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夏越祓の茅の輪をまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

2014年6月30日(月)


夏越祓の茅の輪をまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

熱いお茶で、みなづきをいただいてると、月日の経つのは、なんと早いもんやろうと、しみじみこたえて
くる。ついこの間、お雑煮を祝うたと思うているのに、知らん間に夏越の祓となって、半年の、なんと短
かったことやろう。なんにもせんうちに、わたしにも白髪がふえだした。
大村しげ 『京暮し』

ほんわかしてるようで、実は高速かつ硬質な大村しげの文章が描破してるように、
時の流れの速さに恐怖さえ感じる今日この頃、暇丸出しな当サイトでも季節は超高速でめぐり、
勝手に恒例化してる夏越の茅の輪めぐりも、2014年度版が早くもやって来てしまいました。
正月からの半年間でこびりついた魂の穢れを、神社に設置された茅の輪をくぐることで祓い浄め、
暑さ+疫病の脅威が本格化する厳しい夏を乗り切ろうという古来からの慣わし、夏越祓
うちでは、腐った欲求各種を持て余す己が存在の膿の大掃除 or スピリチュアル・デトックスに加え、
普段は記事で訪れる機会のない、小さいというか地味というか、そんな神社への訪問を兼ね、
毎年あちこちの社に設置された茅の輪を探し求めてはくぐりまくり、溜った穢れを祓い倒してきました。
2011年は市バス一日券を使って、京都市内の各神社をランダムかつノーコンセプトに徘徊。
2012年は一転して全行程を徒歩にして、東福寺から西陣周辺までを、やはりノーコンセプトに徘徊。
そして2013年はまた徒歩で、右京区をローラー的に回り、最後はまた西陣へ着く感じで徘徊。
で、2014年の今回は、やや手薄になってる感のある東北方面を攻めてみることにしました。
京阪三条駅から出発し、東大路通&白川通を縦軸として、あちこちをダラダラとうろつき回ってます。
果たして私は、穢れを見事祓った清い体&魂で、熱いお茶&水無月を頂けたりするのか。
それとも、穢れと共に無意味な徒労がバンバカ蓄積し、頭に白髪が増えるだけで終わるのか。
蒸した空気を日光が時折暖めるような不快な天気ですが、さあ、出発しましょう。

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鞍馬寺の竹伐り会式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年6月20日(金)


鞍馬寺の竹伐り会式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「金星」 「650万年前」 「宇宙エネルギー」 「サマートクマラ」 などなど、
ややアストラルな検索ワードでうちへ飛んでくる方も多い、京都パワスポ界の雄・鞍馬寺
実際、それこそ金星人やアセンションといった 「あっち」 な話題の多いスポットではありますが、
現世に於いても千年を超す古刹として、もうちょっと 「こっち」 な由緒もまたこの寺院は持ってます。
平安遷都以前の770年、鑑真和上の高弟・鑑禎がこの地にて毘沙門天像を祀ったことに始まり、
遷都後には造東寺長官・藤原伊勢人が、千手観世音を追加で祀ると共に、堂塔伽藍を建立。
平安中期には東寺の高僧・峯延が根本別当に就任、後に中興の祖と崇められる働きを見せたことで、
鞍馬寺は特に金星人の力を借りることも無く、洛北の名刹としての道を歩むようになったわけです。
ただこの峯延上人、東寺出身らしく呪術に長け、 「あっち」 的とも言える逸話もあったりします。
修行中の上人にある日、 「舌長きこと三尺ばかり、さながら火炎の如し」 という大蛇が襲来しますが、
上人はひるまず、当時恐らくバリバリだった東寺仕込みの真言を唱え、霊力のみで大蛇を呪殺。
朝廷より派遣された人夫50人で運んだ大蛇の死体は、刀でぶった切られ、崖へ捨てられたそうです。
「あっち的」 というよりは完全に 「あっち」 というか、とにかく色んな意味でパワフルな逸話ですが、
鞍馬寺ではこの逸話に因んだ儀式を今も続けており、それこそが今回訪れた竹伐り会式であります。
鞍馬寺の門前組織・七仲間の最有力集団であり、 「鞍馬の火祭」 でも活躍する大惣法師仲間が、
大蛇に見立てた竹を往時の僧兵の如き姿で勇ましく叩き割る、毎年6月20日開催の竹伐り会。
2つの座がその年の豊作を賭け速さを競い合うルールも手伝い、実にワイルドとなるその伐りの様は、
牛若丸&弁慶&天狗の伝説をも想起させる、鞍馬らしいロマンに溢れたものと言えるでしょう。
そんな竹伐り会式、6月の湿気に満ちた暑さの中、テクテクと徒歩で山を登り、出かけてきました。
「あっち」 と 「こっち」 が交錯するロマンと、 そのロマンに引き寄せられた大量の人民が、
山上の境内で汗まみれになって集結し入り乱れてる様、とくと御覧下さい。

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三室戸寺へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年6月18日(水)


