2011年11月22日(火)

雲龍院の夜間ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
ようやく例年並みに冷え込みつつある、2011年晩秋の京都。
晩秋、そう、晩秋なんですよね、もう。ですが、紅葉の方はあまり進んでません。
洛北あたりは相当いい感じに色づき始めたようですが、それより以南は、まだまだ。
にも関わらず「京都駅から一番近い東山の奥座敷」、南も南の雲龍院へ行ったのは何故かといえば、
あの辺、寒いんですよ、山だから。あと、秋のライトアップが25日までだし。
雲龍院。皇室の菩提寺である御寺・泉涌寺の塔頭にあらずして、別院、別格本山。
泉涌寺と同じく皇族とのゆかりが深いことから、見た目は塔頭ながらも、別格扱いとされてます。
南北朝時代に後光厳天皇の勅願で建立され、北朝歴代の御尊牌を霊明殿に奉安、
後円融天皇の発願で写経道場も作られますが、応仁の乱などの戦乱で何度となく焼亡しまくり。
江戸時代の始めになって、中興の祖・如周宗師により写経道場が現在地に再建され、
その再建のスポンサー・後水尾天皇からは、現在も使われる写経会の仏具が寄進されました。
雅であります。やんごとなきであります。そして、別格であります(意味不明)。
雅なる写経、最近では体験型観光の人気コンテンツになってますが、夜間営業はなし。
かわりに、徳川期の武家茶席・通称「おぶけ茶席」を、有料オプション1000円なりでいただけます。
が、武家でもなく茶の心得もない私は、別格である夜の紅葉のみを拝ませていただきました。
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2011年11月20日(日)

相生餅・新町店であん餅うどんを食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
「あん餅うどん」。
そう聞いて、かなくま餅福田の「あん餅雑煮うどん」を思い浮かべたあなたは、うどん者ですね。
アンコの入った餅を白味噌で煮込む、香川独特の郷土料理・あん餅雑煮。
それを強引にうどん化した西讃の猛者、香川県観音寺・かなくま餅福田の「あん餅雑煮うどん」。
私、数年前までは最低でも月一、下手すると毎週渡讃してたほどのうどん好きでして、
かなくま餅福田のある観音寺へも、何度となく足を運んでます。
「かじまや」 「大喜多」 「柳川」に始まり、 「まり」改め「ゆり」の味噌汁うどんまで食いましたが、
結局今に至るまで「あん餅雑煮うどん」には手を出してません。
理由は、怖かったから。香川が嫌いになりそうで、怖かったから。
餅を入れるのはともかくとして、よりによって、餡餅って。甘いもん、放り込むって。
でも、よくよく考えてみたら、京都の餅系食堂ではワシ、うどんとおはぎを普通に食っとるな。
それも、順番に食うんと違うて、ごっちゃに食っとるな。で、うどんと甘味って結構、合うわな。
そう思い至ったのは、経済的にも時間的にも容易に渡讃ができなくなってた頃でした。
日ごと高まる「あん餅雑煮うどん、結構イケるんちゃうやろか」の思い。
しかし今の私には、観音寺はあまりにも遠い。
18切符を使うと、姫路岡山間がつらい。フェリーは、爆音で2度鳴る「風が恋を運ぶ~」がつらい。
なので、かなくま餅福田の代わりに、北大路新町の相生餅へ行くことにしました。
そして、京都の「あん餅うどん」なるものを食すことにしたのです。
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2011年11月20日(日)

