ひとりで巡る京都の紅葉 - ひとりでうろつく京都 (β版) - Page 3 ひとりでうろつく京都 (β版)

鷹峰の源光庵へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年11月25日(金)


鷹峰源光庵へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

迷いの窓。そして、悟りの窓。
片や人間の生涯の四苦八苦を表す、角窓。片や大宇宙や真理を表現する、丸窓。
の哲学を具現化したこの二つの窓で知られるのが、北区鷹峰に立つ禅寺・源光庵であります。
1346年に臨済宗大徳寺二世の徹翁義亨が隠居所として創建しましたが、のちに荒廃。
時代が下って1694年、加賀国大聖寺の曹洞宗僧侶・卍山道白によって再興され、その際に改宗。
再興後に再建された本堂には、廃城となった伏見城の遺構である血天井が流用され、
養源院宝泉院正伝寺などと並ぶ「京都血天井めぐり」のスポットとしても、有名です。
禅が全開の、窓。そのピュアな精神性を諸行無常にブーストする、血天井。
そして「鉄道なし+バス少なめ+坂めっさキツい」という、単純にアクセス不便気味な立地条件。
本来は、なかなかに渋好みな寺なわけです。実際、普段は本当に渋好みな寺なわけです。
が、秋になったら窓の向こうに紅葉が見えてしまうもんから、もう大変。
額縁効果が効いた紅葉を見よう or 撮ろうと、観光ハイで生老病苦も忘れたツアー客の方々が、
大型バスに乗り大挙してやってくるスポットになり果ててしまうのであります。
そんな源光庵、今年は今いちではあるものの、わざわざ紅葉のピークに訪れてみました。
人間だらけの状況で、迷いの窓と悟りの窓は、どんな相貌を見せてくれるでしょうか。

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曼殊院の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年11月25日(金)


曼殊院の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

男は黙って、曼殊院
といっても、別段しょうもない冗談を言いたいわけではありません。
それくらい、男好きのする寺だと言いたいだけです。そう思うのは、独男だけかも知れませんが。
修学院離宮のすぐそば、比叡山麓の一乗寺に建つ天台五門跡のひとつ、曼殊院。
戦国時代に慈運法親王が入寺したことで門跡寺院となったこの寺は、
江戸前期に至り良尚法親王を迎えたことで、ミニ桂離宮とも言われる伽藍を誇るようになります。
日本の「美」が凝縮された桂離宮、それを造った八条宮智仁親王の次男である、良尚法親王。
その幅広い識見と創意は、庭園や茶室のみならず寺の建物全てへと行き渡り、
貴族趣味が加味された江戸時代初期の代表的書院建築が残されることとなりました。
そんなやんごとなき寺が何で「男好きする」のかと言われたら、私もよくわからないんですが、
多分、美しさの中に殺気があるからじゃないでしょうか。
男にしか察知できない、殺気。それも、権力から遠い男にしか察知できない、殺気。
禁中並公家諸法度で文化事業しかすることのなくなった皇族&公家が抱いた殺気が、
時代を超えて独男の魂に響いてくる、というのはもちろん不遜な不敬で不埒な妄想です。
が、そんな不遜な妄想に独男を誘う妙な色気が曼殊院にあるのも、確かな気がします。
その色気と殺気がより濃厚になるのが、夜のライトアップ。
一応、紅葉シーズンに合わせた夜間拝観ですが、伽藍そのものの方が魅力的なので、
そっちメインでご堪能下さい。今年2011年は、紅葉が全然ですし。

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雲龍院の夜間ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年11月22日(火)


雲龍院の夜間ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

ようやく例年並みに冷え込みつつある、2011年晩秋の京都。
晩秋、そう、晩秋なんですよね、もう。ですが、紅葉の方はあまり進んでません。
洛北あたりは相当いい感じに色づき始めたようですが、それより以南は、まだまだ。
にも関わらず「京都駅から一番近い東山の奥座敷」、南も南の雲龍院へ行ったのは何故かといえば、
あの辺、寒いんですよ、山だから。あと、秋のライトアップが25日までだし。
雲龍院。皇室の菩提寺である御寺・泉涌寺塔頭にあらずして、別院、別格本山。
泉涌寺と同じく皇族とのゆかりが深いことから、見た目は塔頭ながらも、別格扱いとされてます。
南北朝時代に後光厳天皇の勅願で建立され、北朝歴代の御尊牌を霊明殿に奉安、
後円融天皇の発願で写経道場も作られますが、応仁の乱などの戦乱で何度となく焼亡しまくり。
江戸時代の始めになって、中興の祖・如周宗師により写経道場が現在地に再建され、
その再建のスポンサー・後水尾天皇からは、現在も使われる写経会の仏具が寄進されました。
雅であります。やんごとなきであります。そして、別格であります(意味不明)。
雅なる写経、最近では体験型観光の人気コンテンツになってますが、夜間営業はなし。
かわりに、徳川期の武家茶席・通称「おぶけ茶席」を、有料オプション1000円なりでいただけます。
が、武家でもなく茶の心得もない私は、別格である夜の紅葉のみを拝ませていただきました。