三室戸寺へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

あじさいって、案外、人気があるんだな。
そう思ったのは、藤森神社・紫陽花苑の記事へのアクセス数を見た時です。
うち的には明らかに、多い。それも 「藤森神社 あじさい」 と明記して飛んでくる方が、多い。
「藤森神社」 だけで来る方の十数倍の数に及ぶため、人気の中心があじさいであるのは、明白。
うちのサイト以外に藤森神社・紫陽花苑の情報を扱うとこが少ないとも思えないので、
これはやはり、あじさいという花そのものに、多くの人が関心を持ってるということなんでしょう。
となれば、目先の客数を稼ぐべく、再び藤森神社へ出かけて記事を作ろうかなとも思ったんですが、
しかし、京都に於けるもうひとつのあじさいスポットの存在を忘れてることに、気が付きました。
そう、三室戸寺であります。かの西国三十三観音霊場十番札所、三室戸寺であります。
源氏ロマンの地・宇治にあって、でも中心部から離れてるため徒歩かタクシー以外に足がなく、
それ故に行くのが何となく面倒臭くなって、何かとすっ飛ばされがちな名刹、三室戸寺。
しかし、「みむろ」 という名が 「おむろ」 の変化したものという説が体現してるように、
光仁天皇による創建、そして白河花山両帝の深き崇敬と、やんごとなき由緒を持つ寺であります。
もちろん、観音巡礼の札所として庶民からも篤い信仰を集め続けてはいますが、
その観音巡礼を中興したのも花山帝だったりと、そのやんごとなさ加減、実にやんごとありません。
「歩くの、何かダルい」 などとほざいて参拝を怠れば仏罰必定というものでありますが、
そんな怠惰な愚民も観音の慈悲へ触れさせるべく、三室戸寺は昭和62年から庭園を整備。
花山天皇観音巡礼中興1000年を記念し、観音浄土の再現を目指して行われたこの整備により、
三室戸寺は四季を通じて花が咲き、梅雨時はあじさいが人気を呼ぶようになりました。
「あじさい寺」 とも呼ばれる有数のあじさいスポットとなったそんな三室戸寺へ、
またアクセスが稼げるかなと、ノコノコ出かけたわけです。

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鴨川川床カフェめぐりをやってみました。もちろん、ひとりで。

2014年5月29日(木)


鴨川川床カフェめぐりをやってみました。もちろん、ひとりで。

真面目な話、うちのサイトで最も客が来るのは、川床カフェの記事です。
貴船で川床カフェを2軒めぐった記事です。ひろ文の記事ではなく、カフェの記事です。
祭やイベントなどの時事的な瞬間風速により、他の記事が最多記録を越すことはありますし、
何故か 「祇園花月 ガラガラ」 というワードで来る人が、トップに迫る勢いで多かったりもしますが、
継続かつ安定して高い数字を稼ぎ続けてくれるのは、あくまでも貴船の川床カフェの記事です。
「貴船 川床 安い」 または 「貴船 カフェ」 あるいは 「川床 カフェ 安い」 といったワードで、
検索結果の時点でも根性最低とわかるこんなサイトにさえ、多くの方がやって来るわけであります。
「消費者のニーズに応える」 という正論の暴力が、至る所で文化&精神の破壊を巻き起こし、
「根源的懐疑の忘却」 という欲望の下、利害が真逆であるはずの資本と貧民が結託する、現代日本。
そんな腐った状況に反旗を翻すべく、わかりやすさ&便利さを徹底排除してる当サイトとしては、
いくらニーズが高かろうと 「川床 安い カフェ」 的な激安万歳記事を量産するわけには、いきません。
しかし正直、目先の客も、欲しい。その大半が10秒以内に帰る直帰客であっても、正直、欲しい。
心の中で 「信念」 と 「目先の客」 を天秤にかけてみました。天秤、 「信念」 ではない方に傾きました。
えと、あの、何というか、そんなわけで、ひとりでめぐる川床カフェめぐり、めでたく復活です。
それも、今度はより客数が稼げそうな鴨川に於いて、復活です。いや、めでたい。実に、めでたい。
気温の保健所的問題のため、貴船と違って昼間の営業が5月&9月しかない、鴨川納涼床。
夜は夜で当然普通に稼ぎ時ゆえ、隙間営業的なカフェが開く期間&時間はかなり限られますが、
それでも昼床期間は幾つかの店舗が、比較的安く床を楽しめるカフェ営業を行ってます。
そんな鴨川川床カフェへ、激安ニーズを抱く同志の期待を背に、連続特攻をかけたわけです。
単純激安路線への一応の抵抗として、今回はサイドオーダー必須の掟も勝手に設定。
胃と心と財布を無為に痛めつけながらのめぐりぶり、おつきあい下さい。

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京風宮廷タイ料理・佛沙羅館で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2014年5月23日(金)


佛沙羅館で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

川床で供される料理は、京料理に限られるわけではありません。
川の風で涼みながらの食事が、川床の本義。故に、和食必須の掟など、本来はなし。
そんな本義を無限に拡大解釈するかの如く、現在の鴨川納涼床は多様な料理が揃ってます。
フレンチ、イタリアン、中華、韓国、エスニック etc 。 「和」 もひったくれもない、正に無国籍状態。
また、本義から考えれば座敷である必要もないということで、椅子席化する店も、増殖中です。
ホームセンターで安価に買えそうなテーブル&椅子が並ぶ床を、外からながら見かけると、
「風情が無い」 「単にテラス席」 「いや雪洞があるからビアガーデン」 と、勝手を言いたくなりますが、
しかしそんな外来食×椅子席の店に、多くの客が集まってるのもまた、紛れもない事実。
特に昼床では、客単価設定が低いめか、その手の店の賑わいがより露骨に顕著だったりします。
この現状、ベタの単独正面突破を趣旨とするうちとしては、見過ごすわけにはいきません。
当サイトでは、予算不足ゆえ昼床ばかりではありますが、川床へ何度か特攻を試みてきました
が、よりベタらしいベタさを押さえるため、赴いたのはいずれも、オーセンティックな和食店。
増殖を続ける椅子床&和食以外の床は、まだ全然フォローできてなかったのです。これは、いかん。
というわけで2014年の川床特攻は、京料理+座敷とは別のベクトルの店へ目を向けてみます。
で、今回赴いたのは、佛沙羅館。仏と言っても、精進料理の店ではありません。タイ料理の店です。
京都のタイ料理界では草分け的存在であり、町家をリノベした 「京風宮廷タイ料理」 が売り。
ですが私的には、路地入り口へ置かれた川床にあるまじきガッツきぶりを誇る立て看に、
「宮廷」 らしからぬ濃い口なインパクトを感じ、前の道を通る度に印象的な店だったりします。
タイ料理店ながら、夏期は川床もしっかり展開。5・9月は、お得な昼床もあり。
で、看板が誘う路地裏のタイ川床へ、白昼堂々忍び込んでみました。

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下鴨神社の名月管絃祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年9月19日(木)


