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昼も、ひとり
2011年9月29日(木)

京料理・梅むらへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「にらみ川床」。
それは、晩夏の京で行なわれる、密かな愉悦。
政治的無力さと、気位の高さと、吝嗇と、そしてマゾヒズムが、
「にらみ鯛」などという、食への愛と冒涜を同時に満たす放置プレイを生んだこの地に於いて、
「にらみ川床」はその放置をさらにエスカレートさせた、禁断の戯れ。
もちろんそれは、鴨川の川原から貧民よろしく床を見上げて、
「あんなもん、ぼったくりや。涼しゅうもないし、味も大したことない。見栄ばっかり張ってアホちゃうか」
などと「酸っぱい葡萄」をマニュアル通りにこなすようなものでは、ありえない。
しかるべき金銭を支払い、川床を眺めながら食事を楽しみつつ、でも一歩も足を踏み入れない。
川床を、目の前で、放置する。ただ、じっと、見るだけ。お前になんか、指1本、触れてやるか。
床は床で、そんな腐れ変態の世を拗ねた遊びを、快しとはしない。
好きでもないが、誘ってやる。引き入れてやる。吸い込んでやる。こっちへ、おいで。
9月末の床には、もはや、テーブルも何もない。全ては片付けられ、何もない。
からっぽの床には、今年ここで行なわれたであろう様々な饗宴の残り香だけが、漂っている。
その残り香から幻の酔客を生成し、床は、腐れ変態を誘う。「こっち来て、一杯どないですか」と。
誘いに乗ると、終わりだ。自分自身が、幻、残り香になって、床と一緒に片付けられてしまう。
からっぽの床と、孤独な男が、歪んだ愛と存在の駆け引きを楽しむ、「にらみ川床」。
それは、夏と秋の間に一瞬生じる魔界なのかも知れない・・・。
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2011年8月12日(金)

北野商店街の糸源へ、鱧を食べに行って来ました。もちろん、ひとりで。
京都の夏といえば、鱧。
というわけで、ひとりで鱧が味わえる店を探し求めるこの企画、遂に上京区へ進出です。
こちらの糸源は、かつてN電が走っていた北野商店街にある、料理屋。
N電というのは、知ってる人は知ってるでしょうが、知らない人は知らないでしょうから説明すると、
明治に京都電気鉄道・通称京電が開通させた、北野天満宮と京都駅を結ぶ路面電車です。
同時期に敷設された路線の多くが市電化されて広軌となったのに対し、
唯一狭軌(Narrow Gauge)のまま残った路線。N電の「N」は、もちろん「Narrow」の「N」。
明治のままな車輌が京の街並を走る往時の姿は、廃止からちょうど半世紀経った現在も人気が高く、
「せめてN電だけでも残ってたら、いい観光資源になったのに」と、悔やむ声も多し。
時の変遷を経て、一応「廃線跡」である堀川通は景観そのものさえ大きく変貌しまくってますが、
この北野商店街のあたりにはまだ微妙に「鉄」の匂いが残っている気がします。
特に、七本末中立売から天神さんまでのカーブとか。何か実に「廃線跡」っぽいなあ、と。
元々このあたりは北野の下の森と呼ばれる北野社の境内だったそうで、
まず鉄道が敷かれ、それにつれて道が出来、商店街が形成されたんだとか。
鉄に先導され街が出来ると、廃線後も動線とかから鉄の匂いが漂うもんなんでしょうか。
と、とりとめのない話は置いといて、糸源です。鱧です。鱧しゃぶです。
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2011年8月7日(日)

