2011年6月30日(木)

市バスの一日券を使った、でも結局歩きまくってる夏越祓の茅の輪くぐりまくり、前編の続きです。
全くどうでもいい話ですが、私、バスが苦手なんですよね。
どこの街のバスも苦手なんですが、京都のバスは特に苦手です。
府民ではあるものの相当長く利用し続けてるはずですが、未だに系統さえ覚えられません。
何より車内の空気が、ダメなんですよね。あの、モワ~っとした空気というか、ノリというか。
一言で言うなら、しんきくさい。 「遅延にイラつく」 といった話ではなく、空気そのものが、しんきくさい。
このしんきくさい空気、バスのみならず、地下鉄にも漂ってることがあります。
特に、市営地下鉄の今出川以北。何故か列車の中の雰囲気がバス的になり、すごくしんきくさい。
「鉄道の生理」が欠落してるというか、鉄道の基準で人間が動いてない感じが、苦手なんですよ。
私は京阪の駅前に生まれ、列車が大鉄橋を渡る音を聞いて育ったような人間なので、
京都市中心部に漂うこの「非鉄」なノリに、いつまで経ってもなじめません。
明治以前に街が出来上がってた多くの都市と同様、
京都も大きな鉄道 = JR・京阪・近鉄・阪急などは市街地中心部を避けて建設されてますが、
阪急が市街地ど真ん中の四条通り地下へ乗り入れる昭和中頃までその状態が続いたために、
京都の「非鉄」はある意味、純粋培養されてしまったのでしょうか。
と、全く無関係な話を全く無意味に終えたところで、夏越祓の茅の輪めぐり、後編であります。
後編は灼熱のラッシュ、ひたすら数ばっかりこなしていく様を、ご覧下さい。
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2011年6月30日(木)

夏越祓の茅の輪をくぐりまくってきました。もちろん、ひとりで。
夏越祓。なごしのはらい。6月の晦日に行われる、お祓いです。
正月からの半年間でこびりついた身の穢れを、多くの神社で設置された茅の輪をくぐることで祓い、
疫病の脅威と暑さそのものが本格化する厳しい夏を乗り切ろうという慣わしであります。
元々は701年の大宝律令によって定められた「大祓」という国家的な除災行事だったそうで、
かつては朱雀門前に百官以下天下万民が集まり、国民全ての犯した罪や穢れを祓ったんだとか。
しかし現在ではもちろんそんな大層なことは行われず、
むしろ茅の輪目当てにあちこちの小さい神社を訪問する楽しみが味わえる日となってます。
で、私、この日が暇だったので、穢れに穢れた身を清めようと、市内各社の輪をめぐってみました。
行ってみたかった神社が数社と、あとは適当にその場の気分で足が向いたお社と。
市バスの一日乗車券を買って、でも五十日ゆえか混雑しまくりなので結局大半は歩いたりして、
「みなづきのなごしのはらいするひとはちとせのいのちのぶというなり」と言いまくりました。
あ、これ、茅の輪をくぐる時の呪文です。意味ですか。さあ、何なんでしょうね。
おおむねどこの神社も、人はまばらか無人なので、客層リサーチや気まづさ度チェックは省略。
ひたすら輪をくぐり続ける様、ごらん下さい。
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2011年6月18日(土)

よしもと祇園花月の『キュートン IN 祇園』 へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
祇園会館。ああ、祇園会館。京都を代表する名画座、祇園会館。
もちろん名前の通り、祇園にあります。八坂神社西楼門の目の前。祇園バス停と一体化。
「2本立て」「飲食物持ちこみ自由」「入れ替えなし+入退場自由」というフリーダムな営業スタイルで、
映画ファンのみならず暇つぶしを求める地元民に長く愛されてきた館であります。
映画のみならず、秋には祇園東の芸妓はん舞妓はんが集結する『祇園をどり』も、ここで開催。
というかそっちメインで建設されたんですが、とにかく意外な立地の意外に立派な箱なのです。
私も、ちょくちょく来たりします。大抵は入場料1000円の木曜か映画の日ですが。
記憶が正しければ、『トレインスポッティング』 なんかもここで観たはずです。
「ラリったあげく寝グソをこき、そのクソを他人の食卓へ撒き散らす」シーンを観たのと同じ舞台で、
キュートンのライブを観れるというのも、祇園さんが呼んだ縁なのかも知れません。
よしもと祇園花月は、そんな祇園会館を吉本興業が借りる形でオープンさせた演芸場。
本格オープンは、2011年7月下旬。それまでは、プレオープン期間。
週末にネタ公演や特別公演各種が行なわれてますが、この日のキュートン公演もその一環です。
キュートンの説明、省略します。説明要る方は多分、読んでくれないと思うので。
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2011年6月3日(金)

