鹿王院へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年12月1日(火)


鹿王院へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

こんなことを言うのはどうかなとも思いますが、はっきり言って、鹿王院は地味です。
権勢誇示が大好きな室町幕府三代将軍・足利義満が創建したにも関わらず、地味です。
やはり義満が創建した金閣寺の本名 「鹿苑寺」 と同じく 「鹿」 を冠するにも関わらず、地味です。
嵐山から徒歩移動も可能な距離にありながら、鹿王院の門前に観光の賑わいは、全然ありません。
門前町的な店や名物といったものも全然なく、せいぜい渋い銭湯・鹿王湯くらいしかありません。
塀でその存在を誇示することもなく、そもそも民家に完全包囲されてるため、誇示しようもありません。
「嵯峨の金閣」 とも称される舎利殿を始めとする見事な伽藍と、極めて格の高き由緒を持ちながら、
門前をスルーせずに済ませるのにも注意力が必要なこと請け合いの、実に地味な寺なのであります。
鹿王院。本名、覚雄山鹿王院。元々は、義満が創建した宝幢寺の開山塔として、造営されました。
宝幢寺は、 「宝幢菩薩を祀れば寿命が延びる」 という夢のお告げに従って、義満が建てた寺。
夢窓疎石の俗甥 or 義満のメンターである春屋妙葩 aka 天下僧録司 aka 普明国師を開山に迎え、
京都十刹第五の名刹としてその名を轟かせましたが、応仁の乱の後は衰退し、遂には完全消滅。
で、結局は妙葩が建てた鹿王院のみが残り、宝幢寺の寺籍を継ぐ形で現在まで存続してるわけです。
義満筆 「覚雄山」 の額を掲げる築600年の山門や、石畳の参道、嵐山を借景とする枯山水庭園、
さらには源実朝が宋国より招来したという仏牙舎利を安置する舎利殿と、鹿王院、見所は実に多し。
実際、訪れる客の数は、割と多かったりします。なのに存在感的には、凄く地味なのであります。
恐らくかつては、 「建てようと思った辺りに、鹿がうろついてたから」 という寺名の由来が示す通り、
嵯峨野的な鄙びた風情の中で 「嵯峨の金閣」 が屹立し、そのロイヤルな威容を誇ってたんでしょう。
しかし現代に入り、極めて右京区的な生活感溢れる宅地化により、周囲を完全包囲されたことで、
地味というか、独特のインパクトと存在感を持つ、妙味に満ちた寺になってる気がします。
そんな鹿王院、紅葉も名物。というわけで、地味さ&妙味さと共に堪能してきました。

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随心院の秋期夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年11月29日(日)


随心院の秋期夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

門跡寺院が好きです。より細かく言うと、小ぢんまりとした門跡寺院が好きです。
具体的な寺名を挙げるなら、曼殊院霊鑑寺、そして今回訪れた随心院というところでしょうか。
江戸前期テイストを感じさせる伽藍が、狭めの境内にギュッと詰まって構成されてる、あの感じ。
直線&直角のインパクトがバキバキな配置ながらも、野郎丸出しな無骨さは全く感じない、あの感じ。
そして何より、エレガントな佇まいでありながら女子供が喜ぶユルさは断じて排除してる、あの感じ。
男好みの伽藍だと感じます。より細かく言うと、ある種の傾向を持つ男好みの伽藍だと感じます。
「美」 しか取柄が無くなった者たちが、制度上でも明白に 「美」 しか取柄が無くなった丁度その頃に、
凡俗には想像も出来ないような想いから作り上げたのであろう、小ぢんまりとした 「美」 の箱庭。
と、こんな風に、やんごとなき方々のやんごとなき心模様をとことん勝手に妄想したりしながら、
これら門跡に漂う独特の 「圧」 みたいなもの、ある種の傾向の 「男」 な感じを、堪能してるわけです。
よくよく考えてみると、というか考えるまでもなく、随心院は小野小町ゆかりの寺として有名であり、
春先になれば 「女子供」 以外の何物でもない可愛い女子たちが踊る 『はねず踊り』 も行われ、
受付では 「恋みくじ」 や 「小町香」なんてのも取り扱ってる、極めて女子力高めな寺ではあります。
また、有名な梅苑があるくらい境内もなかなかに広く、メイン建築たる本堂も桃山期のものだったりと、
「狭い」 「江戸前期」 さえ当てはまらなかったりしますが、でも、男好みの印象は変わりません。
本堂と同じかそれ以上に、本堂をとり囲む伽藍が良いんですよね。公家より寄進された、伽藍が。
多くの門跡が入山した九条二条両宮家の寄進により、江戸初期に再興された書院・玄関・能の間。
ギュッと詰まってて、直線&直角バキバキで、エレガント。そして、明らかに 「圧」 もたっぷりある。
たまりません。何か、書けば書くほど変態じみて来るような気がして色々不安ですが、たまりません。
そんなたまらん随心院、実は紅葉も名物で、秋ともなればライトアップの夜間特別拝観も実施。
紅葉の美しさはもちろんですが、男好みな伽藍の夜の姿を観れるのもまた、至福だったりします。
というわけで醍醐へ出かけ、紅葉と共に闇と 「圧」 も、一緒に堪能して来ました。

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東福寺塔頭・毘沙門堂勝林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年11月27日(金)