下鴨神社の名月管絃祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「美」 を追い求める人間は、とどのつまり、夜空の月へとたどり着く。
花をねぶり回し、鳥を追いかけ回し、風流に狂い回った 「美」 のプリズナーたちも、
最終的には夜空に浮かび静かな光を発する月に、究極の 「美」 を見い出す境地へと到達する。
と、こんな風に 「花鳥風月」 の意味が語られることがあります。 「ゆえに、最後が月」 的な。
この 「月 = 上がり」 説、実は全然ガセだそうですが、ただ、妙な説得力を感じる人は多いはずです。
月が体現している、 「美」 の究極。または、 「美」 のデッドエンド。あるいは、 「美」 の最終解脱。
時に人を狂気へ誘いかねない、逝ってしまった 「美」 の魔力を、明らかに、月は持ってます。
そして、そんな 「美」 が最も露になる時こそ、十五夜お月さん aka 仲秋の名月ではないでしょうか。
「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (詠み人知らず) 」 などという、
「ああ松島や」 級のトートロジー炸裂短歌が詠まれるほど、デッドエンドな 「美」 を誇る、初秋の満月。
石を投げたら 「美」 の最終解脱者に当たるくらい、市井のそこら中で濃い口の好事家が蠢き、
「チャーミングチャーハン」 なるトートロジー or 狂気が滲む屋号を生むクレージータウン・京都でも、
この逝けてる名月は 「月が月で月だから」 という勢いで、大いに鑑賞され、愛でられます。
大覚寺の観月の夕べをはじめとして、ロイヤルな趣向の月見イベントを催すロイヤルな寺社も多く、
今回特攻をかけた下鴨神社の名月管絃祭もまた、そんなロイヤルな月見イベントのひとつ。
平安期の神事 「御戸代会 (みとしろえ) 」 を、昭和38年に再現再開したというこちらの名月管絃祭、
秋の稔りを前に、天下泰平と五穀豊穣を祈願し、雅なる伝統芸能を奉納するというものです。
実にロイヤル。誠にロイヤル。で、お代もロイヤル。とか思いそうですが、しかし入場は基本、無料。
「観月茶席」 なる茶席こそ有料ですが、筝曲や尺八など芸能は無料で拝めるため、
街中の 「美」 の最終解脱者が大挙して押しかけ、雅ならざる混雑を呼ぶ催しとなってます。
そんな名月管絃祭、私も 「美」 を最終解脱すべく、行ってきました。

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干菜寺へ小山郷六斎念仏奉納を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年8月20日(火)


干菜寺へ小山郷六斎念仏奉納を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都の六斎念仏は、二つの系統に分類できると言われてます。
一方は、元来の念仏フォーマットを遵守して、鉦と太鼓のみで演奏される、念仏六斎。
もう一方は、「花の都」 ゆえに溢れる芸能を導入しまくって、極度にエンタメ化した、芸能六斎。
どちらの系統にも、京都 or 京都外に点在する講中へ免許を授ける総括寺院が存在し、
念仏六斎の 「干菜寺系」 、芸能六斎の 「空也堂系」 なる呼称は、その寺名から出来たわけです。
総括寺院が分かれてるからといって、両系統がバトルしてるということはもちろんなく、
時代の流れの中で転向した講も多数存在し、特に念仏六斎から芸能六斎への転向組は、多し。
念仏と言えどやはり楽しいのが一番なのか、空也堂系は江戸期以降、大いに勢力を伸ばし、
遂には京都の大半の六斎講中が芸能化、その状態は現在に至るも続いてたります。
しかし一方では逆に、芸能六斎から念仏六斎へ転向した上鳥羽橋上鉦講中のようなケースも存在し、
両系統の交錯ぶりはなかなかに面白かったり、あるいはミステリアスだったりするんですが、
そんな交錯ぶりがより顕著に表われてるのが、干菜寺での小山郷六斎念仏奉納ではないでしょうか。
干菜寺。正式名称、干菜山光福寺。言うまでもなく、干菜寺系念仏六斎の総本寺です。
秀吉が訪れた際に干菜を献じたことから、現在の通称を授けられたという由緒を持つ、干菜寺。
授けられたのは通称だけでなく、六斎念仏の講を統括する免状もまたもらったようで、
干菜寺は 「六斎念仏総本寺」 として、以後広範に伝播する六斎の宗教的支柱となっていきます。
が、先述の通り、時代を下ると干菜寺系はどんどんと空也堂系にシェアを食われまくり、
地元の田中六斎も途絶状態、盆の奉納は近所の空也堂系・小山郷六斎が行うようになりました。
そう、つまり念仏六斎の 「総本寺」 において、空也堂系の芸能六斎が奉納されるわけです。
不思議といえば不思議、奇遇といえば奇遇、時代の流れといえば時代の流れですが、
とにかくそんな干菜寺での芸能全開な六斎奉納、観てきました。

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南丹市やぎの花火大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年8月14日(水)


