橋本の多津美旅館で、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【3】

2013年12月24日(火)


橋本の多津美旅館で過ごす聖夜、ラストです。

ぶちまけるという、快楽。 「異界」 で無責任にぶちまけるという、快楽。
生殖と切断された形で、未来を踏みつけ吐き捨てるような形で、ぶちまけるという、快楽。
そうすることでしか味わえない、凄く性質の悪い、しかし抗いようがなく魅力的でもある、快楽。
そんな困った快楽を、売防法施行以前は遊廓が、そして現在は風俗が担ってるわけですが、
お役御免の遊廓に昨今、昔とは違う、でもある意味で似た欲望がぶちまけられるようになりました。
「残照」 やら 「郷愁」 やら 「幻影」 やら、あるいは 「レトロ」 やら 「裏」 やら 「ディープ」 やら、
また特殊な性癖としては 「日本文化の粋」 やら 「真の伝統」 やら 「聖なる空間」 やら。
様々な人の様々な立場からの様々な欲望が、遊廓 or 遊廓跡へぶちまけられるようになりました。
もう、ベットベトであります。バンバカバンバカぶっぱなされまくって、もう、ベットベトであります。
いや、別にそういう下衆な行為を批判したいのではありません。私が今してることも、基本、同じだし。
私も、好きなことを無責任にぶちまけてるだけです。何なら、もっと性質が悪いともいえるでしょう。
ただ、遊廓跡が地元というか近所にある人間としては、そのぶちまけぶりが妙に見えたり、
または滑稽に見えたり、あるいは特に理由は無いですが酷く醜悪に見える、というだけのことです。
で、その妙さ&滑稽さ&醜悪さは、姦淫を以て主の生誕を祝す類の輩へ対して抱く感情と、
日常が 「異界」 化した聖夜に欲望をぶちまける輩へ対して抱く感情と、奇妙なくらい似てたりします。
この感情は、いったい何なんでしょうか。こんな感情を抱く私は、いったい何なんでしょうか。
そして、こんな奇妙な欲望と性癖で右往左往する私たちは、いったい何なんでしょうか。
というわけで、境界が孕む魔力によりブーストされた遊びセックス祭としての日本のクリスマスを、
元・遊びセックス祭の場である国境の遊廓跡にて見据えるという2013年のクリスマスネタ、
【1】【2】 に続いて遂にラスト、孤独な夜を乗り越えるまでを、一気に突っ走ります。
私は、正気を保てるのか。そして、思いつき一発の問題提起に、それなりの決着はつくのか。
末尾のありきたりな町めぐりと共に、最後まで見届けてやって下さい。

【本記事の内容は、全て筆者個人の主観に基づくものです】


時間は22時半。ではいよいよ 「淀川温泉」 へ入ることにしましょうか。
かつて 「温泉組合」 会長が、「転業三年目で温泉街で出直しできる」 と豪語した、 「淀川温泉」 。
しかし、本当に温泉街への転業が成功してたら、橋本、どうなってたでしょう。ちょっと想像がつかん。
逆に、町並が速攻でボロボロにされ尽くされてたかも。そんなことを思いつつ、階下にある浴室へ。


で、こちらがその 「淀川温泉」 です、かどうかを確認する勇気が、私にはない・・・。
いや、わかりません。別府では家庭の風呂も温泉らしいし。 「淀川温泉」 は23度の冷泉らしいし。
で、入ってみると、しっかり普通の家庭風呂でした。ただ、新しくてきれいなので、実用的にはナイス。
浴衣類は、なし。しかし、浴室内にはボディソープが、あり。脱衣場に、湯が出る洗面台も、あり。


そう、遊廓的に注目が高い多津美旅館ですが、値段を考えると結構実用的な宿かも。
廃止から半世紀以上経つ遊廓を改築したものですから、まあ、建物はそれなりにそれなりですが、
風呂、そしてトイレも新しいので、近辺で商用などある際の宿としては、割と良い感じかも知れません。
階段の横には、御覧のように漫画雑誌も置いてます。無論、古いものではなく、最新のものです。


ジャンプ系が多い雑誌の中からグラジャンを部屋へ持ち込み、TV見ながら読むの図。
「恋をしたいけど・・・修行は続く」 と泳ぐ僧を見て、私が今してることも修行なのだとか思いながら。
あ、TVもちゃんと更新されていて、液晶の新しいもの。関西の一般的な局は、どこも普通に写ります。
テレビ大阪が写るかどうかは、確認し忘れたけど。でも、KBS京都が写るのは、しっかり確認。


ボーっと読み続けているうち、乳首を一つ失い、明石家サンタが始まってたの図。
かつては 「不夜」 だったという橋本ですが、現在はもちろん騒音など全く無く、極めて静かです。
時折、地元DQNがバイクで走る音と、すぐ傍の旧国道をダンプが爆走する音がするくらいでしょうか。
気温は、京都や大阪と変わりません。谷崎は、 「山崎を過ぎると急に寒くなる」 と書いてましたが。


とはいえ冬ゆえ普通に寒いので、エアコンを30度で稼働させ、そろそろ寝ます。
聖夜を越える全ての同志たち&孤独な精神戦を戦う全ての戦士たちに、今年もメリー・クリスマス。
そして、境界が持つ魔力に囚われ、その魔力の闇へ堕ちて行った全ての魂にも、メリー・クリスマス。
いや、もうしばらくはこの暗闇の中で目を凝らし、それらの魂が現れるのを待ってみましょうか。


