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下鴨神社の蛍火の茶会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年6月11日(土)


下鴨神社の蛍火の茶会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

蛍火の茶会。
文字通り、下鴨神社・糺の森を飛び交う蛍の灯りを眺めながら、お茶を嗜む催しです。
都市部にありながら、太古以来の山城原野の植生を残すという、糺の森。
特に5月から6月にかけては緑が美しく、神の森というイメージが強いスポットであります。
が、ここ、江戸時代には庶民の憩いの場として、茶店も立ち並んだりしたんだとか。
森の中を流れる川に船を浮かべての納涼茶会、また能や相撲なども行われたそうです。
しかし明治維新以後、下鴨神社は国の管理下に置かれ、茶会などの庶民的行事はどんどん消滅。
昭和に入ると、周囲が開発されたことで糺の森の環境も悪化。
川には上流からの農薬が流れ込み、蛍はもちろん昆虫類も絶滅寸前に至ったそうです。
現在の蛍火の茶会は、地元の人たちにより糺の森周辺の川が繰り返し清掃され、
放流された蛍が定着したことをうけての復活もの。明治の廃絶から実に100年ぶり。
重文である橋殿・細殿で夕方から茶が供され、夜には御手洗池で大量の蛍を放流。
加えて、神服殿では下鴨神社名物・十二単の着付が行われ、各種音曲の披露もあります。
そんな風流な茶会へ行ってきました。と言っても、私は茶会そのものには参加してませんが。
お茶のこと、知らないし。それに事前申し込みしないと駄目だし。
ただただ、蛍を見に行っただけです。

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鞍馬寺の五月満月祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年5月17日(火)

鞍馬山から見た満月
鞍馬寺の五月満月祭 (ウエサク祭)へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

天上と地上の間に栄光の通路が開かれるという、五月の満月の夜。
宇宙より降り注ぐ高次元のエネルギーを身に受けながら、聖水を捧げ、灯を供え、
すべての「めざめ」のため、尊天・大魔王尊に皆で祈るのが、鞍馬寺の五月満月祭です。
魔王尊とは、650万年前に金星より鞍馬山へ飛来した神。別名、サナート・クマラ。
意志・力・勇気・創造・破壊・進化の神にして、人類の父であり、宇宙の大霊・大光明・大活動体。
地下空洞の支配者でもあり、北欧・ヒマラヤ・南米・そして鞍馬山の4ヶ所より自由に出入り。
また人類救済のため、キリストや仏陀を現世に投入。あと、永遠に16歳。
鞍馬寺はこの何でもありな魔王尊を本尊 = 尊天として、千手観音や毘沙門天の背後で密かに信仰、
五月満月祭もまた完全クローズドで密教的に500年以上行われてきましたが、
昭和20年代に至りこの儀式がヒマラヤ山中で行われるウエサク祭と酷似していることが判明。
のみならず、タイ・ミャンマーなどの南方仏教圏でも同様の儀式が脈々と続いてることも判明。
金星経由で魂が世界とリンクしてることを確信した鞍馬寺は、魔王尊を一気に前面へ押し出し、
鞍馬弘教総本山として天台宗より独立、この五月満月祭も一般に広く公開することを決定。
「ウエサク祭」の名を併記し国際的祭典となった現在では、三部構成で朝まで続く儀式に、
多くのヤバい人、もとい、カルトな人、もとい、信仰深い人がオールナイトで集まるようになりました。
何というか、「パワースポット」とか「スピリチュアル」の権化の如き世界なのであります。
「五月満月祭」でググると、それはもう、ヤバ気なサイトばっかりヒットするのであります。
怖いのであります。でも、好奇心には勝てないのであります。

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宝泉院の春の夜灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年5月7日(土)

