2012年5月20日(日)

車折神社の三船祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
嵐山には、昭和の匂いが残っている。
時にそんなことを、私は感じます。率直に言えば、何かちょっと古いなと。
メジャーな観光地として、ソフト面もハード面もそれなりに更新は行われてるわけですが、
小手先のバージョンアップでは左右されない、土地固有のレベルで昭和感が残存してるというか。
貴族の遊興地としての歴史を持つと共に、丹波との水運の要所でもあり続けた嵐山が、
完全に庶民相手の観光オンリーで食っていくと腹を決めたのは、案外最近なのかも知れません。
それこそ、昭和の頃とか。なので、昭和テイストが何となく残ってるのかな、みたいな。
毎年秋に行われる 「嵐山もみじ祭」 の、40年ほどタイムスリップしたような昭和全開ぶりや、
バブルの頃に林立したタレントショップの唯一の生き残りが美空ひばり記念館だったことを思うと、
どうでもいい印象や思いつきに妙な確信を感じたりするんですが、あなたどう思いますか。
「もみじ祭」 とは逆に、春、五月第三日曜に開催される車折神社の例祭延長神事・三船祭もまた、
そんな 「昭和の観光」 の残り香のようなものを、ちょっとだけ感じさせてくれる神事です。
近年パワスポとして益々名が高い車折神社の御神霊を、新緑眩しい嵐山へ運び、
王朝絵巻さながら水上にて多種多様の芸能を奉納するという、嵯峨ならではの雅な祭。
しかし、始まったのが昭和初期のためか、どちらかといえば近過去寄りの観光モード感が漂い、
どちらかといえば中高年以上の世代が喜ぶコンテンツに満ちたイベントだったりします。
優雅と言えば、極めて優雅。かったるいと言えば、残念ながら、かなりかったるい。
そんな三船祭、混雑で日和気味ながら、行ってきました。昭和生まれの平安、ご堪能下さい。
あ、一応言っときますが、三船祭、三船敏郎とは何も関係ありません。
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2012年3月14日(水)

清水寺・2012年花灯路協賛の夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
桜シーズン直前&紅葉シーズン直後の観光客閑散期に、
東山や嵐山を電飾でライトアップし、夜間の集客を図って始まった、京都花灯路。
観光業者のみならず、業者以上に観光で食ってる寺院も、この集客策には積極的に協力。
特に目ぼしい花が咲いてるわけでも境内を無理矢理ライトアップし、夜間拝観を行ったりしてます。
もちろん京都観光のキング・オブ・キングたる清水寺も、東山花灯路期間中は夜間拝観を強行。
昨年2011年などは、震災直後で花灯路そのものが中止状態となったのにも関わらず、
見境なしにライトアップ+ビームを発射、普段以上に暗かった京の闇夜を切り裂いたものでした。
それから一年を経て、震災の問題も電気の問題も全然解決されぬまま迎えた、2012年の春。
東山花灯路は、チープな客を吸い寄せる電飾イベントの本分を発揮する形で、見事復活。
清水寺の特別夜間拝観もまた、例年通りの内容と規模で開催されることとなりました。
花灯路は電力の全てを太陽光発電でまかなうため、原発もCO2も特に関係ありませんが、
清水寺のライトアップはグリーン電力なんかでは絶対に支えきれそうにない、電気使いまくり状態。
おまけに境内は改修が続いていて、遂に拝観最大の目玉である奥の院までが、工事へ突入。
普通なら、やめてもおかしくないところです。規模を縮小しても、おかしくないところです。
しかし、キングは、違うのです。やるのです。やるといったら、やるのです。
そんな夜の帝王の懐、またひとりで突っ込んできました。
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2011年12月1日(木)

