植藤造園の夜桜を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年4月12日(木)


植藤造園の夜桜を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「桜守。なんと匂やかで優雅な職業名であろうか」
という書き出しで始まるのは、入江敦彦の 『京都人だけが知っている』 ですが、
テレビなどで見かける当の桜守・十六代佐野藤右衛門氏は、職業名が持つ優雅さとは真逆に、
コテコテな地の言葉、いわゆる京言葉ではない京都の地の言葉をしゃべりまくってます。
何というか、聞きようによっては柄の悪い大阪弁よりさらにダーティにも聞こえる、
「け」 の語尾の連発がわけのわからんアーシーな粘着力を感じさせる、京都の地の言葉。
私の実家は建築に噛んでた時期があり、その時期に見かけた職人さんたち、
いや、そのプロフェッショナリズムにより敬意を表すなら、むしろ 「おっさんら」 と呼ぶべき彼らが、
正にその 「地の言葉」 で話す人たちでした。「け」 の人たちだったわけです。
なので私には、佐野藤右衛門氏が単なる植木屋か土建屋のおっさんに見えたりします。
たけしのアート番組とかで 「映画の監督っちゅうのは・・・」 みたいなことを話してるのを見ると、
「おいおいおっさん、ええ加減にせえ」 と、思わず突っ込みたくなったりします。
実際には、たけしよりもはるかに偉い人かも知れないのに。
そんな (どんなだ) 佐野藤右衛門氏、春になると広沢池近くの自邸の桜を一般開放しています。
家業である造園業・植藤造園の、桜畑。桜守の桜、というわけです。
周囲はかなりな山の中ゆえ、夜は闇の中に桜が美しく映え、年々人気も上昇中。
私ももちろん夜桜を拝ませてもらうべく、乗り慣れない路線のバスに揺られ、
洛西は嵯峨野に近い広沢池へ向かったのでした。

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桜満開の京都市動物園へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年4月12日(木)


京都市動物園へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都市動物園
名前の通り、京都市の動物園です。京都市立の動物園です。
明治初頭、奠都による衰退を挽回するため、京都では博覧会を立て続けに開催。
都をどりを生んだ第一回京都博覧会や、時代祭発端の第4回内国勧業博覧会などが有名ですが、
そんな晴れ晴れしい博覧会にはいつも、禽獣会なるものが同時開催されてたんだとか。
禽獣、すなわち、孔雀などの鳥とケダモノ。それらを見世物にする、と。いわば動物園のルーツ、と。
京都市動物園は、その禽獣会をスケールアップさせるかのような形で、創立されました。
名目は、大正天皇の成婚記念。場所はもちろん、博覧会のメッカである岡崎。
金がとことんなかったのか、必要な建設資金は市税に加えて市民に寄付を募る形をとり、
明治36年、上野に次いで日本では2番目、市立としては日本初の動物園がオープンしたわけです。
以来100年以上に渡り、京都の子供たちへ様々な動物と触れ合う機会を提供し続け、
辺境に住む子供だった私なんかは小学校最初の遠足の行き先がここだったりしたんですが、
そんな本来業務の他にも京都市動物園には大きな魅力があって、それは、桜。
園内には創立時に植樹されたという数百本の桜が並び、これが案外、立派。
インクラインなど、近代の匂いがする名桜が多いこのエリアにもあっても、なかなかの見物。
場所柄、和みムードなのもあり、隠れた桜スポットして人気があったりします。
そんな京都市動物園の桜、動物と共に見てきました。

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ふかくさ・藤森・桜並木ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年4月10日(火)


