ひとりで目眩むライトアップ - ひとりでうろつく京都 (β版) - Page 3

東映太秦映画村のナイターまつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年8月13日(土)


東映太秦映画村のナイターまつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

全盛期には邦画の実に6割を生産していたという、映画の街・太秦。
そこら中に旧跡が残り、そこら中に着物屋が溢れ、そこら中に職人が住んでいる京都は、
時代劇にとっては正に、聖地。この地独特の職人気質もまた、映画制作に強い親和性を発揮。
当初は関東大震災から疎開してきただけの撮影所も、どんどん太秦に定着&増殖し、
「日本のハリウッド」と呼ばれるほどの製作本数を誇るのみならず、
大映の『羅生門』『雨月物語』などでは、技術面・芸術面でも国際的な評価も獲得しました。
が、テレビの登場により、昭和30年代をピークとして映画産業は一気に、斜陽化。
ひたすら映画だけで食ってきた太秦の多くの撮影所は、苦境に立たされることになります。
ラッパから札束バラまいて見境なき作品クオリティを実現していた大映が、先頭切って倒産。
他社もスタジオを東京へひき上げ、東映撮影所のオープンセットもまた、なかば廃墟化。
生き残り策を模索した撮影所の従業員が思いついたのは、そのオープンセットの公開でした。
映画製作の裏側を、製作してる現場そのものを、そのまま見せる。
このスタイルで、1975年に東映太秦映画村は「開村」。日本初のテーマパークが誕生した瞬間です。
食える程度に稼ぎが出てくれたらという期待に反し、映画村は大当たり。
以後、京都の新たな文化観光資産として、現在に至るまで高い人気を維持し続けています。
ナイターまつりは、そんな映画村がお盆の時期に行なう催し。1998年から始まりました。
普段は夕方で閉まる村をライトアップして公開、
入園時間は短くなりますが、そのぶん料金が安くなるのも、お得なイベントです。

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京の七夕の堀川会場へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年8月12日(金)


京の七夕の堀川会場へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京の七夕。ざっくり言えば、夏季閑散期の客寄せイベントです。
集客の華・祇園祭が終わり、8月に入ると、京都は観光客が減ります。理由は、暑いから。
暑いだけなら海水浴場も同じですが、京都の盆地性の暑さというのは、何というか、体に悪い。
「北欧から来た留学生が、暑過ぎて死んだ」という噂がまことしやかに囁かれるくらい、
独特のバッドな内蔵侵食感および神経破壊感が、暑さに伴います。
京都の観光スポットの大半は昼間に見るもんですから、そんな暑さの中での観光はもはや、苦行。
「こんな季節に京都へ来るのは、やめときなはれ」と考えるのが普通の人ですが、
「こんな季節でも京都に来て欲しい、体が壊れても」みたいなことを考える方もいらっしゃるようで、
ほんのちょっとだけ暑さがマシになる夜間を狙って、イベントを新規立ち上げ。
旧暦の七夕と夏季閑散期がカブってるのに目をつけ、鴨川と堀川の2会場で電飾を灯し、
市民に書かせた短冊を飾り、なんとか観光促進を計るというのが、京の七夕であります。
去年の2010年度から始まり、まずまずの成果を残したそうですが、
「祈り」や「願い」、そして何より電気の意味が全く変わってしまった今年は、どうなんでしょう。
そんなことを考えたり、考えなかったりしながら、堀川会場へと足を運びました。

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第42回鴨川納涼へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年8月7日(日)


