夏も、ひとり - ひとりでうろつく京都 (β版) - Page 4

下鴨神社・糺の森の納涼古本まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年8月11日(日)


下鴨神社・糺の森の納涼古本まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「納涼」 と冠されたものの多くは、実際、大して涼しくありません。
「納涼花火大会」 「納涼ビアガーデン」 「納涼盆踊り」 「納涼船」 など色々ありますが、
そのいずれもが実際はさほど涼しくないという 「真実」 を、知らない人は今やいないでしょう。
現代の夏において、最も効率良く涼が得られるのは、言うまでもなく、冷房が効いた部屋。
震災以降、様々な節電の動きが起こり、様々な 「冷房以外」 の納涼方法が模索されてますが、
画期的な手段は現れず、 「クーラーやっぱり最高」 と文明の利器を再認識しがちなのが現状です。
盆地性の性悪な暑気が充満しまくる京都の夏においても、この辺の事情は全く変わりません。
川からの熱風を感じながら 「風流だ風流だ風流だ」 と自己暗示をかけて飯を食う鴨川川床を筆頭に、
京都の野外で行われる様々な 「納涼」 イベントは、その大半が名に反し、暑苦しかったりします。
世界遺産・下鴨神社の糺の森において、8月中旬、お盆の頃に開催される 「納涼古本まつり」 もまた、
「納涼」 と冠しながら全く涼しくない、逆に暑苦しさが極限域でバーストする、恐怖のイベントです。
都会の真ん中ながら原生林に近い状態を誇る糺の森、そこに聳える大樹の陰を利用する形で、
葵祭・流鏑馬神事会場である馬場に大量の古書店&数十万の古書が並ぶ、 「納涼古本まつり」 。
「自然の恵みたる木陰の涼を感じながらの本探し」 と、文字にすると優雅かつ知的な感じがしますが、
世界遺産の木陰であろうが何であろうが、実際の現場は当然のように死ぬほど暑いのであり
そしてあまり人のことは言えませんが、古書市ゆえに集まるのは暑苦しい独男ばっかりなのであり、
そんな独男たちが汗だくになって本を探し、ゲットした大量の本を汗だくになって運ぶという、
体育会系の阿呆学生でさえ逃げ出しそうな、完全に体力勝負の世界が展開されるのであります。
暑さと共に、ネイティブ京都の妙な過剰さ、バースト感にも溢れてる気がする 「古本まつり」 、
私は単に本を探しに出かけてるんですが、2013年は特に面白いくらい暑かったので、
本を漁る最中にちょこちょこと写真を撮って、ざっくりと記事に仕立ててみました。
熱中死と背中合わせで古書を漁るバースト感、お楽しみ下さい。

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下鴨神社の夏越・矢取神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年8月6日(火)


下鴨神社の矢取神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

旧暦。それは、今もなお京都を影で支配し続ける、ルール。
東京遷都以降の全てを否定したい」 という集合無意識が働いてるのか何なのか、
とにかく新暦導入から100年以上経過した現在も、京都では多くの局面で旧暦が稼働してます。
例えば、正月以上に盛り上がる本来の正月 = 節分。例えば、月送りの8月に営まれる、お盆
例えば、やはり月送りの8月に堂々と 「七夕」 を名乗り、電飾で集客を目論むイベント 「京の七夕」
などなど、この街のタイムテーブルを規定する旧暦の力は、21世紀も衰える様子はありません。
半期に一度のスピリチュアル・デトックスである夏越祓もまた、いくつかの神社は旧暦で実施。
一番有名なのは、祇園祭の〆として7月末日に茅の輪くぐりを行う八坂神社摂社・疫神社でしょうが、
伏見の氏神・御香宮神社、そしてかの世界遺産・下鴨神社も、旧暦タイムで夏越祓を行ってます。
下鴨神社の夏越祓に至っては、より本来の定義に準じた仕様とするためか、立秋前夜に、実施。
さらには、茅の輪のみならず、「裸男」 による水中斎串取り合い大会である 「矢取神事」 も、実施。
下鴨神社の祭神である玉依媛命が、糺の森の中を流れる瀬見の小川で川遊びをしてると、
丹塗矢が流れつき、それを持ち帰った玉依媛命は、上賀茂神社祭神・賀茂別雷命を懐妊したという、
何となくセクシャルなメタファーが散りばめられてる感じがしないでもない同社の神話に因み、
やはり何となくセクシャルな裸男が、何となくセクシャルな矢をめぐり大暴れを演じる、 矢取神事。
この荒行のインパクト&時期が他と隔絶してるため、夏越としての印象はやや希薄ですが、
旧暦の街・京都を代表する神社に相応しいタイミングの夏越祓であることは、間違いないでしょう。
そんな下鴨神社の夏越・矢取神事、暑さは全く立秋してませんが、行ってきました。
一瞬の大騒ぎで 「夏を越す」 その一瞬さ加減、御堪能下さい。

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MOVIX京都へ 『風立ちぬ』 を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2013年7月25日(木)


