2024年8月18日(日)

豊臣秀吉の命日に、高台寺の百鬼夜行展・夏の夜間特別拝観へ行きました。もちろん、ひとりで。
豊臣秀吉の体臭。それは果たして、いかなるものだったのでしょうか。
一般的かつ世俗的なイメージから類推するなら、臭そうです。 「はげねずみ」 的、みたいな。
ゾンビのくさやにチーズを乗せて、しばらく腐らせた上に、悪趣味極まる香水をかけたような。
ひどいですか。なら、歯槽膿漏の野犬が魚食った口から飛ばした歯糞をパンに塗った感じとか。
とにかく、過剰に人間臭い何かと過剰に人間離れした何かが混ざった異臭を連想せざるを得ません。
秀吉が京都に建てた城郭の異常なまでの徹底破壊も、この異臭の存在を想定すれば然もありなん。
屍臭まで嗅がされた家康が 「何か臭い」 とか言って再建した伏見城まで潰したりとか。わはは。
あっ、下らない話だと思われたでしょうか。確かにこれは下らない話です。間違いなく下らない話です。
ただ秀吉を考える際、とりわけ京都との関係に於いて秀吉を考える際、不可欠な視座だと考えます。
疑いなく京都を改造した、秀吉。その痕跡が現代も濃密に残存するほど徹底的に改造した、秀吉。
にも関わらず、京都をめぐる言説に於いて秀吉の存在は、過度なまでに意識されることがありません。
「京都という町を形成した者」 を考える際、皇族以外でまず名が挙がるのは近世の町衆でしょうが、
長方形の地割や御土居などを新設することで、その基盤を秀吉が構築したことも、間違いありません。
なのに、常に削除されがちな秀吉。 「はげねずみ」 だからなのか何なのか、削除されがちな秀吉。
これは、いけません。京都という都市を考えるなら、 「はげねずみ」 にこそ対峙する必要があります。
そして 「はげねずみ」 的なるものを検証するには、体臭からのアプローチこそ有効だと思えるのです。
秀吉に関するこの思い、高台寺の夏の夜間特別拝観へ今回出かけたことで新たにしました。
高台寺は秀吉の妻・ねね縁の寺で、夏の夜間特別拝観は秀吉の命日 = 8月18日にちなむ企画です。
和風テーマパーク第1号なライトアップに加え、お盆で妖怪だらけな百鬼夜行展も楽しめる催しです。
あくまで普通の催しで、秀吉の体臭匂い玉とか屍臭の再現とかがあるのかといえば、もちろん否。
なのですが、にも関わらず、この特別拝観で私は、体臭の確かさこそを再確認したのでした。
続きはこちら »
2024年4月10日(水)

中舞鶴の共楽公園へ散りかけの桜を観に行きました。もちろん、ひとりで。
桜は散って初めて、桜。そんな言い方も、あるいは可能なのかも知れません。
死体の如き青味を密かに帯びた花びらが、春風を受け、あっという間に散って行く。
この儚さこそ、桜。この風情こそ、桜。こういう考えも、あるのかも知れません。
「いやそれはソメイヨシノの風情で、近代以降の感慨に過ぎない」 と言う方もおられるでしょう。
確かにソメイヨシノは江戸後期に生まれ、何なら人為的に作られた可能性も高いとされる花です。
しかし逆に見れば、魔改造へ走るくらいに日本人はこの儚さを桜に求めている、とも言えます。
かつてはこの儚さを経由して、死のエクスタシーに満ち満ちた大日本帝国と熾烈な悪魔合体を果たし、
特に国家が前景化する軍/教育の局面で威力を発揮したがゆえに国花の如き地位さえ得た、桜。
どうやら日本人はこの儚さが大好きなようです。大好き過ぎて、たまに国ごと儚くしたりもするようです。
近代はおろか近世さえ全否定しがちな歴史終焉都市・京都の目線で、この儚さなるものを見ると、
旅の恥やら歴史妄想やらを捨ててさっぱりして帰る観光客の心性に似たものを感じなくもありません。
病的な鈍感さや無責任性に鼻白むというか。桜種も、京都は枝垂桜や山桜の人気が割と強いし。
しかし、もちろん京都だってれっきとした日本の一部分です。京都人だって一応は日本人のはずです。
京都人はそう思ってないかも知れませんが、法律や国籍的には日本人ということになるはずです。
であれば、この儚さにも共感しておくべきでしょう。せめて、教養としての理解は持っておくべきでしょう。
それにそもそも京都にも、徹底的に 「散る花」 としての桜を堪能出来るスポットが実は存在します。
そう、海の京都・東舞鶴です。かつて舞鶴鎮守府があり、現在は海上自衛隊がある東舞鶴です。
現在も港には多くの護衛艦が停泊し、春になれば桜と旭日旗のコラボが散見される地であります。
その舞鎮の西口であった中舞鶴には、共楽公園なる公園があり、桜が特に見事なんだとか。
公園からは港や艦もよく見えると言います。桜は当然、ソメイヨシノがメイン。中々良い感じです。
なので、敢えて散りかけの頃にこの公園を訪れ、儚さを履修出来るかどうか試してみました。
続きはこちら »
2023年12月24日(日)

快活CLUB京都南インター店で聖夜、前篇からの続きです。
もちろん南インターは、わざわざ草津湊の場所を選んで作られたのではありません。
戦後に至るまで一帯はほぼ単なる農地だったため、土地の取得が比較的容易だからであり、
間違っても 「この地こそ、現代京都の陸の港に相応しい」 などと考えられたわけではないでしょう。
そもそも名神高速は名古屋と大阪・神戸とを結ぶ高速道路であり、ゆえに京都は一通過点に過ぎず、
北側へ大きく迂回して京都の中心部をわざわざ通るようなルートは可能な限り避けたいわけです。
おまけにこの街は山に包まれた天然要塞都市で、特に東山の貫通には大トンネルが欠かせません。
無論、洛中中心部の土地取得も困難を極め、実質的には解決不能の課題として屹立しています。
こうした要因から近代以降の高速交通は基本、京都市中心部の貫通を避け続けてきました。
国家の威信を賭けた省線・東海道線は流石に旧市街のほぼ最南端たる八条まで踏み込みましたが、
明治期には東山の貫通が叶わず、さらに南の稲荷山を南へ回り込む線形を余儀なくされています。
この南×南回りの東海道線旧線跡こそ、実は名神の山科~京都区間建設で転用された土地。
その西の稲荷山西麓~竹田一帯は旧軍用地でガラ空き、さらにその西の草津湊跡地周辺は農地、
また草津湊の地では整備済みのR1と接続できるため、此処に南インターが出来たのも当然でしょう。
しかし、それでも、当サイトとしては南インターと草津湊の縁を妄想せずにはいられません。
天然要塞都市として千年を生きる中で育まれたのであろう、京都という都市そのものが孕む生理。
それは即ち、全方位を山で完全包囲されているわけではなく、南側はすっぽり壁が抜けている地形と、
南へ向かって標高が下がるため全ての水が南側へ流れる地形が醸成した、身体レベルの偏見。
そういったものが今なお京都を拘束し、結果として南インターは草津湊の場所に出来たのではないか。
そして、未来に新たな交通システムが出現しても、その港はやはり此処に置かれるのではないか。
車のライトとラブホの照明が輝く南インターを見ていると、ふとそんなことを思ったりします。
・・・という出鱈目な戯言は置いといて、南インターの聖夜、インター詣でから続きです。
続きはこちら »
2023年12月24日(日)