額縁庭園
大原・宝泉院の春の夜灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宝泉院。いわゆる「額縁の庭園」で有名な寺です。
客殿の柱の間の空間を額縁に見立て、「立ち去りがたき」庭園・盤桓園を鑑賞するという、あれ。
京都を「そうだ」呼ばわりしてださってどうもありがとうな某CMでフィーチャアされてから特に、
絵画のようなその美しいビジュアルが人気を博するようになりました。
独立した寺ではなく、すぐそばに建つ勝林院の僧坊。やはりすぐそばの実光院とともに創設。
70年ほど昔は高浜虚子によって「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠まれる無住寺だったとか。
それが今では「閑」を求めてやってきた観光客ですっかり人だらけ、などということはありません。
三千院&勝林院よりさらに奥にあるという立地、そもそも大原自体が市街地から遠いアクセス性、
加えて昼間でも強制的にお茶とお菓子がいただけて800円という拝観料設定が、
紅葉などのピークタイムを除いてこの寺の侘びの味をしっかりと動態保存。
大原名物・声明の響きの中で落ち着いたときを過ごせる空間を、現在も作り出しています。
そんな宝泉院が4月下旬からGWにかけて行うのが、春の夜灯り。
新緑に萌える庭園をライトアップで彩り、立ち去り難き風景をさらに立ち去り難くするというものです。

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ゑんま堂大念佛狂言を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2011年5月4日(水)

さんみさん
千本ゑんま堂のゑんま堂大念佛狂言を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

千本通を北上してると、妖しい焼きそば屋と共に現われるやたらディープな寺・千本ゑんま堂。
六道珍皇寺で有名な朝廷と霊界のダブルワーカー・小野篁とも縁が深いというこの寺で、
毎年春に行われる民俗芸能の公演が、ゑんま堂大念佛狂言です。
中世の大念仏会で、庶民に宗教世界を具体的に唱導するため始まったという念仏狂言。
京都には、ゑんま堂以外にも壬生寺、嵯峨の清涼寺、そして神泉苑にもそれぞれ存在し、
また壬生・嵯峨・ゑんま堂の3つで「京の三大念仏狂言」という呼び名も広く認知されてます。
中でもこのゑんま堂狂言は、背景も、趣向も、若干ユニーク。
壬生・嵯峨・神泉苑の狂言は円覚上人が始め、芸術的とまで言われる無言劇であるのに対し、
ゑんま堂狂言はこの寺を引接寺として開いた定覚上人が創始、そして演目の大半がセリフ劇。
かつて京の刑場墓地だったというこの地で、潜伏する盗賊を金剛杖1本で懲らしめ、
善心まで取り戻させた守護役人・為朝の奇跡を伝える狂言は、徹底して勧善懲悪+極めて庶民的。
滑稽味やケレン味で人気は近代に至っても続き、昭和初期には20日間も公演が行われたとか。
戦後の後継者不足で一時中断するも、のちに復活。で、現在も継続中。
この寺の名物・普賢象桜を気に入った室町三代将軍・義満の
「桜の盛りを期して狂言をとり行え」といういいつけを守るかのように、毎年春に公演が行なわれます。
2011年も開催期間は5/1~5/4の4日間。そのうちの1、3、4の夜の部に出かけました。

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吉祥院六斎念仏を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月25日(月)