東福寺塔頭・毘沙門堂勝林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

東福寺は、夜になるとやたらに寺&その周辺が暗くなるなと思ったりします。
臨済宗東福寺派大本山に相応しいその巨大なる伽藍は、ライトアップされることなど全くなく、
むしろ逆にブラックライトでライトダウンするかのように、禅宗ならではの厳格な闇を周囲へ放射。
名勝・通天橋が瀕死の混雑に見舞われる紅葉シーズンにあってもなお、その闇の厳しさは変わらず、
陽が落ちる夕方以降は昼間の喧噪が嘘の様に消え、代わって辺りに充満するのは漆黒の闇。
群集の荷重に耐えた当の通天橋も、夜は地元中高生の自転車が通るばかりの暗黒渡り廊下となり、
その圧倒的な暗さは、まるで 「これこそが正しい寺の姿なのだ」 と宣言してるようにも見えます。
無論、寺とその周囲が夜に暗くなるというのは、本来は当然というか、普通な姿ではあるんでしょう。
しかし、紅葉シーズンくらい夜間拝観をやってもいいんじゃないかと思ってしまうのもまた、人情。
境内の広さ&紅葉の大規模さを考えると、電気代がえらいことになるだろうけど、やってほしいな、と。
通天橋から落ちて天国へ通り抜ける奴が何人か出るかも知れないけど、やってほしいな、と。
そんな最低共通文化に基づく需要にも一応対応しようと考えたのか、夜間拝観をやってくれてるのが、
東福寺の境内にあってその鬼門を守る、 「東福寺の毘沙門天」 こと塔頭・毘沙門堂勝林寺です。
勝林寺。少林寺に非ずして、勝林寺。東福寺第205世により1550年に創建された、塔頭であります。
東福寺仏殿の天井裏で発見されたという、本尊にして伝・定朝作の毘沙門天立像を始めとして、
珍しい毘沙門天曼荼羅や、大檀那である近衛家の大玄関が移築された本堂など、その見所は多し。
通常非公開であることが惜しまれるほどですが、名物の吉祥紅葉が色づく秋には特別公開を行い、
良縁と美縁の御利益から舞妓はんも訪れたというこの紅葉を、夜ともなればライトアップで更に演出。
その様は、忍び寄る餓鬼より本丸の闇を守るのもまた鬼門守護の一環と考えてるかのようであり、
東福寺の拝観に間に合わなかった迷える衆生にとっては、ある種の緊急避難先になってます。
そんな勝林寺の紅葉、もちろん東福寺が真っ暗になる夜に観に行きました。

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大覚寺の秋の夜間特別拝観・真紅の水鏡へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月28日(金)


大覚寺の秋の夜間特別拝観・真紅の水鏡へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

旧嵯峨御所大覚寺門跡に、私は 「赤」 のイメージを勝手に抱いてます。
嵯峨天皇が建立した離宮を前身とし、言うまでもなく真言宗大覚寺派本山である、大覚寺。
般若心経写経根本道場としても知られ、また 「いけばな嵯峨御流」 の総司所でもある、大覚寺。
別段、赤化した宗派 (何だそれ) の寺でも、赤化した流派 (何だそれ) の寺でもありません。
むしろ赤化の真逆を行くようにロイヤル極まる寺なんですが、私にとっては 「赤」 なのであります。
そう思う理由は、端的に言えば、宝塔です。宮廷文化の風情を伝える大沢池の畔に立つ、宝塔です。
大覚寺が寺化したきっかけである、嵯峨天皇の心経写経1150年を記念し建立された、心経宝塔。
この赤い宝塔、嵯峨野の深い闇の中でライトに照らされると、赤さがより印象的なんですよね。
それが、境外の一条通あたりからチラっと見えたりするのも、インパクトがあったりするんですよね。
当サイトは大覚寺、観月の夕べ宵弘法年越しなどなど、何故か夜にばっかり訪れているため、
闇の中に浮かび上がる宝塔の姿を見る機会が自然と増え、 「赤」 の姿が印象づけられたわけです。
「だから何だ」 と言われたら話が終わりの、個人的事情に基づく個人的感慨に過ぎませんが、
ただ 「赤化した門跡寺院」 という冗談が湧く程度には、大覚寺の 「赤」 、強烈という話であります。
それに、ロイヤル極まるこの寺の方から積極的に赤化を打ち出す機会も、ないわけではありません。
大沢池は 「日本初の花見」 ともされ、桜の名所としての知名度も非常に高い大覚寺ですが、
実は紅葉も充実しており、池畔に続く紅葉の並木道は京都でも他に例がないという話もあるほど。
秋になれば、ライトアップされた紅葉が大沢池の水面に映る夜間特別拝観も実施されており、
その夜間拝観が 『真紅の水鏡』 と題されるなど、なかなかな赤化加減を見せてくれてるのです。
そんな 「赤」 を堪能するべく、またぞろ夜の大覚寺へ出かけたのでした。

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壇林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月28日(金)


壇林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

琴平町の 『川蝉』 へ結局行かず終いになったことを、悔やんでます。
琴平町は、京都ではなく香川 aka うどん県の町。 『川蝉』 は、そこにあったうどん屋です。
讃岐うどんに魅せられた 「巡礼者」 から、その無茶な値段設定や店主のキャラが秘かに愛され、
いつかは必ずその門をくぐらなければならぬラスボス的な感じで、伝説化さえしていた店であります。
『川蝉』 、私も一度は行きかけました。 「巡礼」 してた頃、行きかけました。が、店前で逃げました。
「日本一うまい」 と書かれた巨大幟&店前に散乱する●●にひるみつつ特攻しようとした瞬間、
店主らしきおっさんが出てきて、手に持つ丼から●●を目の前の川へ●●●したのを見て、逃げました。
見たくない何かを見せられる恐怖を感じて。または、香川に抱く幻想を破壊される恐怖を感じて。
あるいは、自分が吐き散らかした幻想の廃棄物を、濃縮ウランにして返されるような恐怖を感じて。
以来、勝負せねばと思いつつ逃げ続けてたんですが、 『川蝉』 、ストビューで現在地を見ると、更地
結局、私は逃げたままになったのでした。悔やんでます。もうこんなことは、繰り返したくない。
というわけで今回、檀林寺へ特攻したのです。香川から京都へ話を戻し、檀林寺へ特攻したのです。
九相図で知られる檀林皇后が、中国から禅僧を呼んで嵯峨野に建立するも廃絶した元・檀林寺を、
京都観光の大衆化が進んだ昭和の高度成長期になってどっかの誰かが再興した、現・檀林寺。
しかし、その実態は●●●とも言われ、ネット上では●●いだの●●だの●●●●●●だのと泣き喚く者が続出。
京都幻想や京都妄想を機嫌良く吐き散らかした末、 「本物」 ノイローゼに罹った輩に対して、
吐き散らかしたその廃棄物をウラン弾にしてお見舞いしまくってるようなスポットなのであります。
正直、私も避けてました。冷やかし目線さえ、バルタン星人の如くブーメランで返されるかもと感じて。
でも、 『川蝉』 クローズを受け、考えを改めたのです。全ては、諸行無常だと。一期一会だと。
それにここの紅葉は、 『川蝉』 のうどんが案外美味かったと言われるのにも似て、案外、好評。
この機会に、もう二度と悔やまないよう、嵯峨野へ出かけたのでした。

