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豊臣秀吉が死の直前に観たかも知れない名月を、伏見へ観に行きました。もちろん、ひとりで。

2024年9月17日(火)


豊臣秀吉が死の直前に観たかも知れない名月を、伏見へ観に行きました。もちろん、ひとりで。

豊臣秀吉が死んだのは、1598年8月18日です。死んだ場所は、伏見城です。
日付はもちろん、旧暦。ですので、中秋の名月 = 旧暦8月15日に近いことになります。
つまり秀吉は、伏見城内で中秋の名月を観てから数日後に死んだ、と言えるかも知れません。
月を愛し、此地の月を観るため指月城を築き、地震で潰れるとすぐ伏見城を建てた、秀吉。
「さらしなや 雄島の月も よそならん ただ伏見江の 秋の夕ぐれ」 なる歌も詠んだ、秀吉。
死の前は体も頭もボロボロだったらしいので、観る元気が残っていたかどうかはわかりません。
ただ単純に日付だけで考えると、満月前後の月を観て逝った可能性は充分あります。
というか、むしろ名月に呼ばれるように世を去った、そんな気さえするのです。
当サイトは先々月以来、御香宮高台寺と秀吉へフォーカスする記事を続けて展開してきました。
1番の理由は命日が近いからで、2番の理由はこれまで秀吉ネタを全くやって来なかったからですが、
何で今まで秀吉ネタをやってなかったのかと言えば、私が秀吉に興味も知識もなかったからです。
では、記事作成を通じて興味と知識が増したかと言えば、特にそんなこともなかったりするのですが、
ただ、以前から無知&門外漢なりに感じていたことを、改めてしみじみと感じるようにはなりました。
それは、この人はおかしいということ。 「おかしい人」 というより、存在がおかしいということ。
存在が、歪。時空が、変。 「月から来た人」 とでも言われた方が、まだしっくり来るかも。と。
そう思ったので、今回、 「月の人」 としての秀吉の最期を検証してみようと思うのです。
秀吉が末期の眼で眺めた月を同じ条件で観るべく、中秋の名月の夜、伏見へと趣いてみよう。
月を観る場所は、その名もずばりな観月橋、すぐに潰れたけどやはりその名もずばりな指月城跡、
秀吉が没した伏見城の跡地である桃山丘陵、あと伏見城を模した伏見桃山城キャッスルランド跡。
執念や体臭に続き、死という人間の有様に肉薄することで生身の秀吉にフォーカスしてみよう。
そして、そこから逆に、 「月の人」 としての異常性を浮かび上がらせようと思うのです。

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夏越祓の茅の輪を求めて旧・巨椋池南岸をうろつきました。もちろん、ひとりで。

2024年6月30日(日)


夏越祓の茅の輪を求めて旧・巨椋池南岸をうろつきました。もちろん、ひとりで。

干拓された巨椋池を、巨大な境界として考えてみる。というのは、どうでしょうか。
陸と水、あるいは存在と不在。過去と現在、または現実と幻影。それらの境界という線です。
最初にこう考えたのは、大山崎山荘美術館の訪問記事谷崎潤一郎 『蘆刈』 に触れた時でした。
「山城と摂津のくにざかい」 の大山崎を訪れ、桂川宇治川の合流点にある州へ渡った谷崎は、
謎の男に出会って、巨椋池の畔で暮らす夢のような女性 「お遊さん」 の話を聞かされたのでした。
この短編の発表は、巨椋池の干拓開始直前の昭和7年。色々と 「境界」 を感じたわけです。
実際の巨椋池は、かつて京都府南部の久御山町を中心として存在した、湖のように巨大な池であり、
桂川/宇治川/木津川が流入する不定形の遊水池として、洪水調整機能を長く果たしてきました。
淀川と直結しているため平安遷都の遙か前から舟の往来が盛んであり、淡水漁業ももちろん盛ん。
小島を望むその光景は貴族からも愛され、池の北畔は別荘が並ぶ景勝地であったとも言われます。
しかし古代以来のその姿は、秀吉伏見城築城に際して宇治川の流路を変えたことで、激変。
流入する水が減って水質は悪化。近代にはさらに減って蚊害も悪化。結果、干拓に至りました。
干拓の背景には食糧増産という戦時事情も存在したため、現在も池の跡地はその大半が農地です。
一方、京都の中心部では建設が困難な高速道路も池の跡地なら好き放題の作りまくり状態であり、
その高速が生む交通の利便性と豊富過ぎる土地と水を活かすべく、工場も多数誘致されています。
現代建築と農地の雑な共存。ある意味、これこそ現在の巨椋池跡の典型的な光景かも知れません。
この境界的な土地柄、当サイトが続ける 「境界」 なるテーマの探求にぴったりではないか。
当サイトは、阿呆極まる京都単独徘徊の背後に 「境界」 という高踏極まる裏テーマを掲げており、
神社を徒歩で巡り茅の輪をくぐりまくる水無月の外道企画でさえ、このテーマを追求してきました。
地理的にも歴史的にも 「境界」 である巨椋池は、このテーマの探求にぴったりではないか。
そう考えて今回、池跡で神社を巡ってみました。茅の輪には出会えるでしょうか。

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旧海軍記念日に海軍カレーを求めて東舞鶴へ出かけました。もちろん、ひとりで。

2024年5月27日(月)


