2012年2月23日(木)

醍醐寺の五大力へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
五大力。
一応、念のために言っておくと、長州力とは関係ありません。
長州力にそっくりの人が餅上げ大会に参加してはいましたが、関係ありません。
正式名称、五大力尊仁王会。 「五大力の尊仁王会」 ではなく、「五大力尊の仁王会」 。
平安時代の五重塔で知られる世界遺産・醍醐寺で毎年2月23日に行われる最大の行事であり、
上醍醐の五大堂に祀られる五大力尊へ、国家安穏・万民豊楽を祈願する法会です。
本来は山上までしっかり登って、五大堂でしっかり厳修するのが筋なわけですが、
さすがに3.5キロの登山は万民には厳し。なので、山麓・下醍醐でも祭灯護摩供を、終日厳修。
また、災難&盗難除けの功徳があるという本尊・五大力尊」の「御影」 も、この日に授与。
この札は、愛宕さんの 「火迺要慎」 お札と同じく京の家々の定番のお札であり、
ゆえに、善男善女が集結。それを目当てに露店も集結。えらい賑わいとなるのであります。
加えて五大力の集客力をブーストしてるのが、餅。餅あげ。餅あげくらべ。
女性90キロ・男性150キロもの巨大な紅白の鏡餅を持ち上げ、持ち上げ続け、その時間を競い、
発揮した大力を五大力さんに奉納して無病息災を願うというのが、餅上げです。
戦後に余興として始まったものですが、巨大餅そのものの存在感と、
それを必死で持ち上げる挑戦者の姿のインパクトが人気を呼び、定着化。
この日は金堂+五重塔が無料開放されることもあり、今では京都に春を告げる行事になってます。
その五大力さん、生憎の雨ですが、行って来ました。
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2012年2月11日(土)

阿含の星まつり2012へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
阿含の星まつり。
正式名称、 「炎の祭典・阿含の星まつり 神仏両界大柴燈護摩供」 。
阿含宗が、京都・東山の総本殿で毎年建国記念日に行う、護摩法要です。
一大観光都市・京都にあって、50万人(主催者側発表)と宵山以上の動員力を誇り、
CMはバンバカ流れるわ、シャトルバスはR1を走りまくるわ、そこら中で山伏がウロウロしてるわと、
大騒ぎの祝祭状況を現出させる割に、何故か観光案内などでは扱いが小さい行事であります。
不思議だなあ。何でもっと大きく取り上げないんでしょう。いや実に、不思議だなあ。
ひょっとすると混雑が既にパンク状態で、取り上げようがないんでしょうか。何せ 「50万人」 だし。
でも去年行った感じでは、50万人はちょっとない感じに見えたけどなあ。不思議だなあ。
そんな不思議な星まつり、前年は早朝からそのシャトルバスへ乗り込み、
もの凄い雪が降る中で護摩が点火&爆発するオープニングを拝ませてもらったわけですが、
今年はその逆、エンディングの鎮火・火伏せをメインにして出かけてみました。
何故かといえば、朝早く起きるのが面倒くさくて、しんどかったからです。
加えて、今回は現場まで徒歩で行こうと決めてたので、より安全な昼間を選んだわけです。
阿含宗総本山があるのは、清水寺・奥の院の背後から500mくらいのところ。
「歌の中山」 で知られる清閑寺&京都随一の心霊スポット・旧東山トンネルを通る道があったりと、
両者のアクセスは妙に良好だったりします。で、今年はそこを歩いてみた、と。
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2012年2月2日(木)

2012年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。
2月2日と3日の両日を、暇丸出しでフルにうろつきまくってます。
【1】 八坂神社の芸舞妓舞踊奉納+豆まき→壬生寺の節分狂言→須賀神社で懸想文購入
【2】 北野天満宮の追儺狂言+芸舞妓舞踊奉納+豆まき→千本釈迦堂のおかめ福節分
【3】 千本ゑんま堂の節分狂言→吉田神社の火炉祭大炎上
の、まずは 【1】、八坂神社、壬生狂言、そして懸想文です。
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2012年1月29日(日)

