下京区 | ひとりでうろつく京都 (β版) - Part 2

祇園祭の山鉾曳初めへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年7月12日(木)


祇園祭の山鉾曳初めへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「あなたも山鉾巡行の曳き手になってみませんか」 。
春を過ぎると、こんな曳き手ボランティア募集広告を、街角でよく見かけます。
私の住んでる八幡にはありませんが、京都市内なら誰もががちょくちょく目にするでしょう。
何故か古い感じのアパートが多い所で出くわすことが多い気がするんですが、それはともかく、
山鉾を曳く機会というのは、男限定ではあるものの、案外簡単に得ることができるわけです。
あれを見るたび、足を止めてしばし眺め、 「やってみようかな」 とか思ったりします。
「中に入らないと、わからないことも多いだろう。やってみようかな」 とか思ったりします。
でも、当日に休みが取れるかどうか、わからん。それに、どう考えても体力的に、ハード過ぎる。
見てるだけの見物客からでさえ、熱中症で病院送りになる奴が毎年現れる、山鉾巡行。
日差しからの逃げ場がない道の真ん中で、あんなデカいもん引っ張るなんて、ちょっと、ありえん。
こんな感じで、毎年、尻込みしています。似たようなヘタレ野郎の方、多いんじゃないでしょうか。
しかし、死ぬ思いで曳き手ボランティアをせずとも、山鉾を曳くチャンスは、ないことはありません。
山鉾が組み上げられ、正常に運行が可能かどうかを試す行事 「曳初め」 が、それです。
文字通りの試験走行である曳初めは、その場にいる見物客を曳き手に大量登用。
予約も申込も必要なく、その場に居合わせ列に並べば、老若男女誰でも鉾が曳ける、と。
観光客が少なく交通整理も甘い街中を、大勢の地元民に曳かれて進む山鉾の姿は、
写真などで見る昔の巡行のイメージと妙に重なり、いい味があったりもします。
そんな曳初め、ヘタレの私もこっそり混じってきました。

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夏越祓の茅の輪をまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

2012年6月30日(土)


夏越祓の茅の輪をまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

私は、穢れている。どうしようもなく、穢れている。
いい歳こいた、独男。そのことだけで既に、臭気が漏れるほど、穢れている。
おまけに、肉体はあらぬことで日々悦びの声を上げ、魂は無力感に溺れて無為に腐り続け、
さらにはその腐り切った魂を、ネットを通じて無関係である他者へ伝染させてやろうなどと目論み、
自意識の臭気を汁にして飲ませるような、無駄に暑苦しいサイトを、日々作り続けている。
私は、穢れている。どうしようもなく、穢れている。果てしなく、穢れている。
祓わなくては、いけない。それも、なるべくたくさんのお社で、祓わなくては、いけない。
というわけで、2012年度上半期もやってしまいました。夏越祓の茅の輪、くぐりまくりであります。
正月から六月末までの半年間に溜まった穢れを、茅の輪をくぐることで祓う、夏越祓。
前回2011年度は、それなりに茅の輪が知られる神社をバスで回り、数をこなしたわけですが、
今回は穢れの影響か懐具合が非常によろしくなく、500円の市バス一日券を買う金さえ惜しいので、
スタートの東福寺から、ラストの檪谷七野神社まで、全行程、徒歩を貫いてみました。
徒歩貫徹といっても、特にハードな意思に基づくわけではなく、基本、ウロウロと街中をうろつくのみ。
適当に目がついた神社へ立ち寄り、茅の輪があればくぐるという、街ブラモード全開路線。
そんなユルユルな姿勢で、穢れ切った肉体と魂が祓われるかどうかは知りませんが、
祓われ過ぎると自分そのものが消滅するので、適度に加減した次第です。
立ち寄った神社全てと、茅の輪の有無を記したので、参考にする方は、参考にしてください。
それでは半期に一度のスピリチュアル・デトックス or 存在の膿の大棚ざらえ、
生憎の雨&曇天ですが、行ってみましょう。