MOVIX京都へ 『風立ちぬ』 を観に行きました。もちろん、ひとりで。

『風立ちぬ』 。言うまでもなく、宮崎駿、2013年の最新作です。
それが何か京都に関係あるのかといえば、関係ありません。全く何も、ありません。
では何故記事にするかといえば、ネタにして映画代の元を取りたいのが一番の理由ですが、
同時に近年の京都、いや新京極周辺に於ける映画状況の激変に触れたかったからでもあります。
私が最後にジブリ作品を京都で観たのは、今から十何年も前の、 『もののけ姫』 でした。
で、後の作品は基本、スルー。 『千と千尋』 は大阪で安い日に観ましたが、後は全て、スルー。
予告篇だけで 「駄目」 と断定し、NHK特番だけ眺めて 「オッサン、まあ勝手に頑張れよ」 と済まし、
作品自体はTV放送さえ無視し続けてきたんですが、今回の 『風立ちぬ』 は、何か来たな、と。
『もののけ』 予告の土鬼なタタリ神&首チョンパ&腕ピョーン以来の、本気感、ガチ感を感じたのです。
というわけで、上映されてるシネコン・MOVIX京都へ、レイトショー狙いで出かけたんですが、
そういえば 『もののけ姫』 を観た1997年頃って、こんなシネコン、なかったなあ、と。
ジブリなら、東宝公楽か、京宝か、あるいは京極東宝か。でも、どこも全部、つぶれたなあ、と。
というか、河原町&新京極の映画館自体、全滅したなあ、と。シネコン一館以外は、全滅したなあ、と。
明治初頭の府による上地+歓楽街としての再開発以前から、多くの寺と芝居小屋が林立し、
近代に入るとその芝居小屋がストレートに映画館へ移行したという歴史を持つ、映画の街・新京極
そんな由緒を持つがゆえに、劇場の存在はこの街のレゾンデートルだと思ってたんですが、
シネコン化の流れの前には、そんなゴタクは屁のツッパリにもならなかったようです。
十数年ぶりにジブリ作品を京都で観ることで、私はその現実を急に意識して、愕然としたのでした。
というわけで、映画を見る前に潰れた映画館跡をめぐって徘徊し、時の流れを感じることで、
単なる個人的な映画鑑賞を、無理矢理に記事に仕立て上げてみようと思います。
凡庸な時代の波を凡庸に受けまくる凡庸な地方都市としての京都の姿を、
何となくでも感じ、そして楽しんでもらえると、幸いです。

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安楽寺の鹿ヶ谷カボチャ供養へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月25日(木)


安楽寺の鹿ヶ谷カボチャ供養へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京野菜の多くは、その原産地が京都ではありません。
代表格とも言える聖護院大根を筆頭に、大半が外から持ち込まれた外来種です。
いや、「だから偽物だ、ブランディングという名の詐欺だ」 みたいな話がしたいのではありません。
そもそも日本の野菜自体、大半が、外来種。和食に使われる野菜も、実は大半が、外来種。
京野菜も、事情は同じです。違う点があるとすれば、この地に持ち込まれて以降の変化でしょう。
京都に移り住んだ人間が、この地が持つ妖しき霊気によってどんどんと精神を浸食され、
やがて根性が腐り魂が歪み、何の根拠もなく 「京都が一番」 と盲信する京都人へ化けるのにも似て、
この地へ持ち込まれた野菜の幾つかは、パッと見レベルでさえそれとわかる変化を被りました。
全く大根に見えない先述の聖護院大根、海老というより何かの幼虫っぽい海老芋と並び、
そんな変態京野菜の典型が、何をどう見ても瓢箪にしか見えない鹿ヶ谷カボチャではないでしょうか。
江戸後期、津軽より種が持ち込まれ、鹿ヶ谷に於いて栽培が始まったという、鹿ヶ谷カボチャ。
元々はノーマルな見た目だったそうですが、陰謀と縁深い土地で連作を重ねたためか、形状が変化。
かなり最近に至るまで 「ひょうたんなんきん」 と呼ばれていたことが即座に納得できるくらい、
実に瓢箪テイスト満開、いや、もう瓢箪でなければ何だというくらいのビジュアルを持つに至ってます。
そんな 「ひょうたんなんきん」 、明治の中頃までは鹿ヶ谷でよく栽培されてそうですが、
それ以降は新品種 = 現在の菊座型である普通のカボチャに押され、絶滅寸前にまで衰退。
かろうじてその命脈を繋ぎとどめたのは、鹿ケ谷の安楽寺で毎年夏に行われるカボチャ供養でした。
いわゆる 「建永の法難」 で知られる安楽寺と、カボチャ。どう繋がるのかは、知りません。
多分、単に近所の誼なんでしょうが、とにかくそれで鹿ケ谷カボチャは生き残ったのであります。
カボチャ供養はもちろん現在も行われていて、中風除けの御利益で人気も結構、高し。
私も、現在のところは大丈夫ですが、いつ中風になってもおかしくない体質なので、
健康体へ変態する陰謀を胸に秘めつつ、鹿ケ谷へ向かったのでした。

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八幡ナイトウォークをやってみました。もちろん、ひとりで。

2013年7月22日(月)