第42回鴨川納涼へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

鴨川。それはいくつかの「不思議」を持った川。
まずは言わずと知れた、カップルが何故か等距離で川辺に座るという「不思議」。
それに、「加茂川」 or 「鴨川」と、ニアイコールな表記が入り混じるという「不思議」。
そして、そんな鴨川に関する数多の言説が、七条以南については急激に減少するという「不思議」。
加茂川と高野川の合流点である出町柳の「鴨川デルタ」が最近人気を呼んでるようですが、
それなら、かつてあの高瀬川が鴨川と平面交差していた「十条クロッシング」なんかにも、
もっとスポットが当たってもいいんじゃないかと思うんですが、あなた、どう思いますか。
それはともかく、いろんな意味で京都のシンボルであるそんな鴨川において、
夏の真っ盛りに行なわれる市民主体の夏祭りが、鴨川納涼。
例年、県人会の方によるB級グルメグランプリの如き出店と、昭和臭あふれる出し物が、
川岸に色を添えてましたが、去年からはそこに「京の七夕」なる電飾客引きイベントも、乱入。
カップルたちが蛾のように吸い寄せられるきらびやかなイルミネーションと、
各屋台の鉄板から放たれる油煙、そしてハワイアンや南京玉すだれのサウンドなどが入り混じる、
極めて特殊な空間が現出されるようになりました。
そんな鴨川納涼、今までは「君子危うきに近寄らず」で左岸から眺めるのみでしたが、
このサイトのモットーはあくまで単独正面突破、今年は意を決して右岸へ飛び込んでみました。

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醍醐寺の万灯会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年8月5日(金)


醍醐寺の万灯会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

醍醐寺。
名前の通り、醍醐にある寺です。そして、醍醐味のある世界遺産であります。
「千年の都」とか言いながら、実は千年前の建物は全然ない京都にあって、
正真正銘の平安時代建築にして、京都府最古の木造建築である国宝・五重塔を保持。
また、面積200万坪以上、醍醐山がまるごと境内という無茶苦茶な広大さを誇り、
その広大さと実に山らしい山の立地条件ゆえ、長く修験道の法頭でもありました。
もちろん、春の桜の見事さ+豊太閤花見行列の豪華絢爛さでも、極めて有名であります。
そんな醍醐寺、私も一度は行きたいと思いながら、今まで行ったことがありません。
本気で山上の上醍醐まで行くと、登山になってしまうので面倒だというのもありますが、
何というか、地下鉄開通前に染み付いた頭の中の距離感では、遠いんですよね、醍醐って。
市営地下鉄醍醐駅の開業は、1997年。それまではこの辺、鉄道は一切ありませんでした。
今なお駅のひとつもない洛西ニュータウンと共に「陸の孤島」とか言われてたんですが、
醍醐に住む親戚を訪ねてたその頃の記憶が、まだ脳にしみついてるんですよ。
もちろん、今は便利になってます。だから、行きました。駅からは結構、歩かされましたけど。
万灯会は、毎年8月5日の夜に醍醐寺が全山で営なむ、法要。
山麓の下醍醐では金堂や五重塔がライトアップされ、各種法要を厳修。上醍醐では、夜まいり。
何より、普段は見るのにお金のかかる伽藍が、無料公開されるのが嬉しい夜であります。

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伏見十石舟と、酒蔵通り伏見灯ろうのライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年8月3日(水)


