2011年7月13日(水)

祇園祭の宵々々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
宵々々々山。もちろん、そんな言葉はありません。でたらめです。
でも「宵々々山」という言葉は定着してるようなので、ちょっと言ってみただけです。すんません。
ちなみにこの表記の仕方だと、本当の意味で祇園祭が始まる7月1日のことは
「宵々々々々々々々々々々々々々々々山」ということになります。いや、なりません。すんません。
そもそもは「宵々々山」はおろか「宵々山」という呼び方さえアウトというか、正しくはなく、
元来は山鉾巡行より前の夜を全て「宵山」と呼ぶんだそうです。でも、まあ、流れでと。
歩行者天国が14日からなので、宵々々山までは大目に見ようかと。そんなところであります。
鉾立てに続き、山立てや曳き初めも始まり、稚児社参や久世駒形稚児社参も行なわれた、この日。
コンチキチンの祇園囃子も鳴り始め、山鉾町は一気に祭のムードが強くなってます。
そんな宵々々々山(しつこい)の町を、ひとりでフラフラとうろついてみました。
それぞれの山鉾については、いろんなところで説明され、語り尽くされてるので、駄文は省略。
淡々と画像のみでお楽しみください。
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2011年7月10日(日)

祇園祭の神輿洗式とお迎提灯へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
祇園祭、始まりました。いや、既にもう、始まってます。
7月1日の吉符入りに始まって、月末の疫神社夏越祭に至るまでの1ヶ月間、
宵山&山鉾巡行をピークとして延々と神事・行事・イベントなどが続きまくる祇園祭。
一般人としては、この日の神輿洗式あたりからが鑑賞できる行事になる感じでしょうか。
神輿洗式。読んで字のごとく、神輿を洗う神事です。
山鉾巡行が終わった後に行われる神幸祭、そこで渡御される神輿を鴨川の水で清める神事です。
が、この神事、単に神輿をきれいにするという意味だけで行われるわけではありません。
鴨川の神様を慰撫・歓待するため、神輿に乗せ、八坂神社へお迎えするという意味も持ってます。
かつては大雨が降るたびにグデングデンに流路を変え、白河院をも悩ませた荒くれ川・鴨川。
特に夏は、怖い。水害的にも怖いし、伝染病的にも、怖い。今だって本当は、結構、怖い。
神様に何とか機嫌良くなってもらえるよう「おもてなし」をしなくてはいけないわけです。
というわけで、神輿洗と共にこの日行われるのが、鴨川の神様に歓迎の意を示す「お迎提灯」。
祇園萬灯会有志が「おむかえ」と書いた提灯を立て、各種コスで行列を組み、
八坂神社から寺町通りを練り歩いて、神輿に乗った神様をお出迎えします。
神輿、大松明、馬、稚児、鷺舞、小町をどり、祇園祭音頭の浴衣少女、そしてお囃子のコンチキチン。
言ってみれば祭りの準備、プレイベントならぬプレプレイベントみたいなものであるにも関わらず、
物凄いボリュームの神事なのであります。
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2011年7月10日(日)

柳家本店へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都の夏といえば、鱧。
ですが、偽京都人の私には夏に鱧を食う習性などありません。
あ、いや、ちょっとだけ思い出はあります。幼少時、母が作ってくれた鱧の吸い物。
安物の骨だらけな鱧を、インスタントの出汁に放り込んだだけの代物。これがまあ、不味かった。
鱧大好きという関東の知人にこの話をすると
「それ!そういうのがいいんですよ」とか喜びましたが、実物を食えば閉口すること間違いなし。
本当に泣くほど不味く、それから私は鱧が嫌いになりました。
嫌いになればなるほど懐には優しい食材なので、特に困ることなく今まで生きて来ましたが、
しかし、京都の夏といえばやはり、鱧。
京都ベタスポットの単独正面突破を身上とするうちとしては、逃げるわけにはいきません。
本当にベタな老舗にはとても入れませんが、比較的庶民派な店でも美味しい鱧はあるはず。
そんな店を渡り歩く、夏季限定シリーズ 『ひとりで食べる鱧』。
予算は、5000円以内。金が続く限り続けます。次回か、下手すると今回で終了かも知れませんが。
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2011年7月7日(木)