八幡ナイトウォークをやってみました。もちろん、ひとりで。

「そうだ 京都、行こう」 連携の夜間拝観をしている、2013年夏の石清水八幡宮
あれ行って、ライトアップを存分に堪能してから、あなた、どうしますか。そのまま、帰りますか。
「そうだ」 のロゴ入り提灯を返すため、ケーブル山上駅へ帰るしかない、と。そりゃまあ、そうですね。
で、ケーブルで下へ降りたら、そのまま真っ直ぐ京阪電車に乗る、と。で、帰る、と。
だって、しょうがないじゃないか、と。山上にも山下にも、めぼしい遊びスポットはないじゃないか、と。
駅前には、居酒屋が一軒あるだけじゃないか、と。他はあたり一面、漆黒の闇じゃないか、と。
確かに、そうです。そそくさと帰って、当然です。しかし、それでもやはり、惜しい。
八幡には、色々と面白い所があります。石清水八幡宮を中心に、色々と面白い所があります。
京都の裏鬼門を守護する社として、または源氏の武神として、あるいは厄除の神様として、
キナ臭い創建以来1000年以上に渡り、貴賎を問わない信仰を集め続けてきた、石清水八幡宮。
その歴史の痕跡は、鎮座する八幡山 = 男山の周囲に、様々な形で紛れ込んでいます。
あるものは、観光資源に化けそうな魅力を持ってたり。あるものは、観光化が絶対不能だったり。
電飾や映像技術で偽装された幽玄さに陶酔するのも大いに結構ではありますが、
現代生活と 「歴史」 がコンフリクトする、そんなリアルな町の姿も見たいとは思いませんか。
というわけで、夜間拝観の帰りに八幡をゆっくり巡るウォーキング、設定してみました。
名づけて、八幡ナイトウォーク。歩行距離、約12キロ。所要時間、約4時間。
グーグルで 「京都府八幡市」 と検索したら 「治安」 とキーワードが提示されるような町を、
夜、真っ暗の中、不審者全開でウロウロと歩きまわろうというわけです。
独男にしか、出来ないことであります。そして、独男だけの楽しみでもあります。
歴史丸出しなスポットから、単なる地元民愛着丸出しスポットまで、
生の八幡を感じるウォーキング、さあ、出発しましょう。

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石清水八幡宮の夏の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月20日(土)


石清水八幡宮の夏の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「そうだ 京都、行こう」
「人の住んでる所を、そうだ呼ばわれすんな」 と言いたくなるこのフレーズが、
JR東海による新幹線の広告キャンペーンに使われるようになり、もう20年もの時間が経ちました。
東京から2時間というタイム感を、 「そうだ」 という無礼千万な一言を用いて表現したことで、
より京都旅行をカジュアルに、そして気軽にリピートさせることにも成功した、「そうだ 京都、行こう」 。
古典的なパックツアーを、行き先だけちょこっと目先を変えて 「上質」 なるものに化けさせ、
おかげで狭い寺に大量動員をかけ、無茶苦茶な混雑を生んだりもしてる、「そうだ 京都、行こう」 。
自分で勉強したり調べたりするのは面倒だけど、 「私だけのお気に入り」 の京都は欲しい。
知性を圧迫してエゴだけが膨張した消費者の、そんな勝手極まるニーズにもしっかりと応え続け、
京都もまた奥が深いがゆえに、無茶な注文に対応が出来てたキャンペーンなわけです。
しかし、さすがに20年もやってるとネタ切れとなったのか、「そうだ 京都、行こう」 、
遂に私の地元である石清水八幡宮にまで、その魔の手を伸ばしてきました。
「まあ神社自体はそれなりに大きいけど、それ以外は特に目ぼしいスポットは、ないぞ」
「女子供に受けがいいメシ屋やスイーツなんか、全然ないぞ」 「夜なんかもう、ゴーストタウンだぞ」
と、地元民としては思うことしきりだったりするんですが、そんなのは全て、杞憂でした。
石清水八幡宮、従来は石清水灯燎華で3日間しか行われなかったライトアップを、
キャンペーンと提携した 「夏の夜間特別拝観」 として、7月中旬から8月末まで、1ヶ月半も開催。
地元商工会も、これを機に観光客を呼び込もうと、特設ステージやイベントを用意
「私のお気に入り」 になることを、目指すというわけです。鳩が、鷹になろうというわけです。
そんな地元の奮闘、 「絶対無理じゃ」 と思いながらも、観に行ってきました。

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八幡駅近観光をやってみました。もちろん、ひとりで。

2013年7月20日(土)


八幡駅近観光をやってみました。もちろん、ひとりで。

「八幡って、石清水八幡宮の他に何があるの?」
よく訊かれる質問、ではありません。そもそも大抵の人は、八幡にあまり興味がないので。
しかし2013年の夏は、石清水八幡宮がかの 「そうだ 京都、行こう」 の提携先に選ばれました。
捏造された京都幻想を抱えた幾ばくかの人が、捏造されたCMと全然違う八幡さんに落胆したのち、
懲りずに 「私のお気に入り」 を捜し求め、物欲しげに八幡市内をうろつくことが予想されます。
その中には、背景ボカシの彼方やフレーム外へ抹殺された真実を愛せる心を持ちながらも、
一時の気の迷いで 「そうだ」 の導きに乗っかってしまった、独な同志の方もいるかも知れません。
消費者ボケした享楽乞食のレミングなど、ポンコツ街道でスクラップにされてしまえばいいのですが、
同志の方が、ケーブル乗って、八幡さんをお参りして、何なら松花堂弁当も食って、
「ふーん」 という感慨だけ抱いて帰ってしまうというのも、それはそれで、残念ではあります。
というわけで、石清水八幡宮参拝のついでに小さめの観光スポットを回るコース、設定してみました。
八幡には、流れ橋松花堂など結構いろんなスポットがあるんですが、生憎、いずれも遠い。
流れ橋は、アクセスも、よろしくない。レンタサイクルは無料ですが、今の時期、暑い。
なので、駅から徒歩10分程度の範囲内にあるスポットだけで、コースを設定。
駅近で一番スペクタクルで面白いのは、神応寺の記事でも紹介した駅前渓谷なんですが、
ここは本当にスペクタクル過ぎて、雨が降った後とかだと怖過ぎるのでパスし、
平地の穏やかな門前町をめぐり、最後はおやつのかき氷で締める仕様としています。
幼少期の私の行動圏である、静かでのんびりした八幡を、お楽しみ下さい。

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山鉾を一切見ずに2013年の祇園祭・山鉾巡行を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2013年7月17日(水)