実相院のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
秋に全然なってくれない、2011年の秋。
11月も下旬だというのに、昼間は未だにシャツ1枚でも汗ばむ陽気が続いてます。
もちろんこの気温では紅葉も進まず、例年なら真っ赤に染まるはずの葉も、青きこと、春の如し。
先週は周山街道を北上して神護寺まで行きましたが、そこでさえまだ三分から五分の色づき。
じゃあ今度はもっと北へ行ったろかいとも思いましたが、足代がかさむので早々に止め、
そこそこ北にある実相院へ行ってみました。地図上では神護寺より実相院の方が北ですが。
実相院。岩倉にある、天台宗の門跡寺院です。またの名を、実相院門跡 or 岩倉門跡。
皇族とのゆかりは江戸初期に現在地へ移転してから特に深まり、「忍」の後水尾天皇もしばしば御幸。
皇孫の入寺も続き、1720年には東山天皇中宮の承秋門院の大宮御所旧殿を賜りました。
四脚門・御車寄・客殿といった重要な建築遺構は、善阿弥の孫の又四郎の作と伝わる庭園、
そして各室にはりめぐらされた狩野永敬をはじめとする狩野派の襖絵などとともに、
優雅な女院御所の佇まいを老朽化に耐えながら保っています。
岩倉というのは、北山から宝ヶ池や国際会館をさらに北上したエリア。
現在はかなり宅地化されてますが、それ以前は寺以外は農地ばかりだったところであり、
ゆえにテロられるのを恐れた幕末期の岩倉具視がしばし「忍」してたことでも知られる土地ですが、
とにかくここなら紅葉が拝めるはずだろうと、出かけました。
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2011年11月13日(日)

北野白梅町のだいりき亭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
北野白梅町といえば、イズミヤです。
嵐電・北野白梅町駅に隣接する、というより圧倒するようにそびえ立つ、イズミヤ白梅町店。
私、ここのトイレをよく借ります。といっても、別段このへんに用事が多いわけではありません。
が、散歩でウロウロしてる時などに立ち寄る回数は、妙に多かったりします。
何か、足が向くんですよ。そこら中にある公衆便所や観光トイレではなく、イズミヤに。
何にそんなに惹かれるかといえば、あの郊外感ではないかなと。
郊外型スーパーが希少な京都市内中心部にあって、堂々と凡庸さを誇る、その雄姿。
郊外に住む私には、その凡庸さこそ馴染むというか、ライフラインが繋がった感慨さえ抱くんですよ。
あと、京都の公衆便所にはちょっとした個人的トラウマもあるし。
梅小路公園のトイレで大いなる用を足してる時、壁の上からこちらを覗く同性の方と目があって以来、
私、京都の公衆便所が苦手です。全くどうでもいいことですが。
そんな(どんなだ)イズミヤ、そしてそんなイズミヤのある北野白梅町。
商店街との闘争を呼んだこの大型スーパーも、今となっては昭和の動態保存に見える現代にあって、
「街」の象徴ともいえる餅系食堂はしっかり、健在。その名も、だいりき亭。
力餅→大力餅→大力という流れを確信させる店名ですが、全然関係なかったら、ごめんなさい。
神護寺ライトアップへ向かうバスを待つついでに、寄らせてもらいました。
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2011年10月29日(土)

京都市美術館で行なわれた岡崎ときあかりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
明治28年、京都復興を賭けた平安遷都1100年祭開催にあたり、
本来の平安京大極殿の場所だった千本丸太町付近に、レプリカ建造が提案されました。
が、市街地化してたため、断念。代わりに選ばれたのが、当時は田んぼだらけだった、岡崎でした。
田んぼだらけといってもこのエリア、近くで琵琶湖疎水が開通し、水と電気は極めて、豊富。
京都の近代化をアピールするイベント開催にはうってつけの場所となり、
また、イベント終了後も大箱の近代建築をぶっ建てるのには最適のロケーションということで、
図書館・勧業館・公会堂などの文化施設が次々と建てられました。
昭和8年に建てられた大礼記念京都美術館、現在の京都市美術館も、そのひとつ。
京都で行われた昭和天皇即位の大礼を記念して開設され、
戦後は表札から「大礼記念」を外して近・現代美術の舞台としての役割を果たし続けてます。
今回の「岡崎ときあかり」は、そんな美術館の壁へプロジェクション・マッピングなるものを投影、
昼間とは違う夜の美しさを見せることで、岡崎全体を活性化させようというものです。
プロジェクション・マッピングとは、建物の形状に合わせてデザインした映像を照射するもの。
要はライトアップの客寄せイベントですが、見るだけならタダなので、のこのこ出かけてみました。
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2011年10月23日(日)

