松尾大社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2014年5月11日(日)


松尾大社の還幸祭追尾、前篇からの続きです。

このサイトを始めてから、私が最も衝撃を受けたのは、松尾祭です。
「半笑いで京都を面白がってやろう」 「それでゲスいアクセス集めて、広告で儲けてやろう」
「こんな面白いこと思いついて実行する俺って、最高」 と、糞の如き考えでネタ集めを始めた私に、
2011年4月に追尾した松尾祭の神幸祭は、凄まじいまでのショックを与えてくれたのでした。
当時の記事を読むと、わけのわからん熱気に憑かれた内容で、自分でも奇妙に思える程ですが、
何がそんなにショックだったかといえば、上手く言えませんが、本物だったからではないでしょうか。
「本物」 や 「ほんまもん」 といった括弧付のものではなく、単なる本物がそこにあったというか。
伝統保存系 or 町おこし系の、ある意味で辛気臭かったり胡散臭かったりする盛り上がり方とは違う、
町に生きる人間が自主的かつ好き勝手に盛り上がってるという、極めてリアリティのある祝祭。
それでいて単なる享楽のみならず、千年前からの歴史と現在が直結もしてるという、ダイナミックさ。
こんな祭が、こんな本物が、京都にあったのか。知らなかった。完全に、舐めていた。
本物の衝撃を正面から喰らったことで、ぼ~っと見てただけとはいえ腐り切った性根を叩き直され、
以後は、真摯に向き合うべき事象には出来る限りのリサーチと共に真摯な態度で向き合うよう心がけ、
そうでないものには半笑いではなく全笑いの態度で臨むようになったんですが、それはともかく。
そんな腐れナルシスの性根をも叩き直してしまった松尾祭、還幸祭追尾の後篇であります。
前半では、地元町内を巡行した6基の神輿が西寺公園へ集結+再び出発するまでを追いましたが、
後篇では、御前通北上+朱雀御旅所巡幸+旧街道巡幸+松尾大社への宮入りまでを、追尾。
いや追尾といっても、再三言ってるように、全貌を追うにはこの祭の規模は余りにもデカ過ぎるため、
ヘタレ気味にちょこちょこっと幾つかのポイントで覗いてる程度の内容ではありますけど。
おまけに後半は神輿写真の波状攻撃で、もはや何が何だかわからん世界になってますが、
本物の祭が持つ本物の熱気、気配くらいでも伝われば、幸いです。


凄まじい砂ほこりを押さえるべく水が撒かれてた唐橋西寺公園を後にして、
神輿は台車へ乗せられて御前通を少しだけ北上、高架のJR線手前で西大路方面へ迂回します。
御覧の御前通JRトンネルを、神輿が通ると面白いなと思ったんですが、流石に狭くて無理なようです。
西大路通でJRを潜った神輿は、東折して御前通へ帰還。トンネルの先に、神輿が見えるでしょうか。


JR北側で神輿数基が休憩してるので先へ向かうと、四之社がさし上げをやってました。
四之社は、西七条塩小路・梅小路・御所ノ内、要するにこの辺がホーム。故に、さしが連発状態。
かつてこの辺は、芹の産地として知られたとか。昭和初期感が漂う街並に、開発の歴史を感じます。
伝統天然保存感のある松尾祭ですが、やはり都の祭、神輿以外の変化は激しい感じでしょうか。


四之社は、西七条御旅所前でも無論、さし上げ。さし過ぎて、御旅所が全然見えませんが。
こちらの御旅所も、現在の形になったのは明治以後。昔は各社の旅所が各々存在してたそうです。
現在は大宮・四之社・宗像・櫟谷の神輿が著座する西七条御旅所、この日は露店が並び縁日状態。
男が一人で歩いてると自分自身を不審に感じる程度には、ネイティブ子供天国が展開されてます。


御前通のさし上げは、四之社だけではありません。宗像社&櫟谷社もまた、さし上げ。
嵐山モンキーパーク入口として名高い宗像社&櫟谷社ですが、神輿はこのエリアの住民が担い、
七条御前で卯之鳥神輿をさしてる御覧の宗像社も、かつては御旅所が近くの安阿弥寺にあったとか。
松尾の神輿の中で唯一八角形である卯之鳥神輿、日本でも珍しく、重量も他より重いんだそうです。


