北区 - ひとりでうろつく京都 (β版) - Page 2

夏越祓の茅の輪をくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。(後編)

2011年6月30日(木)


市バスの一日券を使った、でも結局歩きまくってる夏越祓の茅の輪くぐりまくり、前編の続きです。

全くどうでもいい話ですが、私、バスが苦手なんですよね。
どこの街のバスも苦手なんですが、京都のバスは特に苦手です。
府民ではあるものの相当長く利用し続けてるはずですが、未だに系統さえ覚えられません。
何より車内の空気が、ダメなんですよね。あの、モワ~っとした空気というか、ノリというか。
一言で言うなら、しんきくさい。 「遅延にイラつく」 といった話ではなく、空気そのものが、しんきくさい。
このしんきくさい空気、バスのみならず、地下鉄にも漂ってることがあります。
特に、市営地下鉄の今出川以北。何故か列車の中の雰囲気がバス的になり、すごくしんきくさい。
「鉄道の生理」が欠落してるというか、鉄道の基準で人間が動いてない感じが、苦手なんですよ。
私は京阪の駅前に生まれ、列車が大鉄橋を渡る音を聞いて育ったような人間なので、
京都市中心部に漂うこの「非鉄」なノリに、いつまで経ってもなじめません。
明治以前に街が出来上がってた多くの都市と同様、
京都も大きな鉄道 = JR・京阪・近鉄・阪急などは市街地中心部を避けて建設されてますが、
阪急が市街地ど真ん中の四条通り地下へ乗り入れる昭和中頃までその状態が続いたために、
京都の「非鉄」はある意味、純粋培養されてしまったのでしょうか。
と、全く無関係な話を全く無意味に終えたところで、夏越祓の茅の輪めぐり、後編であります。
後編は灼熱のラッシュ、ひたすら数ばっかりこなしていく様を、ご覧下さい。

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原谷苑へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月17日(日)

原谷苑の桜と提灯
原谷苑へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

原谷苑。
今、京都で一番有名な桜の「穴場」かも知れません。
金閣寺の北、大文字山の西、戦後に外地からの引揚者たちが農地として開拓した地・原谷。
以前は荒地のまま放置されてた土地だったそうですが、入植民は何とか生活できるよう、改善。
やがてインフラが整いアクセスも向上すると、今度は宅地開発で一気に人口が流入。
今では、普通の住宅地+少し山の香りが残る感じになってる郊外なエリアであります。
そんな原谷で、個人の方が自身の農園にて数十年に渡り桜を育成したのが、原谷苑。
その育ち方と量が尋常ではないと口コミで名が広がり、桜の開花期間のみ一般公開を開始。
「ガイドブックに載ってない名所」を求める人が大挙して押し寄せるようになったわけです。
話題になってるのは、桜そのものだけではありません。独特な入苑料設定と金額も、しかり。
御存知の方も多いでしょうが、ここ原谷苑は、その日の開花状況によって入苑料を決めます。
もちろん、桜の状態が良いほど、高し。で、値段のMAXは、実に1500円。
おまけなどの類は、何もありません。おみやげも、なし。純粋に入苑料だけで、1500円。
もはや清々しささえ感じるほどの、ブッちぎり加減なのであります。
が、実際の1500円の桜は、そのマッシブな値段設定を凌ぐブッちぎり加減だったのであります。

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平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月12日(火)

平野神社桜苑の提灯
平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

平野神社。
第一位・田中神社と第二位・吉田神社に次ぐ、京都三大平凡苗字神社のひとつです。
次点に並ぶのは、松尾・安井・北野・大田・平岡・藤森といったところ。
御霊・蚕・大将軍などからは羨望の眼差しを浴びている、というのはもちろん大嘘であります。
嘘ですが、でも、二位・吉田と三位・平野の祖が同じ卜部氏なのは、偶然なのか、必然なのか。
気になって気になって夜も眠れない、というのも当然ながら大嘘であります。
数々の奇行で有名な花山天皇の手植えに始まるという平野神社の桜ですが、
凄いのはその量や質はもちろん、花見のできる期間の異常なまでの長さでしょう。
夜桜のライトアップは、だいたい3月末から4月末まで開催。桜自体は5月でもまだ咲いてるとか。
もちろん、ドーピングして無理矢理長生きさせてるわけではありません。
開花時期の違う多くの品種を植樹してるというわけであります。
50種400本とか45種500本とか、ソースごとに数は違いますが、とにかくたくさんです。
「パッと咲いてパッと散る」ソメイヨシノの席巻が、桜の概念、そして日本の概念さえ変えるまでは、
花見というのはもうちょっと長くのんびり楽しむものだったとか。
平野神社の長い花見期間は、現在の誤記された花見の流儀と日本の心を静かに告発し、
本来あるべき花見と日本の姿を示してるのかも知れない、というのはただの思いつきであります。

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京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。

2011年1月7日(金)


京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。

お粥は、不味い。
貧乏な家庭 or 料理の下手な家庭に育った人間が抱く、固定観念です。
バリバリの貧乏家庭に生まれ、化学調味料を「おふくろの味」として育った私も、
当然ながらバリバリのお粥ヘイター。「こんなもん、ゲと一緒やんか。食えるかっ」と。
幼少時に瀕死の熱病にかかった際も、断固として普通の米飯を要求した記憶があります。
米飯を湯で崩しただけの「おふくろの味」など食ったら、むしろ体と心に悪いと。
実際、お粥は、不味い。少なくとも、ちゃんと作らないと、不味い。
薄味の出汁のセンスや、米の微妙な崩れ加減を見るセンスが要求されるので、
奥が深いというか、下手すると一般的な料理より作るのが難しいものかも知れません。
野趣あふれる野草を7種類も投入する七草粥になれば、その難易度は更に上がるはずです。
人日(じんじつ)の節句である1月7日朝に食べる、七草粥。
芹・薺・御形・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔を入れた粥を食べ、一年の無病息災を祈ると共に、
正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休め、青物の栄養も取ってしまおうという風習であります。
特に京都ならではの行事でもありませんが、市内のいくつかの神社では接待を展開。
その気になればお粥の食べ歩きなんてのも、できないことはありません。
本当に普通のお粥を他所で食べる機会はあんまりないですから、
お粥の奥の深さを体感すべく、接待めぐり、七草粥食べまくりをやらかしてみました。
件数が多いので、細かい客層は省略+ダイジェスト風でご覧ください。

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