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実相院の秋のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年11月20日(日)


実相院のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

秋に全然なってくれない、2011年の秋。
11月も下旬だというのに、昼間は未だにシャツ1枚でも汗ばむ陽気が続いてます。
もちろんこの気温では紅葉も進まず、例年なら真っ赤に染まるはずの葉も、青きこと、春の如し。
先週は周山街道を北上して神護寺まで行きましたが、そこでさえまだ三分から五分の色づき。
じゃあ今度はもっと北へ行ったろかいとも思いましたが、足代がかさむので早々に止め、
そこそこ北にある実相院へ行ってみました。地図上では神護寺より実相院の方が北ですが。
実相院。岩倉にある、天台宗の門跡寺院です。またの名を、実相院門跡 or 岩倉門跡。
皇族とのゆかりは江戸初期に現在地へ移転してから特に深まり、「忍」の後水尾天皇もしばしば御幸。
皇孫の入寺も続き、1720年には東山天皇中宮の承秋門院大宮御所旧殿を賜りました。
四脚門・御車寄・客殿といった重要な建築遺構は、善阿弥の孫の又四郎の作と伝わる庭園、
そして各室にはりめぐらされた狩野永敬をはじめとする狩野派の襖絵などとともに、
優雅な女院御所の佇まいを老朽化に耐えながら保っています。
岩倉というのは、北山から宝ヶ池や国際会館をさらに北上したエリア。
現在はかなり宅地化されてますが、それ以前は寺以外は農地ばかりだったところであり、
ゆえにテロられるのを恐れた幕末期の岩倉具視がしばし「忍」してたことでも知られる土地ですが、
とにかくここなら紅葉が拝めるはずだろうと、出かけました。

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神護寺の金堂夜間拝観とライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年11月13日(日)


神護寺の金堂夜間拝観とライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

暑いです、2011年の秋。
暦の上ではすっかり紅葉シーズンですが、京都市街地のもみじは今だ色づく気配さえなし。
なので、市街地よりも早く紅葉が拝める洛北・高雄の神護寺へ行ってみることにしました。
宇佐八幡宮神託事件の巨根坊・道鏡と闘った和気清麻呂の私寺・神願寺が、
平安以前より山岳信仰が根づいていた高雄山寺と、ドッキングして生まれた、神護寺。
住持した空海によるライバル最澄への潅頂でも知られる、新仏教興隆の基礎を築いた寺です。
が、神護寺といえば、そんなプレ平安期 or 平安初期のパイオニアたちのみならず、
平安末期~鎌倉初期に大暴れした中興の祖・文覚上人でも有名かも知れません。
武士時代に同僚の嫁・袈裟御前へ手を出し、手を出すのみならず「俺と一緒になれ」と迫り、
困った袈裟御前に「旦那を殺して」と言われ意気揚々と太刀を振るえば当の袈裟御前を殺してしまい、
逃げるように仏の道へ入り、でも煩悩は全然消えず武者修行ならぬ無茶修行をさんざんやらかし、
その勢いで神護寺再興を後白河法皇に強訴し、強訴し過ぎて伊豆へ流罪になり、
流罪先で流罪仲間の源頼朝に「やってまえ」と決起をけしかけ、鎌倉幕府成立の道を開いた、文覚。
実にとんでもない奴ですが、そのとんでもない奴が再興した神護寺もまた、
なかなかにとんでもないシチュエーションを誇ってます。一言で言うと、参道、過酷。
で、過酷だけど、煩悩も色濃く漂ってるという。文覚っぽいといえば、文覚っぽいかも知れないという。
そんな神護寺の夜の紅葉、秋感の全くない汗だく状態で見てきました。

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詩仙堂へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年11月28日(日)