ふかくさ・藤森・桜並木ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

桜といえば、軍です。軍といえば、桜です。
花と散り、闇に溶ける。このエロスとタナトスの魅惑に、県境も府境もありません。
「ソメイヨシノなんてどこでも同じように咲く桜、別に見とないわ」 というネイティブ京都人も、
「京都の桜は、山桜や枝垂桜。ソメイヨシノで喜ぶのは、素人」 とか言う知ったかぶりの素人も、
軍のオーラに加え、近代の残り香も濃厚に漂う地で鮮やかに咲くソメイヨシノを目にしたら、
きっと己の不明を恥じ入り、思わず腹のひとつでも切りたくなるというものでしょう。
かつて帝国陸軍第16師団が置かれ、京都近代化の象徴・琵琶湖疎水も流れる地、深草+藤森。
京都にあっては珍しく 「戦前の日本」 or 「戦争」 そのものの匂いが残るエリアです。
ちょっと目を凝らせば、至る所に 「皇紀」 や 「紀元」 や 「陸軍用地」 と刻まれた道標が残り、
「師団街道」 や 「第一軍道」 などというそのまんまな名前の道も、あちこちに現存。
そして、疏水沿いには春になるたびパッと咲いてパッと散るソメイヨシノが並ぶのであります。
2011年からこの疏水沿いで始まった 「ふかくさ・藤森・桜並木ライトアップ」 は、
近代のエロスとタナトスを体現するソメイヨシノを、闇の中でより妖しく輝かせることで、
ベタな死の誘惑を軽視+冷笑しスルーし続けてきた戦後日本の臆見を批判し、
その臆見により崩壊しつつある現代社会も批判するイベント、というのはもちろん、大嘘です。
軍都であったことも、疏水が流れることも本当ですが、イベントは基本、単なるイベント。
ただ知名度がまだまだのため、結構な穴場感が味わえるスポットになってます。
そんな深草・藤森の夜桜、軍の残り香と共に楽しんできました。

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仁和寺の御室桜を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

2011年4月21日(木)

御室桜と御影供の列
仁和寺の御室桜を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

「私しゃ お多福 お室の桜 花は低ても 人が好く」。
仁和寺名物・御室桜の花の低さと、醜女の鼻の低さをかけて歌われた、俗謡です。
「お多福みたいな顔で御室桜みたいな低い鼻やけど、愛嬌あるからモテモテや」と。
あ、ちなみに「低ても」という表記に、送り仮名の脱字はありません。
「ひくても」とまんまで読んでも、よろし。あるいは「ひくぅても」と読んだら、なおよろし。
「ひくても」と読む場合、「ひくくても」から真ん中の「く」を抜くニュアンスではなく、
「ひくぅても」からちっちゃい「ぅ」を省略する気持ちで読むと、なおなおよろし。ほんまかいな。
土壌が固いのか粘土質だからか、とにかく3mくらいしか花の背が伸びず、
根元から枝が張るという特殊なビジュアルを誇る、御室桜。
江戸初期・寛永年間に現在の伽藍が再建されるのに合わせて植えられ、
後水尾上皇が観桜、のちに町人も花見するようになり、上記の歌も生まれたわけです。
満開の桜の中で五重塔が浮かぶビジュアルはあまりに有名ですが、
5月前でもまだ咲いてるという遅咲き中の遅咲きの点でもまた、有名。
正に京都の桜の見納め、というか最早、ロスタイム。そんな僥倖感溢れる桜を観てきました。

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原谷苑へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月17日(日)

原谷苑の桜と提灯
原谷苑へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

原谷苑。
今、京都で一番有名な桜の「穴場」かも知れません。
金閣寺の北、大文字山の西、戦後に外地からの引揚者たちが農地として開拓した地・原谷。
以前は荒地のまま放置されてた土地だったそうですが、入植民は何とか生活できるよう、改善。
やがてインフラが整いアクセスも向上すると、今度は宅地開発で一気に人口が流入。
今では、普通の住宅地+少し山の香りが残る感じになってる郊外なエリアであります。
そんな原谷で、個人の方が自身の農園にて数十年に渡り桜を育成したのが、原谷苑。
その育ち方と量が尋常ではないと口コミで名が広がり、桜の開花期間のみ一般公開を開始。
「ガイドブックに載ってない名所」を求める人が大挙して押し寄せるようになったわけです。
話題になってるのは、桜そのものだけではありません。独特な入苑料設定と金額も、しかり。
御存知の方も多いでしょうが、ここ原谷苑は、その日の開花状況によって入苑料を決めます。
もちろん、桜の状態が良いほど、高し。で、値段のMAXは、実に1500円。
おまけなどの類は、何もありません。おみやげも、なし。純粋に入苑料だけで、1500円。
もはや清々しささえ感じるほどの、ブッちぎり加減なのであります。
が、実際の1500円の桜は、そのマッシブな値段設定を凌ぐブッちぎり加減だったのであります。

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龍安寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月14日(木)


