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昼も、ひとり

松尾大社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。(2) 船渡御

2011年4月24日(日)

宗像社・神輿
松尾大社の神幸祭、続きです。

松尾の祭には、必ず雨が降るそうです。
それは、松尾の神様が水の神であることに由来するんだとか。
松尾大社の祭神は、松尾山を支配する神・大山昨神と、海上守護の神・中津島姫命の二柱。
海の無い京都に海の神さまが祀られてるのを不思議に思われるかも知れませんが、
松尾の目の前には、淀川を経て瀬戸内航路に直結する桂川が流れてます。
また、桂川上流である保津川を経由して、丹波から木材などの交易を行っていたことは有名です。
この地で水運、あるいは漁などで「水」に関わってた人たちは、多かったんでしょう。
松尾の氏子にとって、水と船は、今よりもはるかに大きな意味を持ってたんじゃないでしょうか。
そんなことを考えさせてくれるのが、松尾祭・神幸祭の最大の見せ場である、船渡御。
文字通り、神輿を舟に乗せ桂川を渡ってしまうという、京都で唯一無二の勇壮な荒技です。
もっとも、さらに昔は舟さえ使わず肩で担いで川を渡りきったそうですが、
いずれにせよ人と水とのダイナミックな係わり合いが見れる神事です。
今日は朝から、日本晴れ。午前中は、暑いくらいの陽気でした。雨なんか降るんでしょうか。

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原谷苑へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月17日(日)

原谷苑の桜と提灯
原谷苑へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

原谷苑。
今、京都で一番有名な桜の「穴場」かも知れません。
金閣寺の北、大文字山の西、戦後に外地からの引揚者たちが農地として開拓した地・原谷。
以前は荒地のまま放置されてた土地だったそうですが、入植民は何とか生活できるよう、改善。
やがてインフラが整いアクセスも向上すると、今度は宅地開発で一気に人口が流入。
今では、普通の住宅地+少し山の香りが残る感じになってる郊外なエリアであります。
そんな原谷で、個人の方が自身の農園にて数十年に渡り桜を育成したのが、原谷苑。
その育ち方と量が尋常ではないと口コミで名が広がり、桜の開花期間のみ一般公開を開始。
「ガイドブックに載ってない名所」を求める人が大挙して押し寄せるようになったわけです。
話題になってるのは、桜そのものだけではありません。独特な入苑料設定と金額も、しかり。
御存知の方も多いでしょうが、ここ原谷苑は、その日の開花状況によって入苑料を決めます。
もちろん、桜の状態が良いほど、高し。で、値段のMAXは、実に1500円。
おまけなどの類は、何もありません。おみやげも、なし。純粋に入苑料だけで、1500円。
もはや清々しささえ感じるほどの、ブッちぎり加減なのであります。
が、実際の1500円の桜は、そのマッシブな値段設定を凌ぐブッちぎり加減だったのであります。

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龍安寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月14日(木)


龍安寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

龍安寺の境内って、広いんですよね。地図で見ると、近所の仁和寺と同じくらい。
でも、あんまりそういう印象、ありません。イメージの中では、仁和寺よりずっと小さく思えます。
たぶん、龍安寺最大の売りであるあの石庭が、そう思わせてるんでしょうね。
不可解な配列で石が並んだ小さな空間が、見る物全てを禅の宇宙へ誘う、石庭。
馬鹿デカい建造物で圧倒するのとは真逆な、吸引型とでもいうべきインパクトを放つ、石庭。
加えて、その石庭をかかえる本堂も、小振り。その本堂への拝観券を売ってる山門もまた、小振り。
おまけに、チケット売るのは山門だけどモギるのは本堂前のため、
その間の池や、奥の方のよくわからん庭を、無料区域&前フリみたいに思いがちです。
しかしあの池は、龍安寺が徳大寺家山荘だった平安時代に作られた池泉舟遊式庭園で、
貴族が舟を浮かべ歌舞音曲を楽しみ、近世までは石庭よりずっと有名だったのであります。
奥の方のよくわからん庭も、歴史があるのかは知りませんが、とにかく桜が咲くのであります。
なので、桜の季節の龍安寺は、石庭以外にこそ注目するべきなのであります。
それなのに、やっぱりトップ画像は石庭なのであります。