清水寺での盂蘭盆会・六斉念仏奉納へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
盂蘭盆会。平仮名だと、うらぼんえ。いわゆる、お盆のことであります。
なのにトップ画像は、イカついお面の方が刀を構えてて、物騒この上ないのは、何故。
それにそもそも、清水寺って念仏の寺だったっけ。
そう思っていただけると嬉しいんですが、これはいわゆる京都の六斎念仏であります。
元来は殺生禁断や謹慎を定めた「六斎日」に、念仏を修するところから始まった、六斎念仏。
それが時代を経て踊り念仏へ変容し、さらに「見せる」ことを意識し始めて、芸能化。
京都は最先端の芸能が集結する場でしたから、一旦芸能化するとその流れは止まらず、
長唄・地唄・歌舞伎などを貪欲に吸収、あげくセリフ付きの狂言まで取り入れてしまったという、
特殊過ぎる発展をした民俗芸能というか、信仰行事というか、まあそんなんであります。
現在も市内のあちこちに保存会があり、お盆を中心に奉納演舞を行なってますが、
「清水の舞台」を文字通りの桧舞台とした、こちらの清水寺盂蘭盆会奉納も、そのひとつ。
この舞台での奉納は、かつて六斎の最高の栄誉だったそうで、それを平成十年に復活。
中堂寺六斎会が、牛若丸と弁慶の対決を描いた『橋弁慶』を上演することでも知られます。
そう、トップ画像のイカついマスクマンは、弁慶なのです。
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2011年8月5日(金)

今熊野の魚市へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
『ひとりで食べる鱧』、復活です。
己の財政状態を省みず鱧を食い始め、わずか2回で予算爆発&中断したこの企画ですが、
絶食してみたり、命の次に大事な動画を消してHD購入を先送りしたりすることで、奇跡の予算確保。
想定枠も5000円から3000~4000円に修正して、何とか再開にこぎつけました。
実は中断してる間、鱧ネタを続けるために「ひとりで作って食べる鱧」なんてことを試してたんですよ。
スーパーで生鱧を購入し、おとし・天ぷら・出汁・鱧寿司を見よう見まねで作り、食す、みたいな。
結果はそれはもう恐ろしいこととなり、ちょっと詳述出来ないような臭気が家に満ちたんですが、
しかしその際、鱧の生頭に直接触れる経験を持てたのは、ちょっとした収穫でした。
出汁をとるため、炙ってから肉を落として洗ってる時に感じた、あの不思議な感触。
子犬の頭骸骨を撫でてるような禽獣感と、今にも噛み付いてきそうな鋭い口先との、ギャップ。
「確かにこいつはパワー、あるな」と無条件で納得させられる何かがありました。
鱧のラディカルな魅力、食材以前の生物としての魅力とでもいいましょうか。
で、鱧のそんな魅力にとりつかれてるような気がするのが、こちらのはも料理・魚市。
鱧のレントゲン写真を展示してることで有名な店です。そう、レントゲン。骨でも拓でもなく、レントゲン。
鱧には、思わずそんなことをしてみたくなる何かがあるということなのです。
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2011年7月24日(日)

祇園祭の花傘巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
花傘巡行。山鉾巡行の「あとのまつり」の名残ともいえる神事です。
かつて山鉾巡行は、「さきのまつり」と「あとのまつり」の2回、行われてました。
「さきのまつり」は17日、神幸祭の露払いとして。「あとのまつりは24日、還幸祭の露払いとして。
山鉾が神輿に代って祇園祭の主役になってからも、本来の意義を失うことなく続いてたわけです。
その伝統に変化が起こったのが、昭和の中頃。マイカーが走るようになる高度成長期の頃。
市内交通が麻痺する日を一日でも減らしたい、ついでに観光客を集中的に呼び込みたい、
京都市はそんな思惑を抱き、「さきのまつり」と「あとのまつり」の統合、合同巡行を提案。
祇園祭の神事としての側面により重きを置く八坂神社は、この案に反対しましたが、
実際に巡行を担う山鉾町からは「2週もやってたら、商売やりにくてかなわんわ」という声も多く、
昭和41年、山鉾巡行は17日に一本化。千年以上続いた「あとのまつり」は、途絶しました。
「あとのまつり」の意義を遺したい神社側は、24日に何らかの神事を行なうことを発案。
どうせならと山鉾の原型・花傘を復活させ、各種芸能行事も盛り込み、花傘巡行はスタートしました。
巨大な鉾などは出ませんが、織物業者や花街がメインで参加するため、行列の華やかさは随一。
巫女さんのような神饌行列、芸舞妓はん、鷺踊、万灯踊、そして「きものの女王」に花傘娘と、
ほとんど女人禁制の山鉾巡行とは対照的に、女性が大量動員される神事なのであります。
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2011年7月21日(木)