龍安寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

龍安寺の境内って、広いんですよね。地図で見ると、近所の仁和寺と同じくらい。
でも、あんまりそういう印象、ありません。イメージの中では、仁和寺よりずっと小さく思えます。
たぶん、龍安寺最大の売りであるあの石庭が、そう思わせてるんでしょうね。
不可解な配列で石が並んだ小さな空間が、見る物全てを禅の宇宙へ誘う、石庭。
馬鹿デカい建造物で圧倒するのとは真逆な、吸引型とでもいうべきインパクトを放つ、石庭。
加えて、その石庭をかかえる本堂も、小振り。その本堂への拝観券を売ってる山門もまた、小振り。
おまけに、チケット売るのは山門だけどモギるのは本堂前のため、
その間の池や、奥の方のよくわからん庭を、無料区域&前フリみたいに思いがちです。
しかしあの池は、龍安寺が徳大寺家山荘だった平安時代に作られた池泉舟遊式庭園で、
貴族が舟を浮かべ歌舞音曲を楽しみ、近世までは石庭よりずっと有名だったのであります。
奥の方のよくわからん庭も、歴史があるのかは知りませんが、とにかく桜が咲くのであります。
なので、桜の季節の龍安寺は、石庭以外にこそ注目するべきなのであります。
それなのに、やっぱりトップ画像は石庭なのであります。

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天龍寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月14日(木)

天龍寺・百花苑の桜①
天龍寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

 天龍寺の魅力は、方丈とその前面に広がる庭園の広大さだろう。庭園背後の領域は敷地内だけでもかなり広そうなのだが、それが外部の嵐山まで繋がっている。ここは「曹源池庭園」といわれているところで、今は庭園内に人が入ることもできるようになっているが、本来は大方丈前の部分は人が歩くところではなく、嵐山を借景として堂内から眺める庭だったと思う。
 今はせっかくの借景の庭も、そこを横断する人々を見ての鑑賞となるので少し興醒めである。またそこから北の部分の散策路も広く整備されていて、昔はこのようではなかったのではないかと思う。何か大名庭園か観光客向けの日本庭園のような感じを抱いてしまうのだ。
<中略>
 観光客が多いからそれに対応するために必然的にこうなったのかもしれないが、できればここの素晴らしさを体感できるような「見せ方」であればより素晴らしいのにと思ってしまう。ここの庭は見事なだけに残念である。(清水泰博「京都の空間意匠」光文書新書

と苦言を呈されている、正にその「整備され」た「北の部分の散策路」へ桜を観に行って来ました。
だって、春だから・・・。

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早朝の嵐山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月14日(木)

嵐山の桜と一の井堰
早朝の嵐山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

早朝の嵐山が好きです。
何故好きかと言えば、港町の空気の匂いがするからです。
港町、あるいは海沿いの地方都市を旅した時に感じる、独特の空気。
日常の中で、生活の糧として、水と関わる人々が放つ、独特の張った感じの空気。
そんな空気の匂いが、早朝の嵐山にはちょっとだけ残ってる気がします。
昼間になって人が増え、場の雰囲気が観光丸出しテイストになると、もう何もわかりませんが、
ほとんどの人が仕事で渡月橋を走ってる早朝だと、港町にいる気分がちょっと、味わえます。
鎌倉時代に後嵯峨天皇が大和吉野山から多くの桜を移植し、桜の名所になった、嵐山。
もちろんそれより前の平安時代から、貴族の別荘地であった、嵐山。
しかし、そんな華やかな側面と同時に、丹波の材木の集積地としての顔も、嵐山は持ってました。
平安京建都以前に秦氏が一の井堰を建築した頃から、角倉了以による保津川開発を経て、
実に昭和へ至るまで、嵐山は「仕事」の場でもありました。
そんな時代の残り香と桜の香りが混ざり合う、春の嵐山、早朝。
その匂いは、水上交通をフルに活用していた時代の、本当の京都の匂いなのかも知れません。

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二条城のライトアップへまた行きました。もちろん、ひとりで。

2011年4月13日(水)