旧海軍記念日に海軍カレーを求めて東舞鶴へ出かけました。もちろん、ひとりで。

海の京都・舞鶴海軍カレーをどのタイミングで食べるか、随分長く悩んでいました。
当サイトは、京都のメジャー案件を押さえるのがテーマ。海の京都の名物も、欠かせません。
「カレーのどこが名物だ、しかも海鮮が美味い舞鶴で」 などという逃げ口上は、言語道断。
自分で名物と名乗ってる以上は、名物なのです。そして名物であれば、食わねばならないのです。
出来れば、お日柄が良い方が望ましい。何ちゃら記念日とかなら、尚良ろし。あと季節感も割と大事。
カレーにとって良い季節というのも、何かよくわからないけど。海軍カレー記念日とか、あるのかな。
そもそもカレーは、年中食えるのが良いところじゃないのか。だから艦内でも食ってたんじゃないのか。
そして今は、波がある海鮮の隙間を補うアイテムとして、舞鶴の観光資源になってるんじゃないのか。
となれば、逆にむしろ平時に食うべきだろうか。いや、それはそれでやはり、あまりにも味気ない。
何かいいタイミング、ないかな。と思っているうちに、ふと、5月27日の旧海軍記念日に思い至りました。
海軍記念日。即ち、日露戦争で日本が大国ロシアに完勝した日本海海戦を記念する記念日です。
1905年5月27日、大日本帝国海軍連合艦隊は日本海上でロシアのバルチック艦隊を撃破しました。
この成果を称え、日本は毎年5月27日を海軍記念日と制定。以後、終戦に至るまで祝い続けます。
これ、いいんじゃないのか。戦前とはいえ 「海軍記念日」 ってはっきり言ってるし、いいんじゃないのか。
はっきり 「海軍カレー」 って名乗ってる名物を、名乗ってる通りの形で食う。これ、いいんじゃないのか。
確かに、日本海海戦と舞鶴は言うほど縁がありません。舞鶴湾内で戦闘したわけではありません。
戦場は対馬海峡周辺であり、今の新日本海フェリーの航路上でドンパチやったわけでもありません。
ただ、舞鶴が軍港化した契機は日露戦争で、その日露戦争の勝敗が決したのは日本海海戦です。
それに大きな声では言えませんが、舞鶴市は現在も市制記念日を5月27日としています。
これはもう、間違いありません。何が間違いないのかよくわかりませんが、間違いありません。
海軍記念日こそ、海軍カレーを食べるに相応しい日。そう確信して、舞鶴に出かけました。

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東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2024年3月15日(金)


東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 

「観光」 と 「信仰」 は、果たして対立するものなのでしょうか。恐らく、違うはずです。
元来 「観光」 は仏の光を観ることだと、どっかの坊さんが言うのを聞いた憶えがあります。
単なる物見遊山のつもりでも、単なる景観消費のつもりでも、実は仏の光を観ているのが 「観光」 。
寺院系の観光スポットに群がる者は、内実を問わずその全てが仏に導かれているというのです。
聞いた時、心の半分では 「詭弁だ」 と思いました。ただ残りの半分では、 「その通りだ」 と思いました。
清水寺を筆頭とする超メジャー級の寺院で大混雑を見た時に感じる、不思議で独特な浄化感。
稚拙な観光欲が消化 or 浄化 or 昇華され、何かの仏性に繋がっているように見える、あの感じ。
「群がる観光客を嘲笑しよう」 と思ってこのサイトを始めた頃、私はこの感覚を味わい、戸惑いました。
単なるイベントや単なる雑踏では生まれない何か。それが、大きな寺社にはあるのではないか。
そう思ったのです。冷やかし気分で清水寺へ赴き、私と同じような印象を受けた方も多いはずです。
「観光」 と 「信仰」 は、対立するものではない。むしろ、 「観光」 は 「信仰」 の中にこそある。
何なら、 「観光」 はひょっとすると、仏の光を見ることから始まったのかも知れない。
こんなわかるようなわからないようなことを、東福寺涅槃会へ出かけた際、感じていました。
東福寺は言うまでもなく禅宗の大古刹であり、涅槃会もまた言うまでなく釈迦の命日に行われる縁日。
3月15日 or 旧暦3月15日には各地の寺院で涅槃会が開かれていますが、東福寺もまた行っており、
中でも法堂に掲げられた明兆による巨大な 「大涅槃図」 の無料公開が最大の呼物となっています。
で、この涅槃会の雰囲気が何とも 「仏の光を観る」 という意味での 「観光」 といった感じだったのです。
仏の光を求めて、あるいはわけもわからずやってきて、皆が等しく仏の光を浴びる。
禅寺は厳格なイメージがあって、伽藍からして背筋を正してしまうようなテイストが漂ってますし、
特に東福寺の三門などはその極致で、何となく小乗感というか、厳しい印象がなくもありません。
でもこの日の東福寺は妙に大らかで、実に 「観光」 したような気になったのでした。

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京都レストランウインタースペシャルで、南禅寺 料庭八千代の湯豆腐御膳を味わいました。もちろん、ひとりで。

2024年2月19日(月)


ウインタースペシャルで、料庭八千代の湯豆腐御膳を味わいました。もちろん、ひとりで。

2月の京都は、観光の閑散期ということになっています。というか、実際にそうです。
理由は、何より寒いから。底冷えの底で、大して雪も降らずにひたすら寒いだけという。
あとは節分の他にはこれといった行事がないのも、かなり大きいかも知れません。
いやもちろん、某国からの訪日客が増えてからは、こうした2月の事情も変わったんですけど。
いわゆる春節ですね。2月頭の大型連休で海を越えて来た連中は、京都にも沢山来るわけですね。
ただ、閑散期が消滅したというほどの印象も特になかったりするんですよ。特に月の後半は。
そもそも死ぬほど寒いことは変わらないわけだし。2月はやはり、観光には不向きな月なんでしょう。
そんな閑散期の対策として、2月の京都ではウインタースペシャルが行われています。
正式名称、京都レストランウインタースペシャル。その名の通り、京都の飲食系の冬の特別企画です。
誰もが知るような京料理の有名どころはもちろん、多彩なジャンルの多様な価格帯の店が参加し、
スペシャルな割引価格やスペシャルな限定メニューで何とか客を確保しようとする企画なわけです。
この企画、当サイト的に注目したい点は、ひとり客にも割と門戸を開いていることでしょうか。
とにかく席を埋めたいからなのか、普段はひとり客お断りのような店でも普通に入店出来たりするし、
普段は 「2名」 からしか表示されない予約サイトに 「1名」 の選択肢がちゃんと出現したりします。
有難いわけです。非常に有難いわけです。ひとりでうろつく当サイトとしてはこの機会、見逃せません。
恐らくコロナ前であれば、喜び勇んで出かけたでしょう。ウハウハで出かけたでしょう。
しかし私は、そして同志の皆さんは、コロナ禍を経て飲食がどれだけ大変かを知ってしまった。
「ぼったくってる分、独の俺で調整せい」 とか嘯く呑気な状態にはもう戻れません。
「店の事情など客に関係ない」 とは言えますが、そう言い放つ口元が歪むのを止められない。
なので今回、普段からひとりで予約出来る料庭八千代を敢えてウインタースペシャルで訪れ、
名物の庭と湯豆腐を味わいながら、今後のひとりの在り方を考えてみたのでした。

