上賀茂神社の賀茂競馬へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年5月5日(日)


上賀茂神社の賀茂競馬へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

Godspeed You 。ゴッドスピード・ユー。
「あなたの成功を祈ります」 「幸運を祈ります」 みたいな意味のフレーズです。
が、語尾に 「Black Emperor」 と付けると、暴走族映画のタイトルに化けてしまう通り、
日本ではその筋の嗜好と思考を持つ方々から重用され、高い認知度を誇る慣用句であります。
「God」 + 「speed」 。故に、 「神速」 。DQN的なセンス溢れる誤訳とは言えるでしょう。
しかし、それが本当に単なる誤訳、脊髄反射レベルの誤訳に過ぎないとは、私は思いません。
むしろ 「Godspeed」 という言葉の深層には、神とスピードの間にある親和性が潜むと考えます。
「宇宙で神に遭遇した」 とか言い出し、後には教団へ入ったりした、どっかの宇宙飛行士。
「S字で神を見た」 とか言い出し、後には自分も天高く昇天してしまった、どっかの音速の貴公子。
現代であっても、死と隣り合わせの速度の中にいる人たちは、何かと神を感じがちです。
モータリゼーション皆無時代の人々なら、その親和性に一層、敏感だったのではないでしょうか。
多くの神社で行われる、馬の奉納。または、競馬等の形式で行われる、馬の速度そのものの奉納。
それらの伝承は、私たちに 「Godspeed」 的なる何かを、力強く語りかけてる気がします。
神は、スピードである。スピードは、神である。そんなこと、感じたことはありませんか。
と、別の意味のスピードが好きな人が聞いたら、瞬間冷凍で大喜びそうな与太話はともかく、
京都の神社で馬が爆走するといえば、競馬の神様・藤森神社の駆馬神事が、あまりにも有名です。
が、駆馬神事と同じ5月5日に、葵祭の前儀として行われる上賀茂神社・賀茂競馬もまた、有名。
平安期の宮中武徳殿に於いて、端午の節会に行われたという 「くらべうま」 に始まり、
賀茂氏人が引き継いだ後も、現在に至るまで雅なるマナーで受け継がれてきた、賀茂競馬。
しかし、神のために爆走する馬が発するスピード感、そして衝撃波の如き音と風は、
単に雅なだけの鑑賞神事ではない、 生々しいまでの 「Godspeed」 を感じさせてくれます。
そんな賀茂競馬、奮発して千円のセレブなる有料席で観てみました。

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東山花灯路2013と清水寺特別夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年3月9日(土)


東山花灯路2013協賛の清水寺夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

桜シーズン目前+紅葉シーズン直後という閑散期の京都で、
ベタ名所の東山&嵐山をライトアップし、夜間集客を図る電飾イベント・京都花灯路
無料のもの&光るものが好きな蛾の如き民ばかり集めて、経済効果があるのかは知りませんが、
とにかく2003年の初回以来、徐々に規模と知名度を上げつつ順調に回数を重ねてきました。
しかし2011年、そんな花灯路に試練が訪れます。言うまでもなく、東日本大震災です。
発生直後に始まった東山花灯路は、『東山祈りの灯り』 なる灯火管制モードに変更を余儀なくされ、
世間では原発が止まり、ライトアップどころか家庭レベルでまで節電が要求される事態が出来。
あの日を境に、私たちにとっての電気の意味は、完全に変わってしまったのであります。
正直、花灯路は終わったと思いました。のみならず、ライトアップ全般が終わったと思いました。
電気が余ってると思われてた頃から、浪費的にも宗教的にも批判が多かった、ライトアップ。
節電中にやれるものではないでしょう。それに、電気があり余る世の中は、恐らくもう、やって来ない。
2012年の東山花灯路は、開始から10周年ということで盛大に盛り上がってはいましたが、
「こんな馬鹿騒ぎも、これで見納めかもな」 という予感は全く払拭されることがなく、
そんな予感と共に見た電飾の光景は、言うのは嫌ですが、少し魅力的に見えたりもしたのでした。
で、その予感は、何ら終了の気配もなく例年通りに開かれた2013年の花灯路でも、
ゆとり溢れる阿呆の子たちが例年通りに騒ぎ倒す2013年の花灯路でも、実は消えてません。
うちでももちろん例年通りに特攻を行った、花灯路、そして提携の清水寺夜間拝観。
パッと見レベルでの変化の無さと、その下に隠れる危うさ&根源的な懐疑の変化の無さ、
私たちの生活が持つ矛盾・欺瞞・危うさは何ら解決も解消もされてない感じを、
写真から溢れる徒労感と共に味わってもらえると、幸いです。

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鞍馬の火祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2012年10月22日(月)