清流園の桜①
二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

二条城。二条にある、あんまり城らしくない城であります。
もちろん、そもそもは徳川幕府が朝廷を牽制するため築城したイカツい城であり、
かつては天守閣がそれなりに体裁を保ってたそうですが、炎上&移築&放置プレイ。
大政奉還後は京都府庁になったり離宮になったりしたのち、京都市に下賜&一般公開。
市は天守閣再建など完全スルー、ひたすら庭園に力を入れるのみ。城らしくない城であります。
天守を再建しないのは当然金がないからですが、他にも理由があると思うのは私だけでしょうか。
堀の周囲の道を歩く時に感じる、疲労感。回り道をさせられる時に感じる、徒労感。
車で行くことが前提のショッピングモールへ徒歩で行ったときに感じる
「歩いていくの、しんどっ」という感じ。あれに近いものを、私は二条城に感じます。
二条城より広いスポットは他にもありますが、御所をはじめその多くは中の通行が可能。
もちろん、コアな部分への闖入は許しませんが、その壁をあまり可視化&表沙汰にはしない。
それに対し、壁どころか堀を明らさまに強調する二条城、やはり「城」だなあと思うわけです。
市が庭園や桜ばかりに力を入れるのは、そんな「城」の暴力的存在感を少しでも中和しよう、
ゴツい建物をちょっとずつでも京都になじませようと考えてのことなのかも知れません。
そういえば、毎年桜の季節に行なわれるこのライトアップでは、もはや御殿の拝観さえ、謝絶。
これはケチではないのです、きっと。二条城を京都化するための企てなのです、きっと。

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墨染寺へ墨染桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月13日(水)

桜と日蓮上人像①
墨染寺へ墨染桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

墨染寺。通称、桜寺。
伏見区の墨染にある、桜で有名なお寺です。「ぼくせんじ」も「すみぞめでら」も、どっちもアリ。
風変わりな地名ですが、これは墨染寺名物である墨染桜に由来します。
891年、かつて深草の里と呼ばれ鶉が鳴く野辺だったこの地に、
太政大臣・藤原基経が葬られ、それを悲しんだ平安歌人・上野峯雄が詠んだ歌が
「深草の野辺の桜の心あれば 今年ばかりは墨染に咲け」。
その歌を聞き、当時この辺に生えてた桜は一斉に薄墨色に咲いたとか。それが、墨染桜。
何故か秀吉はこのエピソードが大層お気に入りだったそうで、墨染の地を何度も訪問。
のみならず、元は貞観寺という寺だった土地を日秀上人に与え、墨染桜寺として再興。
で、現在に至るかといえばそうでもなく、一時は多くの塔頭を抱えるほどの大寺に化けた墨染寺、
徳川期になると一気に凋落、縮小に移転を重ね塔頭のひとつに納まったのが、今の姿。
うっかりすると見落とすような商店街の一角で、桜目当ての客をひっそりと待ち受けてます。
夕刻、もはや花びらが舞い散りまくるその小さな境内へ、行ってみました。

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平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月12日(火)

平野神社桜苑の提灯
平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

平野神社。
第一位・田中神社と第二位・吉田神社に次ぐ、京都三大平凡苗字神社のひとつです。
次点に並ぶのは、松尾・安井・北野・大田・平岡・藤森といったところ。
御霊・蚕・大将軍などからは羨望の眼差しを浴びている、というのはもちろん大嘘であります。
嘘ですが、でも、二位・吉田と三位・平野の祖が同じ卜部氏なのは、偶然なのか、必然なのか。
気になって気になって夜も眠れない、というのも当然ながら大嘘であります。
数々の奇行で有名な花山天皇の手植えに始まるという平野神社の桜ですが、
凄いのはその量や質はもちろん、花見のできる期間の異常なまでの長さでしょう。
夜桜のライトアップは、だいたい3月末から4月末まで開催。桜自体は5月でもまだ咲いてるとか。
もちろん、ドーピングして無理矢理長生きさせてるわけではありません。
開花時期の違う多くの品種を植樹してるというわけであります。
50種400本とか45種500本とか、ソースごとに数は違いますが、とにかくたくさんです。
「パッと咲いてパッと散る」ソメイヨシノの席巻が、桜の概念、そして日本の概念さえ変えるまでは、
花見というのはもうちょっと長くのんびり楽しむものだったとか。
平野神社の長い花見期間は、現在の誤記された花見の流儀と日本の心を静かに告発し、
本来あるべき花見と日本の姿を示してるのかも知れない、というのはただの思いつきであります。

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嵐電・桜のトンネルへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月12日(火)