五智山蓮華寺のきゅうり封じへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
きゅうり封じ。それは、弘法大師が京の都に遺した、秘法。
恐ろしい呪術には事欠かない京都の中でもダントツの法力を持ち、
あまりにシャレにならぬゆえ、メジャーなメディアでもカルトなメディアでもその扱いは極めて、希少。
今だ全貌さえ明らかになってないそのきゅうり封じへ、私は単身乗り込んだ・・・というのは大嘘です。
もらったパンフに「土用丑の日は年一回の秘法厳修の日」などと書かれてたので、
狂った反応をしてしまいました。鰻を食う勢いで「秘法厳修」するギャップ感が、たまりません。
実際のきゅうり封じは 「きゅうりに願かけて、悪いところを持ってってもらう」 というもんです。
病苦・悪行の根から逃れ、長生き&安楽往生できるよう、大師が秘法を残してくれた、という。
「だけど、何できゅうり?」と思うんですが、一説によると空海、きゅうりが嫌いだったそうです。
人形とか使えばいかにも「秘法」っぽいですが、そこを、きゅうり。それも、自分が嫌いな、きゅうり。
千年の時を超えて空海の素顔がダイレクトに感じられるような由緒であり、
ゆえに、千年の時を超えて人々からの信仰を集め続けている行事であります。
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2011年7月14日(木)

四条河原町下ルの三栄へ、鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都の夏といえば、鱧。
というわけで、貧乏独男でも京の夏を楽しもうと始めた夏季集中企画 『ひとりで食べる鱧』 。
己の財政事情を省みずに食べ歩きをスタートしたんですが、結果、あの、今回で最終回です。
最終回じゃないにしても、多分、当分、お休みです。何故って、いや、お金がなくなるから。
お金ってね、使うとなくなるもんなんですよ。御存知でしょうか。本当に不思議ですよね。
貧乏なら貧乏で、もうちょっとお手ごろな惣菜ものとかで攻めてもよかったんですが、
しかし、そういう守りの姿勢では絶対に楽しめない味覚があるのも、これまた世の真実。
特に今回の三栄、良かった。本当に、良かった。
この企画では「昼&5000円以内」の予算を想定してたんですが、こちらの御代は7000円弱。
結構なオーバーではありましたが、でも本当に、良かった。美味かった。
四条通を避けて寺町通の電器街へ行く時、団栗橋からこの店の前あたりをよく通ってましたが、
「何か渋い店」という印象しかなかっただけに、嬉しい驚きでした。
当日の朝10時頃に「ひとりで。13時半頃」と予約の電話を入れたら、OKの返事。
だったのでのこのこ出かけました。
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2011年7月10日(日)

柳家本店へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都の夏といえば、鱧。
ですが、偽京都人の私には夏に鱧を食う習性などありません。
あ、いや、ちょっとだけ思い出はあります。幼少時、母が作ってくれた鱧の吸い物。
安物の骨だらけな鱧を、インスタントの出汁に放り込んだだけの代物。これがまあ、不味かった。
鱧大好きという関東の知人にこの話をすると
「それ!そういうのがいいんですよ」とか喜びましたが、実物を食えば閉口すること間違いなし。
本当に泣くほど不味く、それから私は鱧が嫌いになりました。
嫌いになればなるほど懐には優しい食材なので、特に困ることなく今まで生きて来ましたが、
しかし、京都の夏といえばやはり、鱧。
京都ベタスポットの単独正面突破を身上とするうちとしては、逃げるわけにはいきません。
本当にベタな老舗にはとても入れませんが、比較的庶民派な店でも美味しい鱧はあるはず。
そんな店を渡り歩く、夏季限定シリーズ 『ひとりで食べる鱧』。
予算は、5000円以内。金が続く限り続けます。次回か、下手すると今回で終了かも知れませんが。
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2011年7月7日(木)