石清水八幡宮の鬼やらい神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
鬼やらい。いわゆる節分の追灘というものです。
今なお深層意識の中では旧暦のタイムテーブルがしぶとく生き続けているためか、
「本来の年越し」みたいな感じで、ある意味正月以上の盛り上がりを見せる、京都の節分。
京都市内の多くの寺社が2月3日を中心に各種祭典を行ない、大きな賑わいを呼んでいますが、
我が地元である石清水八幡宮は、節分に一番近くて早い日曜日に、鬼やらい神事を開催。
ちょっと、フライングです。何故かといえば、まあ多分、客を呼ぶためじゃないかと。
この神事、始まったのは割と最近。最近といっても、もう25年くらいはやってるそうですが。
京都市内の節分行事も、実は結構歴史が浅い復活系のものが多かったりしますが、
八幡の鬼やらいはそれらに増して新しく、イベントテイストがより濃厚です。
本気というよりはお遊びであり、開催日を厳密に2月3日とする必要がないタイプの行事であり、
ついでに鬼のクオリティも若干の手作り感が否めないものだったりするのであります。
しかし、いやむしろそれゆえに、ある種の大らかさみたいなのは、炸裂。
出てる方にも、そして見てる方にも、率直な笑顔が溢れる鬼退治と言えるんじゃないでしょうか。
この数週間前には、某大河ドラマで清盛の舞の舞台となってた、石清水八幡宮。
初詣+厄除大祭と続くボロ儲け月間を締めくくるのに相応しい混雑の中、
一足早い節分を楽しんできました。
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2012年1月22日(日)

チャーミングチャーハンめぐりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
チャーミングチャーハン。
その恐るべきネーミングセンスで、京都はおろか日本全国を震撼させた中華料理店です。
死ぬほど暇な時に思わず検索欄へ打ち込んでしまいそうなワードを堂々と屋号に掲げ、
「焼きめし+チャーハン付き」などという、言語への挑戦のごときメニューをひっさげたこの店が、
移転先の堀川丸太町で突如ブレイクしたのは、もう何時のことになるのでしょうか。
ブレイク当初は 「ネットやマスコミから散々ネタにされ、消費され尽くされたところで、終了」 か、
「ネーミングをさらにエスカレートさせ、収拾つかなくなり、終了」 みたいな展開を想像してたんですが、
店は意外にも普通のお手頃中華屋として存続&出前サービスが効いて地域に定着。
遂には2011年の暮、今出川通へ支店まで出してしまいました。
もちろん支店の方も、チャーミングチャーハンの店名、「焼きめし+チャーハン付き」、ともに健在。
もしかしてチャーミングチャーハン、狙ってるんでしょうか、飛躍を。
かつて王将が、四条大宮の賃貸ビルから全国区へ羽ばたいたような、飛躍を。
かつて天下一品が、北白川の屋台から全国区へ羽ばたいたような、飛躍を。
そのあたりの腹を探るべく、新規オープンの今出川店、そして本店を、いっぺんにめぐってみました。
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2012年1月19日(木)

石清水八幡宮の厄除大祭・焼納神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
石清水八幡宮はその創建時から、明確に王城守護を目的としています。
平安京が陰陽道に基づいて展開した怨霊防衛線構築の最終ステージにおいて、
裏鬼門守護の責を担うべく、パワフルで雄弁な神・八幡神を勧請して建てられた、国策神社。
そう、石清水は紛れもなく「国のための神社」であり、地元の言い方だと「お上の神さん」なわけです。
それゆえ明治維新の際に神仏分離令が出ると、「お上」からのお達しと慌てふためき、
山中の仏教施設を片っ端からブッ壊したり売り飛ばしたりもするわけですが、それはともかく。
しかし、そんな「お上」第一な石清水八幡宮にも、民衆と切り結ぶ接点は存在します。
それが、厄除。いわゆる厄年とか、厄ばらいとかの、厄除です。
こちらも元々は、京への疫神侵入を阻止する朝廷の祭祀「畿内十処堺疫神祭」が由来であり、
疫神社 = 現在の山麓頓宮に道祖神を招き、国家安泰を祈願する「お上」なものでしたが、
やがて民衆からの厄除信仰の方が強くなり、1月15日~19日の祭儀は「法会」という名でお祭り化。
京都や大阪から大挙して参拝客が押しかけ、それを目当てにした土産店なども多数立ち、
田楽・舞楽・相撲の奉納も行われるなど、それは大層な賑わいだったといわれてます。
神仏分離で石清水がズタボロ化したのちも、民衆ベースである厄除信仰は根強く持続したようで、
敗戦で戦勝の神としての名声を失ってもなお、「法会」だけはしばらく隆盛を保ったそうです。
現在は「厄除大祭」と呼ばれるこの祭儀、古代祭祀のルーツは18日に斎行される 「青山祭」 に残り、
「お祭り」テイストの方は期間最後の日に行われるこの焼納神事が担ってる感じでしょうか。
焼納神事は要するに左義長 or どんど焼きであり、規模もそこそこなもんですが、
厄除開運餅がタダでもらえるということもあり、結構人気があります。
そんな焼納神事へ、「法会」の残り香を嗅ぎに行ってきました。
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2012年1月18日(水)