圓徳院の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
圓徳院。
いわずと知れた高台寺塔頭であり、同寺を建立した北政所ねねの終焉の地です。
夫・豊臣秀吉の死後、ねねは京都で隠棲を始め、「高台院」の名にちなんだ高台寺の建立を発願。
秀吉好みのギンギラギン仕様だったという伏見城から資材を流用して伽藍を整備しつつ、
やはり伏見城より化粧御殿と庭園を山内へ移築、そこへ住み、そしてその生涯を終えました。
ねねの死後、ねねの兄・木下家定の次男・利房はこの場所を寺化することを思いつき、
寛永9年、木下家の菩提寺にして高台寺塔頭である圓徳院は創建されたわけです。
が、そんなことに興味があってここを訪れる人は、稀でしょう。
参道・ねねの道まで抱き込んだ形で、大幅な観光リニューアルが施された90年台以降、
わかりやすい観光客が大挙して押し寄せるドメジャースポットへ急成長した、高台寺&圓徳院。
最盛期の1/10にまで縮小した境内伽藍を復活させたいという寺の想いは、
開き直りを通り越して清々しさや悟りの境地さえ感じさせる、飽くなき集金への情熱と直結。
「和風テーマパーク」という呼称が皮肉ではなく単なる事実でしかない境内を生み出し、
毎年行われるライトアップには、悟りもひったくれもない客が大勢集まるようになりました。
派手な伽藍とビジュアルを持つ高台寺にその傾向がより顕著ですが、
高台寺より狭い圓徳院は、その由来から逆に「ねねの愛」といったものを積極的にアピール。
「何か和で、愛で、優しい感じ」という、よりカップルを吸い寄せがちな何かになっとるのであります。
そんな圓徳院の、ちょっと遅めな紅葉真っ盛りのライトアップ。
和の心を持たず、愛を知らず、優しくない独男は、入ることができるのでしょうか。
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2011年11月25日(金)

鷹峰の源光庵へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
迷いの窓。そして、悟りの窓。
片や人間の生涯の四苦八苦を表す、角窓。片や大宇宙や真理を表現する、丸窓。
禅の哲学を具現化したこの二つの窓で知られるのが、北区鷹峰に立つ禅寺・源光庵であります。
1346年に臨済宗大徳寺二世の徹翁義亨が隠居所として創建しましたが、のちに荒廃。
時代が下って1694年、加賀国大聖寺の曹洞宗僧侶・卍山道白によって再興され、その際に改宗。
再興後に再建された本堂には、廃城となった伏見城の遺構である血天井が流用され、
養源院・宝泉院・正伝寺などと並ぶ「京都血天井めぐり」のスポットとしても、有名です。
禅が全開の、窓。そのピュアな精神性を諸行無常にブーストする、血天井。
そして「鉄道なし+バス少なめ+坂めっさキツい」という、単純にアクセス不便気味な立地条件。
本来は、なかなかに渋好みな寺なわけです。実際、普段は本当に渋好みな寺なわけです。
が、秋になったら窓の向こうに紅葉が見えてしまうもんから、もう大変。
額縁効果が効いた紅葉を見よう or 撮ろうと、観光ハイで生老病苦も忘れたツアー客の方々が、
大型バスに乗り大挙してやってくるスポットになり果ててしまうのであります。
そんな源光庵、今年は今いちではあるものの、わざわざ紅葉のピークに訪れてみました。
人間だらけの状況で、迷いの窓と悟りの窓は、どんな相貌を見せてくれるでしょうか。
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2011年9月29日(木)

京料理・梅むらへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「にらみ川床」。
それは、晩夏の京で行なわれる、密かな愉悦。
政治的無力さと、気位の高さと、吝嗇と、そしてマゾヒズムが、
「にらみ鯛」などという、食への愛と冒涜を同時に満たす放置プレイを生んだこの地に於いて、
「にらみ川床」はその放置をさらにエスカレートさせた、禁断の戯れ。
もちろんそれは、鴨川の川原から貧民よろしく床を見上げて、
「あんなもん、ぼったくりや。涼しゅうもないし、味も大したことない。見栄ばっかり張ってアホちゃうか」
などと「酸っぱい葡萄」をマニュアル通りにこなすようなものでは、ありえない。
しかるべき金銭を支払い、川床を眺めながら食事を楽しみつつ、でも一歩も足を踏み入れない。
川床を、目の前で、放置する。ただ、じっと、見るだけ。お前になんか、指1本、触れてやるか。
床は床で、そんな腐れ変態の世を拗ねた遊びを、快しとはしない。
好きでもないが、誘ってやる。引き入れてやる。吸い込んでやる。こっちへ、おいで。
9月末の床には、もはや、テーブルも何もない。全ては片付けられ、何もない。
からっぽの床には、今年ここで行なわれたであろう様々な饗宴の残り香だけが、漂っている。
その残り香から幻の酔客を生成し、床は、腐れ変態を誘う。「こっち来て、一杯どないですか」と。
誘いに乗ると、終わりだ。自分自身が、幻、残り香になって、床と一緒に片付けられてしまう。
からっぽの床と、孤独な男が、歪んだ愛と存在の駆け引きを楽しむ、「にらみ川床」。
それは、夏と秋の間に一瞬生じる魔界なのかも知れない・・・。
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2011年9月11日(日)

