門なんでしょう。
でも、ひとりで行ったら、より裏鬼門です。


 
【ひとりに向いてる度】
★★★★
何のプレッシャーもない。
ただ、パワスポ系の妙な期待をし過ぎると、
肩透かしを通り越して戸惑うかも。

【条件】
平日水曜 16:45~18:00

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊30
通常拝観 だいたい6:00~18:00

京阪電車 八幡市駅下車 徒歩約5分
京阪バス 京阪八幡下車 徒歩約5分

公式サイト – 石清水八幡宮

wikipedia – 石清水八幡宮