石清水八幡宮の青山祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
青山祭。もちろん、青山学院大学の学園祭ではありません。
呪術都市・平安京が構築した悪霊・疫病・厄神防衛線の名残を、現代にまで伝える神事です。
「悪しきものは、人と同じく道を歩いて都へ入る」という当時のセキュリティ思想に基づき、
平安京の国境には、怨霊の水際対策として霊的城壁を築くべく、強力な寺社が建立されました。
鬼門封じの猿ラインは言うに及ばず、四方を固める大将軍各社や逢坂山の蝉丸神社、
あるいはパワーが強過ぎていまや心霊スポットとしか思われてない老ノ坂の首塚大明神などなど。
中でも、裏鬼門であることに加え、都と瀬戸内海と直結する水路のゲートでもあり、
さらには魔の国・大阪と山を介さず接している数少ないポイントに鎮座する石清水八幡宮には、
より強い霊的パワーが求められ、そのニーズは古代祭祀が消滅した後世も継続。
厄神防衛線の各社で斎行されたという祭儀「畿内十処堺疫神祭」は、
石清水では道餐祭として残り、斎場を囲む青柴垣に由来して「青山祭」と名称を変化。
八幡の厄除としての評判が民間にも広まるに連れ、正月以上に人を集めるお祭りへ変貌しました。
と、青山祭についてざっと調べると、こんな感じの話がいろいろと出てきます。
が、実際の内容についての情報が、妙に少ない。現在、何をどうやってるのかの情報が、少ない。
秘儀なんでしょうか。現在もこっそり、呪術とか、魔界とか、やってるんでしょうか。
私、子供の頃は近所に住んでましたが、そんな話、聞いたことありません。
やはり、秘儀か。そのあたりを確認すべく、日の暮れかかる山麓下院へと出かけてみました。
そして、そこで目にした「真実」は、実に驚くべきものでした。
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2012年1月15日(日)

三十三間堂の楊枝のお加持と通し矢へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
等身大の観音像を、千一体、並べる。
それは一体、どんな精神状態から生まれる発想なのでしょう。
「でっかい寺 or 仏像を作る」なら、わかります。大きいことはいいことだ、と。
数的膨張も、伏見稲荷の鳥居のような闇雲さがあれば、まだ人の体温が感じられるというものです。
しかし、三十三堂の千一体観音は、そのどちらとも違う印象を見る者に与えます。
熱狂を感じさせない、冷たく醒めた過剰さ。そしてそこに響く、救済を求める無言の絶叫。
普通の人間が考えつくものではない。少なくとも私は、そんなことを感じたりします。
後白河法皇。普通の人間ではないといえば、確かに普通の人間ではありません。天皇だし。
「今様狂い」「比類少きの暗主」と揶揄されるほど過剰な遊蕩に呆けながら、
源平を手玉に取って権力に固執し、なおかつその全てを放り出して熊野を何度も何度も詣でまくり。
勝負には絶対負けたくないが、勝ったところで全ては遊びだとも知っている、大天狗。
まこと「もののけ」と呼ぶにふさわしい、院政期を体現したような強烈なるパーソナリティです。
そして、その院から発願された三十三堂もまた、強烈なインフレーション感に溢れた建造物です。
そもそもは院の頭痛平癒を祈願して建てられながら、いわゆる癒しテイストは皆無、
だだっ広いにも関わらず開放感がなく、閉塞感+強迫観念=偏頭痛誘引効果が爆裂状態。
むしろ偏頭痛者のパースペクティブをそのまま具現化したようにさえ感じられ、
疾病退散の加持より、矢でこの頭を吹っ飛ばしてくれと頼みたくなること、しきりです。
そんな三十三堂の成人の日名物である、楊枝のお加持と通し矢。
「どんなだ」という話ですが、無料開放で頭痛がしそうな堂内へ、とにかく突入してきました。
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2012年1月7日(土)