貴船の川床カフェへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
貴船の川床は、大正の頃、茶屋が川の中へ床机を置いたのが始まりだそうです。
桃山時代に始まった鴨川の川床に比べると随分のちの時代の話ですが、
現在のような形で料理を出すようになったのはさらに時代が下って、実に戦後。
貴船神社や鞍馬寺は平安遷都の頃から存在し、
参拝客は数多く存在したであろうにも関わらず、遅いスタートなのであります。
何でこんなに遅いかといえば、多分、水害が怖かったんでしょうね。
昔の鴨川もいい加減恐ろしい荒くれ川でしたが、貴船川は川幅が狭い分、鉄砲水が怖い。
水の神様・貴船神社が、現在の奥社から本社の位置まで流されたくらい、その威力は強烈。
昭和に入ってからも鳥居や料理旅館が流されてるそうですから、たまったもんじゃありません。
鴨川のように川沿いに床が立つのならまだしも、川の上以外に立てる場所がない貴船では、
治水がある程度何とかならない限り、夏の風物詩もひったくれもなかったんでしょう。
と、勝手に考えてるんですが、実際は単に川床を思いつかなかっただけなら、すんません。
川の中の床机で、水に足をつけてお茶など飲むだけだったという、黎明期の貴船の川床。
その頃を彷彿させるかどうかは一切不明ですが、料理屋街を歩いてると目についたのが、川床カフェ。
昼と夜のハーフタイムの川床を、簡単にお茶を出して稼動させる試みです。
安い値段で川床に入れるのが嬉しいので、ひろ文の帰り、思わず2軒、寄ってみました。
そして、ついでというと神罰が下りそうですが、貴船神社と奥社の参拝も。
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2011年5月7日(土)

大原・宝泉院の春の夜灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
宝泉院。いわゆる「額縁の庭園」で有名な寺です。
客殿の柱の間の空間を額縁に見立て、「立ち去りがたき」庭園・盤桓園を鑑賞するという、あれ。
京都を「そうだ」呼ばわりしてださってどうもありがとうな某CMでフィーチャアされてから特に、
絵画のようなその美しいビジュアルが人気を博するようになりました。
独立した寺ではなく、すぐそばに建つ勝林院の僧坊。やはりすぐそばの実光院とともに創設。
70年ほど昔は高浜虚子によって「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠まれる無住寺だったとか。
それが今では「閑」を求めてやってきた観光客ですっかり人だらけ、などということはありません。
三千院&勝林院よりさらに奥にあるという立地、そもそも大原自体が市街地から遠いアクセス性、
加えて昼間でも強制的にお茶とお菓子がいただけて800円という拝観料設定が、
紅葉などのピークタイムを除いてこの寺の侘びの味をしっかりと動態保存。
大原名物・声明の響きの中で落ち着いたときを過ごせる空間を、現在も作り出しています。
そんな宝泉院が4月下旬からGWにかけて行うのが、春の夜灯り。
新緑に萌える庭園をライトアップで彩り、立ち去り難き風景をさらに立ち去り難くするというものです。
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2011年5月7日(土)