山鉾を一切見ずに祇園祭・山鉾巡行を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

菊地成孔+大谷能生 『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』 では、
マイルスの最高傑作である 『Kind Of Blue』 について、一切言及がなされてません。
アーティスト研究を行う上で、外すことが絶対出来ない作品を、敢えて空白にするという、暴挙。
そして、対象の中心を隠蔽するその暴挙が、対象の本質をより浮かび上がらせるという、マジック。
よくわからんけど、そういうの、何か格好いい。よくわからんけど、そういうの、やってみたい。
という高踏極まる動機から、2013年の山鉾巡行追尾は、山鉾をほぼ一切見ずにやってみました。
祇園祭の顔、いや、京都観光のアイコンとも言える山鉾巡行の中心を、敢えて隠蔽する。
その暴挙により、京都観光、いや、京都そのものの本質を、浮かび上がせてみようと思うのです。
いやあ、格好いい。こんなことを思いついた俺、実に格好いい。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。
えと、いや、あの、山鉾隠蔽には他にも一応、動機があります。後祭の復興が、そうであります。
観光集客力アップ+交通規制日削減+仕事止まるの堪忍しとくれやすなどの理由から、
元来は17日前祭+24日後祭の2回開催だった山鉾巡行が17日に一本化されたのは、昭和41年。
以来、巡行が持つ信仰の空洞化&周囲の馬鹿騒ぎ化は果てしなく進行したわけですが、
そんな高度経済成長期的アホアホメタボリズムを捨て、2014年、後祭が復活するのであります。
それは、当事者である山鉾町の人たちにとっては当然、悲願の旧儀復興となるのでしょう。
が、私のような外野の人間からすると、「昭和の無形遺産が消える」 という印象がしなくもありません。
馬鹿のような暑さの中で、馬鹿のような混雑の中を歩き回り、巡行後半は客の大半が半死半生。
そんな 「昭和」 な馬鹿騒ぎが、消えるかも知れない。そう思うと、少し寂しくなったのです。
という意味不明な感傷+先述の中二病+おまけに当日の天気も今イチで写真が撮りにくいため、
思い切って山鉾には目を向けず、肥大化の末に消えていく外縁ばかりを見つめてみました。
やはりマイルスのアルバム 『In A Silent Way』 の 「Shhh/Peaceful」 において、
テーマを全カットした編集が音響の新しい地平を開いたようなマジックが、ここでも起こるのか。
それとも、ただ単に 「肉抜きの牛丼」 みたいなもんに成り果てるだけで、終わるのか。
中心を隠すことで浮かび上がった本質、その目でお確かめ下さい。

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祇園祭の宵宮祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月15日(月)


祇園祭の宵宮祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇園祭を 「二つの祭が同時進行している」 と言ったのは、山路興造
いわく、平安期から八坂神社主体で行われている神輿渡御が中心の 「祇園御霊会」 と、
中世以降の下京町衆主体で行われる山鉾巡行中心の 「祇園祭り」 が、同時進行している、と。
( 平凡社刊 『別冊太陽 京の歳時記 今むかし』 中 「月次の京・七月」 の項より )
もちろん実際は、両者は密接に関わり合い、山鉾巡行もそもそもは神輿渡御の先触れです。
が、現場を歩くと、山鉾町と八坂神社近辺で空気が違うと感じられるのもまた、確かだったりします。
山鉾町に漂う、むしろこちらを 「御霊会」 と呼びたくなる、闇や恐怖さえ孕んだ独特の雰囲気。
そして八坂神社と門前の祇園町に漂う、一転してオーソドックスかつ大らかな、神祭りの雰囲気。
いろんな意味&点でややこしそうなので、私には何もわからんとしか言えない話ですが、
とにかく空気の違いは明白に存在し、その辺がクリアになるのがこの宵宮祭以降ではないかな、と。
もう充分に知られてるようで、案外やっぱり知られてないようですが、祇園祭にも神輿は出ます。
神輿は無論、神様の乗り物。ゆえに、神輿が出る場合、本殿から神様を遷す儀式が、必須。
というわけで、祇園祭でもこの儀式は当然執行され、行われる日は神幸の2日前である、7月15日。
一般的には 「宵々山」 の夜に、八坂神社では 「宵宮祭」 として遷霊神事が行われるわけです。
遷霊の儀式そのものは、境内の照明完全オフ+撮影も完全禁止という、極めて厳粛なもの。
厳粛過ぎて、何やってるのかわからんくらい地味だったりしますが、とにかく、極めて厳粛なもの。
しかし、門前の祇園商店街は、 「宵宮神賑奉納・前夜祭」 として様々なイベントを開催。
その賑わいの空気が、先述のように山鉾町とはちょっと違うテイストなのが、面白かったりします。
そんな宵宮祭、混雑の酷さは山鉾町よりほんの少しだけマシ or ほぼ変わりませんが、
より本義に近い儀式と賑わいの香りを嗅ぐべく、突っ込んでみました。

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地主神社の恋愛成就七夕祭りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月7日(日)