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墨染寺へ墨染桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月13日(水)

桜と日蓮上人像①
墨染寺へ墨染桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

墨染寺。通称、桜寺。
伏見区の墨染にある、桜で有名なお寺です。「ぼくせんじ」も「すみぞめでら」も、どっちもアリ。
風変わりな地名ですが、これは墨染寺名物である墨染桜に由来します。
891年、かつて深草の里と呼ばれ鶉が鳴く野辺だったこの地に、
太政大臣・藤原基経が葬られ、それを悲しんだ平安歌人・上野峯雄が詠んだ歌が
「深草の野辺の桜の心あれば 今年ばかりは墨染に咲け」。
その歌を聞き、当時この辺に生えてた桜は一斉に薄墨色に咲いたとか。それが、墨染桜。
何故か秀吉はこのエピソードが大層お気に入りだったそうで、墨染の地を何度も訪問。
のみならず、元は貞観寺という寺だった土地を日秀上人に与え、墨染桜寺として再興。
で、現在に至るかといえばそうでもなく、一時は多くの塔頭を抱えるほどの大寺に化けた墨染寺、
徳川期になると一気に凋落、縮小に移転を重ね塔頭のひとつに納まったのが、今の姿。
うっかりすると見落とすような商店街の一角で、桜目当ての客をひっそりと待ち受けてます。
夕刻、もはや花びらが舞い散りまくるその小さな境内へ、行ってみました。

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哲学の道へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月10日(日)

哲学の道の桜
哲学の道へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」。
「俺が俺で俺だから」の如き「俺俺俺」な響きを持つこの歌、詠んだ人は、西田幾多郎。
「絶対矛盾的自己同一」などとややこしいことを言って、京大で京都学派を創始した哲学者です。
その西田幾多郎が思索に耽りながら歩いたから、哲学の道は、哲学の道。
琵琶湖疏水の開鑿に伴い整備された、銀閣寺から若王子神社前までの約2キロの歩道。
そこへ、日本画家・橋本関雪と妻よねによって大正時代から桜の植樹が始められ、
昭和後期に改めて整備、名前も正式に「哲学の道」となり、日本の道100選にも選定。
今では春になるたび、哲学から最も遠い人々が哲学から最も通り理由でそぞろ歩く、
桜の無料&超メジャースポットとなりました。
が、それでも哲学の道は、哲学の道。やはり、吾行く道を、吾は行くなり。
俗人が集うこの雑踏の中こそ、己の哲学的精神を試すには、ふさわしいのではないか。
この享楽的な空間こそ、真に現代的な哲学を構築するのには、ふさわしいのではないか。
そう考え、満開の桜の中を歩きながら、思う存分思索に耽ってみました。

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八幡の背割堤へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月9日(土)