大原女まつりの大原女時代行列へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
大原女と書いて、おはらめ。
隠棲の里・大原より、独特のスタイルで薪や農作物を京へ売りにやってくる女性達の通称です。
そのルーツは、壇の浦で我が子を抱いて入水するも死にきれず、寂光院に隠棲した建礼門院。
院に仕えた阿波内侍の作業着姿を、地元娘たちが真似。それが大原女の始祖と考えられてます。
鄙の中にも御所由来のセンスが光るその姿は、古くから歌に詠まれ、絵にも描かれ、
単なる行商としてのみならず、一種の雅な風物詩として長らく都の人から愛されたとか。
しかし大原女、実際は雅どころではない重労働です。大原から京都までの移動は、もちろん、徒歩。
バスなど、走ってません。そもそもバスが走れるような道さえ、最近までありませんでした
だからこそ行商に意味があったわけですが、交通が開けるとその意味が薄まり、大原女は減少。
今の大原女は、観光用ばっかり。で、それではいかんと奮い立ったのが、当の大原観光保勝会。
地元以外の若い女性にも大原女の衣装を着てもらおうと、「大原女まつり」なるイベントを企画。
大量の変身大原女を動員して、時代行列も開催。それに絡めて、フォトコンテストも開催。
「変わった格好したい」女と、「女を撮りまくりたい」男が集結するイベントとして、
人気を博するようになりました。
「それ、要するにコスプレ撮影会ですよね」と言われたら、全くその通りです。
ただ、カメコの平均年齢が普通の撮影会の3~4倍高いのが、大きな特徴であります。
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2011年5月4日(水)

千本ゑんま堂のゑんま堂大念佛狂言を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。
千本通を北上してると、妖しい焼きそば屋と共に現われるやたらディープな寺・千本ゑんま堂。
六道珍皇寺で有名な朝廷と霊界のダブルワーカー・小野篁とも縁が深いというこの寺で、
毎年春に行われる民俗芸能の公演が、ゑんま堂大念佛狂言です。
中世の大念仏会で、庶民に宗教世界を具体的に唱導するため始まったという念仏狂言。
京都には、ゑんま堂以外にも壬生寺、嵯峨の清涼寺、そして神泉苑にもそれぞれ存在し、
また壬生・嵯峨・ゑんま堂の3つで「京の三大念仏狂言」という呼び名も広く認知されてます。
中でもこのゑんま堂狂言は、背景も、趣向も、若干ユニーク。
壬生・嵯峨・神泉苑の狂言は円覚上人が始め、芸術的とまで言われる無言劇であるのに対し、
ゑんま堂狂言はこの寺を引接寺として開いた定覚上人が創始、そして演目の大半がセリフ劇。
かつて京の刑場墓地だったというこの地で、潜伏する盗賊を金剛杖1本で懲らしめ、
善心まで取り戻させた守護役人・為朝の奇跡を伝える狂言は、徹底して勧善懲悪+極めて庶民的。
滑稽味やケレン味で人気は近代に至っても続き、昭和初期には20日間も公演が行われたとか。
戦後の後継者不足で一時中断するも、のちに復活。で、現在も継続中。
この寺の名物・普賢象桜を気に入った室町三代将軍・義満の
「桜の盛りを期して狂言をとり行え」といういいつけを守るかのように、毎年春に公演が行なわれます。
2011年も開催期間は5/1~5/4の4日間。そのうちの1、3、4の夜の部に出かけました。
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2011年4月17日(日)

松尾大社の山吹まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
松尾大社。
不腐の霊泉を持つ酒造りの神様として、全国の酒造業者から信仰を集める神社です。
また、春に行われる神幸祭では、神輿を船に乗せて川を渡るというワイルドな渡御でも、有名。
あと、シンボルが、亀。「酒」に「船」に「神輿」に「亀」。実に「男」な感じの神様であります。
しかし松尾大社、平安の頃はもうちょっと雅な感じの神社だったそうです。
現在は氏子さん大活躍の松尾祭も、元々は勅祭。延喜式に従い、荘厳に執り行われていたとか。
今とは別の形で栄えてた時代があったというわけであります。
で、そんな雅な時代の松尾大社と、それ以前の太古の松尾大社を、庭によって表現してるのが、
昭和を代表する造園家・重森三玲の作庭による「昭和の名庭」こと、松風苑。
伝統を重んじつつ永遠のモダンを目指した三玲が、神の領域へ近づこうと心血を注ぎ、
注ぎ過ぎて病を得て、神の怒りを買ったとか言いながら没したことで絶作となった庭であります。
で、そんな物凄い感じの庭を、年に一度、2日間だけライトアップして見せてくれるのが、
もう一つの松尾大社名物である山吹を讃えた、山吹まつりなのであります。
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2011年4月14日(木)