各神輿は七条御前を東折し、京都中央卸売市場手前の朱雀御旅所へ入りますが、
櫟谷社の神輿は御旅所を一旦通り過ぎ、御覧のように市場前まで巡幸して、Uターンしてました。
この辺がホームでしょうか。また、市場には宗像神を祀る社があるので、宗像社も来たんでしょうか。
かつての西市辺りに出来た、中央市場。平安期には、似た光景が展開されてたかも知れません。


大量の車が流れる七条通を進み、全神輿は朱雀御旅所へ入り、しばし神事+休憩。
朱雀の辺りには、かつて 「花のとう」 なる講が存在し、行列の先頭を進む稚児を出してたそうです。
信仰の深さは現在も変わらず、全神輿を迎えるためか 「松尾総神社」 なる呼称も持ってたりします。
御旅所が現在の形になったのは市場開設後で、市場関係者もこの御旅所への信仰が篤いとか。


巡幸再開まで七条通をうろついてる時に見かけた、子供用袢天のディスプレイ。熱い。
うろつくといっても、御旅所周辺の七条通は、完全に神輿の舁き手で埋め尽くされ、歩き難いほど。
車の荷台 or 路上へ直で、半裸で座り込んだりぶっ倒れる男が、大量発生。壮絶な光景であります。
それを迷惑そうにスルーする人もいたりして。必ずしも全ての人が熱いわけではないのも、現実。


で、15時半、巡幸が再開。月読社を先頭に、各神輿が松尾大社へ向かいます。
昔の先頭は、現在も出てる吉祥院の稚児に加え、先述した朱雀の稚児が務めてたそうですが、
現在は男女神面の榊御面と共に車移動のため、徒歩の行列の先頭は御覧の様に、月読社の唐櫃。
月読社は、松尾大社と鈴虫寺の間辺りにある、渋い摂社。江戸期には既に唐櫃巡幸だったとか。


各神輿は、 「あーら、うんとまっかせ」 と掛け声を出しながら、七条通を曳きで西進。
京一七条店を越え、御覧の西小路周辺も越え、七条通が狭い道になっても尚、西進し続けます。
写ってる神輿は、三宮社のもの。この辺りの川勝寺地区がホームです。御旅所も、近くの三宮神社。
ということは、ここから西寺へ行き、戻り、更に松尾大社へ行くわけであります。大変であります。


ぐにゃっと曲がる七条通&ぐにゃっと曲がって来た葛野西通が合流するポイントから、
地元の商店街であるほほえみ通りへ進入、ホームらしい賑わいの中でさし上げを決める、三宮社。
何故か港の香りを感じましたが、地図で見るとここは桂川の近くであり、昔は木材集積地だったとか。
「川勝寺」 の地名は秦河勝が建てた寺が由来ですが、案外 「川に勝つ」 という意味もあったりして。


他の神輿は、阪急西京極を抜けて北西へ進行、旧街道を衣手社方面へ向かいます。
で、衣手社の神輿がホームである郡地区でさしを決めてる瞬間を撮り損ねて、呆然としてるの図。
衣手社は、郡の産土社に松尾の衣手社を合祀&御旅所化した社。西寺からは、無茶苦茶遠いです。
しかしながら、ここから西寺へ行き、戻り、更に松尾大社へ行くわけであります。大変であります。


さし上げは見損ねたけど、とりあえず休憩してる神輿の勇姿は拝ませてもらうの図。
でも、この神輿に彫り込まれてるという松尾大明神ゆかりの空也上人像は、また撮り忘れたの図。
上人は松尾大明神に法華経の衣を授けそうですが、それと 「衣手」 の地名は関係あるんでしょうか。
合祀の以前か以後かは知りませんが、空也発祥の六斎念仏もここでは奉納されてたそうですよ。


と、ここまではこちらも人力で追尾してきましたが、正直、しんどい。もう、無理。
なので四条通からバスでワープし、梅津を抜けてやってくる神輿を松尾大社で迎えることにします。
というわけで、BBQ兼集団見合状態の学生で目臭い桂川を渡り、早めに着いた17時半の松尾大社。
宮入りは、18時頃から。神輿は気配さえありませんが、警官は既に配置され信号を止める準備中。