太鼓曲の演奏
吉祥院天満宮の吉祥院六斎念仏へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

六斎念仏。全国的に広く伝承されている念仏踊りの一種です。
元々は仏教の六斎日=8・14・15・23・29・晦日に斎戒謹慎して鬼神の災いを避けてたのが、
いつしか空也上人の踊躍念仏と結びつき、さらにお盆にも結びつき、現在に近い形となったとか。
京都にも六斎念仏はあります。それも、2つの派閥みたいなのがあります。
ひとつは、あくまで念仏に重きを置く、干菜寺系。鉦と太鼓でシンプルに念仏を歌うという。
もう一方は、花の都ならではの芸能華やかな、空也堂系。で、主流は圧倒的に後者。
獅子舞・歌舞伎などの流行芸を取り入れ、原型を止めないほど芸能化した六斎 = 芸能六斎は、
江戸時代、娯楽に飢えた京都西南部の農村を中心に劇的に普及。
で、正に京都の西南にあたる吉祥院は、そんな芸能六斎の一大中心地となりました。
最盛期には8組もの講が夏祭で芸を競い合い、演舞は夜通し、あるいは日が明けても続いたとか。
時代の流れで現在残る講は一つだけとなりましたが、今なお活動は活発であり、伝承を守ってます。
盆の活動が多い六斎念仏ですが、こちら吉祥院は夏に加え春の大祭でも演舞を披露。
で、それに出かけたわけです。

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松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 (3) 七条通巡幸

2011年4月24日(日)

宗像社の巡幸
松尾祭・神幸祭、いよいよラスト、七条通巡幸です。

松尾祭、一日くっついて見物してると、氏子さんの数の物凄さに圧倒されます。
見物人もそれなりに多いんですが、何よりも白法被の人たちが、多い。そして全員が、濃い。
数だけなら祇園祭の方が多いかも知れないし、手伝いの人も多少は混じってるでしょうが、
でも、ひとりひとりが放つオーラと、祭全体の熱狂度は、圧倒的に京都一ではないかと。
特に、インドアな感じな少年たちでさえ積極的に祭へ没入してる姿は、感動的でさえありました。
と、同時に感じたのが、この祭りが西七条 / 西市跡 / 西寺跡の祭りだということ。
出かける時は何となく「松尾、梅津、桂あたりの人たちがやってる祭」とか思ってたんですが、
考えてみれば神輿が駐輦する御旅所は、ほとんどが西七条を中心に点在。
もちろん、奉仕する氏子さんもその区域の人たちです。
これは、洛外の神様に自分の街へおいで頂く祭なんだな、と。だから「おいで」なんだなと。
祇園祭や稲荷祭と似た形式であり、特に東寺と縁深い稲荷祭とは近いものがあるんじゃないかと。
西寺跡が氏子区域の大宮社神輿に松尾神を乗せ、西市跡近くの西七条御旅所へ向かう七条通巡幸。
いよいよ神をホームタウンへ迎えることで、祭の盛り上がりはピークへ。
同時に疲労もピークに達するためか、ストリートは怒号と絶叫と微笑みが渦巻く興奮の巷と化します。

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松尾大社の山吹まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月17日(日)

手水舎の亀
松尾大社の山吹まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

松尾大社。
不腐の霊泉を持つ酒造りの神様として、全国の酒造業者から信仰を集める神社です。
また、春に行われる神幸祭では、神輿を船に乗せて川を渡るというワイルドな渡御でも、有名。
あと、シンボルが、亀。「酒」に「船」に「神輿」に「亀」。実に「男」な感じの神様であります。
しかし松尾大社、平安の頃はもうちょっと雅な感じの神社だったそうです。
現在は氏子さん大活躍の松尾祭も、元々は勅祭。延喜式に従い、荘厳に執り行われていたとか。
今とは別の形で栄えてた時代があったというわけであります。
で、そんな雅な時代の松尾大社と、それ以前の太古の松尾大社を、庭によって表現してるのが、
昭和を代表する造園家・重森三玲の作庭による「昭和の名庭」こと、松風苑。
伝統を重んじつつ永遠のモダンを目指した三玲が、神の領域へ近づこうと心血を注ぎ、
注ぎ過ぎて病を得て、神の怒りを買ったとか言いながら没したことで絶作となった庭であります。
で、そんな物凄い感じの庭を、年に一度、2日間だけライトアップして見せてくれるのが、
もう一つの松尾大社名物である山吹を讃えた、山吹まつりなのであります。

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二条城のライトアップへまた行きました。もちろん、ひとりで。

2011年4月13日(水)