鞍馬の火祭・後篇、いよいよ祭本番です。

鞍馬の火祭は、ただいたずらに松明を大量に燃やして、
アホの外人が 「ファ━━イアァ━━━━ッ」 などと絶叫するだけのものではありません。
ちゃんと神輿も出ます。神幸祭なのですから、本殿から御旅所へ向けて、ちゃんと神輿も出ます。
天皇の病や天変地異に際し、五条天神と共に社前へ閉門・流罪の印である靫を掲げられ、
スピリチュアルなスケープゴート的役割を担ってきたという、靫明神 = 由岐神社
そして、現在はその由岐神社の相殿に 「客神」 として合祀されているものの、
かつては鞍馬寺の鎮守社であり、鞍馬山上に独立した社殿も構えていたという、八所大明神。
この二神を乗せた神輿が、鞍馬の町を巡幸することこそ、鞍馬の火祭の本義なのです。
本当かどうかは知りませんが、元来の鞍馬の火祭は、ここまで松明燃えまくりだったわけではなく、
神輿と剣鉾こそが祭のメインという、極めてオーソドックスな神幸祭の形を持ってたとか。
もちろんそれは、祭の本義というものを考えれば、当然といえる話であります。
やはり重点的に見るべきは、燃えさかる松明ではなく、神輿ということになるのであります。
百数十本の松明が鞍馬寺門前に集まる松明集合も、本義を考えれば、見なくていいのであります。
凄まじい炎の中で行われるという注連縄切りも、本義を考えれば、見なくてもいいのであります。
「これを見なければ、鞍馬の火祭を見たことにならない。絶対、見たい。見せろ」 と、
怒り出す奴がいたとしても、本義を考えれば、見なくてもいいのであります。
と、先の流れがほとんど読めること書いてますが、鞍馬の火祭レポート、いよいよ本番です。
セコいコネ使って民家へ上がり込んだり、隅っこで屏風見てクールな観察者を気取ったりせず、
超絶的な混雑へ真正面から特攻したらどうなるか、それを全身で確認してきました。
火の粉の中で燃え上がる、怒り、苛立ち、徒労、疲労、絶望、尿意、空腹、
そして興奮や歓喜などを、とことん体感的に御堪能下さい。

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鞍馬の火祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2012年10月22日(月)


鞍馬の火祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

鞍馬の火祭。京都で最もメジャーな火祭です。
今宮神社のやすらい祭広隆寺の牛祭と共に、京都三大奇祭のひとつでもあり、
京都のみならず、全国的にもかなりな知名度と集客力を誇っている火祭と言えるでしょう。
正しくは鞍馬寺ではなく、同寺境内にある由岐神社の秋季大祭である、鞍馬の火祭。
御所内に祀られていたという靫明神が、940年、朱雀天皇の勅命で鞍馬の地へ遷されることになり、
その際、鞍馬の村人たちが篝火を焚いて神を出迎えたことから、始まったとされてます。
祭の舞台は、鞍馬寺の門前集落として、また若狭街道筋の交通集落として栄えた、鞍馬町、全体。
今なお木造家屋が多く軒を連ねる町中を、数mもある松明が火の粉を散らしながら練り歩き、
最後は町内全焼+山火事大爆発の恐怖もいとわず、その松明百数十本を集め、燃やしまくり。
実に、恐るべき祭りです。が、鞍馬の火祭の真の恐怖は、火にはありません。
この祭りの開催日は、10月22日。雅なるコスプレパレード・時代祭の開催日と、同じであります。
時間的にちょうど良い感じのハシゴができるため、流れて来る観光客は極めて、多し。
しかし、鞍馬に一度でも行ったことがある人は御存知でしょうが、あそこはとても、狭い町です。
道もほぼ一本で、これまた、狭い。そこへ1万人以上の人間と、百本以上の松明が、集まるのです。
圧死の恐怖。踏死の恐怖。トイレがなくて、失禁の恐怖。食事ができず、行き倒れの恐怖。
足を滑らせ鞍馬川へ落ちて溺死 or 凍死の恐怖。などなど、恐い、考えただけで、怖い。
鞍馬の狭さを知る人なら、誰もがこの恐怖を想像し、近づきたいとは思わないんじゃないでしょうか。
私も正直、できたら、いやなるべく、いや本当はかなり絶対に、行きたくなかったりします。
が、このサイトの趣旨は、ベタスポットの単独正面突破。逃げるわけにはいきません。
というわけで、炎の狂乱と混雑の狂気の中へ、正面から飛び込んでみました。
人圧と炎熱がスパークする奇祭の様、とくと御堪能下さい。

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2012年の祇園祭・山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。【後篇】

2012年7月17日(火)