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霊鑑寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月27日(木)


霊鑑寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「霊感って、あった方がいいのかも知れない」 と思ったのは、
ずっとずっと昔、叡山電車で客層をリサーチする日雇いバイトをやった時のことでした。
ペアを組んでやる仕事だったんですが、私の相方は四国から来たというDQN上がりの兄ちゃん。
私は、出身地のガラの悪さゆえDNQ耐性があり、割と気さくに接してたつもりだったんですが、
兄ちゃんは何か私に接し難そうで、気まずい沈黙が続いた後、おもむろに霊感話を始めたのです。
同類と見込まれたのでもなく、またオルグでもなく、単に話題が無いから話してるのは、明白。
申し訳なく思った私は、一応 「ですよね・・・」 的な相槌を打ってたんですが、同時に思ったのでした。
霊感は使える、と。適当な距離感を保ちながら、妙な親密さをも生むこの霊感は、使える、と。
素性の知れない独男同志が、短時間の内にある程度の親密さをなるべく当たり障り無く醸成できる、
寝技 or 腹芸的とも言えるコミュニケーション・ツールとして、霊感を少し考えたみたのでした。
独男の 「寝技」 といえば、床屋軍談から宮崎駿の悪口まで、何かと不毛なものになりがちです。
しかし、最初から不毛というか実体が無い霊感は、案外いいツールになり得るんじゃないでしょうか。
というわけで、話は霊鑑寺であります。 「霊感寺」 などではなく、あくまで霊鑑寺であります。
「忍」 の帝・後水尾天皇より山号&寺号を勅許されると同時に、皇女皇孫が次々と得度入寺し始め、
維新へ至るまでに5人の皇族が入寺した、臨済宗南禅寺派の尼門跡寺院・円成山霊鑑寺。
そんなロイヤルな尼寺に対して、霊感がどうこうなどと駄洒落るなど、不敬極まる話ではありますが、
でも、ここの本尊は霊感、もとい霊鑑 = 鏡を持ってるんだから、まあいいじゃないですか。
それに、この寺の名物である御所人形は霊より恐い顔をしてるので、まあいいじゃないですか。
などと書けばさらに不敬極まりますが、とにかくそんな霊鑑寺、普段はロイヤルゆえ拝観は謝絶。
ただ、後水尾天皇遺愛の日光椿が咲く春と、紅葉が見事な秋には、特別拝観を実施。
というわけで今回は、霊ではなく紅葉を観賞に行ってきました。

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南禅寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月23日(日)


南禅寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

混めば混むほどある種の面白さが増す寺社、というのが確実に存在します。
京都に於ける典型例といえば、京都観光のキング・オブ・キングである清水寺でしょう。
混めば混むほど、もっと言えば俗化すれば俗化するほど何故か聖性を増す、清水寺マジック。
中年の中二病の如き混雑忌避の段階を越えて、新たなる智性に拓かれた眼で清水寺を見た者は、
「観光」 の文字そのままに光を求めて群れ集う人間の姿にこそ、確かな浄土の光を見い出し、
路地の奥に 「本物」 を追うような乞食根性を忘れて、京都の真の面白さをもきっと見い出すはずです。
いや、無論そのマジックは、群れ集う人間を余裕で傍観できるスペースの確保が可能な寺社、
即ち、清水寺の如く境内が馬鹿デカい大バコ級寺社だからこそ成立する類のものではありますが、
逆に言えば、境内が馬鹿デカい寺社なら、清水寺のマジックに似た面白味が出ないとも限りません。
紅葉シーズンの南禅寺は私にとって、正にそんな面白味を感じさせてくれるスポットです。
南禅寺。無論、臨済宗南禅寺派の大本山であり、五山の上に立つ日本最高峰の禅寺であります。
創建された鎌倉期から中世に至るまでも、日本初の勅願禅寺としての風格に足る寺領を誇り、
江戸期には家康のブレーンを務める黒衣の宰相・金地院崇伝の入寺で、その権勢はさらに巨大化。
石川五右衛門「絶景かな」 と傾く巨大三門も建立するなど、調子に乗って乗って乗りまくり、
明治以降はその乗りっぷりが祟って水路閣を建てられたりしますが、境内の広大さは何とか維持。
現在は、京都観光における超メジャー級&超大バコ級スポットとしての地位を確立してます。
そんな南禅寺、五右衛門が愛でた桜も無論見事ですが、紅葉もまた見事であり、観光的にも大人気。
というか、山門・方丈・塔頭以外は無料でうろつき可能+大型バスも境内に停車可能なため、
大量の客を乗せたバスが大量&エンドレスで境内へ雪崩れ込むという、最悪の事態が大量発生。
で、その様が何かもう度を超してしまってるため、却って面白く見えなくもないというわけです。
その面白さを堪能すべく、私も乞食の如く無料区域だけうろついてきました。

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泉涌寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月21日(金)