で、18時、神職&月読社&四之社が帰って来ました。


封鎖された片側車線で松尾橋を渡る、月読社の唐櫃。


凶暴なまでに美味げな匂いを出す串肉など露店が並ぶ参道へ、
ネイティブ&身内系ばかりに出迎えられる形で宮入りに臨む、神輿トップの四之社。


月読社の唐櫃宮入りの後、人間が入り乱れる中で楼門を潜る、四之社。


境内へ入り、拝殿回しとさし上げを決める、四之社。
遷霊が終わると、以後はノンストップで各社神輿の宮入りが続きます。


待ちきれなかったのか楼門をくぐってスタンバり、すぐ拝殿を回る、衣手社。


拝殿を囲む観客が寄ったり下がったりする中で、拝殿を回る、衣手社。


グチャグチャになりながら、楼者の石段を舁きで登り切る、三宮社。


「ホイットホイット」 というより、よくわからん絶叫を響かせてさし切る、三宮社。


怒号が飛び交う蔵入れ中の神輿庫の前に、拝殿回しを決める、宗像社。


こっちも文字化不能の絶叫を轟かせながら、さし上げを決める、宗像社。


楼門をくぐり石段を登り切った所でさし上げを決める、櫟谷社。


本殿前で、死の叫びのような声を出しながらさし上げを決める、櫟谷社。


そして、舁きで参道へ進入する、ラストの大宮社。


何周回ったかわからんくらい周り、差し上げ。


更に何周回ったかわからんくらい周り、差し上げ。


で、さし上げが終わると、三本締め及び 「おおきに~」 をやってから、遷霊。
案外さし上げより恐い神輿の着地に続き、舁き手全員がしゃがむ中、神様が本社へ戻るわけです。
あ、 「絶叫や怒号が響き渡る」 みたいなことを散々書いてますが、祭自体は極めて統率されてます。
遷霊時も、 「手ぬぐい取って~」 と言ってから、全員が低頭。熱狂と信仰が共存してるわけです。


大宮社の遷霊が終わると、本殿内では祭の締めとなる神事を斎行。
バラし真っ最中の神輿庫からまだまだ響き渡る怒声や絶叫をBGMに、雅なる舞が奉納されたり、
この時しか開帳されないという神壇が開けられ、神輿代表が参拝したりしますが、私はもう帰ります。
疲れた。追尾どころかチラ見同然でも、疲れた。猛霊に魂を引きずり回された一日でありました。

客層は、親子連れをメインとした、完全ネイティブ寄りな烏合の衆。
いわゆる観光系の見物人は、いずれのポイントでもほぼ見かけることがありません。
松尾大社境内でベタな観光客をチラホラ見かけた程度で、あとは限りなくネイティブ寄り。
カップルは、大抵が若夫婦風。学生風カップルも観光系も、ほぼ皆無状態。
女性グループも、大抵は舁き手の身内。そこら中で、知り合い同士の挨拶が交わされます。
単独は、カメのおっさんが若干いる程度ですが、数は少なめ。女は、ほぼ絶無。

そんな松尾大社の、松尾祭・還幸祭。
好きな人と見に行けば、よりおかえりなんでしょう。
でも、ひとりで見ても、おかえりです。

松尾大社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (1) 発御祭
松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (2) 船渡御
松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (3) 七条通巡幸

【客層】 (客層表記について)
カップル:微
女性グループ:若干
男性グループ:微
混成グループ:微
子供:0
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:2
中高年団体 or グループ:5
単身女性:超微
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】
★★★
色気のプレッシャーは、皆無。
宮入時の神社は混むが、それ以外は人圧もどおってことない。
逆に、出る方も見る方も、周囲はとことんネイティブ。
浮くことはないが、他人の家にいるような気分にはなると思う。

【条件】
日曜 10:45~20:00


松尾祭・還幸祭
神幸祭の21日目の日曜日 開催

松尾大社
京都市西京区嵐山宮町3
通常拝観 5:00~18:00

阪急嵐山線 松尾大社駅下車 徒歩約1分
京都市バス or 京都バス
松尾大社前下車 徒歩約1分
 

松尾大社 – 公式

還幸祭 – 松尾大社

松尾大社 – Wikipedia