下鴨神社の流鏑馬神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年5月3日(木)


下鴨神社の流鏑馬神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

春の都大路に華麗なる平安行列を再現する、葵祭
しかし、 「山城国風土記」 などに伝わる平安京成立以前の葵祭 = 賀茂祭は、
ほぼケンカ祭同然、DQNや輩な連中が大暴れする、かなりワイルドな祭だったようです。
欽明天皇の時代、凶作に苦しんだ賀茂氏と在地民は、賀茂別雷神の祟りを鎮めようと考えて、
鈴をつけた馬を4月吉日に走らせ、豊作を祈願したのが、賀茂祭のそもそもの始まり。
最初は極めてアーシーというか、オーソドックスに農耕テイストが漂う予祝祭だったわけです。
それが、単に馬を走らせてるだけではつまらなくなったのか、やがて笠懸などをおっ始め、
これに興奮した馬鹿どもが大暴れ、政府から何度も禁止令を食らうケンカ祭にまで成長しました。
正に、DQNであります。正に、輩であります。完全に、田舎祭りだったのであります。
そんな楽しく野蛮な賀茂祭が、その姿を大きく変えることになったのは、平安遷都前後の頃。
朝廷は賀茂氏の勢力取り込みを図るため、賀茂社を都の鬼門守護を担う社と位置づけ、
ローカルな祭だった賀茂祭を勅使の奉幣を受ける超メジャー級国家的祭祀に変貌させました。
以後、中断を挟みながらも、賀茂祭は 「雅」 モードで現代まで継承されているわけですが、
ワイルドな香りを残す神事もあり、それが前儀として行われる、流鏑馬神事です。
下鴨神社・糺の森の中、射手が猛スピードの馬で駆け抜けながら的を射抜くその姿は、
昭和48年の復刻とはいえ、原始の賀茂祭の息吹を伝えるものと言えるでしょう。
そんな流鏑馬、GW混雑のど真ん中ながら、のたくりこんできました。


流鏑馬開始の1時間前、13時の糺の森・有料席受付。
混雑、まださほどでもありません。席も、南側の後の方は残りがあるとか言ってました。
といっても、無料区域でそこそこ写真が撮れそうな場所は、当然ながらこの時点でほぼ埋まってます。
あ、私は有料席に入る気、ありませんよ。もちろんタダ見です、タダ見。輩です、輩。


じわじわと人が増える糺の森をよそに、本殿では神前奉告などが行われます。
楼門の前には、思いっきり雅な平安モードのコスプレ集団が、神職を先頭として登場。
全員が射手というわけではなく、弓持とか的持とか、神事に関わる業務を担当する人たちです。
コスプレ集団は門前で一旦整列、軽くお払いを受けてから、本殿前の舞殿へ。


舞殿には射手など数名が上がり、何ちゃらが行われます。
雅楽が鳴る中、何とかという役職名で登場した村田製作所の社長が、うやうやしく拝礼。
続いて、上卿の黒装束で登場したどっかの公家の子孫の何代目かが、やはりうやうやしく拝礼。
その他、勧盃の何ちゃらとか、矢のお祓いの何ちゃらとかも、うやうやしく何ちゃら。


何ちゃらが終わると、行列はいよいよ流鏑馬の会場を目指します。
楽人を先頭にして、参道の隣の道に設営された馬場へ向かう、色鮮やかなる雅人たち。
長過ぎる裾を持ってもらってる人もいて、当たり前ですが、DQNや輩の香りはどこにもありません。
昔の人は 「猪の頭を蒙りて」 走ってたそうですが、今の人たちの頭に付くのは、葵の葉。


行列は、馬場の南端 = 出発点 = 馬場元へ向かいますが、
舞人などは北端 = 到達点 = 馬場末近くで馬に乗り、しばし周囲をウロウロします。
あ、この人たちが流鏑馬をするわけではありません。代わりに輩が出てくるわけでもありません。
騎射の奉仕を行うのは、弓馬術礼法・小笠原流一門。ちゃんとした人たちです。


参道&馬場に戻ってみると、大混雑で近づけなくなってたの図。
有料席はまだ空きがありましたが、タダ見エリアは御覧の有様。ほぼ、何も見えません。
あの人間の壁の向こうではきっと、騎乗した射手が男埒を通って、馬場元へ向かってるんでしょう。
「埒」 は、コースのこと。「らち開かん」 の語源です。男埒はレース用、女埒は移動用。


何とか混雑の隙間に潜り込み、望遠で馬場元を眺めてみたの図。
いろいろスタンバってるようです。もう14時40分ですが、なかなか始まる気配がありません。
現場には一門の解説が流れてて、最初の射手は、扇を投げ 「おんよう」 と叫んで走り始めるとか。
ここで聞こえるかなとか思ってると、突然、 「てっしゅー!!」 という謎の絶叫が響きました。


絶叫が響いた次の瞬間、物凄いスピードで馬が爆走してきました。
騎射、始まったようです。写真右端でチラっと捉えた、躍動的な馬の鼻が見えるでしょうか。
流鏑馬神事は、木板の的を約100m間隔で3つ置き、それらを馬で爆走しながら射るというもの。
潜り込んだ場所は三番目の的付近。最もスピードが乗る所です。体感速度、異常域。