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スプリングスひよしで納豆餅を食べてダムを見物して温泉に入りました。もちろん、ひとりで。

2024年1月30日(火)


スプリングスひよしで納豆餅を食べてダムを見物して温泉に入りました。もちろん、ひとりで。

京都の正月と言えば、白味噌雑煮。それは確かにその通りです。間違いありません。
でも府域へ視野を広げたら、白味噌雑煮以外にも年始に食されている食物が存在します。
その典型が、南丹市および京都市右京区京北の山間部にて食されている納豆餅でしょう。
納豆餅。納豆出汁の雑煮でもなく、納豆トッピングでもなく、納豆を内蔵させた京都の納豆餅。
納豆餅エリアで最も有名なのは、時代祭にて維新勤王隊列を担うことで知られる山国の辺であり、
此処は 「納豆発祥の地」 みたいなことまで打ち出して、納豆餅の積極的なPRにも取り組んでるほど。
何故そこまで納豆を重視するのかと言えば、事情は日本の他の山間部とさほど変わりません。
一大木材消費都市・京都へ木を送るため人は昔から沢山住んでるけど、山間部ゆえ蛋白質が乏しく、
確保のための知恵として古くから納豆が生産され、その勢いで餅に入れたら納豆餅、なわけです。
この納豆餅、当サイトも企画内で一度食べてます。ぼたん鍋企画の中で食べてます。
食べた場所は、納豆餅エリアの最南西と言えそうな南丹市日吉町にある、道の駅 スプリングスひよし
大堰川 aka 保津川 aka 桂川の下流地域に於ける洪水被害回避および上水道水源確保のため、
日吉町天若をまるごとダム湖にする形で建設された日吉ダムの、おまけと言えばおまけの施設です。
此処でぼたん鍋を食した際、納豆餅も食べました。それも、正に正月である1月に食べました。
が、鍋に投入した納豆餅は半分以上溶けてしまったので、納豆餅感を充分に味わえなかったのです。
おまけにその日は警報級の大雪で、ダムも見物出来ず、温泉も早仕舞いで入れなかったのです。
このリベンジをしたい。正月にちゃんと納豆餅を食って、ちゃんとダムを見て、ちゃんと温泉に入りたい。
そう思って今回、改めて納豆餅とダムと温泉を堪能すべくスプリングスひよしへ出かけました。
いや、温泉やダムはともかく納豆餅に強いこだわりがあるかと言えば、そうでもありません。
私のルーツの地は南丹市ですが、雑煮は白味噌であり、納豆自体もかなり苦手な方です。
でも、味より大事なものが食にはあります。その大事なものを、見つけに行きました。

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坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。

2023年11月15日(水)


坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。

随分前から自分の中で、龍馬成分ゼロ問題のようなものが存在し続けていました。
龍馬に興味が湧かないのです。どうしてこんなに人気があるのか、全然わからないのです。
早く死んだからかな。でもそれなら他にも早く死んだ志士はいるよな。いくらでもいるよな。
業績があるからかな。でも推してる連中の雰囲気や温度感からは、そういうの、あまり感じないな。
あの人達は、明らかに私には見えない何かを龍馬に見出し、好きになっている。そう感じるのです。
こういう謎を解消する場合、人気の源泉とされるコンテンツへアプローチするのが定石であり、
龍馬の場合は検証にうってつけのネタも 『竜馬がゆく』 『龍馬伝』 を筆頭に枚挙に暇がありません。
が、そういうものを見る気力も湧かないのです。見るべきと思った2秒後には忘れてるのです。
いわゆる逆張りの心が作動してるのではないと思います。ベタを避けたいのではないと思います。
当サイトはそもそも、京都のベタを写経するようなサイトです。ゆえに龍馬は本来、避けられません。
また、最近多いという 「龍馬、実は大したことしてない」 的な反感も、特にないと思います。
そもそも反感を持つほどよく知らないし。たとえ知ろうと思っても、意欲が秒レベルでしか保たないし。
アンチ/シンパ問わず発生する龍馬成分みたいなものが、どうやら私には欠けてるようなのです。
そんな塩梅なので私にとって龍馬という人は、空気のような人、ということになってしまいます。
業績はともかく、現在は後世の人の願望や夢想の風船と化した人、ということになってしまいます。
これは、いかん。流石に、いかん。京都観光に縁深き人物にこの扱いは、いくら何でもいかん。
そう思ったので今回、坂本龍馬の命日に京都霊山護国神社霊山歴史館を訪れることにしました。
霊山護国神社は、言わずと知れた龍馬&中岡慎太郎を始めとする志士が眠る墓を守る社であり、
その向かいに昭和中期に出来た霊山歴史館は、昭和の龍馬ブームを体現する施設です。
龍馬の命日はもちろん神事や各種催しも行われているので、そのど真ん中を訪れることで、
龍馬のことと、龍馬に興味が湧かない自分のことを、わかろうとしてみたのでした。

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時代祭のネット中継を三条河原町のネットカフェで観ました。もちろん、ひとりで。

2023年10月22日(日)