伏見十石舟と、酒蔵通り伏見灯ろうのライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

伏見。
海が無い都・京都にあって、江戸期、港の役割を担った元・港町です。
現在は干拓された巨大湖・巨椋池、それと一体化したほとんど宇治川に面し、
京都へは高瀬川、大阪および瀬戸内海には淀川で繋がってた、水上交通の一大ターミナル・伏見港。
半分以上発狂して明征服を目指した秀吉が、伏見城を築城したことで城下町として整備され、
江戸時代に入ると、伏見城はぶっ潰されたものの、京阪間の経済都市として発展。
明治維新に至るまで、十石舟・三十石舟・伏見舟などが川の上を活発に往来してたわけですが、
しかし幕末、ややこしい奴らが現れ、血ぃパッパ。さらに、鳥羽伏見の戦いにより市街地、全焼。
命の綱の舟運も、京阪間に省線の鉄道(現在の東海道本線)が開通したことで、大打撃。
明治末までは蒸気船を走らせて頑張りましたが、おけいはんが伏見経由で開通して、絶滅。
「不死身」の街として起死回生をはかる伏見は、「伏見の酒」で知られる酒造で盛り返します。
また、陸軍演習場も誘致。鉄っちゃんご存知の無橋脚トラス橋「澱川橋梁」なんかも、誕生。
現在では京都・大阪・奈良へのアクセシビリティが活き、市内有数の人口増加率を誇示、
「港町」としての顔は、すっかり過去のものとなりました。
が、風情は今でもあちこちに残っていて、その代表格が、街の川を走る観光舟・伏見十石舟。
そして、その風情を酒蔵のビジュアルと共に夜も楽しもうと言うのが、
夏季恒例・十石舟の夕涼みライトアップ運行と、酒蔵通り伏見灯ろうライトアップであります。

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高台寺の七夕会夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月3日(日)


高台寺の七夕会夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都随一の観光寺院・高台寺と、織姫と彦星が年に一度の逢瀬を果たす七夕。
この2つの組み合わせと聞いて、あなたは一体どんなものを思い浮かべるでしょうか。
ねねの道を和風テーマパークと勘違いしてうろついてるようなカップルどもが、
ペラッペラな安物の浴衣を着て群れ集うイベントを想像されるでしょうか。
あるいは、「新しい形で京都を楽しもう」「もっと自由にお寺を楽しもう」みたいなことを言って、
壁みたいな化粧した女と「ですよねぇ」ばっかり言う男が「つながる」イベントを想像されるでしょうか。
もしくは、ねねの秀吉への愛を無理矢理に前面へフィーチャアする形で、
秀吉像&ねね像に七夕飾りをつけるような、何かもうよくわからないものを想像されるでしょうか。
7月7日ではなく、7月7日に近い土日に毎年開催される、高台寺の七夕会。
公式サイトでは「地元の子供たちから短冊を集める」とかホンワカ路線なことが書かれてますが、
恋愛ハイの輩に蛾の習性を発揮させる高台寺名物・夜間拝観も、しっかり同時開催。
和風テーマパークが和風ディズニーランド並の鬼門に化けること、必至と思われるのであります。
怖い。ちょっともう、怖い。でも、あんまり怖いと、怖さの程度を確かめたくもなる。
そんな肝試しのような興味から、初夏の夜の高台寺を訪れました。
で、現場で見たものは、そんな馬鹿げた予想とは全く違う、高台寺の意外な姿でした。

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宝泉院の春の夜灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年5月7日(土)

額縁庭園
大原・宝泉院の春の夜灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宝泉院。いわゆる「額縁の庭園」で有名な寺です。
客殿の柱の間の空間を額縁に見立て、「立ち去りがたき」庭園・盤桓園を鑑賞するという、あれ。
京都を「そうだ」呼ばわりしてださってどうもありがとうな某CMでフィーチャアされてから特に、
絵画のようなその美しいビジュアルが人気を博するようになりました。
独立した寺ではなく、すぐそばに建つ勝林院の僧坊。やはりすぐそばの実光院とともに創設。
70年ほど昔は高浜虚子によって「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠まれる無住寺だったとか。
それが今では「閑」を求めてやってきた観光客ですっかり人だらけ、などということはありません。
三千院&勝林院よりさらに奥にあるという立地、そもそも大原自体が市街地から遠いアクセス性、
加えて昼間でも強制的にお茶とお菓子がいただけて800円という拝観料設定が、
紅葉などのピークタイムを除いてこの寺の侘びの味をしっかりと動態保存。
大原名物・声明の響きの中で落ち着いたときを過ごせる空間を、現在も作り出しています。
そんな宝泉院が4月下旬からGWにかけて行うのが、春の夜灯り。
新緑に萌える庭園をライトアップで彩り、立ち去り難き風景をさらに立ち去り難くするというものです。