泉涌寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

当サイトは、「京都メジャースポットの単独正面突破」 を趣旨としながら、
未訪だったり、あるいは未記事化してたりする超ジャー級スポットが、いくつかあります。
未訪 or 未記事化の理由は、色々です。単に嫌いだったり、あるいは更新最終回用に取ってたり。
また中には、完全に行った気になっていながら実は全然行けてない、などというケースもあり、
今回出かけた泉涌寺も正に、今まできちんとした記事が作れてないことを完全に忘れてたのでした。
けしからん話なのであります。 「御寺」 の呼称を持つ寺に対して、けしからん話なのであります。
泉涌寺。その名の通り、真言宗泉涌寺派の総本山である、堂々たる超メジャースポットです。
東山の南麓に於いて弘法大師が結んだ庵を、月輪大師が大伽藍の設営により再興しようとした際、
寺地の一角より清泉が湧き出てたことから現在の寺号が付けられたともされる、泉涌寺。
四宗兼学の寺として隆盛したことでも知られる寺ですが、最も有名なのは 「御寺」 の名でしょう。
四条天皇以後の多くの帝がここで陵墓を営んだため、 「皇室の菩提所」 としての地位を獲得、
維新以降も新憲法施行までその営繕・修理費は宮内省持ちだったという、ロイヤルな寺であります。
そんなロイヤルな寺に対して 「行くの完全に忘れてた」 のは、あまりにけしからん話なのですが、
しかし泉涌寺、当サイトの今までの記事の中に於いても、行くだけなら行ってるんですよね、何度か。
雲龍院の夜間拝観とか。あるいは、瀧尾神社の祭とか。もしくは、今熊野観音寺の紅葉とか。
また、サイトと無関係ながら何度か出向く機会もあり、すっかり記事を作成済みと思ってたわけです。
けしからん話なのであります。 「御寺」 の呼称を持つ寺に対して、けしからん話なのであります。
というわけで、紅葉シーズンを良い機会に今回、正面から普通に泉涌寺へ出向いてみました。
泉涌寺、流石 「御寺」 だけあって、メイン紅葉がある御座所へ入るには拝観料とは別料金が必要で、
ぶっちゃけ、そのオプション課金のオプション感が金額の多寡に関わらず微妙な感慨を生み、
足が遠のく理由でもあったんですが、今回はそのオプション料金も支払って、堂々入場。
さらに茶屋の蕎麦まで食い、全盛りでロイヤルな紅葉を拝んできました。

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光明寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月30日(土)


光明寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「月影の いたらぬ里は なけれども. 眺むる人の 心にぞすむ」 。
浄土宗の開祖である法然上人が、阿弥陀仏への信仰を詠んだといわれる歌です。
月影とは、仏が放つ光のこと。つまり、世界のあらゆるところに仏の慈悲は届いている、と。
しかしその光が真に光となるのは、眺める人の心の中だ、と。念仏を唱える人の心の中だ、と。
上人はそんなことを仰ってるのであります。何と有り難く、示唆に富んだお言葉でしょう。
私たちは、とかく物事の悪い面ばかりを見つめ、論いがちです。また、自身の不幸を嘆きがちです。
しかし、それは間違っている。私たちは、既に、仏の大いなる慈悲に包まれているのです。
如何なる時も、仏の光に照らされているのです。輝いているのです。存在が祝福されているのです。
私たちはそのことに、気付かなくてはいけない。そのことを、受け入れなくてはいけない。
偽りのさもしさに身をやつしては、いけないのです。心を開き光を信じなければ、いけないのです。
と、調子に乗って適当なことを書いてると、違う宗教の勧誘みたいな感じになってきましたが、
とにかく法然上人によると、仏すなわち光であり、光すなわち仏となるんだそうですよ。
そんな上人の開いた浄土宗には、そのままずばりな 「光明寺」 という名の寺がいくつかありますが、
中でも最も有名なのは、上人の廟所がある京都西山粟生野の光明寺ではないでしょうか。
法然が初めて念仏の教えを説き、叡山に襲撃された上人の柩が光で指したという、粟生野の地。
熊谷次郎直実は、この地に念仏三昧堂を建立すると共に、上人の廟所を建立に尽力。
その話を聞いた四条天皇の勅願で光明寺と改名され現在に至る、西山浄土宗総本山であります。
総本山らしい規模ながら、普段は郊外にあって静かな佇まいを見せる光明寺ですが、
紅葉の名所でもあり、秋ともなれば正しく 「光」 を 「観」 る人たちが溢れかえる混雑を現出。
通常は拝観無料ですが、この季節だけは有料化するほどの繁盛振りを見せてます。
そんな光明寺の紅葉、観てきました。紅の光、お楽しみ下さい。

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善法律寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月29日(金)


善法律寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

善法寺家といえば、石清水八幡宮の社家であります。
世間的には某アニメキャラの姓としての知名度の方が高いのかも知れませんが、
少なくとも八幡人的に善法寺家といえば、石清水八幡宮社家たる善法寺家のことであります。
善法寺家。鎌倉期の頃から嫡流の田中家と共に、石清水の別当 = トップを担った家です。
のみならず、室町期には同家の紀良子2代将軍・足利義詮の側室となり3代将軍・義満を出産、
その縁ゆえか何なのか、義満は石清水をたびたび参拝し、石清水と幕府との関係を強化。
また、良子の母である智泉聖通は四辻宮善統親王の孫 = 順徳天皇の曾孫ともいわれたため、
義満の皇胤説が生まれる要因になったりと、様々な形で歴史に関連する由緒を持つ家でもあります。
あ、神社のトップが 「宮司」 ではなく 「別当」 となってるのが、妙に思われるかも知れませんが、
日本は明治維新に至るまで、神と仏が入り交じり習合しているのがそもそも基本的な信仰スタイル。
特に石清水八幡宮は、かつては 「石清水八幡宮寺」 と呼ばれるほど、その傾向が顕著でした。
山上の本殿には僧形八幡像がどっしりと安座し、その前では祝詞の声と読経の声が日々入り乱れ、
山内には 「男山四十八坊」 とOTK48的な呼称が生まれるほど、宿坊が林立してたわけです。
善法寺家もまた、社務を務める一方で山麓に寺院も建立しました。それが、善法律寺。
律の字が入ってるのは、律宗寺院だから。創建時に招いたのは、東大寺の僧だそうですが。
善法寺家の私邸を寺化して創建された善法律寺には、のちに玉の輿に乗った良子が紅葉を寄進。
ずっと時代が下って明治の神仏分離の際は、山上本殿の僧形八幡像が運び込まれました。
善法寺家は明治に還俗して名前を変え、以降どうなったか私は全然知らないんですが、
善法律寺は現存し、僧形八幡像と、そして良子由来の紅葉を護り続けています。
「紅葉寺」 という別名の由来ともなったその紅葉、観てきました。