とか思ってたら、すぐに寝入り、目が醒めたら既に朝の7時半だったの図。
湯で顔を洗いたいと思い、下の風呂場の洗面所へ行ったら、ちゃんと湯が出てくれました。嬉し。
で、頭が起きるまで、TVを観ること、しばし。BSフライング放送の 『ごちそうさん』 を観ること、しばし。
腹減りましたが、朝食を買いに行くのが、面倒。駅前の売店は多分開いてますが、行くのが面倒。


民放にチャンネルを変えると、大沢樹生の子が実の子ではないと騒いでたの図。
再生産に決定的な自明性を持ち得ない性としての、男。そんなことを思いつつ、観ること、しばし。
私たちにとって、何かを未来へ繋げることは、未来へ繋げようとすることは、意味があるんでしょうか。
未来を唾棄する際に背筋を走る冷たい快楽は、何らかの真実を私たちに告げてないでしょうか。


と、好き勝手な思念をぶちまけながら、改めて遊廓跡を拝むべく、階下へ。
いや無論、好き勝手なのは 「男の本質は無責任なもんだよ~ん」 という輩だけではないでしょう。
誰だって、同じはずです。 「違う」 と断言できる人は、頼むからもうこの記事を読むのを、止めてくれ。
また、排泄の如き性という枠を外せば、無責任な欲望は今やあらゆる場面で溢れかえってます。


再生産の名の下では、それこそ 「希望」 や 「正義」 とも見なされる、欲望の放出&濫掘。
この国は、全土が悪所と化しつつあるようです。逃げ場、なし。そしてその果ては多分また、焦土。
「平坦な戦場」 が凡庸な現実として具現化したこの状況で、突出して境界的な存在感を誇る遊廓は、
現役時とは違う欲望を喚起すると同時に、現役時とは違う癒やしを齎しているのかも知れません。


と、また好き勝手な思念をぶちまけてると、女将さんから9時チェックアウトを頼まれ、
艶香溢れるステンドグラスが残る食堂にて、素泊まり宿泊料3000円也の勘定を済ませるの図。
昨日の夜、現役時のような輝きを表へ微かに見せていたステンドグラスがあるのも、この食堂です。
夜に見た時は上の部分だけが光ってましたが、道理、後に冷蔵庫と液晶TVが置かれてました。


猪瀬直樹の辞任何ちゃらをTVで見ながら帰り支度をして、ほぼ9時ジャスト、宿を退出。
終始、京都的というより大阪的なテイストの女将さんは、宿代を凌ぐ丁寧な応対をしてくれました。
陽の当たった状態で見る遊廓の名残は、夜に見るよりも遙かに魔力が削がれているように見えます。
当然といえば、当然ですが。では、朝ゆえ魔力薄めですが、橋本の町並、一応見ときましょうか。


まず玄関を出る前に見た、床のレリーフ。


玄関を出る前に見た、鳥の巣ができた灯り。


で、玄関を出てみたら、ステンドグラスの表。
それにしても、橋本の写真って、誰が撮っても似たアングルになるのは、何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ。


何故だ何故だと自問しながら眺め続けたのち、
モーニングコーヒーを飲もうと思って矢尾力へ寄るとまだ開いてなくて、改めて、何故だ。


矢尾力が開くのを待とうかと思いましたが、いつ開くか不明なので、ぼちぼち帰ります。
え。境界から見据えるクリスマスの本質とやらは、どうなったかって。さあ、どうなんでしょうね。
私もまた、境界の地の住人。そんな人間が境界の境界性など、自覚できないんじゃないでしょうか。
そして、全土が悪所化してる以上、あなたが今いる場所もまた 「異界」 なのではないでしょうか。

イブの夜の多津美旅館、私の他の客は、男性がひとりだけ。
早めに寝て、早めに起きてたようなので、多分仕事で泊まった人でしょう。
失礼ながら、自分の他には客はいないだろうと勝手に思ってたので、
普通に旅館であることが、正直、意外ではありました。

3000円のビジネス旅館としては、悪くない方だと思います。
遊廓跡が残る玄関に、寝るのに困らない部屋。それで充分という人には、いい宿です。
よっぽど性質が悪い物好き系のグループとでもバッティングしない限り、
馬鹿騒ぎで孤独を邪魔されることも、まずないでしょう。

問題はやはり、周囲に店らしい店がないこと。特に、飲食店。
駅前のヤオリキは、いつ営業してるのか不明。ぴっかり食堂も、再開の時期が不明。
駅近くにたこ焼き店と飲み屋がありますが、こちらもいつ開いてるか不明。
さらにいえば、スーパーやコンビニの類も、近くにはありません。
樟葉までの電車移動を楽しむ心があれば、これらの問題はほぼ全て解決しますが、
樟葉の店もこれはこれで結構早くに閉まるところが多かったりしますし、
あくまでノスタルジックな雰囲気を楽しみたい場合は、ぶちこわしもいいところでしょう。

地元の人間としては、そんなぶちこわし感まで 「込み」 の形で、
多少の不便も面白がるくらいの心で、橋本を楽しんでくれると嬉しいのですが。

そんな多津美旅館@橋本での、聖夜。
好きな人と泊まれば、より境界なんでしょう。
でも、ひとりで泊まっても、境界です。

橋本の多津美旅館で、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【1】
橋本の多津美旅館で、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【2】

橋本の多津美旅館で、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【3】

橋本記事の参考文献 – 私はいったい何をしているのだろう


【ひとりに向いてる度】
★★★
隣のくずはとのギャップ込みで
町全体を面白がれる人には、おすすめ。
また、普通に京都に近い安宿を探してる人にも、
安宿慣れした人なら、案外おすすめ。
 
【条件】
平日火曜+水曜 18:00~翌9:00
 

多津美旅館
京都府八幡市橋本中ノ町15

京阪電車 橋本駅下車 徒歩約3分

多津美旅館 – iタウンページ