天龍寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
天龍寺の魅力は、方丈とその前面に広がる庭園の広大さだろう。庭園背後の領域は敷地内だけで
もかなり広そうなのだが、それが外部の嵐山まで繋がっている。ここは「曹源池庭園」といわれている
ところで、今は庭園内に人が入ることもできるようになっているが、本来は大方丈前の部分は人が歩
くところではなく、嵐山を借景として堂内から眺める庭だったと思う。
今はせっかくの借景の庭も、そこを横断する人々を見ての鑑賞となるので少し興醒めである。また
そこから北の部分の散策路も広く整備されていて、昔はこのようではなかったのではないかと思う。
何か大名庭園か観光客向けの日本庭園のような感じを抱いてしまうのだ。
<中略>
観光客が多いからそれに対応するために必然的にこうなったのかもしれないが、できればここの素
晴らしさを体感できるような「見せ方」であればより素晴らしいのにと思ってしまう。ここの庭は見事な
だけに残念である。(清水泰博「京都の空間意匠」光文書新書)
と苦言を呈されている、正にその「整備され」た「北の部分の散策路」へ桜を観に行って来ました。
だって、春だから・・・。
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2011年4月12日(火)

平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
平野神社。
第一位・田中神社と第二位・吉田神社に次ぐ、京都三大平凡苗字神社のひとつです。
次点に並ぶのは、松尾・安井・北野・大田・平岡・藤森といったところ。
御霊・蚕・大将軍などからは羨望の眼差しを浴びている、というのはもちろん大嘘であります。
嘘ですが、でも、二位・吉田と三位・平野の祖が同じ卜部氏なのは、偶然なのか、必然なのか。
気になって気になって夜も眠れない、というのも当然ながら大嘘であります。
数々の奇行で有名な花山天皇の手植えに始まるという平野神社の桜ですが、
凄いのはその量や質はもちろん、花見のできる期間の異常なまでの長さでしょう。
夜桜のライトアップは、だいたい3月末から4月末まで開催。桜自体は5月でもまだ咲いてるとか。
もちろん、ドーピングして無理矢理長生きさせてるわけではありません。
開花時期の違う多くの品種を植樹してるというわけであります。
50種400本とか45種500本とか、ソースごとに数は違いますが、とにかくたくさんです。
「パッと咲いてパッと散る」ソメイヨシノの席巻が、桜の概念、そして日本の概念さえ変えるまでは、
花見というのはもうちょっと長くのんびり楽しむものだったとか。
平野神社の長い花見期間は、現在の誤記された花見の流儀と日本の心を静かに告発し、
本来あるべき花見と日本の姿を示してるのかも知れない、というのはただの思いつきであります。
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2011年4月12日(火)

嵐電・桜のトンネルへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
嵐電。正式名称、嵐山電鉄。
というのは、嘘です。もちろん。「嵐電」は、愛称。公式愛称。
本当の名前は、京福電気鉄道・嵐山本線および北野線。
「京福」の名前は何に由来しているかといえば、字のまんま、京都+福井。
もともとこの会社は、起点・嵐山から北野と出町柳を経由して鞍馬へ上り、
そのまま鯖街道を北上、日本海へ出て福井入りするという壮大な路線計画を持ってました。
というのも、嘘です。もちろん。チンチン電車で山越えは、つらいですよ。
京福電鉄は前身が京都電燈という電力会社であり、「京福送電線」なるものを敷設して、
夜の電力需要が高い京都と昼が高い福井との昼夜差を融通していました。
ついでに、電力の安定供給先を確保するため、両都市で鉄道も経営。
だから、名前が京福電鉄。両方をつなぐつもりは端からありません。
路面→山岳→海沿いを走破するチンチン電車が本当にあれば、楽しいんですけどね。
長年にわたり、京都と福井で古き良きローカル私鉄の風情を放ち続けてきた京福ですが、
21世紀に入って福井側が廃線+えちぜん鉄道として3セク化。
京都側もここ最近は観光により力を入れていて、嵐電の公式愛称化や駅のリニューアルを実施。
妖怪電車などイベント列車も多く企画され、この桜のトンネルもその一環というわけです。
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2011年4月10日(日)