時代祭のネット中継を三条河原町のネットカフェで観ました。もちろん、ひとりで。

時代祭平安神宮の秋の大祭です。そして、言うまでもなく、京都三大祭のひとつです。
平安時代から明治までの時代行列が、御所から平安神宮へ至る都大路を行進するその様が、
東京遷都後の京都そのものを体現してるとも言える、極めて重要な超メジャー級行事であります。
京都の表象とベタの混雑を見つめ続ける当サイトとしてもこの祭、避けるわけには行きません。
ましてコロナ禍を経た2023年には、衣装の新調もなりました。絶対行くしかないでしょう。
でもな、何かもうしんどいのよな。行きたくもないのに人混みの中に行くのって、もうしんどいのよな。
いや、行くだけなら別にいいんだけど、カメラ構えるとすぐに横とか後とかにクズが来て、嫌なのよな。
どいつもこいつもニヤニヤ笑ってて。しかも、何故かどいつもこいつも身長・体型・体脂肪率が似てて。
あれ、バズりのネタを探してるクズなんでしょうか。あるいは、写真を売ってるクズなんでしょうか。
ああ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
もっと嫌なのは、前を塞ぐ奴な。とにかく人の前へ出て、出た後は何したらいいか全然わからん奴な。
わからなくてその場で呆然と突っ立って、横を通り過ぎるとまた慌てて走ってこっちの前に出て、
出た後でやっぱり何したらいいかわからなくてその場に突っ立って、とにかく人を通そうとしない奴な。
ああ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
いや、そりゃ私だってクズはクズですよ。やってることは根本的にクズと何ひとつ変わりませんよ。
そこ、忘れてはいけません。そこを忘れると、単に 「クズの十年後」 ぐらいの人間になるだけですから。
でもね、疲れるんですよ。自分のクズな所を煮詰めて鼻先に突きつけられると、凄く疲れるんですよ。
行きたくないな。行きたくないな。行かなきゃいけないけど、行きたくないな。何か良い方法ないかな。
そうだ、ネット中継で観よう。混雑を知らせる中継は時代祭にもあるから、それで観よう。
順路で一番混む三条河原町にはネットカフェがあって、近くの交差点には中継カメラもあるし。
現場がすぐ近くだから、音は生で聞けるかも。そうだ、そうしよう。ネットの中継で見よう。

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大谷祖廟の暁天講座へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2023年8月1日(火)


大谷祖廟の暁天講座へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

大谷祖廟へ出かける理由を、当サイトを始めた当初からずっと探し続けてました。
「そんなもん、勝手に行けよ。さっさと」 と言われたら、それで終わってしまう話ではあります。
が、それで終わらないもの、終わらせるべきでないものがあると感じてるのも、確かだったりします。
大谷祖廟。言うまでもなく浄土真宗宗祖・親鸞聖人の墓所がある、東本願寺の飛地境内です。
が、隣には門徒専用の墓地・東大谷墓地があり、両者はペアで認識されることが少なくありません。
実際、私もかなりごっちゃに捉えてます。しかも 「親鸞の墓」 というよりは 「門徒さんの墓地」 寄りで。
おまけに私は親類縁者に門徒がいないので、此処は全くの赤の他人が眠る墓地、となるわけです。
東大谷万灯会なども行われる点で間違いなく京都のメジャースポットですが、でも、墓地なわけです。
全く無縁な墓地への、理由なき訪問。一般良識で考えると、控えるべき行為とは言えるでしょう。
「無敵の人」 の万能感を使い切った後の人間が、如何なる倫理を持って如何なる道を歩むべきか、
思索を深めながら京都徘徊を続ける当サイトが、斯様に浅薄な行為におよぶわけには行きません。
その割には化野念仏寺の千灯供養や東山浄苑の真昼の除夜の鐘撞きなどに行ってはいますが、
2020年代後半を見据えた生き方を考えた場合、この手の荒事はもう控えた方が良いのでしょう。
また、より正直に言わせてもらえば、他の墓地訪問とは違う何かを大谷祖廟に感じることも確かです。
それが何か言えば、大谷祖廟と大谷本廟東山浄苑って何かややこしいなという話なんですけど。
特に祖廟と本廟って、何かややこしいな。本家と元祖とたかばしの違いみたいで、何かややこしいな。
そんな大声で言えない系の理由もあって、長らく大谷祖廟へ足が向かわず仕舞いだったのでした。
しかしそれでも大谷祖廟はやはり、大谷祖廟です。超メジャーです。やはり、行っとくべきです。
そう考えて今回、大谷祖廟が毎年8月初頭の早朝に開催してる暁天講座へ出かけることにしました。
暁天講座、誰でも入れる講座です。これなら、信心なしで行っても先祖の祟りとかないだろ。
と、けしからんことを徹夜明けの頭で考えながら、払暁の東山へ赴いたのでした。

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夏越祓の茅の輪を求めて木津川市をうろつきました。もちろん、ひとりで。

2023年6月30日(金)


夏越祓の茅の輪を求めて木津川市をうろつきました。もちろん、ひとりで。

夏越祓茅の輪くぐりまくりの舞台として、前から木津川市は気になり続けてました。
木津川市。京都府の最南端に位置し、むしろ隣接する奈良市との縁の方が深いエリアです。
「木津」 という地名が示す通り、元々は木材の津 = 河川港があることで知られた町であり、
その木材を運ぶ水運ハイウェイ = 木津川の近くに広がる旧木津町を中心として、栄えてきました。
木材の搬送先は隣の奈良が当然多く、そもそも平城京の外港として町が出来たとも言われるほどで、
その辺を考えれば、この町は京都以上に長く深い歴史を持つ町と言えるのかも知れません。
では、南都と縁が深いこの木津川市が何ゆえに夏越企画の舞台として気になり続けてたかと言えば、
正に奈良/京都の境界という地理が、夏越が孕む境界性とシンクロすると考えたからです。
当サイトは、境界というテーマにこだわり、こだわる中で1年を半分に分かつ夏越の境界性にも注目し、
祇園祭/稲荷祭の境界たる松原通にて水無月を食いまくるといった荒行などもしてきました。
そして、このテーマをさらに深く追究するには、本当の境界の地へ赴くべきと思うようになったのです。
都合の良いことに木津川市は、平城京レベルの古い歴史を持つがゆえに渋き古寺や古社が多く、
京都~木津の港~奈良を結ぶ奈良街道の周辺も、特に良さげな社が沢山存在してます。
また、奈良街道周辺の旧市街からやや離れた辺では宅地開発や道路建設が異常なほど活発で、
ある意味で町全体が過去/未来の境界と言える景観を生み出してるのも、味わい深かったりします。
この木津川市で茅の輪めぐりをしたら、面白いのではないか。境界の探求にもなるのではないか。
ルートはもちろん、奈良街道を基本で。それも、木津の港から南進して奈良県の境界を目指す形で。
となると、晴天の日は逆光で歩くことになるので、狙うなら悪天の日で。出来たらもう、雨天の日で。
そんなことを、ここ何年か考えてました。そして遂に2023年、企画決行に相応しい天気が訪れました。
この年の夏越の日 = 6月30日は、全く陽が指さない悪天。南進には、これ以上ない気候です。
天佑を感じながら木津川市へ向かい、茅の輪を求めて奈良街道を歩いてみました。

