2012年5月3日(木)

神泉苑へ大念仏狂言と静御前の舞を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
神泉苑。
現在は太いうどんが売りである平八の庭みたいな存在感を放ってますが、
元々は平安京造営と同時に作られた禁苑であり、京都で最も古い史跡のひとつであります。
平安初期には多くの天皇が行幸、池に舟を浮かべ管弦の宴などが開かれたそうですが、
かの空海が西寺僧と祈雨バトルを繰り広げてからは、徐々に祈雨修法の道場化。
空海がバトルの切り札としてチベットから呼んだ助っ人外神・善女竜王を池のほとりに祀り、
多くの真言密教僧たちが 「雨ふれ、雨ふれ」 と、様々な修法を繰り広げました。
のちには義経の愛妾となる静御前も祈雨の舞を奉納するなど、賑わいを見せた神泉苑でしたが、
結局、平安時代が終わると衰退を始め、時を重ねるごとに果てしなく、荒廃。
江戸期には二条城に土地と水もブン盗られますが、遷都以前から残る池だけは何とか守り、
平安時代のリアルな残り香のようなものを、平八と共に現代まで伝えてくれています。
そんな神泉苑で、毎年5月3日を中心として開催されるのが、神泉苑祭。
善女竜王社前で行われる、祈雨道場時代のような大般若経六百巻転読祈願法要をコアとして、
子供みこし、稚児お練、雅楽や太鼓の奉納など、様々な催しが目白押しなんですが、
目玉は何といっても、京都無形民俗文化財である神泉苑大念仏狂言、そして静御前の舞。
前者は、壬生狂言の流れを汲む無言劇であり、この祭の期間中だけ執行されるもの。
後者は、義経を魅了した祈雨の舞を、現代に蘇らせるというものです。
GW真っ只中ですが、特に用事もないので、出かけてみました。
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2012年4月18日(水)

知恩院のミッドナイト念仏へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「今夜はオールで、念仏三昧」 。
末法テイスト溢れるそんなセリフを、現実に実行する催しが、春の京都にはあります。
といっても、妖しきクラブへ妖しき者たちが集い、妖しき飛び薬を吸ったり打ったりしながら、
「ブッダ・トランス」 とかわけのわからぬ音源を聴いて不穏な法悦に浸る類のものでは、ありません。
また、さらに妖しき者たちが、人もまばらな山中をパワースポットなどと称して参集し、
アセンションだの次元アゲアゲだの言いつつ、念仏と共に朝日を迎える類のものでも、ありません。
催しの名は、ミッドナイト念仏。行われる場所は、かの浄土宗総本山・知恩院。
そう、マジなのです。メジャー中のメジャーである寺にて、オールナイトで念仏が行われるのです。
真に末法の時代であった平安末期、旧来の仏教教団からの弾圧にも屈することなく、
南無阿弥陀仏を唱えるだけで救済される専修念仏を民衆に広く説いた、浄土宗開祖・法然上人。
上人が没した地・知恩院ではその遺徳を偲ぶべく、忌日に合わせ御忌大会を大々的に開催。
法要に加え様々な行事も行われ、ミッドナイト念仏もその一環というわけであります。
真面目な催しなのです。名前はほとんど面白半分な感じですが、真面目な催しなのです。
真剣に念仏を唱える人々と共に、興味本位&冷かし丸出しの若者や、酔っ払いなどが入り混じり、
全員でポクポクと木魚叩いて念仏トランスを目指す様は、奇観といえば、確かに奇観。
しかしその混沌こそ、無差別の救済を目指した上人の御心に沿うものとも言えるのでしょう。
そんな懐の大きいミッドナイト念仏、今回私はフルで参加してみることにしました。
20時のスタートから翌朝の終了まで、途中日和ってますが、ぶっ通しでポクポクしてきました。
闇の中の念仏で、何を見たのか。その果ての光の中で、何を見たのか。
真面目に、かつ興味本位&冷かし丸出しで、御覧下さい。
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2012年4月13日(金)