時代祭の神幸列を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。
コスプレパレードと揶揄されがちな時代祭ではありますが、
行列の最後列には、平安神宮の祭神・桓武天皇&孝明天皇の御輿がしっかりとついてます。
たとえ明治時代に行われた第一回目が純然たる集客イベントの純然たる余興であったとしても、
現在の時代祭は天皇の御霊をいただく、れっきとした神社のれっきとした祭りというわけです。
その時代行列、ご存知のとおりスタート地点は平安神宮ではなく、京都御所。
で、これも言うまでもないことですが、時代祭は京都御所の祭ではありません。
つまり、あの行列は「神霊が御所へおいでになり、神宮へ帰る」という、還幸にあたります。
還幸があるなら、本来は神幸も、あるはず。いわゆる「おいで」が、あるはず。
「ええ加減にせえ」と交通渋滞にブチ切れる市民を考慮して省略したのかと思いたくなりますが、
実際には時代祭においても、神幸はしっかり行われてます。祭の当日、午前中に。
それも、稲荷祭みたいにトラックへ神輿を載せてピャーっと運んでしまうようなものではなく、
ちゃんと人力で御鳳輦を押し、えっちらおっちらと御所まで運ぶスタイルで。
三大祭のひとつでありながら、葵祭&祇園祭に比べると、もうひとつ盛り上がりに欠ける、時代祭。
でも、やることは、やってるのです。で、やることやっても、やっぱり、盛り上がらないのです。
その辺の温度感が、ある意味本編よりも如実に感じられる、神幸列。
行った動機は本編スタートまでの暇つぶしでyはありましたが、とにかく見てきました。
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2011年10月1日(土)

北野天満宮・ずいき祭の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
ずいき祭。
美しい少女を見て随喜の涙を浮かべる祭ではありません。あしからず。
ずいきとは、里芋の茎のこと。漢字で書くと、瑞饋祭。京都の代表的な秋祭です。
のちに北野天満宮の祭神となる菅原道真が、配流先の大宰府にて怨み骨髄で彫り上げた木像を、
随行した西ノ京の神人が持ち帰り、秋の収穫時に野菜や穀物をお供えしたことに始まる、ずいき祭。
ずいき・赤茄子・栗・柿・稲穂などの野菜で作られた『ずいき神輿』が祭りの何よりの名物であり、
元農村ならではの収穫を感謝するさまと、祭ごとに作ってはぶっ壊す神輿本来の聖性が、
ちょっと不思議な形で現在まで継承されてる祭りであります。
毎年10月4日の還幸祭では、ずいき神輿はもちろん、「天神さん」のシンボルである牛も町内を巡行。
現在は完全に住宅地の氏子区域を野菜神輿や牛が闊歩する姿は、独特の風味を醸し出してますが、
この日の神幸祭もそんな不思議さに満ち溢れているかといえば、これがそうでもありません。
ずいき祭の神幸祭は、応仁の乱で途絶して以降ずっと中断したままだったそうで、
再開されたのは実に明治8年のこと。何事も千年単位の京都にあっては、最近の話です。
配流された主祭神・道真の「おかえり」すなわち都への帰還をイメージさせるためか、
還幸祭が極めて盛大に行なわれるのに対し、神幸祭はやや、地味。ずいき神輿の巡幸も、なし。
私も還幸祭の方へ行きたかったんですが、ずいき祭は日程固定で平日開催が多く、今年はアウト。
神幸祭だけじっくりと見物させてもらうことにしました。
とはいえ神幸祭も、行列の巡行、そして何より八乙女舞の奉納など、見所はいっぱいです。
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2011年8月24日(水)