白峯神宮の七夕祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
白峯神宮。
御存知、「日本国の大魔縁」となったことで知られる崇徳天皇を祀る神社です。
保元の乱に敗れ、讃岐国へ流罪とされ、都を呪いながら死んでいった、崇徳帝。
「皇を取って民とし、民を皇となさん」と血で書きつけたその呪いのパワーこそが、
鎌倉以降長らく日本を武士の国にしてしまったと考えたのは、大政奉還を控えた維新政府。
「この呪い、何とかしとかないと、マジヤバし」と考えたのか、実に明治改元の2日前、
讃岐国より京都へ帰還した崇徳帝の御霊は、この白峯神宮へ遷霊されたのでした。
しかし、この神社が祀ってるのは恐怖の大魔縁だけではありません。
境内には多くの摂社がありますが、中でも東側で大きな存在感を放ってるのが、精大明神。
この土地は元々、蹴鞠の宗家・飛鳥井家の邸宅跡。で、精大明神はその飛鳥井家の祖先神。
ゆえにこの神様、蹴鞠はもちろん、サッカーは初めとした球技各種の上達に効能があると言われ、
プロアマ問わずたくさんのスポーツ関係者から篤い信仰を集めてます。
白峯神宮の七夕祭は、崇徳帝ではなくこの精大明神のお祭り。精大明神例祭。
蹴鞠はもちろん、舞楽や、かつて七夕踊りとも呼ばれたという「小町をどり」なども奉納されます。
あいにくの雨ですが、舞殿での蹴鞠というのもそう見れるものではありません。
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2011年6月30日(木)

市バスの一日券を使った、でも結局歩きまくってる夏越祓の茅の輪くぐりまくり、前編の続きです。
全くどうでもいい話ですが、私、バスが苦手なんですよね。
どこの街のバスも苦手なんですが、京都のバスは特に苦手です。
府民ではあるものの相当長く利用し続けてるはずですが、未だに系統さえ覚えられません。
何より車内の空気が、ダメなんですよね。あの、モワ~っとした空気というか、ノリというか。
一言で言うなら、しんきくさい。 「遅延にイラつく」 といった話ではなく、空気そのものが、しんきくさい。
このしんきくさい空気、バスのみならず、地下鉄にも漂ってることがあります。
特に、市営地下鉄の今出川以北。何故か列車の中の雰囲気がバス的になり、すごくしんきくさい。
「鉄道の生理」が欠落してるというか、鉄道の基準で人間が動いてない感じが、苦手なんですよ。
私は京阪の駅前に生まれ、列車が大鉄橋を渡る音を聞いて育ったような人間なので、
京都市中心部に漂うこの「非鉄」なノリに、いつまで経ってもなじめません。
明治以前に街が出来上がってた多くの都市と同様、
京都も大きな鉄道 = JR・京阪・近鉄・阪急などは市街地中心部を避けて建設されてますが、
阪急が市街地ど真ん中の四条通り地下へ乗り入れる昭和中頃までその状態が続いたために、
京都の「非鉄」はある意味、純粋培養されてしまったのでしょうか。
と、全く無関係な話を全く無意味に終えたところで、夏越祓の茅の輪めぐり、後編であります。
後編は灼熱のラッシュ、ひたすら数ばっかりこなしていく様を、ご覧下さい。
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2011年6月30日(木)

