福王子神社の秋季大祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年10月18日(日)


福王子神社の秋季大祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

明治維新に至るまでの約1000年、日本では神と仏が入り混じってました
大陸より伝来したばかりの頃の仏教は、日本人の魂へ忍び込むにあたって、へと接近。
素朴なスタイルの信仰から脱却することについて苦悩を深めていた神も、仏にその救済を希求。
結果、 「神の本来の姿は仏 = 本地」 ということになり、神社の傍には本地を祀る神宮寺が建てられ、
寺の近くでは神が鎮守となって仏を守護するという、混淆の信仰形態が誕生・定着したのでした。
ある意味で野合に見えるこの混淆は、アーシーな小寺社だけで起こったものでは、無論ありません。
ロイヤルな寺社、それこそやんごとなき方々より崇敬を受けるような寺社であっても、事情は同じ。
私の地元にある石清水八幡宮は、二所宗廟の一つでありながらも最初から 「宮寺」 として創建され、
神が住まう男山には、 「男山四十八坊」 と称される大量の仏教施設がバカスカ建ちまくってたほど。
「どちらが手を叩いて、どちらが叩かないのか」 といった些末な作法にこだわる必要が全く無い、
神前読経など当たり前の大らかで豊かな信仰世界が、この国では長く長く息づき続けていたのです。
神道一直線宣言 aka 明治の廃仏毀釈は、そんな神仏習合の世界を、ほぼ根絶やしにしました。
が、明治以降は基本全否定&古いものを何でも有り難がる京都では、混淆の風習がいくつか残存。
福王寺神社の神輿巡行も、そんなかつての時代の息吹を感じさせてくれるものと言えるでしょう。
宇多天皇御母・班子女王が祭神のこの社は、宇多天皇が創建した世界遺産・仁和寺の守護でもあり、
その秋季大祭では、仁和寺より譲渡されたという神輿が、巨大な二王門の前で差し上げを敢行。
のみならず、石段を登って門をくぐり、さらには御室御所にまで入り、神仏が入り混じる式典も執行。
由緒も格もロイヤル極まりない寺院に於いて、古の神仏習合の様が全開になってしまうのです。
そんな福王寺の神輿、巡幸を全部追うのはしんど過ぎる為、仁和寺周辺だけ見てきました。
神輿と交通環境との微妙な関係も、ある種の風味としてお楽しみください。


福王子神社の最寄り駅は、嵐電・宇多野駅。宇多野駅は、御室仁和寺駅の隣駅。
昔の駅名は 「高雄口」 で、ホームが上下で過剰に分離してることで知られます。どうでもいいけど。
阪急から嵐電を乗り継いで向かいましたが、嵐電、嵐山行は妙に空いてたのに、北野行はすし詰め。
祭特需かと思いきや、宇多野で降りたのは3人だけでした。すし詰めの中を、苦労して前から下車。


駅から北上して13時半過ぎに着いた、六叉路の福王子交差点・東北角に立つ福王子神社
当サイト的には、1月7日に奉仕される七草粥が妙に美味い社として知られます。どうでもいいけど。
何となく悪王子的な由緒を連想する名ですが、冒頭で触れた通り、祭神は光考天皇皇后・班子女王
仁和寺からも守護として、尊崇され続けてる社です。仁和寺からは、西へ徒歩5分程度でしょうか。


とりあえず、班子女王を祀る本社へのお参りを済ませてから、境内をしばし見物。
境内、由緒がある割に狭い社というべきか、狭い割に由緒がある社というべきか、そんな感じです。
鳥居には提灯が付けられ、拝殿もドレスアップされてましたが、祭の賑わいは無く、もぬけの殻状態。
ここの神輿、出発が早いんですよね。なので昼過ぎの境内では、近所の人が寛いだりしてるのみ。


本殿の向かって左手には摂社・夫荒社あるので、もちろん、こちらもお参りしときます。
夫荒社、妻に浮気され荒れ狂った夫を祀る社ではありません。御所へ氷を運ぶ役夫を祀る社です。
丹波の氷室から氷を運ぶ役夫が、この地で力尽きた為、哀れんだ村人が霊を慰めるべく祀ったとか。
周山街道で丹波へ繋がる、この地らしい由緒でしょう。また、 「夫荒」 は 「福王子」 の名の元とも。


拝殿には、神輿の巡幸ルートを記す張り紙あり。出発、8:30。やはり、早い。そして、広い。
ここを出発して、周山街道を三宝寺の先まで行って戻り、宇多野病院から鳴滝駅前、そして山越へ。
そこからグネりながら太秦へ南下、さらにグネりながら常磐へ東進、双ケ岡の麓から御室へ来る、と。
来れるのか、という感じのハードなスケジュールですが。因みに、仁和寺前に来るのは、14時半頃。


仁和寺前に神輿が来るまで少し時間があるので、ちょっと了徳寺方面を覗いてみます。
六叉路交差点からチョロっと分岐して了徳寺方面へと続く細い道は、周山街道の旧道 aka 高雄道。
古い集落はこの道沿いに発展し、露店が出るのもここ。 「鳴滝村」 と書かれた御神酒紙も、多数あり。
露店は無論、子供天国。大根焚きの際に出てた露店とは、ラインナップが全く違ってて、笑いました。