南丹市やぎの花火大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

軍人の墓を初めて見たのは、母の実家がある八木の墓地でした。
父方の墓地でも、近所の墓地でも、何故か軍人の墓を見たことがなかった幼い私は、
母方の祖父の墓参りへ出かけた際、初めて目にした形状の墓を指さして、母に尋ねたのでした。
「なんであのお墓、先っちょが尖ってるのん」 「あれは戦争で死なはった人のお墓やから」 。
あ、別に祖父が戦死した軍人だったというわけではありませんよ。全然、全く、違います。
祖父は、酒に狂い、 「俺はマッカーサーの通訳やった」 と妄言を吐き、DV三昧の末、野垂れ死。
母が 「死んで、嬉しかった」 と語るような人なんですが、ゆえに里帰りの際も墓参りはあまり行かず、
ゆえに数少ない墓参りで目にした 「戦争」 の痕跡が、私には妙に強く印象に残ったのでした。
八木町が、他の地域と比べて特に戦没者が多いところなのかどうかは、よくわかりません。
が、恐らく戦後すぐの頃には日本の至るところで開催されていたであろう戦没者慰霊の花火大会が、
失礼ながら決して大きいとは言えないこの町で、形を変えながらも盛大に継続されているのは、
私には、どうでもいい個人的記憶とも結びついて、妙にしっくり来ることだったりします。
2005年の大合併で南丹市の一部になりましたが、それ以前は独立した町だった、京都府八木町。
またまた失礼ながら、農業と男前豆腐以外にはこれといった産業も、観光資源も無い町ですが、
それゆえなのか何なのか、戦後すぐに戦没者慰霊で始めたお盆の花火大会は、徹底死守。
死守のみならず花火の規模はどんどん巨大化し、超至近距離で5000発の花火が炸裂する様は、
戦没者慰霊というより、もはや爆撃そのものの再現としか思えないほどの迫力を、現出。
そのあまりの凄まじさゆえ、近隣住民&私の家族みたいなお盆で里帰りする連中は無論のこと、
京都市 or 関西圏全域からも客を集める、メジャーな花火大会へと成長しています。
もちろん私にとっても、正気だった子供の頃に何度も見た、思い出のある花火大会です。
そんな思い出のある花火大会、狂気の独り身で再訪してみました。

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下鴨神社・糺の森の納涼古本まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年8月11日(日)


下鴨神社・糺の森の納涼古本まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「納涼」 と冠されたものの多くは、実際、大して涼しくありません。
「納涼花火大会」 「納涼ビアガーデン」 「納涼盆踊り」 「納涼船」 など色々ありますが、
そのいずれもが実際はさほど涼しくないという 「真実」 を、知らない人は今やいないでしょう。
現代の夏において、最も効率良く涼が得られるのは、言うまでもなく、冷房が効いた部屋。
震災以降、様々な節電の動きが起こり、様々な 「冷房以外」 の納涼方法が模索されてますが、
画期的な手段は現れず、 「クーラーやっぱり最高」 と文明の利器を再認識しがちなのが現状です。
盆地性の性悪な暑気が充満しまくる京都の夏においても、この辺の事情は全く変わりません。
川からの熱風を感じながら 「風流だ風流だ風流だ」 と自己暗示をかけて飯を食う鴨川川床を筆頭に、
京都の野外で行われる様々な 「納涼」 イベントは、その大半が名に反し、暑苦しかったりします。
世界遺産・下鴨神社の糺の森において、8月中旬、お盆の頃に開催される 「納涼古本まつり」 もまた、
「納涼」 と冠しながら全く涼しくない、逆に暑苦しさが極限域でバーストする、恐怖のイベントです。
都会の真ん中ながら原生林に近い状態を誇る糺の森、そこに聳える大樹の陰を利用する形で、
葵祭・流鏑馬神事会場である馬場に大量の古書店&数十万の古書が並ぶ、 「納涼古本まつり」 。
「自然の恵みたる木陰の涼を感じながらの本探し」 と、文字にすると優雅かつ知的な感じがしますが、
世界遺産の木陰であろうが何であろうが、実際の現場は当然のように死ぬほど暑いのであり
そしてあまり人のことは言えませんが、古書市ゆえに集まるのは暑苦しい独男ばっかりなのであり、
そんな独男たちが汗だくになって本を探し、ゲットした大量の本を汗だくになって運ぶという、
体育会系の阿呆学生でさえ逃げ出しそうな、完全に体力勝負の世界が展開されるのであります。
暑さと共に、ネイティブ京都の妙な過剰さ、バースト感にも溢れてる気がする 「古本まつり」 、
私は単に本を探しに出かけてるんですが、2013年は特に面白いくらい暑かったので、
本を漁る最中にちょこちょこと写真を撮って、ざっくりと記事に仕立ててみました。
熱中死と背中合わせで古書を漁るバースト感、お楽しみ下さい。

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下鴨神社の夏越・矢取神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年8月6日(火)


下鴨神社の矢取神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

旧暦。それは、今もなお京都を影で支配し続ける、ルール。
東京遷都以降の全てを否定したい」 という集合無意識が働いてるのか何なのか、
とにかく新暦導入から100年以上経過した現在も、京都では多くの局面で旧暦が稼働してます。
例えば、正月以上に盛り上がる本来の正月 = 節分。例えば、月送りの8月に営まれる、お盆
例えば、やはり月送りの8月に堂々と 「七夕」 を名乗り、電飾で集客を目論むイベント 「京の七夕」
などなど、この街のタイムテーブルを規定する旧暦の力は、21世紀も衰える様子はありません。
半期に一度のスピリチュアル・デトックスである夏越祓もまた、いくつかの神社は旧暦で実施。
一番有名なのは、祇園祭の〆として7月末日に茅の輪くぐりを行う八坂神社摂社・疫神社でしょうが、
伏見の氏神・御香宮神社、そしてかの世界遺産・下鴨神社も、旧暦タイムで夏越祓を行ってます。
下鴨神社の夏越祓に至っては、より本来の定義に準じた仕様とするためか、立秋前夜に、実施。
さらには、茅の輪のみならず、「裸男」 による水中斎串取り合い大会である 「矢取神事」 も、実施。
下鴨神社の祭神である玉依媛命が、糺の森の中を流れる瀬見の小川で川遊びをしてると、
丹塗矢が流れつき、それを持ち帰った玉依媛命は、上賀茂神社祭神・賀茂別雷命を懐妊したという、
何となくセクシャルなメタファーが散りばめられてる感じがしないでもない同社の神話に因み、
やはり何となくセクシャルな裸男が、何となくセクシャルな矢をめぐり大暴れを演じる、 矢取神事。
この荒行のインパクト&時期が他と隔絶してるため、夏越としての印象はやや希薄ですが、
旧暦の街・京都を代表する神社に相応しいタイミングの夏越祓であることは、間違いないでしょう。
そんな下鴨神社の夏越・矢取神事、暑さは全く立秋してませんが、行ってきました。
一瞬の大騒ぎで 「夏を越す」 その一瞬さ加減、御堪能下さい。