白峯神宮の七夕祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
白峯神宮。
御存知、「日本国の大魔縁」となったことで知られる崇徳天皇を祀る神社です。
保元の乱に敗れ、讃岐国へ流罪とされ、都を呪いながら死んでいった、崇徳帝。
「皇を取って民とし、民を皇となさん」と血で書きつけたその呪いのパワーこそが、
鎌倉以降長らく日本を武士の国にしてしまったと考えたのは、大政奉還を控えた維新政府。
「この呪い、何とかしとかないと、マジヤバし」と考えたのか、実に明治改元の2日前、
讃岐国より京都へ帰還した崇徳帝の御霊は、この白峯神宮へ遷霊されたのでした。
しかし、この神社が祀ってるのは恐怖の大魔縁だけではありません。
境内には多くの摂社がありますが、中でも東側で大きな存在感を放ってるのが、精大明神。
この土地は元々、蹴鞠の宗家・飛鳥井家の邸宅跡。で、精大明神はその飛鳥井家の祖先神。
ゆえにこの神様、蹴鞠はもちろん、サッカーは初めとした球技各種の上達に効能があると言われ、
プロアマ問わずたくさんのスポーツ関係者から篤い信仰を集めてます。
白峯神宮の七夕祭は、崇徳帝ではなくこの精大明神のお祭り。精大明神例祭。
蹴鞠はもちろん、舞楽や、かつて七夕踊りとも呼ばれたという「小町をどり」なども奉納されます。
あいにくの雨ですが、舞殿での蹴鞠というのもそう見れるものではありません。
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2011年7月3日(日)

高台寺の七夕会夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都随一の観光寺院・高台寺と、織姫と彦星が年に一度の逢瀬を果たす七夕。
この2つの組み合わせと聞いて、あなたは一体どんなものを思い浮かべるでしょうか。
ねねの道を和風テーマパークと勘違いしてうろついてるようなカップルどもが、
ペラッペラな安物の浴衣を着て群れ集うイベントを想像されるでしょうか。
あるいは、「新しい形で京都を楽しもう」「もっと自由にお寺を楽しもう」みたいなことを言って、
壁みたいな化粧した女と「ですよねぇ」ばっかり言う男が「つながる」イベントを想像されるでしょうか。
もしくは、ねねの秀吉への愛を無理矢理に前面へフィーチャアする形で、
秀吉像&ねね像に七夕飾りをつけるような、何かもうよくわからないものを想像されるでしょうか。
7月7日ではなく、7月7日に近い土日に毎年開催される、高台寺の七夕会。
公式サイトでは「地元の子供たちから短冊を集める」とかホンワカ路線なことが書かれてますが、
恋愛ハイの輩に蛾の習性を発揮させる高台寺名物・夜間拝観も、しっかり同時開催。
和風テーマパークが和風ディズニーランド並の鬼門に化けること、必至と思われるのであります。
怖い。ちょっともう、怖い。でも、あんまり怖いと、怖さの程度を確かめたくもなる。
そんな肝試しのような興味から、初夏の夜の高台寺を訪れました。
で、現場で見たものは、そんな馬鹿げた予想とは全く違う、高台寺の意外な姿でした。
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2011年6月30日(木)