大本亀岡本部へ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
大本についての説明、どれくらい必要なんでしょうか。
本籍地を丹波に置きっぱなしの私にとっては、何となく「知ってて、普通」な感じなんですが、
一般的知名度はそれほどでもないのかも知れません。そうでもないのかな。
大本。平仮名で書くと、おほもと。読みは普通に、おおもと。
いわゆる新宗教の老舗です。「新」なのに「老舗」というのも変ですが。
明治中頃、京都北丹・綾部で開祖・出口なおが「御筆先」を記したことで始まる神道系の教団ですが、
教団を巨大化させたのは、『霊界物語』などで今なおカリスマ的人気を誇る、出口王仁三郎。
メディア戦略に天才的な才能を持つ王仁三郎は、勃興期にあった新聞&ラジオを大々的に活用、
教団を爆発的に拡大させ、「万教同根」の真理に基づいて大陸にも進出、世界各国の宗教とも提携し、
遂には郷里・亀岡の亀山城をまるごと購入、綾部と共に聖地としました。
インテリ・貴族・軍人までも巻き込むその勢いに、特高は目をつけ、大正・昭和と二度にわたり弾圧。
特に戦中行われた「第二次大本事件」と呼ばれる二度目の弾圧は熾烈を極め、
「大本を地上から抹殺する」と、1300本のダイナマイトで教団施設を城ごとぶっ飛ばしました。
壊滅状態に陥った大本は、追い討ちをかけられるようにカリスマ・王仁三郎も失いますが、
何とか自主再建を果たし、ズタボロになった亀山城址も何とか再整備。
戦前の勢いはないにせよ、平和運動・農業運動・芸術運動などに力を入れ、現在も活動を続けてます。
そんな大本が、信者以外にも無料で振舞ってるのが、1月7日の七草粥。
普段は拝観に申込が要る亀山城も、一般開放。なので、城見物をかねて出かけてみました。
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2012年1月5日(木)

正月の石清水八幡宮へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
八幡の八幡さん(やわたのはちまんさん)、地元ゆえ再び初詣です。
元旦には、今イチながらも初日の出まで拝ませてもらった石清水八幡宮ですが、
昼間の混み加減も一応チェックしておきたくなって、改めて参拝させていただきました。
混雑度を見るなら何といっても元日、せめて三が日の間に行っとくべきなのですが、
諸般の事情で4日まで身動きとれず、5日に至ってのデータ取得となってます。ご了承下さいませ。
「世は変われども、神は変わらず」というキャッチコピーの通り、
例年と特に変わるところのない、賑やかかつ穏やかな八幡の八幡さんの正月ではあるのですが、
去年の年末にはこの石清水八幡宮、国史跡に指定されるというトピックがありました。
それも本殿のみならず、明治以前の神仏習合の遺跡を含めての指定。
ちょっと前には松花堂昭乗の滝本坊跡で「空中茶席」なるものの遺構が発見されるなど、
静かに盛り上がりを見せていた八幡さんの発掘ですが、この指定でより拍車がかかることでしょう。
八幡さんの参道の横にずらっと並ぶ、石垣。あれ、遺構なんですよ。かつて林立していた宿坊の。
でも、参拝される方の多くは登ることに必死で、全然そんなことに気にしてくれません。
ので、ちょっとその辺にも触れながらの初詣記事にしてみます。興味を持ってもらえたら、幸いです。
あ、トップの龍は、本殿にいる奴。辰年ということで、フィーチャアしてみました。
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2012年1月1日(日)

2012年への年越しを、京都で迎えました、の続きです。
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八幡市,
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夜も、ひとり,
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除夜の鐘 |
2012年1月1日(日)

2012年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。
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東山区,
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夜も、ひとり,
冬も、ひとり,
中京区,
上京区,
拝観無料,
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2011年12月25日(日)