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松尾大社の山吹まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月17日(日)

手水舎の亀
松尾大社の山吹まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

松尾大社。
不腐の霊泉を持つ酒造りの神様として、全国の酒造業者から信仰を集める神社です。
また、春に行われる神幸祭では、神輿を船に乗せて川を渡るというワイルドな渡御でも、有名。
あと、シンボルが、亀。「酒」に「船」に「神輿」に「亀」。実に「男」な感じの神様であります。
しかし松尾大社、平安の頃はもうちょっと雅な感じの神社だったそうです。
現在は氏子さん大活躍の松尾祭も、元々は勅祭。延喜式に従い、荘厳に執り行われていたとか。
今とは別の形で栄えてた時代があったというわけであります。
で、そんな雅な時代の松尾大社と、それ以前の太古の松尾大社を、庭によって表現してるのが、
昭和を代表する造園家・重森三玲の作庭による「昭和の名庭」こと、松風苑。
伝統を重んじつつ永遠のモダンを目指した三玲が、神の領域へ近づこうと心血を注ぎ、
注ぎ過ぎて病を得て、神の怒りを買ったとか言いながら没したことで絶作となった庭であります。
で、そんな物凄い感じの庭を、年に一度、2日間だけライトアップして見せてくれるのが、
もう一つの松尾大社名物である山吹を讃えた、山吹まつりなのであります。

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二条城のライトアップへまた行きました。もちろん、ひとりで。

2011年4月13日(水)

清流園の桜①
二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

二条城。二条にある、あんまり城らしくない城であります。
もちろん、そもそもは徳川幕府が朝廷を牽制するため築城したイカツい城であり、
かつては天守閣がそれなりに体裁を保ってたそうですが、炎上&移築&放置プレイ。
大政奉還後は京都府庁になったり離宮になったりしたのち、京都市に下賜&一般公開。
市は天守閣再建など完全スルー、ひたすら庭園に力を入れるのみ。城らしくない城であります。
天守を再建しないのは当然金がないからですが、他にも理由があると思うのは私だけでしょうか。
堀の周囲の道を歩く時に感じる、疲労感。回り道をさせられる時に感じる、徒労感。
車で行くことが前提のショッピングモールへ徒歩で行ったときに感じる
「歩いていくの、しんどっ」という感じ。あれに近いものを、私は二条城に感じます。
二条城より広いスポットは他にもありますが、御所をはじめその多くは中の通行が可能。
もちろん、コアな部分への闖入は許しませんが、その壁をあまり可視化&表沙汰にはしない。
それに対し、壁どころか堀を明らさまに強調する二条城、やはり「城」だなあと思うわけです。
市が庭園や桜ばかりに力を入れるのは、そんな「城」の暴力的存在感を少しでも中和しよう、
ゴツい建物をちょっとずつでも京都になじませようと考えてのことなのかも知れません。
そういえば、毎年桜の季節に行なわれるこのライトアップでは、もはや御殿の拝観さえ、謝絶。
これはケチではないのです、きっと。二条城を京都化するための企てなのです、きっと。

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平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月12日(火)