快活CLUB京都南インター店で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。
メリークリスマス!!地獄のクリスマス単独お泊まりネタ、2023年版でございます。
といっても近年はネタ切れ感が著しく、コロナで色んなことが色んなことにもなったため、
中断したり日和ったり、あるいは単に酒呑んで寝てたりと不調気味ではありました。
そんな中、苦し紛れや悪あがきを続けながらも掴み始めたのが、 「港」 というキーワードです。
2021年に訪れたのは、海の京都の名勝・天橋立に近い門前都市として海運が大いに栄えた、宮津。
2022年に訪れたのは、巨椋池の畔にて交通の要衝を一時担い、木幡関連の伝承も豊かな、六地蔵。
共に、かつて栄えた後に衰退した歴史を持ち、そして現在は別の意味で変化が著しい場所でもあり、
「港」 という物理的境界の側面と、歴史の変化という時間的境界の側面を、併せ持っています。
当サイトが裏テーマとして掲げる 「境界」 の追求としても 「港」 は実に相応しい探訪先となるでしょう。
となれば、続く2023年もやはり 「港」 をテーマと定めて聖夜を過ごす場所を選ばねばなりません。
が、誠に遺憾ながら海の京都方面へ遠征する時間も金も、今の私にはありません。では、どうしよう。
そこで思いついたのが、南インターです。名神高速道路の、京都南インターチェンジです。
南インターが立つ京都市南部エリアの鳥羽一帯は、鴨川と桂川の合流点であるため水の利が良く、
鳥羽 aka 草津湊 aka 横大路として、淀川経由で瀬戸内海へ直結する舟運の港を長く担っていました。
また、この利便性を活かして、平安末期から中世にかけては鳥羽離宮が営まれた地でもあります。
そして何より、現在は高速のICとして現代京都の 「陸の港」 となっているのも、此地の面白いところ。
おかげで近辺にはラブホが偉い勢いで林立しており、境界ならではのアジール感も事欠きません。
正に此処は過去/現在の境界であり、同時に日常/非日常の境界でもあるのです。実に素晴らしい。
高速爆走で生死の境界を跨いだ後にラブホへ単独特攻するような真似は流石にもう出来ませんが、
上手い具合に、南インターの近くにはネットカフェ・快活クラブ南インター店が立ってます。
そこで今回はこのネカフェに投宿して、現代の京都の 「港」 を徘徊してみたのです。
続きはこちら »
2023年9月21日(木)

酔心京都駅前店で松茸と秋鱧を楽しみました。もちろん、ひとりで。
「駅前でその土地の名物を、雑に食べたい」 という欲求が、激しく湧くことがあります。
いわゆる名店とかではなく、名店の駅前店とかでもなく、単なる駅前の店で食べたいのです。
それこそ、昭和の頃から一見特化型の観光メニューばかり扱い続けてるような店が、むしろ良い。
18きっぷでどっかの街に途中下車した時などは、この妙な欲求、ことさら激しく湧き上がります。
持ち金が少なく店探すのも面倒だからではあるんですが、きっと理由はそれだけではありません。
大きな声では言えないけど、行きずりの郷土感みたいなものを積極的に味わいたいというか、
「あれこれ言うの、野暮だよ。わかってるよね」 みたいなのを、味わいたくなるのです。
裏暗いと言えば裏暗いこの欲求、観光都市・京都では、満たしてくれる所を案外と見かけません。
単に私が地元の人間だから、そもそも京都にあまり郷土感を感じられないこともあるんですが、
実は京都の側にも、この妙な距離感の郷土感を生じさせない何かがあるような気もしたりします。
観光客相手の店は、もちろん沢山あるわけです。そして、そうでない人向けの店も沢山あるわけです。
が、その間はあまりないという。前者は概ねガッツき過ぎで、後者はそれこそ一見さんお断りという。
「生理現象を持つ匿名的存在」 として通り過ぎることが出来る場所が、この街には割と少ないのです。
昔の鴨川の河原などは、あるいはそんな場所たり得てたのかも知れません。しかし、今は違います。
花街はそんな場所の極致とも言えますが、その一方で顔認証技術がない時代から顔認証空間です。
駅前的な距離感で京都を楽しむのは、難しい。田舎ながらも駅前育ちの私は、そう思ったりします。
ひょっとすると、鉄道が開通する遙か以前に都市が完成し、のみならず没落さえ進行してた京都では、
そもそも 「駅前感」 といったものを漂わせる駅前が結局は生まれ得なかったのかも知れません。
そんな京都に於いて、私が駅前感を感じられる場所を挙げるなら、京都駅前の酔心でしょうか。
酔心京都駅前店。京都のチェーン居酒屋であり、京都駅とも地下で直結してる庶民的な店です。
初秋には、初秋の京都名物・秋鱧&松茸も出してます。ので、雑に食べに行きました。
続きはこちら »
2023年7月16日(日)