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MOVIX京都へ 『風立ちぬ』 を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2013年7月25日(木)


MOVIX京都へ 『風立ちぬ』 を観に行きました。もちろん、ひとりで。

『風立ちぬ』 。言うまでもなく、宮崎駿、2013年の最新作です。
それが何か京都に関係あるのかといえば、関係ありません。全く何も、ありません。
では何故記事にするかといえば、ネタにして映画代の元を取りたいのが一番の理由ですが、
同時に近年の京都、いや新京極周辺に於ける映画状況の激変に触れたかったからでもあります。
私が最後にジブリ作品を京都で観たのは、今から十何年も前の、 『もののけ姫』 でした。
で、後の作品は基本、スルー。 『千と千尋』 は大阪で安い日に観ましたが、後は全て、スルー。
予告篇だけで 「駄目」 と断定し、NHK特番だけ眺めて 「オッサン、まあ勝手に頑張れよ」 と済まし、
作品自体はTV放送さえ無視し続けてきたんですが、今回の 『風立ちぬ』 は、何か来たな、と。
『もののけ』 予告の土鬼なタタリ神&首チョンパ&腕ピョーン以来の、本気感、ガチ感を感じたのです。
というわけで、上映されてるシネコン・MOVIX京都へ、レイトショー狙いで出かけたんですが、
そういえば 『もののけ姫』 を観た1997年頃って、こんなシネコン、なかったなあ、と。
ジブリなら、東宝公楽か、京宝か、あるいは京極東宝か。でも、どこも全部、つぶれたなあ、と。
というか、河原町&新京極の映画館自体、全滅したなあ、と。シネコン一館以外は、全滅したなあ、と。
明治初頭の府による上地+歓楽街としての再開発以前から、多くの寺と芝居小屋が林立し、
近代に入るとその芝居小屋がストレートに映画館へ移行したという歴史を持つ、映画の街・新京極
そんな由緒を持つがゆえに、劇場の存在はこの街のレゾンデートルだと思ってたんですが、
シネコン化の流れの前には、そんなゴタクは屁のツッパリにもならなかったようです。
十数年ぶりにジブリ作品を京都で観ることで、私はその現実を急に意識して、愕然としたのでした。
というわけで、映画を見る前に潰れた映画館跡をめぐって徘徊し、時の流れを感じることで、
単なる個人的な映画鑑賞を、無理矢理に記事に仕立て上げてみようと思います。
凡庸な時代の波を凡庸に受けまくる凡庸な地方都市としての京都の姿を、
何となくでも感じ、そして楽しんでもらえると、幸いです。

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安楽寺の鹿ヶ谷カボチャ供養へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月25日(木)


安楽寺の鹿ヶ谷カボチャ供養へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京野菜の多くは、その原産地が京都ではありません。
代表格とも言える聖護院大根を筆頭に、大半が外から持ち込まれた外来種です。
いや、「だから偽物だ、ブランディングという名の詐欺だ」 みたいな話がしたいのではありません。
そもそも日本の野菜自体、大半が、外来種。和食に使われる野菜も、実は大半が、外来種。
京野菜も、事情は同じです。違う点があるとすれば、この地に持ち込まれて以降の変化でしょう。
京都に移り住んだ人間が、この地が持つ妖しき霊気によってどんどんと精神を浸食され、
やがて根性が腐り魂が歪み、何の根拠もなく 「京都が一番」 と盲信する京都人へ化けるのにも似て、
この地へ持ち込まれた野菜の幾つかは、パッと見レベルでさえそれとわかる変化を被りました。
全く大根に見えない先述の聖護院大根、海老というより何かの幼虫っぽい海老芋と並び、
そんな変態京野菜の典型が、何をどう見ても瓢箪にしか見えない鹿ヶ谷カボチャではないでしょうか。
江戸後期、津軽より種が持ち込まれ、鹿ヶ谷に於いて栽培が始まったという、鹿ヶ谷カボチャ。
元々はノーマルな見た目だったそうですが、陰謀と縁深い土地で連作を重ねたためか、形状が変化。
かなり最近に至るまで 「ひょうたんなんきん」 と呼ばれていたことが即座に納得できるくらい、
実に瓢箪テイスト満開、いや、もう瓢箪でなければ何だというくらいのビジュアルを持つに至ってます。
そんな 「ひょうたんなんきん」 、明治の中頃までは鹿ヶ谷でよく栽培されてそうですが、
それ以降は新品種 = 現在の菊座型である普通のカボチャに押され、絶滅寸前にまで衰退。
かろうじてその命脈を繋ぎとどめたのは、鹿ケ谷の安楽寺で毎年夏に行われるカボチャ供養でした。
いわゆる 「建永の法難」 で知られる安楽寺と、カボチャ。どう繋がるのかは、知りません。
多分、単に近所の誼なんでしょうが、とにかくそれで鹿ケ谷カボチャは生き残ったのであります。
カボチャ供養はもちろん現在も行われていて、中風除けの御利益で人気も結構、高し。
私も、現在のところは大丈夫ですが、いつ中風になってもおかしくない体質なので、
健康体へ変態する陰謀を胸に秘めつつ、鹿ケ谷へ向かったのでした。

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八幡ナイトウォークをやってみました。もちろん、ひとりで。

2013年7月22日(月)


