佐伯灯籠へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2014年8月14日(木)


佐伯灯籠、前篇の続きです。

私の母の故郷・八木町氷所は、畿内隼人の移配地という説があったりします。
室町時代隼人正・中原康富による 『康富記』 に、そう書かれてるとか。 「丹州少所」 と。
では、それにまつわる何らかの伝承が身内で伝えられているかといえば、そんなもんは全然なく、
そもそも隼人移配が行われたのは奈良時代以前なので、細かいことは悉く不詳なんですが。
千年以上前の話ゆえ場所もまた怪しく、 「丹州少所」 と比定される場所は他にも存在したりします。
それが、氷所から10キロほど南の、佐伯。そう、佐伯灯籠を観に今回訪れた、旧佐伯郷です。
畿内隼人が実際に住んだ 「朝恩の地」 としては、氷所よりこちらの方が確証度は全然高いそうで、
呪力を買われ朝廷の近習も務めたという隼人の、ゆえに持ち得た公家とのコネクションこそが、
この灯籠祭のルーツと考えられている風流灯籠の下賜をもたらした、という見方もあるとかないとか。
佐伯灯籠の人形を見てる間、ずっとその事を考えてました。何か隼人と繋がりがあるのかも、と。
一般的な文楽人形とは、サイズも、テイストも、そして放つオーラも明らかに違う、人形。
その人形が、演技で醸成する物語の情感を越え、体の奥から立ち昇らせる、より原初的な何か。
その何かとは、ひょっとすると、文楽完成以前を遙かに越え、風流灯籠が生まれた室町期さえも越え、
人形により隼人が幻惑&虐殺された、720年の隼人の乱にまでリンクするものではないか、と。
いや、無論これは、適当極まる妄想に過ぎません。 「日本にもピラミッドが」 的な話に過ぎません。
しかし、そんな正気の判断を振り切り、ミッシングリンク妄想へ人を駆り立てる異様な魅力が、
この美しくて、ミステリアスで、そして何かしら恐ろしささえ孕む人形にあるのもまた、確かなのです。
そんな佐伯灯籠、後篇であります。後篇は、人形浄瑠璃の続きと、神輿行事であります。
親の実家の近所ゆえ、馴染む空気を感じると同時に余計にアウェーも感じる妙な状況ですが、
とにかく時間が許す限り、そのミステリアスな魅力を堪能させてもらいました。


人形浄瑠璃、続きです。4幕目となる次の演目は 『御所桜三段目 弁慶上使之段』 。
平家一門・時忠の娘であることから、源頼朝より逆心の疑いをかけられた、源義経の妻・卿の君。
君を預かる乳人役・侍従太郎の館では、弁慶が君を討つべく上使に立ったと知り、身代わりを思案。
抜擢された腰元・信夫は承知するも、そこへ待ってくれと割って入るは、信夫の母・縫物師おわさ。


おわさは侍従太郎に対し、信夫の身の上を説き、必死で身代わり免除を懇願。
「この子はアノ、私一人で出来た子ではござりませぬ。顔も知らず名も知らぬ、父親でござります」
と語り、その父親と逢うまでは死なせるわけにはいかぬ御勘弁、と頼むも侍従太郎は無慈悲に激怒。
「顔も知らず名も知らぬ、父親を尋ね手渡しするとは、何をしるしに尋ぬるぞ。アココソ、偽り者め」 。


侍従太郎の激怒を受け、信夫を仕込んだ18年前のワンナイトラブを語り始める、おわさ。
「長月廿六夜の月待ちの夜、あまた泊りの、その中に、二八あまりの稚児姿」 という感じで出逢い、
「こつちに思へばその人も、すれつもつれつ相生の、松と松との若緑、露の契りが縁のはし」 と、ラブ。
で、慌てて遁走した稚児から引きちぎった赤い振袖、左手のこの振袖こそが、 「しるし」 であると。


