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白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月3日(日)

弁財天付近の宵桜
祇園の白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水のながるる」。
言わずと知れた、歌人・吉井勇が祇園を詠んだ歌です。
祇園歌人として知られる吉井ですが、実はちょっとだけ八幡歌人でもあります。
と言い出すと、八幡市民による地元ゴリ押しと思われそうですが、実際そうです。すんません。
「かにかくに~」と詠んだ30年後、吉井は療養のために辺境の地・八幡へ転居します。
松花堂庭園の近くの寺・宝青庵へ寓居し、谷崎潤一郎や志賀直哉などの訪問を受けながら、
妻とのつつましい生活を『残夢』なる歌集にまとめたり、八幡音頭なるものを作詞したりしました。
文化的水準が極めて高い我々八幡市民は、そんな吉井勇を最大限にリスペクト。
新しく開発された地域を「男山吉井」と命名、彼の文学的功績を「生きた形」で讃え続けています。
では男山吉井はさぞ「かにかくに」な風流な花街かといえば、特にそういうこともなく、
どっちかと言えば「蟹角煮」な生活感の漂うちょっと良さげな住宅地だったりするんですが、
もちろんそんな狂った与太は全くどうでもよく、話はあくまでも白川のライトアップです。
「寝るときも 枕の下を 水のながるる」茶屋だったという「大友」など、
残っていたら値打ちものであったろう街並を、戦時疎開でぶっ潰して生まれた、白川南通。
その通をメインに、道沿いの桜をライトアップするのが、祇園白川宵桜ライトアップであります。

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法然院の春季特別公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月1日(金)

椿の散華でいっぱいの手水鉢
法然院の春季伽藍内特別公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

法然院。
哲学の道のすぐそばにあり、無料で拝観できる寺院として高い人気を誇る寺です。
といっても、ただ単にたくさんの人で溢れかえるわけではなく、ほどほどの量と質の人気を維持。
「タダでいろんなものいっぱい見れた~」というデフレで空虚な満足感でもなく、
「タダならまあこんなもんか」という物足りなさでもない、実にほどほどな充足感。
静謐な境内が生むそんな感慨が、良質の拝観客を呼び続けている寺なのであります。
何故ここが拝観無料かといえば、檀信徒からの浄財で運営される檀那寺だから。
要は、普通のお寺。なので、檀信徒さんの法要などを最優先するため、伽藍は通常非公開です。
一般参拝客である我々は、この寺の山門や前庭を見てるに過ぎません。
その山門と前庭のクオリティがあまりに高いので、おなかいっぱいになってるに過ぎません。
が、それでもやっぱり中も見たいという方々のために、春と秋には有料ですが特別公開を実施。
秋は紅葉、春は法然院名物の椿が活かされたビジュアルを楽しむことができます。
そんな、法然院の内側、行ってきました。

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隨心院のはねず踊りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月27日(日)

はねず踊り
隨心院のはねず踊りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

隨心院。
山科区小野にある、真言宗善通寺派大本山の寺院です。
「小野」という地名がまんまで示しているように、かの絶世の美女・小野小町ゆかりの寺であります。
もらいまくった恋文を下張りにした文張地蔵尊像や、もらいまくった恋文を埋めてできた文塚など、
絶世の美女ならではの豪気なアイテムは、この寺にもいろいろ存在。
男から見ると不条理極まるエピソードである「深草の少将百夜通い」の舞台も、ここです。
「私が欲しければ、私の家まで100回来い」と。で、少将は毎夜通ったと。でも、99回目に凍死したと。
99回目の夜に雪が降ったことが不条理なのか、100回も来いというのがそもそも不条理なのか。
「無論、後者だ。30回くらいにまけてやれ」と説教したくなるあなたは多分、私の同志でしょうが、
でも同時に多分、もてないんでしょうね。
とにかくそんな「百夜通い」のエピソードをを主題にしたのが、この日に行われた、はねず踊り。
悲しい物語を、地元の少女たちが深草少将と小野小町に扮して、踊ってくれます。
「跳ねない踊り」のことかと思ってたら、かつては随心院の梅を「はねず」と呼んでいたとか。
で、その「はねず」が咲く頃に踊るから、はねず踊り、と。
一時衰退しましたが、昭和48年に地元の努力で復活したそうです。

