ひとりでうろつく京都 (β版) - 24ページ目 (25ページ中) - 独男が、なるべく人が多い所へ多い時に赴く、修行の如き京都徘徊。現在、ペースダウンからのリハビリで記事制作中。 ひとりでうろつく京都 (β版)

清水寺・2011年花灯路協賛の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月13日(日)

夜の清水寺を奥の院から望む
清水寺2011年春の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災発生から、2日目。
桜の開花には早く、咲いたら咲いたでまた本格的な夜間拝観を行なう清水寺が、
中途半端なこの時期にライトアップを行なうのは、東山花灯路との連携のため。
花灯路は中途半端ゆえ観光客が減るこの時期に、集客力を上げようと企画された営業イベント。
宗教的必然性は、いつもに増して、薄い。でも、やると。
関西からの送電を阻む、50Hzと60Hzの壁。変電所は、すでに能力の限界。
「そもそも東京は電気使い過ぎ」「地方をないがしろにし過ぎ」と憎まれ口も叩きたいところですが、
言うまでもなく原発に関しては京都・大阪も事情は大して変わりません。
それに、在京の知り合いが見せる尋常ではない凹み加減、余震による疲労を超えた、
何か異常な精神的ダメージを目の当たりにすると、私も心が痛みます。
現状、手が出ない。なので、とりあえずやめとくか、それとも敢えてやるか。
清水寺は、後者を選んだようです。今夜もビーム、京の夜空を一直線に貫いています。

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京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月13日(日)

東山花灯路・二年坂
京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災が発生した3/11から、2日目。
明治以来の観測史上最大、マグネチュード9という無茶苦茶な地震、
日本最高度の津波防災力を持ってたであろう三陸地方を一瞬で飲み込んだ津波、
そして天災によって引き起こされた人災である、原発の爆発事故。
阪神の時とは違い、いまだ災害の全容さえつかめないほど被災地は広範であり、
そして言うまでもなくそのほとんどの地域で電気を含むライフラインはストップしてます。
電力不足により、翌14日からは首都圏でも計画停電が行われることが、決定。
そんな状況の中、大量の行灯を点灯する閑散期集客行事・京都花灯路は、始まってしまいました。
ご存知のとおり、東日本と西日本では交流の周波数が異なるため、直接送電ができません。
周波数変換した上での送電量MAXは、100万キロワット。対して、不足は1000万キロワット。
どうにもならん、と。ならば敢えて開催し募金を集めようではないか、と考えての開催だそうです。
ただし、公式ブログでも翌日以降どうなるかわからんと明記されてますし、
現場で歩いてる時も「今日で終わりらしい」という声を何度も聞きました。
そんな花灯路、行ってきました。

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下鴨神社の流し雛へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月3日(木)


下鴨神社の流し雛へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

流し雛。雛祭りのルーツといわれる行事です。
3月3日の上巳 or 桃の節句に、紙で作った人形へ己の穢れを移し、川や海へ流す。
そのことにより無病息災を祈願するという、実にお祓いスピリットあふれる風習であります。
元は 「上巳の節供」 なる中国の習慣だったそうですが、日本でネイティブなお祓い魂と、野合。
さらに時代が下って室町時代になると、貴族間の子女が行われていた 「ひいなあそび」 とも、野合。
もっと時代が下ると、武家や庶民の間でも 「雛祭り」 が行われるようになり、人形もゴージャス化。
ゴージャス化したら流すわけにもいかず、流さないとなればさらにゴージャス化は勢いがつき、
家の財力を誇示するアイテムに成り下がった雛壇からは、本来のお祓い魂は何処かに忘れ去られ、
ついでにユニセックスだったのも女子専用と化し、雛祭りは現代へ至るわけであります。
流し雛は、そうなる前のプロトタイプ。Zガンダムでいうところの、百式 or メタスです (意味不明)。
この風習、地方へ行くとかなり現存してるようですが、京都にも残ってます。
有名どころでは、下鴨神社で人形業者が大々的にイベント化して行われる、流し雛でしょうか。
イベント正式名称、 「京の流しびな」 。「雛」 の漢字忌避に、早くも女子感が漂います。
「雅」 全開の平安時代には、女子専用どころか闘鶏見て盛り上がってたという桃の節句ですが、
現在の現実としてはあくまで、女の子のお祭り。そこへ行こう、と。ひとりで行こう、と。
不審者扱いされるんじゃないだろうか。変質者扱いされるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、一人囃子で糺の森を歩いて行ったのです。