大覚寺の観月の夕べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
中国より伝わった「観月」が、貴族の間で流行った平安時代。
当時の雅人たちは、中秋の名月を直接見ず、杯や池に月を映して楽しんでたんだとか。
都のはずれにある嵯峨野の苑池など、きっとその格好の舞台であったことでしょう。
平安京を完成させた嵯峨天皇が、この地を仙洞と定め造営した、嵯峨離宮。
離宮の一部として中国の洞庭湖に模して造られたという、日本最古の人工林泉、大沢池。
数々の歌にも詠まれた名勝であるこの池に映った満月を、
オーナーの嵯峨天皇はもちろん、招かれた文人墨客たちもまた、愛でていたに違いありません。
嵯峨天皇崩御の後、皇女・正子内親王の勅願により離宮は門跡寺院・大覚寺となりましたが、
大沢池は驚くべきことに、平安期の宮廷文化華やかなりし頃の形を現在もほぼ、保持。
中秋の名月の時期になるとここで行なわれる「観月の夕べ」もまた、
二隻一対となる龍頭鷁首をあしらった舟を池に浮かべる、王朝時代の雅なるフォーマットを遵守。
平安のまんまの「観月」を、平成の現在において楽しめるのでございます。
雅なのででございます。それゆえ、雅もひったくれもなくなるほど、人が集まるのでございます。
「観月の夕べ」、外から見てると「舟券」は大体すぐ売り切れ。
「混み過ぎて池に落ちた奴がいる」みたいな話も、ちょくちょく聞くことあります。怖い。
しかし、何度も書いてますが、このサイトのモットーはベタスポットの単独正面突破。
中の様子はどうか、その前に果たして舟には乗れるのか、自分を実験台にして確かめてみました。
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2011年8月14日(日)

京の七夕の協賛企画・舞妓茶屋へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
舞妓茶屋。
京都の夏季閑散期における集客促進イベント『京の七夕』の協賛企画のひとつです。
京都が「客を呼びたい」となれば、脊髄反射で引っ張り出されるのが、舞妓はん。
というわけで、鴨川会場に隣接する『鴨川をどり』のホームグラウンド・先斗町歌舞練場を使い、
先斗町の舞妓はんがお話&撮影&をどりで楽しませてくれる、期間超限定のお茶屋を開業。
それが、舞妓茶屋です。値段も1500円と、貧乏独男でも手の届く良心設定。
「でもそれって、メイド喫茶みたいなもんじゃないっすかぁ」と、皮肉を込めて言ったあなた、
残念ながらその言葉は、結構、正鵠を射てしまってます。
もちろんイベント企画とはいえ、出てくる舞妓はんは、本物です。コスプレとは、世界が違います。
でも、歌舞練場がね・・・。いや、歌舞練場そのものはいいんですよ。立派な建物です、本当に。
ただ、使う場所と、使い方が、何とも、いやはや。
「コンクリの壁+手作り感が過剰に漂う七夕飾り」という内装を目の当たりにすると
「メイド喫茶みたい・・・」あるいは「学校設定のメイド喫茶みたい・・・」と呟かざるを得ません。
また、『舞妓はん以外の経費は、極限まで削ります』と宣言するかのようなメニューも、刺激的。
感慨深いものがあるのです。そして、そんな感慨深い状況でもしっかり仕事する舞妓はんに、
リスペクトを感じずにはいられないのが、舞妓茶屋なのです。
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2011年8月13日(土)