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将軍塚のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月27日(日)

京都市街上空を飛ぶヘリ
将軍塚大日堂庭園のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

いきなりベトナム戦争なトップ画像、恐縮です。
別段、このヘリが将軍塚へ降りてくるというわけではありません。たまたま飛んでただけです。
ただ、こんな写真が簡単に撮れるくらい、将軍塚は結構な山の上にあるということであります。
平安京造営に際し、征夷大将軍・坂上田村麻呂の像を埋め王城鎮護としたという、将軍塚。
桓武天皇はここから下界を見下ろして平安遷都を決めたというほど眺望が良好な、将軍塚。
しかし時が下った現代ではその眺望が仇となり、京都有数のドライブ&夜景スポット化。
夏ともなれば、無料展望台を目指して不埒な輩が夜ごと車で東山ドライブウェイを駆け上がり、
思い出を持って帰る代わりに道沿いへゴミを不法投棄したりする地となりました。
しかし現在の将軍塚、果てしなく俗化&劣化してるかといえば、そんなこともありません。
徒歩アクセスは今もなお困難を極め、己の足で訪れる者には未だ強い聖性を保持。
それに将軍塚本体は、青連院飛地境内にあたる大日堂が有料区域に入れ、しっかりガード。
ここには有料の展望台と庭園もあり、春と秋には庭園のライトアップなんかも開催しますが、
認知度は低く、隠れたパワースポット(笑)としての存在感もキープ。
もちろん桜が本咲きになればそれなりに人は来るので、その前に聖なるライトアップを楽しもうと、
芽さえ出てない時期にひとり、山を登ってみました。もちろん、徒歩で。

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二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月25日(金)

ライトアップされた開花前の桜
二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災からちょうど、2週間。
発生当初の京都は、両本願寺と知恩院の遠忌、そして東山花灯路の開催時期であり、
現地の被害状況さえわからない混乱の中で、イベントの自粛・中止・断行・延期・変更が相次ぎました。
それから時間が立ち、被害の全貌が見え始めた今、京都は春の稼ぎ時に入ろうとしています。
もちろん電力を多用するライトアップのイベントも、目白押しです。
どうするんでしょう。電気の意味さえ変わってしまった現在の状況で、どうするんでしょう。
ライトアップを敢えてやる、何ならガンガン派手にやってしまうことが、
被災地および計画停電に耐える首都圏の心の支えになるのか、私にはわかりません。
家でコタツをつけエアコンもつけ、テレビ観て、PEN4のPC(私のん)を稼動させることが、
ライトアップのイベントで消費&募金するより日本のためになるのか、私にはわかりません。
多分、誰にもわからないでしょう。で、わからんまま、誰もが4月を迎えようとしています。
桜の開花より若干フライング気味に始まったこちら二条城のライトアップは、
「哀悼の灯り」と称された、ある意味、震災「後」をはっきり踏まえた最初のライトアップ。
今後の京都とライトアップがどういう形で進むのか、そのあたりが垣間見えるかも知れません。
あ、二条城の説明、省略します。このライトアップでは、本丸も二の丸も見れないんで。

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東山祈りの灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

東山祈りの灯り・幽玄の川
東山祈りの灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東山祈りの灯り。別名、元・京都花灯路。
東日本大震災の発生を受け、行灯の点灯自粛を決定した京都花灯路が、
被災者の哀悼の気持ちを込めて仕様を変更、開催期間の残り期間を消化するイベントです。
13日の時点では「送電は限界がある、節電するより客集めて募金したほうがいい」と、
行灯を点灯していた花灯路ですが、やはりというか何というか、結局は14日で通常開催を終了。
15日からこの東山祈りの灯りが始まりました。
変更点としては、とにかく派手なもんを慎む、追悼する、募金をする、という感じでしょうか。
花灯路の告知ブログには、批判のコメントとして
「今、強行する必要あるのか!コンビニの看板消してるんやぞ」などというものが残ってます。
私がこんな批判を言うとしたら、コンビニではなく自分の家の電気を消した時だと思いますし、
東京で停電を恐れる知人は「絶対にやめるべきではない」とさえ言ってます。
東山花灯路で使用する電気は確か、太陽光などのグリーン発電で作られてたと思うんですが、
それでも電気を使うことは悪ということなんでしょうか。よくわかりません。
もちろん、今、ギンギラギンな気分にはなれないというのはもっとも話ですし、
また、そんな時こそ大人はちゃんと遊んでお金を回さなくてはいけないんだとも思うんですが、
とにかく花灯路は祈りの灯りとなりました。その急過ぎる変わり身の妙、お楽しみ下さい。