上賀茂神社の夏越大祓へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
夏越祓の茅の輪をくぐりまくり、オーラスです。
小さめの神社を一日中駆けずり回り、茅の輪をくぐりまくった夏越デイでしたが、
締めはやはり世界遺産、超メジャー級で行こうじゃないかということで、上賀茂神社であります。
といっても「みなづきのなごしのはらえするひとはちとせのいのちのぶというなり」と言いながら
輪をくぐるだけではありません。結構な神事も行われるので、そっちも見物しました。
上賀茂神社は、祓、禊祓を非常に重要視してるそうです。
理由は、祭神である賀茂別雷神が母・玉依比売命の禊の最中に降臨したからだとか。
大和国・葛城から、山城国、そして上賀茂地域に定住した賀茂県主族は、神を求めた、と。
一族の祭祀の権を与えられた玉依比売命は、神の降臨を願って毎日川辺で禊をした、と。
すると、川上から仁塗の矢が流れてきたので、持ち帰った、と。
その夜、何か神を感じ、子供が生まれた、と。で、その御子が祭神・賀茂別雷神だった、と。
このような由緒ゆえ祓を大切にし、この夜の夏越大祓&人型流しも荘厳に執り行われます。
元々夏越祓は12月の晦日に共に「大祓」という国家的な除災行事だったそうで、
奈良時代には朱雀門前に百官が集まり、大祓詞を読み上げるという大層なものだったとか。
上賀茂神社の夏越大祓はもしかすると、そんな平安以前の祓の姿を伝えてるかも知れませ
地元の神社で地元の人たちがささやかに無病息災を願うのとは一味違う、
世界遺産ならではの祓いの儀、ご堪能ください。
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2011年6月30日(木)

市バスの一日券を使った、でも結局歩きまくってる夏越祓の茅の輪くぐりまくり、前編の続きです。
全くどうでもいい話ですが、私、バスが苦手なんですよね。
どこの街のバスも苦手なんですが、京都のバスは特に苦手です。
府民ではあるものの相当長く利用し続けてるはずですが、未だに系統さえ覚えられません。
何より車内の空気が、ダメなんですよね。あの、モワ~っとした空気というか、ノリというか。
一言で言うなら、しんきくさい。 「遅延にイラつく」 といった話ではなく、空気そのものが、しんきくさい。
このしんきくさい空気、バスのみならず、地下鉄にも漂ってることがあります。
特に、市営地下鉄の今出川以北。何故か列車の中の雰囲気がバス的になり、すごくしんきくさい。
「鉄道の生理」が欠落してるというか、鉄道の基準で人間が動いてない感じが、苦手なんですよ。
私は京阪の駅前に生まれ、列車が大鉄橋を渡る音を聞いて育ったような人間なので、
京都市中心部に漂うこの「非鉄」なノリに、いつまで経ってもなじめません。
明治以前に街が出来上がってた多くの都市と同様、
京都も大きな鉄道 = JR・京阪・近鉄・阪急などは市街地中心部を避けて建設されてますが、
阪急が市街地ど真ん中の四条通り地下へ乗り入れる昭和中頃までその状態が続いたために、
京都の「非鉄」はある意味、純粋培養されてしまったのでしょうか。
と、全く無関係な話を全く無意味に終えたところで、夏越祓の茅の輪めぐり、後編であります。
後編は灼熱のラッシュ、ひたすら数ばっかりこなしていく様を、ご覧下さい。
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2011年6月30日(木)

夏越祓の茅の輪をくぐりまくってきました。もちろん、ひとりで。
夏越祓。なごしのはらい。6月の晦日に行われる、お祓いです。
正月からの半年間でこびりついた身の穢れを、多くの神社で設置された茅の輪をくぐることで祓い、
疫病の脅威と暑さそのものが本格化する厳しい夏を乗り切ろうという慣わしであります。
元々は701年の大宝律令によって定められた「大祓」という国家的な除災行事だったそうで、
かつては朱雀門前に百官以下天下万民が集まり、国民全ての犯した罪や穢れを祓ったんだとか。
しかし現在ではもちろんそんな大層なことは行われず、
むしろ茅の輪目当てにあちこちの小さい神社を訪問する楽しみが味わえる日となってます。
で、私、この日が暇だったので、穢れに穢れた身を清めようと、市内各社の輪をめぐってみました。
行ってみたかった神社が数社と、あとは適当にその場の気分で足が向いたお社と。
市バスの一日乗車券を買って、でも五十日ゆえか混雑しまくりなので結局大半は歩いたりして、
「みなづきのなごしのはらいするひとはちとせのいのちのぶというなり」と言いまくりました。
あ、これ、茅の輪をくぐる時の呪文です。意味ですか。さあ、何なんでしょうね。
おおむねどこの神社も、人はまばらか無人なので、客層リサーチや気まづさ度チェックは省略。
ひたすら輪をくぐり続ける様、ごらん下さい。
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2011年6月18日(土)

