上賀茂神社へ斎王代御禊の儀を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年5月4日(日)


上賀茂神社へ斎王代御禊の儀を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

斎王代になる方法」 という検索ワードで飛んで来る方が、
うちのようなチンピラ or アングラ or ゲテモノサイトにも、たまにいらっしゃいます。
かつて伊勢神宮 or 賀茂社に奉仕した未婚の女性皇族・斎王を、戦後に民間の手で再現し、
京都三大祭のひとつ・葵祭路頭の儀に於いては文字通り花形として降臨する、斎王代
そんな斎王代になりたい、と。なる方法が知りたい、と。検索したらどっかにあるだろその方法、と。
しかし、斎王代の選考過程は公にされておらず、そもそも一般公募も特に行われてはいません。
やはり三大祭のひとつ・祇園祭に於ける最大のミステリーである長刀鉾の生稚児と同じく、
誰も知らないところで決定され、でも決定したら誰もが知ってる家の子弟だったりするのであります。
要するに、そういう類のもんなのであります。なろうと思ってなれるもんでは、ないのであります。
ゆえに、 「斎王代になる方法」 などという情報は、うちの如きチンピラサイトにあるわけがなく、
またそんなもんは最初から存在もせず、一番の近道は結局 「来世に賭けろ」 となるのであります。
あ、私は別に 「斎王代は公募で民主的に決めるべき」 とか思ってるわけではありませんよ。
むしろ、逆です。そういうのがあってもいい、と思ってます。何か、人類の教養みたいなもんとして。
それに、誰より斎王代になった当人が、なった理由ゆえに不条理を感じてるとも限りませんしね。
糞暑い十二単着せられて不条理、とかね。ムサいカメに写真撮られまくって不条理、とかね。
図々しく撮る奴も不快だけど、私みたいに申し訳無さげに撮る奴もこれまた不快で不条理、とかね。
そんな大変かも知れない斎王代が、本番たる葵祭・路頭の儀の前に行うのが、御禊の儀。
上賀茂神社 or 下鴨神社にて身を清め、 「天皇の御杖代」 の資格を正式に得るという儀式です。
リアル斎王は、この御禊&路頭の儀だけが斎王の御所 = 斎院から外出できる機会であり、
ゆえに都大路にはその雅な行列を一目見んと、貴賎問わず多くの群衆が集まったそうですが、
現代の御禊の儀もまた、往時の如き賑わいがしっかりと現出する神事になってます。
雅と雅ならざるものが交錯するそんな御禊、行ってきました。


午前9:40、御禊の儀2014の会場である上賀茂神社へ到着したの図。
「2014」 と付けたのは、年毎に会場が違う為。下鴨神社との交代制です。で、2014年は上賀茂。
普段と変わらない感じの一の鳥居前ですが、神職や巫女が立ち、奉仕人員運送用のバスも停車中。
鳥居自体にも、斎王代を始めとする女人列の参進ルートを確保するロープが、既に張られてます。


ロープの隙間から境内へ入ると、斎王代以下が行列して進むルートは、御覧の盛況。
流石は 『源氏物語』 葵の巻に於ける 「車争い」 の誘因にもなった御禊、というところでしょうか。
そもそも斎王は、皇女が 「あれをとめ」 として祭祀の最高責任者を務める宗教的役職なわけですが、
朝廷の権威を誇示する目的もあったそうで、行列の見物誘引力が強いのも道理かも知れません。


「むくつけきまで騒ぎたり (『源氏物語』)」 なDQN状態にもならず、整然と待つ見物客。
あ、流鏑馬の記事でも書いてますが、平安遷都前の葵祭 = 賀茂祭はまるで田舎の喧嘩祭であり、
笠懸などの荒っぽい行事に加えそこら中で喧嘩も多発、戒厳令みたいなもんが敷かれるほどでした。
既に伊勢に存在した斎王を賀茂祭へも投入したのは、DQN牽制の意味もあったとかなかったとか。


で、実際の禊が行われる、橋殿奥の奈良の小川。この水に手を触れ、清めるわけです。
川に落ちそうなカメと見物人だらけでも、こうして見ると、やはり御禊に相応しい場所だと思えます。
権力誇示やDQN牽制の為でもあった斎王ですが、祭政一致の世ゆえマジな宗教的理由も無論あり。
薬子の変の平定にあたり嵯峨天皇は、賀茂社に祈願し、勝利。斎王創置はその報償なんだとか。