「仮寝の情は浅けれども、妹背の縁やふかかりけん。ついその月より身も重く懐胎」 し、
「後にてなんと詮方も、生み落とせしはこの信夫。縁あれぱこそ子まで儲けしもの」 という、おわさ。
「ふたヽび尋ね逢はんと思ひ、国を、/\出て十七年、嬰児を抱へ様々と、さまよひ廻りし憂き艱難」
「女の念力これこそは、娘よ父よと名乗り合ひするそれ迄は」 と、信夫を守る思いを語ることしきり。


「身にも代へぬ大事の娘、お役に立てぬは右の訳、卑怯未練でない申訳」 と説明して、
「ナ申し娘には、どうぞお暇を下されませ」 と侍従太郎に懇願、信夫と共にトンズラを図る、おわさ。
しかしそこへ現れたのが、弁慶。館へ侵入していた弁慶は、ワンナイトラブ話を襖越しにじっくり盗聴。
そしておもむろに、刃をセッティング。その刃の先が狙うのは、 「身にも代へぬ大事の娘」 の信夫。


で、弁慶は突如、背骨障子越しに信夫を、 「ぐっ」 と刺いて、一ゑぐり。


あまりにも突然の事態に、おわさは 「サササササ元のやうにして返しゃ」 と、狂乱。
しかし弁慶はどつかと座し、押し肌脱いで 「こは、いかに」 と見せたのは、右手に隠した赤い振袖。
「この片袖はそっちにある筈。先年播州福井村にて、人目を忍び暫しの仮寝。さては汝であったよな」
「そんなら、そんならお前がその時の、まあ、お稚児さんかいな」 「オヽサ、書写山の鬼若丸だ」 。


「コレ信夫、あれを聞きゃったかいの。そなたの父御といふは、アノ、弁慶様ぢゃといの」 と、
抱き起こして父との対面を果たそうとするも、信夫は虫の息で、おさわに朝夕の回向を頼むのみ。
「同じ殺す道ならば、互ひに父よ娘かと、名乗り合ひした上ならば、この思ひはあるまいもの」 と嘆き、
「法の光や燈火の、影を力に、とぼとぼと、歩む」 信夫を幻視して、 『弁慶上使之段』 、終了です。


上演中、本殿の方から太鼓の音がドンドコドンドコと鳴りまくってました。
どうやら、遷霊神事が始まったみたいです。中座して見に行こうかなと思いましたが、やめました。
混んでて、外へ出るのも大変なので。とはいえ、最前列は蝋燭の暑さのため、依然空き気味ですが。
そんな灼熱の人形浄瑠璃、いよいよ最後の演目の 『伽羅先代萩 政岡忠義之段』 でございます。


遊女に夢中の足利頼兼につけこみ、放蕩を煽ってお家乗っ取りを企む執権・仁木弾正。
頼兼を継ぐ幼君・鶴千代の命も狙い始めた故、御覧の乳人・政岡は男の面会を謝絶し幼君を守護。
若君殺害&政岡失脚を狙う仁木の妹・八汐は権謀術数を巡らし、この日も悪そな奴等と政岡を訪問。
舞台に現れた政岡、訪問の知らせに 「ハテ心得ぬ。梶原の奥方とは、何にもせよ、お通し申せ」 。


妖しき菓子持参でやって来たのは、敵方・梶原平三景時の妻・栄御前と、八汐。
曰く、病気ゆえ男の面会を断ってるというから、私が来たぞ、と。土産の菓子も持ってきたぞ、と。
毒を盛られぬよう、幼君の食事は全て、政岡の自炊。ゆえに幼君、餓鬼性食欲が亢進しまくり状態。
土産菓子を見て、食いたいとごねる、鶴千代。強引に勧める、悪そな奴等。その間で困る、政岡。


「御病気の御身なればお毒になつたら何となさるヽ」 と、政岡が鶴千代を宥めると、
栄御前がキレ、「頼朝公より下さるヽ御菓子、何疑ふて頂戴させぬ。ぜひ、この栄が食べさせる」 。
悪そな奴等が強引に食わすべく 「サア/\/\」 と権柄押しする中に現れるは、政岡の実子・千松。
飛ぶように現れた千松は、 「その菓子ほしい」 と叫んで、飛ぶように菓子をひっ掴み、即、丸食い。