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市比賣神社のひいなまつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年3月3日(土)


市比賣神社のひいなまつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

市比賣神社。平仮名だと、いちひめじんじゃ。
名前からして雛祭りにふさわしい、実にレディーステイストを感じさせる神社です。
元々は商売の神様であり、平安京の官営市場である東市・西市の守護神として795年に創建。
昭和に入っても中央卸売市場構内へ分社が建てられたりと、そっち方面の信仰は篤いようですが、
やはり市比賣神社といえば 「女人厄除け」 こそが、一番の売り、メジャーな御利益。
私は全然知らないんですが、女性専門の厄除け神社というのは結構珍しいもんだそうで、
厄年の厄祓い、また良縁・子授け・安産などを求め、全国から悩める女性たちが参拝しに来るとか。
何でここが商売の神様から女性の神様になったのかも全然知らなかったので、
秀吉の命により現在地 = 遊郭・五條楽園のすぐ近所へ移転させられたことでも関係あるのか、
あるいは光源氏 = 源融の六条河原院跡に近いのも関係あったりするのかとか思ってたんですが、
そもそも市比賣神社の祭神は全て女神・比賣命。女性の神様なのが、当たり前と。
歴代の皇后からも篤く崇敬されているというほどレディース志向全開な市比賣神社ですから、
3月3日に 「ひいなまつり」 の名で行われる雛祭り行事も、極めて気合が入りまくり。
巨大雛壇へ十二単を着付けた人間が座るという 「ひいなまつり」 名物である 「ひと雛」 に加え、
貝合わせなどの雅なひいな遊び実演、そして 「ひちぎり」 が食える茶席と、お楽しみが盛り沢山。
盛り沢山過ぎて入場料が1000円と高価ですが、それもまた雅なのでございます。
そんな 「ひいなまつり」 、アウェー全開覚悟でもぐりこんでみました。

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祇園祭の神輿洗式へまた行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月28日(木)


祇園祭の神輿洗式へまた行ってきました。もちろん、ひとりで。

神輿洗式。10日にも同じ神事がありましたが、基本、内容も同じです。
主祭神・素盞嗚尊が乗る中御座の神輿が、四条大橋まで出向き、神水を浴びて清められるという。
10日のは「祭りの準備」としてのお清めでしたが、28日の今回は言わば「仕舞い」。
この儀式終了後、三基の神輿は境内の神輿庫へ入り、来年の夏までお休みです。
まだちょこちょこ神事各種は残ってますが、祇園祭の締めに近い行事ではないでしょうか。
ところでこの神輿洗、実は神輿を洗ってるのでなく、鴨川の神を送迎してるという考え方があります。
荒くれ川・鴨川の神を祇園祭へ招き、機嫌をとり、何とか夏の「荒れ」を回避しようという。
確かに、四条大橋の上で執り行われる儀式は、榊で鴨川の水をチャッチャとかけるだけ。
「洗う」感じにはちょっと、見えません。でも「神様を遷してる」なら、見えなくもありません。
鴨川の夏の風物詩・川床も、この「鴨川の神」の「お出かけ」に由来するといいます。
神様が留守だ、と。なら、多少宴席を設けても構わんだろう、と。で、川床が生まれた、と。
実際、江戸時代の川床は、前と後の神輿洗の間だけの超期間限定営業だったそうです。
「なら現在の川床は神の・・・」とかいらんことを言いたくなりますが、とにかく神輿洗であります。
10日とは違い、お迎え提灯の行列がない分、シンプルに神事を見れる、28日の神輿洗。
祭りの終わりの気分を感じながら、ご覧下さい。

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祇園祭の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月24日(日)