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真如堂の大涅槃図特別公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月27日(日)


真如堂の大涅槃図公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

真如堂。正式名称、真正極楽寺
本堂の呼び名が本名より有名になり定着してしまった、天台宗の寺院です。
天台系では京都市内最大の本堂、渋い美を誇る三重塔、秋には紅葉が燃え上がる境内と、
見所が多いにも関わらず拝観は基本的に無料、ゆえに秋の混雑は年々増す一方の寺であります。
えらく気前がいいですが、何故かといえば、ここには三井家という大檀家がついてるから。
江戸前期に家の本拠地を京都へ移し、のちの三井財閥に繋がる豪商への道を開いた三井高利は、
この真如堂が気に入り、自分の墓をここへ建てることを希望、実際に埋葬されました。
で、それ以来、実に現在に至るまで、三井家は真如堂の大檀家であり続けてるわけです。
もちろん、寺の維持のためにしかるべき金額の御布施が納められてるのでしょうし、
そのおかげで平民の我々は無料で散歩したり、暇をつぶしたり、猫と遊んだりできるのでしょうが、
三井家は重要な文化アイテムもまた真如堂へもたらしてます。その代表が、大涅槃図。
釈迦入滅の様を描いた大涅槃図といえば、京都では東福寺や泉涌寺のものが有名ですが、
三井家の女性たちの寄進により江戸中期に制作された真如堂の大涅槃図も、なかなかに立派。
厭求や海北友賢らに実作が委ねられた縦6メートル、幅4メートルの図は、
釈迦の命日である旧暦2月15日前後に公開もされています。で、それを見に行ったと。
この時期限定で授与される 「花供曽」なるあられ、そして真如堂名物の猫と共に、
仏の慈愛と三井家の偉大さをじっくりと感じ取っていって下さいませ。
あ、ちなみに大涅槃図の拝観は無料ではなく、有料です。

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北野天満宮の梅花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月25日(金)


北野天満宮の梅花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

学問の神様と呼ばれる、平安時代のエリート・菅原道真。
実際に頭が良く有能であり、それゆえ家格を超え右大臣にまで昇進した、菅原道真。
しかしそれが面白くない藤原時平により謀略を企てられ、大宰府へ流され、死んだ、菅原道真。
生きてるうちは配流も困窮も我慢した道真でしたが、死後は雷神と化し、京の街を呪いまくり。
首謀者・時平のみならず、陰謀関係者各位へ片っ端からヴードゥースプラッターをお見舞いし、
ビビりまくって名誉回復を決めた朝廷にもブチ切れ、遂には雷で御所をストライクアタック。
焼死体続出の惨状を見せつけられた醍醐天皇は、のちにショック死。
頼むからもう勘弁してくれと、朝廷は道真を主祭神とする北野天満宮を造営。
で、道真の命日である2月25日には、道真が愛した梅を大々的にフィーチャアした祭りを開催。
それが、この梅花祭なのであります。恐るべき因縁を持つ祭なのであります。
なので、本来は呑気に梅の観賞などをしてる場合ではありません。
縁日に並ぶ露店で、呑気に鯛焼きや回転焼きなど食ってる場合でもありません。
何故か毎回やってきて、楼門前に陣取る富山ブラックラーメンを食ってる場合でもありません。
ちゃんとお参りしないと、呪われるのです。雷を落とされるのです。大変なのです。
で、私は祈ってきました。祈るためだけに、天神さんへ出かけてきました。
偉いのです。真面目なのです。そしてひょっとすると、暇なのです。

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涌出宮の居籠祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月19日(土)