東映太秦映画村のナイターまつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
全盛期には邦画の実に6割を生産していたという、映画の街・太秦。
そこら中に旧跡が残り、そこら中に着物屋が溢れ、そこら中に職人が住んでいる京都は、
時代劇にとっては正に、聖地。この地独特の職人気質もまた、映画制作に強い親和性を発揮。
当初は関東大震災から疎開してきただけの撮影所も、どんどん太秦に定着&増殖し、
「日本のハリウッド」と呼ばれるほどの製作本数を誇るのみならず、
大映の『羅生門』『雨月物語』などでは、技術面・芸術面でも国際的な評価も獲得しました。
が、テレビの登場により、昭和30年代をピークとして映画産業は一気に、斜陽化。
ひたすら映画だけで食ってきた太秦の多くの撮影所は、苦境に立たされることになります。
ラッパから札束バラまいて見境なき作品クオリティを実現していた大映が、先頭切って倒産。
他社もスタジオを東京へひき上げ、東映撮影所のオープンセットもまた、なかば廃墟化。
生き残り策を模索した撮影所の従業員が思いついたのは、そのオープンセットの公開でした。
映画製作の裏側を、製作してる現場そのものを、そのまま見せる。
このスタイルで、1975年に東映太秦映画村は「開村」。日本初のテーマパークが誕生した瞬間です。
食える程度に稼ぎが出てくれたらという期待に反し、映画村は大当たり。
以後、京都の新たな文化観光資産として、現在に至るまで高い人気を維持し続けています。
ナイターまつりは、そんな映画村がお盆の時期に行なう催し。1998年から始まりました。
普段は夕方で閉まる村をライトアップして公開、
入園時間は短くなりますが、そのぶん料金が安くなるのも、お得なイベントです。
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2011年8月12日(金)

京の七夕の堀川会場へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京の七夕。ざっくり言えば、夏季閑散期の客寄せイベントです。
集客の華・祇園祭が終わり、8月に入ると、京都は観光客が減ります。理由は、暑いから。
暑いだけなら海水浴場も同じですが、京都の盆地性の暑さというのは、何というか、体に悪い。
「北欧から来た留学生が、暑過ぎて死んだ」という噂がまことしやかに囁かれるくらい、
独特のバッドな内蔵侵食感および神経破壊感が、暑さに伴います。
京都の観光スポットの大半は昼間に見るもんですから、そんな暑さの中での観光はもはや、苦行。
「こんな季節に京都へ来るのは、やめときなはれ」と考えるのが普通の人ですが、
「こんな季節でも京都に来て欲しい、体が壊れても」みたいなことを考える方もいらっしゃるようで、
ほんのちょっとだけ暑さがマシになる夜間を狙って、イベントを新規立ち上げ。
旧暦の七夕と夏季閑散期がカブってるのに目をつけ、鴨川と堀川の2会場で電飾を灯し、
市民に書かせた短冊を飾り、なんとか観光促進を計るというのが、京の七夕であります。
去年の2010年度から始まり、まずまずの成果を残したそうですが、
「祈り」や「願い」、そして何より電気の意味が全く変わってしまった今年は、どうなんでしょう。
そんなことを考えたり、考えなかったりしながら、堀川会場へと足を運びました。
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2011年8月7日(日)