祇園祭前祭・宵山のネット中継を四条河原町のネットカフェで観ました。もちろん、ひとりで。
2023年7月16日夜に開催される祇園祭前祭・宵山は、何が何でも観なくてはいけません。
何せ、コロナによる休止/規制が完全に解除されるのです。見逃すわけには行かないでしょう。
現場は、暑いけど。言うと余計に暑くなるけど、だからって黙ってると発狂しそうなくらい、暑いけど。
人も多いし。多いというか、余りに多過ぎて生暖かい肉の海で遭難してる気分になるくらいだし。
コロナ明けで密集したがる輩とかも、多そうだしな。そういう輩に近寄られるの、ちょっとあれだしな。
どうしよう、と懸念も湧きはします。しかし、宵山の復活です。見逃すわけには行かないでしょう。
宵山。特に前祭の宵山。京都で最も多くの人を集める祭・祇園祭で、最も多くの人を集める行事です。
クライマックスたる山鉾巡行の前夜祭として行われてきた 「宵夜飾り」 が現代に入ると大化けに化け、
さらには昭和の道路拡張+歩行者天国化+山鉾巡行一本化で異常なまでに規模が拡大した、宵山。
後祭復活後も、16日の前祭・宵山は弩級の混雑が続いてることは、当サイトでもお伝えした通りです。
もちろん、こうした混雑を冷笑したいのではありません。 「やれやれ」 とか言いたいのではありません。
単なる観光でもなく、単なる信仰でもなく、単なる商売でもなく、単なる生活でもなく、言わばその全て。
そんな無茶苦茶な混淆、人が人であるが故に生じるカオスこそが当サイトが探求する 「京都」 であり、
前祭・宵山である7月16日の夜は、この 「京都」 が最大規模で四条通に現出する夜であると言えます。
そしてその宵山が、コロナ禍による休止や規制などの苦難を経て、遂に規制なしで開催されるのです。
正に、数年を経ての復活です。こんな機会は、もう二度と目撃出来ないかも知れません。
仮にも 「京都」 をめぐるサイトをやってる者であれば、絶対に見逃すわけには行かないでしょう。
現場は、暑いけど。言うと余計に暑くなるけど、だからって黙ってると発狂しそうなくらい、暑いけど。
人も多いし。多いというか、余りに多過ぎて生暖かい肉の海で遭難してる気分になるくらいだし。
コロナ明けで密集したがる輩とかも、多そうだしな。そういう輩に近寄られるの、ちょっとあれだしな。
どうしよう。絶対に見逃すわけには行かないけど、どうしよう。あ、そうだ。ネットの中継で観よう。
続きはこちら »
2020年2月3日(月)

節分の平等院・鳳翔館へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
鬼が退治された世界で生きるということ。我々はそのことを、もっと真剣に考えるべきです。
鬼に連れ去られることがない世界。鬼に殺されることがない世界。鬼に食われることがない世界。
それは果たして、真の意味で平和と呼べる世界なのか。果たして、幸福と言える世界なのか。
いや、無論それは幸福には違いありません。問題は、我々が幸福だけで満足できない点にあります。
鬼という存在によって秘かに満たされてきた、我々の欲望。連れ去り、殺し、食いたいという欲望。
これらの欲望を満たす機会を、鬼のいない平和な世界の代わりに、我々は手放したのではないのか。
またこの平和で幸福な世界は、単に鬼よりも巨大で極悪な権力に地均しされた地獄ではないのか。
こうした疑念を等閑視し、呑気に鬼を 「他者」 「外部」 として夢想するなど、欺瞞でしかありえません。
この世界で鬼と向き合うのなら、我々が鬼を殺した側であるという痛みを、まず見据えるべきです。
そして、その痛みを通じて、鬼退治後の世界に於ける平和・幸福の実相こそを、見据えるべきです。
そう考えた私は、恒例となった節分の鬼めぐりに於いて今回、平等院へ赴くことにしました。
平等院。言うまでもなく、京都・宇治に在って鳳凰堂で広く知られる、世界遺産のひとつであります。
離宮化→別荘化→寺化という平安後期の信仰&権力の様を物理的に現代へ伝える、正に名刹。
そんなロイヤル&パワフルな平等院へ節分に赴く理由は、その宝物殿・宇治の宝蔵に他なりません。
成敗された鬼の首は、都で帝の叡覧を経た後、蔵へ納められました。この蔵こそが、宇治の宝蔵。
権力に敗れた鬼の最期、またその骸が現代まで受け続ける辱めを、体現してる場所と言えるでしょう。
「いや、宇治の宝蔵って単なる伝承だよ」 と言うなら、鬼もまた、極めて伝説・伝承的な存在です。
そして、伝承が何かしらのリアルを含むのは、自明のこと。となれば、宇治の宝蔵も事情は同じはず。
鬼退治とは果たして、どういうことなのか。鬼のいない世界とは果たして、どういう世界なのか。
幻想と錯覚の中でしか触れ得ないそんな真実に触れるべく、私は2月の宇治へ向かったのでした。
ので、宇治茶を喫む暇など、あるわけありません。茶蕎麦を食う暇も、あるわけありません。
続きはこちら »
2019年8月16日(金)

五山送り火の鳥居形を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。
五山送り火5ヵ年計画、本当に5年で完結することになってしまいました。
お盆に際し現世へ召喚された精霊 aka おしょらいさんを、冥界へ送還する万灯籠の習俗が、
大規模化した末に闇夜のページェントを現出させるに至った、京都の夏の風物詩たる五山送り火。
そんな送り火の五山コンプを何度も何度も阿呆丸出しで挑むも、全てに失敗して深く深く反省した後、
「5年かけて、1年に一山ずつ観る」 べく2015年に発動したのが、当サイトの五山送り火5ヵ年計画。
初年度は代名詞たる大文字を、2016年は超豪雨の中で妙法を、2017年は六斎と共に船形万燈籠を、
そして2018年は左大文字を真近で拝み、そして今回、ラストの鳥居形に臨むこととなったのです。
そう、なったのです。なってしまったのです。なると思ってなかったのに、なってしまったのです。
発動した頃は正直、完結するなんて思ってませんでした。絶対に、途中で放棄すると思ってました。
何故なら、所詮は火を観るだけだから。 「人多い」 や 「暑過ぎ」 くらいのことしか言いようがないから。
「火を担う人の想い」 とか 「火に託す人の想い」 とか言って、他人の人生に乗っかるのではなく、
徹底して単にうろつく見物人の分を弁え、その立場を遵守する場合、面白味が発生しようがないから。
歴史をあれこれ言って逃げを打とうにも、そもそも送り火の歴史はよくわかってないから出来ないし。
だから、トンズラすると思ってました。が、完結するのです。完結へ私を導いたのは、惰性です。
「例年通り」 という京都の慣用句が示す、惰性の魔力。あるいは、拘束力。もっと言うなら、呪力。
都市に於ける日常が本質的に永遠でも普遍でもないことを知悉するがゆえに希求される、そんな力。
その希求は無論、ある種の祈りでもあります。後ろめたい真実を背後に含んだ、祈りでもあります。
送り火を観続ける中で私も、京都そのものとも言い得るそんな惰性に、いつしか囚われてたようです。
いや、真に祈りの場たる送り火ゆえ、見物人にも何らかの魔力が作用したと考えるべきでしょうか。
魔力により 「面倒臭い9割+残り無意識」 と魂がゾンビ化した私は、完結の感慨も特になく、
鳥居形が灯される嵯峨嵐山へと今回も 「例年通り」 出かけたのでした。
続きはこちら »
2019年6月1日(土)

