2013年7月22日(月)

八幡ナイトウォークをやってみました。もちろん、ひとりで。
「そうだ 京都、行こう」 連携の夜間拝観をしている、2013年夏の石清水八幡宮。
あれ行って、ライトアップを存分に堪能してから、あなた、どうしますか。そのまま、帰りますか。
「そうだ」 のロゴ入り提灯を返すため、ケーブル山上駅へ帰るしかない、と。そりゃまあ、そうですね。
で、ケーブルで下へ降りたら、そのまま真っ直ぐ京阪電車に乗る、と。で、帰る、と。
だって、しょうがないじゃないか、と。山上にも山下にも、めぼしい遊びスポットはないじゃないか、と。
駅前には、居酒屋が一軒あるだけじゃないか、と。他はあたり一面、漆黒の闇じゃないか、と。
確かに、そうです。そそくさと帰って、当然です。しかし、それでもやはり、惜しい。
八幡には、色々と面白い所があります。石清水八幡宮を中心に、色々と面白い所があります。
京都の裏鬼門を守護する社として、または源氏の武神として、あるいは厄除の神様として、
キナ臭い創建以来1000年以上に渡り、貴賎を問わない信仰を集め続けてきた、石清水八幡宮。
その歴史の痕跡は、鎮座する八幡山 = 男山の周囲に、様々な形で紛れ込んでいます。
あるものは、観光資源に化けそうな魅力を持ってたり。あるものは、観光化が絶対不能だったり。
電飾や映像技術で偽装された幽玄さに陶酔するのも大いに結構ではありますが、
現代生活と 「歴史」 がコンフリクトする、そんなリアルな町の姿も見たいとは思いませんか。
というわけで、夜間拝観の帰りに八幡をゆっくり巡るウォーキング、設定してみました。
名づけて、八幡ナイトウォーク。歩行距離、約12キロ。所要時間、約4時間。
グーグルで 「京都府八幡市」 と検索したら 「治安」 とキーワードが提示されるような町を、
夜、真っ暗の中、不審者全開でウロウロと歩きまわろうというわけです。
独男にしか、出来ないことであります。そして、独男だけの楽しみでもあります。
歴史丸出しなスポットから、単なる地元民愛着丸出しスポットまで、
生の八幡を感じるウォーキング、さあ、出発しましょう。
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2013年7月20日(土)

石清水八幡宮の夏の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「そうだ 京都、行こう」 。
「人の住んでる所を、そうだ呼ばわれすんな」 と言いたくなるこのフレーズが、
JR東海による新幹線の広告キャンペーンに使われるようになり、もう20年もの時間が経ちました。
東京から2時間というタイム感を、 「そうだ」 という無礼千万な一言を用いて表現したことで、
より京都旅行をカジュアルに、そして気軽にリピートさせることにも成功した、「そうだ 京都、行こう」 。
古典的なパックツアーを、行き先だけちょこっと目先を変えて 「上質」 なるものに化けさせ、
おかげで狭い寺に大量動員をかけ、無茶苦茶な混雑を生んだりもしてる、「そうだ 京都、行こう」 。
自分で勉強したり調べたりするのは面倒だけど、 「私だけのお気に入り」 の京都は欲しい。
知性を圧迫してエゴだけが膨張した消費者の、そんな勝手極まるニーズにもしっかりと応え続け、
京都もまた奥が深いがゆえに、無茶な注文に対応が出来てたキャンペーンなわけです。
しかし、さすがに20年もやってるとネタ切れとなったのか、「そうだ 京都、行こう」 、
遂に私の地元である石清水八幡宮にまで、その魔の手を伸ばしてきました。
「まあ神社自体はそれなりに大きいけど、それ以外は特に目ぼしいスポットは、ないぞ」
「女子供に受けがいいメシ屋やスイーツなんか、全然ないぞ」 「夜なんかもう、ゴーストタウンだぞ」
と、地元民としては思うことしきりだったりするんですが、そんなのは全て、杞憂でした。
石清水八幡宮、従来は石清水灯燎華で3日間しか行われなかったライトアップを、
キャンペーンと提携した 「夏の夜間特別拝観」 として、7月中旬から8月末まで、1ヶ月半も開催。
地元商工会も、これを機に観光客を呼び込もうと、特設ステージやイベントを用意。
「私のお気に入り」 になることを、目指すというわけです。鳩が、鷹になろうというわけです。
そんな地元の奮闘、 「絶対無理じゃ」 と思いながらも、観に行ってきました。
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2013年7月20日(土)

八幡駅近観光をやってみました。もちろん、ひとりで。
「八幡って、石清水八幡宮の他に何があるの?」
よく訊かれる質問、ではありません。そもそも大抵の人は、八幡にあまり興味がないので。
しかし2013年の夏は、石清水八幡宮がかの 「そうだ 京都、行こう」 の提携先に選ばれました。
捏造された京都幻想を抱えた幾ばくかの人が、捏造されたCMと全然違う八幡さんに落胆したのち、
懲りずに 「私のお気に入り」 を捜し求め、物欲しげに八幡市内をうろつくことが予想されます。
その中には、背景ボカシの彼方やフレーム外へ抹殺された真実を愛せる心を持ちながらも、
一時の気の迷いで 「そうだ」 の導きに乗っかってしまった、独な同志の方もいるかも知れません。
消費者ボケした享楽乞食のレミングなど、ポンコツ街道でスクラップにされてしまえばいいのですが、
同志の方が、ケーブル乗って、八幡さんをお参りして、何なら松花堂弁当も食って、
「ふーん」 という感慨だけ抱いて帰ってしまうというのも、それはそれで、残念ではあります。
というわけで、石清水八幡宮参拝のついでに小さめの観光スポットを回るコース、設定してみました。
八幡には、流れ橋や松花堂など結構いろんなスポットがあるんですが、生憎、いずれも遠い。
流れ橋は、アクセスも、よろしくない。レンタサイクルは無料ですが、今の時期、暑い。
なので、駅から徒歩10分程度の範囲内にあるスポットだけで、コースを設定。
駅近で一番スペクタクルで面白いのは、神応寺の記事でも紹介した駅前渓谷なんですが、
ここは本当にスペクタクル過ぎて、雨が降った後とかだと怖過ぎるのでパスし、
平地の穏やかな門前町をめぐり、最後はおやつのかき氷で締める仕様としています。
幼少期の私の行動圏である、静かでのんびりした八幡を、お楽しみ下さい。
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2013年7月17日(水)