クリスマス・イヴ@妙蓮寺宿坊、続きです。
日本人にとってのクリスマスとは、一体何だったのでしょう。
「だった」と過去形なのは、最盛期の馬鹿騒ぎが現在のクリスマスには、ないからです。
姦淫を以て主の生誕を祝う不埒の輩どもが地虫の如く涌いた、20世紀後半の日本。
飴玉をもらった子供のように浅ましく「聖」と「性」を貪る当時の熱狂は、現在はもう、ありません。
凡庸な性的レジャーとしてのクリスマスを楽しんだ凡庸な人間たちの多くは、
消費社会の成熟や不況の深化とともに、凡庸な家庭や凡庸な友人たちとの集いへ帰っていきました。
今となっては、本気で「クリスマスで何とかしよう」と焦る人など、きっと少数派なのでしょう。
「そんなことはねえっ!!!!!!!!!!」 「イルミネーションのプレッシャーは年々増す一方だっ!!!!!!!!!!」
「仮に恋愛プレッシャーはなくなっても、凡庸な家庭や凡庸な友人すら俺にはねえっ!!!!!!!!!!!!!」
と叫んでしまう同志の方もいるかも知れませんが、しかしそんな方でも、
クリスマスの拡散に伴う陳腐化と性的衰退は、心のどこかでしっかり感じているはずです。
私達の戦いの半分は、終わりました。土俵へ上がる前に。
残った敵は、別の何かに対する、別の浅ましさ。その浅ましさが、今なお、私達を叩き続けている。
そして、昔とは違う形の袋叩きとして、現代日本のクリスマスは機能し始めている。
そんな気が、しませんか。私はあんまり、しないんですけど。
というわけで、どういうわけかわかりませんが、宿坊の聖夜、前編に続き後編であります。
妙味爆裂のクリスマス和菓子を用いた狂乱のひとりパーティーから、
法華曼荼羅の世界へ導かれる朝のお勤めまで、妙なる聖夜をお楽しみ下さい。
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2011年12月25日(日)

妙蓮寺宿坊で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。
メリー・クリスマス!!!
今年もまた、聖夜の季節がやってまいりました。独男にとって、鬼門の季節が。
前年は宿泊料1500円+エアコンなし激寒+プレハブ状態の安宿・いずみハウスに泊まり、
末期のアナログテレビで明石家サンタ見ながら一人でシャンパンラッパ飲みなどしたわけですが、
今年はもっと上質な 『クリスマスひとりお泊り in 京都』 を提案したいと思います。
私だって、いい加減大人ですからね。くだらないことばかり、そうそうやってられませんよ。
というわけで、2011年の聖夜に泊まったのは、妙蓮寺。
正真正銘、お寺です。しばらく前からブームになってるという、宿坊というやつです。
ただ泊まるだけでなく、朝のお勤めなどにも参加できたりするのが魅力の、宿坊。
また、一般の宿に比べると料金が安価に設定されているのも、人気の要因となっています。
ちなみにこちらの妙蓮寺、一泊、3800円。相応しい表現かは知りませんが、「お値打ち」です。
加えて妙蓮寺が魅力的なのは、その立地。すなわち、上京・西陣・寺之内。
「寺之内」の名が示す通り、周囲には法華宗を中心に本山クラスの寺院が林立しまくり、
ゆえに茶道の各千家が集中しまくり、ゆえに和菓子の老舗が密集しまくってるエリアなのであります。
「そんな高級な世界のことは知らん」という方でも、街並の中をただ歩いてるだけで、
偏頭痛が起きるような京都独自の異常な閉塞感をとことん堪能できるエリアなのであります。
そんな宿坊、独男の上質な聖夜にはふさわしい、と考えたのは大嘘ですが、
とりあえず行くところがないので、純粋なる興味本位&面白半分で泊まってみました。
密集しまくる和菓子屋の老舗の中には「クリスマス和菓子」なんてのを出してるとこもあるので、
そっち方面でもちょっと、遊んでみましたよ。
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2011年12月8日(木)

