2011年11月29日(火)

叡山電車のもみじのトンネルをくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。
おとついも来たんですけどね、もみじのトンネル。
でも日曜+紅葉ピークゆえ、なかなかの混雑。ゆっくり楽しむ余裕はありませんでした。
が、20時台に鞍馬行き列車の空き具合を見て、あら、と。時間をずらせば、結構空いてるな、と。
なので、平日に改めて行ってみることにしました。二ノ瀬駅のライトアップも、じっくり見たいし。
京の奥座敷・貴船の秋季集客イベント「貴船もみじ灯篭」に、叡山電車が連携、
鞍馬線の市原駅~二ノ瀬駅間の紅葉をライトアップし、その中を走るという、もみじのトンネル。
そのトンネルを、一日乗車券「えぇきっぷ」を使い、何度も何度もくぐったわけです。
暇だと思いますか。そうですね。こんなサイトを見てる貴方と同じくらい、暇かも知れませんね。
あ、沿線に多くの聖地を持つ『けいおん』の映画版公開がちょうど近づいてるため、
叡電にもあちこちにその手のブツが張り付いてますが、原則、うちでは『けいおん』ネタ、扱いません。
理由は、嫌いだからではなく、あまりにもハマりそうで、何か怖いから。
「独男+音楽ヲタク+聖地が近所+木津川サイクリングロードは歩いていける」な私にとって、
(2012年追記:ついでに作画監督の父親が市長になった)
あれは、ジャンキーの目の前へシャブを超える合成薬物を氷山の如く盛るに等しいのです。
何か、人間じゃなくなりそうな恐怖を感じるのです。だから距離を置いてます。心情、お察し下さい。
というわけで、せめて人間らしくもみじのトンネル連覇、参ります。
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2011年11月27日(日)

貴船もみじ灯篭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
もみじが誘う、恋の道。
「恋の道」と入力したら「鯉の道」と変換してくれたマシンを持つ独男の私には、
実に無縁極まるキャッチコピーを持つのが、貴船の秋の集客イベント・もみじ灯篭です。
春は新緑が輝き、夏は言わずと知れた川床、そして秋は美しい紅葉+冬眠前の熊出没注意と、
季節ごとに豊かな、時に豊か過ぎるほどの自然に恵まれる、京の奥座敷・貴船。
市街地より気温が数度低く、真夏でも涼しいことは有名ですが、そのぶん冬の冷え込みは、熾烈。
ぼたん鍋は美味くなるものの、「ひろや」のように冬季はまるっきり休業する店もあるほどです。
なので、秋の内にちょっとでも稼ごうと考えたのか、2002年から一帯で紅葉のライトアップを開始。
貴船神社、貴船街道の飲食店街、そして貴船への重要なアクセス手段である叡山電車が連携し、
叡電沿線の「もみじのトンネル」から貴船神社奥宮までを、様々な電飾で盛り上げてます。
それが、貴船もみじ灯篭。それが、もみじが誘う、恋の道。
何故「恋の道」かと言えば、光りものへ蛾の如く寄りつくカップルがそぞろ歩くからではありません。
平安時代中期の女流歌人・和泉式部が、夫である藤原保昌との復縁を願い、
縁結びの神でもある貴船神社へ参拝する際、この貴船街道を通ったことに由来します。
「夫と疎遠になったのは、お前が他の男と遊び呆けたからだろ。それでも恋の道ってか」
などということは、大の大人が言ってはいけません。
また、どっちかといえば「恋の道」より、丑の刻参りで歩く「呪の道」がふさわしい気もしますが、
そういうことも、大の大人が言ってはいけません。
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2011年11月25日(金)