六角堂の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
六角堂。正式名称、頂法寺。
下京の町衆が自治のために集った寺 = 町堂として知られる寺です。
秀吉の京都大改造&火事により、現在は中京区にある上京の町堂 = 革堂に対し、
六角堂は、聖徳太子の時代にまで遡るという創建時より 「京都のへそ」 たる中心部に位置。
平時は町組代表の集会所 or 生活文化の中核として、各種動乱の際には軍勢の集合場所として、
自治を死守するための勇ましくかったり物騒だったりする歴史が積み重ねられた寺であります。
他にも、かの親鸞が参籠して 「我成玉女身被犯」 「引導生極楽」などと観音様に言われ、
そのお告げが妻帯を肯定する浄土真宗誕生のきっかけになったことでも知られる、六角堂。
しかし現在は、何といっても華道家元・池坊の総本山としての顔が、有名でしょう。
境内北側にある池のほとりに住んでた坊さん = 通称 「池坊」 が、朝夕と本尊に生花を供え続け、
やってるうちにどんどん上手くなり、遂には家元になったという、池坊誕生伝説。
池坊にとっては、ここは正に、発祥の地。ゆえに、現代における六角堂存続も全面的にサポート。
サポートついでに寺の真横へビルを建て、景観的にはかなり奇妙な世界を生んでますが、
とにかく遷都でも応仁の乱でもほぼ不動の 「京都のへそ」 を、今も守り続けています。
そんな六角堂&池坊が最近になって始めたのが、春の夜の特別拝観。
名物である早咲きの枝垂桜・御幸桜と、その下に並んだやはり名物の十六羅漢像をコアに、
生花のディスプレイや池も含めて境内をライトアップ、幻想的に魅せる試みです。
街中に現れた、美しくて妙に妖しい夜の六角堂、お楽しみ下さい。
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2012年4月12日(木)

植藤造園の夜桜を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。
「桜守。なんと匂やかで優雅な職業名であろうか」
という書き出しで始まるのは、入江敦彦の 『京都人だけが知っている』 ですが、
テレビなどで見かける当の桜守・十六代佐野藤右衛門氏は、職業名が持つ優雅さとは真逆に、
コテコテな地の言葉、いわゆる京言葉ではない京都の地の言葉をしゃべりまくってます。
何というか、聞きようによっては柄の悪い大阪弁よりさらにダーティにも聞こえる、
「け」 の語尾の連発がわけのわからんアーシーな粘着力を感じさせる、京都の地の言葉。
私の実家は建築に噛んでた時期があり、その時期に見かけた職人さんたち、
いや、そのプロフェッショナリズムにより敬意を表すなら、むしろ 「おっさんら」 と呼ぶべき彼らが、
正にその 「地の言葉」 で話す人たちでした。「け」 の人たちだったわけです。
なので私には、佐野藤右衛門氏が単なる植木屋か土建屋のおっさんに見えたりします。
たけしのアート番組とかで 「映画の監督っちゅうのは・・・」 みたいなことを話してるのを見ると、
「おいおいおっさん、ええ加減にせえ」 と、思わず突っ込みたくなったりします。
実際には、たけしよりもはるかに偉い人かも知れないのに。
そんな (どんなだ) 佐野藤右衛門氏、春になると広沢池近くの自邸の桜を一般開放しています。
家業である造園業・植藤造園の、桜畑。桜守の桜、というわけです。
周囲はかなりな山の中ゆえ、夜は闇の中に桜が美しく映え、年々人気も上昇中。
私ももちろん夜桜を拝ませてもらうべく、乗り慣れない路線のバスに揺られ、
洛西は嵯峨野に近い広沢池へ向かったのでした。
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2012年4月10日(火)