山鉾を一切見ずに祇園祭・山鉾巡行を楽しんできました。もちろん、ひとりで。
菊地成孔+大谷能生 『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』 では、
マイルスの最高傑作である 『Kind Of Blue』 について、一切言及がなされてません。
アーティスト研究を行う上で、外すことが絶対出来ない作品を、敢えて空白にするという、暴挙。
そして、対象の中心を隠蔽するその暴挙が、対象の本質をより浮かび上がらせるという、マジック。
よくわからんけど、そういうの、何か格好いい。よくわからんけど、そういうの、やってみたい。
という高踏極まる動機から、2013年の山鉾巡行追尾は、山鉾をほぼ一切見ずにやってみました。
祇園祭の顔、いや、京都観光のアイコンとも言える山鉾巡行の中心を、敢えて隠蔽する。
その暴挙により、京都観光、いや、京都そのものの本質を、浮かび上がせてみようと思うのです。
いやあ、格好いい。こんなことを思いついた俺、実に格好いい。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。
えと、いや、あの、山鉾隠蔽には他にも一応、動機があります。後祭の復興が、そうであります。
観光集客力アップ+交通規制日削減+仕事止まるの堪忍しとくれやすなどの理由から、
元来は17日前祭+24日後祭の2回開催だった山鉾巡行が17日に一本化されたのは、昭和41年。
以来、巡行が持つ信仰の空洞化&周囲の馬鹿騒ぎ化は果てしなく進行したわけですが、
そんな高度経済成長期的アホアホメタボリズムを捨て、2014年、後祭が復活するのであります。
それは、当事者である山鉾町の人たちにとっては当然、悲願の旧儀復興となるのでしょう。
が、私のような外野の人間からすると、「昭和の無形遺産が消える」 という印象がしなくもありません。
馬鹿のような暑さの中で、馬鹿のような混雑の中を歩き回り、巡行後半は客の大半が半死半生。
そんな 「昭和」 な馬鹿騒ぎが、消えるかも知れない。そう思うと、少し寂しくなったのです。
という意味不明な感傷+先述の中二病+おまけに当日の天気も今イチで写真が撮りにくいため、
思い切って山鉾には目を向けず、肥大化の末に消えていく外縁ばかりを見つめてみました。
やはりマイルスのアルバム 『In A Silent Way』 の 「Shhh/Peaceful」 において、
テーマを全カットした編集が音響の新しい地平を開いたようなマジックが、ここでも起こるのか。
それとも、ただ単に 「肉抜きの牛丼」 みたいなもんに成り果てるだけで、終わるのか。
中心を隠すことで浮かび上がった本質、その目でお確かめ下さい。
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2013年7月15日(月)

祇園祭の宵宮祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
祇園祭を 「二つの祭が同時進行している」 と言ったのは、山路興造。
いわく、平安期から八坂神社主体で行われている神輿渡御が中心の 「祇園御霊会」 と、
中世以降の下京町衆主体で行われる山鉾巡行中心の 「祇園祭り」 が、同時進行している、と。
( 平凡社刊 『別冊太陽 京の歳時記 今むかし』 中 「月次の京・七月」 の項より )
もちろん実際は、両者は密接に関わり合い、山鉾巡行もそもそもは神輿渡御の先触れです。
が、現場を歩くと、山鉾町と八坂神社近辺で空気が違うと感じられるのもまた、確かだったりします。
山鉾町に漂う、むしろこちらを 「御霊会」 と呼びたくなる、闇や恐怖さえ孕んだ独特の雰囲気。
そして八坂神社と門前の祇園町に漂う、一転してオーソドックスかつ大らかな、神祭りの雰囲気。
いろんな意味&点でややこしそうなので、私には何もわからんとしか言えない話ですが、
とにかく空気の違いは明白に存在し、その辺がクリアになるのがこの宵宮祭以降ではないかな、と。
もう充分に知られてるようで、案外やっぱり知られてないようですが、祇園祭にも神輿は出ます。
神輿は無論、神様の乗り物。ゆえに、神輿が出る場合、本殿から神様を遷す儀式が、必須。
というわけで、祇園祭でもこの儀式は当然執行され、行われる日は神幸の2日前である、7月15日。
一般的には 「宵々山」 の夜に、八坂神社では 「宵宮祭」 として遷霊神事が行われるわけです。
遷霊の儀式そのものは、境内の照明完全オフ+撮影も完全禁止という、極めて厳粛なもの。
厳粛過ぎて、何やってるのかわからんくらい地味だったりしますが、とにかく、極めて厳粛なもの。
しかし、門前の祇園商店街は、 「宵宮神賑奉納・前夜祭」 として様々なイベントを開催。
その賑わいの空気が、先述のように山鉾町とはちょっと違うテイストなのが、面白かったりします。
そんな宵宮祭、混雑の酷さは山鉾町よりほんの少しだけマシ or ほぼ変わりませんが、
より本義に近い儀式と賑わいの香りを嗅ぐべく、突っ込んでみました。
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2013年7月7日(日)