平安神宮へ京都薪能を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
平安神宮には、普段は有料の神苑に無料で入れる日が、年に2日設定されてきました。
ひとつは、6月の4日頃。もうひとつは、9月の17日頃。共に、神苑の入苑料がタダになるわけです。
タダになる理由は、言うまでもないでしょう。6月も、9月も、観光客が少なくなるシーズンだから。
6月は、行事があまりなくて、蒸し暑いだけの季節。9月も、行事があまりなくて、蒸し暑いだけの季節。
通振りたい観光客に青もみじを押し売りしても、生理的苦痛を忘れさせるまでには至らないのか、
あるいはやはり単に雨が多いからなのか、とにかく今ひとつ盛り上がりに欠ける時期ではあります。
ので、タダ日があると。修学旅行生が6月に多いのも、その辺の事情が関係してるんでしょうか。
では、毎年6月に行われる薪能が、タダ日と同じ目的で始まったのかといえば、それはわかりません。
元ネタたる奈良・興福寺の薪能と同じく、宗教的理由とかを持つ可能性も、充分あるとは思います。
が、地味な6月の京都にて最大の規模を誇る催事となってるのは、紛れもない事実ではあるでしょう。
薪能。正式名称、京都薪能。昭和25年より開始された、平安神宮にて開催される能公演です。
だだっ広い境内に特設舞台と客席を設け、日暮れ頃から薪を焚きながら展開されるのが、この公演。
1日&2日に開くことで梅雨の雨を避け、また雨天でも隣の京都会館が会場化出来ることがあって、
祇園祭がまだまだ遠い6月に彩を添える催事としてすっかり定着し、現在に至るまで継続されてます。
つまりこの薪能、明らかに大メジャーな行事です。が、当サイトでは今までスルーしてきました。
理由は、私が能に興味がないから。加えて、興味がない者にはチケットが高価過ぎると思えるから。
無論、興味がなくてもメジャー案件であれば、うちでは特攻をやってきました。をどりや、川床とか。
でも、少なくともをどりには、舞妓さんがいる。川床では、料理が食える。でも薪能には、どっちもない。
あるのは、眠い声と鼓の音。あとは、普段よく行く岡崎の雑音。行く気、しません。避けてました。
が、当サイトの趣旨はあくまでメジャーどころの単独特攻。これ以上、逃げることは許されません。
ので、行ってきました。高い金払って興味のないものを、夜どころか昼から観てきました。
続きはこちら »
2018年8月4日(土)

笠置夏まつり花火大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
笠置町。京都府で高齢化や人口減の話になると、必ずその名が上がる自治体です。
巨岩が並ぶ霊地であり、元弘の乱で後醍醐帝も行幸した、笠置山。その笠置山を擁する、笠置。
擁するというか、町域の8割がこの山地などで占められるため、此地の主産業は無論、林業でした。
町を東西に流れる木津川上流を物流ルートとして、古くより奈良・京都へ木材を供給しており、
奈良・東大寺や興福寺の杣山や、また我がホーム・石清水八幡宮の神領&杣があった歴史もあり。
しかしそれゆえ、林業が衰退した現代に入ると、他に産業がないこの町の人口は減少し始めます。
やむなく観光に活路を見出した笠置町は、元弘の乱ゆかりの観光地として笠置山をアピールし、
後醍醐持ち上げ+足利逆賊の戦前では結構盛り上がりましたが、人民主権の戦後に入ると下火化。
高度成長期以降は、レジャーの多様化+街から半端に遠いことが災いして、さらに人気が下降。
現在は、 「出生数ゼロ」 「高齢化率50%」 などの話題で、京都新聞を賑わす地となってるわけです。
では、笠置町がひたすら過疎全開でゴーストタウンな町かといえば、そうでもありません。
傍目には血税を盗まれてるようにしか見えないですが、移住・定住推進の情宣なども、色々と展開。
また、キャンプ場やカヌーといった木津川を活かしたレジャーは、凄く盛ん。イベントも、色々開催。
私は出かける度、割と賑やかな所に見えました。同様の印象を持つ方も、多いのではないでしょうか。
町が山間で狭いため、すぐ人口密度が上がるだけとも言えますが、賑やかに見えるんですよね。
もちろんその印象は、定住者の数とは全然関係がない話ですが、とにかく頑張ってる町であります。
そんな笠置町の最大のイベントともいえるのが、毎年8月上旬に行われる夏まつりの花火大会です。
木津川で1800発を打ち上げるこの花火、 「8割が山地」 という場所のため、音が反響しまくり。
規模こそやや小ぶりではあるものの、他所では体感不能の爆音サラウンド状態を現出させてます。
また、そもそも狭い+人少ない所へ客が密集するため、混雑が超々激化するのも、ある種の味。
そんな笠置の花火、混雑が超々々々激化した関西線に乗って、出向いてみました。
続きはこちら »
2018年1月15日(月)