平野神社桜苑の提灯
平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

平野神社。
第一位・田中神社と第二位・吉田神社に次ぐ、京都三大平凡苗字神社のひとつです。
次点に並ぶのは、松尾・安井・北野・大田・平岡・藤森といったところ。
御霊・蚕・大将軍などからは羨望の眼差しを浴びている、というのはもちろん大嘘であります。
嘘ですが、でも、二位・吉田と三位・平野の祖が同じ卜部氏なのは、偶然なのか、必然なのか。
気になって気になって夜も眠れない、というのも当然ながら大嘘であります。
数々の奇行で有名な花山天皇の手植えに始まるという平野神社の桜ですが、
凄いのはその量や質はもちろん、花見のできる期間の異常なまでの長さでしょう。
夜桜のライトアップは、だいたい3月末から4月末まで開催。桜自体は5月でもまだ咲いてるとか。
もちろん、ドーピングして無理矢理長生きさせてるわけではありません。
開花時期の違う多くの品種を植樹してるというわけであります。
50種400本とか45種500本とか、ソースごとに数は違いますが、とにかくたくさんです。
「パッと咲いてパッと散る」ソメイヨシノの席巻が、桜の概念、そして日本の概念さえ変えるまでは、
花見というのはもうちょっと長くのんびり楽しむものだったとか。
平野神社の長い花見期間は、現在の誤記された花見の流儀と日本の心を静かに告発し、
本来あるべき花見と日本の姿を示してるのかも知れない、というのはただの思いつきであります。

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嵐電・桜のトンネルへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月12日(火)

桜のトンネル車内
嵐電・桜のトンネルへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

嵐電。正式名称、嵐山電鉄。
というのは、嘘です。もちろん。「嵐電」は、愛称。公式愛称。
本当の名前は、京福電気鉄道・嵐山本線および北野線。
「京福」の名前は何に由来しているかといえば、字のまんま、京都+福井。
もともとこの会社は、起点・嵐山から北野と出町柳を経由して鞍馬へ上り、
そのまま鯖街道を北上、日本海へ出て福井入りするという壮大な路線計画を持ってました。
というのも、嘘です。もちろん。チンチン電車で山越えは、つらいですよ。
京福電鉄は前身が京都電燈という電力会社であり、「京福送電線」なるものを敷設して、
夜の電力需要が高い京都と昼が高い福井との昼夜差を融通していました。
ついでに、電力の安定供給先を確保するため、両都市で鉄道も経営。
だから、名前が京福電鉄。両方をつなぐつもりは端からありません。
路面→山岳→海沿いを走破するチンチン電車が本当にあれば、楽しいんですけどね。
長年にわたり、京都と福井で古き良きローカル私鉄の風情を放ち続けてきた京福ですが、
21世紀に入って福井側が廃線+えちぜん鉄道として3セク化。
京都側もここ最近は観光により力を入れていて、嵐電の公式愛称化や駅のリニューアルを実施。
妖怪電車などイベント列車も多く企画され、この桜のトンネルもその一環というわけです。

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清水寺・2011年春の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月10日(日)


清水寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、もうすぐ1カ月。
発生直後にここでライトアップを見た時「これが夜間拝観の見納めかも知れない」と思いましたが、
1ヵ月が経ち、こうして輝く夜桜を目にすることが出来ても、その感は消えません。
街を歩いてると出くわす、京都の近くに原発があることの危険性を訴える街宣車。
近くの原発とは、「原発銀座」と呼ばれる若狭・大飯・敦賀の原発のこと。
私、何度か敦賀駅周辺をうろついたことがあります。で、行った人の多くと同じ感慨を抱きました。
原発マネーで整備されたという、立派だけど人の少ない表通り。
そこに数多く設置された、何ちゃら鉄道ゾロ目フィーバーのキャラ銅像。
クオリティは高いのに、存在の根拠は希薄。写真を撮ると何か、しんどい。そんな、銅像。
ゾロ目フィーバーは、かつて敦賀を走った欧亜国際連絡列車にちなんでるそうですが、
何気に紛れこんでる某宇宙戦艦の乗組員達は、何の理由があってあそこに立ってるんでしょう。
そんな敦賀 / 若狭で作られた電気により、暮らし、ライトアップなんかもやってる、京都。
原発がないと本当に電気が足りないのかどうかは、私にはわかりません。
実際に電力が不足するか否かに関わらず、ライトアップがこの先どうなるかも、わかりません。
そしてその思いが、この通俗的なビジュアルを、困ったくらい美しく見せてしまいます。

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平安神宮・紅しだれコンサートへ行きました。もちろん、ひとりで。

2011年4月8日(金)