祇園祭の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

還幸祭。祇園祭であっても、還幸祭は還幸祭であります。
御旅所に着御していた神輿が神社へ還る、いわゆる文字通りの還幸祭であります。
で、山鉾巡行を中心に観光化された祇園祭にあって、正直、かなり地味な扱いの神事であります。
西楼門前の差し上げに人気のある神幸祭は、メディアなどでも大きく取り上げられる昨今ですが、
還幸祭はその数分の一の扱いだったり、あるいは数行のフォローだったりします。
しかし、山鉾が主役化する室町時代以前は、この還幸祭こそが「祇園会」と呼ばれてたそうです。
神幸祭の呼び名が「神輿迎」、還幸祭は「祇園会」あるいは「祇園御霊会」。
後白河院をはじめ多くの貴顕が三条通の桟敷で還幸を見物し、着飾った騎馬の童・馬長を寄進。
この「御霊会の馬長」は、清少納言の枕草子で「心地よげなるもの」として挙げられたりもしてます。
が、後白河院が「もう金、ない。お前ら、出せ」と、洛内の有力町衆「潤屋の賎民」に命じて以降、
祇園祭は町衆主体の「民営化路線」を突っ走り、山鉾町は数百年に渡って祭を継続・発展・巨大化。
現代に入り、山鉾巡行が一本化で更なる観光化を推し進めると、宵山とのペアで一人勝ちが確定。
還幸祭は、今や、ガイドブック等に載らないようにさえなりました。
しかし還幸祭、神事としての重要性は今も変わっていません。それがわかるのが、神輿の巡行ルート。
神幸祭より距離的が圧倒的に長いです。長くなるのは、三条御供所と神泉苑へ出向くため。
祇園祭のルーツである御霊会が催された神泉苑、その神泉苑の池の汀だったという三条御供所。
共に、祇園祭発祥の地であり、「千年以上続く祭り」を文字通りの形で確認できる場でもあります。
数キロという本当に長大な巡行であり、おまけに3基の神輿がバラバラのルートを進むので、
全部のフォローは諦め、神宝奉持列の冒頭と中御座を追っかけてみました。

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祇園祭の花傘巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月24日(日)


祇園祭の花傘巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

花傘巡行。山鉾巡行の「あとのまつり」の名残ともいえる神事です。
かつて山鉾巡行は、「さきのまつり」と「あとのまつり」の2回、行われてました。
「さきのまつり」は17日、神幸祭の露払いとして。「あとのまつりは24日、還幸祭の露払いとして。
山鉾が神輿に代って祇園祭の主役になってからも、本来の意義を失うことなく続いてたわけです。
その伝統に変化が起こったのが、昭和の中頃。マイカーが走るようになる高度成長期の頃。
市内交通が麻痺する日を一日でも減らしたい、ついでに観光客を集中的に呼び込みたい、
京都市はそんな思惑を抱き、「さきのまつり」と「あとのまつり」の統合、合同巡行を提案。
祇園祭の神事としての側面により重きを置く八坂神社は、この案に反対しましたが、
実際に巡行を担う山鉾町からは「2週もやってたら、商売やりにくてかなわんわ」という声も多く、
昭和41年、山鉾巡行は17日に一本化。千年以上続いた「あとのまつり」は、途絶しました。
「あとのまつり」の意義を遺したい神社側は、24日に何らかの神事を行なうことを発案。
どうせならと山鉾の原型・花傘を復活させ、各種芸能行事も盛り込み、花傘巡行はスタートしました。
巨大な鉾などは出ませんが、織物業者や花街がメインで参加するため、行列の華やかさは随一。
巫女さんのような神饌行列、芸舞妓はん、鷺踊、万灯踊、そして「きものの女王」に花傘娘と、
ほとんど女人禁制の山鉾巡行とは対照的に、女性が大量動員される神事なのであります。

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祇園祭の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月17日(日)