鷹峰の源光庵へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
迷いの窓。そして、悟りの窓。
片や人間の生涯の四苦八苦を表す、角窓。片や大宇宙や真理を表現する、丸窓。
禅の哲学を具現化したこの二つの窓で知られるのが、北区鷹峰に立つ禅寺・源光庵であります。
1346年に臨済宗大徳寺二世の徹翁義亨が隠居所として創建しましたが、のちに荒廃。
時代が下って1694年、加賀国大聖寺の曹洞宗僧侶・卍山道白によって再興され、その際に改宗。
再興後に再建された本堂には、廃城となった伏見城の遺構である血天井が流用され、
養源院・宝泉院・正伝寺などと並ぶ「京都血天井めぐり」のスポットとしても、有名です。
禅が全開の、窓。そのピュアな精神性を諸行無常にブーストする、血天井。
そして「鉄道なし+バス少なめ+坂めっさキツい」という、単純にアクセス不便気味な立地条件。
本来は、なかなかに渋好みな寺なわけです。実際、普段は本当に渋好みな寺なわけです。
が、秋になったら窓の向こうに紅葉が見えてしまうもんから、もう大変。
額縁効果が効いた紅葉を見よう or 撮ろうと、観光ハイで生老病苦も忘れたツアー客の方々が、
大型バスに乗り大挙してやってくるスポットになり果ててしまうのであります。
そんな源光庵、今年は今いちではあるものの、わざわざ紅葉のピークに訪れてみました。
人間だらけの状況で、迷いの窓と悟りの窓は、どんな相貌を見せてくれるでしょうか。
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2011年11月25日(金)

曼殊院の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
男は黙って、曼殊院。
といっても、別段しょうもない冗談を言いたいわけではありません。
それくらい、男好きのする寺だと言いたいだけです。そう思うのは、独男だけかも知れませんが。
修学院離宮のすぐそば、比叡山麓の一乗寺に建つ天台五門跡のひとつ、曼殊院。
戦国時代に慈運法親王が入寺したことで門跡寺院となったこの寺は、
江戸前期に至り良尚法親王を迎えたことで、ミニ桂離宮とも言われる伽藍を誇るようになります。
日本の「美」が凝縮された桂離宮、それを造った八条宮智仁親王の次男である、良尚法親王。
その幅広い識見と創意は、庭園や茶室のみならず寺の建物全てへと行き渡り、
貴族趣味が加味された江戸時代初期の代表的書院建築が残されることとなりました。
そんなやんごとなき寺が何で「男好きする」のかと言われたら、私もよくわからないんですが、
多分、美しさの中に殺気があるからじゃないでしょうか。
男にしか察知できない、殺気。それも、権力から遠い男にしか察知できない、殺気。
禁中並公家諸法度で文化事業しかすることのなくなった皇族&公家が抱いた殺気が、
時代を超えて独男の魂に響いてくる、というのはもちろん不遜な不敬で不埒な妄想です。
が、そんな不遜な妄想に独男を誘う妙な色気が曼殊院にあるのも、確かな気がします。
その色気と殺気がより濃厚になるのが、夜のライトアップ。
一応、紅葉シーズンに合わせた夜間拝観ですが、伽藍そのものの方が魅力的なので、
そっちメインでご堪能下さい。今年2011年は、紅葉が全然ですし。
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2011年11月22日(火)

雲龍院の夜間ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
ようやく例年並みに冷え込みつつある、2011年晩秋の京都。
晩秋、そう、晩秋なんですよね、もう。ですが、紅葉の方はあまり進んでません。
洛北あたりは相当いい感じに色づき始めたようですが、それより以南は、まだまだ。
にも関わらず「京都駅から一番近い東山の奥座敷」、南も南の雲龍院へ行ったのは何故かといえば、
あの辺、寒いんですよ、山だから。あと、秋のライトアップが25日までだし。
雲龍院。皇室の菩提寺である御寺・泉涌寺の塔頭にあらずして、別院、別格本山。
泉涌寺と同じく皇族とのゆかりが深いことから、見た目は塔頭ながらも、別格扱いとされてます。
南北朝時代に後光厳天皇の勅願で建立され、北朝歴代の御尊牌を霊明殿に奉安、
後円融天皇の発願で写経道場も作られますが、応仁の乱などの戦乱で何度となく焼亡しまくり。
江戸時代の始めになって、中興の祖・如周宗師により写経道場が現在地に再建され、
その再建のスポンサー・後水尾天皇からは、現在も使われる写経会の仏具が寄進されました。
雅であります。やんごとなきであります。そして、別格であります(意味不明)。
雅なる写経、最近では体験型観光の人気コンテンツになってますが、夜間営業はなし。
かわりに、徳川期の武家茶席・通称「おぶけ茶席」を、有料オプション1000円なりでいただけます。
が、武家でもなく茶の心得もない私は、別格である夜の紅葉のみを拝ませていただきました。
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2011年11月20日(日)