2012年の山鉾巡行追尾録、前篇に続き後篇です。

そういえば、2012年巡行では、放下鉾の喧嘩騒ぎがありました。
当日から 「放下鉾 喧嘩」 で検索して飛んできた人がいたので、何のことかと思ってたら、
鉾の保存会と囃子方の保存会が揉め、巡行の途中で囃子方が鉾から降りてしまったんだとか。
実は私、放下鉾から囃子方が降りてる現場を、数10mほど離れた所から見てました。
新町御池あたりで止まったまま動かず、後続の山にどんどん追い抜かれていく、放下鉾。
のみならず、通常は激しい尿意を催しても降りることが許されないという山鉾から、人が降りている。
変だな、とは確かに思いました。でも、近くに寄って事態を確認しようとは思いませんでした。
何故なら、面倒くさかったから。何故面倒くさかったかといえば、暑かったから。
もうね、何時間も直射日光浴びながらウロウロしてるとね、数10mを動くのもイヤになるんですよ。
あと、御池通自体が、暑いし。道が広くて日陰がないので、逃げ場がなくて、暑いし。
目もね、かすんできますよ。いや、見えてるんだけど、画像の信号が脳に届かない状態というか。
耳も、きつい。聞こえてるけど、聞こえてない。世界が、遠い。ちょっとした、離人状態です。
それくらい、暑かったんですよ。あんまり暑いと、下衆な好奇心って、蒸発するもんなんですよ。
多分、喧嘩の理由も多分、暑かったからですよ。暑いと、腹立ってきますもんね、うん。
と、狂ったイントロと共に、河原町通北上から山鉾解体に至るまでの後篇、スタートであります。
モチベーションと体力がダダ下がりの中、灼熱のストリートを這いずり回る感覚を、
またしても文章超手抜き+単なる写真の羅列状態で味わってください。

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2012年の祇園祭・山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。【前篇】

2012年7月17日(火)


2012年の祇園祭・山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

山鉾巡行、2012年度の追尾録でございます。
千年前から超過密都市であるため、疫病が死に直結する時代が長く続いた、京都。
梅雨明け+盛夏初頭あたりは特に怖い季節であり、氾濫する疫病の元・疫神を何とか祓うべく、
華麗な山車で街中を巡行し、厄神を吸引してまわることこそが、そもそもの山鉾巡行の本義でした。
その巡行が、疫神を祓うどころか疫人たる観光客を大量に呼び込むショーと化した時期こそ、
疫病の恐怖が消え、産業と観光重視の思想が前面化した、昭和の高度経済成長期。
17日 「さきのまつり」 +24日 「あとのまつり」 の二週またぎ開催だった巡行が17日に一本化、
ルートも大幅に変更され、現在生きてる大半の人にとっての 「山鉾巡行」 の形が出来たわけです。
しかし、昭和終了からもそれなりの時間が経ち、経済成長の夢もまた跡形もなく消え去った今、
山鉾町や行政など祭に関わる人たちの関心は、旧儀の復活の方により向いてます。
「さきのまつり」+「あとのまつり」 の二週またぎ開催早期復活が、現実的に協議されるようになり、
2012年の今回は、実に140年も休み山だった大船鉾が、巡行に復帰することになりました。
全てが 「例年通り」 のようでいて、実は激しく形を変え続けている、山鉾巡行。
ひょっとすると現行の昭和フォーマットでの巡行は、逆にあと数年で見納めとなるかも知れません。
正午を過ぎてからの疲労よ、さらば。無残なまでにカラッポになる有料席よ、さらば。
そんな哀惜の念を抱きながら眺めたというのは大嘘ですが、とにかく2012年も追尾です。
朝7時の飾りつけから14時過ぎの解体まで、延々と追っかけてみました。
あまりに暑過ぎて記憶が曖昧なため、ほとんど写真の羅列のみで恐縮ですが、
現場の興奮と猛暑と疲労を感じていただければ、幸いです。

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祇園祭の昼の宵々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年7月15日(日)


祇園祭の昼の宵々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宵々山。すなわち、山鉾巡行の前々夜という意味です。
「15日の宵山」 が本来の呼び方だそうですが、すっかりこの呼称が定着してます。
最近は宵々々山という言葉も浸透し、私もふざけて 「宵々々々山」 などと書いたりしました。
しかし、そのうち 「宵々々々々々々々々々々々々山」 などという阿呆な言葉が本当に現れようとも、
「宵」 という文字が夜を表すことについては、どうにもこうにも曲解のしようがありません。
そう、そもそも山鉾町の散策は、夜に行うもの。何故なら、昼は暑いから。死ぬほど、暑いから。
しかし、宵々々山あたりからの山鉾町は、昼でも多くの観光客で賑わうようになります。
まだ山のいくつかが建ってもいない宵々々々山の頃だと、まだ地元の人が多い感じですが、
交通規制や露店が始まる宵々山あたりからは、混雑は夜顔負けのレベルに達してしまいます。
頭の上からは、直射日光。足元からは、輻射熱。そして周囲は、木材と人肉だらけ。
それでも、来る人がいるのです。それも沢山、いるのです。死を覚悟しているとしか思えないのです。
幻想と疲労の間から生まれた、観光ハイとは違うヘビーで殺伐とした空気を放ちながら、
超狭い山鉾町の中を徘徊し続ける人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人。
人間の業が露になるという点では、それはそれで興味深いものがあるかも知れませんが、
地元あるいは近隣の住民ならあまり近づきたくない、そんな恐るべき昼の宵々山。
しかし、超メジャースポットの単独特攻が趣旨のうちとしては、逃げるわけにはいきません。
単独特攻のみならず、山鉾全てを網羅するというどうでもいいミッションも己へ課し、
炎天下と超人圧の中、熱中症の恐怖を背中に感じながら徘徊してみました。
疲労が過ぎて、細かいことを記憶する脳の余裕がなかったため、長ったらしい文章は、カット。
写真の単なる羅列から、現場の異様な空気を感じて下さい。