地主神社の恋愛成就七夕祭りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「天漢 相向き立ちて わが恋し 君来ますなり 紐解き設けな (by 山上憶良) 」
という露骨極まる歌が示す通り、七夕は、実に愛欲溢れる伝説に因んだ節句であります。
互いを求め合う二つの星、琴座の主星・ベガこと織女星と、鷲座の主星・アルタイルこと牽牛星。
二星を隔てるのは、天の川。年に一度、七夕の夜空が晴れたら、二星は川を渡り、逢瀬を果たせる。
そんな、 「紐解き設けな」 となるのも当然な、それこそ 「セッ●ス!セッ●ス!」 な節句なのです。
が、色恋に関わることなら何であろうが商売のネタにする、腐り切った現代消費社会にあって、
この七夕、イベントとして大きな盛り上がりを見せてる感じは、はっきり言って、ありません。
新暦への移行により七夕当日が梅雨の真っ只中となって、星が大抵見えないのが悪いのか、
年一というスパンが、コンビニエントな性生活に慣れた現代人には生殺しプレイにしか見えないのか、
とにかく現状として七夕は、もっぱら児童向けの短冊吊るし大会になってる感が、否めません。
が、地主神社は違います。京都で最もメジャーな縁結びスポットである地主神社は、違います。
京都観光のキング・オブ・キングである清水寺の境内にあって、神代にまで遡る凄まじい歴史を誇り、
清水寺と共に世界遺産の指定もバッチリと受けている、あまりにも由緒正しき社、地主神社。
しかし近年は 「愛のちかい」 「しあわせ」 「よろこび」 「キューピッド」 「恋の願かけ絵馬」 などなど、
縁結びアイテムを大量リリース、その 「本気」 ぶりが各方面から注目を集めること、しきりです。
そんな地主神社、七夕という商機を見逃すはずもなく、 「恋愛成就七夕祭り」 なる祭を開催。
一対500円の紙こけしに自分&好きな人の名を書き、笹へ結わえ付けて恋愛成就を祈願するという、
「商売繁盛で笹持って、恋」 と思わず連呼したくなるような、実に景気の良い祭りであります。
当日の現場はもちろん、清水寺の超ベタな観光客+色恋に飢えた女子が、溢れまくり。
そんなアウェー地獄へ、「紐解き設け」 る人などいない独男が、特攻してみました。
折しも当日は、日曜。アウェー混雑+猛暑との死闘、見届けて下さい。
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2013年7月5日(金)

祇園祭の長刀鉾町稚児舞披露を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
注連縄切りで山鉾巡行をスタートさせる、長刀鉾の生稚児。
正に祇園祭の 「顔」 的存在ですが、同時に、実にミステリアスな存在でもあります。
初期の祇園会に於いて貴人より調進されたという 「神の寄り坐し」 としての稚児・馬長童とも、
中世以降の祭で激化した風流の羯鼓稚児とも言われる、そのルーツからして既に、ミステリアス。
また、 「神の使い」 扱いとはいえ十万石の大名と同じ格式を授けられるのもミステリアスなら、
かつては船鉾以外の全ての鉾に乗ってたのに現在は長刀鉾にのみ残るというのも、ミステリアス。
さらに、葵祭の斎王代と同じく知らんところで知らん間に選考決定されるのもミステリアスなら、
でも決まった子供の家は常に誰もが知ってる有名な家だったりするあたりもやはり、ミステリアス。
実にミステリアスなのであります。いろんな意味で、実にミステリアスなのであります。
そんなミステリアスな生稚児が、まだ祭のムードも希薄な7月初頭の街中へ突如として登場し、
山鉾巡行の際と同じ舞を、大半が仕事中の通行人に向かい披露するのが、7月5日の吉符入りです。
吉符入りとは、祇園祭の開始にあたって各山鉾町にて行われる神事始めのことですが、
唯一鉾に乗る生稚児を擁する長刀鉾では、この神事始めに於いて稚児の紹介や盃などに加えて、
山鉾巡行の際に舞う 「太平の舞」 の神前披露および町会役員による審査が行われます。
のみならず、めでたく審査に合格した生稚児は、会所二階を鉾に見立て、外へ向かって舞を披露。
無論、当日の会所前には好き者が集いまくるため、その若干無法気味な混雑も相まって、
事情を知らない人からすれば、かなりミステリアスに見えるであろう奇景が展開されるわけです。
祇園祭の端緒を飾る、そんなミステリアスな稚児舞披露、出かけてみました。
一般人が観れるのは舞のみゆえ、ネタ不足を補うべく街ブラが多量に混入してますが、
その辺から伝わるかも知れない街の温度感も楽しんでもらえると、幸いです。
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2013年6月30日(日)

夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。
いい歳をした、独男。その、穢れ切った精神と肉体。
肉体はあらぬ快楽で怒声を上げ続け、魂は無力感と万能感の狭間で腐り続け、
さらには、腐臭漂う己の生き様を、ネットを通じてなるべく広範に伝染させようと目論み、
自意識の臭気を汁にして目から飲ませるような暑苦しいサイトを作り続ける、筆の生えた糞袋。
そんなカス野郎の、穢れに穢れた穢れを祓おうとするなら、普通の祓いでは全く足りません。
質的にも量的にも肥大した糞袋っぷりを糺すには、質的にも量的にも肥大した祓いが必要なのです。
そう、例えば、大祓に用いられる茅の輪を、大量に、かつ連続して、くぐりまくるとか。
半年分の穢れをくぐり一発で祓うスピリチュアルリング = 茅の輪を、立て続けにくぐりまくれば、
あるいは独男の穢れ切った精神と肉体も、穢れなき少年のような輝きを取り戻すかも知れない・・・。
そんな藁をも掴む気持ちで、神社を求めウロウロ徘徊する夏越祓の茅の輪くぐりまくり、
2013年度上半期も、湿気爆発な梅雨真っ盛りの京都を舞台に、しっかりやってしまいました。
魂の救済というテーマを掲げ、でもやることは単なる街ブラ&嘘スピリチュアルという外道なこのネタ、
2011年度は東山周辺を中心に、2012年度は堀川通を中心に、それぞれ徘徊しましたが、
2013年度のメインターゲットエリアは、一大観光地・嵐山をスタート地点とする、洛西・右京区。
理由は、特にありません。東と真ん中を攻めたのか、今度は西方面かな、と。そんな感じ。
また、厳密に西へこだわったわけでもなく、最後には北野一帯へ流れ付いたりと、極めて適当です。
が、適当に歩いても尚、かなりなボリュームの神社にかなりの頻度で遭遇する京都の濃さ、
そしてそんな濃さの中で息づくネイティブな匂いみたいなものは、多少は感じてもらえるかなと。
それでは半期に一度のスピリチュアル・デトックス or 存在の膿の大棚ざらえ、
梅雨真っ盛りの不快極まる梅雨空ですが、さあ、出発しましょう。
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2013年6月20日(木)

藤森神社の紫陽花苑へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
何年か前、藤森神社の紫陽花苑を訪れたことがあります。
6月も終わりの頃だったでしょうか。ちょうど、紫陽花 = あじさいが満開だった頃。
特に理由は、ありません。立ち寄っただけ。入苑料が300円なので、気楽に入れるわけです。
ただその日は、物凄いカンカン照り。満開の紫陽花も、すっかり干乾びていたものでした。
やっぱり紫陽花は、雨に濡れた姿を見るもんだな、と。雨の日に、また来よう、と。
以来、雨と暇、そしてモチベーションのタイミングが合わず、梅雨をやり過ごすこと、数回。
何故そんなにやり過ごしたかといえば、そりゃ、あなた、相手が紫陽花だからですよ。
あなた、紫陽花を積極的に見たいと思いますか。あ、思いますか。でも、私は思わんのですよ。
でもやっと先日、雨が降り、暇で、行く気も起こったので、再訪を果たすことができました。
藤森神社。菖蒲の節句の発祥地として名高く、菖蒲 = 勝負の神様として崇敬を集める神社です。
そんな勇ましい神社に、何故可憐な花が並ぶ紫陽花苑ができたのかは知りませんが、
とにかく梅雨時ともなれば宇治の三室戸寺とならんで紫陽花の名所として親しまれてます。
この日は雨を通り越して、夏を先取りしまくった台風4号が上陸しかけてましたが、
おかげで全然人が少ない中、のんびり紫陽花と再会することができました。
でも、正直、自分で書いててこの記事、あまり面白くありません。かなり、面白くありません。
何故そんなに面白くないかと言えば、そりゃ、あなた、相手が紫陽花だからですよ。
あなた、紫陽花が積極的に面白いと思いますか。あ、思いますか。でも、私は思わんのですよ。
なので、紫陽花に加え、藤森神社周辺のうろうろ歩きや餅系食堂ネタも、盛ってみました。
ふらっと立ち寄った、軽くてユルいノリを、お楽しみ下さいませ。
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2013年6月16日(日)

八幡市文化センターで映画 『レ・ミゼラブル』 を観てきました。もちろん、ひとりで。
八幡市文化センター。
私の地元・八幡が、かつて熱かった時代の遺産であります。
などという書き方をすると、今は冷めてしまってるのかという話になってしまいますが、
少なくとも30年前、人口が増えまくり市制に移行した前後の八幡は、今よりも熱かったはずです。
石清水八幡宮の門前にあって、長らく静かな町であり続けていた、京都府綴喜郡八幡町。
しかし、多くの参拝者が精進落としに励んだ橋本遊郭が、昭和33年の売春防止法を受けて、全廃。
税収の実に3分の1を失った八幡は、男山の大阪側に団地を誘致します。男山団地の誕生です。
団地以外の宅地化も進め、2万人だった人口はその3倍以上の7万人にまで、爆発的に増加。
「このまま行ったら、10万越え、確定」 と踏んだ当時の行政は、文化施設の建設も景気良く断行し、
1983年、市役所の向かいに巨大なる八幡市文化センターを、勢いに任せて完成させました。
収容人員1220人&残響可変装置完備の大ホールは、現在に至るも音響面の評判は上々ですが、
地の利の悪さ&身の丈に合わない箱モノの宿命が相まって、コンテンツは圧倒的に、不足気味。
アーティストやオーケストラのコンサート、学生の演奏会など、それなりに活用はされつつも、
人口減少中の八幡にあって、廃墟、もといお荷物、もとい遺産な存在感を、日々強めつつあります。
そんな文化センター、たまに映画もやってて、この日上映されたのが、かの 『レ・ミゼラブル』 。
「最初から最後まで歌いっぱなし」 という無茶苦茶なつくりで、大ヒットしたミュージカル映画です。
音響が売りのホールで見るには、実に相応しい。なので、市民の義務として出かけてみました。
ついでに、八幡市駅からホールまでの、府道22号線とは違うルートも、御紹介。
のんびりとした本当の八幡を、感じてもらいましょう。
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2013年5月31日(金)