地主神社の恋愛成就七夕祭りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「天漢 相向き立ちて わが恋し 君来ますなり 紐解き設けな (by 山上憶良) 」
という露骨極まる歌が示す通り、七夕は、実に愛欲溢れる伝説に因んだ節句であります。
互いを求め合う二つの星、琴座の主星・ベガこと織女星と、鷲座の主星・アルタイルこと牽牛星。
二星を隔てるのは、天の川。年に一度、七夕の夜空が晴れたら、二星は川を渡り、逢瀬を果たせる。
そんな、 「紐解き設けな」 となるのも当然な、それこそ 「セッス!セッス!」 な節句なのです。
が、色恋に関わることなら何であろうが商売のネタにする、腐り切った現代消費社会にあって、
この七夕、イベントとして大きな盛り上がりを見せてる感じは、はっきり言って、ありません。
新暦への移行により七夕当日が梅雨の真っ只中となって、星が大抵見えないのが悪いのか、
年一というスパンが、コンビニエントな性生活に慣れた現代人には生殺しプレイにしか見えないのか、
とにかく現状として七夕は、もっぱら児童向けの短冊吊るし大会になってる感が、否めません。
が、地主神社は違います。京都で最もメジャーな縁結びスポットである地主神社は、違います。
京都観光のキング・オブ・キングである清水寺の境内にあって、神代にまで遡る凄まじい歴史を誇り、
清水寺と共に世界遺産の指定もバッチリと受けている、あまりにも由緒正しき社、地主神社。
しかし近年は 「愛のちかい」 「しあわせ」 「よろこび」 「キューピッド」 「恋の願かけ絵馬」 などなど、
縁結びアイテムを大量リリース、その 「本気」 ぶりが各方面から注目を集めること、しきりです。
そんな地主神社、七夕という商機を見逃すはずもなく、 「恋愛成就七夕祭り」 なる祭を開催。
一対500円の紙こけしに自分&好きな人の名を書き、笹へ結わえ付けて恋愛成就を祈願するという、
「商売繁盛で笹持って、恋」 と思わず連呼したくなるような、実に景気の良い祭りであります。
当日の現場はもちろん、清水寺の超ベタな観光客+色恋に飢えた女子が、溢れまくり。
そんなアウェー地獄へ、「紐解き設け」 る人などいない独男が、特攻してみました。
折しも当日は、日曜。アウェー混雑+猛暑との死闘、見届けて下さい。

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祇園祭の長刀鉾町稚児舞披露を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月5日(金)


祇園祭の長刀鉾町稚児舞披露を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

注連縄切りで山鉾巡行をスタートさせる、長刀鉾の生稚児。
正に祇園祭の 「顔」 的存在ですが、同時に、実にミステリアスな存在でもあります。
初期の祇園会に於いて貴人より調進されたという 「神の寄り坐し」 としての稚児・馬長童とも、
中世以降の祭で激化した風流の羯鼓稚児とも言われる、そのルーツからして既に、ミステリアス。
また、 「神の使い」 扱いとはいえ十万石の大名と同じ格式を授けられるのもミステリアスなら、
かつては船鉾以外の全ての鉾に乗ってたのに現在は長刀鉾にのみ残るというのも、ミステリアス。
さらに、葵祭の斎王代と同じく知らんところで知らん間に選考決定されるのもミステリアスなら、
でも決まった子供の家は常に誰もが知ってる有名な家だったりするあたりもやはり、ミステリアス。
実にミステリアスなのであります。いろんな意味で、実にミステリアスなのであります。
そんなミステリアスな生稚児が、まだ祭のムードも希薄な7月初頭の街中へ突如として登場し、
山鉾巡行の際と同じ舞を、大半が仕事中の通行人に向かい披露するのが、7月5日の吉符入りです。
吉符入りとは、祇園祭の開始にあたって各山鉾町にて行われる神事始めのことですが、
唯一鉾に乗る生稚児を擁する長刀鉾では、この神事始めに於いて稚児の紹介や盃などに加えて、
山鉾巡行の際に舞う 「太平の舞」 の神前披露および町会役員による審査が行われます。
のみならず、めでたく審査に合格した生稚児は、会所二階を鉾に見立て、外へ向かって舞を披露。
無論、当日の会所前には好き者が集いまくるため、その若干無法気味な混雑も相まって、
事情を知らない人からすれば、かなりミステリアスに見えるであろう奇景が展開されるわけです。
祇園祭の端緒を飾る、そんなミステリアスな稚児舞披露、出かけてみました。
一般人が観れるのは舞のみゆえ、ネタ不足を補うべく街ブラが多量に混入してますが、
その辺から伝わるかも知れない街の温度感も楽しんでもらえると、幸いです。

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夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

2013年6月30日(日)


夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

いい歳をした、独男。その、穢れ切った精神と肉体。
肉体はあらぬ快楽で怒声を上げ続け、魂は無力感と万能感の狭間で腐り続け、
さらには、腐臭漂う己の生き様を、ネットを通じてなるべく広範に伝染させようと目論み、
自意識の臭気を汁にして目から飲ませるような暑苦しいサイトを作り続ける、筆の生えた糞袋。
そんなカス野郎の、穢れに穢れた穢れを祓おうとするなら、普通の祓いでは全く足りません。
質的にも量的にも肥大した糞袋っぷりを糺すには、質的にも量的にも肥大した祓いが必要なのです。
そう、例えば、大祓に用いられる茅の輪を、大量に、かつ連続して、くぐりまくるとか。
半年分の穢れをくぐり一発で祓うスピリチュアルリング = 茅の輪を、立て続けにくぐりまくれば、
あるいは独男の穢れ切った精神と肉体も、穢れなき少年のような輝きを取り戻すかも知れない・・・。
そんな藁をも掴む気持ちで、神社を求めウロウロ徘徊する夏越祓の茅の輪くぐりまくり、
2013年度上半期も、湿気爆発な梅雨真っ盛りの京都を舞台に、しっかりやってしまいました。
魂の救済というテーマを掲げ、でもやることは単なる街ブラ&嘘スピリチュアルという外道なこのネタ、
2011年度は東山周辺を中心に2012年度は堀川通を中心に、それぞれ徘徊しましたが、
2013年度のメインターゲットエリアは、一大観光地・嵐山をスタート地点とする、洛西・右京区。
理由は、特にありません。東と真ん中を攻めたのか、今度は西方面かな、と。そんな感じ。
また、厳密に西へこだわったわけでもなく、最後には北野一帯へ流れ付いたりと、極めて適当です。
が、適当に歩いても尚、かなりなボリュームの神社にかなりの頻度で遭遇する京都の濃さ、
そしてそんな濃さの中で息づくネイティブな匂いみたいなものは、多少は感じてもらえるかなと。
それでは半期に一度のスピリチュアル・デトックス or 存在の膿の大棚ざらえ、
梅雨真っ盛りの不快極まる梅雨空ですが、さあ、出発しましょう。