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祇園祭の山鉾曳初めへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年7月12日(木)


祇園祭の山鉾曳初めへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「あなたも山鉾巡行の曳き手になってみませんか」 。
春を過ぎると、こんな曳き手ボランティア募集広告を、街角でよく見かけます。
私の住んでる八幡にはありませんが、京都市内なら誰もががちょくちょく目にするでしょう。
何故か古い感じのアパートが多い所で出くわすことが多い気がするんですが、それはともかく、
山鉾を曳く機会というのは、男限定ではあるものの、案外簡単に得ることができるわけです。
あれを見るたび、足を止めてしばし眺め、 「やってみようかな」 とか思ったりします。
「中に入らないと、わからないことも多いだろう。やってみようかな」 とか思ったりします。
でも、当日に休みが取れるかどうか、わからん。それに、どう考えても体力的に、ハード過ぎる。
見てるだけの見物客からでさえ、熱中症で病院送りになる奴が毎年現れる、山鉾巡行。
日差しからの逃げ場がない道の真ん中で、あんなデカいもん引っ張るなんて、ちょっと、ありえん。
こんな感じで、毎年、尻込みしています。似たようなヘタレ野郎の方、多いんじゃないでしょうか。
しかし、死ぬ思いで曳き手ボランティアをせずとも、山鉾を曳くチャンスは、ないことはありません。
山鉾が組み上げられ、正常に運行が可能かどうかを試す行事 「曳初め」 が、それです。
文字通りの試験走行である曳初めは、その場にいる見物客を曳き手に大量登用。
予約も申込も必要なく、その場に居合わせ列に並べば、老若男女誰でも鉾が曳ける、と。
観光客が少なく交通整理も甘い街中を、大勢の地元民に曳かれて進む山鉾の姿は、
写真などで見る昔の巡行のイメージと妙に重なり、いい味があったりもします。
そんな曳初め、ヘタレの私もこっそり混じってきました。

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車折神社の三船祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年5月20日(日)


車折神社の三船祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

嵐山には、昭和の匂いが残っている。
時にそんなことを、私は感じます。率直に言えば、何かちょっと古いなと。
メジャーな観光地として、ソフト面もハード面もそれなりに更新は行われてるわけですが、
小手先のバージョンアップでは左右されない、土地固有のレベルで昭和感が残存してるというか。
貴族の遊興地としての歴史を持つと共に、丹波との水運の要所でもあり続けた嵐山が、
完全に庶民相手の観光オンリーで食っていくと腹を決めたのは、案外最近なのかも知れません。
それこそ、昭和の頃とか。なので、昭和テイストが何となく残ってるのかな、みたいな。
毎年秋に行われる 「嵐山もみじ祭」 の、40年ほどタイムスリップしたような昭和全開ぶりや、
バブルの頃に林立したタレントショップの唯一の生き残りが美空ひばり記念館だったことを思うと、
どうでもいい印象や思いつきに妙な確信を感じたりするんですが、あなたどう思いますか。
「もみじ祭」 とは逆に、春、五月第三日曜に開催される車折神社の例祭延長神事・三船祭もまた、
そんな 「昭和の観光」 の残り香のようなものを、ちょっとだけ感じさせてくれる神事です。
近年パワスポとして益々名が高い車折神社の御神霊を、新緑眩しい嵐山へ運び、
王朝絵巻さながら水上にて多種多様の芸能を奉納するという、嵯峨ならではの雅な祭。
しかし、始まったのが昭和初期のためか、どちらかといえば近過去寄りの観光モード感が漂い、
どちらかといえば中高年以上の世代が喜ぶコンテンツに満ちたイベントだったりします。
優雅と言えば、極めて優雅。かったるいと言えば、残念ながら、かなりかったるい。
そんな三船祭、混雑で日和気味ながら、行ってきました。昭和生まれの平安、ご堪能下さい。
あ、一応言っときますが、三船祭、三船敏郎とは何も関係ありません。