割烹露瑚で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。
鴨川の昼床は、5月と9月しか、開いてません。
川床自体は5月初めから9月末まで、納涼の枠を越え半年近くもやってるんですが、
昼床は最初と最後の一ヶ月のみ、優雅といえばかなり優雅な営業スタイルとなってます。
何故6・7・8月に昼床の営業がないかといえば、暑いから。暑過ぎて、営業許可が出ないから。
そもそもは、地獄のような盆地性暑気に満ち満ちた京都の夏をやり過ごすため、
夜の鴨川に床を張り、川風に吹かれ涼気を得る中で料理を楽しもうというのが、川床。
直射日光をガンガンと浴びまくり、食中毒のリスクに耐えながら食うようなもんではないわけです。
というわけで、夜の本格的な床は経済的にも孤独的にも敷居が高い我々独男にとって、
床の醍醐味を楽しめる機会は概ね、この一ヶ月×2に限られるわけであります。
ゆえに、この日のちょっと前には曇天を押して、あと村の昼床へ赴き籠盛弁当を食し、
懸念だった鴨川床の本懐をめでたく遂げたわけですが、その5日後の5月末日が奇しくも、快晴。
いったろか。いってしもたろか。昼とはいえ、週2で、川床。いったろか。
一瞬迷ったような気もしますが、気がついたら既に、鴨川の河川敷を歩いてました。
もちろん、今回も予約など一切無し、ウロウロしと木屋町通を彷徨い歩き、
目ぼしい店へ飛び込む、ワイルドスタイルです。
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2013年5月27日(月)

京料理あと村で昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。
ひとりで忍び込む川床、復活です。
2011年の夏以来、しばらくの間、本当に、本当に、本当に、金がなかったため、
川床侵入はおろか、餅系食堂でうどん&おはぎのコラボを楽しむことさえなかなかできず、
ネタ採取も拝観料のかかるところもなるべく避け、見物に金のかからない祭にばかり足を運び、
運び過ぎて何かサイトが真面目っぽくなったり、腕だけ異常に日焼けしたりしてしましたが、
ようやく初心、ベタなスポットへ単身乗り込むというサイト元来の趣旨へ立ち戻ることができました。
それもこれも、全てアベノミクスのおかげです。というのは、全くのウソです。
金がないのは昨年と、変わりません。耐え難きを耐え続けた昨年と、変わりません。
当時の上司から 「もう日本は終わりです」 と言われながら減給された昨年と、全く変わりません。
しかし、私自身が変わりました。金のことを真面目に考えるのは、止めようと決めました。
パーっと、行こうや!で、パーっと、逝こうや!未来のない人間が今を楽しまないで、どうする!!
今、そんな気持ちで、いっぱいです。という按配で、川床単独侵入、復活でございます。
いや、そんな極私的でどうでもいい懐事情 or 破滅へのカウントダウン話とは別に、
川床記事のアクセス数が突出して多いというのも、復活の大きな理由ではあるんですよね。
アクセスのみならず直帰率も高いので、私としては正直、身銭切ってまでやりたくないんですが、
でもこんなサイトにわざわざ来てくれるのですから、ニーズには応えるべきでしょう。
あと、以前に鴨川の床へ出かけた際は、にらみ川床に終わってますし。
そのリベンジの意味も込め、昼床終了が近い5月末の木屋町へ出かけました。
もちろん、例によって予約なし、完全なる飛び込みです。
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2013年5月12日(日)

新日吉神宮の新日吉祭・神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
新日吉神宮はかつて、官社的性格が強かったそうです。
武将ファンには、秀吉の墓・豊国廟の途中にある神社と思われてる、新日吉神宮。
そして変態さんには、京女の娘を狙う 「女坂」 の途中にある神社と思われてる、新日吉神宮。
しかし本当は、秀吉よりも京女よりも変態よりも長い歴史と、ロイヤルな由緒を持つ神社であります。
新日吉神宮。 「新日吉」 の読み仮名は、「しんひよし」 に非ずして、 「いまひえ」 。
平安末期、後白河法皇が法住寺殿造営に際し、新熊野神社と共に鎮守として創建した社です。
熊野フリークとして知られ、新熊野神社には本社から砂まで勧請したとも言われる後白河院ですが、
平治の乱に於ける祈願をきっかけに、比叡山・日吉大社もまた崇敬しまくってたんだとか。
日吉大神を勧請した新日吉社は、壮麗なる伽藍を誇り、後白河院は当然、他の皇族も多数臨幸。
途絶していた宮中行事を復活させる形で始められた祭礼・小五月会 (こさきのまつり) は、
競馬・流鏑馬・芸能奉納などが華々しく行われ、官社としての格式を誇るものだったと言われてます。
やがて朝廷の衰微に伴い社運も衰微、室町後期には小五月会も中断の止むなきに至りますが、
江戸期に入ると、氏子区域の七条×鴨川エリアが高瀬川開削で開発され、住民が増加。
小五月会は、妙法院のパワーに氏子奉仕が加わり、より民間色が濃いものとして復興しますが、
その際にも禁裏からは女房奉書や鉾などを賜り、その習わしは明治まで続いたのでした。
現在の小五月会 = 新日吉祭は、東京遷都を受けて民間色がさらに濃くなり、
祭りを支える修道・貞教・菊浜・崇仁の各氏子町を、鳳輦が細かく回るものになってますが、
官社のテイストが残る鳳輦&行装列メインの神幸列と、町中のネイティブさ加減が、
いい感じのコラボ効果を生んでいて、独特の味がある祭になってます。
そんな新日吉祭、暇に任せて追いかけてみました。
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2013年5月5日(日)