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さすてな京都へあじさいを観に行きました。もちろん、ひとりで。

2023年6月12日(月)


さすてな京都へあじさいを観に行きました。もちろん、ひとりで。

京阪電車本線に於ける駅間距離の最長区間は、淀駅中書島駅間の4.4kmであり、
淀駅の隣である八幡市に住む私は、所要時間約5分であるこの4.4kmを日常的に通ってます。
南向きの時は、巨椋池干拓地の空を見ながら。北向きの時は、横大路沼跡地の煙突を見ながら。
駅間距離が長いのは、敷設時点では横大路沼が存在し、大きな集落などがなかったためです。
横大路沼は、秀吉の伏見城築城&その水運確保のため行った宇治川改造の際に生まれた沼地で、
伏見と淀城を結ぶ京街道の足場 = 淀堤によって、巨椋池の北辺を分離する形で出現しました。
それ以前の一帯は、恐らくは水と陸との境界さえあやふやな沼地というか遊水地だったわけであり、
かの下鳥羽/草津港まで含めて、京都南部の水路/海路のゲートとして機能してたのでしょう。
現代に入るとこうした池や沼は干拓で姿を消しますが、横大路沼の干拓完了は比較的遅くて、戦後。
ある意味、水と縁深き洛南の景色を最後の最後まで留めてたのが、この沼なのかも知れません。
干拓後の横大路沼は、豊かな土地と水を活かすべく工場/施設が多く建つようになりました。
誰もがスーパーで目にするような和菓子のメーカーの工場を始め、多くの建物が林立してますが、
その中でずば抜けた存在感を放ってるのが、京都市の環境施設・京都市南部クリーンセンターです。
横大路沼の干拓が完了する以前の昭和11年から、横大路塵芥焼却場として処理業務を開始し、
干拓完了までは沼の畔で、完了後は敷地と施設を拡大しながら、増大する一方の市のごみを処理。
現在は1日最大1100tのごみを焼却出来る、京都市の環境政策に於ける重要拠点となってます。
居並ぶ他の煙突を圧倒するかのようにそびえるその紅白の煙突は、正に此地のランドマークであり、
京阪電車 or 京阪国道を通る人なら、京都市民でなくともその威容を日々目にしてることでしょう。
クリーンセンター、2019年には環境学習施設・さすてな京都が設立され、見学が簡単になりました。
で、このさすてな京都、あじさいが名物だったりします。その株数、実に1万株以上。中々です。
そんなあじさいを、水と縁深き洛南の幻影を求めるように小雨の中、観に行きました。

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先斗町いづもやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2023年5月31日(水)


先斗町いづもやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

コロナ禍は、京都の夏の風物詩である川床に対しても、少なからず影響を与えました。
減客&減席の影響緩和のため鴨川納涼床が行った営業期間の延長は、その代表例でしょう。
おかげで、10月の昼床なんてのも現れたり。奇禍の中の奇貨、とも言えるかも知れません。
ただこの延長、5月の昼床では行われませんでした。6月に昼床は、とうとう現れませんでした。
理由は明白でしょう。暑いからです。梅雨も問題ですが、それより何より暑いからです。
実際に行ったことがある方は御承知とは思いますが、昼床というのは中々に暑かったりします。
陽が当たる場所にはちゃんと日除が用意されますが、5月末の夏日ともなればそれでも完全に暑い。
とても風情どころではありません。炎天下で食事をするという、荒々しい行為になってしまいます。
せめて、太陽が隠れてくれたら。昼床でそんな風に思った方も、実はかなり多いのかも知れません。
太陽が隠れる曇天では、確かに、昼床の最大のメリットと言える景観がかなり損なわれはします。
ただ景観以外の面では曇天はメリットが少なくありません。陽の光に焼かれないし。やや空いてるし。
何なら、景観以外の全てがメリットと言えるでしょう。視覚以外は概ね全て快適になるわけです。
であれば、曇天をもっと積極的に楽しめば、昼床の可能性はより広がるのではないか。
御節介にも当サイトは、そう考えました。そして今回、敢えて曇天の日を選んで昼床へ向かいました。
コロナ禍はほぼ収束したと言えますが、今後もまた似たような事態が起こらないとは限りません。
その際も床を存続するためには、稼働期間の延長も有効でしょうが、客の認識の更新も必要でしょう。
幅のある物事の楽しみ方を我々が身に着ければ、床の稼働率や生存率は上がるのではないか。
そんなことを考え、曇天の5月末日、四条大橋の横にビルと床を構えるいづもやへ出かけたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。新しい日常の後の日常を提案する、挑戦なのです。
断じて、月末も末日に至って5月分のネタ採取を全く行ってないことを急に思い出し、慌てて、
悪天なのに昼床へ出かけ、空いてたいづもやへ適当に飛び込んだのではありません。

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祇園甲部歌舞練場の都をどりを、桟敷席を予約して観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2023年4月28日(金)