馬、昔は20秒かけて走っていた埒を、現在は14秒ほどで走り切るそうです。
とにかく、速い。無茶苦茶に、速い。目視だと、何が起こってるのかさえ、確認できないくらい。
最初の三頭だけが公家形式=本当の流鏑馬で、公家の格好で行う騎射は非常に珍しいんだとか。
動きにくい分、的は大きめだそうですが、そんな細かい事、もちろん全然わかりません。


何とか場所を変えて、視認度向上を図ってみたの図。
矢の命中率は、割と高し。三つの的全部に命中させる人も、二人ほどいました。凄い。
客も大盛り上がりで、この頃から 「フラッシュ焚くな」 のアナウンスが、しつこく入るようになります。
しかし、曇り空+木の影に入ってしまうためか、閃光を輝かせる馬鹿は減ることなし。


客は、時間が経つにつれ、ちょっとずつ減っていきます。
さらに 「enjoy the rest of…」 と英語の放送が入ると、「終わったな」 と帰る人、多出。
長官代・馬寮頭代・宮司などが座る馬殿付近にも空きができ、二の的を正面から拝んでみました。
四角い木板の的が、スッパーンと見事に射抜かれているのが、わかるでしょうか。


連射写真+トリミングという最悪画質で見る、命中の瞬間。
木板は、木目が袈裟懸けに入ってるとか。そのためか、命中すると実に気持ち良く割れます。
そういえば、割れた的の販売お知らせのアナウンスがありました。一枚いくらかは、知らないけど。
興味のある方は、どうぞ。原料は一尺五寸のヒノキ or スギだそうです。


人は減るものの、楽勝で視界が開けるまでには、なかなかなりません。
しかし、的が割れる音や、後ろのクッションを波打たせる音もまた、充分に迫力あります。
とか言ってる間に最後の射手が登場、命中しなかったけど風圧で的をふっ飛ばし、神事は終了。
実際に走り始めてから1時間ほど、案外と長丁場な流鏑馬でございました。


神事が終わると、射手や雅コスの人たちは馬に乗り、本殿へ帰還。
ケンカや乱闘といった輩な馬鹿騒ぎは、当たり前ながら全然起こりませんでしたが、
神事そのものは実にワイルドで、荒々しい原始の祭りのエネルギーを感じさせてくれるものでした。
早くも空っぽになった有料席の椅子もまた、奮闘した馬にエールを送っています。


帰り、馬場元あたりでは、矢などを公開してました。
矢、寄って見ると、肩たたきみたいです。こんなごついもん、よく立て続けに射るなと。
この辺でパンフレットの売り子を見かけてたので、買って帰ろうかなと思ったら、姿、見当たらず。
みたらし団子の出店も見かけてたので、買ってこうかと思ったら、そっちも撤収済み。速い。


誰もいなくなった馬場に、しゃがみこんでみたの図。
祭の姿が変わろうとも、走る者が変わろうとも、都そのものの形が変わろうとも、
埒に残るこの蹄の跡だけは、平安遷都以前の時代から何も変わってないのかも知れません。
とか言って、蹄の形が昔と現在では全然違ってたりして。

客層は、基本的に烏合です。
もちろん観光客は多いですが、地元&近隣系も多く、両者の比率は半々くらい。
若老比も、半々かちょい老寄りくらいのバランスで、これといった年齢的な偏りもなし。
カップルはそこそこいますが、観光客というより近隣の学生風が結構多く、馬鹿ぶりも普通。
観光ハイや恋愛ハイもないわけではないですが、人圧+祭りのテイストでかなり相殺気味です。
団体の中高年ツアー客もいることはいますが、観光ハイはやはり全体の人圧に押され気味。
逆に祭りのテイストゆえ、男性グループは多し。いずれも、しょうもない若い男グループ。
単独は男女ともカメ、あるいは変人。

そんな下鴨神社の流鏑馬神事。
好きな人と行ったら、より流鏑馬なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、流鏑馬です。

上賀茂神社の賀茂競馬へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

【客層】 (客層表記について)
カップル:2
女性グループ:1
男性グループ:1
混成グループ:若干
子供:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:2
中高年団体 or グループ:2
単身女性:若干
単身男性:1
【ひとりに向いてる度】
★★★
人圧は、どうしようもなく、凄まじい。
ただそれ以外のプレッシャーは、人が多過ぎて逆に、希薄。
カメラを持っていれば、浮くことはまずないだろうし、
なくても、やはりどうということはない。

【条件】
祝日+GW真っ只中 12:45~16:15


下鴨神社
京都市左京区下鴨泉川町59
6:30~17:00

京都市バス 下鴨神社前下車すぐ
京阪電車 出町柳駅下車 徒歩約10分

世界遺産 下鴨神社 – 公式
賀茂御祖神社 – Wikipedia

流鏑馬神事
毎年5月3日 開催

流鏑馬神事 – 下鴨神社