ふかくさ・藤森・桜並木ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
桜といえば、軍です。軍といえば、桜です。
花と散り、闇に溶ける。このエロスとタナトスの魅惑に、県境も府境もありません。
「ソメイヨシノなんてどこでも同じように咲く桜、別に見とないわ」 というネイティブ京都人も、
「京都の桜は、山桜や枝垂桜。ソメイヨシノで喜ぶのは、素人」 とか言う知ったかぶりの素人も、
軍のオーラに加え、近代の残り香も濃厚に漂う地で鮮やかに咲くソメイヨシノを目にしたら、
きっと己の不明を恥じ入り、思わず腹のひとつでも切りたくなるというものでしょう。
かつて帝国陸軍第16師団が置かれ、京都近代化の象徴・琵琶湖疎水も流れる地、深草+藤森。
京都にあっては珍しく 「戦前の日本」 or 「戦争」 そのものの匂いが残るエリアです。
ちょっと目を凝らせば、至る所に 「皇紀」 や 「紀元」 や 「陸軍用地」 と刻まれた道標が残り、
「師団街道」 や 「第一軍道」 などというそのまんまな名前の道も、あちこちに現存。
そして、疏水沿いには春になるたびパッと咲いてパッと散るソメイヨシノが並ぶのであります。
2011年からこの疏水沿いで始まった 「ふかくさ・藤森・桜並木ライトアップ」 は、
近代のエロスとタナトスを体現するソメイヨシノを、闇の中でより妖しく輝かせることで、
ベタな死の誘惑を軽視+冷笑しスルーし続けてきた戦後日本の臆見を批判し、
その臆見により崩壊しつつある現代社会も批判するイベント、というのはもちろん、大嘘です。
軍都であったことも、疏水が流れることも本当ですが、イベントは基本、単なるイベント。
ただ知名度がまだまだのため、結構な穴場感が味わえるスポットになってます。
そんな深草・藤森の夜桜、軍の残り香と共に楽しんできました。
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2012年3月14日(水)

清水寺・2012年花灯路協賛の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
桜シーズン直前&紅葉シーズン直後の観光客閑散期に、
東山や嵐山を電飾でライトアップし、夜間の集客を図って始まった、京都花灯路。
観光業者のみならず、業者以上に観光で食ってる寺院も、この集客策には積極的に協力。
特に目ぼしい花が咲いてるわけでも境内を無理矢理ライトアップし、夜間拝観を行ったりしてます。
もちろん京都観光のキング・オブ・キングたる清水寺も、東山花灯路期間中は夜間拝観を強行。
昨年2011年などは、震災直後で花灯路そのものが中止状態となったのにも関わらず、
見境なしにライトアップ+ビームを発射、普段以上に暗かった京の闇夜を切り裂いたものでした。
それから一年を経て、震災の問題も電気の問題も全然解決されぬまま迎えた、2012年の春。
東山花灯路は、チープな客を吸い寄せる電飾イベントの本分を発揮する形で、見事復活。
清水寺の特別夜間拝観もまた、例年通りの内容と規模で開催されることとなりました。
花灯路は電力の全てを太陽光発電でまかなうため、原発もCO2も特に関係ありませんが、
清水寺のライトアップはグリーン電力なんかでは絶対に支えきれそうにない、電気使いまくり状態。
おまけに境内は改修が続いていて、遂に拝観最大の目玉である奥の院までが、工事へ突入。
普通なら、やめてもおかしくないところです。規模を縮小しても、おかしくないところです。
しかし、キングは、違うのです。やるのです。やるといったら、やるのです。
そんな夜の帝王の懐、またひとりで突っ込んできました。
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2012年3月10日(土)

東山花灯路2012へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
桜シーズンの直前、そして紅葉シーズンの直後の観光客閑散期に、
何とか客、それも泊り客を確保しようとして始まった、電飾集客イベント・京都花灯路。
2003年の第1回以来、光るものと無料のものが大好きな人民を集めることには見事に成功、
「客の数」 と 「落ちる金」 のバランス、さらには 「周辺地域への迷惑加減」とのバランスが、
ちゃんと取れてるのかは知りませんが、とにかく順調に回数を重ねてきました。
しかし、昨年2011年は開催直前に東日本大震災が発生。地震のみならず、原発事故も発生。
「電気を使う」 という行為そのものに、日本人全員が根源的疑義を抱かざるを得なくなり、
全ての電力を太陽光発電でまかなってきた花灯路もまた、一部から批判の対象に。
「今、強行する必要あるのか」 という声もあり、追悼イベントへの変更を余技なくされたわけです。
あれから1年が経過し、震災は収束するどころか、色んな局面で進行中&拡大中。
そんな状況の中で東山花灯路2012は、記念すべき10回目として始まりました。
てっきり自粛仕様で行うと思ってたんですが、甘かった。花灯路は、そんなもんじゃなかった。
10回目を盛大に祝う形で、イベントは例年以上に出し物がテンコ盛り状態化。
舞妓舞踊&狐の嫁入りなどの恒例のブツに加え、今年は粟田神社の大燈呂まで参戦、
もちろんメインアイテムである行灯も、LED化により開き直ったようなギンギラギンぶりを誇り、
光るものと無料のものが大好きな人民を、改めて呼び寄せる内容となっております。
別の言い方をすれば 「独男の鬼門」 という正しい姿に戻ったそんな花灯路、
この日はスタートから終了まで、かなりしつこくうろついてみました。
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2012年2月2日(木)