蹴上インクラインへ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
古びたレール。煉瓦。そして線路沿いには、ソメイヨシノ。
何故か男の心を、それも妙に生理的なところを突いてくる、明治の鉄の香り。
京都には案外と少ないそんな香りが、三条蹴上のインクライン=傾斜鉄道跡には漂ってます。
東京遷都による凋落を回避すべく、近代化へ乗り出した明治初頭の京都。
何をするにもまず、水が足りない。で、作られたのが、琵琶湖疏水。
「琵琶湖の水面標高は、東寺の五重塔より高い。東山に穴を開けたら、水は流れてくる」と、
当時の知事・北垣国道が、23歳の技術者・田辺朔郎をワイルドに抜擢&ワイルドな計画を実行。
常識外れの予算を叩き込んで完成させた疎水は、頑丈過ぎて、百年経った現在も現役。
熱いのであります。明治なのであります。
そして、その情熱に東京遷都への焦燥が滲んでるあたり、京都なのであります。
京都の近代化へ大々的に寄与し、今なお京都市の水道水の大半をまかなう琵琶湖疎水ですが、
一方で時代の荒波を越えられなかった設備もあり、それがこちらのインクライン。
「明治」にして「京都」なスポットに、「鉄」と「廃」と「桜」を足した、お好きな方にはたまらない世界。
なので「インクラインって、インクのラインってこと?」などと言ってる場合では、ありません。
「院蔵院、下から読んでも、院蔵院」などと戯言を言ってる場合でも、ありません。
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2011年4月6日(水)

東寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
闇深き京都の夜に、夜ごと黄金の輝きを放つ、五重塔。
世界遺産にして真言宗総本山の東寺・五重塔は、年がら年中、ライトアップされてます。
その神々しい姿を眺めつつ、京都の旅を終え帰途に着いた方も多いことでしょう。
何故ここが毎日ライトアップされてるかといえば、おそらくは観光客向けのサービスか、
あるいは京都タワーに対抗して「我こそ真の京都のランドマーク」と主張したいんでしょう。
が、南の辺境民である私には、この輝きが「都の南限」を示している印象も受けたりします。
平安京の正門たる羅城門と同一線上に並ぶ立地。説明不要のシンボリックなビジュアル。
そしてここ以南から始まる、「雅」からほど遠い、全然京都らしくない街並み。
実際、京阪国道を北上して「京都に入った」と私が感じるのは東寺が見えた時であり、
「京都を出た」と感じるのは五重塔を通り過ぎた時。
間違っても、工場やラブホや荒野だらけの京都市/八幡市の境界を越える時ではありません。
市域がどれほど拡大しようとも、真の洛内とは、ここまで。
光る五重塔は、そう宣言してるのかも知れません。「本当か」と問われたら多分、嘘ですが。
さすがに震災以降は休止状態でしたが、夜桜のライトアップは有料ながら実施。
普段は塀の外から見るだけのキンキラキンを、根元から眺めに行ってみました。
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2011年3月27日(日)

将軍塚大日堂庭園のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
いきなりベトナム戦争なトップ画像、恐縮です。
別段、このヘリが将軍塚へ降りてくるというわけではありません。たまたま飛んでただけです。
ただ、こんな写真が簡単に撮れるくらい、将軍塚は結構な山の上にあるということであります。
平安京造営に際し、征夷大将軍・坂上田村麻呂の像を埋め王城鎮護としたという、将軍塚。
桓武天皇はここから下界を見下ろして平安遷都を決めたというほど眺望が良好な、将軍塚。
しかし時が下った現代ではその眺望が仇となり、京都有数のドライブ&夜景スポット化。
夏ともなれば、無料展望台を目指して不埒な輩が夜ごと車で東山ドライブウェイを駆け上がり、
思い出を持って帰る代わりに道沿いへゴミを不法投棄したりする地となりました。
しかし現在の将軍塚、果てしなく俗化&劣化してるかといえば、そんなこともありません。
徒歩アクセスは今もなお困難を極め、己の足で訪れる者には未だ強い聖性を保持。
それに将軍塚本体は、青連院飛地境内にあたる大日堂が有料区域に入れ、しっかりガード。
ここには有料の展望台と庭園もあり、春と秋には庭園のライトアップなんかも開催しますが、
認知度は低く、隠れたパワースポット(笑)としての存在感もキープ。
もちろん桜が本咲きになればそれなりに人は来るので、その前に聖なるライトアップを楽しもうと、
芽さえ出てない時期にひとり、山を登ってみました。もちろん、徒歩で。
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2011年2月27日(日)