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下鴨神社の流鏑馬神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年5月3日(木)


下鴨神社の流鏑馬神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

春の都大路に華麗なる平安行列を再現する、葵祭
しかし、 「山城国風土記」 などに伝わる平安京成立以前の葵祭 = 賀茂祭は、
ほぼケンカ祭同然、DQNや輩な連中が大暴れする、かなりワイルドな祭だったようです。
欽明天皇の時代、凶作に苦しんだ賀茂氏と在地民は、賀茂別雷神の祟りを鎮めようと考えて、
鈴をつけた馬を4月吉日に走らせ、豊作を祈願したのが、賀茂祭のそもそもの始まり。
最初は極めてアーシーというか、オーソドックスに農耕テイストが漂う予祝祭だったわけです。
それが、単に馬を走らせてるだけではつまらなくなったのか、やがて笠懸などをおっ始め、
これに興奮した馬鹿どもが大暴れ、政府から何度も禁止令を食らうケンカ祭にまで成長しました。
正に、DQNであります。正に、輩であります。完全に、田舎祭りだったのであります。
そんな楽しく野蛮な賀茂祭が、その姿を大きく変えることになったのは、平安遷都前後の頃。
朝廷は賀茂氏の勢力取り込みを図るため、賀茂社を都の鬼門守護を担う社と位置づけ、
ローカルな祭だった賀茂祭を勅使の奉幣を受ける超メジャー級国家的祭祀に変貌させました。
以後、中断を挟みながらも、賀茂祭は 「雅」 モードで現代まで継承されているわけですが、
ワイルドな香りを残す神事もあり、それが前儀として行われる、流鏑馬神事です。
下鴨神社・糺の森の中、射手が猛スピードの馬で駆け抜けながら的を射抜くその姿は、
昭和48年の復刻とはいえ、原始の賀茂祭の息吹を伝えるものと言えるでしょう。
そんな流鏑馬、GW混雑のど真ん中ながら、のたくりこんできました。

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地主神社のえんむすび祈願さくら祭りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年4月15日(日)


地主神社のえんむすび祈願さくら祭りへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

地主神社
「じぬしじんじゃ」 ではありません。地主を守護する神社でもありません。
正しい読みは、「じしゅじんじゃ」 。清水寺の舞台を出てすぐのところにある神社です。
現在はそれこそ清水寺のおまけみたいな存在感を放つ地主神社ですが、その歴史は極めて古し。
最初の本殿建造は701年とか言われてますが、境内の石は縄文時代から存在すると言われ、
京都がまだ湖の底だった頃から、何らかの信仰が根付いていた可能性がある社であります。
が、21世紀にここを訪れる人の大半にとって、そんなことは知ったことではありません。
こちら地主神社における最近の売りは、ずばり、縁結び。
それこそ間借りのような狭い境内には、「恋占いの石」 だの 「良縁大黒」 だのといった、
下司い野望を叶えてくれる、もとい、真っ直ぐな想いを受け止めてくれるアイテムが、すし詰め状態。
パワスポ商戦に乗っかるどころか先頭を切るように、多彩過ぎる良縁祈願お守りも発売し、
それら目当てに観光ハイ+恋愛ハイ+パワスポハイの女性たちが、日々群れ集うのであります。
「さくら祭り」 は、そんな地主神社の名物桜 「地主桜」 をフィーチャーしたお祭り。
かの嵯峨天皇も御車を返してまで愛で謡曲や俳句にも数多く取り上げられた地主桜に、
何故か縁結びを祈願してしまうという、わかるようなわからんようなお祭りであります。
桜シーズン+日曜という悪条件に加え、神徳も超アウェーという悪状況ですが、
とりあえず不審者モード全開で侵入を果たしてきました。

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清水寺の東山花灯路2012特別夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年3月14日(水)


清水寺・2012年花灯路協賛の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

桜シーズン直前&紅葉シーズン直後の観光客閑散期に、
東山や嵐山を電飾でライトアップし、夜間の集客を図って始まった、京都花灯路
観光業者のみならず、業者以上に観光で食ってる寺院も、この集客策には積極的に協力
特に目ぼしい花が咲いてるわけでも境内を無理矢理ライトアップし、夜間拝観を行ったりしてます。
もちろん京都観光のキング・オブ・キングたる清水寺も、東山花灯路期間中は夜間拝観を強行。
昨年2011年などは、震災直後で花灯路そのものが中止状態となったのにも関わらず、
見境なしにライトアップ+ビームを発射、普段以上に暗かった京の闇夜を切り裂いたものでした。
それから一年を経て、震災の問題も電気の問題も全然解決されぬまま迎えた、2012年の春。
東山花灯路は、チープな客を吸い寄せる電飾イベントの本分を発揮する形で、見事復活
清水寺の特別夜間拝観もまた、例年通りの内容と規模で開催されることとなりました。
花灯路は電力の全てを太陽光発電でまかなうため、原発もCO2も特に関係ありませんが、
清水寺のライトアップはグリーン電力なんかでは絶対に支えきれそうにない、電気使いまくり状態。
おまけに境内は改修が続いていて、遂に拝観最大の目玉である奥の院までが、工事へ突入。
普通なら、やめてもおかしくないところです。規模を縮小しても、おかしくないところです。
しかし、キングは、違うのです。やるのです。やるといったら、やるのです。
そんな夜の帝王の懐、またひとりで突っ込んできました。