2012年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。
2月2日と3日の両日を、暇丸出しでフルにうろつきまくってます。
【1】 八坂神社の芸舞妓舞踊奉納+豆まき→壬生寺の節分狂言→須賀神社で懸想文購入
【2】 北野天満宮の追儺狂言+芸舞妓舞踊奉納+豆まき→千本釈迦堂のおかめ福節分
【3】 千本ゑんま堂の節分狂言→吉田神社の火炉祭大炎上
の、まずは 【1】、八坂神社、壬生狂言、そして懸想文です。
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2012年1月22日(日)

チャーミングチャーハンめぐりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
チャーミングチャーハン。
その恐るべきネーミングセンスで、京都はおろか日本全国を震撼させた中華料理店です。
死ぬほど暇な時に思わず検索欄へ打ち込んでしまいそうなワードを堂々と屋号に掲げ、
「焼きめし+チャーハン付き」などという、言語への挑戦のごときメニューをひっさげたこの店が、
移転先の堀川丸太町で突如ブレイクしたのは、もう何時のことになるのでしょうか。
ブレイク当初は 「ネットやマスコミから散々ネタにされ、消費され尽くされたところで、終了」 か、
「ネーミングをさらにエスカレートさせ、収拾つかなくなり、終了」 みたいな展開を想像してたんですが、
店は意外にも普通のお手頃中華屋として存続&出前サービスが効いて地域に定着。
遂には2011年の暮、今出川通へ支店まで出してしまいました。
もちろん支店の方も、チャーミングチャーハンの店名、「焼きめし+チャーハン付き」、ともに健在。
もしかしてチャーミングチャーハン、狙ってるんでしょうか、飛躍を。
かつて王将が、四条大宮の賃貸ビルから全国区へ羽ばたいたような、飛躍を。
かつて天下一品が、北白川の屋台から全国区へ羽ばたいたような、飛躍を。
そのあたりの腹を探るべく、新規オープンの今出川店、そして本店を、いっぺんにめぐってみました。
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2012年1月18日(水)

石清水八幡宮の青山祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
青山祭。もちろん、青山学院大学の学園祭ではありません。
呪術都市・平安京が構築した悪霊・疫病・厄神防衛線の名残を、現代にまで伝える神事です。
「悪しきものは、人と同じく道を歩いて都へ入る」という当時のセキュリティ思想に基づき、
平安京の国境には、怨霊の水際対策として霊的城壁を築くべく、強力な寺社が建立されました。
鬼門封じの猿ラインは言うに及ばず、四方を固める大将軍各社や逢坂山の蝉丸神社、
あるいはパワーが強過ぎていまや心霊スポットとしか思われてない老ノ坂の首塚大明神などなど。
中でも、裏鬼門であることに加え、都と瀬戸内海と直結する水路のゲートでもあり、
さらには魔の国・大阪と山を介さず接している数少ないポイントに鎮座する石清水八幡宮には、
より強い霊的パワーが求められ、そのニーズは古代祭祀が消滅した後世も継続。
厄神防衛線の各社で斎行されたという祭儀「畿内十処堺疫神祭」は、
石清水では道餐祭として残り、斎場を囲む青柴垣に由来して「青山祭」と名称を変化。
八幡の厄除としての評判が民間にも広まるに連れ、正月以上に人を集めるお祭りへ変貌しました。
と、青山祭についてざっと調べると、こんな感じの話がいろいろと出てきます。
が、実際の内容についての情報が、妙に少ない。現在、何をどうやってるのかの情報が、少ない。
秘儀なんでしょうか。現在もこっそり、呪術とか、魔界とか、やってるんでしょうか。
私、子供の頃は近所に住んでましたが、そんな話、聞いたことありません。
やはり、秘儀か。そのあたりを確認すべく、日の暮れかかる山麓下院へと出かけてみました。
そして、そこで目にした「真実」は、実に驚くべきものでした。
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2012年1月1日(日)

2012年への年越しを、京都で迎えました、の続きです。
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2012年1月1日(日)

2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。
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2011年12月25日(日)