背割堤の桜並木
八幡の淀川河川公園・背割堤へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

背割堤。せわりづつみ。
私の地元・八幡における桜の名所です。
が、名所といってもトップ絵面をご覧の通り、基本、ソメイヨシノがボーンボーンと立ち並ぶだけ。
量は多いですが、凡庸といえば凡庸。どこにでもありそうな感じの、郊外的な桜スポットであります。
しかし、植えられた桜は凡庸でも、植えられた土地は凡庸ではありません。
ここ背割堤は、府南部の木津から流れてきた木津川、琵琶湖から宇治を通ってきた宇治川、
そして鴨川と保津川を飲み込んだ桂川の三川が合流し、大阪のシンボルである淀川に化ける地。
昔は「淀川」という名前の通り、淀城のあたりで合流してたんですが、
明治初頭に流路を変更、現在の合流点はちょうど京都府と大阪府の境界あたりだったりします。
そう、ここはまさに、国境。
生と死の境界線上で咲く桜にふさわしい、清と濁、光と闇が相まみえる場所なのです。
京都と大阪のどっちが濁かは知りませんし、あるいはどっちも闇かも知れませんが、
とにかく、凡庸なソメイヨシノであっても何らかの妖しき魔力が作用するのは、確かなのです。
「ほんまか」と問われたら「嘘です」としか答えようがないですが、確かなのです。
KBS京都とテレビ大阪が見れたり見れなかったりした私が言ってるんだから、確かなのです。

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祇園へ都をどりを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月8日(金)

祇園甲部歌舞練場玄関
祇園甲部歌舞練場へ都をどりを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

都をどり。
言うまでもなく毎年4月に開催される祇園甲部の舞踊公演であり、
多々ある「をどり」の中で、恐らくは最もメジャーな「をどり」であります。
発端は、明治。東京遷都により凋落の危機に立った京都は、産業振興策として博覧会を開催。
都をどりは、その付博覧、いわば余興として生まれました。
明治5年の第1回は新橋小堀の貸し席で、翌年以降に新設された祇園甲部歌舞練場で、毎年開催。
京都の新たな春の風物詩として定着し、現在に至るも高い人気を誇り続けてるというわけです。
もちろんチケットの入手は、その困難さそのものがネタになるくらい、困難。
「男ひとりでフラフラ行って、当日飛び込みで観た」なんて話、あまり聞いたことがありません。
というかそれ以前に、私、「都をどりを観る」という発想さえ、持ったことありません。
しかし、震災を受けて現在の京都は観光客、減少中。特に外人は、激減。
「ひょっとしたら、いけるんじゃないか?」「こんな今だからこそ、行くべきか?」と思い立ち、
普段はせいぜい前を通るだけの歌舞練場へ、正面から客として入ってみたというわけです。

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法然院の春季特別公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月1日(金)

椿の散華でいっぱいの手水鉢
法然院の春季伽藍内特別公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

法然院。
哲学の道のすぐそばにあり、無料で拝観できる寺院として高い人気を誇る寺です。
といっても、ただ単にたくさんの人で溢れかえるわけではなく、ほどほどの量と質の人気を維持。
「タダでいろんなものいっぱい見れた~」というデフレで空虚な満足感でもなく、
「タダならまあこんなもんか」という物足りなさでもない、実にほどほどな充足感。
静謐な境内が生むそんな感慨が、良質の拝観客を呼び続けている寺なのであります。
何故ここが拝観無料かといえば、檀信徒からの浄財で運営される檀那寺だから。
要は、普通のお寺。なので、檀信徒さんの法要などを最優先するため、伽藍は通常非公開です。
一般参拝客である我々は、この寺の山門や前庭を見てるに過ぎません。
その山門と前庭のクオリティがあまりに高いので、おなかいっぱいになってるに過ぎません。
が、それでもやっぱり中も見たいという方々のために、春と秋には有料ですが特別公開を実施。
秋は紅葉、春は法然院名物の椿が活かされたビジュアルを楽しむことができます。
そんな、法然院の内側、行ってきました。

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隨心院のはねず踊りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月27日(日)