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青蓮院のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

ライトアップされた宸殿南庭
青蓮院門跡のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、1週間。
発生当初は特に自粛ムードもなかった京都でしたが、
被害の凄まじさが明らかとなるにつれ、イベントの中止や延期が続出。
発生二日目の段階では、東本願寺も知恩院も遠忌遂行を宣言し、
知恩院はライトアップも敢行してたわけですが、結局は共に中止、あるいは延期。
東山花灯路も、自粛の消極性より募金の積極性を訴え続行を試みるも、結局は仕様変更。
そんな状況にあって、ライトアップを行い続けてるのが、清水寺、そしてこちらの青蓮院。
青蓮院門跡。夜間拝観の値段が高いことで有名な寺であります。
「そんな紹介の仕方があるか」という話ですが、実際に高いんだから、しょうがありません。
その額、800円。一般的な夜間拝観料金の5割増、清水寺のちょうど倍額にあたります。
門前の親鸞手植による大楠、そして内側から漏れる青い光を眺めつつ、
値段と興味を天秤にかけ、結果、その場を立ち去ったという方も多いのではないでしょうか。
天台宗三門跡のひとつにして、仮御所となった経緯から粟田御所の名も持ち、
かの親鸞が得度してその宗教人生を始めた地でもある、青蓮院。
本来こんなふざけた紹介は決して許されぬ、格式高く由緒正しき門跡寺院なのであります。
でも、夜間拝観料金は今期もしっかり、800円なのであります。

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清水寺の青龍会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

舞台で暴れる青龍
清水寺の青龍会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災より一週間。
発生当初、遠忌を予定通り厳修するといってた東本願寺と知恩院は、数日後に延期を発表。
知恩院はついでに、夜間ライトアップも中止。
「節電しても何にもならん」とイベント続行を宣言した東山花灯路も、結局は行灯を消灯、
さらにはイベントそのものも「東山祈りの灯」と追悼仕様へ変更しました。
そんな状況にあって我が道を行くのが、観光スポットのキングである清水寺。
ライトアップも、フル出力で敢行。そしてこの青龍会も、遠慮なく実行。キング、恐るべし。
で、青龍会って何だという話ですが、清水寺の門前会が主催してるイベントです。
読み方は「せいりゅうえ」。「せいりゅうかい」だと何となく広域指定な香りがするので、要注意。
2000年、秘仏御本尊・十一面千手観音像が33年ぶりに開帳されたのを受け、開始。
門前会のHPには能書きがいろいろ書かれてますが、要は最近始めた、客寄せです。
法螺貝吹いて、コスプレ覆面巫女が法水撒いて、張り子の青龍がウニョウニョする、そういうのです。
「それを今、やるか」という話ですが、やるのです。

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清涼寺のお松明式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月15日(火)

嵯峨大念仏狂言
清涼寺のお松明式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、4日目。
発生当初は自粛ムード希薄、ライトアップ等も敢行していた京都ですが、
被害の未曾有な実態が判明するに連れ、後手後手的な中止や延期が多発。
こちら清涼寺のお松明式も開催の是非で議論があったようですが、とりあえずやるようです。
清涼寺。通称、嵯峨釈迦堂。
釈迦の生前の姿+内蔵まで再現した、本尊にして国宝、三国伝来の釈迦如来立像が、
貴族から庶民まで幅広く信仰を集め、今なお地元の方々から愛されてる寺です。
光源氏@源氏物語のモデル・源融の没後、その山荘に阿弥陀堂を建てたのに始まり、
東大寺の僧・奝然が宗より釈迦像を請来、弟子の盛子が安置して、寺名を清涼寺と改称。
鎌倉時代には融通念仏の中興者・円覚上人より無言劇・念仏狂言が伝えられ、
現在も京都三大念仏狂言のひとつ・嵯峨大念仏狂言のホームグラウンドとして、伝統を守ってます。
そんな清涼寺で行なわれるお松明式は、お釈迦様の入滅した日に行う、涅槃会の行事。
釈迦が荼毘に付された時の様子を模して、大松明3基を燃え上がらせるわけであります。
嵯峨大念仏狂言の無料公演も開催。トップ画像は、その写真です。