クリスマス・イヴ@妙蓮寺宿坊、続きです。
日本人にとってのクリスマスとは、一体何だったのでしょう。
「だった」と過去形なのは、最盛期の馬鹿騒ぎが現在のクリスマスには、ないからです。
姦淫を以て主の生誕を祝う不埒の輩どもが地虫の如く涌いた、20世紀後半の日本。
飴玉をもらった子供のように浅ましく「聖」と「性」を貪る当時の熱狂は、現在はもう、ありません。
凡庸な性的レジャーとしてのクリスマスを楽しんだ凡庸な人間たちの多くは、
消費社会の成熟や不況の深化とともに、凡庸な家庭や凡庸な友人たちとの集いへ帰っていきました。
今となっては、本気で「クリスマスで何とかしよう」と焦る人など、きっと少数派なのでしょう。
「そんなことはねえっ!!!!!!!!!!」 「イルミネーションのプレッシャーは年々増す一方だっ!!!!!!!!!!」
「仮に恋愛プレッシャーはなくなっても、凡庸な家庭や凡庸な友人すら俺にはねえっ!!!!!!!!!!!!!」
と叫んでしまう同志の方もいるかも知れませんが、しかしそんな方でも、
クリスマスの拡散に伴う陳腐化と性的衰退は、心のどこかでしっかり感じているはずです。
私達の戦いの半分は、終わりました。土俵へ上がる前に。
残った敵は、別の何かに対する、別の浅ましさ。その浅ましさが、今なお、私達を叩き続けている。
そして、昔とは違う形の袋叩きとして、現代日本のクリスマスは機能し始めている。
そんな気が、しませんか。私はあんまり、しないんですけど。
というわけで、どういうわけかわかりませんが、宿坊の聖夜、前編に続き後編であります。
妙味爆裂のクリスマス和菓子を用いた狂乱のひとりパーティーから、
法華曼荼羅の世界へ導かれる朝のお勤めまで、妙なる聖夜をお楽しみ下さい。
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2011年12月25日(日)

妙蓮寺宿坊で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。
メリー・クリスマス!!!
今年もまた、聖夜の季節がやってまいりました。独男にとって、鬼門の季節が。
前年は宿泊料1500円+エアコンなし激寒+プレハブ状態の安宿・いずみハウスに泊まり、
末期のアナログテレビで明石家サンタ見ながら一人でシャンパンラッパ飲みなどしたわけですが、
今年はもっと上質な 『クリスマスひとりお泊り in 京都』 を提案したいと思います。
私だって、いい加減大人ですからね。くだらないことばかり、そうそうやってられませんよ。
というわけで、2011年の聖夜に泊まったのは、妙蓮寺。
正真正銘、お寺です。しばらく前からブームになってるという、宿坊というやつです。
ただ泊まるだけでなく、朝のお勤めなどにも参加できたりするのが魅力の、宿坊。
また、一般の宿に比べると料金が安価に設定されているのも、人気の要因となっています。
ちなみにこちらの妙蓮寺、一泊、3800円。相応しい表現かは知りませんが、「お値打ち」です。
加えて妙蓮寺が魅力的なのは、その立地。すなわち、上京・西陣・寺之内。
「寺之内」の名が示す通り、周囲には法華宗を中心に本山クラスの寺院が林立しまくり、
ゆえに茶道の各千家が集中しまくり、ゆえに和菓子の老舗が密集しまくってるエリアなのであります。
「そんな高級な世界のことは知らん」という方でも、街並の中をただ歩いてるだけで、
偏頭痛が起きるような京都独自の異常な閉塞感をとことん堪能できるエリアなのであります。
そんな宿坊、独男の上質な聖夜にはふさわしい、と考えたのは大嘘ですが、
とりあえず行くところがないので、純粋なる興味本位&面白半分で泊まってみました。
密集しまくる和菓子屋の老舗の中には「クリスマス和菓子」なんてのを出してるとこもあるので、
そっち方面でもちょっと、遊んでみましたよ。
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2011年12月1日(木)