はねず踊り
隨心院のはねず踊りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

隨心院。
山科区小野にある、真言宗善通寺派大本山の寺院です。
「小野」という地名がまんまで示しているように、かの絶世の美女・小野小町ゆかりの寺であります。
もらいまくった恋文を下張りにした文張地蔵尊像や、もらいまくった恋文を埋めてできた文塚など、
絶世の美女ならではの豪気なアイテムは、この寺にもいろいろ存在。
男から見ると不条理極まるエピソードである「深草の少将百夜通い」の舞台も、ここです。
「私が欲しければ、私の家まで100回来い」と。で、少将は毎夜通ったと。でも、99回目に凍死したと。
99回目の夜に雪が降ったことが不条理なのか、100回も来いというのがそもそも不条理なのか。
「無論、後者だ。30回くらいにまけてやれ」と説教したくなるあなたは多分、私の同志でしょうが、
でも同時に多分、もてないんでしょうね。
とにかくそんな「百夜通い」のエピソードをを主題にしたのが、この日に行われた、はねず踊り。
悲しい物語を、地元の少女たちが深草少将と小野小町に扮して、踊ってくれます。
「跳ねない踊り」のことかと思ってたら、かつては随心院の梅を「はねず」と呼んでいたとか。
で、その「はねず」が咲く頃に踊るから、はねず踊り、と。
一時衰退しましたが、昭和48年に地元の努力で復活したそうです。

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清水寺の青龍会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月17日(木)

舞台で暴れる青龍
清水寺の青龍会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災より一週間。
発生当初、遠忌を予定通り厳修するといってた東本願寺と知恩院は、数日後に延期を発表。
知恩院はついでに、夜間ライトアップも中止。
「節電しても何にもならん」とイベント続行を宣言した東山花灯路も、結局は行灯を消灯、
さらにはイベントそのものも「東山祈りの灯」と追悼仕様へ変更しました。
そんな状況にあって我が道を行くのが、観光スポットのキングである清水寺。
ライトアップも、フル出力で敢行。そしてこの青龍会も、遠慮なく実行。キング、恐るべし。
で、青龍会って何だという話ですが、清水寺の門前会が主催してるイベントです。
読み方は「せいりゅうえ」。「せいりゅうかい」だと何となく広域指定な香りがするので、要注意。
2000年、秘仏御本尊・十一面千手観音像が33年ぶりに開帳されたのを受け、開始。
門前会のHPには能書きがいろいろ書かれてますが、要は最近始めた、客寄せです。
法螺貝吹いて、コスプレ覆面巫女が法水撒いて、張り子の青龍がウニョウニョする、そういうのです。
「それを今、やるか」という話ですが、やるのです。

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下鴨神社の流し雛へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月3日(木)


下鴨神社の流し雛へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

流し雛。雛祭りのルーツといわれる行事です。
3月3日の上巳 or 桃の節句に、紙で作った人形へ己の穢れを移し、川や海へ流す。
そのことにより無病息災を祈願するという、実にお祓いスピリットあふれる風習であります。
元は 「上巳の節供」 なる中国の習慣だったそうですが、日本でネイティブなお祓い魂と、野合。
さらに時代が下って室町時代になると、貴族間の子女が行われていた 「ひいなあそび」 とも、野合。
もっと時代が下ると、武家や庶民の間でも 「雛祭り」 が行われるようになり、人形もゴージャス化。
ゴージャス化したら流すわけにもいかず、流さないとなればさらにゴージャス化は勢いがつき、
家の財力を誇示するアイテムに成り下がった雛壇からは、本来のお祓い魂は何処かに忘れ去られ、
ついでにユニセックスだったのも女子専用と化し、雛祭りは現代へ至るわけであります。
流し雛は、そうなる前のプロトタイプ。Zガンダムでいうところの、百式 or メタスです (意味不明)。
この風習、地方へ行くとかなり現存してるようですが、京都にも残ってます。
有名どころでは、下鴨神社で人形業者が大々的にイベント化して行われる、流し雛でしょうか。
イベント正式名称、 「京の流しびな」 。「雛」 の漢字忌避に、早くも女子感が漂います。
「雅」 全開の平安時代には、女子専用どころか闘鶏見て盛り上がってたという桃の節句ですが、
現在の現実としてはあくまで、女の子のお祭り。そこへ行こう、と。ひとりで行こう、と。
不審者扱いされるんじゃないだろうか。変質者扱いされるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、一人囃子で糺の森を歩いて行ったのです。