清流園の桜①
二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

二条城。二条にある、あんまり城らしくない城であります。
もちろん、そもそもは徳川幕府が朝廷を牽制するため築城したイカツい城であり、
かつては天守閣がそれなりに体裁を保ってたそうですが、炎上&移築&放置プレイ。
大政奉還後は京都府庁になったり離宮になったりしたのち、京都市に下賜&一般公開。
市は天守閣再建など完全スルー、ひたすら庭園に力を入れるのみ。城らしくない城であります。
天守を再建しないのは当然金がないからですが、他にも理由があると思うのは私だけでしょうか。
堀の周囲の道を歩く時に感じる、疲労感。回り道をさせられる時に感じる、徒労感。
車で行くことが前提のショッピングモールへ徒歩で行ったときに感じる
「歩いていくの、しんどっ」という感じ。あれに近いものを、私は二条城に感じます。
二条城より広いスポットは他にもありますが、御所をはじめその多くは中の通行が可能。
もちろん、コアな部分への闖入は許しませんが、その壁をあまり可視化&表沙汰にはしない。
それに対し、壁どころか堀を明らさまに強調する二条城、やはり「城」だなあと思うわけです。
市が庭園や桜ばかりに力を入れるのは、そんな「城」の暴力的存在感を少しでも中和しよう、
ゴツい建物をちょっとずつでも京都になじませようと考えてのことなのかも知れません。
そういえば、毎年桜の季節に行なわれるこのライトアップでは、もはや御殿の拝観さえ、謝絶。
これはケチではないのです、きっと。二条城を京都化するための企てなのです、きっと。

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平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月12日(火)

平野神社桜苑の提灯
平野神社の夜桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

平野神社。
第一位・田中神社と第二位・吉田神社に次ぐ、京都三大平凡苗字神社のひとつです。
次点に並ぶのは、松尾・安井・北野・大田・平岡・藤森といったところ。
御霊・蚕・大将軍などからは羨望の眼差しを浴びている、というのはもちろん大嘘であります。
嘘ですが、でも、二位・吉田と三位・平野の祖が同じ卜部氏なのは、偶然なのか、必然なのか。
気になって気になって夜も眠れない、というのも当然ながら大嘘であります。
数々の奇行で有名な花山天皇の手植えに始まるという平野神社の桜ですが、
凄いのはその量や質はもちろん、花見のできる期間の異常なまでの長さでしょう。
夜桜のライトアップは、だいたい3月末から4月末まで開催。桜自体は5月でもまだ咲いてるとか。
もちろん、ドーピングして無理矢理長生きさせてるわけではありません。
開花時期の違う多くの品種を植樹してるというわけであります。
50種400本とか45種500本とか、ソースごとに数は違いますが、とにかくたくさんです。
「パッと咲いてパッと散る」ソメイヨシノの席巻が、桜の概念、そして日本の概念さえ変えるまでは、
花見というのはもうちょっと長くのんびり楽しむものだったとか。
平野神社の長い花見期間は、現在の誤記された花見の流儀と日本の心を静かに告発し、
本来あるべき花見と日本の姿を示してるのかも知れない、というのはただの思いつきであります。

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嵐電・桜のトンネルへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月12日(火)