八幡ナイトウォークをやってみました。もちろん、ひとりで。

「そうだ 京都、行こう」 連携の夜間拝観をしている、2013年夏の石清水八幡宮
あれ行って、ライトアップを存分に堪能してから、あなた、どうしますか。そのまま、帰りますか。
「そうだ」 のロゴ入り提灯を返すため、ケーブル山上駅へ帰るしかない、と。そりゃまあ、そうですね。
で、ケーブルで下へ降りたら、そのまま真っ直ぐ京阪電車に乗る、と。で、帰る、と。
だって、しょうがないじゃないか、と。山上にも山下にも、めぼしい遊びスポットはないじゃないか、と。
駅前には、居酒屋が一軒あるだけじゃないか、と。他はあたり一面、漆黒の闇じゃないか、と。
確かに、そうです。そそくさと帰って、当然です。しかし、それでもやはり、惜しい。
八幡には、色々と面白い所があります。石清水八幡宮を中心に、色々と面白い所があります。
京都の裏鬼門を守護する社として、または源氏の武神として、あるいは厄除の神様として、
キナ臭い創建以来1000年以上に渡り、貴賎を問わない信仰を集め続けてきた、石清水八幡宮。
その歴史の痕跡は、鎮座する八幡山 = 男山の周囲に、様々な形で紛れ込んでいます。
あるものは、観光資源に化けそうな魅力を持ってたり。あるものは、観光化が絶対不能だったり。
電飾や映像技術で偽装された幽玄さに陶酔するのも大いに結構ではありますが、
現代生活と 「歴史」 がコンフリクトする、そんなリアルな町の姿も見たいとは思いませんか。
というわけで、夜間拝観の帰りに八幡をゆっくり巡るウォーキング、設定してみました。
名づけて、八幡ナイトウォーク。歩行距離、約12キロ。所要時間、約4時間。
グーグルで 「京都府八幡市」 と検索したら 「治安」 とキーワードが提示されるような町を、
夜、真っ暗の中、不審者全開でウロウロと歩きまわろうというわけです。
独男にしか、出来ないことであります。そして、独男だけの楽しみでもあります。
歴史丸出しなスポットから、単なる地元民愛着丸出しスポットまで、
生の八幡を感じるウォーキング、さあ、出発しましょう。

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石清水八幡宮の夏の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月20日(土)


石清水八幡宮の夏の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「そうだ 京都、行こう」
「人の住んでる所を、そうだ呼ばわれすんな」 と言いたくなるこのフレーズが、
JR東海による新幹線の広告キャンペーンに使われるようになり、もう20年もの時間が経ちました。
東京から2時間というタイム感を、 「そうだ」 という無礼千万な一言を用いて表現したことで、
より京都旅行をカジュアルに、そして気軽にリピートさせることにも成功した、「そうだ 京都、行こう」 。
古典的なパックツアーを、行き先だけちょこっと目先を変えて 「上質」 なるものに化けさせ、
おかげで狭い寺に大量動員をかけ、無茶苦茶な混雑を生んだりもしてる、「そうだ 京都、行こう」 。
自分で勉強したり調べたりするのは面倒だけど、 「私だけのお気に入り」 の京都は欲しい。
知性を圧迫してエゴだけが膨張した消費者の、そんな勝手極まるニーズにもしっかりと応え続け、
京都もまた奥が深いがゆえに、無茶な注文に対応が出来てたキャンペーンなわけです。
しかし、さすがに20年もやってるとネタ切れとなったのか、「そうだ 京都、行こう」 、
遂に私の地元である石清水八幡宮にまで、その魔の手を伸ばしてきました。
「まあ神社自体はそれなりに大きいけど、それ以外は特に目ぼしいスポットは、ないぞ」
「女子供に受けがいいメシ屋やスイーツなんか、全然ないぞ」 「夜なんかもう、ゴーストタウンだぞ」
と、地元民としては思うことしきりだったりするんですが、そんなのは全て、杞憂でした。
石清水八幡宮、従来は石清水灯燎華で3日間しか行われなかったライトアップを、
キャンペーンと提携した 「夏の夜間特別拝観」 として、7月中旬から8月末まで、1ヶ月半も開催。
地元商工会も、これを機に観光客を呼び込もうと、特設ステージやイベントを用意
「私のお気に入り」 になることを、目指すというわけです。鳩が、鷹になろうというわけです。
そんな地元の奮闘、 「絶対無理じゃ」 と思いながらも、観に行ってきました。

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八幡駅近観光をやってみました。もちろん、ひとりで。

2013年7月20日(土)


八幡駅近観光をやってみました。もちろん、ひとりで。

「八幡って、石清水八幡宮の他に何があるの?」
よく訊かれる質問、ではありません。そもそも大抵の人は、八幡にあまり興味がないので。
しかし2013年の夏は、石清水八幡宮がかの 「そうだ 京都、行こう」 の提携先に選ばれました。
捏造された京都幻想を抱えた幾ばくかの人が、捏造されたCMと全然違う八幡さんに落胆したのち、
懲りずに 「私のお気に入り」 を捜し求め、物欲しげに八幡市内をうろつくことが予想されます。
その中には、背景ボカシの彼方やフレーム外へ抹殺された真実を愛せる心を持ちながらも、
一時の気の迷いで 「そうだ」 の導きに乗っかってしまった、独な同志の方もいるかも知れません。
消費者ボケした享楽乞食のレミングなど、ポンコツ街道でスクラップにされてしまえばいいのですが、
同志の方が、ケーブル乗って、八幡さんをお参りして、何なら松花堂弁当も食って、
「ふーん」 という感慨だけ抱いて帰ってしまうというのも、それはそれで、残念ではあります。
というわけで、石清水八幡宮参拝のついでに小さめの観光スポットを回るコース、設定してみました。
八幡には、流れ橋松花堂など結構いろんなスポットがあるんですが、生憎、いずれも遠い。
流れ橋は、アクセスも、よろしくない。レンタサイクルは無料ですが、今の時期、暑い。
なので、駅から徒歩10分程度の範囲内にあるスポットだけで、コースを設定。
駅近で一番スペクタクルで面白いのは、神応寺の記事でも紹介した駅前渓谷なんですが、
ここは本当にスペクタクル過ぎて、雨が降った後とかだと怖過ぎるのでパスし、
平地の穏やかな門前町をめぐり、最後はおやつのかき氷で締める仕様としています。
幼少期の私の行動圏である、静かでのんびりした八幡を、お楽しみ下さい。

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山鉾を一切見ずに2013年の祇園祭・山鉾巡行を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2013年7月17日(水)