桜のトンネル車内
嵐電・桜のトンネルへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

嵐電。正式名称、嵐山電鉄。
というのは、嘘です。もちろん。「嵐電」は、愛称。公式愛称。
本当の名前は、京福電気鉄道・嵐山本線および北野線。
「京福」の名前は何に由来しているかといえば、字のまんま、京都+福井。
もともとこの会社は、起点・嵐山から北野と出町柳を経由して鞍馬へ上り、
そのまま鯖街道を北上、日本海へ出て福井入りするという壮大な路線計画を持ってました。
というのも、嘘です。もちろん。チンチン電車で山越えは、つらいですよ。
京福電鉄は前身が京都電燈という電力会社であり、「京福送電線」なるものを敷設して、
夜の電力需要が高い京都と昼が高い福井との昼夜差を融通していました。
ついでに、電力の安定供給先を確保するため、両都市で鉄道も経営。
だから、名前が京福電鉄。両方をつなぐつもりは端からありません。
路面→山岳→海沿いを走破するチンチン電車が本当にあれば、楽しいんですけどね。
長年にわたり、京都と福井で古き良きローカル私鉄の風情を放ち続けてきた京福ですが、
21世紀に入って福井側が廃線+えちぜん鉄道として3セク化。
京都側もここ最近は観光により力を入れていて、嵐電の公式愛称化や駅のリニューアルを実施。
妖怪電車などイベント列車も多く企画され、この桜のトンネルもその一環というわけです。

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清水寺・2011年春の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月10日(日)


清水寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、もうすぐ1カ月。
発生直後にここでライトアップを見た時「これが夜間拝観の見納めかも知れない」と思いましたが、
1ヵ月が経ち、こうして輝く夜桜を目にすることが出来ても、その感は消えません。
街を歩いてると出くわす、京都の近くに原発があることの危険性を訴える街宣車。
近くの原発とは、「原発銀座」と呼ばれる若狭・大飯・敦賀の原発のこと。
私、何度か敦賀駅周辺をうろついたことがあります。で、行った人の多くと同じ感慨を抱きました。
原発マネーで整備されたという、立派だけど人の少ない表通り。
そこに数多く設置された、何ちゃら鉄道ゾロ目フィーバーのキャラ銅像。
クオリティは高いのに、存在の根拠は希薄。写真を撮ると何か、しんどい。そんな、銅像。
ゾロ目フィーバーは、かつて敦賀を走った欧亜国際連絡列車にちなんでるそうですが、
何気に紛れこんでる某宇宙戦艦の乗組員達は、何の理由があってあそこに立ってるんでしょう。
そんな敦賀 / 若狭で作られた電気により、暮らし、ライトアップなんかもやってる、京都。
原発がないと本当に電気が足りないのかどうかは、私にはわかりません。
実際に電力が不足するか否かに関わらず、ライトアップがこの先どうなるかも、わかりません。
そしてその思いが、この通俗的なビジュアルを、困ったくらい美しく見せてしまいます。

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南禅寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月10日(日)


南禅寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

南禅寺の桜を観ると、東山高校を受験した時のことを思い出します。
東山高校とは、ちょっと歩けばすぐ南禅寺境内へ潜り込んでしまう場所にある、男子校。
代表的な卒業生はみうらじゅん、などと言うと高校側は怒るでしょうか。
もちろん入試は2月に行なわれるので、「桜+受験」は明らかに時期間違い&記憶の混濁です。
だけど、受験した教室の記憶と桜の記憶が、私の頭の中では今でも一緒くたになってます。
おそらくは、受験の際に境内をうろついた記憶と、別の日に桜を観た記憶が、結びついたんでしょう。
何故結びついたかといえば、「もしここに通ってたら」という思いがあったからでしょう。
おかしいのは、近くの哲学の道やインクライン、さらには東山高校そのものを見ても何も感じないのに、
南禅寺にだけその虚偽の郷愁を感じることです。不思議。
抑圧したバッドな感情が、変なところで変なかたちで噴き出してるんでしょうか。
あるいは「禅寺の武家面」と言われたこの寺独特の雰囲気が、
やはり独特の色と匂いを持つ少年期の可能性の死体みたいなもんに共鳴するんでしょうか。
あ、私の名誉のために言うと、受験は通ってますよ。でも、お家にお金があんまりなくてね・・・。
おかげで今でも春にここを通ると、入学前のような青い胸騒ぎを感じます。
で、今年もまたそんな狂った気分で胸をいっぱいにして、桜を観に行きました。

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哲学の道へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月10日(日)