尚美館ステージのピアノ
平安神宮の紅しだれコンサートへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

紅しだれコンサート。
毎年4月上旬に、平安神宮の神苑で開催されるコンサートイベントです。今回で23回目。
春になれば南神苑を天蓋のように覆う名物・紅しだれ桜、そのライトアップを存分に堪能してから、
招聘されたミュージシャンによる演奏もこれまた存分に楽しむという、実に結構な催しであります。
が、このイベント、料金が高い。2000円。前売りならもうちょっと安いですが、基本、こんなもん。
もちろん、一般のコンサートと比べたら、全然安い値段です。
料金には通常600円の神苑入苑料も含まれるので、実質的な値段は更に下がると言えるでしょう。
でも、何か、抵抗あるなあ。敷居が高いというのもあるけど、それ以上に何か、抵抗あるなあ。
好きなミュージシャンなら万々歳だけど、何かなあ、知らん人、多いもんなあ。
見方を変えたら、普通のライトアップにおまけがついて2000円だもんなあ、きついなあ。
と思って、当日まで金払って観る気は全くなかったんですが、
その日の昼間、都をどりがすんなり観れたことで何か、心がちょっと浮き足立ちまして。
「看板と壁と漏れてくる音だけでネタにしてやろう」という心積もりで応天門まで行ったら、
勢いでチケット買い、特攻してしまいました。

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東寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月6日(水)

五重塔と桜①
東寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

闇深き京都の夜に、夜ごと黄金の輝きを放つ、五重塔。
世界遺産にして真言宗総本山の東寺・五重塔は、年がら年中、ライトアップされてます。
その神々しい姿を眺めつつ、京都の旅を終え帰途に着いた方も多いことでしょう。
何故ここが毎日ライトアップされてるかといえば、おそらくは観光客向けのサービスか、
あるいは京都タワーに対抗して「我こそ真の京都のランドマーク」と主張したいんでしょう。
が、南の辺境民である私には、この輝きが「都の南限」を示している印象も受けたりします。
平安京の正門たる羅城門と同一線上に並ぶ立地。説明不要のシンボリックなビジュアル。
そしてここ以南から始まる、「雅」からほど遠い、全然京都らしくない街並み。
実際、京阪国道を北上して「京都に入った」と私が感じるのは東寺が見えた時であり、
「京都を出た」と感じるのは五重塔を通り過ぎた時。
間違っても、工場やラブホや荒野だらけの京都市/八幡市の境界を越える時ではありません。
市域がどれほど拡大しようとも、真の洛内とは、ここまで。
光る五重塔は、そう宣言してるのかも知れません。「本当か」と問われたら多分、嘘ですが。
さすがに震災以降は休止状態でしたが、夜桜のライトアップは有料ながら実施。
普段は塀の外から見るだけのキンキラキンを、根元から眺めに行ってみました。

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白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月3日(日)

弁財天付近の宵桜
祇園の白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水のながるる」。
言わずと知れた、歌人・吉井勇が祇園を詠んだ歌です。
祇園歌人として知られる吉井ですが、実はちょっとだけ八幡歌人でもあります。
と言い出すと、八幡市民による地元ゴリ押しと思われそうですが、実際そうです。すんません。
「かにかくに~」と詠んだ30年後、吉井は療養のために辺境の地・八幡へ転居します。
松花堂庭園の近くの寺・宝青庵へ寓居し、谷崎潤一郎や志賀直哉などの訪問を受けながら、
妻とのつつましい生活を『残夢』なる歌集にまとめたり、八幡音頭なるものを作詞したりしました。
文化的水準が極めて高い我々八幡市民は、そんな吉井勇を最大限にリスペクト。
新しく開発された地域を「男山吉井」と命名、彼の文学的功績を「生きた形」で讃え続けています。
では男山吉井はさぞ「かにかくに」な風流な花街かといえば、特にそういうこともなく、
どっちかと言えば「蟹角煮」な生活感の漂うちょっと良さげな住宅地だったりするんですが、
もちろんそんな狂った与太は全くどうでもよく、話はあくまでも白川のライトアップです。
「寝るときも 枕の下を 水のながるる」茶屋だったという「大友」など、
残っていたら値打ちものであったろう街並を、戦時疎開でぶっ潰して生まれた、白川南通。
その通をメインに、道沿いの桜をライトアップするのが、祇園白川宵桜ライトアップであります。