高台寺の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
高台寺が、好きです。特に、夜の高台寺が、好きです。
はっきり言って、客層は独男にとって最低です。特に、ライトアップ時の客層は最低です。
実際、この夜の客層も最低でした。今まで行った秋の夜間拝観も、ほぼ外れなしで最低でした。
しかし、それでも、好きです。レトリックで言ってるのではありません。本当に、好きです。
何故そんなに好きかといえば、多分、この寺が率直だからでしょう。
夜間拝観を断行した同寺塔頭・圓徳院の住職・後藤典生氏は、著書『高台寺物語』にこう書いてます。
「私がライトアップを発想したもっとも大きな理由は、参拝客を増やしたいと思ったからです」。
わかりやすい。わかりやす過ぎて禅問答な気にさえなりますが、言い分はこうです。
全盛期の1/10にまで縮小した伽藍を再建したい、と。百年かかるが再建したい、と。で、金が要る、と。
そんなシンプルかつストレートな理由で、高台寺は1994年にライトアップを開始します。
寺によっては、渋さとしょぼさを意図的に混同したような照明が設定される夜間拝観ですが、
「金が欲しい」という根本動機にブレのない高台寺は、常に衒うことなく絢爛さを発揮。
「商業主義」「それでも禅寺か」「まるで和風テーマパーク」などと言われながらも、
拝観客は増えまくり、廃墟同然の状態から一転、京都随一の観光寺院の座を獲得するに至りました。
その稼ぎまくる姿に私は、率直さや大らかさ、清々しさといったものを感じます。
そしてその率直さ・大らかさ・清清しさといったものは、高台寺を建立した北政所ねねの、
夫・秀吉の配下たちを惹きつけた人柄と共通したものなのかも知れない、と思ったりもします。
私はそんな高台寺が、好きです。2011年秋の夜間拝観も、もちろん行きました。
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2011年12月1日(木)

圓徳院の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
圓徳院。
いわずと知れた高台寺塔頭であり、同寺を建立した北政所ねねの終焉の地です。
夫・豊臣秀吉の死後、ねねは京都で隠棲を始め、「高台院」の名にちなんだ高台寺の建立を発願。
秀吉好みのギンギラギン仕様だったという伏見城から資材を流用して伽藍を整備しつつ、
やはり伏見城より化粧御殿と庭園を山内へ移築、そこへ住み、そしてその生涯を終えました。
ねねの死後、ねねの兄・木下家定の次男・利房はこの場所を寺化することを思いつき、
寛永9年、木下家の菩提寺にして高台寺塔頭である圓徳院は創建されたわけです。
が、そんなことに興味があってここを訪れる人は、稀でしょう。
参道・ねねの道まで抱き込んだ形で、大幅な観光リニューアルが施された90年台以降、
わかりやすい観光客が大挙して押し寄せるドメジャースポットへ急成長した、高台寺&圓徳院。
最盛期の1/10にまで縮小した境内伽藍を復活させたいという寺の想いは、
開き直りを通り越して清々しさや悟りの境地さえ感じさせる、飽くなき集金への情熱と直結。
「和風テーマパーク」という呼称が皮肉ではなく単なる事実でしかない境内を生み出し、
毎年行われるライトアップには、悟りもひったくれもない客が大勢集まるようになりました。
派手な伽藍とビジュアルを持つ高台寺にその傾向がより顕著ですが、
高台寺より狭い圓徳院は、その由来から逆に「ねねの愛」といったものを積極的にアピール。
「何か和で、愛で、優しい感じ」という、よりカップルを吸い寄せがちな何かになっとるのであります。
そんな圓徳院の、ちょっと遅めな紅葉真っ盛りのライトアップ。
和の心を持たず、愛を知らず、優しくない独男は、入ることができるのでしょうか。
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2011年11月29日(火)

叡山電車のもみじのトンネルをくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。
おとついも来たんですけどね、もみじのトンネル。
でも日曜+紅葉ピークゆえ、なかなかの混雑。ゆっくり楽しむ余裕はありませんでした。
が、20時台に鞍馬行き列車の空き具合を見て、あら、と。時間をずらせば、結構空いてるな、と。
なので、平日に改めて行ってみることにしました。二ノ瀬駅のライトアップも、じっくり見たいし。
京の奥座敷・貴船の秋季集客イベント「貴船もみじ灯篭」に、叡山電車が連携、
鞍馬線の市原駅~二ノ瀬駅間の紅葉をライトアップし、その中を走るという、もみじのトンネル。
そのトンネルを、一日乗車券「えぇきっぷ」を使い、何度も何度もくぐったわけです。
暇だと思いますか。そうですね。こんなサイトを見てる貴方と同じくらい、暇かも知れませんね。
あ、沿線に多くの聖地を持つ『けいおん』の映画版公開がちょうど近づいてるため、
叡電にもあちこちにその手のブツが張り付いてますが、原則、うちでは『けいおん』ネタ、扱いません。
理由は、嫌いだからではなく、あまりにもハマりそうで、何か怖いから。
「独男+音楽ヲタク+聖地が近所+木津川サイクリングロードは歩いていける」な私にとって、
(2012年追記:ついでに作画監督の父親が市長になった)
あれは、ジャンキーの目の前へシャブを超える合成薬物を氷山の如く盛るに等しいのです。
何か、人間じゃなくなりそうな恐怖を感じるのです。だから距離を置いてます。心情、お察し下さい。
というわけで、せめて人間らしくもみじのトンネル連覇、参ります。
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2011年11月27日(日)