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清水寺・2011年花灯路協賛の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月13日(日)

夜の清水寺を奥の院から望む
清水寺2011年春の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災発生から、2日目。
桜の開花には早く、咲いたら咲いたでまた本格的な夜間拝観を行なう清水寺が、
中途半端なこの時期にライトアップを行なうのは、東山花灯路との連携のため。
花灯路は中途半端ゆえ観光客が減るこの時期に、集客力を上げようと企画された営業イベント。
宗教的必然性は、いつもに増して、薄い。でも、やると。
関西からの送電を阻む、50Hzと60Hzの壁。変電所は、すでに能力の限界。
「そもそも東京は電気使い過ぎ」「地方をないがしろにし過ぎ」と憎まれ口も叩きたいところですが、
言うまでもなく原発に関しては京都・大阪も事情は大して変わりません。
それに、在京の知り合いが見せる尋常ではない凹み加減、余震による疲労を超えた、
何か異常な精神的ダメージを目の当たりにすると、私も心が痛みます。
現状、手が出ない。なので、とりあえずやめとくか、それとも敢えてやるか。
清水寺は、後者を選んだようです。今夜もビーム、京の夜空を一直線に貫いています。

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京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月13日(日)

東山花灯路・二年坂
京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災が発生した3/11から、2日目。
明治以来の観測史上最大、マグネチュード9という無茶苦茶な地震、
日本最高度の津波防災力を持ってたであろう三陸地方を一瞬で飲み込んだ津波、
そして天災によって引き起こされた人災である、原発の爆発事故。
阪神の時とは違い、いまだ災害の全容さえつかめないほど被災地は広範であり、
そして言うまでもなくそのほとんどの地域で電気を含むライフラインはストップしてます。
電力不足により、翌14日からは首都圏でも計画停電が行われることが、決定。
そんな状況の中、大量の行灯を点灯する閑散期集客行事・京都花灯路は、始まってしまいました。
ご存知のとおり、東日本と西日本では交流の周波数が異なるため、直接送電ができません。
周波数変換した上での送電量MAXは、100万キロワット。対して、不足は1000万キロワット。
どうにもならん、と。ならば敢えて開催し募金を集めようではないか、と考えての開催だそうです。
ただし、公式ブログでも翌日以降どうなるかわからんと明記されてますし、
現場で歩いてる時も「今日で終わりらしい」という声を何度も聞きました。
そんな花灯路、行ってきました。

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下鴨神社の流し雛へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月3日(木)


下鴨神社の流し雛へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

流し雛。雛祭りのルーツといわれる行事です。
3月3日の上巳 or 桃の節句に、紙で作った人形へ己の穢れを移し、川や海へ流す。
そのことにより無病息災を祈願するという、実にお祓いスピリットあふれる風習であります。
元は 「上巳の節供」 なる中国の習慣だったそうですが、日本でネイティブなお祓い魂と、野合。
さらに時代が下って室町時代になると、貴族間の子女が行われていた 「ひいなあそび」 とも、野合。
もっと時代が下ると、武家や庶民の間でも 「雛祭り」 が行われるようになり、人形もゴージャス化。
ゴージャス化したら流すわけにもいかず、流さないとなればさらにゴージャス化は勢いがつき、
家の財力を誇示するアイテムに成り下がった雛壇からは、本来のお祓い魂は何処かに忘れ去られ、
ついでにユニセックスだったのも女子専用と化し、雛祭りは現代へ至るわけであります。
流し雛は、そうなる前のプロトタイプ。Zガンダムでいうところの、百式 or メタスです (意味不明)。
この風習、地方へ行くとかなり現存してるようですが、京都にも残ってます。
有名どころでは、下鴨神社で人形業者が大々的にイベント化して行われる、流し雛でしょうか。
イベント正式名称、 「京の流しびな」 。「雛」 の漢字忌避に、早くも女子感が漂います。
「雅」 全開の平安時代には、女子専用どころか闘鶏見て盛り上がってたという桃の節句ですが、
現在の現実としてはあくまで、女の子のお祭り。そこへ行こう、と。ひとりで行こう、と。
不審者扱いされるんじゃないだろうか。変質者扱いされるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、一人囃子で糺の森を歩いて行ったのです。