詩仙堂へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

仙人。独男なら、誰もが憧れるものでしょう。
それも、ただ現世から逃げるのではなく、やることやってから隠居した仙人なら、尚更。
おまけに、隠居してからも「実は隠密で・・・」と噂されるような危険な存在感を放ってるとなれば、
独男のみならず独女からも憧れの目で見られようというものです。
詩仙堂を建てた石川丈山は、別に自分が仙人だといってたわけではありません。
元々は徳川家康から厚い信頼を受け、大坂夏の陣では一番槍の功を競うほどの、武士。
それが30前後ですっぱり辞職、母を養うため仕官したのち、一乗寺に凹凸窠なる草庵を建て隠棲。
庵には中国の詩家36人の肖像を掲げた「詩仙の間」を設け、「詩仙堂」の名はそこから生まれました。
仙人は、詩家の方だと。しかし、多くの人はそんな丈山にこそ「仙」なるものを見出します。
リア充な武士キャリアを断ち、30年も清貧を旨とする隠遁生活を続けただけでも、かなり独にして、仙。
しかも学問に長け、漢詩・隷書・作庭などもこなし、同時代の教養人とも幅広い交流を持ち、
おかげで幕府のスパイ疑惑も招いてしまう。もう、完璧です。何が完璧かわかりませんが、完璧です。
独男好みの、丈山。そんな丈山が作った、独男好みの、詩仙堂。
しかし今、季節は、晩秋。京都に「独」も「仙」もない観光客が最も押し寄せるシーズン。
本来は渋好みのはずの詩仙堂にも、「穴場」という言葉に踊らされた人民が大量にやってきて、
この静寂に満ちた狭い草庵を満員電車のごとき肉まみれ空間に変えてしまうのでした。

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永観堂のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年11月28日(日)


永観堂のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「禅林寺」と、正しい名前では全然呼んでもらえない、永観堂
しかし、寺自ら「もみじの永観堂」と銘打った赤い看板を三条京阪に堂々とディスプレイしてるので、
それも自業自得と思わざるを得ない、浄土宗西山禅林寺派総本山でございます。
空海の高弟・真紹僧都が853年に寺を開く以前から、この地は既に紅葉の名所だったようで、
真紹の前のオーナーにあたる有名歌人・藤原関雄も、古今和歌集に収められた歌において、
おく山の岩がき紅葉散りぬべし 照る日の光見る時なく」などと、詠むことしきり。
秋以外のシーズンは、看板坊主の永観見返り阿弥陀像がもっぱりの売りである永観堂ですが、
やはりもみじの季節こそが、最も大きな魅力を発揮してくれるようです。
もちろん、最も大きな魅力を発揮すれば、最も多い観光客が押し寄せてしまうわけであり、
その人気と混雑度は、超メジャー級の紅葉スポットがひしめく京都にあっても、トップクラス。
加えて、今年は「京都の秋は永観堂」なんてポスターが駅などに貼られまくったため、地元客も、多め。
さらには、今年2010年の紅葉、いつにないハイテンション&ハイクオリティぶりを誇示。
とんでもない人出が予測されるのです。雅の世界を切り裂く人間地獄の出来が、予測されるのです。
紅葉を見るか。あるいは、紅葉を見る人間を見るか。もしくは、もう、単なる人間だけを見るか。
東山の夜に咲いた「赤の恐怖」がいかなるものだったか、心してご覧下さい。

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神應寺の紅葉まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年11月27日(土)


神應寺の紅葉まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

石清水八幡宮が立つ男山には、元々、寺が林立していました。
その数、48。時に、それ以上。男山四十八坊と称され、宿坊を営んだりしてたそうです。
石清水八幡宮は、もちろん、神社。今の目で見れば、完全に、神社。
しかし明治維新以前までは、「八幡大菩薩」と仏教丸出しな名前の神を祀り、
神社の運営の実権も寺側が握るほど、神仏習合の加減が濃い、正に文字通りの宮寺でした。
山を埋め尽くすほど建ち並んだ諸坊には、大名などからたんまりと金が入りまくり、
おかげで寛永の三筆の一人である文化人・松花堂昭乗なんかも生み出したりしましたが、
おごる坊主久しからずというか何というか、明治初頭に神仏分離令が出て、坊、全滅。
山内の仏教施設は、松花堂などの移築組を除いて、大半が徹底的に破壊され尽くされました。
男山ケーブルのトンネル近くに立つ神應寺は、その数少ない生き残りです。
創建は、石清水八幡宮と同時期。開祖も同じ、行教律師。同宮の別当所とも言われてます。
現在は小さい禅寺ですが、神仏分離のゴタゴタで酷い目にあった平安期作の行教座像や、
かつて庇護も受けていたという豊臣秀吉の坐像など、寺宝はなかなかにエクセレント。
また、京阪八幡市駅から徒歩5分ほどの参道は、駅前とはとても思えない渓谷が広がり、
「駅前渓谷」の名で静かにその認知度を高めつつあったりもします。
普段は本当に普通の寺であり、寺宝も非公開の神應寺ですが、秋の紅葉まつりではご開帳。
なので、駅前渓谷と紅葉とお宝を、まとめて見に行ってきました。