相生餅・新町店であん餅うどんを食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
「あん餅うどん」。
そう聞いて、かなくま餅福田の「あん餅雑煮うどん」を思い浮かべたあなたは、うどん者ですね。
アンコの入った餅を白味噌で煮込む、香川独特の郷土料理・あん餅雑煮。
それを強引にうどん化した西讃の猛者、香川県観音寺・かなくま餅福田の「あん餅雑煮うどん」。
私、数年前までは最低でも月一、下手すると毎週渡讃してたほどのうどん好きでして、
かなくま餅福田のある観音寺へも、何度となく足を運んでます。
「かじまや」 「大喜多」 「柳川」に始まり、 「まり」改め「ゆり」の味噌汁うどんまで食いましたが、
結局今に至るまで「あん餅雑煮うどん」には手を出してません。
理由は、怖かったから。香川が嫌いになりそうで、怖かったから。
餅を入れるのはともかくとして、よりによって、餡餅って。甘いもん、放り込むって。
でも、よくよく考えてみたら、京都の餅系食堂ではワシ、うどんとおはぎを普通に食っとるな。
それも、順番に食うんと違うて、ごっちゃに食っとるな。で、うどんと甘味って結構、合うわな。
そう思い至ったのは、経済的にも時間的にも容易に渡讃ができなくなってた頃でした。
日ごと高まる「あん餅雑煮うどん、結構イケるんちゃうやろか」の思い。
しかし今の私には、観音寺はあまりにも遠い。
18切符を使うと、姫路岡山間がつらい。フェリーは、爆音で2度鳴る「風が恋を運ぶ~」がつらい。
なので、かなくま餅福田の代わりに、北大路新町の相生餅へ行くことにしました。
そして、京都の「あん餅うどん」なるものを食すことにしたのです。
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2011年11月20日(日)

実相院のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
秋に全然なってくれない、2011年の秋。
11月も下旬だというのに、昼間は未だにシャツ1枚でも汗ばむ陽気が続いてます。
もちろんこの気温では紅葉も進まず、例年なら真っ赤に染まるはずの葉も、青きこと、春の如し。
先週は周山街道を北上して神護寺まで行きましたが、そこでさえまだ三分から五分の色づき。
じゃあ今度はもっと北へ行ったろかいとも思いましたが、足代がかさむので早々に止め、
そこそこ北にある実相院へ行ってみました。地図上では神護寺より実相院の方が北ですが。
実相院。岩倉にある、天台宗の門跡寺院です。またの名を、実相院門跡 or 岩倉門跡。
皇族とのゆかりは江戸初期に現在地へ移転してから特に深まり、「忍」の後水尾天皇もしばしば御幸。
皇孫の入寺も続き、1720年には東山天皇中宮の承秋門院の大宮御所旧殿を賜りました。
四脚門・御車寄・客殿といった重要な建築遺構は、善阿弥の孫の又四郎の作と伝わる庭園、
そして各室にはりめぐらされた狩野永敬をはじめとする狩野派の襖絵などとともに、
優雅な女院御所の佇まいを老朽化に耐えながら保っています。
岩倉というのは、北山から宝ヶ池や国際会館をさらに北上したエリア。
現在はかなり宅地化されてますが、それ以前は寺以外は農地ばかりだったところであり、
ゆえにテロられるのを恐れた幕末期の岩倉具視がしばし「忍」してたことでも知られる土地ですが、
とにかくここなら紅葉が拝めるはずだろうと、出かけました。
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2011年11月13日(日)

神護寺の金堂夜間拝観とライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
暑いです、2011年の秋。
暦の上ではすっかり紅葉シーズンですが、京都市街地のもみじは今だ色づく気配さえなし。
なので、市街地よりも早く紅葉が拝める洛北・高雄の神護寺へ行ってみることにしました。
宇佐八幡宮神託事件の巨根坊・道鏡と闘った和気清麻呂の私寺・神願寺が、
平安以前より山岳信仰が根づいていた高雄山寺と、ドッキングして生まれた、神護寺。
住持した空海によるライバル最澄への潅頂でも知られる、新仏教興隆の基礎を築いた寺です。
が、神護寺といえば、そんなプレ平安期 or 平安初期のパイオニアたちのみならず、
平安末期~鎌倉初期に大暴れした中興の祖・文覚上人でも有名かも知れません。
武士時代に同僚の嫁・袈裟御前へ手を出し、手を出すのみならず「俺と一緒になれ」と迫り、
困った袈裟御前に「旦那を殺して」と言われ意気揚々と太刀を振るえば当の袈裟御前を殺してしまい、
逃げるように仏の道へ入り、でも煩悩は全然消えず武者修行ならぬ無茶修行をさんざんやらかし、
その勢いで神護寺再興を後白河法皇に強訴し、強訴し過ぎて伊豆へ流罪になり、
流罪先で流罪仲間の源頼朝に「やってまえ」と決起をけしかけ、鎌倉幕府成立の道を開いた、文覚。
実にとんでもない奴ですが、そのとんでもない奴が再興した神護寺もまた、
なかなかにとんでもないシチュエーションを誇ってます。一言で言うと、参道、過酷。
で、過酷だけど、煩悩も色濃く漂ってるという。文覚っぽいといえば、文覚っぽいかも知れないという。
そんな神護寺の夜の紅葉、秋感の全くない汗だく状態で見てきました。
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2011年11月13日(日)