第42回鴨川納涼へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
鴨川。それはいくつかの「不思議」を持った川。
まずは言わずと知れた、カップルが何故か等距離で川辺に座るという「不思議」。
それに、「加茂川」 or 「鴨川」と、ニアイコールな表記が入り混じるという「不思議」。
そして、そんな鴨川に関する数多の言説が、七条以南については急激に減少するという「不思議」。
加茂川と高野川の合流点である出町柳の「鴨川デルタ」が最近人気を呼んでるようですが、
それなら、かつてあの高瀬川が鴨川と平面交差していた「十条クロッシング」なんかにも、
もっとスポットが当たってもいいんじゃないかと思うんですが、あなた、どう思いますか。
それはともかく、いろんな意味で京都のシンボルであるそんな鴨川において、
夏の真っ盛りに行なわれる市民主体の夏祭りが、鴨川納涼。
例年、県人会の方によるB級グルメグランプリの如き出店と、昭和臭あふれる出し物が、
川岸に色を添えてましたが、去年からはそこに「京の七夕」なる電飾客引きイベントも、乱入。
カップルたちが蛾のように吸い寄せられるきらびやかなイルミネーションと、
各屋台の鉄板から放たれる油煙、そしてハワイアンや南京玉すだれのサウンドなどが入り混じる、
極めて特殊な空間が現出されるようになりました。
そんな鴨川納涼、今までは「君子危うきに近寄らず」で左岸から眺めるのみでしたが、
このサイトのモットーはあくまで単独正面突破、今年は意を決して右岸へ飛び込んでみました。
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2011年7月21日(木)

下鴨神社の御手洗祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
御手洗池。
「おてあらいいけ」とは読みません。「みたらしいけ」です。一応。
世界遺産・下鴨神社の奥の方にある、名前の通りにもっぱらお清めを本業とする聖水です。
雛祭の雛飾りを流す禊や、葵祭の斎王代が行なう禊など、メジャーな神事でも名高いですが、
「みたらし」と聞いて誰もが思い浮かべる「みたらし団子」の発祥の地でもあります。
土用の丑の頃になるとこの池、地下から溢れ出す水の量が増えて、水泡を発生させるそうです。
その泡を模して、ちっちゃい団子が連なる「みたらし団子」は生まれたんだとか。
いや、本当です。多分、本当です。加茂みたらし茶屋がそう言ってるんだから、きっと本当です。
その土用の丑の日を中心にして開かれる御手洗祭は、
御手洗池の前に鎮座して、お祓いの神様である瀬織津比売命を祀る末社・井上社の、例祭。
読んで字の如く手を洗いまくる祭り、ではありません。足を洗いまくる祭りです。
ちょっと前の蛍茶会では蛍つかみ取り大会が発生してた御手洗池へ、今夜は人間を大放流。
善男善女が聖水に足を浸し、悪いところを水に流すわけであります。別名、足つけ神事。
平安貴族の清めの行事に由来する、いわゆる「千年の時を越え」た神事ですが、
どっちかといえば「千年の時を越え」て盆地の蒸し暑さに苦しむ京の民が、
「暑いから水につかりたい」と思ったのが由来じゃないかとも思える、結構庶民的な神事です。
率直なニーズに応えてる分、現代でも参拝者は多数。
神社側も、土用の丑の日を中心にした4日間、昼夜を問わず参拝に対応してます。
で、その初日の夜に、私も水につかりに行きました。
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2011年7月17日(日)

祇園祭の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「祇園祭は山鉾巡行だけではない」。
こんな物言いも、最近ではすっかり馴染のものとなりました。でもないでしょうか。
神事や行事やイベントなどが、7月1日から31日まで延々と続く、祇園祭。
中には宵山のように山鉾巡行の倍以上の客を動員するイベントもありますが、
「山鉾巡行だけではない」という言葉を最も言葉通りの意味で体現してるのは、
山鉾巡行当日の夜に行われるこの神幸祭をおいて他にはないでしょう。
神幸祭。文字通り、神幸祭です。神がおいでになる、神幸祭です。
神の御霊を遷した神輿が、神社を出て氏子の町内を巡幸してから御旅所へ入る、神幸祭です。
祇園祭の神幸祭も、当然そういう形で行われます。神輿が舁かれ、町内を巡幸します。
超ド派手な山鉾巡行と比べたら、極めてオーソドックスなスタイルの神事と言えるでしょう。
が、やることはオーソドックスでも、やる場所はオーソドックスではありません。
八坂神社は、祇園の真ん中に立つ神社。というか、神社の周りに祇園ができたんですが。
近所にはお膝元の祇園はもちろん、木屋町、先斗町、河原町、寺町と、京都の歓楽街が揃い踏み。
神幸祭の巡行は、氏子区域の東側にあたるそんな歓楽街をメインに行われます。
色っぽい街に神様がおいでになり、伝統・信仰・奉仕・疲労・享楽・景観破壊・無関心などなど、
その全てを祝祭の中でひとつにする、本当の祇園祭が始まるのです。
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2011年7月17日(日)