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東福寺へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年11月26日(金)


東福寺へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

JRは最近、東福寺駅での京阪電車乗換えを推奨してるそうです。
いわく、京都駅からバスに乗り換えて観光地へ向かうと、混むし、非常に時間がかかると。
しかし、一駅だけ奈良線に乗り京阪へ乗り換えると、東山方面へのアクセスが格段に良くなると。
銀閣寺から平安神宮祇園清水寺、そして泉涌寺や文字通り東福寺まで、
駅はちょっと遠いものの、京阪は案外メジャーな観光地を揃い踏みしてる電車なのですよと。
生まれてこの方ずっと「おけいはん」の民である私からすれば、常識以前の話であり、
むしろ何故この便利なルートが今まで認知されなかったのかが不思議という話であります。
誰か、隠してたのか。混雑がいやで、隠してたのか。JRか、京阪か、双方のユーザーかが。
南部の京阪民としては、現在の数倍の観光客が東福寺から乗ってきても、別に問題ありません。
どっちみち、特急で通過してるし。そう、京阪東福寺駅って、特急が停まらないんですよ。
ああ、やっぱりそこか。特急通過駅。確かに、不便。でも、じゃあ停めればいいことなんじゃないか。
何故、停めない。JRは、新快速を停めてる。何故、京阪は各停しか停めない。
JRと、関わりたくないのか。戦前の梅田乗入失敗以来、JRと関わることを避けてるのか。
などと、思うことしきりなんですが、もちろん全てしょうもない冗談です。
観光利用が不安になった人のために付記しとくと、東福寺特急通過は、ホーム長の問題ゆえ。
また、東福寺より上の観光地ゾーンは、特急もほとんど各駅停車。何に乗っても問題ありません。
もし問題があるとすれば、それでなくても紅葉の海が人間の海に化ける秋の東福寺が、
より凄まじい混雑に見舞われる可能性があるくらいでしょうか。
紅葉ピークであったこの日の東福寺は、その危惧が現実化したような混み加減でありました。

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知恩院のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年11月24日(水)


知恩院のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

デカい、とにかくデカい、知恩院
玄関にそびえ立つ国宝・三門からしてもう、デカい。同じく国宝・御影堂もまた、デカい。
大晦日に大勢の坊さんがバックドロップで打つ重文・大鐘楼も、やはり、デカい。
敷地自体も無茶苦茶に、デカい。ついでに、連日信徒さんを乗せてやってくる大型バスも、デカい。
とにかく巨大、とにかくスケールが違う、圧倒的存在感を誇る浄土宗総本山でございます。
ここまであからさまにデカいと、嫌われても不思議はありません。
ステイスモールを美徳とする京都では、嫌われても不思議はありません。
が、知恩院を悪くいう声はあまりないんじゃないでしょうか。むしろ「さん」づけで、親しまれてるような。
偽京都人の私もまた、知恩院が嫌いではありません。というか、結構、好きです。
三門の前を通れば不思議と心が温まり、時間があれば御影堂へ立ち寄ったりもします。
徳川が朝廷を牽制する気満々で再建した、キナくさいといえばかなりキナくさい、巨大伽藍。
似たような目的で築城された二条城には滅多なことがなければ立ち寄らないのに、
知恩院には不思議と親しみを感じるのです。これは一体、何故なのでしょう。
法然上人の深き慈愛が、徳川の思惑など軽々と超え、我々を導いて下さってるのでしょうか。
それとも単に、片方は入城券が必要で、もう片方は参拝無料だからでしょうか。
そのあたりを確かめるために、というのは大嘘ですが、
とにかく割と高価な拝観料をふっかける紅葉たけなわな秋の夜間拝観へ行ってきました。
普段は無料の境内を全域有料化して行われるライトアップ、そのお値段、実に800円なり。
無料でなくとも、知恩院は、法然上人は、慈愛の光を見せてくれるのでしょうか。
 (2012年付記:知恩院は現在大修理中。記事内の友禅苑以外は、当分拝観できません)

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常寂光寺へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年11月21日(日)