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京都・東山花灯路2012へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年3月10日(土)


東山花灯路2012へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

桜シーズンの直前、そして紅葉シーズンの直後の観光客閑散期に、
何とか客、それも泊り客を確保しようとして始まった、電飾集客イベント・京都花灯路
2003年の第1回以来、光るものと無料のものが大好きな人民を集めることには見事に成功、
「客の数」 と 「落ちる金」 のバランス、さらには 「周辺地域への迷惑加減」とのバランスが、
ちゃんと取れてるのかは知りませんが、とにかく順調に回数を重ねてきました。
しかし、昨年2011年は開催直前に東日本大震災が発生。地震のみならず、原発事故も発生。
「電気を使う」 という行為そのものに、日本人全員が根源的疑義を抱かざるを得なくなり、
全ての電力を太陽光発電でまかなってきた花灯路もまた、一部から批判の対象に。
「今、強行する必要あるのか」 という声もあり、追悼イベントへの変更を余技なくされたわけです。
あれから1年が経過し、震災は収束するどころか、色んな局面で進行中&拡大中。
そんな状況の中で東山花灯路2012は、記念すべき10回目として始まりました。
てっきり自粛仕様で行うと思ってたんですが、甘かった。花灯路は、そんなもんじゃなかった。
10回目を盛大に祝う形で、イベントは例年以上に出し物がテンコ盛り状態化。
舞妓舞踊&狐の嫁入りなどの恒例のブツに加え、今年は粟田神社の大燈呂まで参戦、
もちろんメインアイテムである行灯も、LED化により開き直ったようなギンギラギンぶりを誇り、
光るものと無料のものが大好きな人民を、改めて呼び寄せる内容となっております。
別の言い方をすれば 「独男の鬼門」 という正しい姿に戻ったそんな花灯路、
この日はスタートから終了まで、かなりしつこくうろついてみました。

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高台寺の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年12月1日(木)


高台寺の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

高台寺が、好きです。特に、夜の高台寺が、好きです。
はっきり言って、客層は独男にとって最低です。特に、ライトアップ時の客層は最低です。
実際、この夜の客層も最低でした。今まで行った秋の夜間拝観も、ほぼ外れなしで最低でした。
しかし、それでも、好きです。レトリックで言ってるのではありません。本当に、好きです。
何故そんなに好きかといえば、多分、この寺が率直だからでしょう。
夜間拝観を断行した同寺塔頭・圓徳院の住職・後藤典生氏は、著書『高台寺物語』にこう書いてます。
「私がライトアップを発想したもっとも大きな理由は、参拝客を増やしたいと思ったからです」。
わかりやすい。わかりやす過ぎて禅問答な気にさえなりますが、言い分はこうです。
全盛期の1/10にまで縮小した伽藍を再建したい、と。百年かかるが再建したい、と。で、金が要る、と。
そんなシンプルかつストレートな理由で、高台寺は1994年にライトアップを開始します。
寺によっては、渋さとしょぼさを意図的に混同したような照明が設定される夜間拝観ですが、
「金が欲しい」という根本動機にブレのない高台寺は、常に衒うことなく絢爛さを発揮。
「商業主義」「それでも禅寺か」「まるで和風テーマパーク」などと言われながらも、
拝観客は増えまくり、廃墟同然の状態から一転、京都随一の観光寺院の座を獲得するに至りました。
その稼ぎまくる姿に私は、率直さや大らかさ、清々しさといったものを感じます。
そしてその率直さ・大らかさ・清清しさといったものは、高台寺を建立した北政所ねねの、
夫・秀吉の配下たちを惹きつけた人柄と共通したものなのかも知れない、と思ったりもします。
私はそんな高台寺が、好きです。2011年秋の夜間拝観も、もちろん行きました。

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清水寺での盂蘭盆会・六斎念仏奉納へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年8月7日(日)