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無鄰菴へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月28日(木)


無鄰菴へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「俺流」 。反吐が出る言葉です。
教養が、無い。それを気にしない度量も、無い。にも関わらず勉強は、しない。
でも、何かしたい。 「したい」 という気持ちのままに、したい。素直な気持ちのままで、したい。
それが、何故か許されると思ってる。何なら、積極的に許されなければならないと思ってる。
許されないと、怒り出す。 「後向きだ」 「揚げ足取りだ」 「重箱の隅つつきだ」 などと、怒り出す。
そんな、腐った臆病さ+狂気に近い鈍感さ+可愛げの無い甘えのコラボが生む、 「俺流」 の世界。
反吐が出ます。いや、何故出るかといえば、私も紛れもなく 「俺流」 な奴だからなんですけど。
金も能力も権力も無い私のような 「俺流」 男の場合、こんな性根の腐ったサイトの更新にいそしみ、
安全圏にて箱庭的世界を作り 「全てが自分の思い通り」 と悦に入る傾向があるわけですが、
現実的に金や権力がある 「俺流」 男の場合、作る 「箱庭」 もまた現実的になる傾向があるようです。
要は、本当に庭を造ってしまうわけですね。別荘とかに。それも、作法無視の 「俺流」 で。
京都・岡崎の名勝・無鄰菴もまた、そんな 「俺流」 感に溢れた庭園と言えるのではないでしょうか。
「京都に於る庭園は幽邃といふことを重にして、豪壮だとか雄大だとかいふ趣致が少しもない」
「多くは規模の小さい、茶人風の庭であって面白くないから、己は己流儀の庭園を作ることに決した」
(黒田天外 『続江湖快心録』 。但、鈴木博之 『庭師 小川治兵衛とその時代』 より孫引) と、
正に 「俺流」 な宣言の下にこの別邸を建てたのは、近代日本の政治史に君臨する、山縣有朋
「ほんなら田舎帰るか、東京で作りなはれ」 という顰みを踏み潰し、植治の手を借り作ったその庭は、
東山を借景とした芝生の庭に疏水が流れるという、何というかこう、のびのびした世界を、現出。
まるで吉本芸人の映画の如き 「俺流」 加減ですが、しかし山縣のこの 「俺流」 は結局、
現代人の我々が一見して 「あっ、成り上がりの庭っ」 と脊髄反射で思わずにはいられないほど、
近代大型和風庭園の原型として、後世の成り上がりたちに影響を与えたのでありました。
そんな 「俺流」 の偉人が作った 「俺流」 な無鄰菴、紅葉も綺麗と言われたら、
「俺流」 の末席を汚す者としては、行かぬわけにはいかぬでしょう。

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毘沙門堂へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月26日(火)


毘沙門堂へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

近年、 「見つけた感」 なる言葉が流行っております。
裏通りとかにあり派手な看板も出さない店を、見つけ、見つけた自分を好きになる。
ちょっと賢い消費者な自分を、好きになる。ちょっと勘の良い消費者な自分を、好きになる。
もちろんその店は、 「見つける」 のに本当の知恵や知識や労力が必要な場所であってはならず、
また本当に 「見つける」 ことが出来ない奴は全体の数%程度の難易度でなければならない。
で、その数%を嗤い、優越感と安心感を得るという、 「見つけた感」 。下衆です。極めて、下衆です。
そんな 「見つけた感」 に溺れる、破裂寸前のメタンガスバルーンの如き消費者エゴを愛撫し、
人が住むとこを 「そうだ」 呼ばわりで叩き売り続けてるのが 「そうだ 京都、行こう。」 なわけですが、
その 「そうだ」 で 「見つけた感」 が上手く作用した寺といえば、毘沙門堂ではないでしょうか。
毘沙門堂。山科にあって、山寺の風情を持ちつつ天台宗五箇室門跡の寺格も誇る、名刹であります。
平安遷都以前に出雲路にて創建され、 「毘沙門堂の花盛り」 と詠われる優美さを誇りましたが、
応仁の乱など数々の戦乱で衰退し、1665年に現在地・山科へ移転+再建+門跡寺院化。
再建後も 「花盛り」 ぶりは維持され、特に秋の紅葉は山寺の風情も相まって見事なものながら、
アクセスがよろしくないためか、長年に渡り 「知る人ぞ知る京の名所」 的存在だったとか。
そんな毘沙門堂に目を付けたのが、 「そうだ」 。で、以降、いわば 「みんなでシェアする穴場」 化。
秋ともなれば狭い参道をタクシーがバンバカ突っ走る光景が恒例になったわけです。
寺の方も寺の方で最近はライトアップも始め、何か積極的に 「見つか」 りに行ってる感じですが、
アクセスの不便さは変わらないためか、見事な風情と紅葉はかなり濃厚に生き続けてます。
というわけで、消費者エゴのみならず色んなエゴが飛行船のように膨張した私もまた、
やはり何かを 「見つけ」 て、自分をもっともっと好きになるべく山科へ出かけ、
鉛のツェッペリン号を燃やす炎の如き紅葉を観たのでした。

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勧修寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月26日(火)