北野白梅町のだいりき亭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
北野白梅町といえば、イズミヤです。
嵐電・北野白梅町駅に隣接する、というより圧倒するようにそびえ立つ、イズミヤ白梅町店。
私、ここのトイレをよく借ります。といっても、別段このへんに用事が多いわけではありません。
が、散歩でウロウロしてる時などに立ち寄る回数は、妙に多かったりします。
何か、足が向くんですよ。そこら中にある公衆便所や観光トイレではなく、イズミヤに。
何にそんなに惹かれるかといえば、あの郊外感ではないかなと。
郊外型スーパーが希少な京都市内中心部にあって、堂々と凡庸さを誇る、その雄姿。
郊外に住む私には、その凡庸さこそ馴染むというか、ライフラインが繋がった感慨さえ抱くんですよ。
あと、京都の公衆便所にはちょっとした個人的トラウマもあるし。
梅小路公園のトイレで大いなる用を足してる時、壁の上からこちらを覗く同性の方と目があって以来、
私、京都の公衆便所が苦手です。全くどうでもいいことですが。
そんな(どんなだ)イズミヤ、そしてそんなイズミヤのある北野白梅町。
商店街との闘争を呼んだこの大型スーパーも、今となっては昭和の動態保存に見える現代にあって、
「街」の象徴ともいえる餅系食堂はしっかり、健在。その名も、だいりき亭。
力餅→大力餅→大力という流れを確信させる店名ですが、全然関係なかったら、ごめんなさい。
神護寺ライトアップへ向かうバスを待つついでに、寄らせてもらいました。
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2011年11月3日(木)

東九条マダンへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都駅八条口から徒歩数分の場所にある、京都最大のコリアンタウン・東九条。
東九条マダンは、そこで開催される地域の祭りです。東九条마당。今回で19回目。
全くどうでもいい個人的事柄ですが、私、このあたりをよく歩きます。
といっても、特に東九条に用事があって歩くわけではありません。
京阪八幡から京都駅へ行く場合、「丹波橋で近鉄」か「東福寺でJR」乗り換えが常道なんですが、
乗り継ぎ分の電車賃を惜しみたい場合、あるいはちょっと歩きたい気分の時などに、
東福寺か七条から歩くわけです。東福寺からなら東九条を、七条からなら崇仁を、テクテクと。
八幡に住み、金を惜しみ、時間を惜しまない私は、かなり高い頻度でここを歩きます。
ネット界では、言及されることが多い割に実地へ赴いた話が少なかったりするエリアですが、
南部の辺境に住む私にとっては、ここがいわば「みやこ」の入り口。
ここを基準にして京都という街を眺める習性みたいなのも、ちょっと、あったりします。
私だけの話ではありません。新幹線で京都入りする人にとっても、ここは「みやこ」の入り口です。
人の住む街を「そうだ」呼ばわりしながら入洛する際、ここを通ってるのです。気づいてないだけで。
そんな話はともかく、東九条マダン。
韓流の趨勢を先取りするように、19年前から多文化共生を打ち出してきたマダンですが、
今年も歌や踊りの民俗芸能はもちろん、アーティストの公演など盛りだくさん。
私は昼過ぎから、もっぱら食い気メインで寄せてもらいました。
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2011年10月29日(土)