夏越祓の茅の輪をくぐりまくってきました。もちろん、ひとりで。
夏越祓。なごしのはらい。6月の晦日に行われる、お祓いです。
正月からの半年間でこびりついた身の穢れを、多くの神社で設置された茅の輪をくぐることで祓い、
疫病の脅威と暑さそのものが本格化する厳しい夏を乗り切ろうという慣わしであります。
元々は701年の大宝律令によって定められた「大祓」という国家的な除災行事だったそうで、
かつては朱雀門前に百官以下天下万民が集まり、国民全ての犯した罪や穢れを祓ったんだとか。
しかし現在ではもちろんそんな大層なことは行われず、
むしろ茅の輪目当てにあちこちの小さい神社を訪問する楽しみが味わえる日となってます。
で、私、この日が暇だったので、穢れに穢れた身を清めようと、市内各社の輪をめぐってみました。
行ってみたかった神社が数社と、あとは適当にその場の気分で足が向いたお社と。
市バスの一日乗車券を買って、でも五十日ゆえか混雑しまくりなので結局大半は歩いたりして、
「みなづきのなごしのはらいするひとはちとせのいのちのぶというなり」と言いまくりました。
あ、これ、茅の輪をくぐる時の呪文です。意味ですか。さあ、何なんでしょうね。
おおむねどこの神社も、人はまばらか無人なので、客層リサーチや気まづさ度チェックは省略。
ひたすら輪をくぐり続ける様、ごらん下さい。
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2011年6月10日(金)

伏見稲荷の田植祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
稲を荷うと書いて、イナリ。稲荷はあくまで、農耕神であります。
「ウソをつけ」と言いたくなるくらい、伏見稲荷の「お塚」にはあらゆる効能を誇るお社が密集し、
神々のラッシュアワー、あるいは神徳のワンストップサービスとでもいうべき状態を呈してますが、
しかし稲荷はあくまで、農耕神であります。だからこそ、これだけ幅広い欲望を集めるのであります。
なぜ集まるかといえば、それはおそらく、我々日本人が農耕民族だからでしょう。
自然にひれ伏すだけでなく、コントロールして収穫を得るという、テクノロジーの萌芽としての稲作。
その第一歩である 「苗を植える」 という小さな行為に、
産業・商売問わず、豊穣を生むあらゆるものの始まりをごく自然に連想できる、我々の感性。
どっかのわけのわからん映画で、猿が天へ向けて投げた骨が宇宙船に化けたように、
田に植えられた1本の苗は我々の魂の中で、スカイツリーにまで真っ直ぐ繋がっているのです。
神前に供する米を収穫する神田に、豊作祈願をしながら苗を植える、伏見稲荷の田植祭。
現代人の目には「のどか」に見え、その見た目に惹かれカメラマンや見物客が集まる神事ですが、
その混雑で「のどか」さがかき消されてる現実が表すように、ここに真に満ちているのは、欲望。
「食いたいものを、食いたいときに、食いたいだけ、食いたい」。
「やりたいことを、やりたい時に、やりたいだけ、やりたい」。
「撮りたいものを、撮りたい時に、撮りたいだけ、撮りたい」。
そんな欲望のカオスなのです。本当かと訊かれたらウソですが、とにかく稲荷なのです。
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2011年6月5日(日)

修学旅行生だらけの清水寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
世界遺産に登録されている清水寺(京都市東山区)で、江戸初期に再建された国宝・本堂の「清水の舞台」を支える柱78本のうち12本にシロアリ被害などが発生していることが7日、わかった。
同寺は現在、本堂を含む建造物9棟の「平成の大修復」を行っており、その過程で判明した。倒壊の危険はないが、東日本大震災などを踏まえ、柱の補強など修復計画の変更も検討している。
清水寺によると、異変がわかったのは平成21年秋。寛永10(1633)年の本堂再建以来、380年近くにわたって本堂と舞台を支え続けてきた直径60センチ以上の欅(けやき)の柱12本がシロアリや湿気の被害で腐食したり、大人の腕が入るほどの空洞が開いていたりする可能性が目視調査などで指摘された。(産経新聞より)
2011年6月7日にこんなニュースが出た、清水寺。
その2日前の6月5日、シロアリにやられてるという舞台はいつもと同様、人間でいっぱいでした。
誰も穴が開いてるなんて知らないわけですから当然ですが、それにしてもそれにしてもであります。
時折りしも、修学旅行シーズン。6月は、特に中学生が多いそうです。
で、中学生は清水寺へやってくると、舞台の欄干に登りたがる習性を持つそうです。
シロアリニュースを聞いたあとで見ると、何とも感慨深いビジュアルの数々、
長ったらしい文章を書くのが何かもう面倒なので、写真のみで淡々と見届けていただきましょう。
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2011年6月3日(金)