勧修寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

昭和の匂いを感じる寺社、というのがあったりします。
無論、単純に設備が昭和期に整備された寺社なら、昭和を感じるのは当然ですが、
それ以外でも、サイズ感 or スケール感みたいな点で、昭和を感じることがあったりします。
要は、全体的に何か、大きい。妙な寂寞感を感じさせるような感じで、ダダっ広く、大きい。
より正確に言うなら、空間が埋まってない感じというか。あと、コンクリが効いてる感じというか。
昭和期のシネスコサイズの邦画でよく見かけそうな感じ、みたいな。こんな感じ、わかるでしょうか。
土地が比較的豊富で、かつ観光開発が比較的遅かった京都郊外&周辺部の寺社には、
こんな昭和的なるとこが点在してますが、山科の勧修寺にも私は似た印象を受けたりします。
勧修寺。 「かんじゅうじ」 でも 「きんじゅうじ」 でもなく、また、果汁寺でも加重寺でもない、勧修寺。
醍醐天皇母・藤原胤子の菩提を弔うべく、胤子の祖父・宮道弥益の邸を寺化した寺です。
その境内は、のちに秀吉伏見街道敷設で縮小されたものの、現在もなお広大な印象を与え、
何より借景とする周囲の山々と、境内に咲く四季の花が、雄大な印象を鮮やかにブースト。
また、京都でも屈指の古池であると言われる 「氷室の池」 を中心に造園された池泉舟遊式庭園は、
旧御所からの移築された伽藍の数々と共に、平安貴族の雅趣を現代へ伝えてくれてます。
と、昭和どころか平安時代にまで遡る立派過ぎな由緒を持つ門跡寺院なんですが、
伽藍以外の周辺整備が昭和期に行われたのか何なのか、全体のテイストはどこか、昭和チック。
特に山門までの景観は痺れるくらい昭和的であり、境内の庭園自体も何となく昭和的。
拝観チケット代わりの絵はがきまで昭和的で、更新の遅れた施設の趣がないでもないですが、
しかし勧修寺、ただ手をこまねいているわけでもないようで、近年、紅葉を整備。
年々と良い色を出すようになり、紅葉面でもじわじわと名所化してると言われてます。
そんな勧修寺の紅葉、ほぼ独り占めするような感じで見てきました。

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宝筐院へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月24日(日)


宝筐院へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「筐体」 を、長らく 「とくたい」 と読んでいた阿呆は、この私です。
PC関連でよく見かけた、 「筐体」 。でも、生の読みを聞いたことが無かった 「筐体」 。
でも何となく、 「とく」 っぽいな。 「秘匿」 の 「匿」 の字にも、似てるしな。そうだ、多分、そうだ。
そんな阿呆な思い込み+日常で使うことがなかったため、己の中で定着してしまった、 「とくたい」。
恋人どころか友人さえロクにいない、孤立上等を謳う独男には、発生しがちな事態ではあります。
誤読の時期はかなり長く続き、ゆえに嵐山に建つこちらの宝筐院もまた 「ほうとくいん」 などと誤読し、
近所の人からは 「ほうとくさん」 と親しまれてるのではないかと勝手に妄想したりもしたのですが、
無論、宝筐院はあくまでも宝筐院であり、 「ほうとくいん」 でも 「ほうとくさん」 でもないのであります。
宝筐院。豊胸院でも豊頬院でもない、宝筐院。楠木正行 aka 小楠公ゆかりの寺です。
元々は平安末期に白河天皇が善入寺として創建し、これを後に夢窓国師の高弟・黙庵が再興。
黙庵は小楠公と交流を持っていたため、 四條畷の合戦で討ち死した小楠公の首級をこの寺に埋葬。
室町二代将軍・足利義詮は、この黙庵に帰依し、さらには黙庵の知り合いたる小楠公にもハマり、
ハマり過ぎて小楠公の隣に葬れと命じ、義詮と小楠公の菩提寺化+名前も宝筐院へ変更。
その後、応仁の乱でまた荒廃し、江戸期は天龍寺の末寺となり、幕末にはとうとう廃寺となりますが、
明治期にやはり小楠公にハマってた京都府知事・北垣国道が伽藍を復興、現在に至ります。
何かすぐ近所の祇王寺と似た経緯で再興された寺ですが、紅葉の方も祇王寺同様に良く、
嵐山の他の名刹と共に、秋ともなれば紅葉狩りの人民が押しかける寺なわけです。
そんな豊凶院でも宝鏡院でもない宝筐院、出かけてきました。

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赤山禅院へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月23日(土)


赤山禅院へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都御所から比叡山までを結ぶ、猿ライン。
「魔界としての京都」 が流行った頃によく聞いた言葉です。今も言うんでしょうか。
御所鬼門の猿ヶ辻から幸神社、そして赤山禅院から叡山へ、幾重にも設置された猿像たち。
猿は魔物を退治する力を持つため、これらの猿象は怨霊防衛線として配置されたのだと。
これが、猿ライン。身内の呪いに怯えまくる桓武帝が作った風水都市・京都らしい話ではあります。
「目ぼしいポイントを適当に線で結んだら、何でもかんでもレイラインになるんちゃうんか」 と、
大人の対応をしたくなる話ではありますが、しかし子供の夢を踏み潰さないのもまた、大人のマナー。
それに、猿ラインの中間点に立つ赤山禅院の、不思議かつ魅力的な雰囲気に触れたら、
「大人」 な方であっても、猿や鬼門や怨霊といった話に多少の信憑性を感じてしまうかも知れません。
赤山禅院比叡山延暦寺別院ながら、様々な神が入り交じる、魅惑の宗教施設であります。
平安期、遣唐使として中国へ渡った第三世天台座主・慈覚大師円仁は、帰国時に海難に遭遇。
その時に円仁を守護したのが、道教や陰陽道の神であり、閻魔大王とも見なされるという、泰山府君
円仁はこの神を日本へ勧進しようと決意しましたが、生きてるうちにはその願いが叶わず、
第四世天台座主・安慧が遺命を果たす形で、泰山府君を赤山大明神として888年に創建しました。
平安期は無論マジの鬼門守護を務め、現在も様々な神が様々なネイティブ信仰を篤く集め、
また 「失敗したら、自決」 で知られる叡山・千日回峰行の通過ポイントとしても有名な、赤山禅院。
しかし、 「赤山」 の名は紅葉の赤に由来すると言われるくらい、紅葉の名所としても著名です。
実際、その紅葉の色の素晴らしさと、神が入り交じる魅惑的な伽藍とのマッチングは、
「確かにここには、ただならぬ霊気が漂っている」 と、霊気の門外漢にも感じさせてくれます。
あと、拝観が無料だし。実はここが一番の人気を呼んでるポイントかも知れないけど。
そんな赤山禅院の紅葉、数珠供養の日に観に行ってみました。