清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ小豆粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
粥というものは、いわゆる 「本気」 で作ろうとしてみると、案外と調理が難しいものです。
「美味く作る」 という以前に、そもそも粥として成立させられるかどうかさえ、怪しかったりします。
柔らかく煮過ぎたら、単なる糊汁になってしまう。固めに仕上げたら、単なる湯漬けになってしまう。
程良い程度に煮込んでから、 「これぞ粥」 と誰もが思うポイントで火を止める。これが結構、難しい。
実際、私は粥を上手に作れた試しがありません。大抵の場合、湯漬けか糊汁が出来るだけです。
適当料理の極致のように見えながら粥は、実は高度なテクニックを要する料理なのかも知れません。
となれば、粥を食す機会が何かと多い1月に、いわゆる店舗にて粥を食すのも、一興ではないか。
「神社などを回って、接待の粥を寸評する」 などという下品+無礼+無粋な行為におよぶのではなく、
京都の和食のプロフェッショナルがその技により作った粥を、しかるべき対価を払う形で、食す。
こうして 「本当の粥」 を堪能すれば、この時期に粥を食う本義もまた、体で会得出来るに違いない。
そう考えた私は、今回、1月15日の行事食・小豆粥を、店舗にて食べてみることにしました。
出向いた店は、清水順正おかべ家です。言うまでなく、清水坂にあって、湯豆腐で知られる店です。
臨済宗南禅寺派の大本山にして五山の上に屹立する日本最高峰の禅寺・南禅寺の門前にて、
禅の思想を食で具現化した精進料理のひとつ・豆腐を、湯豆腐という形で古えより供してきた、順正。
その順正が、清水寺参道たる清水坂、それも産寧坂の前に出してる支店が、清水順正おかべ家。
なので、湯豆腐が当然売りなんですが、季節メニューもやってて、1月15日には限定で小豆粥を提供。
それも、自前の豆腐製造所まで持つおかべ家ならではの、豆乳おぼろ小豆粥として出してます。
ので今回それを食べに行き、 「本当の粥」 を堪能することで、行事食の重みを感じてみたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。行事食の未来・可能性を見据える為に必要な、挑戦なのです。
決して、またも冬の食い物記事を増やして、アクセス数の底上げを狙ってるのでは、ありません。
断じて、先週の七草粥と同じ作りで、安易に記事を増やそうとしてるのでも、ありません。
続きはこちら »
2018年1月7日(日)

清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。
粥というものは、いわゆる 「本気」 で作ろうとしてみると、案外と調理が難しいものです。
「美味く作る」 という以前に、そもそも粥として成立させられるかどうかさえ、怪しかったりします。
柔らかく煮過ぎたら、単なる糊汁になってしまう。固めに仕上げたら、単なる湯漬けになってしまう。
程良い程度に煮込んでから、 「これぞ粥」 と誰もが思うポイントで火を止める。これが結構、難しい。
実際、私は粥を上手に作れた試しがありません。大抵の場合、湯漬けか糊汁が出来るだけです。
適当料理の極致のように見えながら粥は、実は高度なテクニックを要する料理なのかも知れません。
となれば、粥を食す機会が何かと多い1月に、いわゆる店舗にて粥を食すのも、一興ではないか。
「神社などを回って、接待の粥を寸評する」 などという下品+無礼+無粋な行為におよぶのではなく、
京都の和食のプロフェッショナルがその技により作った粥を、しかるべき対価を払う形で、食す。
こうして 「本当の粥」 を堪能すれば、この時期に粥を食う本義もまた、体で会得出来るに違いない。
そう考えた私は、今回、1月7日の行事食・七草粥を、店舗にて食べてみることにしました。
出向いた店は、清水順正おかべ家です。言うまでなく、清水坂にあって、湯豆腐で知られる店です。
臨済宗南禅寺派の大本山にして五山の上に屹立する日本最高峰の禅寺・南禅寺の門前にて、
禅の思想を食で具現化した精進料理のひとつ・豆腐を、湯豆腐という形で古えより供してきた、順正。
その順正が、清水寺参道たる清水坂、それも産寧坂の前に出してる支店が、清水順正おかべ家。
なので、湯豆腐が当然売りなんですが、季節メニューもやってて、1月7日には限定で七草粥を提供。
それも、自前の豆腐製造所まで持つおかべ家ならではの、豆乳おぼろ七草粥として出してます。
ので今回それを食べに行き、 「本当の粥」 を堪能することで、行事食の重みを感じてみたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。行事食の未来・可能性を見据える為に必要な、挑戦なのです。
決して、粥ネタやるにしても多少は美味いもん食いたい、と思って出かけたのでは、ありません。
断じて、冬の食い物ネタを増やし、アクセス数の底上げを狙ってるのでも、ありません。
続きはこちら »
2018年1月1日(月)

2018年への年越しを、東山浄苑にて昼間に済ませました。もちろん、ひとりで。
年越しとはある意味、一年の内で最も巨大な 「境界」 の時期、と言えるでしょう。
いや、 「越し」 の語が明確に示す通りに、 「ある意味」 もひったくれもなく丸出しとさえ言えます。
古き年の死と、新しき年の再生。正に、 「境界」 の魔力が最高潮に達するであろう瞬間なわけです。
「境界」 を裏テーマに据える当サイトとしては、この巨大な 「境界」 、見逃すわけにはいきません。
が、これまで延々展開してきた年越し企画では、年越しの 「境界」 性、迫ることは出来ませんでした。
理由は、余りにも巨大だから。年越しはいわば、都市 or 国 or 世界の全てが動く 「境界」 だから。
クリスマスなどとは、わけが違います。社会のあらゆるエレメントが影響を受けるイベントなわけです。
とはいえ、退却戦ばかりやってるわけにもいきません。正面からの特攻こそ、当サイトの流儀。
死と再生へ正面からシビアに対峙する形の年越し、というのも、やはり一度はやっておくべきでしょう。
というわけで2018年への年越しは、京都に於ける死と再生の極点たる 「境界」 にて敢行しました。
出向いたのは、東山浄苑。霊苑です。巨大な建物に永代納骨御仏壇が大量に安置された霊苑です。
古墳や御陵があり、今も京都市中央斎場&京都中央安置センターが絶賛稼働中の六条山にて、
ほにゃらふにゃらな事情により、あの東本願寺とは違う東本願寺が運営してる、超弩級の霊苑です。
ゆえに、身内が入ってない者には無縁なんですが、2017年大晦日は昼に除夜の鐘を一般実施。
これぞ親鸞聖人&蓮如上人によって導かれた仏縁と会得し、出かけたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。ほにゃらをふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃほにゃふにゃほにゃをふにゃほにゃほにゃふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ふにゃふにゃほにゃふにゃらをほにゃらほにゃふにゃほにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃらふにゃほにゃほにゃらをほにゃほにゃふにゃふにゃするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃほにゃふにゃほにゃらをふにゃふにゃほにゃらふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ふにゃらふにゃほにゃほにゃをほにゃほにゃほにゃふにゃするのに必要な、挑戦なのです。
断じて、当日になって夜に雨が降りそうとわかり、昼に済ませたわけでは、ありません。
続きはこちら »
2017年8月23日(水)