化野念仏寺の千灯供養と愛宕古道街道灯しへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
化野。平仮名にすると、あだしの。
お好きな方はとっても大好き、「化」の字からしてその手のオーラを放つエリアであります。
もともとは鳥辺野・蓮台野などと共に、平安時代の都の葬地であり、
当時はキレイに葬ってもらえる死人なんてほとんどいませんから、一帯には放置された死体が散乱。
その有様をあまりにあんまりだと思った弘法大師・空海が、「埋めたら?」と、土葬をサジェスト。
そして時を経て、法然上人が、この地に念仏道場をビルド。現在の化野念仏寺の始まりです。
土葬が一般化したのはいいですが、埋めたところで何百年も経てば、みんな素性不明の石化&骨化。
明治の中頃には、周辺から出土した由来不明の石塊や石仏は8000にも及び、
それらは化野念仏寺境内の「西院の河原」に無縁仏として結集、供養されるようになりました。
お盆にこの寺で行なわれる千灯供養は、その無縁仏に蝋燭の灯りを奉納する供養。
「京都のお盆」といえば、高い確率でこの仏事が取り上げられる、人気(?)イベントであります。
で、愛宕古道街道灯しは、嵯峨野保勝会が千灯供養に連携して開催する、ライトアップのイベント。
清涼寺から愛宕神社一の鳥居までの古道を、手作りの行灯各種で楽しませてくれるというものです。
7月の借りを返すようなとんでもない猛暑の中、鳥居本の坂を登るのは極めて億劫ですが、
「無縁仏」のオーラにわけのわからん吸引力を感じ、出かけてみました。
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2011年8月23日(火)

阿弥陀寺での嵯峨野六斎念仏奉納を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
現在は寺社で奉納や公演が行なわれることが多い六斎念仏ですが、
かつては地域の家を演奏して回る「棚経」 or 「勧善廻り」も、大々的に行なわれてたそうです。
演奏してもらった家はいわゆる「お布施」みたいなものを渡すわけで、
演舞を披露する喜びのみならず、講中にとっては良い現金収入の機会でもあったんでしょう。
こちらの嵯峨野六斎念仏も、青年団主体で活動してた戦前期は盛んに「棚経」を行なってたようで、
近隣の家々を回るのみならず、台八車に六斎道具を積み込んで、30人以上で洛中へも進出。
懇意にしてる大家を回ったり、あるいは祇園などの色街でも演奏することがあったとか。
この「棚経」、現在はなくなったかといえば、そんなことはありません。
中堂寺や千本、そして嵯峨野などいくつかの講中で、バリバリに敢行中です。
家で、六斎。観てみたい。でも、他人の家へ上がりこむわけにもいかんしな。でも、観てみたい。
中堂寺に親戚はいるけど、結婚式で泥酔してるのを怒って以来、疎遠だしな。でも、観てみたい。
そんな気持ちに応えてくれそうなのが、嵯峨野六斎の阿弥陀寺奉納であります。
阿弥陀寺、名前からして完全に寺ですが、建物は限りなく民家に近し。
天井の低さに冷や冷やしながら観る六斎は、きっと「棚経」に近いテイストが醸し出されてるはずです。
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2011年8月18日(木)

上御霊神社での小山郷六斎念仏奉納を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。
六斎念仏が行なわれるところは、概ね、京都市の中心部からは若干離れています。
以前紹介した中堂寺しかり、壬生しかり、そして今回の小山郷もしかり。
これは、六斎念仏が都の周辺部の農村で受け継がれてきたことに由来するそうです。
村の若い衆が都へ流出するのを防ぐため、六斎を若者組の行事として引き止めたんだとか。
そしてそのことが、六斎の過激なまでの芸能化をより進めた要因になったとも言われてます。
言うまでもなく、現在はいずれの地域も完全なる市街地であり、
八幡市民の私から見たら、四条大宮から壬生あたりなど完全に京都の中心部に見えますが、
大正までは生田村という農村だったりするので、都に歴史ありです。
御陵神社・御霊祭の神輿でも名を馳せる小山郷もまた、「郷」の字の通り、もともとは農村。
六地蔵参りの一番札所である上善寺を本拠地として、六斎保存会が活動を続けてます。
御霊祭は元来はこの日に行われてたという御霊神社の8/18の例大祭でも、演舞を奉納。
で、それを、見に行ったというわけです。神社で念仏というのも、考えれば妙ですが。
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2011年8月12日(金)