祇園甲部歌舞練場の都をどりを、桟敷席を予約して観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

死と再生。春は、そんなことを考えさせられることが多い季節です。
今までの生活や環境に別れを告げ、新たな自分として歩み始める。そんな方も多いと思います。
清水の舞台から飛び降りるように新天地へ赴き、果敢に新生活を始める方も、少なくはないでしょう。
年度始めの世界的な主流は9月であり、日本の4月スタートも実は近代以降の慣習に過ぎませんが、
桜が咲く中で人生の転機を経験すると、誰もが春を特別な季節と感じるようになるとも思えます。
もちろん、桜という花そのものが死の香りを濃厚に孕むこともまた、決して見逃せません。
俺は春死ぬことにしよう。俺が焼ける間、外は花吹雪――いいぞ (映画 『お葬式』 侘助の科白)
涅槃や成仏、あるいは転生や輪廻。こうした願望も、桜や春は高めるのかも知れません。
そんな桜咲く2023年の春、京都・祇園でもひとつの再生が成されました。祇園甲部都をどりです。
都をどり。京都最大の花街である祇園甲部にて、毎年4月に行われてきた舞踊公演であります。
明治初頭に京都振興を目的として開始され、ゆえにその内容は今も極めてスピーディーで現代的。
観光都市・京都を最も体現するコンテンツとも言え、その興味深さは当サイトでもお伝えした通りです。
この都をどりが、2017年よりしばらく、祇園甲部でのホーム公演を行えない状態になってました。
理由は工事です。明治期より会場とし続けてきた祇園甲部歌舞練場が、改修工事に入ったためです。
春秋座や南座に会場を移し、さらには2020年からのコロナ禍を受けて公演そのものまで一旦休止。
こうした苦難を経て、2023年春、都をどりは遂に祇園甲部歌舞練場へ帰って来たのであります。
これは正しく、再生です。春に相応しい再生です。そしてこの再生は、何としても見届けるべきです。
そう考えて当サイトも、前回より良い席でこの再生を見届けようと、然るべき予算を用意しました。
あいにく多忙と券欠が重なって4月末のラスト前々日になったものの、それでも1等席の確保に成功。
しかも、舞台に間近い桟敷席です。これは、期待出来る。そう思いながら、当日は出かけました。
が、出かけてすぐ、全く予想しない形で死と再生に直面したのです。

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宝鏡寺の春の人形展に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2023年3月10日(金)


宝鏡寺の春の人形展に行ってきました。もちろん、ひとりで。

外見上は生きているように見えるものが本当に生きているのかどうかという疑惑。その逆に生命のな
い事物がひょっとして生きているのではないかという疑惑・・・人形の不気味さがどこから来るのかと言
えば、それは人形が人間の雛形であり・・・つまり人間自身に他ならないからだ。人間が簡単な仕掛け
と物質に還元されてしまうのではないかという恐怖・・・つまり人間という現象は本来虚無に属している
のではないかという恐怖・・・
映画 『イノセンス』 トグサの死体の科白)

では、御所人形に感じる不気味さとは、彼等が 「人間とは虚無だ」 と示すことに由来するのか。
不気味の谷を埋めず、むしろ反転させた谷底で観る者を刺すかの如き、あの顔。確かに、気色悪い。
しかし、あの不気味さが本当に虚無に由来するのであれば、そう邪険に扱うのも考え物ではないか。
同様に虚しき存在である独男は、虚無を体現した御所人形と、きっともっと仲良くなるべきなのだろう。
そういえばあの人形に感じる嫌悪感は、案外、同族を見た際に感じる嫌悪感と似てはいないか。

女の子が子育てごっこに使う人形は実際の赤ん坊の代理や練習台ではない。女の子は決して育児
の練習をしているのではなく、むしろ人形遊びと実際の育児が似たようなものなのかもしれない・・・
つまり子育ては人造人間をつくるという古来の夢を一番手っ取り早く実現する方法だった。そういうこ
とにならないかと言ってるのよ。
(同 ハラウェイ検死官の科白)

「古来の夢」 の実現から最も疎外された存在である独男にとって、人形とは果たして何なのか。
また、 「人間は何故こうまでして自分の似姿を造りたがるのかしらね」 とも語るハラウェイ氏に反して、
独男が密造する 「似姿」 の多くは、己と似ても似つかない美少女や巨大ロボットになりがちなのか。
こうした懐疑と向き合うべく今回、宝鏡寺が雛祭シーズンに開催してる春の人形展へ行ってみました。
人間の雛形と、虚無。再生産と、不気味の谷。果たして独男は、人形と仲良くなれるでしょうか。

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梅小路公園へ梅を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2023年2月23日(木)


梅小路公園へ梅を観に行きました。もちろん、ひとりで。

梅ライン。京都の怨霊シーンを語る上では、決して見落とすことが許されないラインです。
それは即ち、北野天満宮から御前通を南下し、土御門家の屋敷があった梅小路へと至るライン。
梅を愛した怨霊神のカリスマと、スター陰陽師の子孫とが、このラインで直結してるわけです。
怨霊神のカリスマとは無論、菅原道真のこと。北野天満宮の主祭神である道真に、他なりません。
優秀ゆえ重用されるも、藤原時平を始めとする平安貴族一同に嫌われ、陰謀により太宰府へと下り、
梅を想いながら野垂れ死んだ後は怨霊化し、恐怖の里帰りを遂げて都へ雷火を落としまくった、道真。
陰謀関係者に片っ端からヴードゥー攻撃をお見舞いし、震え上がった朝廷が名誉回復を決めるも、
遂には御所にも弩級の雷火を叩き込み醍醐天皇が心労死するくらい恐怖の底へ追い詰めた、道真。
この怨霊ジェノサイドが効きまくって、道真が天神として北野天満宮に祀られたのは、御存知の通り。
もちろん、愛する梅と共に。北野天満宮の梅苑は今なお梅の名所であり、訪れる人も絶えません。
かくして道真が怨霊神のカリスマとなった数世紀後、土御門家は梅小路に居を定めます。
土御門家。その先祖は当然、道真とほぼ同時期に活躍した陰陽師・安倍晴明。正しく、霊の名門です。
しかし、晴明の死後も晴明並みの超スター陰陽師を立て続けに輩出したかと言えば、そうも行かず。
権勢的には公卿になれたりと頑張りを見せたものの、肝心の霊的インパクトは欠けたまま時は流れ、
応仁の乱に至ると遂には都落ちの羽目となり、遁世先の若狭で暦を作ったりしてたわけです。
そんな土御門家が後に帰京出来た際、何を思ったのか。単に 「帰れて良かった」 とだけ思ったのか。
多分、違うでしょう。力が要る、と考えたでしょう。特に最近欠けてる霊の力が要る、と考えたでしょう。
そこで、道真に肖ろうとしたのではないか。怨霊神のカリスマと、梅経由の結縁を謀ったのではないか。
北野天満宮の真南である梅小路は昔、梅林が広がってたそうです。そう、正に梅ラインです。
京都の怨霊シーンと真摯に向き合い続ける当サイトとしては、この梅ライン、無視は出来ません。
そこで、梅小路公園にて折よく満開の梅を愛でた後、梅小路へ検証に行ってみたのです。