よしもと祇園花月の『キュートン IN 祇園』 へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
祇園会館。ああ、祇園会館。京都を代表する名画座、祇園会館。
もちろん名前の通り、祇園にあります。八坂神社西楼門の目の前。祇園バス停と一体化。
「2本立て」「飲食物持ちこみ自由」「入れ替えなし+入退場自由」というフリーダムな営業スタイルで、
映画ファンのみならず暇つぶしを求める地元民に長く愛されてきた館であります。
映画のみならず、秋には祇園東の芸妓はん舞妓はんが集結する『祇園をどり』も、ここで開催。
というかそっちメインで建設されたんですが、とにかく意外な立地の意外に立派な箱なのです。
私も、ちょくちょく来たりします。大抵は入場料1000円の木曜か映画の日ですが。
記憶が正しければ、『トレインスポッティング』 なんかもここで観たはずです。
「ラリったあげく寝グソをこき、そのクソを他人の食卓へ撒き散らす」シーンを観たのと同じ舞台で、
キュートンのライブを観れるというのも、祇園さんが呼んだ縁なのかも知れません。
よしもと祇園花月は、そんな祇園会館を吉本興業が借りる形でオープンさせた演芸場。
本格オープンは、2011年7月下旬。それまでは、プレオープン期間。
週末にネタ公演や特別公演各種が行なわれてますが、この日のキュートン公演もその一環です。
キュートンの説明、省略します。説明要る方は多分、読んでくれないと思うので。
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2011年6月12日(日)

日の出湯の『蛍の夕べ』へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
日の出湯。
比較的京都駅から近いということもあってか、レトロ銭湯マニアには知られた名湯であります。
京都駅から近鉄線の高架に沿って南西へ進むこと、10数分。
一大ターミナルの徒歩圏とはとても思えない下町情緒溢れる街並の中を通り、
狭い脇道へ積極的に迷い込んだ末に目の前へ現れるのは、昭和の動態保存。
ため息が漏れる、超リアルレトロな外観。外観に輪をかけてレトロな玄関、番台、脱衣場、坪庭。
でも、浴場自体はしっかり改装され、バリバリ現役の実用重視。
情緒がトコトン味わえ、そして実用性もトコトン享受できる、実に素晴らしい銭湯なのであります。
そんな日の出湯が毎年6月に行なってるイベントが、『蛍の夕べ』。
脱衣場そばの坪庭に蛍スペースみたいなのを設置して、淡い光を楽しむという趣向です。
「レトロ銭湯」「坪庭」と、おしゃれな連中が群がって使い捨てにしそうなワードが並んでますが、
実際の内容はさほど賑やかだったり大袈裟だったりするもんではありません。
蛍スペースというのも、坪庭に蛍を放すのではなく、箱の中で蛍を見ることになります。
トップ画像の告知紙も含めて、実に手作り感溢れるイベントなのです。
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2011年6月11日(土)

下鴨神社の蛍火の茶会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
蛍火の茶会。
文字通り、下鴨神社・糺の森を飛び交う蛍の灯りを眺めながら、お茶を嗜む催しです。
都市部にありながら、太古以来の山城原野の植生を残すという、糺の森。
特に5月から6月にかけては緑が美しく、神の森というイメージが強いスポットであります。
が、ここ、江戸時代には庶民の憩いの場として、茶店も立ち並んだりしたんだとか。
森の中を流れる川に船を浮かべての納涼茶会、また能や相撲なども行われたそうです。
しかし明治維新以後、下鴨神社は国の管理下に置かれ、茶会などの庶民的行事はどんどん消滅。
昭和に入ると、周囲が開発されたことで糺の森の環境も悪化。
川には上流からの農薬が流れ込み、蛍はもちろん昆虫類も絶滅寸前に至ったそうです。
現在の蛍火の茶会は、地元の人たちにより糺の森周辺の川が繰り返し清掃され、
放流された蛍が定着したことをうけての復活もの。明治の廃絶から実に100年ぶり。
重文である橋殿・細殿で夕方から茶が供され、夜には御手洗池で大量の蛍を放流。
加えて、神服殿では下鴨神社名物・十二単の着付が行われ、各種音曲の披露もあります。
そんな風流な茶会へ行ってきました。と言っても、私は茶会そのものには参加してませんが。
お茶のこと、知らないし。それに事前申し込みしないと駄目だし。
ただただ、蛍を見に行っただけです。
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2011年6月10日(金)