清水寺での盂蘭盆会・六斉念仏奉納へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

盂蘭盆会。平仮名だと、うらぼんえ。いわゆる、お盆のことであります。
なのにトップ画像は、イカついお面の方が刀を構えてて、物騒この上ないのは、何故。
それにそもそも、清水寺って念仏の寺だったっけ。
そう思っていただけると嬉しいんですが、これはいわゆる京都の六斎念仏であります。
元来は殺生禁断や謹慎を定めた「六斎日」に、念仏を修するところから始まった、六斎念仏。
それが時代を経て踊り念仏へ変容し、さらに「見せる」ことを意識し始めて、芸能化。
京都は最先端の芸能が集結する場でしたから、一旦芸能化するとその流れは止まらず、
長唄・地唄・歌舞伎などを貪欲に吸収、あげくセリフ付きの狂言まで取り入れてしまったという、
特殊過ぎる発展をした民俗芸能というか、信仰行事というか、まあそんなんであります。
現在も市内のあちこちに保存会があり、お盆を中心に奉納演舞を行なってますが、
「清水の舞台」を文字通りの桧舞台とした、こちらの清水寺盂蘭盆会奉納も、そのひとつ。
この舞台での奉納は、かつて六斎の最高の栄誉だったそうで、それを平成十年に復活。
中堂寺六斎会が、牛若丸と弁慶の対決を描いた『橋弁慶』を上演することでも知られます。
そう、トップ画像のイカついマスクマンは、弁慶なのです。

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祇園祭の山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月17日(日)


祇園祭の山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

山鉾巡行。
正に名実ともに祇園祭の代名詞、もはや京都観光そのもののアイコンとさえ言える、
文句なしの花看板、メインイベント中のメインイベントであります。
が、この山鉾巡行が宵山よりも来客数が少ないということを、実は私、今さっき知りました。
2011年度の山鉾巡行の来客数、20万人。対して、宵山に集った烏合の衆の数、45万人。
少ないどころの話ではありません。ダブルスコアでお釣りが来ますな。
知った瞬間は驚いたんですが、しかし我に帰ると、納得です。まあそりゃそうだわな、と。
良くて、ピーカンの激暑。悪くて、梅雨明け前の猛暑+猛湿度。最悪で、豪雨か台風。
そんな7月の気候の中、京都の街中を朝早くから駈けずり回るなど、正気の沙汰ではありません。
山鉾巡行は、KBS京都の中継で見るもの。あるいは、過ぎ去るのを家の中でただじっと待つもの。
京都市民のみならず、辺境の民である私でさえ生活感覚としてはそう認識してるのであり、
実際、今の今まで山鉾巡行を見たことはありませんし、見たいと思ったことさえありません。
が、このサイトのモットーはあくまでも、メジャーどころの単独正面突破。
メジャー中のメジャー、キング・オブ・キングの山鉾巡行から、逃げを打つわけにはいかないのです。
宵山のダメージがまだ全く体から抜けてませんが、意地だけで現場へ赴きました。
苦しくも今年の山鉾巡行は、日曜開催。さらに悪いことに、快晴です。

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祇園祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月16日(土)


祇園祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宵山。
祇園祭で最も人が集まる夜であり、言うまでもなく独男にとっては超弩級の鬼門であります。
もともとは御旅所~河原町あたりで、オーソドックスな前夜祭として行われてたという「宵宮」。
これとは別に、江戸期の山鉾町において発展した、山鉾や会所を飾る「宵夜飾り」。
やがて名を「宵山」と変えた後者は、御旅所の「宵宮」を「宵山」として吸収。
現代に至ると道路拡張+歩行者天国化+山鉾巡行一本化による観光客集中などが重なり、
「関西中のヤンキーが集まったかのような様相 (酒井順子 『都と京』)」を呈してしまうほど、
宵山は、極めて広範囲に祝祭空間を現出させるようになりました。
衆目を集めるのはもちろん、山鉾。集め過ぎて、まともな鑑賞が不可能だったりしますが。
でも、鴨川を越えた八坂神社近辺も、魅力ある神事や奉納行事がたくさん行われてます。
ちなみにこの奉納行事の名は「宵宮神賑奉納」。そう、宵山ではなく、宵宮。宵山じゃないぞ、と。
平安期に官祭となって以来の、神事としての祇園御霊会の伝統を、守り続けようとする神社側。
公家が貧乏化で手放した官祭を引き取り、自分達の祭としてここまで育て上げた山鉾側。
両者がけんかしてたら、赤の他人としては面白いんですが、もちろんそんなことはありません。
でも、やっぱり、山鉾町と神社の間には「独特な距離」が感じられるのもまた、確かです。
特に山鉾巡行の日と、この宵山の夜は、それがより強く感じられるんじゃないかと。
そのあたりにアカデミックな関心を持って、宵山をうろついてみました。
理由もなくうろつくと、心が折れそうだからではありません。本当です。嘘ですが、本当です。

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祇園祭の宵々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月14日(木)