貴船・ひろ文で、川床料理を楽しんできました。もちろん、ひとりで。
川床って、もともとは涼を取るためのもんだったんですよ。
だって、京都の夏は暑いから。暑さから逃れるために、川に床を敷いたんですよ、昔の人は。
あ、御存知ですか。で、今もそうだろって。そんなわけないでしょ。今はクーラーがあるんだから。
風というより熱気がまとわり付いてくる夏の京都の川べり vs クーラーが効いた部屋。
どっちが涼しいと思いますか。幻想や痩せ我慢を取り去れば、答えは明らかです。
というわけで、現代の川床は実際的な納涼から開放され、風情こそを楽しむものとなりました。
おかげで、営業形態は年々多様化。期間も夏に限定されず、果てしなく長期化。
明らかに寒いと思える5月も営業し、むしろその寒さを利用して真夏では不可能な昼床が増殖中。
何でもありであります。
が、何でもありだからこそ、貧乏で孤独な我々が川床を楽しむチャンスも生まれるわけであります。
今回訪れたひろ文は、市内中心部より気温が数度低い、京都の奥座敷・貴船の料理旅館。
1200円で川床気分が味わえる流しそうめんで有名な店ですが、
6月いっぱいまでは3500円の清涼膳なる平日限定昼メニューを設定。で、それを食いにいった、と。
あ、為念で言っときますが、貴船の川床は「かわゆか」ではなく「かわどこ」です。
「かわゆか」は鴨川みたいな川沿いの床、貴船は川を覆う床ゆえ「かわどこ」だそうです。
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2011年5月22日(日)

下御霊神社の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
下御霊神社。
京都御所の南東にあり、名前の通り御霊 = 怨霊を祀る神社です。
祭神は早良天皇を始め、この世に未練を残して非業の死を遂げた貴人の霊ばかり、八柱。
パッと見は、地元の人が梨木神社と同じ水源という名水を汲みに来る渋い神社ですが、
本当は極めてやんごとなき、そして恐るべきルーツを持つ社なのであります。
平安前期・貞観年間、都の人々は、都市化により熾烈を極めるようになった疫病に直面。
貴賎問わず襲い掛かるこの災厄を、人々は御霊によるものと考え、貴人の霊を慰める御霊会を開催。
怨念の直接的なターゲットであるため、ある意味民衆以上に怨霊にビビリまくっていた朝廷は、
この動きに呼応する形で神泉苑にてオフィシャルな御霊会を開催&年中行事化。
有名な祇園祭のルーツの話ですが、下御霊神社も同経緯で創始されたと考えられています。
例祭には、今宮のやすらい祭と同じく、いにしえの御霊会のテイストが色濃く残存。
神幸列のプレ祇園祭な剣鉾や山車が、平安期の祇園祭をイメージさせることも、多大です。
また興味深いのが、この神社の氏子区域。もともと上御霊神社と共に皇居の御産土神であり、
多くの御殿や公爵の邸宅が並んでたというこのエリアは、現在はバリバリの都心。
高層ビルと、昔のままの町家が入り混じる、京都ならではのオフィス街になってます。
そこを、平安装束の神職たちが鳳簾を押して歩く、シュールともいえる光景が展開されるのです。
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2011年5月15日(日)