伏見稲荷の田植祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
稲を荷うと書いて、イナリ。稲荷はあくまで、農耕神であります。
「ウソをつけ」と言いたくなるくらい、伏見稲荷の「お塚」にはあらゆる効能を誇るお社が密集し、
神々のラッシュアワー、あるいは神徳のワンストップサービスとでもいうべき状態を呈してますが、
しかし稲荷はあくまで、農耕神であります。だからこそ、これだけ幅広い欲望を集めるのであります。
なぜ集まるかといえば、それはおそらく、我々日本人が農耕民族だからでしょう。
自然にひれ伏すだけでなく、コントロールして収穫を得るという、テクノロジーの萌芽としての稲作。
その第一歩である 「苗を植える」 という小さな行為に、
産業・商売問わず、豊穣を生むあらゆるものの始まりをごく自然に連想できる、我々の感性。
どっかのわけのわからん映画で、猿が天へ向けて投げた骨が宇宙船に化けたように、
田に植えられた1本の苗は我々の魂の中で、スカイツリーにまで真っ直ぐ繋がっているのです。
神前に供する米を収穫する神田に、豊作祈願をしながら苗を植える、伏見稲荷の田植祭。
現代人の目には「のどか」に見え、その見た目に惹かれカメラマンや見物客が集まる神事ですが、
その混雑で「のどか」さがかき消されてる現実が表すように、ここに真に満ちているのは、欲望。
「食いたいものを、食いたいときに、食いたいだけ、食いたい」。
「やりたいことを、やりたい時に、やりたいだけ、やりたい」。
「撮りたいものを、撮りたい時に、撮りたいだけ、撮りたい」。
そんな欲望のカオスなのです。本当かと訊かれたらウソですが、とにかく稲荷なのです。
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2011年6月5日(日)

修学旅行生だらけの清水寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
世界遺産に登録されている清水寺(京都市東山区)で、江戸初期に再建された国宝・本堂の「清水の舞台」を支える柱78本のうち12本にシロアリ被害などが発生していることが7日、わかった。
同寺は現在、本堂を含む建造物9棟の「平成の大修復」を行っており、その過程で判明した。倒壊の危険はないが、東日本大震災などを踏まえ、柱の補強など修復計画の変更も検討している。
清水寺によると、異変がわかったのは平成21年秋。寛永10(1633)年の本堂再建以来、380年近くにわたって本堂と舞台を支え続けてきた直径60センチ以上の欅(けやき)の柱12本がシロアリや湿気の被害で腐食したり、大人の腕が入るほどの空洞が開いていたりする可能性が目視調査などで指摘された。(産経新聞より)
2011年6月7日にこんなニュースが出た、清水寺。
その2日前の6月5日、シロアリにやられてるという舞台はいつもと同様、人間でいっぱいでした。
誰も穴が開いてるなんて知らないわけですから当然ですが、それにしてもそれにしてもであります。
時折りしも、修学旅行シーズン。6月は、特に中学生が多いそうです。
で、中学生は清水寺へやってくると、舞台の欄干に登りたがる習性を持つそうです。
シロアリニュースを聞いたあとで見ると、何とも感慨深いビジュアルの数々、
長ったらしい文章を書くのが何かもう面倒なので、写真のみで淡々と見届けていただきましょう。
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2011年6月3日(金)