真如堂の大涅槃図公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
真如堂。正式名称、真正極楽寺。
本堂の呼び名が本名より有名になり定着してしまった、天台宗の寺院です。
天台系では京都市内最大の本堂、渋い美を誇る三重塔、秋には紅葉が燃え上がる境内と、
見所が多いにも関わらず拝観は基本的に無料、ゆえに秋の混雑は年々増す一方の寺であります。
えらく気前がいいですが、何故かといえば、ここには三井家という大檀家がついてるから。
江戸前期に家の本拠地を京都へ移し、のちの三井財閥に繋がる豪商への道を開いた三井高利は、
この真如堂が気に入り、自分の墓をここへ建てることを希望、実際に埋葬されました。
で、それ以来、実に現在に至るまで、三井家は真如堂の大檀家であり続けてるわけです。
もちろん、寺の維持のためにしかるべき金額の御布施が納められてるのでしょうし、
そのおかげで平民の我々は無料で散歩したり、暇をつぶしたり、猫と遊んだりできるのでしょうが、
三井家は重要な文化アイテムもまた真如堂へもたらしてます。その代表が、大涅槃図。
釈迦入滅の様を描いた大涅槃図といえば、京都では東福寺や泉涌寺のものが有名ですが、
三井家の女性たちの寄進により江戸中期に制作された真如堂の大涅槃図も、なかなかに立派。
厭求や海北友賢らに実作が委ねられた縦6メートル、幅4メートルの図は、
釈迦の命日である旧暦2月15日前後に公開もされています。で、それを見に行ったと。
この時期限定で授与される 「花供曽」なるあられ、そして真如堂名物の猫と共に、
仏の慈愛と三井家の偉大さをじっくりと感じ取っていって下さいませ。
あ、ちなみに大涅槃図の拝観は無料ではなく、有料です。
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2011年1月30日(日)

一休寺の一休善哉の日へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
一休さん、一休和尚、一休禅師、一休宗純。
呼び方は何でもいいですが、とにかく超知名度の高い禅僧であります。
アニメ 『一休さん』 の 「気にしない、気にしない。一休み、一休み」 でも有名ですが、
そのはるか以前、それこそ本人存命中の室町時代から、民衆の支持が極めて厚い僧でした。
といってもその人気は、頓知の明晰さや徳の高さといったノーマルな敬意というより、
一休さんがやらかしまくった、およそ名僧らしからぬアブノーマルな奇行に由来するもののようです。
後小松天皇の落胤として生まれ、6歳で仏門へ入った頃こそ正常な天才少年でしたが、
17歳で宗純と改名してからは、自殺未遂をやらかす、カラスの鳴き声で悟りを開く、
大事な文書を平気で燃やす、木刀を差して街をうろつく、他所の寺の仏像を枕にして寝るなどなど、
御落胤でなければ只事では済まないであろう無茶な風狂の限りを尽くしました。
また、パーソナルライフの方も負けず劣らず無茶苦茶であり、
酒は飲むわ、肉は食うわ、女は犯すわ、男も犯すわと、異常なフリーダム状態で異常に長生き。
最後は50歳下の女と愛欲の限りを尽くし、「死にとうない」 と悟りの欠片もない言葉を残し、
老衰でも腎虚でもなくマラリアで死去。凄い、とにかく凄過ぎる。
京田辺市の一休寺は、そんな無茶苦茶な一休さんが無茶苦茶な晩年を過ごした寺。
毎年1月最終日曜日には 「一休善哉の日」 として、善哉を接待してくれたりもします。
で、それに行ってきました。あ、接待といっても、有料ですけどね。
奉納料、1000円なり。何か割高ですが、気にしない、気にしない。一休み、一休み。
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2011年1月7日(金)