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真如堂の大涅槃図特別公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月27日(日)


真如堂の大涅槃図公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

真如堂。正式名称、真正極楽寺
本堂の呼び名が本名より有名になり定着してしまった、天台宗の寺院です。
天台系では京都市内最大の本堂、渋い美を誇る三重塔、秋には紅葉が燃え上がる境内と、
見所が多いにも関わらず拝観は基本的に無料、ゆえに秋の混雑は年々増す一方の寺であります。
えらく気前がいいですが、何故かといえば、ここには三井家という大檀家がついてるから。
江戸前期に家の本拠地を京都へ移し、のちの三井財閥に繋がる豪商への道を開いた三井高利は、
この真如堂が気に入り、自分の墓をここへ建てることを希望、実際に埋葬されました。
で、それ以来、実に現在に至るまで、三井家は真如堂の大檀家であり続けてるわけです。
もちろん、寺の維持のためにしかるべき金額の御布施が納められてるのでしょうし、
そのおかげで平民の我々は無料で散歩したり、暇をつぶしたり、猫と遊んだりできるのでしょうが、
三井家は重要な文化アイテムもまた真如堂へもたらしてます。その代表が、大涅槃図。
釈迦入滅の様を描いた大涅槃図といえば、京都では東福寺や泉涌寺のものが有名ですが、
三井家の女性たちの寄進により江戸中期に制作された真如堂の大涅槃図も、なかなかに立派。
厭求や海北友賢らに実作が委ねられた縦6メートル、幅4メートルの図は、
釈迦の命日である旧暦2月15日前後に公開もされています。で、それを見に行ったと。
この時期限定で授与される 「花供曽」なるあられ、そして真如堂名物の猫と共に、
仏の慈愛と三井家の偉大さをじっくりと感じ取っていって下さいませ。
あ、ちなみに大涅槃図の拝観は無料ではなく、有料です。

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北野天満宮の梅花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月25日(金)


北野天満宮の梅花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

学問の神様と呼ばれる、平安時代のエリート・菅原道真。
実際に頭が良く有能であり、それゆえ家格を超え右大臣にまで昇進した、菅原道真。
しかしそれが面白くない藤原時平により謀略を企てられ、大宰府へ流され、死んだ、菅原道真。
生きてるうちは配流も困窮も我慢した道真でしたが、死後は雷神と化し、京の街を呪いまくり。
首謀者・時平のみならず、陰謀関係者各位へ片っ端からヴードゥースプラッターをお見舞いし、
ビビりまくって名誉回復を決めた朝廷にもブチ切れ、遂には雷で御所をストライクアタック。
焼死体続出の惨状を見せつけられた醍醐天皇は、のちにショック死。
頼むからもう勘弁してくれと、朝廷は道真を主祭神とする北野天満宮を造営。
で、道真の命日である2月25日には、道真が愛した梅を大々的にフィーチャアした祭りを開催。
それが、この梅花祭なのであります。恐るべき因縁を持つ祭なのであります。
なので、本来は呑気に梅の観賞などをしてる場合ではありません。
縁日に並ぶ露店で、呑気に鯛焼きや回転焼きなど食ってる場合でもありません。
何故か毎回やってきて、楼門前に陣取る富山ブラックラーメンを食ってる場合でもありません。
ちゃんとお参りしないと、呪われるのです。雷を落とされるのです。大変なのです。
で、私は祈ってきました。祈るためだけに、天神さんへ出かけてきました。
偉いのです。真面目なのです。そしてひょっとすると、暇なのです。

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2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【1】

2011年2月3日(木)


2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

【1】 聖護院の追儺式平安神宮の古式な大儺之儀廬山寺の鬼踊り
【2】 須賀神社で懸想文売り冷やかし藤森神社で鬼大暴れ吉田神社で沈没

の 【1】 、鬼と豆と中高年が大興奮の節分スペクタクル、とくとご覧下さい。

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一休寺の一休善哉を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月30日(日)