貴船・ひろ文で、川床料理を楽しんできました。もちろん、ひとりで。
川床って、もともとは涼を取るためのもんだったんですよ。
だって、京都の夏は暑いから。暑さから逃れるために、川に床を敷いたんですよ、昔の人は。
あ、御存知ですか。で、今もそうだろって。そんなわけないでしょ。今はクーラーがあるんだから。
風というより熱気がまとわり付いてくる夏の京都の川べり vs クーラーが効いた部屋。
どっちが涼しいと思いますか。幻想や痩せ我慢を取り去れば、答えは明らかです。
というわけで、現代の川床は実際的な納涼から開放され、風情こそを楽しむものとなりました。
おかげで、営業形態は年々多様化。期間も夏に限定されず、果てしなく長期化。
明らかに寒いと思える5月も営業し、むしろその寒さを利用して真夏では不可能な昼床が増殖中。
何でもありであります。
が、何でもありだからこそ、貧乏で孤独な我々が川床を楽しむチャンスも生まれるわけであります。
今回訪れたひろ文は、市内中心部より気温が数度低い、京都の奥座敷・貴船の料理旅館。
1200円で川床気分が味わえる流しそうめんで有名な店ですが、
6月いっぱいまでは3500円の清涼膳なる平日限定昼メニューを設定。で、それを食いにいった、と。
あ、為念で言っときますが、貴船の川床は「かわゆか」ではなく「かわどこ」です。
「かわゆか」は鴨川みたいな川沿いの床、貴船は川を覆う床ゆえ「かわどこ」だそうです。
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2011年5月22日(日)

下御霊神社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
下御霊神社。
京都御所の南東にあり、名前の通り御霊 = 怨霊を祀る神社です。
祭神は早良天皇を始め、この世に未練を残して非業の死を遂げた貴人の霊ばかり、八柱。
パッと見は、地元の人が梨木神社と同じ水源という名水を汲みに来る渋い神社ですが、
本当は極めてやんごとなき、そして恐るべきルーツを持つ社なのであります。
平安前期・貞観年間、都の人々は、都市化により熾烈を極めるようになった疫病に直面。
貴賎問わず襲い掛かるこの災厄を、人々は御霊によるものと考え、貴人の霊を慰める御霊会を開催。
怨念の直接的なターゲットであるため、ある意味民衆以上に怨霊にビビリまくっていた朝廷は、
この動きに呼応する形で神泉苑にてオフィシャルな御霊会を開催&年中行事化。
有名な祇園祭のルーツの話ですが、下御霊神社も同経緯で創始されたと考えられています。
例祭には、今宮のやすらい祭と同じく、いにしえの御霊会のテイストが色濃く残存。
神幸列のプレ祇園祭な剣鉾や山車が、平安期の祇園祭をイメージさせることも、多大です。
また興味深いのが、この神社の氏子区域。もともと上御霊神社と共に皇居の御産土神であり、
多くの御殿や公爵の邸宅が並んでたというこのエリアは、現在はバリバリの都心。
高層ビルと、昔のままの町家が入り混じる、京都ならではのオフィス街になってます。
そこを、平安装束の神職たちが鳳簾を押して歩く、シュールともいえる光景が展開されるのです。
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2011年5月17日(火)