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金戒光明寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月21日(木)


金戒光明寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「黒谷って、谷というより丘という感じなのに、どうして谷と呼ぶんだろう」
会津小鉄って、京都の●●●なのに、どうして会津という地名が入ってるんだろう」
この2つの疑問に答えてくれるのが、「黒谷さん」 の呼称で知られる岡崎の金戒光明寺です。
金戒光明寺。知恩院知恩寺清浄華院と共に、浄土宗京都四箇本山を構成する寺であります。
浄土宗の開祖である法然は、若かりし頃に比叡山にて天台宗の教学を学んだことで知られますが、
その上人が叡山の黒谷を下り草庵を結んだ地 = 浄土宗初の寺院を建てた地こそ、ここ白川。
最初は 「新黒谷」 と呼ばれたそうですが、やがて 「新」 が取れ 「黒谷」 が呼称として定着。
というわけで、黒谷は黒谷であり、また黒谷さんなのであります。よろしいでしょうか。
第5世・恵顗の時、法然が見た光明に因んで正式名称を 「紫雲山光明寺」 と決めた黒谷さんは、
第8世・運空の時には後光厳天皇円頓戒を授け、そのおかげで 「金戒」 の2字をゲット。
寺運はどんどん隆盛し、多くの塔頭が立ち並ぶようになり、江戸期に入ると知恩院と同じく城郭化。
幕末に至ると、京都守護職としてやってきた会津藩士約1000名の本陣にもなりました。
その際、会津藩中間部屋頭の片腕として迎えられた男こそ、侠客・上坂仙吉、通称・小鉄です。
小鉄は、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の遺体を、本陣を置いたこの寺に埋葬。
後に小鉄自身もこの寺に葬られましたが、それから色んなことがふにょふにょもごもごとなり、
さらに色んなことがふにょふにょもごもごとなり、結果、ふにょふにょもごもごということになりました。
というわけで、会津小鉄は会津でも京都の●●●なのであります。よろしいでしょうか。
「何ら答えにも説明にもなってない」 という話ではありますが、しかしそんな疑念も吹っ飛ぶほど、
金戒光明寺の紅葉は、独特のロケーションも相まって実に素晴らしいものとなってます。
寺側は庭園の有料拝観を推してますが、タダで観れる境内の紅葉も極めて、ナイス。
貧乏+吝嗇+美に正直な私は、無論タダの紅葉を堪能させてもらいました。

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宝厳院の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年12月9日(日)


宝厳院の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東山に立つ禅刹・高台寺の、その和風テーマパークぶり
特に春秋のライトアップとなれば、開基・北政所ねねの夫である豊臣秀吉の魂が、
下世話さのみを抽出して再生されたかの如く、境内は絢爛&ケバケバしき輝きが、溢れまくり。
人によっては 「商業主義」 「それでも禅寺か」 と眉を顰めるような世界が現出してしまうわけですが、
しかし、90年代の改装で生まれたこの輝きが、京都観光の夜の姿を変えたのもまた、事実。
多くの寺院が追随してライトアップを始め、光へ群がる虫の如きカップルどもを動員するようになり、
近年に庭園を整備した寺では、桜も紅葉も、照明で自在に出現させる所さえ現れました。
嵐山を代表する禅刹・天龍寺の塔頭であり、近年大堰川沿いへ移転した宝厳院も、そんな寺です。
室町時代に上京区で創建されたものの、応仁の乱で焼失+同じ天龍寺塔頭の弘源寺へ移転、
21世紀に入って、これまた天龍寺塔頭であった妙智院の跡地へ移転を果たした、宝厳院。
個人所有の別荘だった時代が続いた敷地には、別荘時代に作られた大正期の書院や、
妙智院時代の遺産である 「獅子吼の庭」 、現代数奇屋の新築本堂など、それなりに見所、多し。
ですが、この寺の一番の見所は何といっても 「高台寺以後」 を強く感じさせる照明でしょう。
12月を過ぎ、紅葉の大半が散ってもなお、庭園に 「紅葉」 がある気にさせる、照明。
やり過ぎを通り越して、「そもそも紅葉とは何だ」 と思わず根源的疑問さえ発したくなるその輝きは、
「存在しない紅葉を見る」 という、ある意味で枯山水にも似た禅的境地へと俗人を誘い、
さらには、電飾庭を枯山水の 「次」 の様式として確立せんとする試みなのかも知れません。
と、書いてる自分でさえ阿呆らし過ぎて呆れてしまう戯言はどうでもいいとして、
とにかくそんな宝厳院の秋の夜間拝観、完全に真冬ではありますが、行ってきました。
折りしも嵐山は、紅葉が枯れた山を電飾で照らす無理矢理集客策・嵐山花灯路を、開催中。
無意味に青く光る嵐山を借景として、幻覚の紅葉を楽しんでみたというわけです。
冬の嵯峨野を彩る禅のエレクトリカルパレード、とくと御覧下さい。

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蓮華寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年11月28日(水)