葵祭・路頭の儀のフル追尾、続きです。
京都の人にとって、葵祭は「それほどでもない」んだそうです。
『京都大不満』 という本に、そう書いてありました。曰く、三大祭の中では「それほどでもない」。
祇園祭は愛着度が高い、と。誰が見てもわかります。で、時代祭は全然だ、と。これもわかります。
が、葵祭の「それほどでもない」という感じは、ちょっと微妙なニュアンスの世界かも知れません。
しかし、私にはわかる気がします。一応、勅祭が行われる八幡の民としては、わかる気がします。
勅祭って基本、じっと見るしかしょうがないんですよね。
ほとんど無形無実とはいえ皇族が関わる祭ですから、平民はおいそれと参加できないわけです。
その割には学生バイトが動員されまくってるし、ボランティアの方も多く関わってるんでしょうが、
自分達で作る自分達の自主的な祭というのとは、何かが決定的に違う。
今でも「お上の祭」なわけです。当の「お上」が御所にいなくなっても、「お上の祭」なわけです。
神が街を巡幸することはなく、あるのはコスプレ行列のみ。それらをただ、見る。じっと、見る。
牛車を、風流傘を、知らん間に知らん所で決定される斎王代などを、つくづくと見る。
「見る」側の優位性がとかく強調され、無能ゆえの万能感を膨張しやすい現代において、
葵祭は、見ることしか出来ない平民の無力さを改めて教える儀礼なのかもしれません(大層な)。
5月のよく晴れた都大路を、コスプレ追いかけて走りまわる、そのみっともなさ。
もちろん現代の我々は、そのみっともなさをマゾヒスティックに享受する自由も持ってるわけですが。
社頭の儀を終えた下鴨神社からゴールの上賀茂神社までのパレード後半戦、
同志のあなたもマゾヒスティックに、無能に、追走してみますか。
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2011年5月15日(日)

葵祭・路頭の儀をフルで追尾してみました。もちろん、ひとりで。
葵祭。言うまでもなく、京都三大祭のひとつです。
夏の祇園祭、秋の時代祭と並んで、春の京都の重要な観光資源でございます。
本名、賀茂祭。上賀茂神社と下鴨神社、両賀茂社の例祭であり、
私の地元の石清水祭・奈良の春日祭と共に、勅使が派遣される三大勅祭のひとつでもあります。
そもそも京に於いて「祭」といえばこの賀茂祭のみを指したくらい、その重要性は高く、歴史も長し。
平安遷都以前から「猪殺して乱闘しまくり」の喧嘩祭として、何度も禁制食らうほどの大盛り上がり。
遷都以降は賀茂社の王城鎮護指定を受け、勅祭化。また都の祭として、洗練化。
特に、御所から社までを天皇の使い・勅使とその行列が華麗な姿で行進する路頭の儀は、
雅な姿がさながらファッションショーの如き人気を呼び、見物人の場所取りで諍いが起こるほどに。
以後、応仁の乱でしばらく途絶したり、明治維新や第二次大戦などによる中断を挟みつつも、
そのたびに何とか復興、戦後は斎王代も導入し、一貫して京の「祭」であり続けてます。
流鏑馬神事・歩射神事・競馬会神事・御阿礼神事・そして御影祭などなど、
単体でも集客力のある神事が並ぶ葵祭ですが、一番の客寄せパンダはもちろん、この路頭の儀。
新緑眩しい都大路に華麗なる王朝絵巻を再現する、全長1キロもの日雇いバイトのコスプレ行列。
しかし着ている衣装は全部本物、下手すると着てる人間より高価だったりするので、あなどれません。
そんな路頭の儀、スタートの御所からゴールの上賀茂神社までは実に8kmに及びますが、
最初から最後まで、徒歩のみで追いかけてみました。何故って、暇だし・・・。
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2011年5月7日(土)