上賀茂神社の賀茂競馬へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
Godspeed You 。ゴッドスピード・ユー。
「あなたの成功を祈ります」 「幸運を祈ります」 みたいな意味のフレーズです。
が、語尾に 「Black Emperor」 と付けると、暴走族映画のタイトルに化けてしまう通り、
日本ではその筋の嗜好と思考を持つ方々から重用され、高い認知度を誇る慣用句であります。
「God」 + 「speed」 。故に、 「神速」 。DQN的なセンス溢れる誤訳とは言えるでしょう。
しかし、それが本当に単なる誤訳、脊髄反射レベルの誤訳に過ぎないとは、私は思いません。
むしろ 「Godspeed」 という言葉の深層には、神とスピードの間にある親和性が潜むと考えます。
「宇宙で神に遭遇した」 とか言い出し、後には教団へ入ったりした、どっかの宇宙飛行士。
「S字で神を見た」 とか言い出し、後には自分も天高く昇天してしまった、どっかの音速の貴公子。
現代であっても、死と隣り合わせの速度の中にいる人たちは、何かと神を感じがちです。
モータリゼーション皆無時代の人々なら、その親和性に一層、敏感だったのではないでしょうか。
多くの神社で行われる、馬の奉納。または、競馬等の形式で行われる、馬の速度そのものの奉納。
それらの伝承は、私たちに 「Godspeed」 的なる何かを、力強く語りかけてる気がします。
神は、スピードである。スピードは、神である。そんなこと、感じたことはありませんか。
と、別の意味のスピードが好きな人が聞いたら、瞬間冷凍で大喜びそうな与太話はともかく、
京都の神社で馬が爆走するといえば、競馬の神様・藤森神社の駆馬神事が、あまりにも有名です。
が、駆馬神事と同じ5月5日に、葵祭の前儀として行われる上賀茂神社・賀茂競馬もまた、有名。
平安期の宮中武徳殿に於いて、端午の節会に行われたという 「くらべうま」 に始まり、
賀茂氏人が引き継いだ後も、現在に至るまで雅なるマナーで受け継がれてきた、賀茂競馬。
しかし、神のために爆走する馬が発するスピード感、そして衝撃波の如き音と風は、
単に雅なだけの鑑賞神事ではない、 生々しいまでの 「Godspeed」 を感じさせてくれます。
そんな賀茂競馬、奮発して千円のセレブなる有料席で観てみました。
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2013年5月2日(木)

先斗町歌舞練場へ鴨川をどりを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
「おけいはんの民」 にとって、先斗町はよくわからんところです。
あ、「おけいはんの民」 とは、京阪で入洛する同胞を、私が勝手に呼んでる名前。
より厳密に定義すれば 「花街に出入りできない、貧しきおけいはんの民」 となりますが、
とにかく三条大橋 or 四条大橋で鴨川を日常的かつ強制的に渡る必要がある我々にとって、
先斗町はよくわからんというか、微妙な距離感を感じるところだったりします。
何故そんな距離感を感じるかといえば、多分、前を通り過ぎることがあまりにも多いからでしょう。
先斗町のあの狭い路地、いかにもわかりやすい京都的なビジュアルを見せる、あの路地。
我々とて、あそこを歩くことはあります。しかし、その数千倍、前を通り過ぎることの方が、多い。
それも大抵は 「橋増やせよ」 「歩道拡げろよ」 「京阪と阪急の間に地下道作れよ」 と激怒しながら、
人事不詳の観光客や酔客をかわしつつ、この花街の入口を日々通り過ぎているわけです。
人は、通り過ぎることが多い場所に対し、妙に無関心になったり、距離を感じたりします。
子供の頃から目にし続けながらも、中がどうなってるのか知らないし、知る気も全然起こらない。
四条大橋西詰・東華菜館に感じるこんな気持ちを、先斗町にも感じたりするのです。
この感じ、わかってもらえるでしょうか。わかってもらっても、特に何にもならないんですが。
そんな (どんなだ) 先斗町で、毎年5月に行われる舞踊公演が、鴨川をどり。
都をどりと同じく、第1回京都博覧会の附博覧として明治5年に創設された、歴史あるをどりです。
総踊がノンストップで爆走する都をどりとは対照的に、セリフ多用の舞踊劇を打ち出し、
始まったばかりの川床と共に、京の初夏の風物詩として愛され続けています。
その鴨川をどり、GW+開幕2日目ながら、飛び込みで行ってみました。
あ、先斗町の読み方が分からん人は、自分で調べて下さいね。
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2013年4月23日(火)