祇園祭の宵々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宵々々山。本来は「14日の宵山」と呼ぶのが正しいらしい、宵々々山。
では「10日の宵山」や「1日の宵山」なる呼称が有り得るのかといえばよくわかりませんが、
とにかくこの宵々々山から、山鉾町周辺の歩行者天国は始まるのであります。
そして、昨日までの「町の祭」は、「市の祭」を飛び越え、「府の祭」へと変貌するのであります。
府の祭。そう、市民じゃなくて府民がいっぱい来るわけですね。例えば、俺とか。昨日も来たけど。
歩行者天国と露店、そして「祇園祭」という名前に蛾の如く吸い寄せられる、辺境の民草。
そんな愛しき我が同胞たちが、この日を境に市街地のコアブロックへ一気に流入。
雅もひったくれもないDQN臭をあたり一面へ撒き散らしながら、金もろくすっぽ使うことなく、
ただただ広いだけの四条通や烏丸通を歩いて喜ぶという事態が出来します。
「府民」には大阪府民も含まれますし、また滋賀県民も京都人のような顔をして大量混入。
関西以外の観光客がまだ少ない分、ある意味、DQN濃度が最も濃い夜かも知れません。
もちろん山鉾周辺も凄まじい混雑となり、見物しにくいどころか、生還こそが重要テーゼ化。
そんな宵々々山、昨夜との空気の違いを感じながら、うろついてみました。
前夜に引き続き、駄文抜き+画像メインで淡々とお楽しみください。

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修学旅行生だらけの清水寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年6月5日(日)


修学旅行生だらけの清水寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

 世界遺産に登録されている清水寺(京都市東山区)で、江戸初期に再建された国宝・本堂の「清水の舞台」を支える柱78本のうち12本にシロアリ被害などが発生していることが7日、わかった。
 同寺は現在、本堂を含む建造物9棟の「平成の大修復」を行っており、その過程で判明した。倒壊の危険はないが、東日本大震災などを踏まえ、柱の補強など修復計画の変更も検討している。
 清水寺によると、異変がわかったのは平成21年秋。寛永10(1633)年の本堂再建以来、380年近くにわたって本堂と舞台を支え続けてきた直径60センチ以上の欅(けやき)の柱12本がシロアリや湿気の被害で腐食したり、大人の腕が入るほどの空洞が開いていたりする可能性が目視調査などで指摘された。(産経新聞より)

2011年6月7日にこんなニュースが出た、清水寺。
その2日前の6月5日、シロアリにやられてるという舞台はいつもと同様、人間でいっぱいでした。
誰も穴が開いてるなんて知らないわけですから当然ですが、それにしてもそれにしてもであります。
時折りしも、修学旅行シーズン。6月は、特に中学生が多いそうです。
で、中学生は清水寺へやってくると、舞台の欄干に登りたがる習性を持つそうです。
シロアリニュースを聞いたあとで見ると、何とも感慨深いビジュアルの数々、
長ったらしい文章を書くのが何かもう面倒なので、写真のみで淡々と見届けていただきましょう。

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葵祭・路頭の儀を追尾してみました。もちろん、ひとりで。 (2)

2011年5月15日(日)

賀茂川堤の斎王代列
葵祭・路頭の儀のフル追尾、続きです。

京都の人にとって、葵祭は「それほどでもない」んだそうです。
『京都大不満』 という本に、そう書いてありました。曰く、三大祭の中では「それほどでもない」。
祇園祭は愛着度が高い、と。誰が見てもわかります。で、時代祭は全然だ、と。これもわかります。
が、葵祭の「それほどでもない」という感じは、ちょっと微妙なニュアンスの世界かも知れません。
しかし、私にはわかる気がします。一応、勅祭が行われる八幡の民としては、わかる気がします。
勅祭って基本、じっと見るしかしょうがないんですよね。
ほとんど無形無実とはいえ皇族が関わる祭ですから、平民はおいそれと参加できないわけです。
その割には学生バイトが動員されまくってるし、ボランティアの方も多く関わってるんでしょうが、
自分達で作る自分達の自主的な祭というのとは、何かが決定的に違う。
今でも「お上の祭」なわけです。当の「お上」が御所にいなくなっても、「お上の祭」なわけです。
神が街を巡幸することはなく、あるのはコスプレ行列のみ。それらをただ、見る。じっと、見る。
牛車を、風流傘を、知らん間に知らん所で決定される斎王代などを、つくづくと見る。
「見る」側の優位性がとかく強調され、無能ゆえの万能感を膨張しやすい現代において、
葵祭は、見ることしか出来ない平民の無力さを改めて教える儀礼なのかもしれません(大層な)。
5月のよく晴れた都大路を、コスプレ追いかけて走りまわる、そのみっともなさ。
もちろん現代の我々は、そのみっともなさをマゾヒスティックに享受する自由も持ってるわけですが。
社頭の儀を終えた下鴨神社からゴールの上賀茂神社までのパレード後半戦、
同志のあなたもマゾヒスティックに、無能に、追走してみますか。

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