14時を過ぎたので仁和寺へ行ってみると、二王門では太鼓が並べられ、ドンドコと演奏中。
神輿、もう来たか。一瞬そう思いましたが、演奏が練習っぽいノリに見えたので、多分まだだな、と。
それにしても二王門、改めて大きいですね。と改めて感心しつつ、神輿を出迎えるべく、徘徊を続行。
で、舁き手が休んだりしてる御室仁和寺駅の前を通り過ぎると、別の太鼓の音が聞こえてきました。


で、駅東側の踏切前にて遭遇した、トラック移動の鉾&神輿の神幸列。


踏切を渡らず、渋滞を起こしながら逆方向の下り道を進む、神幸列。


学校へ入り、校舎から人が見てる中で回しと差上げを行う、神輿。


元来た道を戻って踏切を渡り、仁和寺の門前へやって来た、神輿。


台車を外して手舁きとなった神輿、仁王門の前で差し上げまくり。


世界遺産客が大量にいる前で、神輿、差し上げまくり。


神仏習合全開で、神輿、差し上げまくり。


そして、二王門をくぐるべく、神輿、石段を登りまくり。


二王門をくぐり、見物客を引き連れながら御殿・勅使門へ向かう、神輿。


御覧の勅使門から御殿へ入るも、人が多過ぎて何も見えない、神輿。


全然見えない式典が行われる間、獅子舞や太鼓で賑やかな、二王門。


勅使門の外で儀式が終わるのを待つ、鳴滝や山越など村々の鉾


で、儀式が終わり、二王門の外へ出た神輿は、またも差し上げまくり。


再び石段を登りそうな勢いで、差し上げまくり。


門に向かって放り投げそうな勢いで、差し上げまくり。


差しが終わると、神輿と規制で異常に混んでる道を西進する、神輿。


途中、御室八十八ヶ所方面へ立ち寄る、神輿。


そんな神を待つ、人間と車で大混雑の、福王寺交差点。ここがまあ、面白い。
狭い歩道は、見物人でぎっしり。規制で止められた車の列は、もう最後尾がどこかわかりません。
キレて警察に噛みついた末、強行突破する車も出たり。で、そんな車に見物人は罵声を浴びせたり。
この辺の道路事情と祭への熱意がよく反映されてて、笑うような事態でもないですが、でも面白い。


そんな交差点へ神輿は進入し、回しまくり&差し上げまくり。


「もうええのん?」 とリーダーが訊くと、また回しまくり&差し上げまくり。


で、横の入り口から神社境内へ入り、回しまくり&差し上げまくり。


ここでも 「もうええのん?」 とリーダーが訊き、また回しまくり&差し上げまくり。


差し上げまくられる神輿が、西陽の反射光を周囲へ放ちまくった後、16時半、祭は終了。
神輿が分解され始めた境内では、跳ねの足つきをやる子供や石段を滑り台にして遊ぶ子供、多数。
実にネイティブというか、アーシーであります。先刻まで、世界遺産 「御室御所」 にいたんですけどね。
神仏の混淆と共に、ロイヤルさとアーシーさのミックスも堪能できた、福王子のお祭りでありました。

福王子の秋季大祭、客は基本、地元の中高年しかいません。
中高年というより、はっきりと老人寄りで、六叉路周辺はその傾向が強し。
他の見物客は、舁き手の身内らしき母子や、家から出てきた近所系の人が、大半です。
全体のテイストとしては、実に古い感じの右京区的なノリとでもいうか。
それ以外の客は概ね、仁和寺から流れてきた世界遺産客。チラっと見てすぐ帰る感じの。
何故か外人で興味を持つ人が多く、特に仁和寺前は地元中高年と外人が妙に多かったりします。
若者は、先述の世界遺産系観光客を除けば、激少。全属性に於いて、激少。
単独は、女は外人観光客と地元の人がちょっといる程度で、男はカメ。
ただし、ガチで張ってるカメというより、近くでたまたま見かけたといいうノリの奴が多し。

そんな福王子神社の例祭。
好きな人と行けば、より神仏習合なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、神仏習合です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:微
男性グループ:微
混成グループ:若干
子供:1
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:2
中高年団体 or グループ:6
単身女性:若干
単身男性:1

【ひとりに向いてる度】
★★★★
色気のプレッシャーは、全然無い。
客層は超ネイティブだが、真近に弩級観光スポットがある為、
アウェー感は中和され、排他的に見られることも多分無いだろう。
京都に於ける交通と祝祭の関係が凝縮された六叉路周辺、
そのパニック感は、色んな意味で見もの。

【条件】
日曜 13:30~16:30


福王子神社 秋季大祭
毎年 10月第3日曜 開催

福王子神社
京都市右京区宇多野福王子町52
拝観自由

京都市バス&JRバス 福王子下車すぐ
嵐電 宇多野駅下車 徒歩約5分

福王子神社 – Wikipedia

福王子神社 – 京都市観光Navi