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将軍塚のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月27日(日)

京都市街上空を飛ぶヘリ
将軍塚大日堂庭園のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

いきなりベトナム戦争なトップ画像、恐縮です。
別段、このヘリが将軍塚へ降りてくるというわけではありません。たまたま飛んでただけです。
ただ、こんな写真が簡単に撮れるくらい、将軍塚は結構な山の上にあるということであります。
平安京造営に際し、征夷大将軍・坂上田村麻呂の像を埋め王城鎮護としたという、将軍塚。
桓武天皇はここから下界を見下ろして平安遷都を決めたというほど眺望が良好な、将軍塚。
しかし時が下った現代ではその眺望が仇となり、京都有数のドライブ&夜景スポット化。
夏ともなれば、無料展望台を目指して不埒な輩が夜ごと車で東山ドライブウェイを駆け上がり、
思い出を持って帰る代わりに道沿いへゴミを不法投棄したりする地となりました。
しかし現在の将軍塚、果てしなく俗化&劣化してるかといえば、そんなこともありません。
徒歩アクセスは今もなお困難を極め、己の足で訪れる者には未だ強い聖性を保持。
それに将軍塚本体は、青連院飛地境内にあたる大日堂が有料区域に入れ、しっかりガード。
ここには有料の展望台と庭園もあり、春と秋には庭園のライトアップなんかも開催しますが、
認知度は低く、隠れたパワースポット(笑)としての存在感もキープ。
もちろん桜が本咲きになればそれなりに人は来るので、その前に聖なるライトアップを楽しもうと、
芽さえ出てない時期にひとり、山を登ってみました。もちろん、徒歩で。

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二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月25日(金)

ライトアップされた開花前の桜
二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災からちょうど、2週間。
発生当初の京都は、両本願寺と知恩院の遠忌、そして東山花灯路の開催時期であり、
現地の被害状況さえわからない混乱の中で、イベントの自粛・中止・断行・延期・変更が相次ぎました。
それから時間が立ち、被害の全貌が見え始めた今、京都は春の稼ぎ時に入ろうとしています。
もちろん電力を多用するライトアップのイベントも、目白押しです。
どうするんでしょう。電気の意味さえ変わってしまった現在の状況で、どうするんでしょう。
ライトアップを敢えてやる、何ならガンガン派手にやってしまうことが、
被災地および計画停電に耐える首都圏の心の支えになるのか、私にはわかりません。
家でコタツをつけエアコンもつけ、テレビ観て、PEN4のPC(私のん)を稼動させることが、
ライトアップのイベントで消費&募金するより日本のためになるのか、私にはわかりません。
多分、誰にもわからないでしょう。で、わからんまま、誰もが4月を迎えようとしています。
桜の開花より若干フライング気味に始まったこちら二条城のライトアップは、
「哀悼の灯り」と称された、ある意味、震災「後」をはっきり踏まえた最初のライトアップ。
今後の京都とライトアップがどういう形で進むのか、そのあたりが垣間見えるかも知れません。
あ、二条城の説明、省略します。このライトアップでは、本丸も二の丸も見れないんで。

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東山祈りの灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