そういえば伊勢斎王も、壬申の乱に於ける加護の報恩として、天武帝が創置したそうです。
何か 「宗教的理由」 が、一番キナ臭い気もしますが。政争の為、神へリベートを送るとでもいうか。
ひょっとすると斎王の雅、単なる雅を凌ぐ雅は、むしろこのキナ臭さこそが源泉なのかも知れません。
「斎王代になる方法」 が凡人に存在しないのも、実はこのキナ臭さこそを内包する為だったりして。


などと適当なことを考えてたら、10時過ぎ、大型バスが一の鳥居前へ到着しました。
御所でメイクした斎王代を筆頭とするコスプレ集団 = 女人列がバスを降り、一の鳥居前で整列。
で、スタッフが 「参道の芝生の中へ入って下さい」 と呼ぶ中、境内の斎場まで行粧参進であります。
先頭は童女ですが、斎王代がいるのも結構前の位置。年齢順に並んでるという声を聞きました。


引き続き 「道を開けて」 とスタッフが叫ぶ中、進む女人列。


まだまだ 「道を開けて」 とスタッフが叫ぶ中、進む女人列。


「写真はいくら撮ってもらってもいいけど道は開けて」 とスタッフが叫ぶ中、進む女人列。


二の鳥居をくぐり、雅楽を奏でる楽人に見守られながら橋殿へ向かう女人列。


で、橋殿へ着いたら、斎王代の御禊を見守るべく著座する、童女や女房。
そう、再現されてるのは斎王だけではありません。斎院に仕える女房たちもまた、再現されてます。
大斎院こと選子内親王の頃をピークとして、後宮に並ぶ程の女流文学サロンも形成した、賀茂斎院。
紫式部に敵愾心を抱かせ、 『源氏物語』 執筆の契機も生んだという伝承さえある、恐い連中です。


そんな恐い連中はほぼ意に介さず、とにかく斎王代の御禊を見ようと密集する、人間。
禊をする斎場があるのは、この人間の壁の向こう側です。数メートル先です。が、何も見えません。
対岸はアングルが良さげですが、ここ以上に混んでて、そもそも移動自体が今となっては至難の業。
日本語と英語のアナウンスが神事開始を告げる中、頭の隙間から視界確保を試みること、しばし。


肉壁から距離を取り、 「やれやれ」 とクールな態度で御禊を覗き見たいところですが、
少しでも前へ隙を作ると、カメ爺が割り込んで脚立を立てる為、前の人に密着せざるを得ません。
それでも尚、おばはんが女肉を密着させて無理矢理割り込んできたりもして、何か色々、地獄です。
キナ臭さではなく汗臭さに宿る、雅。そんなことを考えてると、修祓に続き御禊が始まりました。


人の頭の隙間からかろうじて見えた、斎王代の雅なる後頭部。
以降も、デコティアラみたいなのや、ニセラスタみたいなのがチラ見できる程度の状態が継続。


御禊そのものに至ると、斎王代がしゃがんでしまう為、さらに何も見えません。
しゃがんだ斎王代にカメラを向ける報道陣の動きで、現場の動きを想像すること、しばし。


全然見えない間に御禊が終わり、随従の童女が橋殿へ帰ること、しばし。


斎王代もまた、全然見えない間に橋殿へ帰ってたこと、しばし。


続いて橋殿では、いわゆる人形流し。「形代」 で 「解除」 するというんだとか。
女房たちが、その場でレクチャーされながら息を吹きかけ穢れを移し、 「解除」 していきます。


「解除」 。


童女も、 「解除」 。


「解除」 。


最後には、もちろん斎王代も、 「解除」 。
斎王代だけ形代が黄蘗で作られてるとか聞きましたが、ここからでは全然確認できず。


で、人形流し終了後は、宮司の挨拶、京都何たら観光局やら下鴨の宮司などの紹介。


で、女人列は橋殿を出て、立砂の近くで来賓と記念撮影。御禊、終了でございます。


それが終わると女人列一行はどっかへ移動しますが、斎王代は報道の囲み取材あり。
「まずNHKから」 とか言ってる連中から、文字通りの完全包囲。これだけでもいい加減、大変です。
無論、後日にはこの格好で駕籠に揺られ続ける路頭の儀があるわけで、斎王代、楽ではありません。
とはいえ、斎王代はあくまで戦後にできた代理。一年経てば、任期は必ず終了となるわけですが。