北野商店街の糸源へ、鱧を食べに行って来ました。もちろん、ひとりで。
京都の夏といえば、鱧。
というわけで、ひとりで鱧が味わえる店を探し求めるこの企画、遂に上京区へ進出です。
こちらの糸源は、かつてN電が走っていた北野商店街にある、料理屋。
N電というのは、知ってる人は知ってるでしょうが、知らない人は知らないでしょうから説明すると、
明治に京都電気鉄道・通称京電が開通させた、北野天満宮と京都駅を結ぶ路面電車です。
同時期に敷設された路線の多くが市電化されて広軌となったのに対し、
唯一狭軌(Narrow Gauge)のまま残った路線。N電の「N」は、もちろん「Narrow」の「N」。
明治のままな車輌が京の街並を走る往時の姿は、廃止からちょうど半世紀経った現在も人気が高く、
「せめてN電だけでも残ってたら、いい観光資源になったのに」と、悔やむ声も多し。
時の変遷を経て、一応「廃線跡」である堀川通は景観そのものさえ大きく変貌しまくってますが、
この北野商店街のあたりにはまだ微妙に「鉄」の匂いが残っている気がします。
特に、七本末中立売から天神さんまでのカーブとか。何か実に「廃線跡」っぽいなあ、と。
元々このあたりは北野の下の森と呼ばれる北野社の境内だったそうで、
まず鉄道が敷かれ、それにつれて道が出来、商店街が形成されたんだとか。
鉄に先導され街が出来ると、廃線後も動線とかから鉄の匂いが漂うもんなんでしょうか。
と、とりとめのない話は置いといて、糸源です。鱧です。鱧しゃぶです。
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2011年8月9日(火)

壬生寺の六斎念仏を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。
壬生寺で民俗芸能といえば、真っ先に思い浮かぶのは、壬生狂言。
ですが、壬生狂言保存会とは別に、六斎念仏の保存会も存在し、活発に活動をしています。
もともとは六斎日に念仏を修する信仰行事だったものが、
町人文化の開花した江戸中期の京都に於いて急激に芸能化して現在の形になった、六斎念仏。
芸の基本こそ鉦と太鼓に置きながらも、先端の芸能が集約される京都にあっては、
当時流行していた長唄や地唄、歌舞伎の曲や振りなどに影響受けまくり&貪欲に取り入れまくり。
民衆の人気は果てしなくあがり、幕末の頃には狂言をとりこむ講中まで現われたといいます。
壬生狂言のホーム・壬生寺の壬生六斎も、狂言の『土蜘蛛』をしっかり六斎へ移入。
祇園祭の綾傘鉾に奉仕してきた伝統から、棒振も六斎化して「祇園囃子」の入れ事として導入。
また、「獅子舞を土蜘蛛と絡ませる」という、現在の六斎の王道展開は、
壬生六斎が伊勢太神楽から移入したのではないかとも言われてます。
そんな壬生六斎がホームグラウンドで奉納されるのが、万灯会の最初の夜・精霊迎え火。
ステージは、本堂前の特設舞台。バックには、千に近い数の壁のごとき行灯、そして千体仏塔。
ほとんど異次元状態の舞台を背に、圧巻のパフォーマンスが展開されました。
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2011年8月5日(金)