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真如堂の大涅槃図特別公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月27日(日)


真如堂の大涅槃図公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

真如堂。正式名称、真正極楽寺
本堂の呼び名が本名より有名になり定着してしまった、天台宗の寺院です。
天台系では京都市内最大の本堂、渋い美を誇る三重塔、秋には紅葉が燃え上がる境内と、
見所が多いにも関わらず拝観は基本的に無料、ゆえに秋の混雑は年々増す一方の寺であります。
えらく気前がいいですが、何故かといえば、ここには三井家という大檀家がついてるから。
江戸前期に家の本拠地を京都へ移し、のちの三井財閥に繋がる豪商への道を開いた三井高利は、
この真如堂が気に入り、自分の墓をここへ建てることを希望、実際に埋葬されました。
で、それ以来、実に現在に至るまで、三井家は真如堂の大檀家であり続けてるわけです。
もちろん、寺の維持のためにしかるべき金額の御布施が納められてるのでしょうし、
そのおかげで平民の我々は無料で散歩したり、暇をつぶしたり、猫と遊んだりできるのでしょうが、
三井家は重要な文化アイテムもまた真如堂へもたらしてます。その代表が、大涅槃図。
釈迦入滅の様を描いた大涅槃図といえば、京都では東福寺や泉涌寺のものが有名ですが、
三井家の女性たちの寄進により江戸中期に制作された真如堂の大涅槃図も、なかなかに立派。
厭求や海北友賢らに実作が委ねられた縦6メートル、幅4メートルの図は、
釈迦の命日である旧暦2月15日前後に公開もされています。で、それを見に行ったと。
この時期限定で授与される 「花供曽」なるあられ、そして真如堂名物の猫と共に、
仏の慈愛と三井家の偉大さをじっくりと感じ取っていって下さいませ。
あ、ちなみに大涅槃図の拝観は無料ではなく、有料です。

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北野天満宮の梅花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月25日(金)


北野天満宮の梅花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

学問の神様と呼ばれる、平安時代のエリート・菅原道真。
実際に頭が良く有能であり、それゆえ家格を超え右大臣にまで昇進した、菅原道真。
しかしそれが面白くない藤原時平により謀略を企てられ、大宰府へ流され、死んだ、菅原道真。
生きてるうちは配流も困窮も我慢した道真でしたが、死後は雷神と化し、京の街を呪いまくり。
首謀者・時平のみならず、陰謀関係者各位へ片っ端からヴードゥースプラッターをお見舞いし、
ビビりまくって名誉回復を決めた朝廷にもブチ切れ、遂には雷で御所をストライクアタック。
焼死体続出の惨状を見せつけられた醍醐天皇は、のちにショック死。
頼むからもう勘弁してくれと、朝廷は道真を主祭神とする北野天満宮を造営。
で、道真の命日である2月25日には、道真が愛した梅を大々的にフィーチャアした祭りを開催。
それが、この梅花祭なのであります。恐るべき因縁を持つ祭なのであります。
なので、本来は呑気に梅の観賞などをしてる場合ではありません。
縁日に並ぶ露店で、呑気に鯛焼きや回転焼きなど食ってる場合でもありません。
何故か毎回やってきて、楼門前に陣取る富山ブラックラーメンを食ってる場合でもありません。
ちゃんとお参りしないと、呪われるのです。雷を落とされるのです。大変なのです。
で、私は祈ってきました。祈るためだけに、天神さんへ出かけてきました。
偉いのです。真面目なのです。そしてひょっとすると、暇なのです。