山鉾を一切見ずに祇園祭・山鉾巡行を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

菊地成孔+大谷能生 『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』 では、
マイルスの最高傑作である 『Kind Of Blue』 について、一切言及がなされてません。
アーティスト研究を行う上で、外すことが絶対出来ない作品を、敢えて空白にするという、暴挙。
そして、対象の中心を隠蔽するその暴挙が、対象の本質をより浮かび上がらせるという、マジック。
よくわからんけど、そういうの、何か格好いい。よくわからんけど、そういうの、やってみたい。
という高踏極まる動機から、2013年の山鉾巡行追尾は、山鉾をほぼ一切見ずにやってみました。
祇園祭の顔、いや、京都観光のアイコンとも言える山鉾巡行の中心を、敢えて隠蔽する。
その暴挙により、京都観光、いや、京都そのものの本質を、浮かび上がせてみようと思うのです。
いやあ、格好いい。こんなことを思いついた俺、実に格好いい。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。
えと、いや、あの、山鉾隠蔽には他にも一応、動機があります。後祭の復興が、そうであります。
観光集客力アップ+交通規制日削減+仕事止まるの堪忍しとくれやすなどの理由から、
元来は17日前祭+24日後祭の2回開催だった山鉾巡行が17日に一本化されたのは、昭和41年。
以来、巡行が持つ信仰の空洞化&周囲の馬鹿騒ぎ化は果てしなく進行したわけですが、
そんな高度経済成長期的アホアホメタボリズムを捨て、2014年、後祭が復活するのであります。
それは、当事者である山鉾町の人たちにとっては当然、悲願の旧儀復興となるのでしょう。
が、私のような外野の人間からすると、「昭和の無形遺産が消える」 という印象がしなくもありません。
馬鹿のような暑さの中で、馬鹿のような混雑の中を歩き回り、巡行後半は客の大半が半死半生。
そんな 「昭和」 な馬鹿騒ぎが、消えるかも知れない。そう思うと、少し寂しくなったのです。
という意味不明な感傷+先述の中二病+おまけに当日の天気も今イチで写真が撮りにくいため、
思い切って山鉾には目を向けず、肥大化の末に消えていく外縁ばかりを見つめてみました。
やはりマイルスのアルバム 『In A Silent Way』 の 「Shhh/Peaceful」 において、
テーマを全カットした編集が音響の新しい地平を開いたようなマジックが、ここでも起こるのか。
それとも、ただ単に 「肉抜きの牛丼」 みたいなもんに成り果てるだけで、終わるのか。
中心を隠すことで浮かび上がった本質、その目でお確かめ下さい。

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祇園祭の宵宮祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月15日(月)


祇園祭の宵宮祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇園祭を 「二つの祭が同時進行している」 と言ったのは、山路興造
いわく、平安期から八坂神社主体で行われている神輿渡御が中心の 「祇園御霊会」 と、
中世以降の下京町衆主体で行われる山鉾巡行中心の 「祇園祭り」 が、同時進行している、と。
( 平凡社刊 『別冊太陽 京の歳時記 今むかし』 中 「月次の京・七月」 の項より )
もちろん実際は、両者は密接に関わり合い、山鉾巡行もそもそもは神輿渡御の先触れです。
が、現場を歩くと、山鉾町と八坂神社近辺で空気が違うと感じられるのもまた、確かだったりします。
山鉾町に漂う、むしろこちらを 「御霊会」 と呼びたくなる、闇や恐怖さえ孕んだ独特の雰囲気。
そして八坂神社と門前の祇園町に漂う、一転してオーソドックスかつ大らかな、神祭りの雰囲気。
いろんな意味&点でややこしそうなので、私には何もわからんとしか言えない話ですが、
とにかく空気の違いは明白に存在し、その辺がクリアになるのがこの宵宮祭以降ではないかな、と。
もう充分に知られてるようで、案外やっぱり知られてないようですが、祇園祭にも神輿は出ます。
神輿は無論、神様の乗り物。ゆえに、神輿が出る場合、本殿から神様を遷す儀式が、必須。
というわけで、祇園祭でもこの儀式は当然執行され、行われる日は神幸の2日前である、7月15日。
一般的には 「宵々山」 の夜に、八坂神社では 「宵宮祭」 として遷霊神事が行われるわけです。
遷霊の儀式そのものは、境内の照明完全オフ+撮影も完全禁止という、極めて厳粛なもの。
厳粛過ぎて、何やってるのかわからんくらい地味だったりしますが、とにかく、極めて厳粛なもの。
しかし、門前の祇園商店街は、 「宵宮神賑奉納・前夜祭」 として様々なイベントを開催。
その賑わいの空気が、先述のように山鉾町とはちょっと違うテイストなのが、面白かったりします。
そんな宵宮祭、混雑の酷さは山鉾町よりほんの少しだけマシ or ほぼ変わりませんが、
より本義に近い儀式と賑わいの香りを嗅ぐべく、突っ込んでみました。

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地主神社の恋愛成就七夕祭りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月7日(日)