丸食いした千松は、その場で忽ち悩乱。目を見詰め、蹴散らかしたる折は散乱。
八汐は一瞬驚くも、すぐさま悪の心を取り戻し、証拠を隠滅すべく千松をグッサグサに刺殺開始。
眼前で実子を虐殺されながらも幼君を守る、政岡。その政岡にキレ、余計にグッサグサ刺す、八汐。
「現在の其方の子、悲しうもないかいの」 「これでも此方は何ともないかいや、これでもか/\」 。


実子虐殺にも動揺しない政岡に、それまでとは違う眼差しを向け始める、栄御前。
「其方の願望、成就してさぞ喜び」 「義綱の誠の倅千松がこの最期さぞ本望であらうのう」 と、
鶴千代と千松のすり替えを確信して、政岡もまた悪そな奴等と見こみ、連判状を託して謀反へ勧誘。
友達が増えたと喜ぶ悪そな奴等は、帰還。あとに残るは、政岡、そして切り刻まれた千松の亡骸。


奥口を窺ひ、人気が失せたのを確認した政岡は、


我に返ったように、千松の元へ駆け寄り、


耐へ耐へし悲しさを一度にわっと溜涙。


「コレ千松、よう死んでくれた、出かした/\ナ」 と、千松の亡骸を抱きしめる政岡。
いざという時は、我が身を呈すよう躾けられた、千松。務めを果たした我が子の死に、止まらぬ涙。
「武士の胤に生まれたは果報か因果かいじらしや、死るを忠義と云ふ事は何時の世からの習はしぞ」
鋼の如く凝り固まった心が砕けた政岡が叫ぶのは、「三千世界に子を持った親の心は皆一つ」 。


というわけで、 『政岡忠義之段』 でございました。何なんだ、この生々しさは。
元から何かしら生々しい佐伯灯籠の人形ですが、この演目との親和性は凄いものがありました。
以上で、人形浄瑠璃の上演は終了。太夫と糸の方が、挨拶。そして人形遣いの方も出てきて、挨拶。
糸 = 三味線には若干若い人がいましたが、いずれも基本的には御高齢。暑い中、御苦労様です。


時間は、21時。外に出ると、ちょうど神輿の太鼓掛けが始まるところでした。
太鼓櫓の上に神輿が乗っかるという、実に男女和合感&豊作祈願感が溢れる神事、太鼓掛け。
そういえば、昔の佐伯灯籠は二日かけ行われ、夜は男女が睦む夜這いの祭としても知られてたとか。
繊細な人形浄瑠璃から一転、荒々しく野郎風味が全開な佐伯灯籠のもうひとつの顔が現れます。


というわけで、神輿が突っ込んで来て、どど━━━━━━━━━━━━━━━ん。


もう1回、どど━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ん。


太鼓掛け、写真で見た感じでは 「神輿が太鼓を押し倒して乗っかる」 という風ですが、
実際は、神輿が突っ込むタイミングに合わせて太鼓櫓が90度自転し、その上に神輿が乗る感じ。
「合意の上」 というところでしょうか。合意ゆえか何なのか、神輿は太鼓の上で少し腰を振ったりして。
90度ひっくり返っても、太鼓の演奏は続行。6拍+8拍の、ワイルドかつプログレッシブな曲です。


続いて行われるのは、灯籠追い。役灯籠が、神輿を追いかけるのであります。
神輿が本殿前から鳥居の方へ逃げ、それを追いかける形で5基の役灯籠も鳥居の方へ走る、と。
そういえば、昔の佐伯灯籠で行われたという夜這いは、女性が男性に対して仕掛けるものだったとか。
「男寝て待て女が通う 丹波佐伯郷の燈籠祭り」 と。灯籠追い、何となくそれを連想させる行事です。