京都市美術館で行なわれた岡崎ときあかりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
明治28年、京都復興を賭けた平安遷都1100年祭開催にあたり、
本来の平安京大極殿の場所だった千本丸太町付近に、レプリカ建造が提案されました。
が、市街地化してたため、断念。代わりに選ばれたのが、当時は田んぼだらけだった、岡崎でした。
田んぼだらけといってもこのエリア、近くで琵琶湖疎水が開通し、水と電気は極めて、豊富。
京都の近代化をアピールするイベント開催にはうってつけの場所となり、
また、イベント終了後も大箱の近代建築をぶっ建てるのには最適のロケーションということで、
図書館・勧業館・公会堂などの文化施設が次々と建てられました。
昭和8年に建てられた大礼記念京都美術館、現在の京都市美術館も、そのひとつ。
京都で行われた昭和天皇即位の大礼を記念して開設され、
戦後は表札から「大礼記念」を外して近・現代美術の舞台としての役割を果たし続けてます。
今回の「岡崎ときあかり」は、そんな美術館の壁へプロジェクション・マッピングなるものを投影、
昼間とは違う夜の美しさを見せることで、岡崎全体を活性化させようというものです。
プロジェクション・マッピングとは、建物の形状に合わせてデザインした映像を照射するもの。
要はライトアップの客寄せイベントですが、見るだけならタダなので、のこのこ出かけてみました。
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2011年10月29日(土)

八坂倶楽部での京都国文・食文化の祭典へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
国民文化祭とは、日本中でいろいろな文化活動に親しんでいる個人や団体が集まって、日ごろの成果や実力を披露するため、全国各地から多くの「文化」や「人」が集まる「日本最大の文化祭典」です。昭和61年からの毎年、各都道府県持ち回りで開催されてきたこの国民文化祭が、平成23年京都府で開催します。音楽、舞踊、演劇、美術、文芸などの芸術文化から伝統文化や生活文化、さらに特色のある開催地独自の文化まで、盛りだくさんの催しが開催期間中に次々と繰り広げられ、国内外から参加者・観客が集まります。府内一円で約70もの文化イベントを開催します。この機会に、皆さんの「文化」を再発見してみませんか?
(国民文化祭とは | 第26回国民文化祭・京都2011 – こころを整える~文化発心)
まとめるのが面倒くさいから、公式サイトから丸写ししたった・・・。
国民文化祭、略して国文。興味ある人は、あまりいないでしょう。私も全然、ありません。
が、2011年の開催地は、京都。文化が売り物というか、ほとんど文化しか売るもんのない街・京都。
京都市のみならず京都府全域で、それなりに力の入ったイベントが用意されてて、
祇園甲部歌舞練場の隣、八坂倶楽部で行われた『食文化の祭典・京料理』も、そのひとつです。
内容こそ「有名店による料理の実物展示+式包丁や京菓子作りなどの実演」という、
毎年12月にやってる「京料理展示大会」みたいなもんですが、場所が違いますよ、場所が。
京料理にも名店にもさほどの関心はございませんし、ご縁はもっとございませんが、
八坂倶楽部の中はちょっと見てみたくて、場違いモード全開で出かけてみました。
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2011年10月23日(日)

時代祭の神幸列を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。
コスプレパレードと揶揄されがちな時代祭ではありますが、
行列の最後列には、平安神宮の祭神・桓武天皇&孝明天皇の御輿がしっかりとついてます。
たとえ明治時代に行われた第一回目が純然たる集客イベントの純然たる余興であったとしても、
現在の時代祭は天皇の御霊をいただく、れっきとした神社のれっきとした祭りというわけです。
その時代行列、ご存知のとおりスタート地点は平安神宮ではなく、京都御所。
で、これも言うまでもないことですが、時代祭は京都御所の祭ではありません。
つまり、あの行列は「神霊が御所へおいでになり、神宮へ帰る」という、還幸にあたります。
還幸があるなら、本来は神幸も、あるはず。いわゆる「おいで」が、あるはず。
「ええ加減にせえ」と交通渋滞にブチ切れる市民を考慮して省略したのかと思いたくなりますが、
実際には時代祭においても、神幸はしっかり行われてます。祭の当日、午前中に。
それも、稲荷祭みたいにトラックへ神輿を載せてピャーっと運んでしまうようなものではなく、
ちゃんと人力で御鳳輦を押し、えっちらおっちらと御所まで運ぶスタイルで。
三大祭のひとつでありながら、葵祭&祇園祭に比べると、もうひとつ盛り上がりに欠ける、時代祭。
でも、やることは、やってるのです。で、やることやっても、やっぱり、盛り上がらないのです。
その辺の温度感が、ある意味本編よりも如実に感じられる、神幸列。
行った動機は本編スタートまでの暇つぶしでyはありましたが、とにかく見てきました。
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朝も、ひとり,
★★★★,
ひとりで京都の三大祭,
秋も、ひとり,
中京区,
上京区,
左京区,
拝観無料,
祭 | tags:
平安神宮,
神幸祭,
時代祭,
京都御所 |
2011年10月23日(日)