今熊野の魚市へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
『ひとりで食べる鱧』、復活です。
己の財政状態を省みず鱧を食い始め、わずか2回で予算爆発&中断したこの企画ですが、
絶食してみたり、命の次に大事な動画を消してHD購入を先送りしたりすることで、奇跡の予算確保。
想定枠も5000円から3000~4000円に修正して、何とか再開にこぎつけました。
実は中断してる間、鱧ネタを続けるために「ひとりで作って食べる鱧」なんてことを試してたんですよ。
スーパーで生鱧を購入し、おとし・天ぷら・出汁・鱧寿司を見よう見まねで作り、食す、みたいな。
結果はそれはもう恐ろしいこととなり、ちょっと詳述出来ないような臭気が家に満ちたんですが、
しかしその際、鱧の生頭に直接触れる経験を持てたのは、ちょっとした収穫でした。
出汁をとるため、炙ってから肉を落として洗ってる時に感じた、あの不思議な感触。
子犬の頭骸骨を撫でてるような禽獣感と、今にも噛み付いてきそうな鋭い口先との、ギャップ。
「確かにこいつはパワー、あるな」と無条件で納得させられる何かがありました。
鱧のラディカルな魅力、食材以前の生物としての魅力とでもいいましょうか。
で、鱧のそんな魅力にとりつかれてるような気がするのが、こちらのはも料理・魚市。
鱧のレントゲン写真を展示してることで有名な店です。そう、レントゲン。骨でも拓でもなく、レントゲン。
鱧には、思わずそんなことをしてみたくなる何かがあるということなのです。
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2011年8月3日(水)

伏見桃山のラーメン店・大中へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
大中!!ああ、大中!!!
美味くてしょうがない = 小がない = 大中小の小を取って大中!!!万歳!!!!
と、思わず正気を失いましたが、大中の話になると同じ状態に陥る方は多いんじゃないでしょうか。
異常な値段の安さ、異常なオーダーの自在さ、そして異常な中毒性を呼ぶ味で、
伏見住民に止まらず各地から熱狂的なファンを呼び寄せる、伏見ラーメンの名店・大中。
八幡市民の私も、その魅力にとりつかれて以来、ここのラーメンを食うためだけに、
京阪途中下車・近鉄と桃山乗り換え・JR桃山から歩き過ぎ乗り換えなどを、やらかしてきました。
大中、美味いといっても正直、いわゆる高級志向や本物志向みたいなのでは、ありません。
また、背脂醤油や新福系など、京都ラーメン伝統の味を守ってるというわけでも、ありません。
ぶっちゃけ、ジャンクです。ラーメン好きの間で様々な伝説が流れるくらい、ジャンクです。
しかし、ラーメン快楽中枢みたいのだけは恐ろしく正確に突いてくるというか、
「ああ、ラーメン食った」という満足感だけは、最高レベルで満たしてくれる店なのです。
文句を言い出したらいくらでも出てくるけど、それを越える何かがある。いや、あり過ぎる。
ほとんどソウルフード領域の味。それが、大中。
伏見へ立ち寄ったなら、ここのラーメンを食わずに帰るわけにはいけません。
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2011年8月3日(水)

伏見十石舟と、酒蔵通り伏見灯ろうのライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
伏見。
海が無い都・京都にあって、江戸期、港の役割を担った元・港町です。
現在は干拓された巨大湖・巨椋池、それと一体化したほとんど宇治川に面し、
京都へは高瀬川、大阪および瀬戸内海には淀川で繋がってた、水上交通の一大ターミナル・伏見港。
半分以上発狂して明征服を目指した秀吉が、伏見城を築城したことで城下町として整備され、
江戸時代に入ると、伏見城はぶっ潰されたものの、京阪間の経済都市として発展。
明治維新に至るまで、十石舟・三十石舟・伏見舟などが川の上を活発に往来してたわけですが、
しかし幕末、ややこしい奴らが現れ、血ぃパッパ。さらに、鳥羽伏見の戦いにより市街地、全焼。
命の綱の舟運も、京阪間に省線の鉄道(現在の東海道本線)が開通したことで、大打撃。
明治末までは蒸気船を走らせて頑張りましたが、おけいはんが伏見経由で開通して、絶滅。
「不死身」の街として起死回生をはかる伏見は、「伏見の酒」で知られる酒造で盛り返します。
また、陸軍演習場も誘致。鉄っちゃんご存知の無橋脚トラス橋「澱川橋梁」なんかも、誕生。
現在では京都・大阪・奈良へのアクセシビリティが活き、市内有数の人口増加率を誇示、
「港町」としての顔は、すっかり過去のものとなりました。
が、風情は今でもあちこちに残っていて、その代表格が、街の川を走る観光舟・伏見十石舟。
そして、その風情を酒蔵のビジュアルと共に夜も楽しもうと言うのが、
夏季恒例・十石舟の夕涼みライトアップ運行と、酒蔵通り伏見灯ろうライトアップであります。
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2011年7月28日(木)