哲学の道の桜
哲学の道へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」。
「俺が俺で俺だから」の如き「俺俺俺」な響きを持つこの歌、詠んだ人は、西田幾多郎。
「絶対矛盾的自己同一」などとややこしいことを言って、京大で京都学派を創始した哲学者です。
その西田幾多郎が思索に耽りながら歩いたから、哲学の道は、哲学の道。
琵琶湖疏水の開鑿に伴い整備された、銀閣寺から若王子神社前までの約2キロの歩道。
そこへ、日本画家・橋本関雪と妻よねによって大正時代から桜の植樹が始められ、
昭和後期に改めて整備、名前も正式に「哲学の道」となり、日本の道100選にも選定。
今では春になるたび、哲学から最も遠い人々が哲学から最も通り理由でそぞろ歩く、
桜の無料&超メジャースポットとなりました。
が、それでも哲学の道は、哲学の道。やはり、吾行く道を、吾は行くなり。
俗人が集うこの雑踏の中こそ、己の哲学的精神を試すには、ふさわしいのではないか。
この享楽的な空間こそ、真に現代的な哲学を構築するのには、ふさわしいのではないか。
そう考え、満開の桜の中を歩きながら、思う存分思索に耽ってみました。

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蹴上インクラインへ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月10日(日)

インクラインでくつろぐ人々
蹴上インクラインへ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

古びたレール。煉瓦。そして線路沿いには、ソメイヨシノ。
何故か男の心を、それも妙に生理的なところを突いてくる、明治の鉄の香り。
京都には案外と少ないそんな香りが、三条蹴上のインクライン=傾斜鉄道跡には漂ってます。
東京遷都による凋落を回避すべく、近代化へ乗り出した明治初頭の京都。
何をするにもまず、水が足りない。で、作られたのが、琵琶湖疏水。
「琵琶湖の水面標高は、東寺の五重塔より高い。東山に穴を開けたら、水は流れてくる」と、
当時の知事・北垣国道が、23歳の技術者・田辺朔郎をワイルドに抜擢&ワイルドな計画を実行。
常識外れの予算を叩き込んで完成させた疎水は、頑丈過ぎて、百年経った現在も現役。
熱いのであります。明治なのであります。
そして、その情熱に東京遷都への焦燥が滲んでるあたり、京都なのであります。
京都の近代化へ大々的に寄与し、今なお京都市の水道水の大半をまかなう琵琶湖疎水ですが、
一方で時代の荒波を越えられなかった設備もあり、それがこちらのインクライン。
「明治」にして「京都」なスポットに、「鉄」と「廃」と「桜」を足した、お好きな方にはたまらない世界。
なので「インクラインって、インクのラインってこと?」などと言ってる場合では、ありません。
「院蔵院、下から読んでも、院蔵院」などと戯言を言ってる場合でも、ありません。

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八幡の背割堤へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月9日(土)

背割堤の桜並木
八幡の淀川河川公園・背割堤へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

背割堤。せわりづつみ。
私の地元・八幡における桜の名所です。
が、名所といってもトップ絵面をご覧の通り、基本、ソメイヨシノがボーンボーンと立ち並ぶだけ。
量は多いですが、凡庸といえば凡庸。どこにでもありそうな感じの、郊外的な桜スポットであります。
しかし、植えられた桜は凡庸でも、植えられた土地は凡庸ではありません。
ここ背割堤は、府南部の木津から流れてきた木津川、琵琶湖から宇治を通ってきた宇治川、
そして鴨川と保津川を飲み込んだ桂川の三川が合流し、大阪のシンボルである淀川に化ける地。
昔は「淀川」という名前の通り、淀城のあたりで合流してたんですが、
明治初頭に流路を変更、現在の合流点はちょうど京都府と大阪府の境界あたりだったりします。
そう、ここはまさに、国境。
生と死の境界線上で咲く桜にふさわしい、清と濁、光と闇が相まみえる場所なのです。
京都と大阪のどっちが濁かは知りませんし、あるいはどっちも闇かも知れませんが、
とにかく、凡庸なソメイヨシノであっても何らかの妖しき魔力が作用するのは、確かなのです。
「ほんまか」と問われたら「嘘です」としか答えようがないですが、確かなのです。
KBS京都とテレビ大阪が見れたり見れなかったりした私が言ってるんだから、確かなのです。

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平安神宮・紅しだれコンサートへ行きました。もちろん、ひとりで。

2011年4月8日(金)