壬生寺へ壬生狂言を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
壬生狂言。正しくは、壬生大念仏狂言。
京都にいくつか残る大念仏狂言の中でも、最も有名といえるものでしょう。
創始したのは、鎌倉時代に壬生寺を再興すべく、勧進聖として聴衆を集めた、円覚上人。
巧みな説法が庶民から支持され、「十万上人」 と呼ばれるほど圧倒的集客力を誇った上人は、
PAなどあるわけ無い時代に更なる大ハコ系法会を成立させるべく、持斎融通念仏を創始。
声を使わず身振り手振りを用いることで、スタジアム級の聴衆にも仏の教えを説くこの踊躍念仏は、
やがて大念仏会という名の法会となり、時を経て仏教無言仮面劇・壬生狂言となりました。
近世に入ると壬生狂言は、能や物語など同時代の芸能からもエッセンスを導入するようになり、
節分の炮烙奉納 & 『炮烙割』 のガッシャーンも定着するなど、娯楽や行事としても発展。
以後、現代に至るまで、アマチュアである地元の壬生大念仏講中の人たちによって公演が続けられ、
激レアな面&衣装と共に、 「壬生さんのカンデンデン」 の伝統は継承されてるわけです。
素晴らしい。実に、素晴らしい。しかし、今までうちでは壬生狂言、がっつりとは扱ってませんでした。
節分奉納にはチラッと触れてますが、メイン公演である春の公開は、ずっと未訪のままでした。
理由は、ふたつ。壬生狂言には、鑑賞料がかかるから。そして、撮影が禁止だから。
鑑賞料は、まあ、800円。それに撮影禁止なら、神泉宛狂言だって同じ。ですが、Wだと、な。
吝嗇+記事プランが立たんという知らんがな事情が重なり、ずっとスルーし続けてたのであります。
が、何度でも繰り返しますが、うちのサイトの趣旨は、メジャースポットの単独正面突破。
壬生狂言も当然、メジャーです。初日の 『炮烙割』 は京都新聞に絶対載るほど、メジャーです。
それに、他の念仏狂言は観といて、壬生だけ観ないのも、妙です。そして、不勉強です。
行かねばなるまい。下手すると全画像が漆黒の闇になっても、行かねばなるまい。
そんな狂った義務感と、狂言への興味も一応抱き、暮春の壬生へと出かけたのでした。
結果、やはり黒画像ばかりが延々続く無茶苦茶な内容の記事となりましたが、
想像力を働かせるのも無言劇らしいと考え、お楽しみくださいませ。
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2013年4月11日(木)

妙心寺塔頭・退蔵院へ、夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
妙心寺といえば、「行く」 ところではなく、「通る」 ところ。
少なくとも花園周辺に住んでると、そんな印象を持つ方も多いんじゃないでしょうか。
禅テイスト全開の整然さを誇りながら、何故か大徳寺のような色気が無いだだっ広き境内に、
やはり整然としてるけど色気無き伽藍、そして大半が年中無休で拝観謝絶の塔頭が並ぶ、妙心寺。
臨済宗妙心寺派の大本山でありながら、ベタな観光客で溢れるようなことはほとんどなく、
といって、通気取りや穴場探しのネタになるような、消費者の自意識に優しい所もない、妙心寺。
信徒以外の人間から見ると、正直、ただただ広いばっかりという感じの寺であります。
独立した町と言えるくらい広いゆえ、クローズすると周辺住民の通行の妨げとなるということで、
山門の脇に設けられたくぐり戸は終日開放され、住民の通行が可能になってるんですが、
近所の方も、境内で足を止める人はほぼなく、自転車などでさっと駆け抜ける人が圧倒的に、多し。
「行く」 ところではなく、「通る」 ところ。そんな妙心寺であります。どんなだという話ですが。
しかし、そんな色気が全然無い、チャラチャラ浮ついたところがない質実剛健なる妙心寺にあっても、
中には常時公開され、桜のライトアップなんかを行ってしまう塔頭も、あったりします。
それが、退蔵院。室町期に開創された、妙心寺では三番目に古い塔頭です。
瓢箪で鮎を押さえるという、禅問答の世界を絵画化した 『瓢鮎図』 で有名な寺院ですが、
画家・狩野元信が、滝水が海へ流れ出る様を石と白砂で表現したという、枯山水 「元信の庭」 や、
四季折々の花々や池を配した、中根金作氏作庭による昭和の名庭 「余香苑」 もまた、有名。
やや小ぶりながら、桜もまた見事であり、2013年春は 『そうだ 京都、行こう』 とも提携。
かなり、色気を出してるのであります。「行く」 ところに、なってるのであります。
そんな退蔵院、さらに色気が増すであろう夜桜を、観に行ってきました。
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2013年4月8日(月)