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京丹波町和知の道の駅・和で、一人ぼたん鍋定食を堪能してきました。もちろん、ひとりで。

2023年1月26日(木)


京丹波町和知の道の駅・和で、一人ぼたん鍋定食を堪能してきました。もちろん、ひとりで。

当サイトに於けるぼたん鍋企画は、正直に言ってここ数年かなり停滞気味でした。
理由は、温泉入湯を企画の必須条件としたためです。それで、行く場所が限られたからです。
鍋はあるけど、温泉はなかったり。温泉はあるけど、鍋はなかったり。両方あっても、高価だったり。
企画第1弾たる大原の里への投宿時には、それこそ本物の温泉に入ってぼたん鍋を堪能しましたが、
以降は本数自体が増えず、また行ったら温泉が閉まってた的な下らないオチも連発しました。
結局、半分くらいの記事では入浴も出来てないんじゃないでしょうか。現実は厳しい。余りに、厳しい。
おまけに当サイトはひとりという条件も付くため、予約や入店が出来ないケースも少なくなかったり。
自業自得にして自縄自縛の限りではありますが、とにかく企画の進展に難儀してるわけです。
でもだからと言って、今になって入湯必須の条件を緩和したいかと言えば、そんなことはありません。
当サイトは、京都の表象にこだわるサイトです。ベタを写経の如く実践することが身上のサイトです。
表象を、表層的に嗤うのではなく、己の身体を通じて実践することで、観光の不毛さを超克する。
この大義のためには、目先の味に囚われず、より全人的な形でぼたん鍋を体感する必要があります。
要は、温まらなければならないのです。真冬に、温泉とぼたん鍋で温まらなければならんのです。
あくまでも温まることが目的なので、温泉の質など問いません。何なら別に風呂であっても構わない。
風呂さえ苦しくて、何らかの風呂的なものになってしまっても、しょうがないのでもう大目に見る。
それよりむしろ、表象として雪が欲しい。雪が積もる白銀の世界。そして出来れば、猪の国・丹波も。
こう考えて、何ならさらに厳しいこの縛りの組み合わせが揃うタイミングを、粘り強く待ち続けてました。
で、この組み合わせが具現化したのです。2023年1月26日に、具現化したのです。
この日の前日は、山科で東海道線の電車が何時間も立ち往生して騒ぎになるほどの、大雪。
雪害自体は全くもって大変ですが、でもこれだけ大雪で翌日が晴れなら、丹波はきっと、銀世界。
そう考え、一人ぼたん鍋定食なるものを出してる和知道の駅・和まで出かけてみたのです。

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宇治・六地蔵の民泊を借り切って、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

2022年12月24日(土)


宇治・六地蔵の民泊を借り切って、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!! 当サイト恒例の聖夜宿泊企画、2022年度版でございます。
今回は、宇治市京都市の境界である六地蔵にて、airbnbで見つけた民泊に泊まってみました。
理由は、当企画が本来持つ 「境界」というテーマを、改めてしっかり追及したくなったからです。
前年2021年は丹後・宮津へ赴き、貸切の宿で酒飲んで寿司食って寝て朝もまた美味い魚食って、
あまりに気持ち良く、あまりに最高だったんですが、ゆえに 「境界」 というテーマは雲散霧消しました。
本来この企画は、荒行として行って来たことです。ある意味、己への枷として続けて来たことです。
なのに、なってない。何より、自分の体がなってない方向へ全振りしてる。これでは、だめです。
もっと修行しなくてはいけない。もっと修行しなくてはいけない。もっと修行しなくてはいけない。
老化で体の無理が利かなくなったのなら、せめてテーマの追求は、しっかり行うべきではないか。
そう考え、テーマを深く追及できる場を探して、思い至りました。六地蔵が、良いかも知れない。
六地蔵。言うまでもなく、六地蔵めぐりの起点 = 大善寺の愛称がそのまま地名となったエリアです。
平安遷都前から奈良/宇治/近江/北陸の交通の要衝であり、隣の木幡と共に怪異譚も多く産出。
秀吉伏見城築城のため巨椋池宇治川改造した後は河港となり、宿場の歴史も持つ地です。
高い親水性ゆえ伏見の東口&水陸交通の接点として賑わう一方、高い親水性ゆえ水害もまた多発し、
山科川が暴れた際には地蔵めぐりの起点を担い得る程の彼我の境界ぶりを誇ったという、六地蔵。
しかし高度成長期も過ぎた頃になって治水が完了すると、ガラ空きの土地で都市化が一気に進行し、
宅地が増えて道が増え新しい駅地下鉄も生まれ、そのためさらに開発は進んで、人口は増加。
21世紀以降は新たな形で交通の要衝と化し、近年では特にマンションの建設ラッシュが加熱してます。
そう、現在の京都に於いて最も現在進行形の境界を体現してるのが、六地蔵エリアなのです。
その六地蔵で今回、Kyoto FUERTE 宇治六地蔵なる、昭和な民家を用いた民泊に泊まりました。
宿と民家の境界で見える境界が如何なるものか、じっくり向き合おうと思います。

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京料理展示大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2022年12月13日(火)