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藤森神社の紫陽花苑へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年6月20日(木)


藤森神社の紫陽花苑へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

何年か前、藤森神社紫陽花苑を訪れたことがあります。
6月も終わりの頃だったでしょうか。ちょうど、紫陽花 = あじさいが満開だった頃。
特に理由は、ありません。立ち寄っただけ。入苑料が300円なので、気楽に入れるわけです。
ただその日は、物凄いカンカン照り。満開の紫陽花も、すっかり干乾びていたものでした。
やっぱり紫陽花は、雨に濡れた姿を見るもんだな、と。雨の日に、また来よう、と。
以来、雨と暇、そしてモチベーションのタイミングが合わず、梅雨をやり過ごすこと、数回。
何故そんなにやり過ごしたかといえば、そりゃ、あなた、相手が紫陽花だからですよ。
あなた、紫陽花を積極的に見たいと思いますか。あ、思いますか。でも、私は思わんのですよ。
でもやっと先日、雨が降り、暇で、行く気も起こったので、再訪を果たすことができました。
藤森神社。菖蒲の節句の発祥地として名高く、菖蒲 = 勝負の神様として崇敬を集める神社です。
そんな勇ましい神社に、何故可憐な花が並ぶ紫陽花苑ができたのかは知りませんが、
とにかく梅雨時ともなれば宇治の三室戸寺とならんで紫陽花の名所として親しまれてます。
この日は雨を通り越して、夏を先取りしまくった台風4号が上陸しかけてましたが、
おかげで全然人が少ない中、のんびり紫陽花と再会することができました。
でも、正直、自分で書いててこの記事、あまり面白くありません。かなり、面白くありません。
何故そんなに面白くないかと言えば、そりゃ、あなた、相手が紫陽花だからですよ。
あなた、紫陽花が積極的に面白いと思いますか。あ、思いますか。でも、私は思わんのですよ。
なので、紫陽花に加え、藤森神社周辺のうろうろ歩きや餅系食堂ネタも、盛ってみました。
ふらっと立ち寄った、軽くてユルいノリを、お楽しみ下さいませ。

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八幡市文化センターで映画 『レ・ミゼラブル』 を観てきました。もちろん、ひとりで。

2013年6月16日(日)


八幡市文化センターで映画 『レ・ミゼラブル』 を観てきました。もちろん、ひとりで。

八幡市文化センター
私の地元・八幡が、かつて熱かった時代の遺産であります。
などという書き方をすると、今は冷めてしまってるのかという話になってしまいますが、
少なくとも30年前、人口が増えまくり市制に移行した前後の八幡は、今よりも熱かったはずです。
石清水八幡宮の門前にあって、長らく静かな町であり続けていた、京都府綴喜郡八幡町。
しかし、多くの参拝者が精進落としに励んだ橋本遊郭が、昭和33年の売春防止法を受けて、全廃。
税収の実に3分の1を失った八幡は、男山の大阪側に団地を誘致します。男山団地の誕生です。
団地以外の宅地化も進め、2万人だった人口はその3倍以上の7万人にまで、爆発的に増加。
「このまま行ったら、10万越え、確定」 と踏んだ当時の行政は、文化施設の建設も景気良く断行し、
1983年、市役所の向かいに巨大なる八幡市文化センターを、勢いに任せて完成させました。
収容人員1220人&残響可変装置完備の大ホールは、現在に至るも音響面の評判は上々ですが、
地の利の悪さ&身の丈に合わない箱モノの宿命が相まって、コンテンツは圧倒的に、不足気味
アーティストやオーケストラのコンサート、学生の演奏会など、それなりに活用はされつつも、
人口減少中の八幡にあって、廃墟、もといお荷物、もとい遺産な存在感を、日々強めつつあります。
そんな文化センター、たまに映画もやってて、この日上映されたのが、かの 『レ・ミゼラブル』
「最初から最後まで歌いっぱなし」 という無茶苦茶なつくりで、大ヒットしたミュージカル映画です。
音響が売りのホールで見るには、実に相応しい。なので、市民の義務として出かけてみました。
ついでに、八幡市駅からホールまでの、府道22号線とは違うルートも、御紹介。
のんびりとした本当の八幡を、感じてもらいましょう。

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割烹露瑚で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2013年5月31日(金)