涌出宮の居籠祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

涌出宮の居籠祭。
読みは、「わきでのみや」 の 「いごもりまつり」 。
京都府南部も南部、もう奈良の方が近い木津川市山城町にある神社・涌出宮の、
平安時代や奈良時代はおろか、縄文レベルの伝統を継承してると考えられている神事です。
奈良時代に伊勢から天乃夫岐賣命が飛んできて創建されたという涌出宮ですが、
近年の発掘調査では、境内から縄文 & 弥生時代の生活 & 祭祀を示す遺物が多数、出土。
いにしえより何らかの生活と、祝祭が行われていたことが明らかとなり、
居籠祭は、古代日本の神祭りが天然記念物的に残ったものと見なされるようになりました。
その内容は、神様を迎え豊作を予祝するという、実に日本の魂を感じさせるテイスト。
「いごもり」 という不思議な名前は、深夜に行われる 「神迎えの森まわし」 などの際に、
氏子たちが家に籠もり、神を見ることを厳重に禁じられていることに由来します。
音を立てることもまた厳重に禁じられるため 「音無しの祭」 という別名までついてますが、
とにかくハードな潔斎と物忌みを現代へ伝える、とんでもない祭りなわけです。
で、そんな祭りへ興味本位でノコノコ出かけ、見てはならぬものを見ちゃったのかといえば、
もちろん、そんなことはありません。そもそも、見たら 「目がつぶれる」 らしいし。
居籠祭は3日間に斎行され、私が見物させてもらったのは2日夜の 「門の儀」 と 「松明の儀」 。
前者は迎えた神を宮座が饗応する儀式、後者は神火で旧年の穢れを祓う儀式であり、
もちろん 「いごもる」 わけではなく、松明が大炎上のなかなかなお祭り状態です。
それに、出かけてきました。ほとんど火を見に行っただけの感じですが。

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阿含の星まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月11日(金)


阿含の星まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

阿含の星まつり。
名前の通り、かの阿含宗が開催する宗教行事であります。
何故、阿含宗の行事を京都でやるのかといえば、総本山が京都にあるからであります。
清水寺の向こう、心霊スポット・旧東山トンネルの奥にゲートがある、総本殿・釈迦山大菩提寺。
単なる山奥みたいなその聖地に於いて、毎年建国記念日に行われるのが、星まつり、と。
正式名称である 「炎の祭典・阿含の星まつり 神仏両界大柴燈護摩供」 の通り、
総本山境内地にて超巨大護摩が、大炎上。それも、神仏両界分2つの超巨大護摩が、大炎上。
その浄火は、民の業苦を焼き尽くすかのように天空へ向け高く高く舞い上がり、
その煙は、遠く離れた市街地からでも確認できるほど迷惑、もとい、物凄かったりします。
しかし、星まつりが真に凄いのは、その圧倒的な動員力。参拝者は、何と50万人にも及ぶとか。
ちなみに、かの祇園祭・宵山の動員数でもだいたい、40万人。余裕で越えてるのです。
観光都市・京都にあって、数字が本当なら最大級のイベントである、星まつり。
その割には、観光案内各種では黙殺され味なのは、何故なんでしょう。不思議だなあ。
煙のみならず花火もバンバカ上がるわ、京都駅では山伏がウロウロしてるわ、
黙殺しようのない有様ながら、でも黙殺気味なのは、何故なんでしょう。不思議だなあ。
そのあたりの不思議さを探るため、というのは嘘で本当は純粋な興味本位で、
京都駅発着のシャトルバス乗り場へ早朝から出向きました。

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2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【2】

2011年2月3日(木)


2011年の節分めぐり、続きです。

【1】 聖護院の追儺式平安神宮の古式な大儺之儀廬山寺の鬼踊り
【2】 須賀神社で懸想文売り冷やかし藤森神社で鬼大暴れ吉田神社で沈没

の 【2】 、興奮と徒労が燃え上がる様、ご覧下さい。

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2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【1】

2011年2月3日(木)


2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

【1】 聖護院の追儺式平安神宮の古式な大儺之儀廬山寺の鬼踊り
【2】 須賀神社で懸想文売り冷やかし藤森神社で鬼大暴れ吉田神社で沈没

の 【1】 、鬼と豆と中高年が大興奮の節分スペクタクル、とくとご覧下さい。

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吉田神社の節分祭・追儺式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月2日(水)


吉田神社の節分祭・追儺式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京の町の節分に初めて触れたのは、京都へ来て間もなくの、寒い日のことだった。講師として通って
いた女子高校からの帰り道、そのころはまだ東大路を走っていた市電の中で、何か異様な熱気を感
じた。ふと外へ目をやると、いつもは人影もまばらなはずの吉田神社の参道が、彼方まで人の波に
埋め尽くされていたのだった。道路はいつになく渋滞しており、当日だけ運行されるという吉田と壬生
間を結ぶ臨時バスに、年配の人たちが我先にと乗り込んでゆく ━━━そういえば数日前の新聞に、
各寺社の節分の参詣の案内が一斉にでてたっけと、ようやくことの次第を理解したのだった。

(真矢都 『京のオバケ』 より)