祇王寺へ紅葉を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。
祇王寺。
平家物語における白拍子・祇王の悲恋伝説で有名な、奥嵯峨の寺です。
近江・野州で平家家人の娘に生まれるも、父が死に、母&妹と共に京都で白拍子となった、祇王。
その美しさと華麗な舞から、驕る平家全開&DQNモードの平清盛に寵愛され、
大金+名声+故郷の水不足を解決する祇王井川開削までゲットしますが、しかし、好事魔多し。
強硬に舞プレゼンを願う16歳の仏御前を、お情けで清盛にとりなしてやったら、
清盛一発で心変わり+祇王叩き出し+仏御前の余興のためだけに再度呼び出し&再度叩き出し。
「萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか秋に あわで果つべし」。
やっとられんわという思いでこのような歌を詠み、祇王&妹&母は洛外へ脱出+出家。
その出家の場所が、この祇王寺と言われてます。他にも諸説はありますが。
山里で念仏三昧の日々を送る尼母娘3人組には、祇王没落の原因となった仏御前も、のちに合流。
どうせ自分も、いずれ似た運命を辿るのだ。いずれか秋にあわで、果つるのだ。
愛欲の諸行無常を知る者同士で連携を深めた四人は、チームワークで念仏三昧へ没頭、
全員がめでたく往生を遂げたといいます。「われらも遂には仏なり」と。
愛欲の諸行無常にも、逆にDQN性質を発揮する権力・金力・精力にも無縁の独男には、
かなり関係のない寺ではありますが、とりあえず紅葉シーズンのラストですし、
一人で数時間座り込む女性がいるというディープさも面白そうなので、興味本位で出かけてみました。
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2011年12月8日(木)

千本釈迦堂の大根焚きに行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都の冬の到来を告げる、師走の風物詩・大根焚き。
鳴滝の了徳寺や、その近所の三寳寺も有名ですが、やはり大根焚きといえば、千本釈迦堂。
鎌倉時代に茲禅上人が大根の切り口に梵字を書き魔除けにしたのが始まりとされ、
現代に至るまで中風&諸病除けの御利益を求め人々が食し続ける、実に歴史ある大根焚きです。
集められた大根を加持祈祷して輪切りにし、大鍋で煮込み参拝者に振舞うその様は、
「京都の師走の風物詩」という感じのニュースなどで目にした方も多いでしょう。
そう、京都の大根焚きが取り上げられる際、出てくるのは大抵、ここです。
もちろん他の大根焚きも、特に了徳寺の大根焚きは結構な頻度で取り上げられますが、
どこが一番メジャーかと考えるなら、千本釈迦堂ということになるんじゃないでしょうか。
でも、何でやろ。何か違いって、あったっけ。人気とか動員数とかの問題か。
味の違いやろか。味やったら、僕、三寳寺が一番好きやけど。一番ようしゅんでたし。
と、アホなことを考えてると、思いつきました。千本釈迦堂の大根焚きって、野外でやるやん。
了徳寺と三寳寺がお堂の中で食するの対し、千本釈迦堂はお堂の外。
どこの大根焚きも狭いところが超混雑状況となりますが、室内での混雑はカメラ置きにくし。
より取材しやすい千本釈迦堂に、マスコミは行くようになった。そうや、きっとそうや。
と、やはりアホなことを考えながら、大根、食べに行きました。
当日は、雨。「お堂の外で食べる」のが、完全に裏目に出たシチュエーションでございました。
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2011年12月4日(日)

高桐院へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。
高桐院。
美しき禅寺・大徳寺の、美しき塔頭です。
秀吉による信長の菩提寺・総見院の建立以降、大徳寺では武将の塔頭建立が相次ぎますが、
こちらの高桐院もまた、細川忠興 aka 三斎が、父・幽斉の菩提所として創建。
戦国時代きっての冷徹な智将にして、キリシタン&明智光秀の娘・ガラシャを嫁とし
隠居後は茶の道も究め三斎流の開祖ともなった、細川忠興。
かの千利休は、利休七哲の一人として認めるほどこの三斎が気に入ってたようで、
こちらの高桐院には利休邸からの移築されたと伝えられる書院・意北軒が残り、
また、北野大茶湯のために作られ利休の茶を忠実に継承したとされる茶室・松向軒も、設置。
さらに利休は、自らの灯籠を三斎の墓塔として贈り、これを気に入った秀吉が横取りしようとすると、
「こっちの方が風流だ」と塔の一部を削るなどという、実に性格の悪いことをやらかしたそうです。
心温まるんだか温まらないんだかよくわからんそんな数々の伝承と共に、
三斎&ガラシャ、三斎の三回忌に殉死した興津弥五衛門、そして何故か出雲阿国が眠る、高桐院。
年中無休で拝観謝絶の塔頭が多い大徳寺にあって、こちらは常時、拝観を受入。
もちろん紅葉シーズンも開いてます。そしてもちろん、混みます。
紅葉がすっかり落ちた頃に出かけましたが、それでも全然、混んでました。
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2011年12月1日(木)