京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。
お粥は、不味い。
貧乏な家庭 or 料理の下手な家庭に育った人間が抱く、固定観念です。
バリバリの貧乏家庭に生まれ、化学調味料を「おふくろの味」として育った私も、
当然ながらバリバリのお粥ヘイター。「こんなもん、ゲ●と一緒やんか。食えるかっ」と。
幼少時に瀕死の熱病にかかった際も、断固として普通の米飯を要求した記憶があります。
米飯を湯で崩しただけの「おふくろの味」など食ったら、むしろ体と心に悪いと。
実際、お粥は、不味い。少なくとも、ちゃんと作らないと、不味い。
薄味の出汁のセンスや、米の微妙な崩れ加減を見るセンスが要求されるので、
奥が深いというか、下手すると一般的な料理より作るのが難しいものかも知れません。
野趣あふれる野草を7種類も投入する七草粥になれば、その難易度は更に上がるはずです。
人日(じんじつ)の節句である1月7日朝に食べる、七草粥。
芹・薺・御形・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔を入れた粥を食べ、一年の無病息災を祈ると共に、
正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休め、青物の栄養も取ってしまおうという風習であります。
特に京都ならではの行事でもありませんが、市内のいくつかの神社では接待を展開。
その気になればお粥の食べ歩きなんてのも、できないことはありません。
本当に普通のお粥を他所で食べる機会はあんまりないですから、
お粥の奥の深さを体感すべく、接待めぐり、七草粥食べまくりをやらかしてみました。
件数が多いので、細かい客層は省略+ダイジェスト風でご覧ください。
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朝も、ひとり,
★★★★,
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2010年12月24日(金)

クリスマスイヴはお泊まりでした。もちろん、ひとりで。
メリークリスマス!!
と言われても、孤独+社会的プレッシャーとの精神戦のゴングにしか聞こえない皆様、
いかがお過ごしでしょうか。正気は、保たれてるでしょうか。
恋人も友達もおらず、部屋の壁や自分の心の闇をじっと見つめる、聖夜。
危険です。ひょっとしたら真の意味で神に近づいてるんじゃないかと思えるくらい、危険です。
そんなマッドな気分を紛らわすために、イブの京都ひとりお泊りなんか、いかがでしょう。
もちろん、京都といえどクリスマスは多くの宿が満杯です。が、あるところには部屋、あります。
それが、この日泊まった、PHいずみハウス。
一泊1500円という驚異の宿代が、好き者の間で静かな波紋を呼んでいる宿です。
値段を聞くとドミトリー形式の宿をイメージされそうですが、舐めてもらっちゃ困ります。
こちらのいずみハウス、部屋はすべて完全個室。ネカフェのナイトパックを凌ぐ安さなのに、個室。
「孤独がほしくて旅に出てる」「でも確実に孤独な環境を確保するための金はない」
「ドミトリーで人とのコミュニケーションとか、したくない」「まして外人なんか論外」
という我がままな同志たちが、必ずや興味を持つであろうスペックを持つ宿なのです。
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2010年11月27日(土)

神應寺の紅葉まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
石清水八幡宮が立つ男山には、元々、寺が林立していました。
その数、48。時に、それ以上。男山四十八坊と称され、宿坊を営んだりしてたそうです。
石清水八幡宮は、もちろん、神社。今の目で見れば、完全に、神社。
しかし明治維新以前までは、「八幡大菩薩」と仏教丸出しな名前の神を祀り、
神社の運営の実権も寺側が握るほど、神仏習合の加減が濃い、正に文字通りの宮寺でした。
山を埋め尽くすほど建ち並んだ諸坊には、大名などからたんまりと金が入りまくり、
おかげで寛永の三筆の一人である文化人・松花堂昭乗なんかも生み出したりしましたが、
おごる坊主久しからずというか何というか、明治初頭に神仏分離令が出て、坊、全滅。
山内の仏教施設は、松花堂などの移築組を除いて、大半が徹底的に破壊され尽くされました。
男山ケーブルのトンネル近くに立つ神應寺は、その数少ない生き残りです。
創建は、石清水八幡宮と同時期。開祖も同じ、行教律師。同宮の別当所とも言われてます。
現在は小さい禅寺ですが、神仏分離のゴタゴタで酷い目にあった平安期作の行教座像や、
かつて庇護も受けていたという豊臣秀吉の坐像など、寺宝はなかなかにエクセレント。
また、京阪八幡市駅から徒歩5分ほどの参道は、駅前とはとても思えない渓谷が広がり、
「駅前渓谷」の名で静かにその認知度を高めつつあったりもします。
普段は本当に普通の寺であり、寺宝も非公開の神應寺ですが、秋の紅葉まつりではご開帳。
なので、駅前渓谷と紅葉とお宝を、まとめて見に行ってきました。
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