福知山お城まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2017年4月2日(日)


福知山お城まつり、福知山城を見物した前篇からの続きです。

「商都」 としての福知山を認識したのは、出口なおについて調べてた時のことです。
大本開祖であるなおは、福知山生まれ。広小路の上紺屋町の辺に、生家があったといいます。
で、当時の広小路は、 「福知千軒」 と呼ばれ、藩経済を支えるほどの商業的繁栄を見せてたとか。
節分大祭の記事を作る中、それを知り、私は驚きました。福知山を 「軍都」 と思い込んでたので。
城下町として成立し、廃城後は駐屯地の街となった、福知山。印象的には、かなり 「武」 です。
が、福知山城に防衛上の地の利を齎した由良川は、物流の面にて商人にも大きな恩恵を齎しました。
「塩船」 から始まったという由良川の水運は、朽木氏が入封した17世紀後半から急激に発展。
福知山は、重要な河港にして三丹・北国・京阪を結ぶ結節点となり、屈指の物産集積地へ化けます。
火隙地を作るべく町人屋敷の中央に開設された広小路では、舟渡が新設され、貨客も多数往来。
旅客相手の茶店や旅籠を営むべく有力商人も進出して、名実共に 「山陰の商都」 の顔となりました。 
また、通りの近くの御霊神社では、税制緩和などで慕われていた光秀を 「商売の神」 として合祀。
出口なおの頃には飢饉が続いてたそうですが、とにかく 「ブイブイいわしてる」 な街だったわけです。
しかしこの水運、明治中期以降は、衰退。製糸・養蚕などを展開した後、福知山は軍を迎えます。
「かごの鳥」歩兵第20連隊駐屯により、広小路は大正&昭和初期も繁華街・歓楽街として繁栄。
戦後に入っても陸上自衛隊鉄道管理局を誘致し、やはり繁華街・歓楽街として繁栄を続けたとか。
「軍都」 として生まれた街が、 「商都」 の性格を強め、その維持の為に 「軍都」 の仮面を被る。
そんな感じでしょうか。そう考えると、福知山はやはりしたたかでタフな 「商都」 なのかも知れません。
そして、城を支えた広小路がお城まつりのメイン会場であることも、当然なのかも知れません。
というわけで、お城まつり、後半です。後半は、城一切なしで、広小路周辺の祭徘徊がメインです。
地元との共生を図るべく奮闘する陸自の姿や、誘致された異形のゆるキャラ集団が放射する狂気、
魑魅魍魎が躍るパレード、そして街に漂う独特の雰囲気と若干のグルメを、楽しんで行きます。
「商都」 のしたたかさと、そのしたたかさが生むカオス加減、じっくりと御堪能下さい。


というわけでやって来た、お城まつりのメインエリア、広小路。そして、その先にある、御霊神社。
御霊神社の前には公園が整備されており、モールも設置されてるその辺が、いわばメイン会場です。
歩行者天国化してる広小路では、沿道の商店が 「福知山」 の暖簾を出し、祭メニューを売る店もあり。
また道そのものでも、ヒップホップ系のダンスイベントをやってたり。城よりも、かなり賑わってますね。


また広小路の路上では、山車みたいなものの陳列も実施されてます。色々観て行きましょうか。
まず、陸自の車輌をシャーシとする、山車というか何というか、とにかく福知山城。


陸自による山車というべきか何というべきか、とにかく何かしら何かしら


客が殺到し過ぎてて、近付くことさえ躊躇われる勢いの 「食の祭典」 ゾーン。


露店が並び、完全に神社の祭状態と化してる、御霊神社前の公園ゾーン。


御霊神社の隣にある何ちゃら会館では、ゆるキャラの何ちゃらイベントも開催中。


何ちゃら会館の中では、ゆるキャラの何ちゃらステージイベントも開催中。


そして神社前には、神輿が安座中。城と同じく、きれいな神輿です。良い祭ですね。
が、ゆるキャラなどの洪水で、心が疲れました。腹も減りました。どっかで飯を食おうと思います。


飯なら、駅前のふくちあんラーメンを食ってみたい。ので、すずさん見送られて、一時退散。
あ、こうの史代先生、現在福知山在住なんだとか。 「軍都」 が結ぶ縁、みたいな感じなんでしょうか。
「軍都」 として大きな賑わいを見せたという福知山、21世紀に於いては、不元気な辺はかなり不元気。
街中を歩いてると、団塊の世代あたりが老化で閉めたっぽく見える喫茶店を、何軒も見かけます。


その一方で、 「中ノ町飲食街」 「浮世小路」 といった名を掲げる飲み屋街は、かなり元気。
戦後、市の盛衰を賭け行われたという、陸自&鉄道管理局の誘致。その成果という感じでしょうか。
いずれにせよ、男心がくすぐられる光景です。その分、食事処は案外と少なかったりするんですけど。
18切符で初めて福知山に来た際、街の規模の割に飲み屋が多過ぎ、飯に困った記憶があります。


あ、そこそこ大きいビルがあり、それが異様に寂れてるのも、ある意味で福知山の特長です。
100均の為に寄ったさとうも、そんな感じ。昭和の抜け殻みたいな感じが、最早SF的で面白いくらい。
などとふらつきながら駅前へ着き、ふくちあんへ向かうも、店前には思いっきり行列。で、速攻で退散。
駅前のSLを見ながら、飯を思案します。広小路へ戻るか。でも、もう口が今すぐ食う口になってるし。