桜のトンネル車内
嵐電・桜のトンネルへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

嵐電。正式名称、嵐山電鉄。
というのは、嘘です。もちろん。「嵐電」は、愛称。公式愛称。
本当の名前は、京福電気鉄道・嵐山本線および北野線。
「京福」の名前は何に由来しているかといえば、字のまんま、京都+福井。
もともとこの会社は、起点・嵐山から北野と出町柳を経由して鞍馬へ上り、
そのまま鯖街道を北上、日本海へ出て福井入りするという壮大な路線計画を持ってました。
というのも、嘘です。もちろん。チンチン電車で山越えは、つらいですよ。
京福電鉄は前身が京都電燈という電力会社であり、「京福送電線」なるものを敷設して、
夜の電力需要が高い京都と昼が高い福井との昼夜差を融通していました。
ついでに、電力の安定供給先を確保するため、両都市で鉄道も経営。
だから、名前が京福電鉄。両方をつなぐつもりは端からありません。
路面→山岳→海沿いを走破するチンチン電車が本当にあれば、楽しいんですけどね。
長年にわたり、京都と福井で古き良きローカル私鉄の風情を放ち続けてきた京福ですが、
21世紀に入って福井側が廃線+えちぜん鉄道として3セク化。
京都側もここ最近は観光により力を入れていて、嵐電の公式愛称化や駅のリニューアルを実施。
妖怪電車などイベント列車も多く企画され、この桜のトンネルもその一環というわけです。

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清水寺・2011年春の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月10日(日)


清水寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、もうすぐ1カ月。
発生直後にここでライトアップを見た時「これが夜間拝観の見納めかも知れない」と思いましたが、
1ヵ月が経ち、こうして輝く夜桜を目にすることが出来ても、その感は消えません。
街を歩いてると出くわす、京都の近くに原発があることの危険性を訴える街宣車。
近くの原発とは、「原発銀座」と呼ばれる若狭・大飯・敦賀の原発のこと。
私、何度か敦賀駅周辺をうろついたことがあります。で、行った人の多くと同じ感慨を抱きました。
原発マネーで整備されたという、立派だけど人の少ない表通り。
そこに数多く設置された、何ちゃら鉄道ゾロ目フィーバーのキャラ銅像。
クオリティは高いのに、存在の根拠は希薄。写真を撮ると何か、しんどい。そんな、銅像。
ゾロ目フィーバーは、かつて敦賀を走った欧亜国際連絡列車にちなんでるそうですが、
何気に紛れこんでる某宇宙戦艦の乗組員達は、何の理由があってあそこに立ってるんでしょう。
そんな敦賀 / 若狭で作られた電気により、暮らし、ライトアップなんかもやってる、京都。
原発がないと本当に電気が足りないのかどうかは、私にはわかりません。
実際に電力が不足するか否かに関わらず、ライトアップがこの先どうなるかも、わかりません。
そしてその思いが、この通俗的なビジュアルを、困ったくらい美しく見せてしまいます。

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平安神宮・紅しだれコンサートへ行きました。もちろん、ひとりで。

2011年4月8日(金)

尚美館ステージのピアノ
平安神宮の紅しだれコンサートへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

紅しだれコンサート。
毎年4月上旬に、平安神宮の神苑で開催されるコンサートイベントです。今回で23回目。
春になれば南神苑を天蓋のように覆う名物・紅しだれ桜、そのライトアップを存分に堪能してから、
招聘されたミュージシャンによる演奏もこれまた存分に楽しむという、実に結構な催しであります。
が、このイベント、料金が高い。2000円。前売りならもうちょっと安いですが、基本、こんなもん。
もちろん、一般のコンサートと比べたら、全然安い値段です。
料金には通常600円の神苑入苑料も含まれるので、実質的な値段は更に下がると言えるでしょう。
でも、何か、抵抗あるなあ。敷居が高いというのもあるけど、それ以上に何か、抵抗あるなあ。
好きなミュージシャンなら万々歳だけど、何かなあ、知らん人、多いもんなあ。
見方を変えたら、普通のライトアップにおまけがついて2000円だもんなあ、きついなあ。
と思って、当日まで金払って観る気は全くなかったんですが、
その日の昼間、都をどりがすんなり観れたことで何か、心がちょっと浮き足立ちまして。
「看板と壁と漏れてくる音だけでネタにしてやろう」という心積もりで応天門まで行ったら、
勢いでチケット買い、特攻してしまいました。

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東寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月6日(水)