時代祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
時代祭。
言うまでもなく、葵祭および祇園祭と並ぶ、京都三大祭のひとつであります。
が、御存知の方も多いでしょうがこの祭、始まったのは明治の中頃と、割に最近です。
東京遷都で衰退した京都は、地域振興として明治28年に 『平安遷都千百年紀念祭』 を開催。
紀念殿として、5/8サイズの平安京大内裏レプリカが、当時田んぼだらけの岡崎に建設されました。
江戸時代でもかろうじて都の誇りだけは担保してくれていた天皇を遂に失い、
思わずアイデンティティを平安時代に求めてしまった京都人は、その小さいレプリカを、神社化。
祭神は京都への遷都を成した桓武天皇、氏子は京都市民全員、
例大祭は平安遷都の日である10月22日と決められました。平安神宮と時代祭の始まりです。
延暦時代から明治維新までの各時代の装束で都大路を練り歩く時代祭名物・時代行列も、
初回こそ単たる客寄せコスプレイベントでしたが、恒例化&ラインナップも拡充。
市域の拡大につれて徴員される人が増えたり、花街から芸妓さん呼んで婦人列を新設したり、
「逆賊」足利将軍が開催100年目にして参加を許されたりながら、現在に至ってます。
そんな時代祭、御所や平安神宮応天門前で見るのが堅気の楽しみ方ですが、
私は行列と一緒に歩いてみました。全行程4.5キロを、行列から少しずつ遅れて歩いてみました。
「動く歴史絵巻」を、普通の街中を進む絵面ばかりで、全時代、網羅してみようかなと。
ビルや車や通行人などを背景ボカシの彼方へ抹殺して捏造された「雅」さではなく、
「雅」さが普通の街中に転がる京都のストレンジさこそを、感じてもらおうかなと。
曜日問わず22日固定で開催される時代祭ですが、今年は天候不良により、23日に順延。
2011年は、奇しくも三大祭の全てが日曜に開催される年となりました。
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東山区,
ひとりで京都の三大祭,
昼も、ひとり,
★★★,
秋も、ひとり,
中京区,
上京区,
左京区,
拝観無料,
超メジャー級 | tags:
平安神宮,
時代祭,
京都御所 |
2011年10月9日(日)

粟田神社の粟田祭・夜渡り神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
えと、トップ画像で光り輝いてらっしゃるのは、かの法然上人でございます。
法然。もちろん、浄土宗の開祖です。粟田神社のすぐ南にある知恩院の、ラスボスです。
神社の祭のトップ画像がバリバリの仏僧とは、これいかに。
いや、それ以前に何故この法然はこんなにキンキラキンなのかという話ではありますが、
しかし、これが粟田神社の粟田祭なのであります。宵宮の奇祭・夜渡り神事なのであります。
粟田神社は、明治維新の神仏分離までは「感神院新宮」と呼ばれていました。
「感神院」といえば八坂神社の旧名「祇園感神院」が有名ですが、粟田神社はその新宮。
平安時代に朝廷が祇園社へ勅使を派遣、「東北に清浄の地あり」と神託を受け、創建されたわけです。
祇園感神院は、一時は比叡山の門下に寺として入るほど神仏習合が激しい社でしたが、
粟田神社もまたその傾向は強かったようで、社名から祭神から「ご一新」した経緯を持ってます。
が、往時の残り香のようなものは濃厚に残っていて、この夜渡り神事はその典型。
粟田神社名物の剣鉾が知恩院の七不思議のひとつ・胡瓜石の前まで出向き、
出迎えた知恩院の僧たちと一緒に剣鉾&石に祈るという、神仏コラボ祭事を展開してしまうのです。
その名も「れいけん祭」。凄い、何かよくわからないけど、凄いのであります。
2008年からは京都造形芸術大学の学生さんによる、超巨大燈籠「粟田大燈呂」も登場し、
2010年には御覧の法然も団体の枠を越え参戦、何かよくわからん凄さはさらに加速しました。
もとから奇祭だった祭がさらに奇祭化してる様、とくとお楽しみ下さい。
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2011年10月9日(日)