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阿含の星まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月11日(金)


阿含の星まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

阿含の星まつり。
名前の通り、かの阿含宗が開催する宗教行事であります。
何故、阿含宗の行事を京都でやるのかといえば、総本山が京都にあるからであります。
清水寺の向こう、心霊スポット・旧東山トンネルの奥にゲートがある、総本殿・釈迦山大菩提寺。
単なる山奥みたいなその聖地に於いて、毎年建国記念日に行われるのが、星まつり、と。
正式名称である 「炎の祭典・阿含の星まつり 神仏両界大柴燈護摩供」 の通り、
総本山境内地にて超巨大護摩が、大炎上。それも、神仏両界分2つの超巨大護摩が、大炎上。
その浄火は、民の業苦を焼き尽くすかのように天空へ向け高く高く舞い上がり、
その煙は、遠く離れた市街地からでも確認できるほど迷惑、もとい、物凄かったりします。
しかし、星まつりが真に凄いのは、その圧倒的な動員力。参拝者は、何と50万人にも及ぶとか。
ちなみに、かの祇園祭・宵山の動員数でもだいたい、40万人。余裕で越えてるのです。
観光都市・京都にあって、数字が本当なら最大級のイベントである、星まつり。
その割には、観光案内各種では黙殺され味なのは、何故なんでしょう。不思議だなあ。
煙のみならず花火もバンバカ上がるわ、京都駅では山伏がウロウロしてるわ、
黙殺しようのない有様ながら、でも黙殺気味なのは、何故なんでしょう。不思議だなあ。
そのあたりの不思議さを探るため、というのは嘘で本当は純粋な興味本位で、
京都駅発着のシャトルバス乗り場へ早朝から出向きました。

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2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【2】

2011年2月3日(木)


2011年の節分めぐり、続きです。

【1】 聖護院の追儺式平安神宮の古式な大儺之儀廬山寺の鬼踊り
【2】 須賀神社で懸想文売り冷やかし藤森神社で鬼大暴れ吉田神社で沈没

の 【2】 、興奮と徒労が燃え上がる様、ご覧下さい。

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2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【1】

2011年2月3日(木)


2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

【1】 聖護院の追儺式平安神宮の古式な大儺之儀廬山寺の鬼踊り
【2】 須賀神社で懸想文売り冷やかし藤森神社で鬼大暴れ吉田神社で沈没

の 【1】 、鬼と豆と中高年が大興奮の節分スペクタクル、とくとご覧下さい。

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吉田神社の節分祭・追儺式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月2日(水)


吉田神社の節分祭・追儺式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京の町の節分に初めて触れたのは、京都へ来て間もなくの、寒い日のことだった。講師として通って
いた女子高校からの帰り道、そのころはまだ東大路を走っていた市電の中で、何か異様な熱気を感
じた。ふと外へ目をやると、いつもは人影もまばらなはずの吉田神社の参道が、彼方まで人の波に
埋め尽くされていたのだった。道路はいつになく渋滞しており、当日だけ運行されるという吉田と壬生
間を結ぶ臨時バスに、年配の人たちが我先にと乗り込んでゆく ━━━そういえば数日前の新聞に、
各寺社の節分の参詣の案内が一斉にでてたっけと、ようやくことの次第を理解したのだった。

(真矢都 『京のオバケ』 より)

吉田の節分は、異常です。
ネイティブの人には自然かも知れませんが、部外者には凄く異常に見えます。
都の表鬼門の守護神として創建され、 厄除けの神様として現在も篤い信仰を集める、吉田神社。
旧暦が密かに生き続ける京都に於いて「本来の大晦日」たる節分に行われるその節分大祭は、
極めて気合の入ったものであり、裏鬼門・壬生寺の節分会と共に高い集客力を誇ってます。
が、壬生寺がネイティブさでは圧倒的ディープネスを放ってるのにも関わらず、
吉田の節分はそれを遥かに凌ぎ、異常です。何が異常かといえば、熱狂の温度感かなと。
この日の追儺式など、殺人的混雑が出来してます。しかし、どこかみんな、醒めている。
それも現代人として醒めてるのではなく、何か別の所で醒めてる感じが、凄くする。
その感じが、他にはない、吉田の節分独特の不気味さと魅力を生んでるような気がします。
そんな違和感も楽しみながら、古式に則った追儺式を存分に堪能したかといえば、
ひたすら殺人的混雑に振り回されただけで終わったわけですが。