五重塔と桜①
東寺のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

闇深き京都の夜に、夜ごと黄金の輝きを放つ、五重塔。
世界遺産にして真言宗総本山の東寺・五重塔は、年がら年中、ライトアップされてます。
その神々しい姿を眺めつつ、京都の旅を終え帰途に着いた方も多いことでしょう。
何故ここが毎日ライトアップされてるかといえば、おそらくは観光客向けのサービスか、
あるいは京都タワーに対抗して「我こそ真の京都のランドマーク」と主張したいんでしょう。
が、南の辺境民である私には、この輝きが「都の南限」を示している印象も受けたりします。
平安京の正門たる羅城門と同一線上に並ぶ立地。説明不要のシンボリックなビジュアル。
そしてここ以南から始まる、「雅」からほど遠い、全然京都らしくない街並み。
実際、京阪国道を北上して「京都に入った」と私が感じるのは東寺が見えた時であり、
「京都を出た」と感じるのは五重塔を通り過ぎた時。
間違っても、工場やラブホや荒野だらけの京都市/八幡市の境界を越える時ではありません。
市域がどれほど拡大しようとも、真の洛内とは、ここまで。
光る五重塔は、そう宣言してるのかも知れません。「本当か」と問われたら多分、嘘ですが。
さすがに震災以降は休止状態でしたが、夜桜のライトアップは有料ながら実施。
普段は塀の外から見るだけのキンキラキンを、根元から眺めに行ってみました。

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白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月3日(日)

弁財天付近の宵桜
祇園の白川宵桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水のながるる」。
言わずと知れた、歌人・吉井勇が祇園を詠んだ歌です。
祇園歌人として知られる吉井ですが、実はちょっとだけ八幡歌人でもあります。
と言い出すと、八幡市民による地元ゴリ押しと思われそうですが、実際そうです。すんません。
「かにかくに~」と詠んだ30年後、吉井は療養のために辺境の地・八幡へ転居します。
松花堂庭園の近くの寺・宝青庵へ寓居し、谷崎潤一郎や志賀直哉などの訪問を受けながら、
妻とのつつましい生活を『残夢』なる歌集にまとめたり、八幡音頭なるものを作詞したりしました。
文化的水準が極めて高い我々八幡市民は、そんな吉井勇を最大限にリスペクト。
新しく開発された地域を「男山吉井」と命名、彼の文学的功績を「生きた形」で讃え続けています。
では男山吉井はさぞ「かにかくに」な風流な花街かといえば、特にそういうこともなく、
どっちかと言えば「蟹角煮」な生活感の漂うちょっと良さげな住宅地だったりするんですが、
もちろんそんな狂った与太は全くどうでもよく、話はあくまでも白川のライトアップです。
「寝るときも 枕の下を 水のながるる」茶屋だったという「大友」など、
残っていたら値打ちものであったろう街並を、戦時疎開でぶっ潰して生まれた、白川南通。
その通をメインに、道沿いの桜をライトアップするのが、祇園白川宵桜ライトアップであります。

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将軍塚のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月27日(日)

京都市街上空を飛ぶヘリ
将軍塚大日堂庭園のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

いきなりベトナム戦争なトップ画像、恐縮です。
別段、このヘリが将軍塚へ降りてくるというわけではありません。たまたま飛んでただけです。
ただ、こんな写真が簡単に撮れるくらい、将軍塚は結構な山の上にあるということであります。
平安京造営に際し、征夷大将軍・坂上田村麻呂の像を埋め王城鎮護としたという、将軍塚。
桓武天皇はここから下界を見下ろして平安遷都を決めたというほど眺望が良好な、将軍塚。
しかし時が下った現代ではその眺望が仇となり、京都有数のドライブ&夜景スポット化。
夏ともなれば、無料展望台を目指して不埒な輩が夜ごと車で東山ドライブウェイを駆け上がり、
思い出を持って帰る代わりに道沿いへゴミを不法投棄したりする地となりました。
しかし現在の将軍塚、果てしなく俗化&劣化してるかといえば、そんなこともありません。
徒歩アクセスは今もなお困難を極め、己の足で訪れる者には未だ強い聖性を保持。
それに将軍塚本体は、青連院飛地境内にあたる大日堂が有料区域に入れ、しっかりガード。
ここには有料の展望台と庭園もあり、春と秋には庭園のライトアップなんかも開催しますが、
認知度は低く、隠れたパワースポット(笑)としての存在感もキープ。
もちろん桜が本咲きになればそれなりに人は来るので、その前に聖なるライトアップを楽しもうと、
芽さえ出てない時期にひとり、山を登ってみました。もちろん、徒歩で。