祇園祭の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「祇園祭は山鉾巡行だけではない」。
こんな物言いも、最近ではすっかり馴染のものとなりました。でもないでしょうか。
神事や行事やイベントなどが、7月1日から31日まで延々と続く、祇園祭。
中には宵山のように山鉾巡行の倍以上の客を動員するイベントもありますが、
「山鉾巡行だけではない」という言葉を最も言葉通りの意味で体現してるのは、
山鉾巡行当日の夜に行われるこの神幸祭をおいて他にはないでしょう。
神幸祭。文字通り、神幸祭です。神がおいでになる、神幸祭です。
神の御霊を遷した神輿が、神社を出て氏子の町内を巡幸してから御旅所へ入る、神幸祭です。
祇園祭の神幸祭も、当然そういう形で行われます。神輿が舁かれ、町内を巡幸します。
超ド派手な山鉾巡行と比べたら、極めてオーソドックスなスタイルの神事と言えるでしょう。
が、やることはオーソドックスでも、やる場所はオーソドックスではありません。
八坂神社は、祇園の真ん中に立つ神社。というか、神社の周りに祇園ができたんですが。
近所にはお膝元の祇園はもちろん、木屋町、先斗町、河原町、寺町と、京都の歓楽街が揃い踏み。
神幸祭の巡行は、氏子区域の東側にあたるそんな歓楽街をメインに行われます。
色っぽい街に神様がおいでになり、伝統・信仰・奉仕・疲労・享楽・景観破壊・無関心などなど、
その全てを祝祭の中でひとつにする、本当の祇園祭が始まるのです。

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祇園祭の山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月17日(日)


祇園祭の山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

山鉾巡行。
正に名実ともに祇園祭の代名詞、もはや京都観光そのもののアイコンとさえ言える、
文句なしの花看板、メインイベント中のメインイベントであります。
が、この山鉾巡行が宵山よりも来客数が少ないということを、実は私、今さっき知りました。
2011年度の山鉾巡行の来客数、20万人。対して、宵山に集った烏合の衆の数、45万人。
少ないどころの話ではありません。ダブルスコアでお釣りが来ますな。
知った瞬間は驚いたんですが、しかし我に帰ると、納得です。まあそりゃそうだわな、と。
良くて、ピーカンの激暑。悪くて、梅雨明け前の猛暑+猛湿度。最悪で、豪雨か台風。
そんな7月の気候の中、京都の街中を朝早くから駈けずり回るなど、正気の沙汰ではありません。
山鉾巡行は、KBS京都の中継で見るもの。あるいは、過ぎ去るのを家の中でただじっと待つもの。
京都市民のみならず、辺境の民である私でさえ生活感覚としてはそう認識してるのであり、
実際、今の今まで山鉾巡行を見たことはありませんし、見たいと思ったことさえありません。
が、このサイトのモットーはあくまでも、メジャーどころの単独正面突破。
メジャー中のメジャー、キング・オブ・キングの山鉾巡行から、逃げを打つわけにはいかないのです。
宵山のダメージがまだ全く体から抜けてませんが、意地だけで現場へ赴きました。
苦しくも今年の山鉾巡行は、日曜開催。さらに悪いことに、快晴です。

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祇園祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月16日(土)


祇園祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宵山。
祇園祭で最も人が集まる夜であり、言うまでもなく独男にとっては超弩級の鬼門であります。
もともとは御旅所~河原町あたりで、オーソドックスな前夜祭として行われてたという「宵宮」。
これとは別に、江戸期の山鉾町において発展した、山鉾や会所を飾る「宵夜飾り」。
やがて名を「宵山」と変えた後者は、御旅所の「宵宮」を「宵山」として吸収。
現代に至ると道路拡張+歩行者天国化+山鉾巡行一本化による観光客集中などが重なり、
「関西中のヤンキーが集まったかのような様相 (酒井順子 『都と京』)」を呈してしまうほど、
宵山は、極めて広範囲に祝祭空間を現出させるようになりました。
衆目を集めるのはもちろん、山鉾。集め過ぎて、まともな鑑賞が不可能だったりしますが。
でも、鴨川を越えた八坂神社近辺も、魅力ある神事や奉納行事がたくさん行われてます。
ちなみにこの奉納行事の名は「宵宮神賑奉納」。そう、宵山ではなく、宵宮。宵山じゃないぞ、と。
平安期に官祭となって以来の、神事としての祇園御霊会の伝統を、守り続けようとする神社側。
公家が貧乏化で手放した官祭を引き取り、自分達の祭としてここまで育て上げた山鉾側。
両者がけんかしてたら、赤の他人としては面白いんですが、もちろんそんなことはありません。
でも、やっぱり、山鉾町と神社の間には「独特な距離」が感じられるのもまた、確かです。
特に山鉾巡行の日と、この宵山の夜は、それがより強く感じられるんじゃないかと。
そのあたりにアカデミックな関心を持って、宵山をうろついてみました。
理由もなくうろつくと、心が折れそうだからではありません。本当です。嘘ですが、本当です。