祇園祭の神輿洗式へまた行ってきました。もちろん、ひとりで。
神輿洗式。10日にも同じ神事がありましたが、基本、内容も同じです。
主祭神・素盞嗚尊が乗る中御座の神輿が、四条大橋まで出向き、神水を浴びて清められるという。
10日のは「祭りの準備」としてのお清めでしたが、28日の今回は言わば「仕舞い」。
この儀式終了後、三基の神輿は境内の神輿庫へ入り、来年の夏までお休みです。
まだちょこちょこ神事各種は残ってますが、祇園祭の締めに近い行事ではないでしょうか。
ところでこの神輿洗、実は神輿を洗ってるのでなく、鴨川の神を送迎してるという考え方があります。
荒くれ川・鴨川の神を祇園祭へ招き、機嫌をとり、何とか夏の「荒れ」を回避しようという。
確かに、四条大橋の上で執り行われる儀式は、榊で鴨川の水をチャッチャとかけるだけ。
「洗う」感じにはちょっと、見えません。でも「神様を遷してる」なら、見えなくもありません。
鴨川の夏の風物詩・川床も、この「鴨川の神」の「お出かけ」に由来するといいます。
神様が留守だ、と。なら、多少宴席を設けても構わんだろう、と。で、川床が生まれた、と。
実際、江戸時代の川床は、前と後の神輿洗の間だけの超期間限定営業だったそうです。
「なら現在の川床は神の・・・」とかいらんことを言いたくなりますが、とにかく神輿洗であります。
10日とは違い、お迎え提灯の行列がない分、シンプルに神事を見れる、28日の神輿洗。
祭りの終わりの気分を感じながら、ご覧下さい。
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2011年7月21日(木)

五智山蓮華寺のきゅうり封じへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
きゅうり封じ。それは、弘法大師が京の都に遺した、秘法。
恐ろしい呪術には事欠かない京都の中でもダントツの法力を持ち、
あまりにシャレにならぬゆえ、メジャーなメディアでもカルトなメディアでもその扱いは極めて、希少。
今だ全貌さえ明らかになってないそのきゅうり封じへ、私は単身乗り込んだ・・・というのは大嘘です。
もらったパンフに「土用丑の日は年一回の秘法厳修の日」などと書かれてたので、
狂った反応をしてしまいました。鰻を食う勢いで「秘法厳修」するギャップ感が、たまりません。
実際のきゅうり封じは 「きゅうりに願かけて、悪いところを持ってってもらう」 というもんです。
病苦・悪行の根から逃れ、長生き&安楽往生できるよう、大師が秘法を残してくれた、という。
「だけど、何できゅうり?」と思うんですが、一説によると空海、きゅうりが嫌いだったそうです。
人形とか使えばいかにも「秘法」っぽいですが、そこを、きゅうり。それも、自分が嫌いな、きゅうり。
千年の時を超えて空海の素顔がダイレクトに感じられるような由緒であり、
ゆえに、千年の時を超えて人々からの信仰を集め続けている行事であります。
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2011年7月13日(水)