蓮華寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

穴場。
自分が可愛くてしょうがない人達が、すぐに飛びつくワードです。
美しい紅葉が、観たい。あまり人がいないところで、観たい。何なら、独占して、観たい。
できれば、自分しか知らないものとして、観たい。それも、自分が見つけたものとして、観たい。
そして、自分しか知らない穴場を自分で見つけた自分を、もっともっと、好きになりたい。
でも、そのための努力は、特にしたくない。むしろ絶対に、したくない。したら何か、負けな気がする。
「京都 紅葉 穴場」 くらいの検索で、すぐ見つかるものでなくてはならない。というか、そうしろよ。
こんな無駄な長文書いてる暇があったら、もっと有益な情報を共有しろよ、この糞野郎。
と、こんな感じの狂った人達が、肥大したエゴを垂れ流しながら大挙して狭い寺へ強襲をかけ、
あちこちの京都ブログに 「京都 紅葉 穴場」 の検索ワードが落葉の如く積もる、京の秋。
「穴場として有名」 という、日本語として狂ったワードで有名な洛北・上高野の名刹・蓮華寺にも、
そんな自分が可愛くてしょうがない人達が、自分だけの何かを求め、押し寄せます。
江戸初期、加賀前田藩の老臣・今枝民部近義が祖父への菩提の心から再興したという、蓮華寺。
その造営にあたっては、やはり 「超メジャー級の穴場」 詩仙堂石川丈山を始めとして、
朱子学者・木下順庵画家・狩野探幽隠元禅師など、同時代における錚々たる文化人が助力。
丈山作庭とも伝わる池泉庭園、黄檗禅の様式の本堂、そして蓮華寺形灯籠などなど、
良い時代と良い人に恵まれて作り上げられた境内は、小さいながらも高い完成度を誇ってます。
故に穴場としての魅力を強く放ち、故に 「穴場として有名」 になってしまった、蓮華寺。
こうなるともう、ある種のベタです。穴場だろうが何だろうが、明らかにベタです。
であれば、不毛な穴場探しを排し、ベタの単独特攻が趣旨のうちも行かねばならぬと、
早くも紅葉が散り始めている洛北へ出かけたのでした。

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金閣寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年11月25日(日)


金閣寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「また焼いたるぞ」 。
昭和25年7月3日、21歳の学僧による放火で金閣が全焼した翌日、
住職・村上慈海との会見を許された産経新聞記者・福田定一、のちの司馬遼太郎が、
庫裏の黒板に書かれてるのを見て 「異常な気分になった」 という言葉です。(水上勉 『金閣炎上』
再建前の金閣が、狂気に近い嫉妬を駆らせるほど美しかったのか、私にはよくわかりません。
水上三島の作品で、紙面から精液の匂いがしそうなほど独男的に描かれた学僧の、
恐らく実際その通りであっただろう心の内も、わかるような気はするけど、正直よくわかりません。
でも、その場の勢いで思わず黒板に 「また焼いたるぞ」 と書いてしまうような、
ボンクラ極まる調子乗りたちの持ってた 「異常な気分」 は、少しわかるような気がします。
超メジャーな観光寺院として金が入りまくり、宗教面と齟齬を起こしてたという、当時の金閣寺。
そんな矛盾の中で、札束の海へ泳ぐのでもなく、放火テロで腐敗を弾劾するのでもなく、
時折憂い、時折おちょくり、時折怒ったりしながら、その場にへばりつき続ける、大半の凡夫たち。
その姿は、歴史や文化に深い愛情や尊敬の念を抱くと共に、冷笑&嘲笑もやらかし、
「金にならんかな」 てなことも思いつつ、こんなサイトやってる自分と変わらぬものに思えるのです。
と同時に、凡夫に支えられ、焼かれることもなく、美を提供し続ける再建金閣そのものが、
金欲と信仰の矛盾の真っ只中を生き、伝統を誇りながらも実は大して古いものはない京都の、
美の側面と俗の側面を極限までデフォルメした自画像のようにも思えたりするのです。
ある意味で、金閣は最も京都的な寺なのかも知れません。故に、地元からは忌避されるという。
あなた、そう思いませんか。全然、思いませんか。実は私も、あんまり思いません。
そんな金閣、秋の紅葉大混雑シーズンに、銀閣に続き特攻してみました。
炎のような紅葉に囲まれた美と俗の様、ご覧ください。

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銀閣寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年11月25日(日)


銀閣寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

うちのモットーは、京都メジャースポットの単独正面突破です。
である以上、金閣寺銀閣寺は、絶対に避けるわけにはいかないスポットです。
しかも、金閣寺は、実に独男臭い奴が燃やした寺。銀閣寺は、実に独男臭い奴が建てた寺。
本来なら、真っ先に特攻をかけてなければいけません。しかし、今まで行くのを躊躇していました。
何故か。それは、行くのが面倒臭いからです。どっちも私の家から、何となく遠いからです。
京阪沿線に住む私にとって、金閣寺はあからさまに、遠い。銀閣寺は、出町柳から微妙に、遠い。
微妙に遠いのはキング・清水寺も同じなんですが、あそこは諸般の事情で近くをよく通るし、
ライトアップや行事各種など、「行かねばならぬ」 と腰を上げさせられるイベントが多く催されます。
しかし金閣&銀閣は、そういうのが、あんまりありません。ライトアップとかも、ありません。
何か、行く機会がないのです。行く機会というか、行く気を起こす機会がないのです。
そんな感じで、「そのうち行く」 「何かあったら行く」 「行こうと思えば何時でも行ける」 とか思いつつ、
結局は金閣&銀閣、さらには清水寺さえ行かないまま一生を終える多くの京都人と同じく、
私もまた 「どうせ絶対行くから」 と思いながら、一向に足が向かなかったのでした。
これは、いかん。こんな怠惰な理由で必須スポットを放置するのは、どう考えても、いかん。
というわけで、敢えて最も混みそうな紅葉ピークの連休日曜に、金閣&銀閣を連続特攻しました。
こちらの記事は、その前半戦にあたる銀閣寺篇。寺が出来たのと、順番が逆ですが。
何故逆かといえば、義政の幽玄の美を先に見ることで、義満の絢爛さを浮き立たせてみようと、
深遠なことを考えたためではなく、単に銀閣の方が京阪の駅に近いからであります。
あ、銀閣寺の説明、要りますか。ああ、要りますか。そうですか。
でも面倒なので、しません。自分で調べてください。

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