割烹露瑚で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

鴨川の昼床は、5月と9月しか、開いてません。
川床自体は5月初めから9月末まで、納涼の枠を越え半年近くもやってるんですが、
昼床は最初と最後の一ヶ月のみ、優雅といえばかなり優雅な営業スタイルとなってます。
何故6・7・8月に昼床の営業がないかといえば、暑いから。暑過ぎて、営業許可が出ないから
そもそもは、地獄のような盆地性暑気に満ち満ちた京都の夏をやり過ごすため、
夜の鴨川に床を張り、川風に吹かれ涼気を得る中で料理を楽しもうというのが、川床。
直射日光をガンガンと浴びまくり、食中毒のリスクに耐えながら食うようなもんではないわけです。
というわけで、夜の本格的な床は経済的にも孤独的にも敷居が高い我々独男にとって、
床の醍醐味を楽しめる機会は概ね、この一ヶ月×2に限られるわけであります。
ゆえに、この日のちょっと前には曇天を押して、あと村の昼床へ赴き籠盛弁当を食し
懸念だった鴨川床の本懐をめでたく遂げたわけですが、その5日後の5月末日が奇しくも、快晴。
いったろか。いってしもたろか。昼とはいえ、週2で、川床。いったろか。
一瞬迷ったような気もしますが、気がついたら既に、鴨川の河川敷を歩いてました。
もちろん、今回も予約など一切無し、ウロウロしと木屋町通を彷徨い歩き、
目ぼしい店へ飛び込む、ワイルドスタイルです。

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京料理あと村で昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2013年5月27日(月)


京料理あと村で昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

ひとりで忍び込む川床、復活です。
2011年の夏以来、しばらくの間、本当に、本当に、本当に、金がなかったため、
川床侵入はおろか、餅系食堂でうどん&おはぎのコラボを楽しむことさえなかなかできず、
ネタ採取も拝観料のかかるところもなるべく避け、見物に金のかからない祭にばかり足を運び、
運び過ぎて何かサイトが真面目っぽくなったり、腕だけ異常に日焼けしたりしてしましたが、
ようやく初心、ベタなスポットへ単身乗り込むというサイト元来の趣旨へ立ち戻ることができました。
それもこれも、全てアベノミクスのおかげです。というのは、全くのウソです。
金がないのは昨年と、変わりません。耐え難きを耐え続けた昨年と、変わりません。
当時の上司から 「もう日本は終わりです」 と言われながら減給された昨年と、全く変わりません。
しかし、私自身が変わりました。金のことを真面目に考えるのは、止めようと決めました。
パーっと、行こうや!で、パーっと、逝こうや!未来のない人間が今を楽しまないで、どうする!!
今、そんな気持ちで、いっぱいです。という按配で、川床単独侵入、復活でございます。
いや、そんな極私的でどうでもいい懐事情 or 破滅へのカウントダウン話とは別に、
川床記事のアクセス数が突出して多いというのも、復活の大きな理由ではあるんですよね。
アクセスのみならず直帰率も高いので、私としては正直、身銭切ってまでやりたくないんですが、
でもこんなサイトにわざわざ来てくれるのですから、ニーズには応えるべきでしょう。
あと、以前に鴨川の床へ出かけた際は、にらみ川床に終わってますし。
そのリベンジの意味も込め、昼床終了が近い5月末の木屋町へ出かけました。
もちろん、例によって予約なし、完全なる飛び込みです。

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石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。【2012年度版・後篇】

2012年9月15日(土)


2012年度の石清水祭、御花神饌からラストまでの後篇です。

石清水祭の旧名は、石清水放生会。
もちろん、八幡神の元宮である宇佐神宮の祭儀・放生会が、そのルーツです。
8世紀初め、律令制の徹底を目指した朝廷に対し、南九州の隼人が起こした叛乱を、
「おれが行く」 と、自分から言い出して戦場へ殴りこみ、殺戮の果てに鎮圧した、宇佐の八幡神。
しかし、殺された隼人の祟りは凶作を招き、八幡神は 「放生会で霊を慰めろ」 と、託宣。
「仏教の戒律に基づいた法会を神社で行う」 という八幡宮独自の祭儀は、ここに始まりました。
贖罪テイストが濃い端緒であります。が、別の見方をすれば、叛乱完全鎮圧の宣言とも言えます。
国的には結構、めでたい儀式になるわけです。律令制完成の、めでたい儀式になるわけです。
おまけに当時の朝廷は国を統一するため、土俗的な信仰を超越する仏教をゴリ推してましたから、
統一祝賀+仏教全開の放生会は、やがて国家的事業の性質も帯びるようになりました。
「おれが行く」 と、また自分から言い出して移座した石清水でも、放生会のそんな傾向は変わらず。
というか、都へ接近したことで神仏習合も鎮護国家もさらにブーストされる形となり、
皇室からは供花にしか見えない御花神饌なるものまで、お供え物として届くようになります。
古代染めの和紙で作られた造花による特殊神饌、御花神饌。別名、 供花神饌。
極めて珍しいこの神饌、実に戦前に至るまで御所から届いてたそうですが、戦後は途絶。
しかし近年、三笠宮彬子女王殿下が代表を務める団体・心游舎「御花神饌プロジェクト」 として、
一般から参加を募った子供たちと共に、神饌作りへ関わられるようになりました。
言ってみれば、ほんのちょっと旧儀に返ったような感じなのであります。
石清水祭2012後篇、その御花神饌から、スタートです。

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石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。【2012年度版・前篇】

2012年9月15日(土)