地主神社の恋愛成就七夕祭りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「天漢 相向き立ちて わが恋し 君来ますなり 紐解き設けな (by 山上憶良) 」
という露骨極まる歌が示す通り、七夕は、実に愛欲溢れる伝説に因んだ節句であります。
互いを求め合う二つの星、琴座の主星・ベガこと織女星と、鷲座の主星・アルタイルこと牽牛星。
二星を隔てるのは、天の川。年に一度、七夕の夜空が晴れたら、二星は川を渡り、逢瀬を果たせる。
そんな、 「紐解き設けな」 となるのも当然な、それこそ 「セッス!セッス!」 な節句なのです。
が、色恋に関わることなら何であろうが商売のネタにする、腐り切った現代消費社会にあって、
この七夕、イベントとして大きな盛り上がりを見せてる感じは、はっきり言って、ありません。
新暦への移行により七夕当日が梅雨の真っ只中となって、星が大抵見えないのが悪いのか、
年一というスパンが、コンビニエントな性生活に慣れた現代人には生殺しプレイにしか見えないのか、
とにかく現状として七夕は、もっぱら児童向けの短冊吊るし大会になってる感が、否めません。
が、地主神社は違います。京都で最もメジャーな縁結びスポットである地主神社は、違います。
京都観光のキング・オブ・キングである清水寺の境内にあって、神代にまで遡る凄まじい歴史を誇り、
清水寺と共に世界遺産の指定もバッチリと受けている、あまりにも由緒正しき社、地主神社。
しかし近年は 「愛のちかい」 「しあわせ」 「よろこび」 「キューピッド」 「恋の願かけ絵馬」 などなど、
縁結びアイテムを大量リリース、その 「本気」 ぶりが各方面から注目を集めること、しきりです。
そんな地主神社、七夕という商機を見逃すはずもなく、 「恋愛成就七夕祭り」 なる祭を開催。
一対500円の紙こけしに自分&好きな人の名を書き、笹へ結わえ付けて恋愛成就を祈願するという、
「商売繁盛で笹持って、恋」 と思わず連呼したくなるような、実に景気の良い祭りであります。
当日の現場はもちろん、清水寺の超ベタな観光客+色恋に飢えた女子が、溢れまくり。
そんなアウェー地獄へ、「紐解き設け」 る人などいない独男が、特攻してみました。
折しも当日は、日曜。アウェー混雑+猛暑との死闘、見届けて下さい。

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祇園祭の長刀鉾町稚児舞披露を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月5日(金)


祇園祭の長刀鉾町稚児舞披露を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

注連縄切りで山鉾巡行をスタートさせる、長刀鉾の生稚児。
正に祇園祭の 「顔」 的存在ですが、同時に、実にミステリアスな存在でもあります。
初期の祇園会に於いて貴人より調進されたという 「神の寄り坐し」 としての稚児・馬長童とも、
中世以降の祭で激化した風流の羯鼓稚児とも言われる、そのルーツからして既に、ミステリアス。
また、 「神の使い」 扱いとはいえ十万石の大名と同じ格式を授けられるのもミステリアスなら、
かつては船鉾以外の全ての鉾に乗ってたのに現在は長刀鉾にのみ残るというのも、ミステリアス。
さらに、葵祭の斎王代と同じく知らんところで知らん間に選考決定されるのもミステリアスなら、
でも決まった子供の家は常に誰もが知ってる有名な家だったりするあたりもやはり、ミステリアス。
実にミステリアスなのであります。いろんな意味で、実にミステリアスなのであります。
そんなミステリアスな生稚児が、まだ祭のムードも希薄な7月初頭の街中へ突如として登場し、
山鉾巡行の際と同じ舞を、大半が仕事中の通行人に向かい披露するのが、7月5日の吉符入りです。
吉符入りとは、祇園祭の開始にあたって各山鉾町にて行われる神事始めのことですが、
唯一鉾に乗る生稚児を擁する長刀鉾では、この神事始めに於いて稚児の紹介や盃などに加えて、
山鉾巡行の際に舞う 「太平の舞」 の神前披露および町会役員による審査が行われます。
のみならず、めでたく審査に合格した生稚児は、会所二階を鉾に見立て、外へ向かって舞を披露。
無論、当日の会所前には好き者が集いまくるため、その若干無法気味な混雑も相まって、
事情を知らない人からすれば、かなりミステリアスに見えるであろう奇景が展開されるわけです。
祇園祭の端緒を飾る、そんなミステリアスな稚児舞披露、出かけてみました。
一般人が観れるのは舞のみゆえ、ネタ不足を補うべく街ブラが多量に混入してますが、
その辺から伝わるかも知れない街の温度感も楽しんでもらえると、幸いです。

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夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

2013年6月30日(日)


夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

いい歳をした、独男。その、穢れ切った精神と肉体。
肉体はあらぬ快楽で怒声を上げ続け、魂は無力感と万能感の狭間で腐り続け、
さらには、腐臭漂う己の生き様を、ネットを通じてなるべく広範に伝染させようと目論み、
自意識の臭気を汁にして目から飲ませるような暑苦しいサイトを作り続ける、筆の生えた糞袋。
そんなカス野郎の、穢れに穢れた穢れを祓おうとするなら、普通の祓いでは全く足りません。
質的にも量的にも肥大した糞袋っぷりを糺すには、質的にも量的にも肥大した祓いが必要なのです。
そう、例えば、大祓に用いられる茅の輪を、大量に、かつ連続して、くぐりまくるとか。
半年分の穢れをくぐり一発で祓うスピリチュアルリング = 茅の輪を、立て続けにくぐりまくれば、
あるいは独男の穢れ切った精神と肉体も、穢れなき少年のような輝きを取り戻すかも知れない・・・。
そんな藁をも掴む気持ちで、神社を求めウロウロ徘徊する夏越祓の茅の輪くぐりまくり、
2013年度上半期も、湿気爆発な梅雨真っ盛りの京都を舞台に、しっかりやってしまいました。
魂の救済というテーマを掲げ、でもやることは単なる街ブラ&嘘スピリチュアルという外道なこのネタ、
2011年度は東山周辺を中心に2012年度は堀川通を中心に、それぞれ徘徊しましたが、
2013年度のメインターゲットエリアは、一大観光地・嵐山をスタート地点とする、洛西・右京区。
理由は、特にありません。東と真ん中を攻めたのか、今度は西方面かな、と。そんな感じ。
また、厳密に西へこだわったわけでもなく、最後には北野一帯へ流れ付いたりと、極めて適当です。
が、適当に歩いても尚、かなりなボリュームの神社にかなりの頻度で遭遇する京都の濃さ、
そしてそんな濃さの中で息づくネイティブな匂いみたいなものは、多少は感じてもらえるかなと。
それでは半期に一度のスピリチュアル・デトックス or 存在の膿の大棚ざらえ、
梅雨真っ盛りの不快極まる梅雨空ですが、さあ、出発しましょう。

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