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二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月25日(金)

ライトアップされた開花前の桜
二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災からちょうど、2週間。
発生当初の京都は、両本願寺と知恩院の遠忌、そして東山花灯路の開催時期であり、
現地の被害状況さえわからない混乱の中で、イベントの自粛・中止・断行・延期・変更が相次ぎました。
それから時間が立ち、被害の全貌が見え始めた今、京都は春の稼ぎ時に入ろうとしています。
もちろん電力を多用するライトアップのイベントも、目白押しです。
どうするんでしょう。電気の意味さえ変わってしまった現在の状況で、どうするんでしょう。
ライトアップを敢えてやる、何ならガンガン派手にやってしまうことが、
被災地および計画停電に耐える首都圏の心の支えになるのか、私にはわかりません。
家でコタツをつけエアコンもつけ、テレビ観て、PEN4のPC(私のん)を稼動させることが、
ライトアップのイベントで消費&募金するより日本のためになるのか、私にはわかりません。
多分、誰にもわからないでしょう。で、わからんまま、誰もが4月を迎えようとしています。
桜の開花より若干フライング気味に始まったこちら二条城のライトアップは、
「哀悼の灯り」と称された、ある意味、震災「後」をはっきり踏まえた最初のライトアップ。
今後の京都とライトアップがどういう形で進むのか、そのあたりが垣間見えるかも知れません。
あ、二条城の説明、省略します。このライトアップでは、本丸も二の丸も見れないんで。

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東山祈りの灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

東山祈りの灯り・幽玄の川
東山祈りの灯りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東山祈りの灯り。別名、元・京都花灯路。
東日本大震災の発生を受け、行灯の点灯自粛を決定した京都花灯路が、
被災者の哀悼の気持ちを込めて仕様を変更、開催期間の残り期間を消化するイベントです。
13日の時点では「送電は限界がある、節電するより客集めて募金したほうがいい」と、
行灯を点灯していた花灯路ですが、やはりというか何というか、結局は14日で通常開催を終了。
15日からこの東山祈りの灯りが始まりました。
変更点としては、とにかく派手なもんを慎む、追悼する、募金をする、という感じでしょうか。
花灯路の告知ブログには、批判のコメントとして
「今、強行する必要あるのか!コンビニの看板消してるんやぞ」などというものが残ってます。
私がこんな批判を言うとしたら、コンビニではなく自分の家の電気を消した時だと思いますし、
東京で停電を恐れる知人は「絶対にやめるべきではない」とさえ言ってます。
東山花灯路で使用する電気は確か、太陽光などのグリーン発電で作られてたと思うんですが、
それでも電気を使うことは悪ということなんでしょうか。よくわかりません。
もちろん、今、ギンギラギンな気分にはなれないというのはもっとも話ですし、
また、そんな時こそ大人はちゃんと遊んでお金を回さなくてはいけないんだとも思うんですが、
とにかく花灯路は祈りの灯りとなりました。その急過ぎる変わり身の妙、お楽しみ下さい。

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青蓮院のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