鞍馬寺の五月満月祭 (ウエサク祭)へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
天上と地上の間に栄光の通路が開かれるという、五月の満月の夜。
宇宙より降り注ぐ高次元のエネルギーを身に受けながら、聖水を捧げ、灯を供え、
すべての「めざめ」のため、尊天・大魔王尊に皆で祈るのが、鞍馬寺の五月満月祭です。
魔王尊とは、650万年前に金星より鞍馬山へ飛来した神。別名、サナート・クマラ。
意志・力・勇気・創造・破壊・進化の神にして、人類の父であり、宇宙の大霊・大光明・大活動体。
地下空洞の支配者でもあり、北欧・ヒマラヤ・南米・そして鞍馬山の4ヶ所より自由に出入り。
また人類救済のため、キリストや仏陀を現世に投入。あと、永遠に16歳。
鞍馬寺はこの何でもありな魔王尊を本尊 = 尊天として、千手観音や毘沙門天の背後で密かに信仰、
五月満月祭もまた完全クローズドで密教的に500年以上行われてきましたが、
昭和20年代に至りこの儀式がヒマラヤ山中で行われるウエサク祭と酷似していることが判明。
のみならず、タイ・ミャンマーなどの南方仏教圏でも同様の儀式が脈々と続いてることも判明。
金星経由で魂が世界とリンクしてることを確信した鞍馬寺は、魔王尊を一気に前面へ押し出し、
鞍馬弘教総本山として天台宗より独立、この五月満月祭も一般に広く公開することを決定。
「ウエサク祭」の名を併記し国際的祭典となった現在では、三部構成で朝まで続く儀式に、
多くのヤバい人、もとい、カルトな人、もとい、信仰深い人がオールナイトで集まるようになりました。
何というか、「パワースポット」とか「スピリチュアル」の権化の如き世界なのであります。
「五月満月祭」でググると、それはもう、ヤバ気なサイトばっかりヒットするのであります。
怖いのであります。でも、好奇心には勝てないのであります。
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2011年5月15日(日)

葵祭・路頭の儀のフル追尾、続きです。
京都の人にとって、葵祭は「それほどでもない」んだそうです。
『京都大不満』 という本に、そう書いてありました。曰く、三大祭の中では「それほどでもない」。
祇園祭は愛着度が高い、と。誰が見てもわかります。で、時代祭は全然だ、と。これもわかります。
が、葵祭の「それほどでもない」という感じは、ちょっと微妙なニュアンスの世界かも知れません。
しかし、私にはわかる気がします。一応、勅祭が行われる八幡の民としては、わかる気がします。
勅祭って基本、じっと見るしかしょうがないんですよね。
ほとんど無形無実とはいえ皇族が関わる祭ですから、平民はおいそれと参加できないわけです。
その割には学生バイトが動員されまくってるし、ボランティアの方も多く関わってるんでしょうが、
自分達で作る自分達の自主的な祭というのとは、何かが決定的に違う。
今でも「お上の祭」なわけです。当の「お上」が御所にいなくなっても、「お上の祭」なわけです。
神が街を巡幸することはなく、あるのはコスプレ行列のみ。それらをただ、見る。じっと、見る。
牛車を、風流傘を、知らん間に知らん所で決定される斎王代などを、つくづくと見る。
「見る」側の優位性がとかく強調され、無能ゆえの万能感を膨張しやすい現代において、
葵祭は、見ることしか出来ない平民の無力さを改めて教える儀礼なのかもしれません(大層な)。
5月のよく晴れた都大路を、コスプレ追いかけて走りまわる、そのみっともなさ。
もちろん現代の我々は、そのみっともなさをマゾヒスティックに享受する自由も持ってるわけですが。
社頭の儀を終えた下鴨神社からゴールの上賀茂神社までのパレード後半戦、
同志のあなたもマゾヒスティックに、無能に、追走してみますか。
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2011年5月15日(日)