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狸谷山不動院の初不動へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月28日(金)


狸谷山不動院の初不動へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「効き目が強いパワースポットは、都の周辺部に多い」。
「パワーを通り越して霊気そのものを発する妖しいスポットも、都の周辺部に多い」。
興味本位の軽い気持ちで京都のパワスポ巡りや恐怖スポットへ出かけたことのある人なら、
そんなことを思うかも知れません。実感として 「ちょっとアクセス不便なとこ、多いなあ」 と。
もちろん、本当にヤバい所というのは、京都市街の中心部にもいくらでもあります。
郊外のその手の物件は、土地取得が容易だったり、放置 or 廃棄が容易だったりするために、
ヤバさがド派手化 & 大型化して、わかりやすい形になっただけとも言えます。
しかし、「ちょっと不便」という距離感そのものが魅力の根源になってるとも考えられるのであり、
スポットの強度や性質もまた距離に規定される、と思えないこともありません。
「ちょっと不便だけど、頑張って行った」 という行為によって何かが救われるタイプの、思い。
逆に頑張り過ぎてマジな修行の領域に入ると、全部が昇華されてしまいそうなタイプの、思い。
一乗寺から坂を上った先の山奥にあり、パワースポットを自認している狸谷山不動院は、
そんな距離感の思い・願望を、真正面から受け止めている寺ではないでしょうか。
本尊・咤怒鬼(たぬき)不動明王から来る「他抜き」 という語呂合わせな勝負の願いから、
ガン治癒祈願、そして自動車祈祷と、そのご利益は極めて切実、かつ現世的。
桓武天皇の勅命で建てられながら、戦後に至ってようやく本格的に復活したという経緯もあり、
より 「今」 な問題へ向き合う姿勢を打ち出し、それにより多くの信奉者を集めています。
そんな狸谷山不動院の一年で最初の縁日が、初不動
大護摩供養が行われるんですが、その火で暖められた笹酒が無料で振舞われます。
しかも、おかわり自由。「狸谷飲放題」 という異名もあり。行くでしょ、そりゃ。

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法界寺の裸踊りを見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月14日(金)


法界寺の裸踊りを見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

褌一丁で歓喜に沸く男たちの姿。
それは、男子の草食化が嘆かれる現在でも、決して珍しいものではありません。
神事、仏事、祭り、その他その他。季節の折々に、全国からそんなニュース映像はやってきます。
しかし「裸踊り」で検索をかけると、最初に出てくる仏事は、この法界寺の裸踊り。
あとは、どっかの自称宇宙人が国会の中で裸踊りをやらかしたとか、
結婚式の余興で裸踊りを試みる馬鹿をどう止めたらよいかとか、そんなしょぼい話ばかりです。
野趣溢れるワイルドな裸踊りの躍動を伝えるページは、意外と見当たりません。
どうしたんだ。いったい、どうしたんだ、裸踊り。
京都の比較的マイナーな祭事に天辺を獲られるほど、弱体化したのか、裸踊り。
それともいわれのない偏見により、グーグル八分でも喰らってしまったのか、裸踊り。
いや、でも、ひょっとすると、ただ裸の男が踊るだけの裸踊りは、案外珍しいのかも知れません。
護符や宝木を奪い合うわけでもなく、火の粉を浴びるわけでもなく、滝に打たれるわけでもなく、
ただただ大量の男たちが下帯姿でお堂に現れ、ただただ踊る。
修正会の精進潔斎と豊穣祈願、そしてある種のセックス・アピールをピュアな形で見せるその姿は、
本尊・胎内仏が今もディープな子宝信仰を集める「乳薬師」こと法界寺にふさわしいのみならず、
グーグルの評価通り、やはり日本の裸踊りを代表しているものなのかも知れません。
自分でも何言ってるかよくわかりませんが、とにかく裸踊り、行ってきました。

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