大原女まつりの大原女時代行列へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
大原女と書いて、おはらめ。
隠棲の里・大原より、独特のスタイルで薪や農作物を京へ売りにやってくる女性達の通称です。
そのルーツは、壇の浦で我が子を抱いて入水するも死にきれず、寂光院に隠棲した建礼門院。
院に仕えた阿波内侍の作業着姿を、地元娘たちが真似。それが大原女の始祖と考えられてます。
鄙の中にも御所由来のセンスが光るその姿は、古くから歌に詠まれ、絵にも描かれ、
単なる行商としてのみならず、一種の雅な風物詩として長らく都の人から愛されたとか。
しかし大原女、実際は雅どころではない重労働です。大原から京都までの移動は、もちろん、徒歩。
バスなど、走ってません。そもそもバスが走れるような道さえ、最近までありませんでした
だからこそ行商に意味があったわけですが、交通が開けるとその意味が薄まり、大原女は減少。
今の大原女は、観光用ばっかり。で、それではいかんと奮い立ったのが、当の大原観光保勝会。
地元以外の若い女性にも大原女の衣装を着てもらおうと、「大原女まつり」なるイベントを企画。
大量の変身大原女を動員して、時代行列も開催。それに絡めて、フォトコンテストも開催。
「変わった格好したい」女と、「女を撮りまくりたい」男が集結するイベントとして、
人気を博するようになりました。
「それ、要するにコスプレ撮影会ですよね」と言われたら、全くその通りです。
ただ、カメコの平均年齢が普通の撮影会の3~4倍高いのが、大きな特徴であります。
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2011年5月5日(木)

藤森神社の藤森祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
藤森神社。その筋の方には、競馬の神様として有名です。
京阪乗って淀の京都競馬場で勝負する前に、途中下車して必勝祈願、みたいな。
ファンのみならず、騎手や馬主など関係者の参拝も多いというから、筋金入りの馬神社であります。
ではこの社の祭神は馬かといえば、そうではありません。祭神は、神功皇后を始めとする十二柱。
新羅を攻略して凱旋した皇后が、戦旗と武器を納めたのが、この神社の始まりだそうです。
こんな勇ましい由来を持つわけですから、藤森神社は当然のように、武神。勝軍の神。
今も昔も「勝ち」を欲する人々から篤い崇敬を受け続けています。
勝負で直接メシを食う戦国大名たちはこの社の鳥居前を通る際には敬意を払って槍を下げ、
明治に入れば武運にあやかろうとしたのか陸軍第十六師団が隣の敷地へ駐屯し、
一応平和ということになってる現代では競馬の受験に勝利をもたらす神となってるのであります。
そんな藤森神社の大祭は、藤森祭。菖蒲の節句、すなわち端午の節句の開催です。
武神ゆえ菖蒲 = 勝負ということでこの日を選んでるのかどうかは知りませんが、
5月5日を男の子のお祭りの日として武者人形を飾るのは、この祭が発祥なんだとか。
早良親王が陸奥国の反乱鎮圧で出陣した様をなぞらえたという武者行列、
京都で最も優雅な神輿が何故か伏見稲荷あたりまで行ってしまう神輿巡幸、
そしてもちろん有名な駆馬神事と、実に男の子な行事が目白押しな祭なのであります。
そんな男の子の祭、男ひとりで行ってきました。
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2011年4月29日(金)

城南宮の曲水の宴へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
曲水の宴。
それは平安時代の貴族の間で流行したという、優雅な歌遊び。
烏帽子に狩衣姿の公卿たちと小桂姿の女官たちが、庭園の遣水のほとりに座り、
御所伝来の羽觴なる盃台の酒が流れてくるまでに、出された歌題に沿った歌を詠みけり。
古代中国より伝わり、奈良から平安時代までは無病息災を願う三月上巳の宮中行事であそばされ、
のちには貴族の姫の雛飾りと重なって、3月3日の桃の節句へ発展したのもいとおかし。
そんな雅な宴が、白河上皇院政の地・鳥羽離宮跡地のど真ん中に立つ城南宮には、残ってます。
観光資産化不能で困るぐらい鳥羽離宮が跡形もなく消滅したがゆえに、城南宮の曲水の宴は、
平安の姿のまま現代に至るまでひっそりと動態保存されてきた・・・というわけではありません。
方除の神様として名高いこの神社が、
「昭和の小堀遠州」中根金作による「楽水苑」を造営したのは、昭和36年。
その中の「平安の庭」で行われる現在の曲水の宴は、もちろんそれ以降に再興された行事。
良く言えば新たなる歴史の継承、悪く言えばほとんど単なるコスプレショーですが、
わかりやすく「雅」を具現化したビジュアル、そしてこの日は庭の拝観料が無料になることもあって、
年々人気を高めてます。そんな雅な世界、行ってみました。
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