安井金毘羅宮の例大祭・神幸渡御へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「課長と奥さんが早く別れて私と一緒になってくれますように」。実際は、その課長の姓名はもちろん年齢から会社名まで書いてあったのだが、それだけなら珍しくもない不倫成就の嘆願である。祇園に近く水商売関係の参詣者も多いだろう土地柄か、ここに掛けられる絵馬の二割近くが不倫絡みなのだ。問題は奉納者名の後の空スペースに、あきらかに異なる筆跡で記されていた文字である。
「そうはなるものか」。
鉛筆書きの尖った文字が突き刺さっているようであった。 (入江敦彦 『京都人だけが知っている』)
この文章がきっかけになったのかどうかは知りませんが、
とにかく、愛情が呪いの域に達した恐怖絵馬で一気に名を上げた、安井金毘羅宮。
一応、縁結びの神様でもあるわけですが、奉納される絵馬は相変わらず縁切り祈願が大多数。
「あの人と別れたい」「あの人とあの人が別れて欲しい」といったベーシックなものならず、
「あの人がこの世と縁が切れますように」と、現世との縁切りを祈願するものも多数、奉納。
中には、部署名・配偶者名・子供の名前まで記入して「逝ってくれ」と願うものなどもあって、
愛欲に無縁な私にとっては、もはや恐怖を越え、不可解・不条理極まる世界であります。
何でそんなに人が好きになるんだ? 何でそんなに人が嫌いになるんだ?
10月初旬に行なわれる例大祭は、そんな疑問に答えてくれるもの、ではありません。
安井といえば、9月第4月曜に美容業界が定休日返上でバックアップする「櫛祭り」が有名ですが、
この日の祭りは全然オーソドックスな、神輿巡幸。もちろん、縁切り神輿とかも、ありません。
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2011年10月8日(土)

御香宮神社の御香宮神幸祭・花傘パレードへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
御香宮神社。ひらがなだと、ごこうのみやじんじゃ。
晩年の秀吉が半狂乱で誇大妄想を育んだ伏見城へのメインルート・大手筋沿いに立ち、
伏見城がぶっ潰れた後はその大手門を移築して表門とする、名実ともに伏見を代表する神社です。
といっても伏見城の築城とともに社ができたではなく、創建はその遥か昔の平安時代。
地元の氏子さん達による崇敬も太古の昔より篤く、伏見九郷の総氏神として、
また神功皇后が主祭神の安産の神様として、現在も「ごこんさん」の愛称で親しまれてます。
毎年10月初頭に行なわれる神幸祭は、そんな御香宮神社の例大祭。
「伏見祭」あるいは「洛南の大祭」の別名を持つほど、その規模は大きく、認知度も高し。
開催期間も実に9日間にも及び、最終日に行なわれる1000人単位の神輿巡幸は特に有名です。
で、神輿巡幸と並んで名高いのが、祭りの初日と宵宮に行なわれる、花傘行列。
各氏子地区から出た華やかな風流花傘20数基が、夜の大手筋を練り歩いて参宮する行事です。
御香宮神社の門前はもちろん、道中あちこちで厄除け祈願の傘の差し上げが行なわれ、
大手筋商店街では、各花傘が競演する審査会も開催されます。
写真で見るとギンギラギンのケンカ祭り状態であり、秀吉好みの流れを引くのかと思いたくなりますが、
この花傘行列もやはり歴史は古く、室町時代にはすでに祭りの名物になってたとか。
とにかく「京都であって京都でない」を自認する伏見の独特なテイストが炸裂する祭りであります。
そんな花傘行列、もちろん混雑も熱狂が最もスパークする宵宮に行ってきました。
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2011年10月1日(土)