祇園祭の宵々々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
宵々々々山。もちろん、そんな言葉はありません。でたらめです。
でも「宵々々山」という言葉は定着してるようなので、ちょっと言ってみただけです。すんません。
ちなみにこの表記の仕方だと、本当の意味で祇園祭が始まる7月1日のことは
「宵々々々々々々々々々々々々々々々山」ということになります。いや、なりません。すんません。
そもそもは「宵々々山」はおろか「宵々山」という呼び方さえアウトというか、正しくはなく、
元来は山鉾巡行より前の夜を全て「宵山」と呼ぶんだそうです。でも、まあ、流れでと。
歩行者天国が14日からなので、宵々々山までは大目に見ようかと。そんなところであります。
鉾立てに続き、山立てや曳き初めも始まり、稚児社参や久世駒形稚児社参も行なわれた、この日。
コンチキチンの祇園囃子も鳴り始め、山鉾町は一気に祭のムードが強くなってます。
そんな宵々々々山(しつこい)の町を、ひとりでフラフラとうろついてみました。
それぞれの山鉾については、いろんなところで説明され、語り尽くされてるので、駄文は省略。
淡々と画像のみでお楽しみください。
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2011年7月10日(日)

祇園祭の神輿洗式とお迎提灯へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
祇園祭、始まりました。いや、既にもう、始まってます。
7月1日の吉符入りに始まって、月末の疫神社夏越祭に至るまでの1ヶ月間、
宵山&山鉾巡行をピークとして延々と神事・行事・イベントなどが続きまくる祇園祭。
一般人としては、この日の神輿洗式あたりからが鑑賞できる行事になる感じでしょうか。
神輿洗式。読んで字のごとく、神輿を洗う神事です。
山鉾巡行が終わった後に行われる神幸祭、そこで渡御される神輿を鴨川の水で清める神事です。
が、この神事、単に神輿をきれいにするという意味だけで行われるわけではありません。
鴨川の神様を慰撫・歓待するため、神輿に乗せ、八坂神社へお迎えするという意味も持ってます。
かつては大雨が降るたびにグデングデンに流路を変え、白河院をも悩ませた荒くれ川・鴨川。
特に夏は、怖い。水害的にも怖いし、伝染病的にも、怖い。今だって本当は、結構、怖い。
神様に何とか機嫌良くなってもらえるよう「おもてなし」をしなくてはいけないわけです。
というわけで、神輿洗と共にこの日行われるのが、鴨川の神様に歓迎の意を示す「お迎提灯」。
祇園萬灯会有志が「おむかえ」と書いた提灯を立て、各種コスで行列を組み、
八坂神社から寺町通りを練り歩いて、神輿に乗った神様をお出迎えします。
神輿、大松明、馬、稚児、鷺舞、小町をどり、祇園祭音頭の浴衣少女、そしてお囃子のコンチキチン。
言ってみれば祭りの準備、プレイベントならぬプレプレイベントみたいなものであるにも関わらず、
物凄いボリュームの神事なのであります。
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2011年7月3日(日)

高台寺の七夕会夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都随一の観光寺院・高台寺と、織姫と彦星が年に一度の逢瀬を果たす七夕。
この2つの組み合わせと聞いて、あなたは一体どんなものを思い浮かべるでしょうか。
ねねの道を和風テーマパークと勘違いしてうろついてるようなカップルどもが、
ペラッペラな安物の浴衣を着て群れ集うイベントを想像されるでしょうか。
あるいは、「新しい形で京都を楽しもう」「もっと自由にお寺を楽しもう」みたいなことを言って、
壁みたいな化粧した女と「ですよねぇ」ばっかり言う男が「つながる」イベントを想像されるでしょうか。
もしくは、ねねの秀吉への愛を無理矢理に前面へフィーチャアする形で、
秀吉像&ねね像に七夕飾りをつけるような、何かもうよくわからないものを想像されるでしょうか。
7月7日ではなく、7月7日に近い土日に毎年開催される、高台寺の七夕会。
公式サイトでは「地元の子供たちから短冊を集める」とかホンワカ路線なことが書かれてますが、
恋愛ハイの輩に蛾の習性を発揮させる高台寺名物・夜間拝観も、しっかり同時開催。
和風テーマパークが和風ディズニーランド並の鬼門に化けること、必至と思われるのであります。
怖い。ちょっともう、怖い。でも、あんまり怖いと、怖さの程度を確かめたくもなる。
そんな肝試しのような興味から、初夏の夜の高台寺を訪れました。
で、現場で見たものは、そんな馬鹿げた予想とは全く違う、高台寺の意外な姿でした。
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