尚美館ステージのピアノ
平安神宮の紅しだれコンサートへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

紅しだれコンサート。
毎年4月上旬に、平安神宮の神苑で開催されるコンサートイベントです。今回で23回目。
春になれば南神苑を天蓋のように覆う名物・紅しだれ桜、そのライトアップを存分に堪能してから、
招聘されたミュージシャンによる演奏もこれまた存分に楽しむという、実に結構な催しであります。
が、このイベント、料金が高い。2000円。前売りならもうちょっと安いですが、基本、こんなもん。
もちろん、一般のコンサートと比べたら、全然安い値段です。
料金には通常600円の神苑入苑料も含まれるので、実質的な値段は更に下がると言えるでしょう。
でも、何か、抵抗あるなあ。敷居が高いというのもあるけど、それ以上に何か、抵抗あるなあ。
好きなミュージシャンなら万々歳だけど、何かなあ、知らん人、多いもんなあ。
見方を変えたら、普通のライトアップにおまけがついて2000円だもんなあ、きついなあ。
と思って、当日まで金払って観る気は全くなかったんですが、
その日の昼間、都をどりがすんなり観れたことで何か、心がちょっと浮き足立ちまして。
「看板と壁と漏れてくる音だけでネタにしてやろう」という心積もりで応天門まで行ったら、
勢いでチケット買い、特攻してしまいました。

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東寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月6日(水)

五重塔と桜①
東寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

闇深き京都の夜に、夜ごと黄金の輝きを放つ、五重塔。
世界遺産にして真言宗総本山の東寺・五重塔は、年がら年中、ライトアップされてます。
その神々しい姿を眺めつつ、京都の旅を終え帰途に着いた方も多いことでしょう。
何故ここが毎日ライトアップされてるかといえば、おそらくは観光客向けのサービスか、
あるいは京都タワーに対抗して「我こそ真の京都のランドマーク」と主張したいんでしょう。
が、南の辺境民である私には、この輝きが「都の南限」を示している印象も受けたりします。
平安京の正門たる羅城門と同一線上に並ぶ立地。説明不要のシンボリックなビジュアル。
そしてここ以南から始まる、「雅」からほど遠い、全然京都らしくない街並み。
実際、京阪国道を北上して「京都に入った」と私が感じるのは東寺が見えた時であり、
「京都を出た」と感じるのは五重塔を通り過ぎた時。
間違っても、工場やラブホや荒野だらけの京都市/八幡市の境界を越える時ではありません。
市域がどれほど拡大しようとも、真の洛内とは、ここまで。
光る五重塔は、そう宣言してるのかも知れません。「本当か」と問われたら多分、嘘ですが。
さすがに震災以降は休止状態でしたが、夜桜のライトアップは有料ながら実施。
普段は塀の外から見るだけのキンキラキンを、根元から眺めに行ってみました。

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白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月3日(日)

弁財天付近の宵桜
祇園の白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水のながるる」。
言わずと知れた、歌人・吉井勇が祇園を詠んだ歌です。
祇園歌人として知られる吉井ですが、実はちょっとだけ八幡歌人でもあります。
と言い出すと、八幡市民による地元ゴリ押しと思われそうですが、実際そうです。すんません。
「かにかくに~」と詠んだ30年後、吉井は療養のために辺境の地・八幡へ転居します。
松花堂庭園の近くの寺・宝青庵へ寓居し、谷崎潤一郎や志賀直哉などの訪問を受けながら、
妻とのつつましい生活を『残夢』なる歌集にまとめたり、八幡音頭なるものを作詞したりしました。
文化的水準が極めて高い我々八幡市民は、そんな吉井勇を最大限にリスペクト。
新しく開発された地域を「男山吉井」と命名、彼の文学的功績を「生きた形」で讃え続けています。
では男山吉井はさぞ「かにかくに」な風流な花街かといえば、特にそういうこともなく、
どっちかと言えば「蟹角煮」な生活感の漂うちょっと良さげな住宅地だったりするんですが、
もちろんそんな狂った与太は全くどうでもよく、話はあくまでも白川のライトアップです。
「寝るときも 枕の下を 水のながるる」茶屋だったという「大友」など、
残っていたら値打ちものであったろう街並を、戦時疎開でぶっ潰して生まれた、白川南通。
その通をメインに、道沿いの桜をライトアップするのが、祇園白川宵桜ライトアップであります。

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