高台寺の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
高台寺が、好きです。特に、夜の高台寺が、好きです。
はっきり言って、客層は独男にとって最低です。特に、ライトアップ時の客層は最低です。
実際、この夜の客層も最低でした。今まで行った秋の夜間拝観も、ほぼ外れなしで最低でした。
しかし、それでも、好きです。レトリックで言ってるのではありません。本当に、好きです。
何故そんなに好きかといえば、多分、この寺が率直だからでしょう。
夜間拝観を断行した同寺塔頭・圓徳院の住職・後藤典生氏は、著書『高台寺物語』にこう書いてます。
「私がライトアップを発想したもっとも大きな理由は、参拝客を増やしたいと思ったからです」。
わかりやすい。わかりやす過ぎて禅問答な気にさえなりますが、言い分はこうです。
全盛期の1/10にまで縮小した伽藍を再建したい、と。百年かかるが再建したい、と。で、金が要る、と。
そんなシンプルかつストレートな理由で、高台寺は1994年にライトアップを開始します。
寺によっては、渋さとしょぼさを意図的に混同したような照明が設定される夜間拝観ですが、
「金が欲しい」という根本動機にブレのない高台寺は、常に衒うことなく絢爛さを発揮。
「商業主義」「それでも禅寺か」「まるで和風テーマパーク」などと言われながらも、
拝観客は増えまくり、廃墟同然の状態から一転、京都随一の観光寺院の座を獲得するに至りました。
その稼ぎまくる姿に私は、率直さや大らかさ、清々しさといったものを感じます。
そしてその率直さ・大らかさ・清清しさといったものは、高台寺を建立した北政所ねねの、
夫・秀吉の配下たちを惹きつけた人柄と共通したものなのかも知れない、と思ったりもします。
私はそんな高台寺が、好きです。2011年秋の夜間拝観も、もちろん行きました。
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2011年12月1日(木)

圓徳院の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
圓徳院。
いわずと知れた高台寺塔頭であり、同寺を建立した北政所ねねの終焉の地です。
夫・豊臣秀吉の死後、ねねは京都で隠棲を始め、「高台院」の名にちなんだ高台寺の建立を発願。
秀吉好みのギンギラギン仕様だったという伏見城から資材を流用して伽藍を整備しつつ、
やはり伏見城より化粧御殿と庭園を山内へ移築、そこへ住み、そしてその生涯を終えました。
ねねの死後、ねねの兄・木下家定の次男・利房はこの場所を寺化することを思いつき、
寛永9年、木下家の菩提寺にして高台寺塔頭である圓徳院は創建されたわけです。
が、そんなことに興味があってここを訪れる人は、稀でしょう。
参道・ねねの道まで抱き込んだ形で、大幅な観光リニューアルが施された90年台以降、
わかりやすい観光客が大挙して押し寄せるドメジャースポットへ急成長した、高台寺&圓徳院。
最盛期の1/10にまで縮小した境内伽藍を復活させたいという寺の想いは、
開き直りを通り越して清々しさや悟りの境地さえ感じさせる、飽くなき集金への情熱と直結。
「和風テーマパーク」という呼称が皮肉ではなく単なる事実でしかない境内を生み出し、
毎年行われるライトアップには、悟りもひったくれもない客が大勢集まるようになりました。
派手な伽藍とビジュアルを持つ高台寺にその傾向がより顕著ですが、
高台寺より狭い圓徳院は、その由来から逆に「ねねの愛」といったものを積極的にアピール。
「何か和で、愛で、優しい感じ」という、よりカップルを吸い寄せがちな何かになっとるのであります。
そんな圓徳院の、ちょっと遅めな紅葉真っ盛りのライトアップ。
和の心を持たず、愛を知らず、優しくない独男は、入ることができるのでしょうか。
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