旅籠茶屋・池田屋はなの舞で鱧を食べました。もちろん、ひとりで。
池田屋事件が起きた夜の京都は、かなり蒸し暑かったのではないかと思ったりします。
元治元年6月5日・祇園祭の宵々山は、新暦でいえば、7月8日。正に、梅雨明け直前です。暑い。
実際、 『幕末維新京都町人日記』 によれば、事件前は雨続き。で、珠に陽が差す感じ。暑い。
で、こんな蒸し暑い盛りの京都の夜に、冷房などなく、下階では灯さえ燃えてる屋内にて、斬り合い。
しかも、何時間にも亘って、斬り合い。間欠泉の如く熱い血があちこちから吹き出す中、斬り合い。
それは一体、どういう状況なんでしょうか。血がスチーム効果を生むサウナ、みたいなもんでしょうか。
沖田総司は、持病でなく熱中症で戦線離脱したという説がありますが、暑さを思えば、さもありなん。
京都の夏を体で知る人なら、誰もが想像するだけで発狂しそうな地獄の沙汰、と言えるでしょう。
この池田屋事件、幕末日本にとっては無論、京都観光に視点を絞っても、極めて重要な事件です。
ゆえに、京都メジャースポットの単独特攻を趣旨とする当サイトとしては、スルーは許されません。
ので、池田屋の跡地たる居酒屋・池田屋はなの舞の訪問は、早い段階からずっと目論んでいました。
しかし同時に、 「訪問するなら、当日に溢れてたであろうこの暑気こそを絡めた形で」 とも思い、
現在の宵々山 = 7月15日に湿気が満ちるのを待ち続け、そのまま現在まで未訪となってたのでした。
7月15日頃の京都って、案外と涼しい場合が多いんですよね。いい感じで、風が吹いてたりして。
一般基準なら充分過ぎるくらいに地獄なんですが、京都水準的にはマシな場合が多いんですよね。
この程度の暑気では、池田屋事件のグダグダでドロドロの地獄感は、まず体感できないでしょう。
タイミングはズレても、グダグダでドロドロに暑い8月後半の方が、訪問には相応しいのではないか。
その方が、事件が持つ温度感や湿度感みたいなものに、より深い形でシンクロできるのではないか。
そんな高踏な考えに基づき、私は敢えて8月下旬の蒸し暑い日を選んで池田屋はなの舞を訪問し、
荒っぽく骨を斬り合った者達の青春に想いを馳せつつ、荒っぽい骨切りの鱧などを食ったのでした。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。幕末への体感的共鳴を目指す、挑戦なのです。
断じて、 「夏終了前に企画 『ひとり鱧』 をもう一発」 と、雑な動機で出かけたのでは、ありません。
決して、 「どうせ行くならネタになる店に」 と、邪な動機で出かけたのでも、ありません。
続きはこちら »
2017年7月17日(月)

山鉾が通る真下の回転鮨割烹・魚倖で、鱧づくしを食べました。もちろん、ひとりで。
「鱧祭」 と呼ばれることもあるという、京都の夏の代名詞・祇園祭。
無論、鱧もまた京都の夏の代名詞である為、こんな呼称が生まれるのも自然な流れでしょう。
山鉾巡行を見に来た人が、その前後の食事で旬の鱧の風味に触れることも、少なくないはずです。
「ビルに入った料亭から、山鉾を見下ろしながら、鱧を食す」 なんてことも、あるかも知れません。
正に、ベタとベタのベタなる組み合わせ。当サイトとしても、一度は試してみたい贅沢ではあります。
が、見下ろすのは、ちょっと、頂けません。山鉾を上から見下ろすのは、ちょっと、頂けません。
山鉾には、神が乗ってます。疫神の吸引こそが山鉾の本来の役目ですが、善神も色々乗ってます。
神か何かよくわからんのもありますが、とにかく何かが乗ってます。単なる山車ではないのです。
なので、上から見下ろすのはあんまり、よくないわけですね。出来ればやはり、下から見上げたい。
もし、巡行の最中に鱧を食すのであれば、鉾の車輪が軋む音を体感出来るような地平で、食いたい。
何ならその足元、いや足の下にまで潜り込み、群れ集う人々の足音まで感じながら、食いたい。
それが、礼儀ではないか。祭の本義を尊重しつつ愉悦にちゃっかり浸る他所者の、礼儀ではないか。
そう考えた当サイトは、企画 『ひとりで食べる鱧』 の一環として、地下で鱧を食することにしました。
それも、前祭・山鉾巡行の当日真っ最中、山鉾が進むその真下にて、鱧を食することにしました。
赴いた店は、回転鮨割烹・魚倖。御池通の地下街に入る、その名の通りの回転寿司店であります。
御池通は御存知の通り、前祭・山鉾巡行の最終コース。正に足元にて、鱧を食うわけですね。
魚倖、回転寿司店ではありますがコースも出してて、夏場になれば鱧づくしコース3000円也も提供。
これが 『ひとりで食べる鱧』 の緊縮型新予算枠にも合致する為、今回、出かけてみたのでした。
前祭巡行当日+巡行終了直前の昼過ぎ、その真下の飯屋の混雑は、果たしてどんな感じなのか。
そして、京都といえど回転寿司は回転寿司なのか、あるいは回転寿司も京都は京都なのか。
そんなことを考えながら、 「鱧祭」 を求めて、地下へ潜ったのです。
続きはこちら »
2016年11月25日(金)