北野天満宮・ずいき祭の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
ずいき祭。
美しい少女を見て随喜の涙を浮かべる祭ではありません。あしからず。
ずいきとは、里芋の茎のこと。漢字で書くと、瑞饋祭。京都の代表的な秋祭です。
のちに北野天満宮の祭神となる菅原道真が、配流先の大宰府にて怨み骨髄で彫り上げた木像を、
随行した西ノ京の神人が持ち帰り、秋の収穫時に野菜や穀物をお供えしたことに始まる、ずいき祭。
ずいき・赤茄子・栗・柿・稲穂などの野菜で作られた『ずいき神輿』が祭りの何よりの名物であり、
元農村ならではの収穫を感謝するさまと、祭ごとに作ってはぶっ壊す神輿本来の聖性が、
ちょっと不思議な形で現在まで継承されてる祭りであります。
毎年10月4日の還幸祭では、ずいき神輿はもちろん、「天神さん」のシンボルである牛も町内を巡行。
現在は完全に住宅地の氏子区域を野菜神輿や牛が闊歩する姿は、独特の風味を醸し出してますが、
この日の神幸祭もそんな不思議さに満ち溢れているかといえば、これがそうでもありません。
ずいき祭の神幸祭は、応仁の乱で途絶して以降ずっと中断したままだったそうで、
再開されたのは実に明治8年のこと。何事も千年単位の京都にあっては、最近の話です。
配流された主祭神・道真の「おかえり」すなわち都への帰還をイメージさせるためか、
還幸祭が極めて盛大に行なわれるのに対し、神幸祭はやや、地味。ずいき神輿の巡幸も、なし。
私も還幸祭の方へ行きたかったんですが、ずいき祭は日程固定で平日開催が多く、今年はアウト。
神幸祭だけじっくりと見物させてもらうことにしました。
とはいえ神幸祭も、行列の巡行、そして何より八乙女舞の奉納など、見所はいっぱいです。
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2010年11月28日(日)

詩仙堂へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。
仙人。独男なら、誰もが憧れるものでしょう。
それも、ただ現世から逃げるのではなく、やることやってから隠居した仙人なら、尚更。
おまけに、隠居してからも「実は隠密で・・・」と噂されるような危険な存在感を放ってるとなれば、
独男のみならず独女からも憧れの目で見られようというものです。
詩仙堂を建てた石川丈山は、別に自分が仙人だといってたわけではありません。
元々は徳川家康から厚い信頼を受け、大坂夏の陣では一番槍の功を競うほどの、武士。
それが30前後ですっぱり辞職、母を養うため仕官したのち、一乗寺に凹凸窠なる草庵を建て隠棲。
庵には中国の詩家36人の肖像を掲げた「詩仙の間」を設け、「詩仙堂」の名はそこから生まれました。
仙人は、詩家の方だと。しかし、多くの人はそんな丈山にこそ「仙」なるものを見出します。
リア充な武士キャリアを断ち、30年も清貧を旨とする隠遁生活を続けただけでも、かなり独にして、仙。
しかも学問に長け、漢詩・隷書・作庭などもこなし、同時代の教養人とも幅広い交流を持ち、
おかげで幕府のスパイ疑惑も招いてしまう。もう、完璧です。何が完璧かわかりませんが、完璧です。
独男好みの、丈山。そんな丈山が作った、独男好みの、詩仙堂。
しかし今、季節は、晩秋。京都に「独」も「仙」もない観光客が最も押し寄せるシーズン。
本来は渋好みのはずの詩仙堂にも、「穴場」という言葉に踊らされた人民が大量にやってきて、
この静寂に満ちた狭い草庵を満員電車のごとき肉まみれ空間に変えてしまうのでした。
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2010年11月28日(日)

永観堂のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「禅林寺」と、正しい名前では全然呼んでもらえない、永観堂。
しかし、寺自ら「もみじの永観堂」と銘打った赤い看板を三条京阪に堂々とディスプレイしてるので、
それも自業自得と思わざるを得ない、浄土宗西山禅林寺派総本山でございます。
空海の高弟・真紹僧都が853年に寺を開く以前から、この地は既に紅葉の名所だったようで、
真紹の前のオーナーにあたる有名歌人・藤原関雄も、古今和歌集に収められた歌において、
「おく山の岩がき紅葉散りぬべし 照る日の光見る時なく」などと、詠むことしきり。
秋以外のシーズンは、看板坊主の永観と見返り阿弥陀像がもっぱりの売りである永観堂ですが、
やはりもみじの季節こそが、最も大きな魅力を発揮してくれるようです。
もちろん、最も大きな魅力を発揮すれば、最も多い観光客が押し寄せてしまうわけであり、
その人気と混雑度は、超メジャー級の紅葉スポットがひしめく京都にあっても、トップクラス。
加えて、今年は「京都の秋は永観堂」なんてポスターが駅などに貼られまくったため、地元客も、多め。
さらには、今年2010年の紅葉、いつにないハイテンション&ハイクオリティぶりを誇示。
とんでもない人出が予測されるのです。雅の世界を切り裂く人間地獄の出来が、予測されるのです。
紅葉を見るか。あるいは、紅葉を見る人間を見るか。もしくは、もう、単なる人間だけを見るか。
東山の夜に咲いた「赤の恐怖」がいかなるものだったか、心してご覧下さい。
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