宮川町歌舞練場へ京おどりを観に行きました。もちろん、ひとりで。
宮川町。言うまでもなく、京都五花街のうちのひとつです。
川端四条の南、祇園祭の神輿洗式が行われる鴨川 = 宮川のほとりにあって、
伏見城&方広寺建設で大和大路が賑わった時代あたりから、茶屋が並ぶようになり、花街化。
近くの河原では出雲阿国が歌舞伎を創始し、現在も残る南座を始めとして芝居小屋も林立、
さらには美少年の歌舞伎役者が女犯禁止の僧侶相手に男娼となる 「陰間茶屋」 でも名を売るなど、
実に 「聖」 と 「芸能」 と 「俗」 が濃厚に入り混じる、花街らしい由緒を誇る街であります。
「俗」 「裏」 は時を経るごとに後景化、昭和33年の売春防止法施行以降は芸舞妓一本となり、
現在は観光テイストが濃い甲部のお隣にあって、比較的ネイティブな花街の存在感を見せてます。
京おどりは、そんな宮川町の芸舞妓はんらが芸を披露する、春の舞踊公演。
「京をどり」 ではございません。あくまで、「京おどり」 。何故かは全然知りませんが。
初演は昭和25年と、明治スタートの都をどりや鴨川をどりなどと比べると割と最近ですが、
楽しんでもらうことをモットーとした若柳流の振付で、観光客のみならず地元にも愛好者、多し。
で、そのおどりへ行ってきたわけです。もちろん、予約とか一切なしの、飛び込みで。
私は知ってます。 「京都 をどり チケット」 で検索をかける人間の多さを、私は知ってます。
うちみたいな零細サイトにさえ、どれだけの人がそのワードで飛んでくるかを、私は知ってます。
本当に観たいなら、事前にチケットを確保した方がいい。わかってます。でも、しない。
何故か。面倒くさいから。あと、飛び込みでどれくらい行けるか、確認したいから。
というわけで、また手ぶらで特攻です。よい子は真似しちゃ、駄目。
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2013年4月5日(金)

京都府庁旧本館の観桜会へ、夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
最近よく言われることですが、京都にはレトロ洋館が結構、残ってます。
明治から昭和初期にかけて、全国に先駆ける勢いで建てられた、重厚なる洋館の数々。
大きな空襲を受けなかったためか、あるいは何であろうと大事に保存する習性が発揮されたのか、
それらは三条通を中心に結構な量&結構な質で残り、近年、人気を呼んでるわけです。
「京都の別の顔を見た」 みたいな。 「実は新しいもの好きの京都を見た」 みたいな。
個人的にはこれらの近代建築遺産、京都人の隠された進取の気風の表われたものというより、
東京遷都で焦った明治期の息吹 or 殺気をより伝えてる気がするんですが、あなたどう思いますか。
とにかく、それなりに見るべきものが多く、また人気スポットも数ある京都の洋館シーンにあって、
ぶっちぎりの由緒を持つものといえば、恐らく京都府庁旧本館ということになるんでしょう。
京都ハリストス正教会聖堂などを手がけたことで知られる京都府の設計技師・松室重光が設計し、
破格の費用をかけ明治37年に完成した、堂々たるルネッサンス様式の、府庁本館。
極めて完成度の高い意匠を誇り、そのハイクオリティぶりは単に焦りの表出レベルに止まらず、
その後、続々と洋式で建てられた各地の県庁舎の立派なお手本ともなりました。
昭和46年まで現役として使われ、以後も現在に至るまで様々な形で稼働し続けてる旧本館、
最近はもっぱらロケや結婚式、時にはコスプレ撮影会などにも活用されたりしてますが、
そんな流れの一環として、春の桜シーズンに開催されてるのが、観桜会。
口の字型に建てられた洋館の中庭に植えられた、枝垂桜。それで、花見をしようじゃないか、と。
花見のみならず、アーティストとかも呼んで、期間限定で美術館化しようじゃないか、と。
桜の最盛期には夜間も開放して、ライトアップやプロジェクションマッピングもしようじゃないかと。
それが、観桜祭であります。で、もちろん、夜間公開へ行ったわけであります。
古いものを何でも活用する京都の息吹 or 殺気、お楽しみ下さい。
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2013年4月5日(金)

大宮交通公園へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
大宮通の北端と聞いて、貴方はどの辺りを連想するでしょうか。
本来は御所の隣を通るが故にその名が付けられた、正に都を代表する通であり、
さらには平安遷都以前から存在して都市計画の基準になったとも言われる、大宮通、その北端。
私の場合、恐ろしいことに、四条大宮を連想します。知識と関係なく、四条大宮を連想します。
御存知の方は御存知でしょうが、大宮通、あそこで北へ向かって急に細くなるんですよね。
大きい道は、市電由来の何かよくわからん斜め道となり、その先で千本通と合流してしまうという。
サウス民であり、自転車で毎日のように東寺から大宮通を北上してた時期もある私は、
その 「急に細くなる」 印象ゆえ 「大宮通は四条大宮で終わり」 と反射的に考えてしまいます。
もちろん実際の大宮通は、二条城に寸断されたりしつつも北へ向かって細長く続き、
上京を越えた辺からは 「新大宮商店街」 という名のダラダラ果てしなく続くユルい商店街を形成、
確認したことはないですが、とりあえず御薗橋近くのどっかで北端に達するわけです。
が、生活圏が全然違う私は、あんな北の方まで大宮通が続いてることに、正直、混乱します。
そして、その北端近くに大宮交通公園なるものがあることにも、正直、混乱します。
大宮で 「交通」 といえば、四条大宮じゃないか。阪急と嵐電を乗り換える、四条大宮じゃないか。
トロリーバスの始発点だった、四条大宮じゃないか。市電車庫が近くにあった、四条大宮じゃないか。
市電の車庫はバスの車庫から操車場になり、その傍には 「ベンガル湾」 というカレー屋があって、
あそこあまり美味くはなかったけど出来ればもう一回食いたいぞの、四条大宮じゃないか。
と、全くどうでもいいことを書いてるのは、大宮交通公園に関して何も書くことが無いからですが、
では、何故そんな興味のない公園へ行ったかといえば、ここの桜がなかなか見事だから。
何といっても植えたのが、桜守・佐野藤右衛門。1969年の開園時に植えたとか。
植樹から30年という良い頃合の時が経ち、現在の桜は正に良い頃合。
そんな桜、児童と保護者だらけの中、観に行ってきました。
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