ライトアップされた宸殿南庭
青蓮院門跡のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、1週間。
発生当初は特に自粛ムードもなかった京都でしたが、
被害の凄まじさが明らかとなるにつれ、イベントの中止や延期が続出。
発生二日目の段階では、東本願寺も知恩院も遠忌遂行を宣言し、
知恩院はライトアップも敢行してたわけですが、結局は共に中止、あるいは延期。
東山花灯路も、自粛の消極性より募金の積極性を訴え続行を試みるも、結局は仕様変更。
そんな状況にあって、ライトアップを行い続けてるのが、清水寺、そしてこちらの青蓮院。
青蓮院門跡。夜間拝観の値段が高いことで有名な寺であります。
「そんな紹介の仕方があるか」という話ですが、実際に高いんだから、しょうがありません。
その額、800円。一般的な夜間拝観料金の5割増、清水寺のちょうど倍額にあたります。
門前の親鸞手植による大楠、そして内側から漏れる青い光を眺めつつ、
値段と興味を天秤にかけ、結果、その場を立ち去ったという方も多いのではないでしょうか。
天台宗三門跡のひとつにして、仮御所となった経緯から粟田御所の名も持ち、
かの親鸞が得度してその宗教人生を始めた地でもある、青蓮院。
本来こんなふざけた紹介は決して許されぬ、格式高く由緒正しき門跡寺院なのであります。
でも、夜間拝観料金は今期もしっかり、800円なのであります。

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清涼寺のお松明式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月15日(火)

嵯峨大念仏狂言
清涼寺のお松明式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、4日目。
発生当初は自粛ムード希薄、ライトアップ等も敢行していた京都ですが、
被害の未曾有な実態が判明するに連れ、後手後手的な中止や延期が多発。
こちら清涼寺のお松明式も開催の是非で議論があったようですが、とりあえずやるようです。
清涼寺。通称、嵯峨釈迦堂。
釈迦の生前の姿+内蔵まで再現した、本尊にして国宝、三国伝来の釈迦如来立像が、
貴族から庶民まで幅広く信仰を集め、今なお地元の方々から愛されてる寺です。
光源氏@源氏物語のモデル・源融の没後、その山荘に阿弥陀堂を建てたのに始まり、
東大寺の僧・奝然が宗より釈迦像を請来、弟子の盛子が安置して、寺名を清涼寺と改称。
鎌倉時代には融通念仏の中興者・円覚上人より無言劇・念仏狂言が伝えられ、
現在も京都三大念仏狂言のひとつ・嵯峨大念仏狂言のホームグラウンドとして、伝統を守ってます。
そんな清涼寺で行なわれるお松明式は、お釈迦様の入滅した日に行う、涅槃会の行事。
釈迦が荼毘に付された時の様子を模して、大松明3基を燃え上がらせるわけであります。
嵯峨大念仏狂言の無料公演も開催。トップ画像は、その写真です。

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清水寺・2011年花灯路協賛の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月13日(日)

夜の清水寺を奥の院から望む
清水寺2011年春の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災発生から、2日目。
桜の開花には早く、咲いたら咲いたでまた本格的な夜間拝観を行なう清水寺が、
中途半端なこの時期にライトアップを行なうのは、東山花灯路との連携のため。
花灯路は中途半端ゆえ観光客が減るこの時期に、集客力を上げようと企画された営業イベント。
宗教的必然性は、いつもに増して、薄い。でも、やると。
関西からの送電を阻む、50Hzと60Hzの壁。変電所は、すでに能力の限界。
「そもそも東京は電気使い過ぎ」「地方をないがしろにし過ぎ」と憎まれ口も叩きたいところですが、
言うまでもなく原発に関しては京都・大阪も事情は大して変わりません。
それに、在京の知り合いが見せる尋常ではない凹み加減、余震による疲労を超えた、
何か異常な精神的ダメージを目の当たりにすると、私も心が痛みます。
現状、手が出ない。なので、とりあえずやめとくか、それとも敢えてやるか。
清水寺は、後者を選んだようです。今夜もビーム、京の夜空を一直線に貫いています。

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