梅小路公園の紅葉まつりライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
幼い頃、山陰本線の車窓から梅小路貨物駅を眺めた記憶が、かすかにあります。
私の親は丹波出身なので、帰省で山陰線へ乗ることが珠にあり、その際に見たわけですね。
完全な幼児の疎覚えなので、本当に自分の目で見た記憶なのかどうかも現在では怪しいですが、
ただ、私鉄しか走ってない地元では見たことがなかった超大規模なる 「鉄」 の世界を垣間見て、
「これから遠くへ行くんだ」 という旅情 or 寂寞感のようなものを感じたことは、確かに記憶してます。
平安期は平清盛の西八条第が建ち、江戸期は土御門家の本拠地であった京都南部・梅小路が、
広大なる貨物駅を擁する一大 「鉄」 ゾーンと化したのは、もちろん、日本に鉄道ができた明治以降。
洛中の繁華街は線路が通し難い為に、京都の玄関口たる京都駅は南部にて作られることとなり、
それに伴って貨物扱いもその近所・梅小路で行われることとなり、梅小路貨物駅は誕生したのでした。
以後、近代&現代を通じて長く活躍した梅小路駅でしたが、1990年に設備が移転し、空き地化。
やがて空き地はJRから京都市へ売られ、買った京都市は何ちゃら記念として空き地を公園に整備。
かくして梅小路貨物駅は、庭園やビオトープなどで構成された都市公園・梅小路公園へ再生し、
長じた私が便所へ寄った際には、個室の壁を登ったその筋の方と目が合ったりもしたわけであります。
梅小路公園、近年は敷地内に京都水族館ができ、旅客新駅も開設予定と活性化が著しいですが、
庭園 「朱雀の庭」 もまた、より集客を図るべく晩秋には「紅葉まつり」 を開催し、ライトアップも実施。
京都駅からギリ歩いて行ける夜の紅葉スポットとして、ジワジワ認知と人気を高めつつあります。
と、幼少の頃に抱いた 「鉄」 な印象からすると、私的には隔世の感を感じまくる今の梅小路ですが、
しかし千年単位で物を考える京都では、100年ほどブイブイ言わせた 「鉄」 こそ過客に過ぎず、
紅葉の映える庭園へと姿を変える方が、ある意味、この街らしい流れと言えるのかも知れません。
そんなことを思いながら、私もまた便利さに釣られて、夜の梅小路公園へ出かけてみました。
庭の名物という 「逆さ紅葉」 は、私の心を 「遠く」 へ連れて行ってくれるでしょうか。
続きはこちら »
2016年8月25日(木)

長岡天満宮の夏まつりへ久世六斎念仏の奉納を観に行きました。もちろん、ひとりで。
京都の六斎念仏の講中は、かつてお盆の頃、あちこちで興業を行なってたそうです。
市街地近郊の農村に於いて、農閑期の余暇を活用する形で発展した、近世京都の六斎念仏。
特に芸能六斎と呼ばれるタイプの六斎は、花の都に流行るあらゆる演芸を取り込みまくる形で発展、
念仏の原型がなくなるほどに芸能化されたその演舞で、人々から熱烈な人気を得たといいます。
無論、そんな芸能化された六斎の講中も、メイン活動は地元の寺社での奉納&棚経なわけですが、
人気と需要ゆえ、大八車へ道具を積んでの町場廻りなども行ない、貴重な現金収入を得てたとか。
そういった場での演舞は恐らく、よりコンパクトで芸能色が濃く、より 「余興」 的なものだったでしょう。
「移動型総合念仏エンターテイメント」 「踊る農閑渡世」 みたいな感じだったかも。面白そうですね。
しかし現代に至ると、こうした 「興業」 としての六斎奉納を見かける機会は、なくなりました。
現代の六斎シーンにあっても、ホーム以外の場所で積極的に奉納を行なう講中は多いですが、
そのプログラムは、ガチというか、いわゆるフルサイズの 「一山打ち」 である場合が大半。
かつての六斎が、メイン活動以外の場に於けるライトな演舞で放っていたかも知れない雰囲気、
ある種の 「営業」 感や 「余興」 感を想起させてくれるような奉納は、案外と見当たりません。
時の流れはこういう所にこそ克明に顕れる、という話ではあります。が、そこで、久世六斎ですよ。
京都市南区・久世にあって、駒形稚児を出す綾戸国中神社の隣である蔵王堂・光福寺をホームとし、
蔵王堂におけるホーム奉納ではそれこそガッチガチのディープな演舞を展開する、久世六斎念仏。
六斎本来の太鼓曲が中心のセトリに始まって、客&場所から放たれるタイムスリップ感に至るまで、
「昔の六斎はこんな感じかも」 と思わせるそのガチさ加減は、当サイトでもお伝えしてる通りです。
が、長岡天満宮・夏まつりでのお呼ばれ奉納では、こちらの久世六斎、実にコンパクトな演舞を披露。
これはこれで、 「昔の六斎の興業はこんな感じかも」 と、強く思わせてくれるものとなってます。
そんな六斎の別の表情を拝むべく、長岡天満宮がある長岡京市へ出かけてきました。
続きはこちら »
2016年8月16日(火)

五山送り火の妙法を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。
五山送り火は、その名の通りに火を用いる行事ながら、基本、雨天決行となってます。
槍が降っても決行というわけではなく、1963年には豪雨で順延してますが、基本、16日に固定。
少なくとも私の記憶がある範囲では、 「雨で延期になった」 という話は、聞いた憶えがありません。
大変だという話ではあります。が、それも、当然でしょう。送り火はあくまで、送り火なのですから。
ホテル屋上で酒の肴に火を眺める仏罰必定の輩から、五山コンプへ挑む自転車珍走団に至るまで、
様々な愚民を様々な愚行へ駆り立てるライトアップイベントのようになってしまってる、五山送り火。
しかし、その本義はあくまで、現世へ戻った精霊 aka おしょらいさんを、あの世へ送り返すこと。
所詮は雲から下の事情に過ぎない雨で、精霊のステイ日数を延長させるわけには行かないのです。
延長などすれば、現世へ未練を抱いて帰らない居残り幽霊が大量出現するかも知れませんし、
そうなれば、そもそも霊口密度が高過ぎる怨霊都市・京都に於いて霊口爆発が発生するのは、必定。
然るべきスケジュールで、然るべき客出しで、然るべき場所へ帰ってもらう。これが、大事なのです。
なので、2016年の五山送り火は、とんでもない雨の中でも中止されずに敢行されました。
ゆえに、五山送り火5ヵ年計画を遂行中の当サイトは、ズブ濡れで妙法へ出かけました。
阿呆丸出しで何度も何度も様々な方法で五山コンプへ挑むも、それら愚行の全てが失敗に終わり、
反省の後、 「5年かけて、1年に一山ずつ観る」 と決め2015年に発動したのが、当サイトの5ヵ年計画。
初年度の前年は、送り火の代名詞的存在をまず押さえようと、大文字山を拝みに行きましたが、
第2回の今回は、大文字の隣にして大文字に続いて点火される妙法を、拝みに行ったのであります。
松ヶ崎・妙法は、洛北は北山の東にあって、五山の中で唯一 「妙」 と 「法」 の2文字1ペアな山。
この地は、日蓮の孫弟子・日像の教化により村全てが日蓮宗へ改宗したという伝説を持ちますが、
送り火で描かれる 「妙」 の字もやはり、日像上人が西側の山に書いた 「妙」 をルーツとしているもの。
正に霊的事情により決行されてる送り火なのであり、雨程度で中止されることは考えられません。
正直、当日に雨が降り始めた時には、5ヵ年計画を6ヵ年計画にする屁理屈を考えたりもしましたが、
大変な思いをして燃やされる火を拝むなら、こちらも多少は大変な思いをするのが、筋でしょう。
そう考え、雨の松ヶ崎へ出かけたのでした。そして、本当に大変な思いをしたのでした。
続きはこちら »
2016年6月23日(木)