小柄で可愛らしい役灯籠が、デカい神輿を追いかけ回す、灯籠追い。素敵。
灯籠追いの後、役灯籠は 「みょうねんど、明年度、あれ名残惜しやの」 と囃されながら、本殿へ。
集まった役灯籠は本殿前に吊り上げられ、この祭りを締めくくるという行事・灯籠吊りが行われます。
石場搗唄の囃しに合わせて、御覧の写真にも写ってる長い紅白の棒・指子竹を、地面に突くとか。


その 「灯籠吊り」 も見たいところなんですが、残念ながらタイムリミットが来ました。
時間は、21:35。これ以上ここに居ると、今日中に八幡へ帰れる電車に、恐らく間に合いません。
タクシーを呼べばもう少し居れますが、金が無いし、バスも無いので、ここから亀岡駅まで歩きます。
太鼓が触れ太鼓のフレーズに変わったのを聞きつつ、まだまだ賑わう参道を抜けること、しばし。


灯籠があまり無い灯籠街道へ出て、闇の中を歩くこと、しばし。同好の士の姿は無論、なし。
というか、歩いてる人間の姿自体がそもそも、なし。たまに、祭帰りの自転車が抜き去って行くのみ。
途中、漆黒の運動公園でジュースを買い、ゴミ箱が無くて舌打ちしたりしつつ、歩き続けること、しばし。
結局、駅周辺に着くまでの間、歩いてる人間を見ませんでした。私はいったい何をしているのだろう。


ジャスト1時間で5キロを歩破し、亀岡駅へ到着。私の足は、強い。私の心も、強い。
駅周辺をうろついてた人間は、いずれも八木の花火帰り風。もう23時ですが、まだいるんですね。
やっぱり花火は強い、などと感心しながら電車へ乗ろうとすると、その電車が花火帰りの客で、満員。
結局、終点の京都まで立ち続けることになり、私の強い足も強い心も、折れそうになりましたとさ。

客層は、完全に地元の人たちが主体です。
里帰りのシーズンゆえか、年齢的偏りは比較的少なく、概ね全域をフォローする感じ。
カップルは、少なめ。というか、若夫婦風はいても、いわゆるカップルの姿はほぼ見当たらず。
若者全体としては、花火の日の割に割と多く、地元ゆえか無駄なはしゃぎや馬鹿騒ぎ感はなし。
神輿の周辺では、いかついお兄さん達もかなりいらっしゃいますが、いわゆるDQN感は希薄。
子供は、普通に多し。親子連れではなく、子供ばっかりで来てる、地元の子供たちです。
単独は少なめで、近所風の人がチラホラいる程度。カメもまた少なく、やはり地元風が多し。
浄瑠璃の客層は、上記から若者をごっそり抜いた感じ。中高年夫婦と家族連れがメインでした。
浮き加減についていえば、他所者の単独はまず間違いなく浮くと思います。
が、そんな浮きを忘れるほどの魅力がある祭だとも思います。

そんな亀岡・旧佐伯郷の、佐伯灯籠。
好きな人と行けば、より佐伯なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、佐伯です。

佐伯灯籠へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

【客層】 (客層表記について)
カップル:微
女性グループ:1
男性グループ:1
混成グループ:微
子供:2
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:3
単身女性:微
単身男性:微

【ひとりに向いてる度】
★★★
色気や人圧のプレッシャーは、特にない。
しかし地元メインゆえ、他所者は間違いなく、浮く。
が、雰囲気は強烈にいい。人形浄瑠璃も、素晴らしい。
アクセスの大変さ&熱死級の暑さを堪え忍んでも、
出かける値打ちは十二分にあると思う。

【条件】
平日木曜+お盆 17:50~21:40


佐伯灯籠
毎年8月14日 朝から深夜まで
薭田野神社を中心に開催

薭田野神社
亀岡市薭田野町佐伯垣内亦1
拝観時間 知らん

京阪京都交通バス 国道佐伯下車 徒歩約1分
JR山陰本線 亀岡駅下車 徒歩約60分
 

延喜式内 稗田野神社 – 京都府神社庁

薭田野神社 – 亀岡市観光協会