常寂光寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

常寂光寺
嵐山から歩くこと2~30分。嵯峨野の奥へ行ったところにある、日蓮宗の寺院です。
藤原定家小倉百人一首を編んだという説もある小倉山の中腹にあって、
嵯峨野、そして京都市街を一望できるロケーションは、それだけで見事。
秋になれば紅葉が全山を包み、紅葉スポット目白押しの京都においても屈指の美しさを誇ります。
加えて、重文である多宝塔、伏見城の遺構を移築した本堂本圀寺から移築した仁王門
運慶作と伝えられる仁王像、独身婦人連盟が建てた共同納骨堂・志縁廟と、見るべきものも多し。
というわけで、まあ、混むわけです。秋はもう、無茶苦茶に、混むわけです。
そもそもは本圀寺十六世日禎が隠棲の地として開いたのが始まりであり、
仏教の理想郷・常寂光土を思わせるところからその名がついたと言われる常寂光寺ですが、
その小さな常寂光土が人間の臭気で雲散霧消するくらい、猛烈に、混むわけです。
孤独を愛する独男にとっては、浄土というよりもはや、修羅の庭。正直、行きたくない。
でも、メジャーどころの単独正面突破をモットーとする以上、逃げるわけにもいけない。
というわけで「日曜+連休中日+紅葉最盛期」と、わざわざピーク中のピークを選び、
血の色に染まる嵯峨嵐山へ特攻をかけてみました。

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鞍馬寺と奥の院と貴船神社へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年11月19日(金)


鞍馬寺と奥の院と貴船神社へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

鞍馬寺。
源義経が幼名・牛若丸の頃、「天狗」に剣術を習ったことで有名な寺ですが、
北部+標高の高さゆえ、市街地より一足早く紅葉が楽しめる点でも親しまれています。
そして、その筋の方々からは宇宙から飛来した魔王尊を祀るパワースポットとしても、人気です。
鞍馬寺、もともとは天台宗の寺でした。が、1949年に鞍馬弘教の総本山として独立。
現在は毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊の三身一体を「尊天」と称し、本尊としてます。
いわく、毘沙門天は太陽の精霊、千手観世音は月輪の精霊、魔王尊は地球の霊王、と。
で、その三つが合体した「尊天」こそが「すべての生命を存在させる宇宙エネルギー」だそうです。
えと、宇宙というのは、何というか、宇宙です。エーテルがあることになってるかもしれない、宇宙です。
私が言ってるんじゃないですよ。先方がそう言ってるんだから、しょうがないじゃないですか。
境内のケーブルに乗ると、豊かな自然を眺めながら「宇宙エネルギー」を説明してくれるのが、
天狗よりも、最近よく出るという熊よりも、ある意味怖い、鞍馬寺。
紅葉スポットは本殿金堂周辺で、紅葉狩りだけならこの辺を見るだけで十分ですが、
もっと山奥に入ると、650万年前に金星人が降り立ったポイントである奥の院魔王殿があり、
そこを巡る山道=奥の院コースもまたハイキングコースとして人気があります。
えと、金星人というのは、何というか、金星人です。六星占術の金星人ではない方の、金星人です。
私が言ってるんじゃないですよ。先方がそう言ってるんだから、しょうがないじゃないですか。
奥の院を抜けると、そこは、貴船。ここも、鞍馬と同時に紅葉シーズンへ入ります。
というわけで、鞍馬・奥の院・貴船を歩き通し、紅葉と金星人をいっぺんに堪能してみました。

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清水寺・2010年秋の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年11月17日(水)

夜の清水寺・夜間拝観の行灯
清水寺の2010年秋・夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

清水寺。
京都の観光スポットといえば、まずはここから始めるしかありません。
春は桜、秋は紅葉、何にもない時でも修学旅行生が溢れかえり、常時フルハウス状態。
正に超メジャー級、キング・オブ・京都観光と呼ぶにふさわしい集客力を誇る寺であります。
そんな清水寺が春・夏・秋と行っているのが、ライトアップ+夜間拝観。
照明が伽藍に及ぼすダメージや信仰上の問題などで、寺の多くが二の足を踏んでた頃から、
観光寺院としての使命感ゆえか、清水寺は率先して夜間拝観を開始。
以後、他の多くの寺もこの流れに追随し、特に東山周辺は何かといえばギンギラギンにライトアップ。
数百円の拝観料だけで宗教的イルミネーションが楽しめるとあって、
「ホテルでコンビニのメシ食う」というチープな入洛者の夜にも、彩りを添えるようになりました。
もちろん、チープな地元カップルや学生カップルにも、このコストパフォーマンスは、魅力的。
光に吸い寄せられる蛾の如くこの手の輩も集結するため、結果として夜の清水寺は、
「観光ハイ+恋愛ハイ+桜 or 紅葉ハイの人たち」が大挙して押しかける魔境となったのであります。
そんな魔境、単身で乗り込んできました。
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