祇園祭の山鉾巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
山鉾巡行。
正に名実ともに祇園祭の代名詞、もはや京都観光そのもののアイコンとさえ言える、
文句なしの花看板、メインイベント中のメインイベントであります。
が、この山鉾巡行が宵山よりも来客数が少ないということを、実は私、今さっき知りました。
2011年度の山鉾巡行の来客数、20万人。対して、宵山に集った烏合の衆の数、45万人。
少ないどころの話ではありません。ダブルスコアでお釣りが来ますな。
知った瞬間は驚いたんですが、しかし我に帰ると、納得です。まあそりゃそうだわな、と。
良くて、ピーカンの激暑。悪くて、梅雨明け前の猛暑+猛湿度。最悪で、豪雨か台風。
そんな7月の気候の中、京都の街中を朝早くから駈けずり回るなど、正気の沙汰ではありません。
山鉾巡行は、KBS京都の中継で見るもの。あるいは、過ぎ去るのを家の中でただじっと待つもの。
京都市民のみならず、辺境の民である私でさえ生活感覚としてはそう認識してるのであり、
実際、今の今まで山鉾巡行を見たことはありませんし、見たいと思ったことさえありません。
が、このサイトのモットーはあくまでも、メジャーどころの単独正面突破。
メジャー中のメジャー、キング・オブ・キングの山鉾巡行から、逃げを打つわけにはいかないのです。
宵山のダメージがまだ全く体から抜けてませんが、意地だけで現場へ赴きました。
苦しくも今年の山鉾巡行は、日曜開催。さらに悪いことに、快晴です。
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2011年7月14日(木)

祇園祭の宵々々山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
宵々々山。本来は「14日の宵山」と呼ぶのが正しいらしい、宵々々山。
では「10日の宵山」や「1日の宵山」なる呼称が有り得るのかといえばよくわかりませんが、
とにかくこの宵々々山から、山鉾町周辺の歩行者天国は始まるのであります。
そして、昨日までの「町の祭」は、「市の祭」を飛び越え、「府の祭」へと変貌するのであります。
府の祭。そう、市民じゃなくて府民がいっぱい来るわけですね。例えば、俺とか。昨日も来たけど。
歩行者天国と露店、そして「祇園祭」という名前に蛾の如く吸い寄せられる、辺境の民草。
そんな愛しき我が同胞たちが、この日を境に市街地のコアブロックへ一気に流入。
雅もひったくれもないDQN臭をあたり一面へ撒き散らしながら、金もろくすっぽ使うことなく、
ただただ広いだけの四条通や烏丸通を歩いて喜ぶという事態が出来します。
「府民」には大阪府民も含まれますし、また滋賀県民も京都人のような顔をして大量混入。
関西以外の観光客がまだ少ない分、ある意味、DQN濃度が最も濃い夜かも知れません。
もちろん山鉾周辺も凄まじい混雑となり、見物しにくいどころか、生還こそが重要テーゼ化。
そんな宵々々山、昨夜との空気の違いを感じながら、うろついてみました。
前夜に引き続き、駄文抜き+画像メインで淡々とお楽しみください。
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2011年6月11日(土)