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四条河原町下ルの三栄で鱧を食べました。もちろん、ひとりで。

2011年7月14日(木)


四条河原町下ルの三栄へ、鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都の夏といえば、鱧。
というわけで、貧乏独男でも京の夏を楽しもうと始めた夏季集中企画 『ひとりで食べる鱧』 。
己の財政事情を省みずに食べ歩きをスタートしたんですが、結果、あの、今回で最終回です。
最終回じゃないにしても、多分、当分、お休みです。何故って、いや、お金がなくなるから。
お金ってね、使うとなくなるもんなんですよ。御存知でしょうか。本当に不思議ですよね。
貧乏なら貧乏で、もうちょっとお手ごろな惣菜ものとかで攻めてもよかったんですが、
しかし、そういう守りの姿勢では絶対に楽しめない味覚があるのも、これまた世の真実。
特に今回の三栄、良かった。本当に、良かった。
この企画では「昼&5000円以内」の予算を想定してたんですが、こちらの御代は7000円弱。
結構なオーバーではありましたが、でも本当に、良かった。美味かった。
四条通を避けて寺町通の電器街へ行く時、団栗橋からこの店の前あたりをよく通ってましたが、
「何か渋い店」という印象しかなかっただけに、嬉しい驚きでした。
当日の朝10時頃に「ひとりで。13時半頃」と予約の電話を入れたら、OKの返事。
だったのでのこのこ出かけました。

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祇園祭の宵々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月14日(木)


祇園祭の宵々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宵々々山。本来は「14日の宵山」と呼ぶのが正しいらしい、宵々々山。
では「10日の宵山」や「1日の宵山」なる呼称が有り得るのかといえばよくわかりませんが、
とにかくこの宵々々山から、山鉾町周辺の歩行者天国は始まるのであります。
そして、昨日までの「町の祭」は、「市の祭」を飛び越え、「府の祭」へと変貌するのであります。
府の祭。そう、市民じゃなくて府民がいっぱい来るわけですね。例えば、俺とか。昨日も来たけど。
歩行者天国と露店、そして「祇園祭」という名前に蛾の如く吸い寄せられる、辺境の民草。
そんな愛しき我が同胞たちが、この日を境に市街地のコアブロックへ一気に流入。
雅もひったくれもないDQN臭をあたり一面へ撒き散らしながら、金もろくすっぽ使うことなく、
ただただ広いだけの四条通や烏丸通を歩いて喜ぶという事態が出来します。
「府民」には大阪府民も含まれますし、また滋賀県民も京都人のような顔をして大量混入。
関西以外の観光客がまだ少ない分、ある意味、DQN濃度が最も濃い夜かも知れません。
もちろん山鉾周辺も凄まじい混雑となり、見物しにくいどころか、生還こそが重要テーゼ化。
そんな宵々々山、昨夜との空気の違いを感じながら、うろついてみました。
前夜に引き続き、駄文抜き+画像メインで淡々とお楽しみください。

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祇園祭の宵々々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月13日(水)