とか迷ってると、近くにゴム焼きそば屋がありました。ゴム焼きそば、最近の福知山名物です。
本当の有名店は別にありますが、そっちは今日休み。それに、遠い。ので、ここで食うことにします。
居酒屋然とした雰囲気の店で、居酒屋然とした大将に、ランチサービスのゴム焼きそば定食を注文。
ゴム焼きそば、確かに食感はゴム。ただ、ネタ級ではなし。むしろ、一品の肉の焼き加減が美味し。


で、食後は広小路へ帰還。帰還すると、ゆるキャラのカオス状況が、より濃厚になってました。
御霊神社・舞殿では、ゆるキャラが狂ったような声で絶唱中。失笑を通り越して、恐怖さえ感じます。
享保の飢饉の際、光秀の恩を忘れたことが祟りを呼んだとされ、光秀合祀に至ったという、御霊神社
その前で奇声を上げる彼等は、ある種の依代 or 人型なのかも。ゆえに、恐怖を感じさせるのかも。


とにかく余りに恐過ぎるので一時退散し、広小路東端 = 由良川の堤防に、上がってみました。
水運全盛期は、河川敷の先に見える川いっぱいに船が走り、広小路へ荷を下ろしてたんでしょう。
「川船おほし、是より船にのりて丹後由良港にくたるという」 と、儒学者・貝原益軒が記した、由良川。
正に、物流のハイウェイです。伝説の北丹鉄道は、この河川敷を超低速で走ってたそうですけど。


水運衰退の突破口を狙ったのか、福知山と由良を繋ぐべく計画されたのが、北丹鉄道です。
しかし、途中までしか開業が叶わず、おまけに由良川の河川敷に敷設した線路はしょっちゅう水没。
ズタボロの設備&自転車並の速度で運行を継続したという伝説は、鉄な方なら御存知だと思います。
で、前篇でも触れた通り、この北丹鉄道には記念館、あり。で、寄ってると、纏がやって来ました。


で、記念館へ出て、シャッター街を囃す纏を観るの図。頑張ってます。が、まあ、大変です。
そもそもこの辺、あんな巨大な川に近いこと自体が、まず大変です。洪水は、非常に多かったとか。
そんな大変さを乗り越えて来た力が、この街のタフさを、そしてしたたかさを、育んでるように感じます。
タフゆえ、ゆるキャラカオスを呼んでるとも思いますけど。まつり、フィナーレ時刻が迫ってきました。


お城まつりのフィナーレは、広小路のパレードです。で、それを観るべく戻ってきた、御霊神社前。
ゆるキャラがさっき絶唱してた特設ステージでは、某ライダーがショーを開催中。


そのうち、ゆるキャラ&ゆるキャラ未満の何かは、パレードに向けて移動開始。


で、どこへ移動するのかと思えば、御霊神社とは逆の東端からパレード開始。


で、ゆるキャラ。


奴振り。


戦国自衛隊。


ジャスティス


大河誘致。


何らかの何かによる、俺やで。


エイサー。


神輿。


で、神輿が御霊神社へ宮入りして、パレードは終了。そして、お城まつりも終了。
「軍」 や 「商」 、そして他にもわけのわからんものが豊かに混じりまくった、楽しい祭でありました。


で、帰ります。帰り際には、北丹鉄道廃線跡も、少し辿ったり。福知山西駅跡にも、寄ったり。
現役時の写真と異なり、凡庸に宅地化してた福知山西に、西へ発展した街の現代史を感じました。
電車に乗る前には、昼にフラれたふくちあんラーメンのリベンジも敢行。特濃をトライしてみましたよ。
しかし、余りの粘度ゆえ、完食出来ず。城の街のしたたかなタフさを腹でも感じ、退散しましたとさ。

お城まつり、客は概ね、地元の人となってます。
城 or 広小路 or 御霊公園で若干の違いはありますが、基本はあくまで地元民です。
城は、地元系の中高年および若い家族連れが、多め。観光客は、若い連中が少しいる程度。
広小路は、若者も混じりやや烏合化しますが、あくまで地元系の烏合であり、メインは若い子連れ。
御霊公園は、ゆるキャラや露店目当ての若い子連れと子供の集団ばかりが集まってました。
どのエリアも、カップルはいなくはないですが、やはり地元系ばかりであり、ハイな感じは特になし。
その他の属性も、基本的は全てそういう感じの線です。DQN感は、限りなくありません。
単独は、ゆるキャラに集結する気色悪い輩と、フォトコンでもやってるのかという感じのカメくらい。
アウェー感は、特に感じませんでした。祭の場でも、それ以外の場でも、感じはごく普通。
JR福知山線により大阪テイストが混入してる為か、京都より気安い街だと思います。

そんな福知山の、お城まつり。
好きな人と行けば、より城下町なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、城下町です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:若干
男性グループ:1
混成グループ:若干
子供:2
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:2
中高年団体 or グループ:5
単身女性:微
単身男性:微

【ひとりに向いてる度】
★★★
地元主体の祭だが、アウェーを感じる性質・規模ではない。
が、それゆえに、それほど強烈な何かを感じるわけでもない。
城好きの人は、基本的に城を観れば満足出来ると思う。
城から発生した街の感じは、京都的にはかなり異質で面白く、
また自衛隊の馴染み方も、ある意味で面白い。

【条件】
日曜 10:00~16:30


 
 
福知山お城まつり
毎年4月 福知山城&広小路一帯にて開催

福知山お城まつり – Facebook
 

御霊神社
京都府福知山市中ノ238
拝観自由

JR山陰本線 福知山駅下車 徒歩約10分
 

御霊神社 (福知山市) – Wikipedia> – Wikipedia