東山祈りの灯り・幽玄の川
東山祈りの灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東山祈りの灯り。別名、元・京都花灯路。
東日本大震災の発生を受け、行灯の点灯自粛を決定した京都花灯路が、
被災者の哀悼の気持ちを込めて仕様を変更、開催期間の残り期間を消化するイベントです。
13日の時点では「送電は限界がある、節電するより客集めて募金したほうがいい」と、
行灯を点灯していた花灯路ですが、やはりというか何というか、結局は14日で通常開催を終了。
15日からこの東山祈りの灯りが始まりました。
変更点としては、とにかく派手なもんを慎む、追悼する、募金をする、という感じでしょうか。
花灯路の告知ブログには、批判のコメントとして
「今、強行する必要あるのか!コンビニの看板消してるんやぞ」などというものが残ってます。
私がこんな批判を言うとしたら、コンビニではなく自分の家の電気を消した時だと思いますし、
東京で停電を恐れる知人は「絶対にやめるべきではない」とさえ言ってます。
東山花灯路で使用する電気は確か、太陽光などのグリーン発電で作られてたと思うんですが、
それでも電気を使うことは悪ということなんでしょうか。よくわかりません。
もちろん、今、ギンギラギンな気分にはなれないというのはもっとも話ですし、
また、そんな時こそ大人はちゃんと遊んでお金を回さなくてはいけないんだとも思うんですが、
とにかく花灯路は祈りの灯りとなりました。その急過ぎる変わり身の妙、お楽しみ下さい。

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青蓮院のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

ライトアップされた宸殿南庭
青蓮院門跡のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、1週間。
発生当初は特に自粛ムードもなかった京都でしたが、
被害の凄まじさが明らかとなるにつれ、イベントの中止や延期が続出。
発生二日目の段階では、東本願寺も知恩院も遠忌遂行を宣言し、
知恩院はライトアップも敢行してたわけですが、結局は共に中止、あるいは延期。
東山花灯路も、自粛の消極性より募金の積極性を訴え続行を試みるも、結局は仕様変更。
そんな状況にあって、ライトアップを行い続けてるのが、清水寺、そしてこちらの青蓮院。
青蓮院門跡。夜間拝観の値段が高いことで有名な寺であります。
「そんな紹介の仕方があるか」という話ですが、実際に高いんだから、しょうがありません。
その額、800円。一般的な夜間拝観料金の5割増、清水寺のちょうど倍額にあたります。
門前の親鸞手植による大楠、そして内側から漏れる青い光を眺めつつ、
値段と興味を天秤にかけ、結果、その場を立ち去ったという方も多いのではないでしょうか。
天台宗三門跡のひとつにして、仮御所となった経緯から粟田御所の名も持ち、
かの親鸞が得度してその宗教人生を始めた地でもある、青蓮院。
本来こんなふざけた紹介は決して許されぬ、格式高く由緒正しき門跡寺院なのであります。
でも、夜間拝観料金は今期もしっかり、800円なのであります。

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清水寺・2011年花灯路協賛の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月13日(日)

夜の清水寺を奥の院から望む
清水寺2011年春の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災発生から、2日目。
桜の開花には早く、咲いたら咲いたでまた本格的な夜間拝観を行なう清水寺が、
中途半端なこの時期にライトアップを行なうのは、東山花灯路との連携のため。
花灯路は中途半端ゆえ観光客が減るこの時期に、集客力を上げようと企画された営業イベント。
宗教的必然性は、いつもに増して、薄い。でも、やると。
関西からの送電を阻む、50Hzと60Hzの壁。変電所は、すでに能力の限界。
「そもそも東京は電気使い過ぎ」「地方をないがしろにし過ぎ」と憎まれ口も叩きたいところですが、
言うまでもなく原発に関しては京都・大阪も事情は大して変わりません。
それに、在京の知り合いが見せる尋常ではない凹み加減、余震による疲労を超えた、
何か異常な精神的ダメージを目の当たりにすると、私も心が痛みます。
現状、手が出ない。なので、とりあえずやめとくか、それとも敢えてやるか。
清水寺は、後者を選んだようです。今夜もビーム、京の夜空を一直線に貫いています。

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