吉田の節分は、異常です。
ネイティブの人には自然かも知れませんが、部外者には凄く異常に見えます。
都の表鬼門の守護神として創建され、 厄除けの神様として現在も篤い信仰を集める、吉田神社。
旧暦が密かに生き続ける京都に於いて「本来の大晦日」たる節分に行われるその節分大祭は、
極めて気合の入ったものであり、裏鬼門・壬生寺の節分会と共に高い集客力を誇ってます。
が、壬生寺がネイティブさでは圧倒的ディープネスを放ってるのにも関わらず、
吉田の節分はそれを遥かに凌ぎ、異常です。何が異常かといえば、熱狂の温度感かなと。
この日の追儺式など、殺人的混雑が出来してます。しかし、どこかみんな、醒めている。
それも現代人として醒めてるのではなく、何か別の所で醒めてる感じが、凄くする。
その感じが、他にはない、吉田の節分独特の不気味さと魅力を生んでるような気がします。
そんな違和感も楽しみながら、古式に則った追儺式を存分に堪能したかといえば、
ひたすら殺人的混雑に振り回されただけで終わったわけですが。

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一休寺の一休善哉を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月30日(日)


一休寺の一休善哉の日へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

一休さん、一休和尚、一休禅師、一休宗純
呼び方は何でもいいですが、とにかく超知名度の高い禅僧であります。
アニメ 『一休さん』 の 「気にしない、気にしない。一休み、一休み」 でも有名ですが、
そのはるか以前、それこそ本人存命中の室町時代から、民衆の支持が極めて厚い僧でした。
といってもその人気は、頓知の明晰さや徳の高さといったノーマルな敬意というより、
一休さんがやらかしまくった、およそ名僧らしからぬアブノーマルな奇行に由来するもののようです。
後小松天皇の落胤として生まれ、6歳で仏門へ入った頃こそ正常な天才少年でしたが、
17歳で宗純と改名してからは、自殺未遂をやらかす、カラスの鳴き声で悟りを開く、
大事な文書を平気で燃やす、木刀を差して街をうろつく、他所の寺の仏像を枕にして寝るなどなど、
御落胤でなければ只事では済まないであろう無茶な風狂の限りを尽くしました。
また、パーソナルライフの方も負けず劣らず無茶苦茶であり、
酒は飲むわ、肉は食うわ、女は犯すわ、男も犯すわと、異常なフリーダム状態で異常に長生き。
最後は50歳下の女と愛欲の限りを尽くし、「死にとうない」 と悟りの欠片もない言葉を残し、
老衰でも腎虚でもなくマラリアで死去。凄い、とにかく凄過ぎる。
京田辺市の一休寺は、そんな無茶苦茶な一休さんが無茶苦茶な晩年を過ごした寺。
毎年1月最終日曜日には 「一休善哉の日」 として、善哉を接待してくれたりもします。
で、それに行ってきました。あ、接待といっても、有料ですけどね。
奉納料、1000円なり。何か割高ですが、気にしない、気にしない。一休み、一休み。

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狸谷山不動院の初不動へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月28日(金)


狸谷山不動院の初不動へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「効き目が強いパワースポットは、都の周辺部に多い」。
「パワーを通り越して霊気そのものを発する妖しいスポットも、都の周辺部に多い」。
興味本位の軽い気持ちで京都のパワスポ巡りや恐怖スポットへ出かけたことのある人なら、
そんなことを思うかも知れません。実感として 「ちょっとアクセス不便なとこ、多いなあ」 と。
もちろん、本当にヤバい所というのは、京都市街の中心部にもいくらでもあります。
郊外のその手の物件は、土地取得が容易だったり、放置 or 廃棄が容易だったりするために、
ヤバさがド派手化 & 大型化して、わかりやすい形になっただけとも言えます。
しかし、「ちょっと不便」という距離感そのものが魅力の根源になってるとも考えられるのであり、
スポットの強度や性質もまた距離に規定される、と思えないこともありません。
「ちょっと不便だけど、頑張って行った」 という行為によって何かが救われるタイプの、思い。
逆に頑張り過ぎてマジな修行の領域に入ると、全部が昇華されてしまいそうなタイプの、思い。
一乗寺から坂を上った先の山奥にあり、パワースポットを自認している狸谷山不動院は、
そんな距離感の思い・願望を、真正面から受け止めている寺ではないでしょうか。
本尊・咤怒鬼(たぬき)不動明王から来る「他抜き」 という語呂合わせな勝負の願いから、
ガン治癒祈願、そして自動車祈祷と、そのご利益は極めて切実、かつ現世的。
桓武天皇の勅命で建てられながら、戦後に至ってようやく本格的に復活したという経緯もあり、
より 「今」 な問題へ向き合う姿勢を打ち出し、それにより多くの信奉者を集めています。
そんな狸谷山不動院の一年で最初の縁日が、初不動
大護摩供養が行われるんですが、その火で暖められた笹酒が無料で振舞われます。
しかも、おかわり自由。「狸谷飲放題」 という異名もあり。行くでしょ、そりゃ。