大原・三千院へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
あじさいに、 「北」 の花というイメージはあるでしょうか。私には、あまりありません。
どちらかといえば、 「南」 な花、という印象を持ってました。生息域は東北辺りまで、みたいな。
この印象は無論、間違った思い込みに過ぎません。あじさいの生息域は、北海道にまで及びます。
それこそ、エゾアジサイもあるし。世界へ目を向ければ、ヒマラヤにもアジサイがあるらしいし。
少なくとも人が住める程度の北所や高所に於いて、あじさいが咲かないということはないようですよ。
にも関わらず、そんなあじさいに対して私が 「南」 な花という印象を、何なら今も持っているのは、
京都に於けるあじさいの名所が、京都市 or 京都府の南部に比較的多いからなのかも知れません。
藤森の藤森神社。宇治の三室戸寺。共に、著名なあじさいの名所です。で、所在地も共に、南部。
あじさいが咲く梅雨のテイストと、かつて巨椋池が存在した湿地帯的なるディープサウスのテイストを、
己の中で勝手に重ね、己の中で勝手に納得し、己の中で勝手に確定してたのかも知れません。
当然、こんな阿呆な類推・曲解・盲信に関係なく、京都の北部に於いてもあじさいはしっかり、開花。
見物客を多く呼び込むあじさいスポットもしっかり、存在します。そのひとつが、三千院です。
三千院。言うまでもなく、洛北にして 「京都の奥座敷」 とも呼ばれる大原を代表する名寺であります。
天台声明の聖地であり、建礼門院などの貴人が世を捨て隠棲したことでも知られる大原の里へ、
明治期に入って梶井門跡が移転し、声明寺院を統括していた政所に落ち着く形で生まれた、三千院。
アクセスは未舗装の鯖街道のみだった大原が、昭和の道路整備&バス開通で観光化した後は、
「京都・大原・三千院」 という三段活用と共に、そのランドマークとして認知されまくっている、三千院。
大原の 「侘」 を体現する極楽往生院を始めとして、見所が多く人気も高い名刹なわけですが、
梅雨時の稼働率も上げたいのか何なのか、境内にはあじさい苑も設けられ、こちらも結構な人気。
あじさいを 「南」 な花と思い込む私の臆見など無関係に、大原の梅雨を鮮やかに彩ってます。
で、そんな 「北」 のあじさいを拝むべく、サウスな私は鯖街道を北上したのでした。
続きはこちら »
2014年12月24日(水)

大枝のラブホ街にあるホテル洛西にて過ごす聖夜、前篇に続き後篇です。
「大枝」 と聞いたら、京都府民の多くは脊髄反射で 「柿」 と連想するでしょう。
実際、大枝の富有柿は名物ではあります。が、その歴史は、さほど古いものではありません。
御存知の方も多いでしょうが、富有柿の原産地は岐阜。大枝での栽培が始まったのは、昭和以降。
というか、徹底的に農村化したのも実は明治以降と、中々に面白い歴史をこの地は持ってます。
桓武天皇の生母・高野新笠の母方のルーツたる大江氏から 「大江郷」 の名称が付いたという、大枝。
平安遷都以前から秦氏などの豪族が住んだとされ、現在も残る古墳が山のように作られましたが、
遷都以降は、平安京と山陰を結ぶ山陰道に於ける関所 = 「境界」 としての存在感が前景化。
都から見ると北西 = 鬼の進入口・乾に位置する為、中世までは酒呑童子伝説の恰好の舞台となり、
中世以後も、足利尊氏や明智光秀といった反逆者が、ここから鬼の如く都へ侵攻したのでした。
近世に入り、鬼の住処も丹後の大江山へ移動すると、大枝は山陰街道の峠町としての存在感を強化。
旅人相手の商いを専業にする家が増え、茶屋や旅籠屋、休憩所が並ぶ宿場町となったのです。
そう、ここは明治以前の時点で既に、農業中心ではなくて商品経済に馴染んだ町だったわけですね。
維新後は、新峠建設で老ノ坂の峠町が衰退、明治32年の鉄道開通では大枝全体の状況も一変。
今は嵯峨野トロッコ鉄道として走るあの汽車へ、丹波の貨物はごっそり移り、山陰街道は急に閑散化。
街道で食ってた大枝は打撃を受け、商業中心から農業中心へと転進せざるを得なくなりました。
そこで、 「柿」 なわけですね。 作物を色々試した後、この地に合ったのが 「柿」 だったわけですね。
「柿」 と全く不似合いなインパクトを誇る大枝のラブホ街ですが、街道筋としての歴史を考えると、
ある意味、かつての時代の生々しい息吹 or 残り香を、現代に伝えるものと言えるのかも知れません。
大枝の変化は 「柿」 以降も止まることが無く、戦後は宅地に困った京都市の開発の歯牙にかかり、
「柿」 を潰す勢いでニュータウン開発が進行、文化的&景観的にラブホ街もなぎ倒す勢いです。
が、とりあえず今回は、ホテル洛西であります。元ラブホにて、ひとりで過ごす聖夜、続きであります。
京都魔界シーンのラスボス・首塚大明神の参拝から、飯、そしてラブホ窓から朝日を見るまで、
「境界」 が孕む妖しき魔力を見据えんとする孤独な精神戦、お付き合い下さい。
続きはこちら »