京料理展示大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京料理展示大会は、始まった頃からずっと岡崎を会場にして開かれてると思ってました。
理由は、開催回数と岡崎の開発経年数がほぼ同じだから。2022年時点で、百数十年という。
でも、違うそうです。京料理展示大会は休止期間などがあるため、もう少し古いそうです。
岡崎一帯の開発が始まったのは、琵琶湖疏水が開通し、内国勧業博覧会も開催された1890年代。
博覧会のパビリオンとして平安神宮が作られ、周りには美術館勧業館図書館なども生まれました。
対して京料理展示大会が始まったのは、明治19年 = 1886年。場所も、岡崎から程遠い北野天神
東京遷都で落ち込んだ京都を盛り上げるべく始まったという点では、共通してる感もある両者ですが、
やはり京料理は近代だけのものではなく、それゆえ展示会の発祥も展開も違って来るわけですね。
根本的な説明が遅れました。京料理展示大会。その名の通り、京料理の展示大会です。
主催は、京都料理組合。施餓鬼会/時代祭神饌奉献と並ぶ3大行事のひとつとして開催してます。
大会のルーツは生間流による北野での式庖丁奉納で、その後も祇園などで勅題料理縦覧会を開催。
八坂倶楽部にてしばらく開催を続けるも、戦争で中断に至り、敗戦後に京料理展示大会として復活。
高度成長期に入ると八坂倶楽部から岡崎の京都市勧業館へ会場を移し、参加店や参観者数も増加。
そして平成以降は、新たな勧業施設のみやこめっせにて毎年12月に開催されてるわけであります。
この展示会が良いのは、素人も入れることでしょう。入場料を払えば誰でも入れるという。
なので会場内では、一生入ることがないかも知れない老舗や有名店の料理を拝むことが可能です。
並ぶ料理の数も凄まじく、ジャンルも寿司・ふぐなどを含め多岐に亘るため、全ては見切れないほど。
また会場には特設ステージが設けられ、この展示会のルーツとも言える生間流の式庖丁も披露。
他にも、五花街から呼んだ舞妓はんの舞を始め、京料理教室や出汁巻コンテストなど出し物も充実。
唯一残念なのは料理を食べられないことですが、もう少し金を出せば点心を楽しむこともできます。
そんな京料理展示大会、コロナ明けで復活したというので、初日に岡崎へ出かけました。

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保津峡へ紅葉を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2022年11月25日(金)


保津峡へ紅葉を観に行きました。もちろん、ひとりで。

金が、なくなりました。あったのに、なくなりました。前はあった金が、なくなりました。
おかしいと思って人に言ったら 「それ、お前が使ったからだ」 と言われましたが、それ、おかしい。
私の金は、私の金です。私の所に、私の名前で、振り込まれたり、支払われたりした金です。
その金が、なくなる。使ったというだけで、なくなる。それはちょっと、無茶苦茶な話だと思います。
貨幣経済とか、そういう話でしょうか。そういうの、無関係です。本質から、逃げてるだけです。
金がなくて幸せな人なんて、どこにもいないでしょう。なので、金がなくなることがまず、おかしい。
そもそも、金は使うとなくなるという仕組みの所から、何か間違ってるんじゃないでしょうか。
金で買った物はなくならないし、使ってもなくなりません。自動車も、掃除機も、なくなりません。
なのに、金は使うとなくなるなんて、ちょっと変だと思います。違和感、感じます。モヤモヤします。
はっきり言うと申し訳ないですが、こういう仕組み、昭和っぽいです。今の時代に合ってません。
デジタル化に置いて行かれた人が、必死で私達の足を引っ張ってるんじゃないでしょうか。
古い考え方を鵜呑みにするの、かっこ悪い。そういうのを振りかざして偉そうにするの、かっこ悪い。
ずっと前の当たり前をいつまでも正論のように言い続けるのって、もうハラスメントにしか思えません。
「対価を支払う」 とかいう大昔の価値観から、解放されたい。そういうのに捕まらず、自由でいたい。
おかしいおかしいと思いながら今日の今日まで自分を抑えて生きてきましたが、もう我慢できません。
違和感を我慢せず、モヤモヤを飲み込まず、全て自分らしく表現して、邪魔な壁を越えて行きたい。
金がないと、秋の紅葉が観れないのも、変です。内心、ずっと変だなと思ってました。
紅葉で金を取る人は、紅葉を発明でもしたんでしょうか。してないはずです。元は自然のはずです。
それに拝観料って何ですか。私達は紅葉に用があるんであって、神にも仏にも用はありません。
勝手に信者扱いにされると困ります。そういうのって、出るとこ出たら割とまずい話になるはずです。
紅葉は、金がなくても観れた方がいい。そう思います。なので、保津峡へ行きました。

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8月に舞鶴引揚記念館へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2022年8月29日(月)


8月に舞鶴引揚記念館へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

終戦気分が高まる頃合とは言え、8月に舞鶴の引揚記念館へ行く理由は特にありません。
舞鶴引揚が始まったのは、10月だし。実際、舞鶴市は10月に引揚の記念日を制定してるし。
かなりの引揚者は、8月に戦争が終わらず地獄を見たわけだし。8月、関係ないわけです。
しかしそれでも、安直な8月の終戦気分で引揚記念館へ行くことには意味があると、私は考えます。
特に、歴史の痛みを知らぬ者がその痛みについて考える際、この姿勢は、むしろ重要とも考えます。
引揚記念館。舞鶴港での引揚の記憶を現代に伝承する、日本で唯一の引揚特化型博物館です。
1945年の敗戦後、外地に残された邦人約660万人の帰還のため引揚港に指定された軍港・舞鶴は、
平海兵団跡である舞鶴引揚援護局にて、主にソ連/旧満洲/朝鮮半島の引揚者を受け入れました。
特に1950年以降は国内唯一の引揚港となり、平桟橋に立つ 『岸壁の母』 が有名にもなりましたが、
1958年に引揚事業が終了すると、桟橋と援護局は荒れ果て、木工団地への整備後には痕跡も消滅。
この風化を避けるべく、1988年、援護局跡と桟橋跡を見下ろす高台に引揚記念館は建てられました。
以来この館は、引揚に関する資料を収集・展示し、戦争の愚かさを伝え続けてる、というわけです。
そんな引揚記念館へ8月に行くということ。それは、戦争を知らない己を体感することに他なりません。
戦争 = 8月という安直な先入観の真中で、最初から完全に間違ってる者として、存在するということ。
それを恥じながら対象と向き合うことで、己の存在を裂き、その裂け目から世界を見るということ。
安易に本物へ触れず、何も知らない己に恐れ慄き、その恐怖で己の外部を想像し続けるということ。
自分が何を見てないのか、見せられてないのか、見ようとしてないのかを、考えるのではなく体感する。
自分が何を知らないのか、知らされてないのか、知ろうとしてないのかを、考えるのではなく体感する。
場の悪さ/間の悪さとして体感する。場違い/間違いとして体感する。激しい気まずさとして体感する。
そんな思いから、8月に引揚記念館へ出かけました。まだ空が総懺悔色の8月末に、出かけました。
断じて、8月の鉄板ネタと思って出かけた後で、引揚と8月が無関係と気付いたわけではありません。

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