貴船もみじ灯篭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
もみじが誘う、恋の道。
「恋の道」と入力したら「鯉の道」と変換してくれたマシンを持つ独男の私には、
実に無縁極まるキャッチコピーを持つのが、貴船の秋の集客イベント・もみじ灯篭です。
春は新緑が輝き、夏は言わずと知れた川床、そして秋は美しい紅葉+冬眠前の熊出没注意と、
季節ごとに豊かな、時に豊か過ぎるほどの自然に恵まれる、京の奥座敷・貴船。
市街地より気温が数度低く、真夏でも涼しいことは有名ですが、そのぶん冬の冷え込みは、熾烈。
ぼたん鍋は美味くなるものの、「ひろや」のように冬季はまるっきり休業する店もあるほどです。
なので、秋の内にちょっとでも稼ごうと考えたのか、2002年から一帯で紅葉のライトアップを開始。
貴船神社、貴船街道の飲食店街、そして貴船への重要なアクセス手段である叡山電車が連携し、
叡電沿線の「もみじのトンネル」から貴船神社奥宮までを、様々な電飾で盛り上げてます。
それが、貴船もみじ灯篭。それが、もみじが誘う、恋の道。
何故「恋の道」かと言えば、光りものへ蛾の如く寄りつくカップルがそぞろ歩くからではありません。
平安時代中期の女流歌人・和泉式部が、夫である藤原保昌との復縁を願い、
縁結びの神でもある貴船神社へ参拝する際、この貴船街道を通ったことに由来します。
「夫と疎遠になったのは、お前が他の男と遊び呆けたからだろ。それでも恋の道ってか」
などということは、大の大人が言ってはいけません。
また、どっちかといえば「恋の道」より、丑の刻参りで歩く「呪の道」がふさわしい気もしますが、
そういうことも、大の大人が言ってはいけません。
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2011年11月25日(金)

曼殊院の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
男は黙って、曼殊院。
といっても、別段しょうもない冗談を言いたいわけではありません。
それくらい、男好きのする寺だと言いたいだけです。そう思うのは、独男だけかも知れませんが。
修学院離宮のすぐそば、比叡山麓の一乗寺に建つ天台五門跡のひとつ、曼殊院。
戦国時代に慈運法親王が入寺したことで門跡寺院となったこの寺は、
江戸前期に至り良尚法親王を迎えたことで、ミニ桂離宮とも言われる伽藍を誇るようになります。
日本の「美」が凝縮された桂離宮、それを造った八条宮智仁親王の次男である、良尚法親王。
その幅広い識見と創意は、庭園や茶室のみならず寺の建物全てへと行き渡り、
貴族趣味が加味された江戸時代初期の代表的書院建築が残されることとなりました。
そんなやんごとなき寺が何で「男好きする」のかと言われたら、私もよくわからないんですが、
多分、美しさの中に殺気があるからじゃないでしょうか。
男にしか察知できない、殺気。それも、権力から遠い男にしか察知できない、殺気。
禁中並公家諸法度で文化事業しかすることのなくなった皇族&公家が抱いた殺気が、
時代を超えて独男の魂に響いてくる、というのはもちろん不遜な不敬で不埒な妄想です。
が、そんな不遜な妄想に独男を誘う妙な色気が曼殊院にあるのも、確かな気がします。
その色気と殺気がより濃厚になるのが、夜のライトアップ。
一応、紅葉シーズンに合わせた夜間拝観ですが、伽藍そのものの方が魅力的なので、
そっちメインでご堪能下さい。今年2011年は、紅葉が全然ですし。
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