リアル斎王が退下するのは、天皇が譲位 or 崩御した時と定められていたそうです。
が、賀茂斎王は留任するケースが多く、選子内親王などは57年にも渡って斎王を務めてます。
占いで指名され、宮中の初斎院で数年潔斎した後、院に籠り不浄を避ける生活を、半世紀以上送る。
やはり本物の大変さ&不条理さは、半端ありません。などと思いながら眺める、人が捌けた斎場。


「祓ふれど 離れぬものは禊ぎ川 ただひとかたのことにぞありける」 ( 『大斎院前の御集』 ) 。
こんな歌を含んだ歌集を編むなど、長期の任期中に斎院を文化サロンとして発展させた、大斎院。
「実は案外楽しいから、長く続けたんじゃないか」 とか、雅に無縁な人間としては思ってしまいますが、
一般的にはやはり斎院は 「大変」 と認識され、特に肉親が抱く別離の悲しみは大きかったとか。


そんな雅で不条理な斎院も、承久の乱で朝廷そのものが傾くと、条理として廃絶。
実に現代、それも昭和31年に至り、お金持ちの家の子が担当する形で、やっと復活したわけです。
神社、色々大変なんですよ、経済的に。やんごとなき由緒を持つも氏子が少ない両賀茂社は、特に。
大変な神社は、この日も本殿で800円の特別参拝実施中。私は、金が惜しくて入らなかったけど。


しかし、境内の 「森の茶屋」 なるものは興味が惹かれたので、何となく寄ってみました。
妙に世慣れた兄ちゃんに500円払い、抹茶+ 「賀茂別雷神社御供」 の干菓子を食うこと、しばし。
あとは、大型バスに乗って帰って行ったコスプレ集団や、既に出来上がってた賀茂競馬の埒を眺め、
門前の神馬堂では名物・焼き餅が早くも売り切れてたのに不条理を感じてから、帰りましたとさ。

客層は基本、烏合です。
はっきり御禊を目的に来てるのは、カメと地元の知り合い系連中で、
それ以外はたまたま世界遺産へやって来て、騒ぎにブチ当たった観光客という感じ。
カップルは少なめで、尚且つ存在感は希薄気味。他の若者属性も、同様の傾向。
といっても、マナーがいいというわけではなく、それだけカメと報道のオーラが濃いというか。
若者は観光系が多く、中高年は地元の家族連れが多め。全体の観光:非観光比は、6:4くらい。
「~ちゃんっ」と奉仕してる女御へ声が飛び交うなど、案外ネイティブな雰囲気がありますが、
移住系の標準語の連中も多いので、コテコテという感じも全くありません。
単独は、もちろん大半がカメのおっさん。あと、報道がかなりの存在感を誇ります。

そんな上賀茂神社の、斎王代御禊の儀。
好きな人と観たら、より御禊なんでしょう。
でも、ひとりで観ても、御禊です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:1
男性グループ:微
混成グループ:1
子供:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:3
単身女性:若干
単身男性:1

【ひとりに向いてる度】
★★
客層以前に、基本、人が多過ぎて何も見えない。
アウェー感も色気のプレッシャーも、ひったくれもない状況。
歩けないほど混むわけではないが、
これだけの不快さを我慢するほどの面白味も、正直無い。
とにかく何というか、楽しくない。

【条件】
GW+日曜 9:40~12:10


斎王代御禊の儀
毎年5月4日
上賀茂神社および下鴨神社にて、交互に開催

上賀茂神社
京都市北区上賀茂本山339
通常拝観 10:00~16:00

市バス or 京都バス 上賀茂神社前 下車すぐ
市営地下鉄 北山駅下車 徒歩約25分
 

賀茂祭 (葵祭) – 上賀茂神社

斎王代 葵祭 – 京都新聞

上賀茂神社 (賀茂別雷神社) – 公式

賀茂別雷神社 – Wikipedia