一休寺の一休善哉の日へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

一休さん、一休和尚、一休禅師、一休宗純
呼び方は何でもいいですが、とにかく超知名度の高い禅僧であります。
アニメ 『一休さん』 の 「気にしない、気にしない。一休み、一休み」 でも有名ですが、
そのはるか以前、それこそ本人存命中の室町時代から、民衆の支持が極めて厚い僧でした。
といってもその人気は、頓知の明晰さや徳の高さといったノーマルな敬意というより、
一休さんがやらかしまくった、およそ名僧らしからぬアブノーマルな奇行に由来するもののようです。
後小松天皇の落胤として生まれ、6歳で仏門へ入った頃こそ正常な天才少年でしたが、
17歳で宗純と改名してからは、自殺未遂をやらかす、カラスの鳴き声で悟りを開く、
大事な文書を平気で燃やす、木刀を差して街をうろつく、他所の寺の仏像を枕にして寝るなどなど、
御落胤でなければ只事では済まないであろう無茶な風狂の限りを尽くしました。
また、パーソナルライフの方も負けず劣らず無茶苦茶であり、
酒は飲むわ、肉は食うわ、女は犯すわ、男も犯すわと、異常なフリーダム状態で異常に長生き。
最後は50歳下の女と愛欲の限りを尽くし、「死にとうない」 と悟りの欠片もない言葉を残し、
老衰でも腎虚でもなくマラリアで死去。凄い、とにかく凄過ぎる。
京田辺市の一休寺は、そんな無茶苦茶な一休さんが無茶苦茶な晩年を過ごした寺。
毎年1月最終日曜日には 「一休善哉の日」 として、善哉を接待してくれたりもします。
で、それに行ってきました。あ、接待といっても、有料ですけどね。
奉納料、1000円なり。何か割高ですが、気にしない、気にしない。一休み、一休み。

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狸谷山不動院の初不動へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月28日(金)


狸谷山不動院の初不動へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「効き目が強いパワースポットは、都の周辺部に多い」。
「パワーを通り越して霊気そのものを発する妖しいスポットも、都の周辺部に多い」。
興味本位の軽い気持ちで京都のパワスポ巡りや恐怖スポットへ出かけたことのある人なら、
そんなことを思うかも知れません。実感として 「ちょっとアクセス不便なとこ、多いなあ」 と。
もちろん、本当にヤバい所というのは、京都市街の中心部にもいくらでもあります。
郊外のその手の物件は、土地取得が容易だったり、放置 or 廃棄が容易だったりするために、
ヤバさがド派手化 & 大型化して、わかりやすい形になっただけとも言えます。
しかし、「ちょっと不便」という距離感そのものが魅力の根源になってるとも考えられるのであり、
スポットの強度や性質もまた距離に規定される、と思えないこともありません。
「ちょっと不便だけど、頑張って行った」 という行為によって何かが救われるタイプの、思い。
逆に頑張り過ぎてマジな修行の領域に入ると、全部が昇華されてしまいそうなタイプの、思い。
一乗寺から坂を上った先の山奥にあり、パワースポットを自認している狸谷山不動院は、
そんな距離感の思い・願望を、真正面から受け止めている寺ではないでしょうか。
本尊・咤怒鬼(たぬき)不動明王から来る「他抜き」 という語呂合わせな勝負の願いから、
ガン治癒祈願、そして自動車祈祷と、そのご利益は極めて切実、かつ現世的。
桓武天皇の勅命で建てられながら、戦後に至ってようやく本格的に復活したという経緯もあり、
より 「今」 な問題へ向き合う姿勢を打ち出し、それにより多くの信奉者を集めています。
そんな狸谷山不動院の一年で最初の縁日が、初不動
大護摩供養が行われるんですが、その火で暖められた笹酒が無料で振舞われます。
しかも、おかわり自由。「狸谷飲放題」 という異名もあり。行くでしょ、そりゃ。