葵祭・路頭の儀をフルで追尾してみました。もちろん、ひとりで。
葵祭。言うまでもなく、京都三大祭のひとつです。
夏の祇園祭、秋の時代祭と並んで、春の京都の重要な観光資源でございます。
本名、賀茂祭。上賀茂神社と下鴨神社、両賀茂社の例祭であり、
私の地元の石清水祭・奈良の春日祭と共に、勅使が派遣される三大勅祭のひとつでもあります。
そもそも京に於いて「祭」といえばこの賀茂祭のみを指したくらい、その重要性は高く、歴史も長し。
平安遷都以前から「猪殺して乱闘しまくり」の喧嘩祭として、何度も禁制食らうほどの大盛り上がり。
遷都以降は賀茂社の王城鎮護指定を受け、勅祭化。また都の祭として、洗練化。
特に、御所から社までを天皇の使い・勅使とその行列が華麗な姿で行進する路頭の儀は、
雅な姿がさながらファッションショーの如き人気を呼び、見物人の場所取りで諍いが起こるほどに。
以後、応仁の乱でしばらく途絶したり、明治維新や第二次大戦などによる中断を挟みつつも、
そのたびに何とか復興、戦後は斎王代も導入し、一貫して京の「祭」であり続けてます。
流鏑馬神事・歩射神事・競馬会神事・御阿礼神事・そして御影祭などなど、
単体でも集客力のある神事が並ぶ葵祭ですが、一番の客寄せパンダはもちろん、この路頭の儀。
新緑眩しい都大路に華麗なる王朝絵巻を再現する、全長1キロもの日雇いバイトのコスプレ行列。
しかし着ている衣装は全部本物、下手すると着てる人間より高価だったりするので、あなどれません。
そんな路頭の儀、スタートの御所からゴールの上賀茂神社までは実に8kmに及びますが、
最初から最後まで、徒歩のみで追いかけてみました。何故って、暇だし・・・。
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昼も、ひとり,
★★★,
春も、ひとり,
上京区,
ひとりで京都の三大祭,
拝観無料,
超メジャー級,
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大混雑,
葵祭,
斎王代,
京都御所,
下鴨神社,
勅祭 |
2011年5月7日(土)

大原・宝泉院の春の夜灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
宝泉院。いわゆる「額縁の庭園」で有名な寺です。
客殿の柱の間の空間を額縁に見立て、「立ち去りがたき」庭園・盤桓園を鑑賞するという、あれ。
京都を「そうだ」呼ばわりしてださってどうもありがとうな某CMでフィーチャアされてから特に、
絵画のようなその美しいビジュアルが人気を博するようになりました。
独立した寺ではなく、すぐそばに建つ勝林院の僧坊。やはりすぐそばの実光院とともに創設。
70年ほど昔は高浜虚子によって「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠まれる無住寺だったとか。
それが今では「閑」を求めてやってきた観光客ですっかり人だらけ、などということはありません。
三千院&勝林院よりさらに奥にあるという立地、そもそも大原自体が市街地から遠いアクセス性、
加えて昼間でも強制的にお茶とお菓子がいただけて800円という拝観料設定が、
紅葉などのピークタイムを除いてこの寺の侘びの味をしっかりと動態保存。
大原名物・声明の響きの中で落ち着いたときを過ごせる空間を、現在も作り出しています。
そんな宝泉院が4月下旬からGWにかけて行うのが、春の夜灯り。
新緑に萌える庭園をライトアップで彩り、立ち去り難き風景をさらに立ち去り難くするというものです。
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2011年5月7日(土)

大原女まつりの大原女時代行列へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
大原女と書いて、おはらめ。
隠棲の里・大原より、独特のスタイルで薪や農作物を京へ売りにやってくる女性達の通称です。
そのルーツは、壇の浦で我が子を抱いて入水するも死にきれず、寂光院に隠棲した建礼門院。
院に仕えた阿波内侍の作業着姿を、地元娘たちが真似。それが大原女の始祖と考えられてます。
鄙の中にも御所由来のセンスが光るその姿は、古くから歌に詠まれ、絵にも描かれ、
単なる行商としてのみならず、一種の雅な風物詩として長らく都の人から愛されたとか。
しかし大原女、実際は雅どころではない重労働です。大原から京都までの移動は、もちろん、徒歩。
バスなど、走ってません。そもそもバスが走れるような道さえ、最近までありませんでした
だからこそ行商に意味があったわけですが、交通が開けるとその意味が薄まり、大原女は減少。
今の大原女は、観光用ばっかり。で、それではいかんと奮い立ったのが、当の大原観光保勝会。
地元以外の若い女性にも大原女の衣装を着てもらおうと、「大原女まつり」なるイベントを企画。
大量の変身大原女を動員して、時代行列も開催。それに絡めて、フォトコンテストも開催。
「変わった格好したい」女と、「女を撮りまくりたい」男が集結するイベントとして、
人気を博するようになりました。
「それ、要するにコスプレ撮影会ですよね」と言われたら、全くその通りです。
ただ、カメコの平均年齢が普通の撮影会の3~4倍高いのが、大きな特徴であります。
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