2012年の石清水八幡宮・石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

勅祭・石清水祭
京都の裏鬼門に鎮座する石清水八幡宮に於いて、9月に行われる例大祭です。
二所宗廟の一つとして朝廷から崇敬された経緯ゆえ、現在も旧儀に則って勅使が派遣され、
知名度は今イチながら、賀茂祭春日祭と共に 「三勅祭」 と呼ばれる、ロイヤルな祭であります。
以前も書きましたが、私はこの祭の舞台となる頓宮のすぐ近所で、生まれ育ちました。
しかし、貧乏な流れ者の子だったためか、石清水祭についてほとんど何も知らないままでした。
その欠落を埋めるべく、2011年は5000円のロイヤルな参列料を払って祭に参列し、
朝の2時からオール&ノンストップで続く祭儀を、食うものも食わず&寝るものも寝ずに見続け
その全てを全5回の超冗長な記事にまとめたんですが、しかし、勅祭はやはり、甘くない。
倒れかけながら全てを見尽くしたつもりでも、実際にはいくつか見落としがありました。
まずは、石清水祭独特のものと言われる、御花神饌。そして、放生会終了後の、舞楽奉納。
どちらも、前回見ようと思えば見れたものです。でも、見なかった。だって、死ぬほど眠かったから。
腹も死ぬほど減ってた。1秒でも早く、帰りたかった。なので、スルーしました。見落としです。
御花神饌はともかく、舞楽はさほど興味が無いんですが、でも見落としは見落としです。
というわけで、2012年度はこれらのフォローに終始。で、その他は思いっきり、適当。
参列料を払う金もないので、タダ見できるところばかりを、ひたすらダラダラウロウロしています。
なので、祭儀の詳細の方は前年の記事を御覧いただくとして、今回は空気のようなもの、
一般的な神輿大騒ぎな祭とは少し違う、石清水祭の雰囲気みたいなものを、
適当な写真&文から感じとってもらえると、幸いです。

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蔵王堂光福寺へ久世六斎念仏を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年8月31日(金)


蔵王堂光福寺へ久世六斎念仏を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

都ゆえに溢れる芸能、その影響を受けた、京都の六斎念仏
しかしその講の多くは、都の中心というより周辺部、かつて農村だったエリアに集中してます。
近世、市街地に比して娯楽が少ない農村では、自分の楽しみとして、また若者流出防止策として、
多くが六斎の講を結成し、農閑期であるお盆近くとなれば、練習に励み、奉納を行ったとか。
また、大八車へ道具を積み込んで町場廻りも行い、貴重な現金収入なども得ていたといいます。
が、そんな民俗色の濃い農村エリアも、現代に入ると、格好の住宅地として開発されまくり。
六斎の講は残っても、その講の土台となった農村テイストが残る土地は、極めて稀になりました。
京都市内に点在する六斎の奉納を見て、あるいは奉納場所へ出かける途中のプロセスで、
昔は溢れてたであろう 「鄙」 な雰囲気を感じることは、少ないんじゃないでしょうか。
しかし、市の中心部から若干離れた南区久世・蔵王堂光福寺の久世六斎は、違います。
祇園祭最大のミステリーとも言われる久世駒形稚児を送り出す綾戸国中神社の近所にあって、
かつて 「京の七森」 と呼ばれた 「蔵王の森」 を持つ、修験系の寺・蔵王堂光福寺。
周辺こそベッタベタな郊外感&開発感が満ち満ちてますが、寺には濃いオーラを放つ森が残り、
八朔宵宮の8月31日夜になれば、縁日が立ち、超ネイティブな盛り上がりが展開されます。
久世六斎は、この蔵王堂光福寺発祥の六斎であり、この宵宮に行う奉納は、正にホーム公演。
他にはない大勢の観客、他にはない大勢の講員、そして森が生む闇に囲まれて観る奉納は、
「昔の六斎はこんな感じだったんじゃないか」 と思わせるものが、過剰にあります。
そんな超ディープで超ネイティブな久世六斎、忍び込んできました。

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修学院の紅葉音頭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年8月27日(月)


修学院の紅葉音頭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都の中心部では、盆踊りといえばもっぱら、江州音頭です。
祭やら何やらで櫓が立てば、そこへ呼ばれるのは決まって、江州音頭の音頭取り。
町内会レベルで開催される小さな盆踊り大会でも、踊られるのは大抵決まって、江州音頭。
「京都音頭」 でも 「祇園祭音頭」 でも 「西陣音頭」 でもなく、ほぼ鉄板で江州音頭が踊られます。
お隣の滋賀 = 近江 = 江州で生まれた江州音頭が、ここまで支持を集める理由は、わかりません。
近江商人の洛内進出に関係あるのかとか思ったりしますが、細かいことは全然、わかりません。
とにかく京都の盆踊りは、江州音頭なのです。みやこめっせでフェスやるくらい、江州音頭なのです。
しかし、京都でも洛北、特に北山以北、住宅地の中に農業色が色濃く残ってるエリアまで行くと、
「題目踊り」 、または 「さし踊り」 、あるいは 「鉄扇音頭」 、さらには 「ハモハ踊り」 と、
奇怪極まる名前と盆踊り本来の念仏色を併せ持つ、京都独自の盆踊りが存在してたりします。
修学院に伝わる紅葉音頭も、そんな洛北テイスト溢れるディープな盆踊りのひとつです。
晩夏に 「紅葉」 とは気が早いですが、これは修学院が紅葉の名所であることに由来する名前。
「大日踊」 という別名がある通り、踊りの意義は飢饉の死者への追悼や豊作祈願にあり、
もちろん、夜通し踊ることで情熱を開放するという側面もあった、アーシーな盆踊りであります。
と同時に、踊りそのものは御所の公卿から伝わるという伝承を持つあたりが、
日常の中に皇族やら公家からの影響が溶け込む京都らしい盆踊りという感じでしょうか。
現在はオールで踊り狂うこともなく、保存会の方々がゆったりと伝統を継承してる、紅葉音頭。
会場である鷺森神社御旅所には、子供向けのお楽しみコーナーなどが設置され、
どことなく地蔵盆の雰囲気漂う中での盆踊りが、地元の方々に親しまれてるようです。
そんなネイティブな音頭、また不審者丸出しで忍び込んでみました。

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