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京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。

2011年1月7日(金)


京都市内の神社で七草粥を食べまくりました。もちろん、ひとりで。

お粥は、不味い。
貧乏な家庭 or 料理の下手な家庭に育った人間が抱く、固定観念です。
バリバリの貧乏家庭に生まれ、化学調味料を「おふくろの味」として育った私も、
当然ながらバリバリのお粥ヘイター。「こんなもん、ゲと一緒やんか。食えるかっ」と。
幼少時に瀕死の熱病にかかった際も、断固として普通の米飯を要求した記憶があります。
米飯を湯で崩しただけの「おふくろの味」など食ったら、むしろ体と心に悪いと。
実際、お粥は、不味い。少なくとも、ちゃんと作らないと、不味い。
薄味の出汁のセンスや、米の微妙な崩れ加減を見るセンスが要求されるので、
奥が深いというか、下手すると一般的な料理より作るのが難しいものかも知れません。
野趣あふれる野草を7種類も投入する七草粥になれば、その難易度は更に上がるはずです。
人日(じんじつ)の節句である1月7日朝に食べる、七草粥。
芹・薺・御形・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔を入れた粥を食べ、一年の無病息災を祈ると共に、
正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休め、青物の栄養も取ってしまおうという風習であります。
特に京都ならではの行事でもありませんが、市内のいくつかの神社では接待を展開。
その気になればお粥の食べ歩きなんてのも、できないことはありません。
本当に普通のお粥を他所で食べる機会はあんまりないですから、
お粥の奥の深さを体感すべく、接待めぐり、七草粥食べまくりをやらかしてみました。
件数が多いので、細かい客層は省略+ダイジェスト風でご覧ください。

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2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【3】

2011年1月1日(土)


2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 ラストです。

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2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。 【1】

2011年1月1日(土)


2011年への年越しを、京都で迎えました。もちろん、ひとりで。

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清水寺で行われた「今年の漢字」発表へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2010年12月10日(金)


清水寺で行われた「今年の漢字」発表へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

今年の漢字
年末になると清水寺で発表される、その年を表す漢字。あれであります。
「毒」だの「変」だの「偽」だのと、過去のチョイスを見ると案外妙な字が多いんですが、それはともかく。
ご存知の方も多いかも知れませんが、このイベント、清水寺が主催してるわけではありません。
この「漢字」の発表はあくまで、イベント。仏事 or 寺の行事ではないのです。
主催者は、漢検。正式名称、財団法人日本漢字能力検定協会
ここが清水の舞台をレンタルして、ついでに名筆で知られる清水寺貫主・森清範の手も借り、
検定受験の宣伝、もとい、漢字の普及を促進させるため行ってるわけです。
本当に単なるイベントに過ぎないんですが、清水の舞台と森貫主の揮毫が絵になるためか、
師走の風物詩として定着、ニュースにも決まって取り上げられるようになりました。
実は私、この漢検と縁がないわけでもなかったりします。
私のみならず、京都で学生やった人の何%かは、ここのお世話になってるはずだったりします。
いや、検定を受けるという話ではなく。むしろ、その、逆というか、何というか。
一応、守秘義務があるんですよ。なので詳細は書けませんが、と書けば想像がつくあれですよ、あれ。
しんどいんですよ、あれ。結構ちゃんとやってるんですよ、あれ。
却って面倒くさい10分休憩とか、ねえ。なのに、ねえ。トップが不祥事起こして、ねえ。
理事をやってた森貫主が辞めるとか言い出した「今年の漢字」ですが、
体制変えて何とか存続、清水寺と森貫主の揮毫も存続、今年も発表が行われる運びとなりました。
で、その発表の現場を見に行ったというわけです。

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