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法界寺の裸踊りを見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月14日(金)


法界寺の裸踊りを見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

褌一丁で歓喜に沸く男たちの姿。
それは、男子の草食化が嘆かれる現在でも、決して珍しいものではありません。
神事、仏事、祭り、その他その他。季節の折々に、全国からそんなニュース映像はやってきます。
しかし「裸踊り」で検索をかけると、最初に出てくる仏事は、この法界寺の裸踊り。
あとは、どっかの自称宇宙人が国会の中で裸踊りをやらかしたとか、
結婚式の余興で裸踊りを試みる馬鹿をどう止めたらよいかとか、そんなしょぼい話ばかりです。
野趣溢れるワイルドな裸踊りの躍動を伝えるページは、意外と見当たりません。
どうしたんだ。いったい、どうしたんだ、裸踊り。
京都の比較的マイナーな祭事に天辺を獲られるほど、弱体化したのか、裸踊り。
それともいわれのない偏見により、グーグル八分でも喰らってしまったのか、裸踊り。
いや、でも、ひょっとすると、ただ裸の男が踊るだけの裸踊りは、案外珍しいのかも知れません。
護符や宝木を奪い合うわけでもなく、火の粉を浴びるわけでもなく、滝に打たれるわけでもなく、
ただただ大量の男たちが下帯姿でお堂に現れ、ただただ踊る。
修正会の精進潔斎と豊穣祈願、そしてある種のセックス・アピールをピュアな形で見せるその姿は、
本尊・胎内仏が今もディープな子宝信仰を集める「乳薬師」こと法界寺にふさわしいのみならず、
グーグルの評価通り、やはり日本の裸踊りを代表しているものなのかも知れません。
自分でも何言ってるかよくわかりませんが、とにかく裸踊り、行ってきました。

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京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。

2011年1月7日(金)


京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。

お粥は、不味い。
貧乏な家庭 or 料理の下手な家庭に育った人間が抱く、固定観念です。
バリバリの貧乏家庭に生まれ、化学調味料を「おふくろの味」として育った私も、
当然ながらバリバリのお粥ヘイター。「こんなもん、ゲと一緒やんか。食えるかっ」と。
幼少時に瀕死の熱病にかかった際も、断固として普通の米飯を要求した記憶があります。
米飯を湯で崩しただけの「おふくろの味」など食ったら、むしろ体と心に悪いと。
実際、お粥は、不味い。少なくとも、ちゃんと作らないと、不味い。
薄味の出汁のセンスや、米の微妙な崩れ加減を見るセンスが要求されるので、
奥が深いというか、下手すると一般的な料理より作るのが難しいものかも知れません。
野趣あふれる野草を7種類も投入する七草粥になれば、その難易度は更に上がるはずです。
人日(じんじつ)の節句である1月7日朝に食べる、七草粥。
芹・薺・御形・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔を入れた粥を食べ、一年の無病息災を祈ると共に、
正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休め、青物の栄養も取ってしまおうという風習であります。
特に京都ならではの行事でもありませんが、市内のいくつかの神社では接待を展開。
その気になればお粥の食べ歩きなんてのも、できないことはありません。
本当に普通のお粥を他所で食べる機会はあんまりないですから、
お粥の奥の深さを体感すべく、接待めぐり、七草粥食べまくりをやらかしてみました。
件数が多いので、細かい客層は省略+ダイジェスト風でご覧ください。

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2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【3】

2011年1月1日(土)


2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 ラストです。

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2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【2】

2011年1月1日(土)


2011年への年越しを、京都で迎えました。の、続きです。

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2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【1】

2011年1月1日(土)


2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。

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クリスマス早朝の清水寺へ行きました。もちろん、ひとりで。

2010年12月25日(土)

早朝の清水寺・舞台から京都タワーを望む
クリスマス早朝の清水寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