下鴨神社の蛍火の茶会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
蛍火の茶会。
文字通り、下鴨神社・糺の森を飛び交う蛍の灯りを眺めながら、お茶を嗜む催しです。
都市部にありながら、太古以来の山城原野の植生を残すという、糺の森。
特に5月から6月にかけては緑が美しく、神の森というイメージが強いスポットであります。
が、ここ、江戸時代には庶民の憩いの場として、茶店も立ち並んだりしたんだとか。
森の中を流れる川に船を浮かべての納涼茶会、また能や相撲なども行われたそうです。
しかし明治維新以後、下鴨神社は国の管理下に置かれ、茶会などの庶民的行事はどんどん消滅。
昭和に入ると、周囲が開発されたことで糺の森の環境も悪化。
川には上流からの農薬が流れ込み、蛍はもちろん昆虫類も絶滅寸前に至ったそうです。
現在の蛍火の茶会は、地元の人たちにより糺の森周辺の川が繰り返し清掃され、
放流された蛍が定着したことをうけての復活もの。明治の廃絶から実に100年ぶり。
重文である橋殿・細殿で夕方から茶が供され、夜には御手洗池で大量の蛍を放流。
加えて、神服殿では下鴨神社名物・十二単の着付が行われ、各種音曲の披露もあります。
そんな風流な茶会へ行ってきました。と言っても、私は茶会そのものには参加してませんが。
お茶のこと、知らないし。それに事前申し込みしないと駄目だし。
ただただ、蛍を見に行っただけです。
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2011年6月5日(日)

修学旅行生だらけの清水寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
世界遺産に登録されている清水寺(京都市東山区)で、江戸初期に再建された国宝・本堂の「清水の舞台」を支える柱78本のうち12本にシロアリ被害などが発生していることが7日、わかった。
同寺は現在、本堂を含む建造物9棟の「平成の大修復」を行っており、その過程で判明した。倒壊の危険はないが、東日本大震災などを踏まえ、柱の補強など修復計画の変更も検討している。
清水寺によると、異変がわかったのは平成21年秋。寛永10(1633)年の本堂再建以来、380年近くにわたって本堂と舞台を支え続けてきた直径60センチ以上の欅(けやき)の柱12本がシロアリや湿気の被害で腐食したり、大人の腕が入るほどの空洞が開いていたりする可能性が目視調査などで指摘された。(産経新聞より)
2011年6月7日にこんなニュースが出た、清水寺。
その2日前の6月5日、シロアリにやられてるという舞台はいつもと同様、人間でいっぱいでした。
誰も穴が開いてるなんて知らないわけですから当然ですが、それにしてもそれにしてもであります。
時折りしも、修学旅行シーズン。6月は、特に中学生が多いそうです。
で、中学生は清水寺へやってくると、舞台の欄干に登りたがる習性を持つそうです。
シロアリニュースを聞いたあとで見ると、何とも感慨深いビジュアルの数々、
長ったらしい文章を書くのが何かもう面倒なので、写真のみで淡々と見届けていただきましょう。
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2011年4月29日(金)

城南宮の曲水の宴へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
曲水の宴。
それは平安時代の貴族の間で流行したという、優雅な歌遊び。
烏帽子に狩衣姿の公卿たちと小桂姿の女官たちが、庭園の遣水のほとりに座り、
御所伝来の羽觴なる盃台の酒が流れてくるまでに、出された歌題に沿った歌を詠みけり。
古代中国より伝わり、奈良から平安時代までは無病息災を願う三月上巳の宮中行事であそばされ、
のちには貴族の姫の雛飾りと重なって、3月3日の桃の節句へ発展したのもいとおかし。
そんな雅な宴が、白河上皇院政の地・鳥羽離宮跡地のど真ん中に立つ城南宮には、残ってます。
観光資産化不能で困るぐらい鳥羽離宮が跡形もなく消滅したがゆえに、城南宮の曲水の宴は、
平安の姿のまま現代に至るまでひっそりと動態保存されてきた・・・というわけではありません。
方除の神様として名高いこの神社が、
「昭和の小堀遠州」中根金作による「楽水苑」を造営したのは、昭和36年。
その中の「平安の庭」で行われる現在の曲水の宴は、もちろんそれ以降に再興された行事。
良く言えば新たなる歴史の継承、悪く言えばほとんど単なるコスプレショーですが、
わかりやすく「雅」を具現化したビジュアル、そしてこの日は庭の拝観料が無料になることもあって、
年々人気を高めてます。そんな雅な世界、行ってみました。
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2011年4月25日(月)