祇園祭の宵々々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宵々々々山。もちろん、そんな言葉はありません。でたらめです。
でも「宵々々山」という言葉は定着してるようなので、ちょっと言ってみただけです。すんません。
ちなみにこの表記の仕方だと、本当の意味で祇園祭が始まる7月1日のことは
「宵々々々々々々々々々々々々々々々山」ということになります。いや、なりません。すんません。
そもそもは「宵々々山」はおろか「宵々山」という呼び方さえアウトというか、正しくはなく、
元来は山鉾巡行より前の夜を全て「宵山」と呼ぶんだそうです。でも、まあ、流れでと。
歩行者天国が14日からなので、宵々々山までは大目に見ようかと。そんなところであります。
鉾立てに続き、山立てや曳き初めも始まり、稚児社参や久世駒形稚児社参も行なわれた、この日。
コンチキチンの祇園囃子も鳴り始め、山鉾町は一気に祭のムードが強くなってます。
そんな宵々々々山(しつこい)の町を、ひとりでフラフラとうろついてみました。
それぞれの山鉾については、いろんなところで説明され、語り尽くされてるので、駄文は省略。
淡々と画像のみでお楽しみください。

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松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (3) 七条通巡幸

2011年4月24日(日)

宗像社の巡幸
松尾祭・神幸祭、いよいよラスト、七条通巡幸です。

松尾祭、一日くっついて見物してると、氏子さんの数の物凄さに圧倒されます。
見物人もそれなりに多いんですが、何よりも白法被の人たちが、多い。そして全員が、濃い。
数だけなら祇園祭の方が多いかも知れないし、手伝いの人も多少は混じってるでしょうが、
でも、ひとりひとりが放つオーラと、祭全体の熱狂度は、圧倒的に京都一ではないかと。
特に、インドアな感じな少年たちでさえ積極的に祭へ没入してる姿は、感動的でさえありました。
と、同時に感じたのが、この祭りが西七条 / 西市跡 / 西寺跡の祭りだということ。
出かける時は何となく「松尾、梅津、桂あたりの人たちがやってる祭」とか思ってたんですが、
考えてみれば神輿が駐輦する御旅所は、ほとんどが西七条を中心に点在。
もちろん、奉仕する氏子さんもその区域の人たちです。
これは、洛外の神様に自分の街へおいで頂く祭なんだな、と。だから「おいで」なんだなと。
祇園祭や稲荷祭と似た形式であり、特に東寺と縁深い稲荷祭とは近いものがあるんじゃないかと。
西寺跡が氏子区域の大宮社神輿に松尾神を乗せ、西市跡近くの西七条御旅所へ向かう七条通巡幸。
いよいよ神をホームタウンへ迎えることで、祭の盛り上がりはピークへ。
同時に疲労もピークに達するためか、ストリートは怒号と絶叫と微笑みが渦巻く興奮の巷と化します。

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京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。

2011年1月7日(金)


京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。

お粥は、不味い。
貧乏な家庭 or 料理の下手な家庭に育った人間が抱く、固定観念です。
バリバリの貧乏家庭に生まれ、化学調味料を「おふくろの味」として育った私も、
当然ながらバリバリのお粥ヘイター。「こんなもん、ゲと一緒やんか。食えるかっ」と。
幼少時に瀕死の熱病にかかった際も、断固として普通の米飯を要求した記憶があります。
米飯を湯で崩しただけの「おふくろの味」など食ったら、むしろ体と心に悪いと。
実際、お粥は、不味い。少なくとも、ちゃんと作らないと、不味い。
薄味の出汁のセンスや、米の微妙な崩れ加減を見るセンスが要求されるので、
奥が深いというか、下手すると一般的な料理より作るのが難しいものかも知れません。
野趣あふれる野草を7種類も投入する七草粥になれば、その難易度は更に上がるはずです。
人日(じんじつ)の節句である1月7日朝に食べる、七草粥。
芹・薺・御形・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔を入れた粥を食べ、一年の無病息災を祈ると共に、
正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休め、青物の栄養も取ってしまおうという風習であります。
特に京都ならではの行事でもありませんが、市内のいくつかの神社では接待を展開。
その気になればお粥の食べ歩きなんてのも、できないことはありません。
本当に普通のお粥を他所で食べる機会はあんまりないですから、
お粥の奥の深さを体感すべく、接待めぐり、七草粥食べまくりをやらかしてみました。
件数が多いので、細かい客層は省略+ダイジェスト風でご覧ください。

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