 亡き母からのご縁がふかく、私は三十余年の間、毎朝お参りをさせて頂いております。朝早よう起
きて、祇園さんから二年坂、三年坂、その角の七味屋さんのとこの石段あがって、まだ起きといやし
まへん土産もんのお店のならぶ清水坂をのぼりきると、清水さんの大石段、楼門に、三重の塔を霧
の中に見上げますともう、心のふるさとにきた思いです。音羽の滝のお不動さんに、手をあわして拝
がみ、お水を杓でいただき口に含むときのさわやかさ、いっぺんにゆんべからの気しょくの悪かった
ことも拭うて下さるようにすうっと消え、しゃんとなって八十三段の石段をのぼり、観音さまへ、きんの
(昨日)一日の御礼を申し、今日もまた無事なように願う心のあたたかさは、いいようのない嬉しいも
のでございます。お堂の前の舞台にでますと、晴れた日の春は、紫のうす霧に、西の本願寺さんの
屋根が、浄土にわたる舟のように浮んで見えまして思わず手を合わします。
(古寺巡礼 京都 月報24 清水寺 淡交社 1978 「清水さん」 増田好)

30年以上前の小冊子に描かれた、信仰の対象としての清水寺。
この30年の間にあったバブルや世界遺産認定などが、清水寺とその周辺をどう変えたのか。
生活レベルの信仰はどう変わったのか、あるいは変わってないのか。
そのあたりを確かめるため早朝の参拝を敢行した、というのは、嘘です。
イブに泊まった宿があまりに寒過ぎて寝てられず、運動のために外出しただけです。
が、そこで目にした光景は引用文まんまの世界、清水寺のもうひとつ顔、あるいは真の顔でした。

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クリスマス・イヴの伏見稲荷へ行きました。もちろん、ひとりで。

2010年12月24日(金)


クリスマス・イヴの伏見稲荷へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!!
聞けば、クリスマスというのは、キリストの誕生日ではないんだそうですよ。
2000年も前の大工の子倅が生まれた日なんか、誰もわからんそうです。そりゃそうですよね。
古代ローマの太陽祭に、キリストの生誕祭を乗っけたのが、いわばクリスマスの起源。
習合みたいなもんでしょうか。ローマの祭りですから、乱交も 「込み」 だったのかも知れません。
太陽の復活を祝い、豊穣を祈り、グチャグチャに交じり合う祝祭としての、クリスマス。
それが本当なら、「聖夜は愛する人と二人きり」などと近代的な恋愛観に基づいた戯言や、
「大事な家族と一緒に」などと現代的な家族観に基づいた戯言を言ってる場合ではありません。
入り混じらなければいけないのです。人も神も、見境なく、入り混じろなければいけないのです。
というわけで、大量の神々と全身で交わりまくるべく、聖夜の伏見稲荷を訪れました。
あらゆる御利益神が見境なく溢れる稲荷山ですから、どっかにクリスマスに効く神もいるはずです。
そのクリスマス神へ深き祈りを捧げ、是非ともクリスマス神力を発動していただき、
消費社会の上澄みのみを祝福する現代日本の偽クリスマスを、一掃してもらうのです。
吹けよ、クリスマス神風。唱える祝詞はもちろん、メリークリスマス!!

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PHいずみハウスで聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

2010年12月24日(金)

PHいずみハウスで明石家サンタを見る
クリスマスイヴはお泊まりでした。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!!
と言われても、孤独+社会的プレッシャーとの精神戦のゴングにしか聞こえない皆様、
いかがお過ごしでしょうか。正気は、保たれてるでしょうか。
恋人も友達もおらず、部屋の壁や自分の心の闇をじっと見つめる、聖夜。
危険です。ひょっとしたら真の意味で神に近づいてるんじゃないかと思えるくらい、危険です。
そんなマッドな気分を紛らわすために、イブの京都ひとりお泊りなんか、いかがでしょう。
もちろん、京都といえどクリスマスは多くの宿が満杯です。が、あるところには部屋、あります。
それが、この日泊まった、PHいずみハウス。
一泊1500円という驚異の宿代が、好き者の間で静かな波紋を呼んでいる宿です。
値段を聞くとドミトリー形式の宿をイメージされそうですが、舐めてもらっちゃ困ります。
こちらのいずみハウス、部屋はすべて完全個室。ネカフェのナイトパックを凌ぐ安さなのに、個室。
「孤独がほしくて旅に出てる」「でも確実に孤独な環境を確保するための金はない」
「ドミトリーで人とのコミュニケーションとか、したくない」「まして外人なんか論外」
という我がままな同志たちが、必ずや興味を持つであろうスペックを持つ宿なのです。

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