吉祥院天満宮の吉祥院六斎念仏へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
六斎念仏。全国的に広く伝承されている念仏踊りの一種です。
元々は仏教の六斎日=8・14・15・23・29・晦日に斎戒謹慎して鬼神の災いを避けてたのが、
いつしか空也上人の踊躍念仏と結びつき、さらにお盆にも結びつき、現在に近い形となったとか。
京都にも六斎念仏はあります。それも、2つの派閥みたいなのがあります。
ひとつは、あくまで念仏に重きを置く、干菜寺系。鉦と太鼓でシンプルに念仏を歌うという。
もう一方は、花の都ならではの芸能華やかな、空也堂系。で、主流は圧倒的に後者。
獅子舞・歌舞伎などの流行芸を取り入れ、原型を止めないほど芸能化した六斎 = 芸能六斎は、
江戸時代、娯楽に飢えた京都西南部の農村を中心に劇的に普及。
で、正に京都の西南にあたる吉祥院は、そんな芸能六斎の一大中心地となりました。
最盛期には8組もの講が夏祭で芸を競い合い、演舞は夜通し、あるいは日が明けても続いたとか。
時代の流れで現在残る講は一つだけとなりましたが、今なお活動は活発であり、伝承を守ってます。
盆の活動が多い六斎念仏ですが、こちら吉祥院は夏に加え春の大祭でも演舞を披露。
で、それに出かけたわけです。
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2011年4月14日(木)

龍安寺へ桜を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
龍安寺の境内って、広いんですよね。地図で見ると、近所の仁和寺と同じくらい。
でも、あんまりそういう印象、ありません。イメージの中では、仁和寺よりずっと小さく思えます。
たぶん、龍安寺最大の売りであるあの石庭が、そう思わせてるんでしょうね。
不可解な配列で石が並んだ小さな空間が、見る物全てを禅の宇宙へ誘う、石庭。
馬鹿デカい建造物で圧倒するのとは真逆な、吸引型とでもいうべきインパクトを放つ、石庭。
加えて、その石庭をかかえる本堂も、小振り。その本堂への拝観券を売ってる山門もまた、小振り。
おまけに、チケット売るのは山門だけどモギるのは本堂前のため、
その間の池や、奥の方のよくわからん庭を、無料区域&前フリみたいに思いがちです。
しかしあの池は、龍安寺が徳大寺家山荘だった平安時代に作られた池泉舟遊式庭園で、
貴族が舟を浮かべ歌舞音曲を楽しみ、近世までは石庭よりずっと有名だったのであります。
奥の方のよくわからん庭も、歴史があるのかは知りませんが、とにかく桜が咲くのであります。
なので、桜の季節の龍安寺は、石庭以外にこそ注目するべきなのであります。
それなのに、やっぱりトップ画像は石庭なのであります。
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2011年4月13日(水)

二条城のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
二条城。二条にある、あんまり城らしくない城であります。
もちろん、そもそもは徳川幕府が朝廷を牽制するため築城したイカツい城であり、
かつては天守閣がそれなりに体裁を保ってたそうですが、炎上&移築&放置プレイ。
大政奉還後は京都府庁になったり離宮になったりしたのち、京都市に下賜&一般公開。
市は天守閣再建など完全スルー、ひたすら庭園に力を入れるのみ。城らしくない城であります。
天守を再建しないのは当然金がないからですが、他にも理由があると思うのは私だけでしょうか。
堀の周囲の道を歩く時に感じる、疲労感。回り道をさせられる時に感じる、徒労感。
車で行くことが前提のショッピングモールへ徒歩で行ったときに感じる
「歩いていくの、しんどっ」という感じ。あれに近いものを、私は二条城に感じます。
二条城より広いスポットは他にもありますが、御所をはじめその多くは中の通行が可能。
もちろん、コアな部分への闖入は許しませんが、その壁をあまり可視化&表沙汰にはしない。
それに対し、壁どころか堀を明らさまに強調する二条城、やはり「城」だなあと思うわけです。
市が庭園や桜ばかりに力を入れるのは、そんな「城」の暴力的存在感を少しでも中和しよう、
ゴツい建物をちょっとずつでも京都になじませようと考えてのことなのかも知れません。
そういえば、毎年桜の季節に行なわれるこのライトアップでは、もはや御殿の拝観さえ、謝絶。
これはケチではないのです、きっと。二条城を京都化するための企てなのです、きっと。
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